【原文】
学に次第有るは、猶お弓を執り箭(や)を挾(さしはさ)み、引満して発するがごとし。直ちに本体を指すは、猶お懸くるに正鵠(せいこう)を以てして必中を期するがごとし。
【訳文】
学問をするには順序がある。それはあたかも、弓を手に執り、矢をさしはさみ、満月のように引き絞って矢を放つようなものである。直ちにその本体を目指して進むということは、あたかも弓の的を懸けて置いて、矢が必ず命中することを期待するようなものである。
【所感】
学問を行なうには順序があるというのは、弓を手に持ち、矢をはさみ、それを満月のように引き絞った後に矢を発するようなものである。すぐに本体すなわち修己治人を目指すということは、弓の的を懸けておいて必ず命中することを期待するようなものであって、期待すること自体が間違いである、と一斎先生は言います。
学問に限らず、何かを極めようと思えば、基礎を学び、それを実践の中で徹底的に磨いた後にしか成就しないものです。
今年入社したばかりの社員さんであっても、すぐに営業として一人前になりたいとか、先輩と同じことができないといって悩んだりします。
ところがそんな彼らに、「明日までにロシア語を話せるようにしてきてね」とお願いすれば、即座に「無理です」と返してきます。
そのとき小生は、「営業の道も同じだよ。そんな簡単に一人前になれると思ってもらっては困るんだ。学んだことを実際に試して、たくさん失敗して、そこから学んで成長して欲しい」と伝えるようにしています。
ところが最近の若い人の中には、「私は一度も失敗したくありません」とか「すぐにトップセールスになれる方法を教えて欲しい」というようなことをあっさりと口にする人がいて驚かされます。
10年、偉大なり。
20年、恐るべし。
30年、道(歴史)となる。
50年、神の如し。
と言われます。
絶え間ない努力と継続の果てにしか大輪の花は咲かない。
この事実を苦労を知らない若者に伝える。
小生は今この難題と取り組んでおります。