一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2016年08月

第566日

【原文】
大に従う者は大人と為り、小に従う者は小人と為る。今の読書人は攷拠瑣猥(こうきょさわい)を以て能事と為し、畢生(ひっせい)の事業此に止まる。又嘆ず可し。此に於いて一大人有り。将に曰わんとす、「人各々能有りて器使す可し。彼をして矻矻(こつこつ)として考察せしめて、我れ取りて之を用いば、我れは力を労せずして、而も彼も亦其の能を効(いた)して便なり」と。試に思え、大人をして己を視て以て器使一輩中の物と為さしむ。能く忸怩たる無からんや。


【訳文】
およそ人がするに際して、高くて大なる所に著眼すれば大人物となり、反対に細かく小さい所に著眼すれば小人物となる。今の読書人はわずらわしい字句の考証や細かなつまらない事をして、自分のなすべき事をなし得た如くに考えている。これでは、一生なすべき事業が、ここで止まってしまうことになる。誠に嘆ずべきことである。ここに一人の大人物がいて、その人が今の読書人に対して次のように言おうとしている。すなわち、「人には各々特有の才能を具えているからして、あたかも道具や器械がそれぞれ特殊な用途があるように、人もその能力に応じて使うことができる。それで、その人をして、その得意とする所を一生懸命に考究させて、その結果を自分が利用すれば、自分は苦労せず、その人もまたその能力を十分に発揮することができる。そうすれば、両者とも得る所があるではないか」と。試みに考えてみるがよい。他の大人物から、自分を一種の道具や器械として使用できる仲間の一人として扱われるとしたならば、学問に志す者として、恥じないでいられようか、恥ずかしい次第である。


【所感】
学問をするに際して、大所高所に目をつける人は大人物となり、細かく小さい所にしか目の届かない人は小人物となる。現代の読書家は瑣末なことをほじくり出して考証することを自分のやるべき事だと理解して満足しているので、大きな仕事ができないのである。嘆かわしいことである。ここに一人の大人物がいて、今の読書家にこのように言う、「人には各々に能力の違いがあり、その能力に応じて用いるべきである。そこで彼に苦労して考えさせて、その結果を自分が活用すれば、私自身は力を労することなく、しかも彼もその能力を発揮することができ、大いに良い結果となろう」と。考えてみよ、大人物から自分が一種の器具として利用される程度の人物だと見なされたならば、学問をする者として誠に恥じ入るべきことではないか、と一斎先生は言います。


読書したことをただ知識として蓄えるだけでなく、仕事に活用して立派な成果を残さなければ、一生を人に使われる身として終えることになり、悔いの残る人生となってしまうぞ、という一斎先生から学問をする後輩達への強烈なメッセージです。


これまでも度々、儒教とは実践の学問であって、知行合一、知ったことは即座に実行できなければ本当の知識ではないのだということを書いてきました。


この章では、一歩踏み込んで、では実践しなければどんな弊害があるのかを、具体的に説明してくれています。


男一匹、社会に出たからには、なにかしらの仕事を残したいものですよね。


多くの社会人が仕事をしながら学び続けているのは、世の中の役に立つ仕事をして、功成り名を遂げるためではないでしょうか。


そうであるなら、学問をする上で、大所高所からの視野をもって学ばねばならないのだと、一斎先生は教えてくださいます。


もちろん一斎先生もおっしゃっているように、人には各々に分際があります。


しかし、自らその分際未満の人物にしてしまっては勿体ないですよね。


以前にもご紹介しましたが、『論語』には孔子と冉求との有名な問答があります。


【原文】
冉求曰わく、子の道を説(よろこ)ばざるに非ず、力足らざればなり。
子曰わく、力足らざる者は中道にして廢(はい)す。今女(なんじ)は畫(かぎ)れり。(雍也第六)


