【原文】
真を写して後に遺すは、我が外貌を伝うるなり。或いは似ざること有り。儘醜なるも儘美なるも、亦烏(いずく)んぞ害あらん。書を著わして後に貽(のこ)し、我が中心を伝うるなり。或いは当たらざること有れば、自ら誤り人を誤る。慎まざる可けんや。
【訳文】
写真を後日に残すのは、自分の外の姿を伝えるためである。あるいは時には自分の実際の姿に似ない写真もある。それが醜くあろうとも美しくあろうとも、そんなことはさまたげにならない。著書を後日に残すのは、自分の心(思想)を伝えるためである。もしも、書中の説く所に適当で無いことがあれば、自分を誤り、またそれを読む人をも誤らすことになる。著作に際しては、十分に慎まなければいけない。
【所感】
写真を残すことは、自分の容姿を伝えることが目的である。ときには実際の姿と似ていないこともあるだろう。それが醜かろうが美しかろうが、それほど害を与えるものではない。本を著して後世に残す行為は、自分の思想を伝えることである。もし不当な箇所があれば、自分だけでなく読者にも誤りを与えることになる。慎まなければならない、と一斎先生は言います。
この章句の重点が後半にあることは、言わずもがなでしょう。
写真を使った類推話法によって、比較が極めて明確です。
たとえば化粧や派手な衣装で外見を誤魔化して写真を撮ったところで、他人に大きな迷惑を与えることはありません。
ところが、写真に比べて著作の与える影響力は甚大です。
とくに、自分の専門領域に関する著作の場合は、読者に大きな影響力を与えます。
これは、本という媒体に限りません。
現代であれば、ブログやSNSなどで発信する情報も、自分の玄関の外に向けて発信されていることに気づくべきです。
そのとき、気をつけるべきは、事実と憶測を分けて書くことでしょう。
つねに、根拠(エビデンス)のある事実をベースにして、論を展開すべきです。
また、憶測の場合であっても、極力客観的なデータを引用しながら、論理的に組み立てるべきでしょう。
その際、私見や憶測であることを明記しておくべきです。
小生は古典の言葉を引用する際には、引用されたものではなく、極力原典に当たる意識を持っています。
少なくとも、出典が不明確な記事やページからの引用はしません。
ウィキペディアなどネット上の引用物から引用する場合、仮に引用したものが間違っていれば、それを引用することで、間違いを拡散してしまうことになりかねないからです。
著作は当然のこと、SNSによる情報配信やブログなどについても、閲覧者の誤解を招くことのない配慮が必要であり、それが情報発信者の責務なのではないでしょうか?