一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2017年04月

第808日

【原文】
源有るの活水は浮萍(ふひょう)も自ら潔(きよ)く、源無きの濁沼(だくしょう)は蓴菜(じゅんさい)も亦汚る。


【訳文】
水源のある生き生きとした水には、浮き草も清らかであるが、水源が無いので水が流通しない濁った沼では、食用にする蓴菜までも何となく汚なくみえる。


【所感】
水源のある活きた水があれば浮き草でさえも清らかとなるが、水源の無い濁った沼では食用の蓴菜ですら汚れているように見える、と一斎先生は言います。


ここでは、水源を志に喩えているようです。


志があれば、元々資質を持っていないような人物であってもそれなりの人物になれるが、志がなければ、元々は高い資質を持っているような人物であっても大成できない、という意味でしょうか。


立志の大切さについては、この後『言志耋録』の中でまとめて取り上げられますので、そこで考えてみたいと思いますが、晩年の一斎先生が立志の必要性を説いていることに意味があるように思います。


有名な三学戒の中でも一斎先生は、


老いて学べば、則ち死して朽ちず 


と記述しています。


志が定まっていればこそ老いて尚学び続けることができるのではないでしょうか。


そして、自分の心を水が還流しない濁った沼のようにしない為にも、読書によって新鮮な知識を心に供給し続けなければなりません。


ちょうど昨日からゴールデンウィークが始まりました。


小生も久しぶりに9連休を取得しましたので、読書によって心の濁りを取り除くことに努めます。

第807日

【原文】
学を為すの初めは固より当に有字の書を読むべし。学を為すこと之れ熟すれば、則ち宜しく無字の書を読むべし。


【訳文】
学問を始める場合には、もちろん文字で書かれた書物を読まなければならない。学問がしだいに上達してくると、文字で書かれていない書物、すなわち真理を宿している自然物を心読しなければいけない。


【所感】
学問に取り組む当初は、文字で書かれた書物を読むべきである。しかし学問が上達した後には、文字で書かれていない書物を読むべきである、と一斎先生は言います。


かつて、森信三先生は二宮尊徳翁の『二宮翁夜話』の冒頭の言葉、


それわが教えは書籍を尊まず、ゆえに天地をもって経文となす。予が歌に、"音もなく香もなく常に天地(あめつち)は、書かざる教を繰り返しつつ"と読めり。かかる尊き天地の経文を外にして、書籍の上に道を求むる学者輩の論説は取らざるなり


を目にした途端、大学入学以来抱き続けてきた多年の迷いが豁然として氷解したといいます。


森先生は、尊徳翁の語録によって、生涯を貫く学問観の根本的立場を授かったのです。


それが、


真理は現実の唯中にあり


という一語に表わされた学問観です。(寺田一清先生著、『森信三小伝』より)


つまり、真実というものは文字で書かれた書籍の中にあるのではなく、実生活という天地自然との対話の中に見出すものである、ということでしょう。


とはいえ、一斎先生も、まずは書を読むべきだとしています。


読書というものは、スポーツに例えるならランニングにあたります。


まずはランニングによって基礎体力をつけていくように、読書によって人生を生きる基礎を身につけなければいけません。


そして、ある段階に達したら、実践の中から人生に生きる真実をつかみとれ、というアドバイスなのです。


本を読まない若者は、まず読書をしましょう。


本をある程度読んできた壮年の人は、本から離れて、実践の中から人生を生きる真理(目的)を見つけ出しましょう。

第806日

【原文】
凡そ学を為すの初めは、必ず大人たらんと欲するの志を立てて、然る後に書は読む可きなり。然らずして、徒らに聞見を貪るのみならば、則ち或いは恐る。傲を長じ非を飾らんことを。謂わゆる「寇に兵を仮し、盗に糧を資するなり」。虞(うれ)う可し。


【訳文】
だいたい、学問を始める際には、必ず大人物になろうとする確乎たる志を立ててから、書物というものは読むべきである。そうせずに、ただ徒らに、見聞を広めることだけを欲張るならば、ひょっとしたら、おごって人をあなどる心を増長させたり、自分の非行を偽るようなことになりはしないかと心配するのである。これこそ「敵に武器を貸し与え、盗賊に食料を給する」ようなものであって、誠に恐るべきことである。


