一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2016年11月

第657日

【原文】
上官、事を我れに属(しょく)せば、我れは宜しく敬慎鄭重なるを要すべし。下吏、事を我れに請わば、我れは宜しく区処敏速なるを要すべし。但だ事は一端に非ざれば、則ち鄭重にして期を愆(あやま)り、敏速にして事を誤るも、亦之れ有る容(べ)し。須らく善く先ず其の軽重を慮り、以て事に従うを之れ要と為すべし。


【訳文】
上役の者が、仕事を自分に言いつけたならば、慎み深く丁寧にすることが肝要である。下役の者が、仕事を自分に頼んできたならば、素早く区切りをつけて処理することが必要である。ただ、仕事は単一ではないから、あまりに丁寧過ぎて期日におくれたり、またあまり敏速過ぎて事を仕損ずることもある。それで、まずよく仕事の度合いを十分に考えて、それから仕事に着手することが肝要である。


【所感】
上司が私に仕事を依頼してきた際には、私は深く慎んで丁寧な仕事をすることを心がける。また自分より役職が下の人に仕事を頼まれた際は、私は期限を決めて敏速に処理することを心がける。ただし仕事というのは一律のものではないので、慎重すぎて期限に遅れてしまったり、早く処理をし過ぎてミスをすることもあり得ることである。すべてにおいてまず仕事の重要性について熟慮した後仕事に着手することが必要であろう、と一斎先生は言います。


今日も一斎先生流仕事術のご紹介です。


仕事は常にスピードと丁寧さとのトレードオフの中でバランスをとらなければなりません。


過日紹介した私の営業所で掲げる「わたくしたちの行動指針」(作:寺田一清先生)の中に、


完璧遅滞より拙速優先に努めましょう。


とあります。


100点を取りにいくとベストタイミングを逃します。


かと言って、丁寧さを欠き、雑な仕事をすれば信頼を失います。


森信三先生も、寺田一清先生も80点主義を唱えておられます。


ところがこの80点を狙うというのも容易なことではありません。


何より自身の主観的な80点が、相手(仕事の発注先 or お客様 etc)の80点と合致しているとは限りません。


一斎先生のおっしゃる、まず仕事の軽重つまり重要性や緊急性について熟慮することの大切さはそこに理由があります。


よく研修などで若い社員さんにアドバイスするのは、勝手に判断するのではなく、まずお客様に直接聴いてごらん、ということです。


たとえば、


お客様:「急いでいるから早めに見積り持ってきてね 」 

営業マン:「わかりました」 


という会話で終わり、この営業さんが、たとえば今日は水曜日ですので、来週月曜日までに持って行けばよいだろうと勝手に判断したとします。


いざ、月曜日に見積りをお持ちしたら、お客様から、


「遅いよ、もう他社さんに発注したよ」


となってしまうかも知れません。


必ず、


お客様:「急いでいるから早めに見積り持ってきてね」 

営業マン:「わかりました、来週の月曜日までで間に合いますか?」

お客様:「もう少し早められない?」

営業マン:「はい、それでは金曜日にお持ちしますね」

お客様:「よろしくね」


と具体的に納期を確認するべきなのです。


仕事の重要性を測り、スピードと丁寧さのバランスをとる


ということは、職種を問わず、どんな職業においても最も大事な心がけではないでしょうか? 

第656日

【原文】
権貴の徳は、賢士に下るに在り。賢士の徳は、権貴に驕るに在り。


【訳文】
権力者や高貴な人の守るべき徳は、賢人に対して謙遜な態度をもって教えを受けるにある。賢人の守るべき徳は、権力者や高貴な人に対して畏怖するところ無く発言するにある。


【所感】
権力者や富裕者の有すべき徳は、賢人に対して謙虚な態度をとるところにある。一方、賢人の有すべき徳は、権力者や富裕者に対して阿らないところにある、と一斎先生は言います。


昨日、一昨日からの流れです。


富や地位を得ることは、徳を積むこととは次元が違うのだ、と一斎先生は何度も繰り返しています。


ところで、後半部分の言葉はやや過激ですね。


権力者や富裕層に対してペコペコ頭をさげるな!