【訳文】
冉求が言った。
「先生の説かれる道を喜ばないわけではありません。ただ何分にも私の力が足りないので行うことが出来ません」
先師が言われた。
「力が足りないかどうかは、力の限り努力してみなければ分からない。力の足らない者は中途でたおれるまでのことだ。今お前は、はじめから見切りをつけてやろうとしない。それではどうにも仕方がない」(伊與田覺先生訳)


はじめから自分に見切りをつけてしまっては、結局他人から正当な評価は得られず、人に甘んじて使われることになってしまうでしょう。


自分の分際を尽くして生きたいものです。

第565日

【原文】
清初、考処の学盛行す。李二曲(顒)・黄黎洲(こうりしゅう)(宗義)・湯潜菴(斌)・彭南畇(定求)・彭樹蘆(士望)の諸輩、竝びに此の学に於いて見る有りと為す。要するに時好と殊に異なり。学者其の書を読みて以て之を取舎するを妨げず。


【訳文】
清朝初期に考証学が盛んに行なわれたが、その間において、特に李二曲(りじきょく)・黄宗義(こうそうぎ)・湯潜菴(とうせんあん)・彭南畇(ほうなんきん)・彭樹蘆(ほうじゅろ)等の学問や著書には診るべきものがある。しかしながら、要するに、彼らは時代の流行(好み)と殊更に相反しているようである。それで、学問に志す者は、彼らの著書を読んで見て、よく取捨選択すべきである。


【所感】
清朝初期に考証学が盛んとなった。李二曲・黄宗義・湯潜菴・彭南畇・彭樹蘆等の学説については見るべきものもある。彼らの学説はその時代の好みとかなり異なっている。学問をする者は、その書を読んだうえで、よく取捨選択すべきであろう、と一斎先生は言います。


昨日に続いて清朝の学説に関する記述です。


ここに掲載されている学者先生の名前については、小生はここではじめて知ったくらいで、その歴史的な評価などはまったく存じておりません。


ここに列挙された学者先生は概ね陽明学派であって、中でも黄宗義や彭樹蘆は、明朝滅亡後に清朝には仕官しなかったようです。(いわゆる考証学派とは一線を画していた学者先生のようです。)


小生が本章から学び得たことは何かといえば、


学問をする者は主体性をもって学ばねばならない


ということでしょうか。


何を目的とし、何を基準にして学ぶのかを常に念頭におき、流行に左右されない学びが必要なのでしょう。


ここでも「不易流行」の不易の部分を探り当て、学びを深めるということが大切だということです。


本物を見極める目を養うためにも、数多くの本物の学問に触れていかなければなりませんね。

第564日

【原文】
漢儒訓詁の伝は、宋賢心学の伝と、地頭同じからず。況んや清人考処の一派に於いてをや。真に是れ漢儒の與たいなり。諸を宋賢の為す所にくらぶるに、夐焉(けんえん)として同じからず。我が党は渠(かれ)の窠臼(かきゅう)に堕つる勿くば可なり。(與たいの「たい」及びくらべるという漢字はワープロ変換できず)


【訳文】
漢代(漢・唐)の儒者が、経書の字句の解釈によって古の聖人の精神を伝えたことと、宋代(宋・明)の賢人達が心学によって聖人の学を伝えたこととは、まったく立場が異なっている。まして、清代の考証学派に至っては、なおさらで、実に漢代儒者の卑しい召使のようなものといえる。これを宋代(宋・明)の儒者がなしたのと比較すると、はるかに隔たっている。わが党の人達が、清朝考証学の陥った弊害を繰り返すことがなければよい。


【所感】
漢・唐の時代の儒者による字句に拘った経書の解釈と、宋・明時代の儒者による性理的な経書の解釈とは、その立脚するところが異なっている。まして清の時代の考証学派においては、まったく異なったものであって、彼らはまるで漢・唐の儒者の奴隷のようなものである。彼らを宋・明の儒者と比較すれば、はるかにかけ離れて異なっている。私と学びを共にする者たちが、彼らと同じような過ちを犯すことがなければ良いのだが、と一斎先生は言います。