【所感】
まず学問を始めるにあたっては、必ず有徳の人物になろうという志を立てて、その後に書を読まねばならない。そうせずに、ただ悪戯に書物を貪り読むならば、それは恐ろしいことになる。傲慢さを増幅させ、自分の非行を飾るようなことになりかねない。これは『史記』にある言葉「侵略者に兵を貸し与え、盗賊に食料を与える」のようなものである。大いに憂うべきである、と一斎先生は言います。


なにごとも立志が先になければ、事は成就しないということでしょう。


成就しないどころか、かえって一所懸命にやることが弊害にすらなり得るのだと、一斎先生は指摘しています。


小生のような小人は、ちょっと知識を得るとすぐに人に披露したくなります。


そして、その内容を伝えた人たちが知らなければ優越感に浸り、時にはその人たちを馬鹿にするような態度をとってきました。


それは、知識を得る目的が不明確であったからだと、一斎先生は喝破されています。


中江藤樹先生は、


それ学は、人に下ることを学ぶものなり。人の父たることを学ばずして、子たることを学び、師たることを学ばずして弟子たることを学ぶ。よく人の子たるものはよく人の父となり、よく人の弟子たるものはよく人の師となる。自ら高ぶるにあらず、人より推して尊ぶなり。


として、学問をすればそれだけ人を立てることができるようになると言っています。


大いに恥じ入るばかりです。


孔子は、十五歳にして学に志し、七十四年の生涯を見事に大人として生き抜きました。


齢五十を越えた小生としては、遅きに失した感もありますが、もう一度、学問をする目的は自己修養にあるということを心に刻み、鍛錬していきます。

第805日

【原文】
古の学者は能く人を容る。人を容るる能わざる者は識量浅狭なり。是を小人と為す。今の学者は見解累を為して人を容るる能わず。常人には則ち見解無く、卻って能く人を容る。何ぞ其れ倒置爾(しか)るか。


【訳文】
昔の学者は、心が広くて人をよく包容する。人を包容することのできない人は、見識も浅く度量も狭い。こういう人が小人物である。今の学者は(偏狭な)考え方がわずらいをなして、そのためにおおらかに人を包容することができないのである。学問をしない普通一般の人は、別に見解(考え)というものがないから、かえってよく人を包容し意見を聞きいれることができる。今の学者と普通一般の人とが、相反しているのはどうしたことだろうか。


【所感】
昔の学者は、広く人を受け入れることができた。人を受け入れることができない人は、見識が浅くて狭いと言わざるを得ない。こういう人を小人とよぶ。今の学者は特定の考え方に縛られて人を受け入れることができない。一般の人の方が余計な囚われがないので、かえって人を受け入れることができる。なぜ学んでいるはずの学者が一般人にも及ばないようなことになるのだろうか、と一斎先生は言います。


テレビを見ていても、ここに挙げられているような見識の狭い学者先生をよく見かけます。


もちろん、ひとつの学説を信奉することは重要なことではありますが、それで他の考えや学説を全面的に否定しているようでは、学問と言えないのではないでしょうか? 


とくに実践を伴わない、頭でっかちの知識では、実際の生活や仕事の場面において何の役にも立ちません。


まして我々は学者先生ではないので、実践ありきの学問をしていくべきです。


ところで、この問題は学者先生の学説だけに当てはまるのではなく、我々企業人にとっても既成概念という捉え方でみれば、該当する話となるでしょう。


営業という世界に永く身をおいていると、いつの間にか営業パーソン特有の既成概念に取り付かれてしまいます。


小生の過去の経験ですが、若手の営業さんと商談に同行した際、受注可否の判断が分かれたような場合に、若手の判断の方が正解であったということがありました。


あるいは日報を読んでいても、若手の行動に教えられるということも多々あります。


どんな学説も、理論も100%有効というようなものはないはずです。


フレキシブルに、相手に合わせてカスタムメイドを心がけて実践するというのが、少なくとも企業人における基本スタンスであるべきですね。

第804日

【原文】
君に事(つか)えて忠ならざるは孝に非ず。戦陣に勇無きは孝に非ず。是れ知なり。能く忠、能く勇なれば、則ち是れ之を致すなり。乃ち是れ能なり。


【訳文】
『礼記』に「君に事えて忠でないのは孝ではない。戦場で勇のないのは孝ではない」とあるが、忠・勇が即ち孝であると知るのは単なる知(知識)である。さらに進んで、実際に忠・勇を実行に移せば、これこそ能、すなわち行である。