ということでしょう。


恐らく一斎先生は、権力者や富裕層に媚びうる似非(えせ)学者を幾人もご自身の目で見てきたのではないでしょうか。


もしかしたら昌平黌(一斎先生がトップを努めた幕府の最高学府)の門下生たちにもそんな輩がいたのかも知れません。


「お前たちは何を学んでいるのだ。もっと堂々と人と相対せよ!!」


そんな気持ちになり、思わず本章を書き留めたくなった。


あくまでも小生の勝手な推測です。


これまでに何度も取り上げていますが、中江藤樹先生の言葉に、


それ学は、人に下ることを学ぶものなり。人の父たることを学ばずして、子たることを学び、師たることを学ばずして弟子たることを学ぶ。よく人の子たるものはよく人の父となり、よく人の弟子たるものはよく人の師となる。自ら高ぶるにあらず、人より推して尊ぶなり。


とあります。


本物の学者、真の学び人は、相手が誰であろうと常に敬意をもって接するものだ、と藤樹先生は仰っているのでしょう。


その点、小生などは真の似非学び人だったと述懐し、猛省せざるを得ません。。。

第655日

【原文】
心に勢利を忘れて、而る後に権貴(けんき)と与に語る可し。


【訳文】
心の中に、勢力や利益を得ようとする欲心を忘れ去ってはじめて、権力者や高貴な人と対等に話し合うことができる。


【所感】
心の中から権力や利得を得たいという気持ちを棄ててから、権力者や高貴な人と対等に語り合うべきだ、と一斎先生は言います。


昨日に続いて権力者や富裕者に阿(おもね)ってはいけないとの一斎先生のアドバイスです。


ちょうど今日読んだ本の中に、日本が中国の内政干渉(靖国問題など)に対して、対等な立場で反論ができないのは、常任理事国に入れてもらいたいというスケベ根性があるからだ、と書かれていました。


これが事実かどうかはわかりませんが、事実だとするなら、ここで一斎先生がご指摘のとおりではないでしょうか?


国際間の外交ですらそうなのですから、我々の日常においても同様のことは頻繁に起こっているわけです。


小生がなりわいとする営業という職業は、本来はお客様が抱えている課題を、我々が提供する商品や仕組みの提供を通じて、解決するお手伝いをすることにあります。


ところが数字に追われる営業マンはいつの間にか、商品を買ってもらうことが目的となってしまいます。


つまりお客様の課題を解決できる商品ではないものを、なんとか価格を下げて買ってもらおうとするのです。


本来、お客様と営業マンは対等の立場であるべきなのです。


それを忘れてしまうと、営業という仕事が卑屈な仕事に思えて、やりがいを失ってしまうのでしょう。


この商品を提供すれば必ずお客様の課題を解決できる、という自信が漲(みなぎ)ってれば、お客様はその商品を、いやその営業マンを択んでくれます。


何事も下心があっては成就しないということですね。

第654日

【原文】
「大人に説くには則ち藐(かろ)んぜよ。其の蘶蘶(ぎぎ)然たるを視ること勿れ」。視ること勿れとは心に在り。目は則ち熟視するも妨げず。


【訳文】
「高貴な人に対して自分の意見を述べる場合には、相手を軽く見てかかるがよい。先方の高貴な身分であることを気にするな(視るなかれ)」。これは孟子の言葉であるが、「視るなかれ」ということは心で視るなということであって、自分の目は先方をよく視てもかまわないというのである。


【所感】
『孟子』尽心下篇に「大人に説くには則ち藐(かろ)んぜよ。其の蘶蘶(ぎぎ)然たるを視ること勿れ」とある。この場合の視ること勿れというのは、心の持ち様を言っているであって、目は相手を凝視しても構わないのだ、と一斎先生は言います。


早速、『孟子』尽心下篇の該当部分をみてみます。


【原文】
孟子曰く、「大人に説くには則ち之を藐(かろ)んぜよ。其の蘶蘶(ぎぎ)然たるを視ること勿れ。堂の高さ數仞(すうじん)、榱題(しだい)數尺。我志を得るも爲さざるなり。食前方丈(しょくぜんほうじょう)、侍妾(じせん)數百人。我志を得るも爲さざるなり。般樂して酒を飲み、驅騁田獵(くていでんりょう)し、後車千乗(こうしゃせんじょう)。我志を得るも爲さざるなり。彼に在る者は、皆我が爲さざる所なり。我に在る者は、皆古(いにしえ)の制なり。吾何ぞ彼を畏れんや」