この時代別の儒者の傾向といったことについては、小生は大いに勉強不足であって、多くは語れません。


ただ小生は、学問として儒教を学ぼうとするのではなく、あくまで実際の仕事や生活に生かすために読みたいと思っていますので、その点でいえば、あまりに字義の解釈に拘って古典を捉えるというのは無意味なのではないでしょうか。


ただし、例えば四書五経と呼ばれる儒学の経典は、みな二千年以上も前に書かれたものばかりです。


作者や編者すら不明なこれらの古典に書かれた内容を100%正しく理解することは不可能なはずです。


例えば『論語』についても、誰か学者先生をおひとりの解釈だけで読むことは、一斎先生がご指摘される落とし穴とはまた別の穴に堕ちてしまうという恐れもあります。


その危険性を回避するには、複数の学者先生の解釈を読み、自分なりの理解をすることが重要だと思います。


そこで小生が主査する潤身読書会では、現在20冊以上の『論語』の解説書を斜め読みして、様々な解釈を併記し、参加者の皆さんとシェアしながら、実践項目に落とし込もうという努力を続けています。


その結果、時には潤身読書会独自の解釈が生まれる場合もあります。


本章の直接の解釈からは外れてしまいますが、この章を読んで、潤身読書会の進め方についても一斎先生に背中を押して頂いたと、勝手に解釈させていただこうと思います。

第563日

【原文】
心理は是れ竪の工夫、博覧は是れ横の工夫。竪の工夫は則ち深入自得し、横の工夫は則ち浅易氾濫す。


【訳文】
心性を究明することは竪の内面的修養であり、書物を博く見ていくことは横の外面的修養である。この竪の工夫(内面的修養)は深く道理を究めて悟りの境地に至ることができるが、書物による横の工夫(外面的修養)は深みがなく表面的なもので、あまり身のためにはならない。


【所感】
理を心に究めることは縦方向の学問の工夫、広く読書見聞することは横方向の学問の工夫である。縦の工夫は深く心を究めて自ら悟ることを可能にするが、横の工夫は浅い表面的な知識が多いばかりで意味をなさない、と一斎先生は言います。


この章句を読んで思い起こされるのは、東京の篠崎にある一風変った本屋さん「読書のすすめ」の店長、清水克衛さんが提唱する「縦糸の読書」です。


縦糸の読書とは、時代が変っても変らない、世の中を貫く普遍的な法則である真理を学ぶ読書のことだそうです。


一方、横糸の読書とは、時代の流れによって内容が廃れてしまうビジネス本やノウハウ本の読書のことなのだそうです。


一斎先生は常に大自然の法則をつかむ努力をされた方であり、ここでいう竪の工夫というのは、不易、すなわち時代が変っても変らない真理をつかむことなのでしょう。


私が尊敬する伝説の営業人、中村信仁さんは、こうおっしゃっています。


売れる本ではなく、売れ続けている本を読もう。


小生が約3年の間、学び続けている『論語』はまさに読み続けられている古典です。


『論語』を学び、そこから大自然の法則をつかみ、それを日常生活の中で実践していく。


これが小生における竪の工夫ということになりそうです。

第562日

【原文】
今の学者は、隘(あい)に失わずして博に失い、陋(ろう)に失わずして通に失う。


【訳文】
今の学者は、学問や見識が狭いのでしくじるのではなく、かえってその広博なためにしくじるのである。その学問や見識が浅いのでしくじるのではなく、かえって万事に通達しているためにしくじるのである。


【所感】
今の学者先生は、学問が狭くて失敗するのではなく、広すぎるために失敗し、学問が浅いために失敗するのではなく、万事に通じているがために失敗するのである、と一斎先生は言います。