【所感】
君主(上司)に仕えて忠誠を尽くせないようでは孝といえない。戦場において勇気を発揮しないのも孝とはいえない。これが知である。忠誠心と勇気を実行に移せば、知を致すことになる。これが能つまり実行である、と一斎先生は言います。


知と良についての章句が続きます。


ここでは親孝行だけが孝ではなく、上司への忠誠心や戦場での義勇の発揮も孝であるとしています。


真に親に仕える気持ちがあれば、職場においては上司に仕え、戦場においては義勇心を発揮できるのだ、という教えは納得できます。


『論語』学而第一にもそのことが記載されています。


【原文】
有子曰わく、其(そ)の人と爲(な)りや、孝弟にして上(かみ)を犯すを好む者は鮮なし。上を犯すを好まずして亂(らん)を作(な)すを好む者は未(いま)だ之れ有らざるなり。君子は本を務む、本立ちて道生ず。孝弟なる者は、其れ仁を爲すの本か。


【訳文】
有先生が言われた。
「その人柄が、家に在っては、親に孝行を尽し、兄や姉に従順であるような者で、長上にさからう者は少ない。長上に好んでさからわない者で、世の中を乱すことを好むような者はない。何事でも先ず本を務めることが大事である。本が立てば、進むべき道は自ら開けるものだ。従って孝弟は仁徳を成し遂げる本であろうか」(伊與田覺先生訳)


小生はこの章を読んだとき、衝撃を受けました。


この言葉を逆に解せば、会社や社会で目上の人に食ってかかるような人は、そもそも家庭で孝を尽くせていないのだ、と読めるからです。


なにかと言えば、上司や先輩に意見をしていた自分を今更ながらに恥じたことを思い出します。


小生は幸いにも両親が健在です。


まずは自分自身が孝を尽くし、そしてわが子に孝を尽くす大切さを教えていくことが、仁つまり衆善(すべての善)の根本であり、良知を致すことになるのだということを、この章句は教えてくれています。

第803日

【原文】
無能の知は是れ冥想にして、無知の能は是れ妄動なり。学者宜しく仮景を認めて、以て真景と做す勿るべし。


【訳文】
実行する能力が無くして、ただ知っているだけなら、それは空想であり妄想である。智慧(判断力)が無くて行なうのは、妄動(分別なく行動すること)である。学問に志す者は、仮りの姿を見て実際の物と思ってはいけない。


【所感】
行動に移さない単なる知識は空想に過ぎず、知識を得ることなくただ行動するのは妄想に過ぎない。学問をする者はこのことをよく理解し、仮の景色(つまり空想は妄想)を真の景色だと思ってはならない、と一斎先生は言います。


昨日の良能と良知の話の続編です。


アウトプットにつながらないインプットや、インプットのないアウトプットは無意味である、ということでしょう。


小生は社内でよくこう言っています。


インプットなくしてアウトプットなし。


これを何度も繰り返して、読書の必要性を訴え続けています。(残念ながらその反応は芳しくありませんが)


しかし、いくら読書をしても、そこから実践項目を引っ張り出さない限り、活学とはなりません。


成功の反対は何もしないこと。


という言葉があるように、せっかく知識を習得したなら、行動に落として、実践しなければ勿体無いですよね。


ところで、一斎先生のような学者先生は、得てしてこういう傾向があるのかも知れません。


時々、テレビなどで、難しいことを難しく、あるいは簡単なことも難しく話をしている学者先生を目にすることがあります。


一斎先生も勿論ですが、中江藤樹先生や二宮尊徳翁などは、難しい宇宙の摂理を庶民にでも分かるように説明してくれています。


これが本物の学者なのでしょう。


しかし、これはリーダーにも当てはまります。


難しいことを、メンバーのレベルに合わせて、いかに分かりやすく説明できるかが重要です


そこで重要になるのが、類推話法、いわゆるたとえ話です。


孔子という人は、たとえ話の名人です。


馬を操る御者に対しては、馬車の話を、弓の名人には弓の話をつかって、自分が伝えたいことを見事に相手に伝わるように話しています。


コミュニケーションとは、伝える側にどういうつもり(意図)があったが問題なのではなく、伝える側にどう伝わったかがすべてです。


リーダーは、たとえ話を駆使して、伝わる話法を習得すべきなのです。

第802日

【原文】
慮らずして知る者は天道なり。学ばずして能くする者は地道なり。天地を幷(あわ)せて此の人を成す。畢竟之を逃るる能わず。孟子に至りて始めて之を発す。七篇の要此(ここ)に在り。


