【原文】
藝能有る者は多く勝心有り、又驕心(きょうしん)有り。其の藝能有りて而も謙にして且つ遜なる者は、藝の最も秀でたる者なり。勝の反は謙と為り、驕の反は遜と為る。藝能も亦心学に外ならず。
【訳文】
芸能のある人は、たいてい勝気であり、また人におごりたかぶる心がある。芸能があって、その上に謙遜(へりくだり、ゆずる)は人は、芸において最も秀れた人である。勝(まさる)の反対が謙(へりくだる)であり、驕(おごる)の反対が遜(ゆずる)である。このように考えると、芸能もまた心を修養する学問に外ならない。
【所感】
技芸のある人の多くは他人に勝りたいという気持ちが強く、また驕りの心を有していることが多い。技芸がありながら謙虚で謙遜である人というのは、一流の芸人である。勝の反対が謙であり、驕の反対が遜である。つまり、技芸そのものも心の学問に外ならないのだ、と一斎先生は言います。
技術や芸を磨く人がライバルに勝ちたいと思い、実際に勝をおさめると驕りの気持ちが出るというのはよくわかります。
しかし、こういう気持ちが湧くということは、その鍛錬が自己のため、私欲を満たすための鍛錬に過ぎないということかも知れません。
いわば三流芸人のレベルはこういうものでしょう。
しかし、鍛錬を積み一流の域に達した人は、昨日も記載したように、天の妙配を感じて感謝の気持ちを懐くようになります。
つまり、謙虚になるのです。
謙虚になると私欲がなくなります。
私欲がなくなると、無駄な力が抜けて、真の実力を発揮できるようになるはずです。
結局、勝敗を決するキーは、平常心にあります。
心が技術を超えない限り、技術は活かされないのです。