一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2016年11月

第647日

【原文】
人主、飲を好む、太だ害有り。式礼を除く外は、宜しく自ら禁止すべし。百弊皆此れより興る。


【訳文】
人主が飲酒を好むことは甚だ害がある。儀式の場合以外は、飲酒を禁止するがよい。色々な弊害はみな人主が飲酒することから起るものである。


【所感】
君主が飲酒を好むことは大きな弊害となる。儀式などを除き、飲酒は禁止すべきである。あらゆる弊害はすべてここから発生しているのだ、と一斎先生は言います。


これは世の中のリーダー諸氏には耳の痛い忠告ではないでしょうか?


様々なストレスを抱えるリーダー達からすれば、せめて酒くらい飲ませてよ、というところでしょう。


小生も、お酒が入ると大暴れする上司、お説教を延々とする上司、夜中まで何時間も付き合わせる上司などなど、困った上司を多数見てきました。


ただ、小生が一番嫌だったのは酒の力を借りて本音を言う人でした。


誰だって耳に痛い話はしたくない、聞きたくないものです。


だからこそ、素面(しらふ)のときに、そういう話をしたい、して欲しいと思ってきました。


少なくとも世のリーダー諸氏は、自分の組織のメンバーを飲みの席に誘うことは慎んだ方が良いでしょう。


特に個人的にお決まりのメンバーだけを誘うということは絶対に避けねばなりません。


そんなところから信頼関係にひびが入ることは良くあることです。


お酒を飲むなら、プライベートの友人や学友と共にすることをお奨めします。


そういう意味でも職場と家庭以外に第三の場所を持つことは重要です。


さて実は、小生はまったくお酒を嗜みませんので、この一斎先生のアドバイスだけは忠実に実行できそうです。

第646日

【原文】
凡そ事には真の是非有り、仮の是非有り。仮の是非とは、通俗の可否する所を謂う。年少未だ学ばずして、先ず仮の是非を了すれば、後に迨(およ)んで真の是非を得んと欲すとも、亦入り易からず。謂わゆる先入主と為り、如何ともす可からざるのみ。


【訳文】
総て世の中の事には、真の是非(善悪)と仮の是非(善悪)とがある。仮の是非というのは、世間一般の人が良い(是)とか悪い(非)とかいっていることである。年が若くて学問しない内に、仮の是非を頭に入れてしまうと、後になって、道理上から真の是非を識り得たいと思っても、容易に頭に入りにくくなる。これは世間でいわれている「先に耳に入った事が主になる(先入観)となる」ということであって、どうすることもできないのだ。


【所感】
世の中の事には、真の善悪と仮の善悪とがある。仮の善悪とは、世間の人々が良し悪しを論ずるような類のものである。年若くして学びが浅いうちに、仮の善悪を了解してしまうと、後で真の善悪をつかみたいと希望しても、簡単には了解できなくなるものだ。いわゆる先入観となって、どうしようもなくなってしまうのだ、と一斎先生は言います。


ここに真の善悪と仮の善悪がでてきました。


この違いはどこにあるのでしょう。


小生の解釈は以下のとおりです。


真の善悪:義と不義、社会にとって役に立つものと害悪を及ぼすもの

仮の善悪:得と損、自分にとって役に立つものと立たないもの


つまり、一斎先生が指摘しているのは、若いうちに自分にとって損か得かだけでものごとを判断してしまう習慣がつくと、将来的に世の中の役に立つ仕事はできなくなる、ということだと小生は理解しています。


若いときに夢を持つことは大切です。


しかし、夢とは私的なもので、for me の考え方がベースにあり、「私は○○になりたい、私は○○が欲しい」と主体は常に私にあります。


いい歳をした人がいつまでもそれでは駄目でしょう。


人は人生経験を積む中で、夢を志へと浄化していかねばなりません。


志とは公的なもので、for you, for them の考え方がベースにあり、「私は世の中(他人)のために○○をしたい」となって主体は世の中(他人)にあります。


夢を志へと浄化するには、どうしても学問が必要です。


中江藤樹先生は、


それ学は、人に下ることを学ぶものなり。


とおっしゃっています。


人に下ることで、人を立て、人のために力を尽くすことの意味や喜びを知り、真の善、つまり志を抱くことが可能となるのではないでしょうか。

第645日

【原文】
人主の賢不肖は、一国の理乱に係る。妙年嗣立(しりつ)の者、最も宜しく交友を択ぶべし。其の視効(みなら)う所、或いは不良なれば、則ち後遂に邦家を誤る。懼る可きなり。