【訳文】
孟子が「人が別に考えなくても自然に知る所の能力のあるのは良知である」といっているが、これは天道にあたる。孟子が「人が学ばなくても自然によくする所のものは良能である」といっているが、これは地道である。この天道と地道とが合して、ここに人間が形成されるのである。それで、結局、人間はこの天道と地道から逃れることはできない。孟子になってはじめてこの点が明らかになった。『孟子』七篇(今は十四篇)の根本はここにあるのである。


【所感】
『孟子』にある「慮らずして知る者」とは天道である。同様に『孟子』にある「学ばずして能くする者」とは地道である。天と地を合せて人間が形成される。結局のところ、ここから逃れることはできない。孟子の時代になってはじめてこの点が取り上げられた。『孟子』の七篇の要点はここにあるのだ、と一斎先生は言います。


まず、ここで引用された『孟子』の章句をみておきます。


【原文】
孟子曰く、人の学ばずして能くする所の者は、其の良能なり。慮らずして知る所の者は、其の良知なり。孩提(がいてい)の童も、其の親を愛することを知らざる無し。其の長ずるに及びてや、其の兄を敬することを知らざる無し。親(しん)を親しむは仁なり。長を敬するは義なり。他無し、之を天下に達するなり、と。(尽心章句上)


【訳文】
孟子が言うに、「人が学ばずして自然によくする所のものが人の良能であり、別に考えもしないでも、自然に知るところのものが人の良知である。小さい子供でも、その親を愛する事を知らない者はない。少し大きくなると、その兄をうやまうことを知らない者はない。この親族を親しむのが仁の行ないであり、長者をうやまうのが義の行ないである。正道を行なうといっても外にない、ただこの親を親しみ、長を敬する心、即ち良知良能を押しひろめ、天下にゆきわたらせれば、よいのである」と。(内野熊一郎先生訳)


この良知と良能を天と地になぞらえているのは、下記の易経』の言葉を踏まえているそうです。


【原文】
乾は易(い)を以て知り、坤は簡を以て能くす。(繋辞上伝) 


【解説】
乾(けん:天)の働きはそれ自体が、健(創造的)であり、動いてやまない。従って乾の知(つかさ)どる創造ということも、なんら阻害されることなく、容易に果たされる。つまり易(やす)きを以て大始を知(つかさ)どる。一方、坤(こん:地)の徳は順であり、静的、受動的で、その能くするところは、ただ乾に従い輔佐するだけで、自発的に行動することはない。その流れるような順応性を簡(簡易・簡約)とよぶ。坤が万物の作成をなし得るのは、この簡の性格による。乾について知るといい、坤について能くすというのは、自発的な行為と、結果的効用との差である。(本田濟先生解説)


要するに、人間は生まれながらに良知と良能をもっており、それはすなわち天と地から譲り受けた効用であって、そこから離れることはできない、ということを述べている文章だと理解できます。


この良知と良能については、『孟子』が初めて解き明かした真理であり、それが後の陽明学や中江藤樹先生の致良知へとつながっていきます。


学問をすることでかえって頭でっかちとなり、人が本来もっている良知良能を曇らせることのない様に常に意識しておくことが重要ですね。


なお、『孟子』七篇とは、梁惠王章句、公孫丑章句、滕文公章句、離婁章句、萬章章句、告子章句、盡心章句の七つの篇を指し、現在ではこの各篇が上下に分れて十四篇となっています。

第801日

【原文】
四書の編次には自然の妙有り。大学は春の如く、次第に発生す。論語は夏の如く、万物繁茂す。孟子は秋の如く、実功外に著(あら)わる。中庸は冬の如く、生気内に蓄えらる。