学識は広ければ良いというわけではなく、深ければ良いというものでもない、ということでしょう。


一斎先生もそうですが、儒学の目的は、実践にあります。


学んだことが実践されていなければ、その知識は記問の学といって、知識を詰め込むだけで、消化されて自分のものとなっていないということでしょう。


『論語』の中に、以下のような章句があります。


【原文】
子路、聞くこと有りて、未だ之を行うこと能わざれば、唯聞く有らんことを恐る。(公冶長第五)


【原文】
子路は、一つの善言を聞いて、まだそれを行うことができないうちは、更に新しい善言を聞くことを恐れた。(伊與田覺先生訳)


孔子の弟子であり、孔子塾塾頭的立場にあった子路は、普段は蛮勇に失して孔子に叱られる場面の多い、愛すべきキャラクターなのですが、実は実直な面も有していました。


それがこの言葉です。


孔子からひとつの教えを受けたならば、それを実践できるまでは、次の教えを受けることを避けたのだそうです。


この子路の態度こそ、ここで一斎先生が述べようとされたことなのではないでしょうか。


博識であることや学問の深さを誇るのではなく、徳目をいくつ実践できているかが重要なのだ、というこの箴言に目が覚める思いです。

第561日

【原文】
義を精にして神に入るは、燧(すい)もて火を取るなり。用を利して身を安んずるは、剣の室に在るなり。


【訳文】
物の道理を精細に究明して、神妙な奥義に至ることは、あたかも火打石で火を取って明るくするようなものである。物をうまく利用して、身を安楽にすることは、あたかも身を護るための剣を室に置いておくようなものである。


【所感】
『易経』にある「精しく道理を研究し、神妙なる奥義に至る」とは、火打石から火を取り明かりをつけるようなものである。同じく「日常の仕事を有利に処理し身を安泰にする」とは、護身用の剣を部屋におくようなものである。これほど間違いのない方法はない、と一斎先生はいいます。


ここに引用されている言葉は、『易経』繋辞下にあります。


【原文】
精義、神に入るは、以って用を致すなり。利用身を安んずるは、以って徳を崇くするなり。


【訳文】
人が義を精しく究めて神妙の境地に入れば、大きな活用を致すことができる。物を順用してして身を安らかにすれば、人を治める徳を高くすることができる。(『日本思想体系』より) 


一斎先生の存命当時、火種をつくる最良の方法は火打石を使うことだったでしょう。


火をとるには、火打石を用いるのが最適であるように、学問においても、物の道理を精しく研究することが最適最善である。


また、護身用の剣が常にわが身のそばにあることが最も安心であるように、、目の前の仕事をテキパキと処理することが、心を落ち着ける最良の方法である。


これが一斎先生からのメッセージでしょうか。


孔子も『論語』のなかで、ズバリとこう言いきっておられます。


【原文】
子曰わく、異端を攻むるは、斯れ害のみ。(為政第二)


【訳文】
先師が言われた。
「道からはずれた学問をするのは害があるだけだ」(伊與田覺先生訳)


この言葉は、何かひとつの道を究めるためには、本筋の努力をするべきであって、枝葉末節にこだわってはいけない、という教えです。


企業でいえば、コアビジネスに注力せよ、ということでしょう。


小生は、紆余曲折を経て、現在は営業パーソンの教育とその結果としての業績拡大の任務を与えられております。


その任務を全うするための大きな手段として、『論語』や『言志四録』などの東洋の古典を活用すべく、日々精進しております。


余所見をせず、浮気をせず、日々の学びを今目の前にある仕事に活かします。

第560日

【原文】
少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。 壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。


【訳文】
少年時代に学問しておけば、壮年時代になってそれが役に立つことができるし、壮年時代に学問しておけば、老年になっても気力の衰えることがない。老年になっても学問すれば、それが社会に役立つことになるから、死してもその名が朽ちることがない。