【訳文】
藩主の賢愚は一国の治乱に関係する。それで、若くて先君の後を嗣いだ者は、最もその交友の選択に注意を払うがよい。平生見習っている人が、もし善良でなければ、後日ついに一国の前途を誤ることになる。恐るべきことである。


【所感】
君主が堅いか否かで、国が治まるか乱れるかが決まる。年若くして後を継いだ者は、とくに交遊関係を慎むべきである。日頃模範とする人が不善であれば、将来的に国を滅ぼすことにもなり得る。恐ろしいことだ、と一斎先生は言います。


野球評論家の野村克也氏は、こう言っています。


組織はリーダーの器以上には大きくなれない。


良かれ悪しかれ、組織はリーダー次第ということでしょう。


一斎先生はとくに若いときの交際に気をつかえとアドバイスをしています。


経営者の跡継ぎでなくても、将来人の上に立って大きな仕事をしたいと考えている若者は、慎重に交際をするべきです。


現代の日本において、若くして師と呼べる人に巡り会える人は一握りの数でしかないでしょう。


では、どうすべきか。


小生は、読書に如かずと断言します。


たとえば、『貞観政要』という中国古典があります。


これは、唐の第二代皇帝太宗とその重臣とのやり取りを記録した書で、古来帝王学のテキストとされてきました。


太宗の治世は、貞観の治と呼ばれ、見事に国が治まった時代なのだそうです。


そこには、有名な言葉として、


創業と守成、孰(いず)れが難きや 


があります。


そしてこの書は、太宗自身が跡継ぎでもあることから、主に守成についての箴言やアドバースが満載なのです。


若き日にまずは『貞観政要』を読み込み、実践を積む。


そうすれば、正しい道を進むことができ、結果的に師と仰ぐ人に巡り会うことも可能となるはずです。


小生に関しては随分と手遅れではありますが、後世に伝える学びとして『貞観政要』を学んでおります。

第644日

【原文】
方今諸藩に講堂及び演武場を置き、以て子弟に課す。但だ宮閫(きゅうこん)に至りては未だ教法有るを聞かず。我が意欲す、「閫内に於いて区して女学所を為(つく)り、衆(おおく)の女官をして女事をばしめ、宜しく女師の謹飭(きんちょく)の者を延(ひ)き、之をして女誡(じょかい)・女訓・国雅の諸書を購解せしめ、女礼・筆札・闘香(とうこう)・茶儀を并(あわ)せ、各々師有りて以て之を課し、旁(かたわ)ら復た箏曲(そうきょく)・絃歌の淫靡ならざる者を許すべし」と。則ち閫内必ず粛然たらん。


【訳文】
ただ今、各藩においては、学問所や武芸稽古場を設けて、藩の子弟に勉強をさせている。ただ女官などの居る奥向きに対しては、まだ教育の方法があるのを聞いていない。自分は次のようなことを望んでいる。「殿中の奥向きに区画を立てて、女性の学問所を設け、多くの女官達に、女性として守るべき道を学ばさせ、慎み深い女の先生をつれて来て、女官に女性のとしての訓戒の書や和歌などを講義させ、また、女性としての礼儀・習字・香合(こうあわせ)・茶の湯など、各々先生をつけて習得させ、そのかたわら琴曲や絃歌などのみだらでないものを許すのがよい」と。こうしたならば、奥向きの方は必ず慎んで静かになるであろう。


【所感】
最近、各藩では学問所や道場を設けて青年に勉強を課している。ただ大奥に対しては未だに教育方法がないと聞く。私は以下のような期待をしたい。「大奥に区画を設けて学問所を作り、多くの女官に女性にとって大切な道を学ばせ、慎み深い女性教師を招聘して、女性としての戒訓、和歌などの書を購読させ、礼儀作法、習字、香道、茶の湯などにそれぞれの教師をつけて学ばせ、その合間に、琴曲・弦歌などで淫らでないものは許可する」と。このようにすれば大奥は必ず粛然となるであろう、と一斎先生は言います。