【訳文】
四書の編述の次第には、天然自然の妙味がある。『大学』はあたかも春に万物が成長するように、修身・斉家・治国・平天下へと発展していく。『論語』はあたかも夏に万物が盛茂するように、門弟や時人に対して教化を展開していく。『孟子』はあたかも秋に物が実を結ぶように、儒教の重要な徳目である仁義を明らかにしている。『中庸』はあたかも冬に万物が生気を内に蔵するように、万物の本体であり、道徳の根基である誠を、人間の本性として内に蔵している。


【所感】
四書の編纂には自然の妙味がある。『大学』を学ぶと、まるで春の季節のように徐々に成長していく。『論語』を学ぶと、まるで夏のように万物が成長し繁栄していく。『孟子』を読むと、まるで秋のようにその効果が実を結ぶ。『中庸』を学ぶと、まるで冬のようにわが身を鍛え、内に誠という生気を蓄えることができる、と一斎先生は言います。


この章を読んで、四書を四季になぞらえた一斎先生の表現の妙に小生は感動しました。


四書は、上述のように、『大学』→『論語』→『孟子』→『中庸』の順に読むべきであるとされています。


『大学』読むと、学問の必要性を理解でき、『論語』を読むと、実行力が身につき、『孟子』を読むと、人間力が備わり、最後に『中庸』を読むことで、誠をわが身に備え、人間が完成する、というように小生は理解しました。


小生は現在『論語』を主に勉強していますが、ちょうどこのゴールデンウィークは9連休を取得する予定ですので、ここで出来る限り四書を読み込んでみる予定でいました。


そんなタイミングでこの言葉に巡り合ったのは偶然ではないはずです。


もちろん、たった9日間で四書を理解できるとは思っておりませんが、一端全貌を把握したうえで、我が身に真の誠を備えられるように、もう一度、学問のスケジュール化を行なうつもりです。

第800日

【原文】
朱文公、易に於いては古易に復し、詩に於いては小序を刪(けず)る。固より是れ巨眼なり。其の最も功有る者は、四書の目(もく)を創定するに在り。此は是れ万世不易の称なり。


【訳文】
朱子は、『易経』については、漢の費直(ひちょく)の伝えた「古易」を復活し、『詩経』については「小序」を削除したのである。このことは誠に一大見識といえる。最も功績のあったのは、『礼記』から『大学』と『中庸』とを抜き出して、これを『論語』・『孟子』と合して四書の目を創(はじ)めて定めたことである。これは永久に変ることのない書目というべきである。


【所感】
朱子は、古文によって書かれた『易経』を正統とし、『詩経』においては小序を削除した。これは偉大な眼力である。そのうち最も大きな功績は、『礼記』に収められていた「大学篇」と「中庸篇」とをぬきだして、『大学』と『中庸』とし、『論語』・『孟子』とともに四書として儒学の経典としたことである。これは永久不変に称えられることである、と一斎先生は言います。


岩波書店の『日本思想大系』によりますと、朱子は古文によって書かれた『易経』を正統とする立場に立って、『周易本義』を書いたとのことです。漢の費直・鄭玄、魏の王弼らがこの立場なのだそうです。


また、小序を刪るというのは、旧来の道徳的解釈を切り捨てて古代人の率直な心を読み取る立場から、小序を削除し『詩集伝』を著したとのことです。


一斎先生はそうしたことを述べているのです。


ここで四書五経について、触れておきます。


四書とは、『大学』、『論語』、『孟子』、『中庸』の四を指し、

五経とは、『易経』、『詩経』、『書経』、『礼記』、『春秋』の五つを指します。


この四書五経こそが江戸時代の儒学の経典となったのですが、この九つの書を経書としたのは、南宋の朱熹です。


その際、上述したように、『礼記』のなかにあった「大学篇」と「中庸篇」とを抜き出して、それぞれ経書に仕立てあげています。


一斎先生が言うとおり、四書を経典とした朱子の功績は偉大です。


なぜなら、二宮尊徳翁が幼い頃、薪を背に負いながら読んでいたのは『大学』でしたし、若き日の中江藤樹先生が学問に志したのも『大学』がきっかけであったように、この日本の偉人たちに多大な影響を与えて来たからです。