【訳文】
孟子のことば「尊貴の人に自分の意見を述べようとするときは、相手を軽くみてかかれ。その人の蘶蘶然として富貴な様子を眼中に置くな。彼らの富貴は、たとえば、宮殿の高さが数仞もあり、たる木の頭は数尺もあるだろうが、自分は志を得てやればやれるときでも、そんなまねはせぬ。また、ごちそうを前に一丈四方も並べ、侍女は数百人もいるだろうが、自分は志を得てもそんなまねはせぬ。また大いに楽しんで酒を飲み、車馬を走らせて狩猟を催し、あとには千台もの車を従える、とうようなことは、自分は志を得てもしようとせぬものだ。かの尊貴の人の下にあるものは、すべて自分はまねようと思わぬことであり、自分に有するものは、すべていにしえの聖人の定めた礼である。してみれば、自分の有するものは、彼の有するものよりも、はるかに貴重なものである。自分はなんで彼を恐れはばかることがあろうか」(宇野精一先生訳)


いかにも孟子らしい言葉であり、態度です。


要するに、自分が目指すものは富貴ではなく、古の聖人が求めたものであって、本当に徳が高いのは自分の方である、ということを述べているのでしょう。


一切の悩みは比較より生ずる


とは、森信三先生の至言ですが、比較しないで生きるということは、相当に心を磨かないとできないことです。


小生はかつてはそこそこ名の知れた企業に在籍していました。


そこでパワハラ問題を起した際、名の知れた会社から無名の会社へ籍を遷すことに、当初は悩みました。


しかし、その当時は既に本当の学びを始めていましたので、社外に多くの共に学ぶ友人が居ました。


彼らの多くは、起業していたり、あるいは小さな会社に居ても非常にプライドを持って仕事をしていました。


そんな彼らを知っていたからこそ、会社を変わる決意ができたのです。


今はその選択が正しかったと思えるようになりました。


人間の偉さはその人の知名度と比例するわけではない様に、会社の存在意義も会社の大小とは関係のないものです。


本当に大切なものは、人間であれば志、会社であれば理念です。


小生は、そんなことを挫折から学ぶことができました。

第653日

【原文】
事物に応酬するには、当に先ず其の事の軽重を見て而る後に之を処すべし。仮心(けしん)を以てすること勿れ。習心を以てすること勿れ。多端を厭(いと)いて以て笱且(こうしょ)なること勿れ。穿鑿(せんさく)に過ぎて以て繳住(きょうじゅう)すること勿れ。


【訳文】
物事を取扱う場合には、まずその物事の度合を見てから処理しなければいけない。好(い)い加減な気持でしてはいけない。習慣的な気持でしてはいけない。多忙を嫌って粗末にしてはいけない。余り調べ過ぎて引き止めておくことはいけない。


【所感】
ものごとを処理する場合には、まずその内容の重要性を把握した後に処理をすべきである。いい加減な心で対処してはならない。慣れ過ぎて軽くみて処理するのもよくない。手をつけるところが多いからと手を抜いてはいけない。細かいことにこだわり過ぎて、ひとつのことに深入りし過ぎることもよくない、と一斎先生は言います。


仕事を処する上での心がけについてのアドバイスです。


簡単にまとめてみますと、


① すぐに手をつけるのではなく、ことの重要性をよく見極める。
② いい加減な気持ちで仕事をしない。
③ 狎れた気持ちで仕事をしない。
④ 手抜きをしない。
⑤ 精密音痴にならず、常に全体像を把握する。


となるでしょう。


どんな仕事にも期限があります。(期限のない仕事は自慰行為です)


したがって完璧遅滞より拙速優先でなければいけません。


拙速の意味は、100点を狙うのではなく、80点を狙うということです。


②③④のような仕事をすれば、80点未満の仕事になります。


⑤を意識しないと、完璧遅滞となります。


そうならないためにも、①の仕事の重要度の把握こそが最も大切であるということでしょう。


せっかくここに拙速優先という言葉を出しましたので、小生が所長を務めている営業所で掲げている「わたくしたちの行動指針」を紹介しておきます。


わたくしたちの行動指針 

1.整理整頓かつ即今着手に努めましょう。
2.損得勘定より最善工夫に努めましょう。
3.完璧遅滞より拙速優先に努めましょう。
4.目標設定かつ技術向上に努めましょう。
5.諸縁に感謝、期待にそうよう努めましょう。


この行動指針は、小生がお世話になっている塚本惠昭さんのお力添えで、森信三先生の一番弟子である寺田一清先生に作成いただいたものです。


寺田先生直筆の行動指針を、営業所の入り口正面に額に入れて飾っております。(小生は毎朝、掃除の時間にこの額縁を磨いております)