一斎先生の時代はまだまだ女性が学ぶということが一般的でなかったようです。


この章句そのものについては、特にコメントは割愛して、今日は女性教育に身を捧げたひとりの偉人を紹介致します。


実は先日、共に学ぶ朋友達と、一斎先生の故郷である岐阜県恵那市岩村町を訪ねました。


その岩村出身の偉人に、下田歌子さんという方がいます。


歌子さんは、明治初期に活躍した方で、江戸末期の武家に生まれ、幼い頃から漢詩や和歌をたしなむ才女だったそうです。


その後、江戸に出た歌子さんは、時の皇后の寵愛を受け、後に女官に昇進します。


一旦は結婚により職を辞しますが、夫と死別した後、ふたたび登用され、華族女学校の教授、次いで学監(がくらん)に就任し、女性の地位向上に貢献します。


当時は儒教を中心とした教育が施されたそうです。


やがて欧米視察に出て帰国した歌子さんは、当時の女性があまりにも男性の言いなりにばかりなっていた姿に心を痛め、「日本が一流の大国と成らん為には大衆女子教育こそ必要。」と女性に教養を授け、品性を磨かせ、自活のチャンスを与えて女性の地位向上・生活改善をはかるべく奮闘しました。


さらに歌子さんは実践女子学園の基礎も築き、82歳で逝去するまで女性教育の普及に力を尽くした方なのだそうです。


まさにこの章で一斎先生が臨んだ教育を大奥だけでなく、一般の婦女子にまで普及させた大偉人だと言えそうです。


せっかくのご縁ですので、下田歌子さんについてはもう少し詳しく勉強して、後日開示させて頂きます。

第643日

【原文】
大臣の権を弄するは、病猶外症のごとし。劇剤一瀉して除く可きなり。若し権、宮閫(きゅうこん)に在れば、則ち是れ内症なり。良薬有りと雖も施し易からず。之を如何せん。


【訳文】
大臣が権力を自由にすることは、あたかも外部の病気のようなものであるから、劇薬を使用して一度に取り除くがよい。しかし、権力がもっと奥深い所にあるならば、これはあたかも内部の病気のようなものであるから、よく効く薬があっても施しにくいものである。これをどう処置したらよいだろうか。


【所感】
大臣が権力をもてあそぶことは、外傷を患うようなものである。劇薬を処方して一気に取り除くべきである。しかし、もしその権力が大奥のような深い場所にあるならば、それは内臓疾患のようなものである。たとえ良薬があったとしても簡単に治療することはできないであろう。これをどう処置したらよいだろうか、と一斎先生は言います。


これは君主に対する戒めの言葉でしょう。


君主はすべての実験を握るのではなく、ある程度の権限を委譲すべきです。


ところがそうなると、要職に就いた小人物が、その委譲された権限を濫用するということが起こり得ます。


しかしそんなものはなんとでも手の打ち様はあるものだ。


ただ、その実権が大奥つまり女性の手に渡るとやっかいなのだと一斎先生はご指摘しているようです。


これは男という生き物を想定すると理解しやすいですね。


溺愛している女性が政治や人事に口を出すようになると、男は脆いもので、簡単に言うことを聞いてしまいます。


世界中の歴史の中で、女性を寵愛する余り、政治を疎かにしたリーダーが数多(あまた)存在します。


権力者ほど、女性には注意しないといけません。


さて話は変わりますが、『韓非子』という古典のなかに、トップが手放してはいけない権限について触れられています。


【原文】
明主のその臣を導制する所は、二柄のみ。二柄とは、刑徳なり。何をか刑徳と謂う。曰く、殺戮これを刑と謂い、慶賞これを徳と謂う。人臣たる者は、誅罰を畏れて慶賞を利とす。故に人主、自らその刑徳を用いうれば、則ち群臣その威を畏れてその利に帰す。故に世の姦臣は然らず。悪む所は則ち能くこれをその主に得てこれを罪し、愛する所は則ち能くこれをその主に得てこれを賞す。今、人主は賞罰の威利をして已に出でしむるに非ず、その臣に聴きてその賞罰を行わば、則ち一国の人皆その臣を畏れてその君を易(あなど)り、その臣に帰してその君を去る。これ人主、刑徳を失うの患なり。


【訳文】
すぐれたトップは、二つの柄を握っているだけで、部下をつかいこなす。二つの柄とは、刑と徳である。では、刑徳とは何か。刑とは罰を加えること、徳とは賞を与えることだ。部下というのは罰を恐れ賞を喜ぶのが常である。だからトップが罰と賞の二つの権限を握っていれば、ふるえあがらせたり、てなずけたりして、思いのままにあやつることができる。腹黒い部下は、そこにつけこんでくる。気に入らない相手は、トップになりかわって自分が罰し、気に入った相手には、やはりトップになりかわって自分で賞を与える。もしトップが賞罰の権限を自分で行使せず、部下にまかせてしまったら、どどうなるか。国中がその部下を恐れてトップを軽視し、はては、部下になびいてトップを見限るだろう。賞罰の権限を手放せば、こういう結果にならざるを得ないのだ。(守屋洋先生訳)


いかにも法家の韓非子らしい言葉ではありますが、心に留めておきたい箴言ではないでしょうか?