恥ずかしながら小生が毎月開催している読書会、潤身読書会の「潤身」という言葉も、『大学』から拝借しました。


朱子が『礼記』から「大学篇」を抜き出して、個別に『大学』に仕立てていなかったなら、我が国の現状も違ったものになっていたのかも知れません。


朱子はまさに儒学中興の祖と呼んで差支えないでしょう。

第799日

【原文】
朱文公は固より古今絶類の大家たるに論勿(な)し。其の経註に於ける、漢唐以来絶えて一人の頡頏(きっこう)する者無し。翅(た)だ是れのみにあらず。北宋に文章を以て顕るる者、欧・蘇に及ぶ莫し。其の集各おの一百有余巻、古今比類に罕(まれ)なり。朱子は文を以て著称せられずと雖も、而も其の集亦一百有余巻、体製別に自ら一家を成し、能く其の言わんと欲する所を言いて余蘊(ようん)無し。真に是れ古今独歩と為す。詩も亦韋・柳と相亜(つ)ぐ。但だ経学を以て文詞を掩(おお)わる。人其の能文たるを省せざるのみ。


【訳文】
宋代の大儒朱子は、古今無類の大家であることは論ずるまでも無い。その経書の註釈の点については、漢・唐以来、一人として文公に匹敵するものはいない。ただこれだけではない。北宋において、文章家として名高い欧陽修や蘇東坡に及ぶものはいない。その文集は各各一百余巻もあって、古今にまったくたぐいがない。朱子は文章の点では欧・蘇ほど著名ではないが、その文集は欧・蘇と同じく一百余巻もあって、文の作風は別に一家をなして、能く言いたいと思うところを言い尽して余すところがない。この点は真に古今独歩といえる。そして詩の方でも、唐代の韋応物(いおうぶつ)や柳宗元に次ぐものである。ただ朱子は経学の方が非常にすぐれているために、その詩文の才能がそれに掩(おお)いかくされているのである。それで世間の人々はその詩文を能くすることに注意しないのである。


【所感】
南宋の朱熹(朱子)は古今類まれな大家であることはいうまでもない。経書の註釈に於いては、漢唐から現在まで匹敵する人はいない。そればかりではない。北宋では名文家の欧陽修や蘇軾(東坡)に及ぶものはいない。彼らの文集は各々百巻以上もあり古今類まれな存在である。朱子は文章の点ではそれ程著名ではないが、その文集は百巻以上もあり、作風も自ら一家をなしており余すところがない。まさに古今独歩の観がある。さらに、朱子の詩についても、唐の韋応物(いおうぶつ)や柳宗元などにつぐものである。ただ朱子は経学が非常に優れている為、その文章や詩の良さが覆い隠されてしまっている。そうしたことから、世間の人々は朱子が能文であることに目を留めないのである、と一斎先生は言います。


一昨日、昨日と朱子以前の宋学者を称えた後で、本章では、それ以上の大人物だとして朱子を賞賛しています。


このあたりは、江戸幕府の正規の学問である朱子学を教える昌平黌(昌平坂学問所)の儒官(総長)であった一斎先生らしいお言葉です。


一斎先生が評されているとおり、古今の儒者において、朱子ほど多彩な才能を有していた学者はおりません。


あまりに深奥で哲学的なところもあるので、小生がちょっと取り組んだ程度ではとても理解できません。


ちょうど今回のゴールデンウィークでは、9連休を取得する予定なので、経書とくに四書をもう一度しっかり読み込んでみる予定です。


そこで折に触れて朱子の解説を参考にして、理解を深めていきます。


いつの日か朱子の『朱子語類』を毎日ブログでアップしていく日がくることを信じて、取り組む所存です。


今日は最後に朱子のあまりにも有名な漢詩を掲載して終わりとします。(いまの小生の心境とあまりにもマッチします。)


偶成

【原文】
少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず 
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前(かいぜん)の梧葉(ごよう)すでに秋声。

【訳文】
若いときはうつろいやすく、学問を成すことは難しい。 
僅かな時間さえも軽んじてはいけない 
池のほとりの春草が萌え出る夢も覚めぬうちに
もう庭先の青桐の葉が秋の訪れを告げているのだかられを告げているのだから
プロフィール

れみれみ