仕事に迷ったとき、いつもこの指針に立ち返って行動できるようにと、毎朝、朝礼の冒頭に所員さん全員で唱和しております。



図1 



第652日

原文】
官に居る者は、事未だ手に到らざるときは、阪路を攀(よ)ずるが如し。歩歩艱難なるも、卻って蹉跌無し。事既に手に到れば、阪路を下るが如し。歩歩容易なるも、輒(すなわ)ち顚踣(てんばい)を致す。


【訳文】
官職にある者は、まだ事務に熟練しない間は、あたかも坂路をよじ登るように、一歩一歩困難であるが、よく注意して事務を執るから、かえって失敗がない。ところが、仕事に熟練してくると、あたかも坂路を下るように容易であるから、心もゆるんでその都度、失敗を招くから慎重にすべきである。


【所感】
官職にある者は、仕事がまだ手につかないうちは、坂道を登るようなもので、その歩みは艱難辛苦を伴うが、それだけに失敗はないものである。仕事に慣れてくると、坂道を下るように、歩みも楽になるが、それがかえって躓きとなることもある、と一斎先生は言います。


これはとても分かりやすいアドバイスですね。


たとえば車の運転などは、まさにこれが当てはまるのではないでしょうか。


初心者マークがついている頃は、右折するのもひと苦労で、慎重に周囲を見てから右折をするものですが、初心者マークが取れる頃には、ハンドルも片手で運転するようになり、周囲への配慮も疎かになって、事故を起こすというのはよく聞く話です。


仕事も同じです。


新しい仕事をする際、最初は事細かに質問をして、ミスがないように心がけますが、慣れてくると確認を怠って大きな失敗をしてしまうものです。


小生のように、医療機器の営業をしている人は、官公立の施設へ商品を納入する場合、入札制度があります。


入札における大きな失敗として、見積り額の桁を間違えるということが時々起こります。


これは聞いた話ですが、\20,000,000-と記載するところを、\2,000,000-と記載して提示してしまい、会社に\18,000,000-の損失を与えてしまったという事例がありました。(公的施設の場合、入札取り消しをすると、一年間の取引停止などとなる場合があります。)


そこで、小生は日頃から社員さんに対して、例えば上記の例であれば、日報などには、20百万円もしくは、20,000千円と表記させることを徹底しています。


2千万円といった万円表記を禁止しているのです。


これに慣れると大きな数字を読む場合でも、右からイチ、ジュウ、ヒャク、セン、マンとやらずに、瞬時に読むことができるようになります。


こういうことを品質用語では、バカヨケ(英語では fool proof)と呼称しています。


要するに凡ミスをしない仕組みをつくるということです。


もし高額のお金を扱う仕事をされている会社で、いまだに万円表記が普通の会社があるなら、参考にしてください。


さて最後に、孔子はどうしているかをみておきましょう。


【原文】
子、大廟(だいびょう)に入りて、事ごとに問う。或ひと曰わく、孰(たれ)か鄹人(すうひと)の子を禮(れい)を知ると謂うや、大廟に入りて事ごとに問う。子、之(これ)を聞きて曰わく、是(こ)れ禮なり。 (八佾第三)


【訳文】
先師がはじめて君主の先祖の廟で祭にたずさわった時、事毎に先輩に問われた。   
ある人が「誰が鄹の田舎役人の子をよく礼を弁えていると言ったのか。大廟に入って事毎に問うているではないか」と軽蔑して言った。   
先師はこれを聞いて言われた。  
「これこそが礼だ」(伊與田覺先生訳)


孔子は君主を祭る大切な祭りであれば、いつでも初心者のように確認をしながら決して失敗をしないようにすることが礼儀だとおっしゃっています。


仕事には慣れてもよいが、狎れてはいけません。

第651日

【原文】
人情の向背は敬と慢とに在り。施報の道も亦忽(ゆるが)せにす可きに非ず。恩怨は或いは小事より起る。慎む可し。


【訳文】
人情が自分に対して向ってくるかそむくかは、敬と慢(あなどる)とにある。すなわち、尊敬の念を以てすれば人が自分に向って来るし、あなどる心を以てすれば人が背をむけて離れていく。なお、人に対して恵を施し恩に報いる道も、またおそろかにしてはいけない。恩や怨はどうかすると小さい事から起るものであるから、よく慎むべきである。