組織のリーダーには、委譲すべき権限と自ら堅守すべき権限を見極めて、組織を運営していくことが求められるのです。

第642日

【原文】
婦女の服飾の美麗を以て習と為すは、殆ど不可なり。人の男女有るは、禽獣の雌雄牝牡有ると同じ。試に見よ、雄牡は羽毛飾り有りて、雌牝には飾り無きを。天成の状是の如し。


【訳文】
婦女子が服装を美しく着飾ることを風習とすることは良くないことである。人間に男女があるのは、鳥に雌雄があり、獣に牝牡(めす、おす)があるのと同じである。試して見られよ、禽獣のおすには羽毛の飾りがついているが、禽獣のめすには羽毛の飾りがついていなことを。天然自然の状態はかくの如きものである。


【所感】
婦女子が服装を美麗に飾ることを風習とするのは宜しくない。人間に男と女の区別があるのは鳥や獣に雌雄や牝牡があるのと同じことである。試みに見てみよ、禽獣のおすには羽毛の飾りがあるが雌には飾りが無いではないか。天然自然の有様はこのようなものである、と一斎先生は言います。


これをもって佐藤一斎先生は女性蔑視主義者だなどと早合点してはいけません。


昨日の言葉同様、時代背景が違うのです。


ましてここで取り上げているのは庶民のことではないはずです。


中国の歴史に度々登場した西施や楊貴妃といった美魔女や『論語』に登場する南子などを想定しているのではないでしょうか? 


ある程度地位のある者が、その妻に金や財産を分け与えてあまりに自由にさせることは問題だ、というくらいの指摘に捉えておきます。


ところで、これはあくまでも小生の周辺ではそういう傾向があったということで、一般論ではありませんが、どうも母親が家計を支えているような家庭においては、男子が社会人になると苦労をするようです。


母子家庭ということであればやむを得ないことですが、父親がハウス・ハズバンドであったり、家庭内別居状態で息子さんが母親についている場合などは、どこか頼りなく、独り立ちできていない、あるいはやや一般常識に欠ける子供になる傾向があるのかも知れません。


小生がこれまでに受け入れた男性の新卒社員さんで、問題児となった人にそういう傾向が顕著にありました。


ただし、これはn数の少ない偏ったデータですので、これを取り上げてとやかく言うつもりはありません。


敢えて言うならば、


世の中のお父さんよ、家の中では威厳を保ちましょう!! 


といったところです。

第641日

【原文】
婦徳は一箇の貞字、婦道は 一箇の順字。


【訳文】
婦人の守るべき徳操は、みさおの正しいという意味の貞の一字に存する。また、婦人の守るべき道は、やさしく従う意味の順の一字にある。


【所感】
婦人の徳とはただ「貞」の一字にあり、婦人の履み行う道はただ「順」の一字にある、と一斎先生は言います。


時代が違う現代にこの言葉がどれだけの意味を持つのかはわかりません。


しかし、女性とくに奥方が貞操を守り、男性に順じていた時代こそ、男が男で居ることができたように思います。


男は単純で明快です。


立ててもらえれば、それだけで頑張れるものです。


女性の社会進出を否定するものではありませんが、もう少し馬鹿な男という生き物を上手に扱ってもらえればありがたいと思うのは、小生だけでしょうか?


それはさておき、この言葉はフォロワーシップに当てはまるように思います。


メンバーがリーダーに対して、あたかも女性が操を守るように信頼をおき、リーダーに順ってくれたなら、リーダーも活かされるはずです。


もしかしたら、これもリーダーという立場にある小生の身勝手な言い分だとされてしまうのでしょうか?