【所感】
若くして学べば、壮年時代になって良い仕事ができる。壮年時代に学べば、老いて衰えない。老いてなお学べば、死んでもその名が朽ちることがない。


この章句は「三学戒」と呼ばれており、恐らく『言志四録』中もっとも有名な章句ではないでしょうか。


内容もシンプルで素晴らしいですよね。


小生はこの章句を以下のように解釈して、いつも忘れないように手帳に記載しています。


青年(少年)期には、自分のために学ぶ。

壮年期には、世の中のために学ぶ。

老年期には、後世の人たちのために学ぶ。


人は死ぬまで勉強し続けるべきですが、学ぶ目的は年齢によって変っていくのではないでしょうか。


人は二度死ぬといいます。


最初の死は、いわゆる肉体の死です。


二度目の死とは、自分を知っている人がこの世からいなくなる時なのだそうです。


つまり、老いてもなお学び続けることで、人は自分の人生の何倍もの期間、後世の人たちの心の中で生き続けられるのです。


まさに孔子は死後2,500年を経過した今でも世界中の人々の心の中で行き続けていますよね。


死して朽ちず、とはそうしたことを指すのでしょう。


小生はいま、壮年から老年へと向かう端境期に存しております。


更に学び続け、学びを深めて、仕事を通して世の中に貢献しつつ、『論語』を通じで後世の方にも貢献できたら本望です。

第559日

【原文】
余は年少の時、学に於て多く疑有り。 中年に至るも亦然り。 一疑起る毎に、見解少しく変ず。即ち学の梢(やや)進むを覚えぬ。近年に至るに及んでは、則ち絶えて疑念無し。又学も亦進まざるを覚ゆ。乃(すなわ)ち始めて信ず、 「白沙(はくさ)の云う所、疑いは覚悟の機」なることを。 斯の道は無窮、学も亦無窮。今老いたりと雖も、自ら厲(はげ)まざる可けんや。   


【訳文】
自分は少年時代に、学問について多くの疑問をいだいていた。それが中年になっても同じであった。 一つの疑問が起る度毎に、自分の学問に対する見方や考え方が少し変わってきた。それは学問が少しばかり進歩するのを自覚してきたことである。近年(およそ70才)になって、少しも疑う心が無くなり、その上、学問も進歩するのを自覚しなくなった。そこではじめて、明の陳白沙先生のいわれた「物を疑うということは、悟りを得る機会である」ということを信ずるようになった。聖人の道は無窮なものであり、学問も同じく無窮なものである。いま自分は年をとっているけれども、いっそう奮励努力しなければならない。


【所感】
私は少年時代、学問について多くの疑問をいだいていた。それは中年になっても同様であった。一つの疑問が起る度に、私の学問は少しずつ変化してきた。つまり学問が少しずつ進歩するのを自覚してきたのである。近年になって、全く疑う心が影を潜めた。それにより学問の進歩も自覚できなくなっている。私ははじめて、「明の陳白沙先生の言葉『物を疑うということは、悟りを得る機会である』を信ずるようになった。聖人の道は窮まり無く、学問も同様に窮まり無い。いま私は年老いたが、いっそう学問に励まねばならない、と一斎先生は言います。


年齢が進み老齢に達する頃には、どうしても気力や向学心が低減してしまうものです。


孔子も晩年、このような嘆きを言葉にしています。


【原文】
子曰わく、甚(はなは)だしいかな、吾が衰えたるや。久し、吾復(ま)た夢に周公(しゅうこう)を見ず。(述而第七)


【訳文】
先師が言った。私の衰えもひどくなったものだなぁ。久しく夢に周公を見ていないのだから。(伊與田覺先生訳)