【所感】
人情が自分に向うか背くか、つまり心服されるか背反されるかは、人を敬うか侮るかで決まってくる。また、恩に報いる道もおろそかにしてはいけない。恩とか怨みというものは小さな発端から発するものである。慎まねばならない、と一斎先生は言います。


ここでも重要なことは、人間関係を良好に保とうとするなら、まず自分の態度を振り返り、改めるべきだということでしょう。


自分が嫌いだと思う人は、必ずその人も自分を嫌っているものです。


では、どういう態度が良いのかといえば、相手を敬うことだと一斎先生は指摘しています。


陽明学者の中江藤樹先生は、


親を愛する者は人を憎まず、親を敬う者は人を侮らず。


とおっしゃっており、「愛敬」こそ人倫の根本原理だとしています。


この愛敬は、一足飛びには身につけることができません。


小生は、勤務先の新卒一次面接の試験官を任せて頂いておりますが、面接の際には、ご両親への思いを質問することにしており、その回答からご両親への愛敬を感じることができる学生さんは、学歴を問わず二次面接に推薦しています。


さて、続けて恩に報いる際にも慎重でなければならない、と一斎先生はおっしゃっています。


これについては、既に昨日記載したように、見返りを求めないことがなにより大切でしょう。


相手に心から敬意を抱き、見返りを求めず、ただ自分の心の義に従って行動すれば、人間関係はそれほど難しくないのかも知れません。

第650日

【原文】
恩怨分明なるは、君子の道に非ず。徳の報ず可きは固よりなり。怨に至っては、則ち当に自ら其の怨を致せし所以を怨むべし。


【訳文】
恩と怨(うらむ)とをはっきり分けることは、君子の取るべき所の道ではない。恩恵を受けて、これに対して報いることはいうまでもない。怨恨(うらみ)に対しては、自分がなぜ怨を受けることになったのかというその原因をよく考え反省すべきである。


【所感】
恩には恩で、怨みには怨みで報いるというのは、君子の道とはいえない。恩を受けてこれに報いることは当然である。しかし怨みについては、なぜ自分がその怨みを買うことになったのかに思いを致し、自分自身を怨むべきである、と一斎先生は言います。


常に矢印を自分に向けよ、とのメッセージです。


『論語』学而第一のなかで、孔子はこう言っています。


【原文】
子曰わく、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり。


【訳文】
先師が言われた。
「人が自分を知ってくれなくても憂えないが、自分が人を知らないのを憂える」(伊與田覺先生訳)


本章の後半部分は、これと同趣旨だと見てよいでしょう。


他人に怨みを買うような人は、それを何度も繰り返す傾向があります。


それは、相手を批判・非難するばかりで、自分自身の問題を省みようとしないからでしょう。


営業の世界においても、売れない営業マンは買わない理由をお客様に帰してしまいがちです。


彼らは、


「あの人は興味がないそうです」

「価格が高すぎるそうです」


といったコメントを発します。


しかし売れる営業人はそうは考えません。


「なぜ興味を惹くことができなかったのだろうか」

「どうしたらこの製品の(価格に見合った)価値を認めてもらえるだろうか」


と、常に矢印を自分に向けて営業のスキルやマインドを磨きます。


だから売れるのです。


人生という舞台で自らが主役を務めたいなら、どんな事象も矢印を自分に向けて修養を積むべきです。


掛けた恩は水に流し、受けた恩は石に刻め。


この言葉は、元々は仏教の経典にあるそうですが、良く知られた言葉です。


見返りは求めない、しかし受けた恩は決して忘れない。


人生の主役を演じきるためには、これ以上のアドバイスはありません。

第649日

【原文】
僚友に処するには、須らく肝胆を披瀝して、視ること同胞の如くなるべし。面従す可からずと雖も、而も亦乖忤(かいご)す可からず。党する所有るは不可なり。挾む所有るは不可なり。媢疾(ぼうしつ)する所有るは最も不可なり。


【訳文】
同僚の者と交際するには、心の中まで打ちあけて、あたかも兄弟のようにすべきである。媚びへつらうのはよくないけれども、そむき逆らうこともよくないことである。また、党派をつくることもよくないし、自慢するようなこともよくない。嫉みにくむということは最もよくないことである。


【所感】
同僚と交際するときは、総じて心の中をさらけ出して、兄弟のように振舞うべきである。なんでも言うことを聞くというのも良くないが、叛き逆らうのも良くない。徒党を組むのも宜しくないし、胸に一物をもって付き合うのも宜しくない。そねみにくむようなことは最も良くない、と一斎先生は言います。