第640日

【原文】
関雎の化は、葛覃(かったん)と巻耳(かんじ)に在り。勤倹の風は、宜しく此れより基(き)を起すべし。


【訳文】
「関雎」の人に与える感化は、文王の后妃の作といわれる『詩経』国風の葛覃(かったん)と巻耳(かんじ)の二篇にある。勤勉と倹約の良風は、これを基にして起ったものといってよい。


【所感】
『詩経』国風にある「関雎」の詩が世間に及ぼす感化は、「葛覃」と「巻耳」の篇にある。勤勉と倹約の風紀はこれを基にして起きたものであろう、と一斎先生は言います。


昨日に続いて登場した『詩経』国風にある「関雎」という詩は、表向きは男女の恋愛の歌でありながら、実は周の文王と后妃の夫婦の正しい道を讃えた詩であるとされています。


同じく『詩経』国風にある「葛覃」と「巻耳」の二篇も、表向きは労働や夫婦愛をうたったものですが、実は勤倹や勤労を讃えた后妃の自作の詩だとされているようです。(これも長篇のため、掲載は割愛します)


いずれにしても原始儒教においては、『詩経』を学ぶことで、君子となることができるとされていました。


『論語』季氏第十六には、こうあります。


【原文】
陳亢 、伯魚に問うて曰わく、子も亦異聞有りや。對(こた)えて曰わく、未だし。嘗て獨り立てり。鯉趨(はし)りて庭を過ぐ。曰わく、詩を學びたりや。對えて曰わく、未だし。詩を學ばずんば、以て言うこと無し。鯉退きて詩を學べり。他日又獨り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰わく、禮を學びたりや。對えて曰わく、未だし。禮を學ばずんば、以て立つこと無し。鯉退きて禮を學べり。斯の二者を聞けり。陳亢退きて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、禮を聞き、又君子の其の子を遠ざくるを聞くなり。


【訳文】
陳亢が伯魚(孔子の長男、名は鯉)に対して尋ねた。
「あなたもまた、私達とは別に何か違ったことを教えられたことはありませんか」
伯魚はこれに答えて言った。
「まだそんなことはありません。ただいつでしたか、父がひとり立っておりました。私が小走りで庭先を通りすぎようとしたら、私を呼び止めて、『詩を学んだかね』と尋ねました。私が『まだです』と答えたところ、父は『詩を学ばなければ、立派に人と話ができないよ』と申しました。そこで私は早速他の先生について詩を学びました。またある日、父がひとり立っておりました。私が小走りで庭を通りすぎようとしたら、私を呼び止めて、『礼を学んだかね』と尋ねました。私は『まだです』と答えました。父は、『礼を学ばなければ世に立っていけないよ』と申しました。そこで私は早速他の先生について礼を学びました。その二つのことを親しく教えられたぐらいでしょうか」と答えた。
陳亢は、退出してから、他の人に喜んで言った。
「きょうは一つのことを尋ねて、三つのことを知ることができた。詩を学び、礼を学ぶことの大切さと、君子は自分の子を遠ざけて、特別扱いをして教えないということを学ぶことができた」(伊與田覺先生訳)


味わいのある章句ですよね。


孔子はわが子と弟子達とを差別することなく、どちらに対しても詩(『詩経』)を学ぶことを奨励しています。


『詩経』は漢詩ということもあり、五経の中でも理解することが難解な古典に属します。


しかし、この『詩経』という書は、孔子が編纂したとされています。


そういう意味では、孔子の心を理解し、儒教を深く学ぶための必須の古典でもあるわけです。


死して朽ちぬためにも、死ぬまでにこの難解な古典にも取り組む予定です。

第639日

【原文】
人主の閫内(こんない)の事は、外人の知らざる所なり。然るに外廷感応の機は、的(たしか)に此に在り。国風の擘初頭(はくしょとう)の関雎(かんしょ)は即ち此の意なり。


【訳文】
人君のいる奥向き(域内)のことは、ほかの人達には知り得ないが、しかしそれが自然と役所の政事に感応して現われてくることは確かである。中国最古の詩集である『詩経』の国風(周南)の開巻第一にある「関雎」の一篇は、この意味をあらわしている。


【所感】
君主の住む奥向きのことは、外にいる人にはわからないことである。ところが、表向きの政治にその影響を感じる兆しが間違いなく垣間見えてしまう。『詩経』国風の開巻第一にある「関雎」という詩はそれを表しているのだ、と一斎先生は言います。