孔子も年老いて、かつては自身のアイドルとして崇拝し、その礼制度を現代に復興させようとした、あの周公旦の夢を見ることがなくなった、と嘆いているのです。


小生などもまだ五十ではありますが、以前ほど深夜の読書ができなくなっております。


一斎先生ほどの学者先生でも、若い頃に比べるとモノを疑うことをしなくなったのだそうです。


疑いは覚悟の機 


良い言葉ですよね。


人間成長の原動力は、「なぜだろう」という疑問にあり、ということでしょうか。


死ぬまで成長し続けるためにも、常に疑念を抱き、それを晴らすという作業を繰り返さなければなりません。

第558日

【原文】
顔淵、仲弓は、「請う斯の語を事とせん」と。子張は「諸を紳に書す」。子路は「終身之を誦す」。孔門に在りては、往往にして一二の要語を服膺すること是の如き有り。親切と謂う可し。後人の標目の類と同じからず。


【訳文】
孔門中徳行第一の顔淵と仲弓は、「(孔子の)教えの言葉を一生守って実践します」といい、子張は「(師の教えを)紳(しん:大帯の前に垂れて飾りとしたもの)の裏に書きつけて忘れないようにします」といい、子路は「(師が言われた『詩経』の言葉を)一生忘れず暗誦します」といった。このように孔子の弟子達は、一つ二つ大切な言葉を心にとどめて忘れないように努めた。これらは誠に情の厚いものといえる。後世の学問をする人々が、ただ単なる目じるしとして覚えているのとは、まったく趣を異にしている。


【所感】
孔子の高弟で徳行で優れているとされる顔回と仲弓は、「孔子から教えられた言葉を一生大切にして実践します」と言っている。子張は「孔子の言葉を帯に書き付けた」とされる。子路は「孔子から教えられたことを一生暗誦します」と言った。孔子の門下にあっては、弟子たちはこのように一つ二つの重要な言葉を拳拳服膺した。その身に切実であったと言えよう。後世の人々が目標としたのとはまったく異なる行為であった、と一斎先生は言います。


孔子の弟子たちは、主に仕官することを夢見て孔子教団に入門し、教えを請うています。


これに対して孔子はそれぞれの弟子の特徴を見事に捕らえ、応病与薬、あたかも病状に合わせて薬を与えるかのように、弟子夫々の課題と実践目標を指し示します。


ここに挙げられた4名の弟子達にはどんな教えを与えたのでしょうか?


顔回が仁の実践について尋ねたときには、「礼にはずれたことは見ない、礼にはずれたことは聞かない、礼にはずれたことは言わない、礼にはずれたことは行わない」と指示を与えました。(顔淵篇)


仲弓が仁を問うたときは、「家の外で会ったときは相手を高貴な客を見るかのように扱い、人民を使役するには、大切な祭に仕えるようにするのだ。自分がして欲しくないことは、人にしないこと。」と伝えています。(顔淵篇)


子張がどうすれば思うように道が行われるかを問うたときは、「言うことが誠実で言を違えないようにし、やることが篤実で慎み深ければ、たとえ南蛮北狄のような野蛮な国へ行ったとしても、必ず思った通りのことが行われるだろう。言うことに実がなくいい加減なものであったり、やることに情がなく浮ついたものであったなら、たとえ生まれ故郷であったとしても、何一つ思い通りにならんだろう。」と言います。(衛霊公篇)


子路については、『詩経』ある 「他人を妬まず、必要以上に欲しがらず。そうすれば善人になれるだろう。」とあるのをたえず口ずさんでいたのに対し、「それくらいではまだ不十分だ」と伝えています。(子罕篇)