昨日の上司との付き合いに続いては、同僚との交際についての箴言です。


表向きは仲良く見えるが、実際のところは相手を嫌っているというような付き合い方はよろしくない。


しかし、憎み合うような関係は更に最悪である。


まるで血を分けた兄弟のように、お付き合いをしなさい、という一斎先生のアドバイスです。


小生もよく社員さんの研修で話をするのですが、同じ会社に属する者にとっての敵はライバル企業です。


社内に敵がいるような状態では、ライバル企業に勝てるわけがありません。


むしろ、お互いを好ましく思えるような関係を築かねばなりません。


そのためには同僚の欠点には目をつむり、美点を凝視することが大切です。


ところで、美点に目を向けるようになると、多くの場合、次第に相手の欠点が気にならなくなるものです。


どんな人であっても美点と欠点を兼ね備えているものです。


美点凝視で交際すると君子の交わりが可能になります。


君子の交わりについては、『論語』為政篇の中で孔子が具体的に教えてくれています。


【原文】
子曰わく、君子は周して比せず、小人は比して周せず。


【訳文】
先師が言われた。「君子は、誰とでも公平に親しみ、ある特定の人とかたよって交わらない。小人は、かたよって交わり、誰とでも公平に親しく交わらない」(伊與田覺先生訳)


つまり、君子の交わりとは個人的な損得勘定を棄てて、公のため(会社であれば経営目標達成のため)に一致団結することを指しています。


社内に敵が居るのは小人物だよ、と孔子はズバリと指摘してくれています。

第648日

【原文】
官長を視ること、猶お父兄のごとくして、宜しく敬順を主とすべし。吾が議若し合わざること有らば、宜しく姑(しばら)く前言を置き、地を替えて商思すべし。竟(つい)に不可なること有らば、則ち笱従(こうじゅう)す可きに非ず。必ず当に和悦して争い、敢て易慢(いまん)の心を生ぜざるべし。


【訳文】
上役の人に対する心得としては、あたかも父兄に対するような、敬い順うことを第一とするがよい。もし自分の意見が上役と合わないことがあったならば、しばらくの間、前に言ったことをそのままにしておいて、立場をかえて自分が上役になったつもりで、よく考えてみるがよい。どうしても、上役の言うことによくない所があるならば、決して軽々しく従ってはいけない。この場合には、必ず顔色をやわらげ、にこにこして互いに論じ合い、決して上役をあなどる心を起さないようにしなければならない。


【所感】
所属の長に対するには、あたかも父兄に対するように、よく敬い順うことを重視すべきである。自分の意見と合わないことがあれば、少しの間は前言をそのままにして、立場を替えて考えるべきである。最終的に長の意見に良くないことがあるならば、そのまま従うようなことをすべきではない。そのようなときは、表情は穏やかにしつつ論争し、間違ってもあなどる態度を見せてはいけない、と一斎先生は言います。


かつての小生は、自分が正しいと思えば相手が上司であろうと口角泡を飛ばして論争を仕掛けるようなところがありました。


その際は、まさに上長を心の中で軽蔑しながら論争していました。


しかしそうした場合、結果的に自分の意見を受け容れてもらうことはできませんでした。


それは当然である。


上司と自分の意見が一致しないときは、すぐに論争を仕掛けるのではなく、以下の二点に気を付けなければならないのだ、と一斎先生はおっしゃっています。


1.一方的な物の見方を改め、相手の立場を考慮する

2.相手を侮るような態度は一切見せず、表情や言葉遣いを慎重にする。


ビジネスの世界においては、上司と自分のどちらが正しいかを論争することは無意味です。


どうしたら、自分の意見を取り入れてもらえるかを考えなければなりません。


上司への接し方については、国民教育者の森信三先生が下記のような至言を残されています。


上位者に対する心得の根本を一言で申しますと、「すべて上位者に対しては、その人物の価値いかんにかかわらず、ただその位置が自分より上だという故で、相手の地位相応の敬意を払わなければならぬ」ということでしょう。すなわちこの場合大事な点は、相手の人物がその真価とか実力の点で、自分より上に立つだけの値打ちがあろうがあるまいが、そういうことのいかんにかかわらず、とにかく相手の地位にふさわしいだけの敬意を払うようにということです。


上長という地位に対する敬意を失うことなく、表情や言葉遣いを慎重にして自分の意見を伝えることで、自分の意見が採用される可能性は極めて大きくなるはずです。


フォロワーシップの基本として心に留めておきましょう。
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