「關雎」とは、『詩経』の一番最初に出てくる詩です。                    


關關雎鳩            關關(かんかん)たる雎鳩(しょきゅう)は
在河之洲        河の洲に在り
窈窕淑女        窈窕(ようちょう)たる淑女は
君子好逑            君子の好逑(こうきゅう) (以下省略)


かあかあと鳴くみさごの鳥は、黄河の中州に。そのように、おちついた性格のよいむすめは、紳士のよい配偶、というのを第一章として、幸福な結婚を祝福するうたであり、以下第三章もしくは第五章まで言葉がある。もと陜西省の民謡であるとされるが孔子のころには、音楽の伴走を付して演奏される楽歌であった。(吉川幸次郎先生)


要するにこの詩は、男女がだんだんに仲睦まじくなっていく様をうたったもの様です。


家庭において幸せであれば、それが仕事にも良い影響を与えるということを一斎先生はおっしゃっているのでしょう。


これは耳が痛いご指摘です。


小生などは平日は夜遅くまで仕事をして、土日となれば読書会や勉強会でほぼ出歩いているという状態です。


亭主元気で留守が良い 


などというCMが一世を風靡しましたが、果たして奥方がどう思っているやら?


逆に言えば、安心して任せているとも言えるのですが、それは男の身勝手さだと世の女性諸氏から非難を浴びること必至でしょうか。


少なくとも悪い兆しは出ていないと信じます。


第638日

【原文】
沿海の侯国皆鎮兵たれば、外冦は覬覦(きゆ)し易からず。但だ内治何如を問うのみ。内治には何の別法有らんや。謹みて祖宗の法を守り、名に循(したが)いて以て実を喪うこと勿れ。敬(つつし)みて祖宗の心を体して、安を偸(ぬす)んで危を忘るること勿れ。然る後、天変畏るるに足らず、人言懲(いまし)むるに足らず。況や区区たる鱗介(りんかい)の族に於いてをや。尚お虞(うれ)うるに足らんや。


【訳文】
沿海にある諸侯の国は、みな国家を鎮め守る所の兵軍といえる。それで、外敵も容易にうかがいのぞむことはできない。ただ国内の政治がうまく行っているかどうかが問題であるだけである。国内の政治について何か別法があるかといえば、次のような良法がある。すなわち、謹んで祖宗の遺法を守り、名にそむかず実を失うことのないようにせよ。敬(つつし)んで祖宗の精神にのっとって、一時的な安易をむさぼって危きを忘れるということのないようにせよ。しかる後は、いかなる天変地異(天地間の自然の異変)も畏れるに足らないし、人言も戒めるに足らない。まして、つまらない魚貝類にひとしい外敵などは何の恐れ憂うる所があろうか。


【所感】
沿海に臨む諸藩は、みな国家を鎮め守る国防の軍である。容易に外敵が野望を抱いて攻め込むことなどできない。ただ国内が治まっているかどうかが問われるところである。国内の政治について特別な方法があるのではない。謹んで祖宗の遺法を守り、名に従って実を失うことのないようにせよ。敬んで祖宗の精神に従って、安易に流れて、危きを忘れることのないようにせよ。そうすれば、天変地異も畏れるに足らず、他人の毀誉褒貶も戒めとするに及ばない。まして、ちっぽけな魚貝類の如き外敵などはまったく恐れるに及ばない、と一斎先生は言います。


明代の儒者であり軍人でもあった王陽明は言います。


山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し


と。


自分の心を律することに比べたら、外敵を倒すことなどた易いことだ、という意味です。


ここで、一斎先生は内治さえしっかりしていれば、外敵の侵入など恐れるに足りないとおっしゃっています。


内治とは領内の民の心をまとめる、生活を安定させることです。


統治者が日頃から私欲に溺れず、公欲を果たしているなら、有事には民が団結して国防に当たってくれるのだということでしょう。


昨日、米国第45代大統領にドナルド・トランプ氏が選出されました。


トランプ氏は選挙戦の中で、強いアメリカ経済を作り上げるとし、日本や中国に対しても厳しい態度で臨むことを表明しています。


しかし米国経済が不安定になったのは、日本や中国が原因でしょうか?


一斎先生がご指摘のように、内治が弱体化したからこそ、外敵の侵入を防ぎ切れなかったのではないでしょうか?


トランプ新大統領には、米国内の内治を精神面からも強化する諸策を講じて頂きたいと願います。
プロフィール

れみれみ