一方、これらの弟子達も、夫々のやり方で師の教えを深く心に刻み、一生の指針としています。


そこに真の師弟愛を感じ取ることができます。


リーダーとメンバーとの間は師弟関係とは違いますが、同種の信頼感をもって仕事をしたいものです。


そのためにはまずリーダーが、メンバーの長所と短所、課題と対策を明確に伝えられるまでに、メンバーを知ることが先決です。

第557日

【原文】
古人は各々得力の処有り。挙げて以て指示するは可なり。但だ其の入路各々異なり、後人(こうじん)透会(とうかい)して之を得る能わず。乃ち受くる所に偏して、一を執りて以て宗旨と為し、終に流弊(りゅうへい)を生ずるに至る。余は則ち透会して一と為し、名目を立てざらんと欲す。蓋し其の名目を立てざるは、即便(すなわち)我が宗旨なり。人或いは議して曰く、「是(かく)の如くんば、則ち柁(かじ)無きの舟の如し、泊処(はくしょ)を知らず」と。余謂う、「心即ち柁なり。其の力を著(つ)くる処は、各人の自得に在り。必ずしも同じからざるなり」と。蓋し一を執りて百を廃するは、卻(かえ)って泊処を得ず。 


【訳文】
古人がそれぞれ自得した所を挙げて世に示すことはよい事である。ただ、その自得の仕方が各々異なっているので、後の人がこれをよく会得することはできない。それで、各自受け取った所に片寄って、その一つをとって主義とするために、結局さまざまな弊害を生ずることになる。自分は会得して一つの主義としたり、或いは一つの名目を立てたりうることはしない。思うに、名目を立てない所が、自分の主義なのである。人が批評して「それでは、あたかも柁の無い舟のようなもので、舟の着く所がわからない」というであろう。自分は「自分の心が柁なのである。その力の着け所(力点)は、各人が自ら自得するにあって、必ずしも同じようにする必要はない」と考える。一つの事に執着して他の百の事を廃してしまったたならば、かえって舟の行き着く所が得られない(目的を達成することができない)であろうと思う。


【所感】
昔の人が各々自得した所をもって世間に顕示することはよい事である。ただ、その自得の方法は各々異なっているので、後世の人が同じように自得することは難しい。つまり、教えられたことに片寄って、特定のものをとって宗旨とするために、遂には弊害を生ずることになる。私は自得することを第一として特定の名目に振り回されないようにしている。思うに、名目を立てない所が、私の宗旨だといえよう。人がそれを批評して「それでは、柁の無い舟のようなもので、舟の定着場所がわからない」というであろう。私はこう考える、「そもそも自分の心こそが柁なのである。その力の着け所は、各人が自ら悟るところにあるのだから、必ずしも同じ型にはめようとする必要はない」と。一つの宗旨に偏って他の百の事を廃してしまったたならば、かえって舟の定着場所が得られなくなるであろう、と一斎先生は言います。


陽朱陰王と呼ばれ、朱子学も陽明学もバランス良く教授したと言われる一斎先生ならではのお言葉ですね。


人はなにかと徒党を組みたがります。


そうなると必ず自分たちとは違う考えもつ一派を否定したくなります。


十人十色ですから、人それぞれにものの考え方や悟りの方法があるはずであって、無理に型にはめ込むことはかえって弊害でしかないのだと、一斎先生は警告されています。


『論語』の中で、孔子もこう仰っています。


【原文】
子曰わく、君子は周して比せず。小人は比して周せず。(為政第二)


【訳文】
先師が言われた。
「君子は、誰とでも公平に親しみ、ある特定の人とかたよって交わらない。小人は、かたよって交わるが、誰とも親しく公平に交わらない」(伊與田覺先生訳)


我が国においても、少し前までは「ゆとり教育」という名の下に、個性をつぶす教育が行われてきました。


その結果、よい意味での競争心を失って、大きな夢を描いて成長する子供達が極端に少なくなりました。


守・破・離


という言葉があります。


何ごとも基礎となる型を身につけること(守)は重要です。


しかし、どこかでその型を破り(破)、型から脱却して人それぞれの型を見つけていくこと(離)が望ましいのでしょう。


小生も組織の上に立つ者として、メンバーを小さな型に嵌め込めてはいないかをもう一度振り返らねばなりません。
プロフィール

れみれみ