一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2017年11月

第1022日 出典は明確に

【原文】
真を写して後に遺すは、我が外貌を伝うるなり。或いは似ざること有り。儘醜なるも儘美なるも、亦烏(いずく)んぞ害あらん。書を著わして後に貽(のこ)し、我が中心を伝うるなり。或いは当たらざること有れば、自ら誤り人を誤る。慎まざる可けんや。


【訳文】
写真を後日に残すのは、自分の外の姿を伝えるためである。あるいは時には自分の実際の姿に似ない写真もある。それが醜くあろうとも美しくあろうとも、そんなことはさまたげにならない。著書を後日に残すのは、自分の心(思想)を伝えるためである。もしも、書中の説く所に適当で無いことがあれば、自分を誤り、またそれを読む人をも誤らすことになる。著作に際しては、十分に慎まなければいけない。


【所感】
写真を残すことは、自分の容姿を伝えることが目的である。ときには実際の姿と似ていないこともあるだろう。それが醜かろうが美しかろうが、それほど害を与えるものではない。本を著して後世に残す行為は、自分の思想を伝えることである。もし不当な箇所があれば、自分だけでなく読者にも誤りを与えることになる。慎まなければならない、と一斎先生は言います。


この章句の重点が後半にあることは、言わずもがなでしょう。


写真を使った類推話法によって、比較が極めて明確です。


たとえば化粧や派手な衣装で外見を誤魔化して写真を撮ったところで、他人に大きな迷惑を与えることはありません。


ところが、写真に比べて著作の与える影響力は甚大です。


とくに、自分の専門領域に関する著作の場合は、読者に大きな影響力を与えます。


これは、本という媒体に限りません。


現代であれば、ブログやSNSなどで発信する情報も、自分の玄関の外に向けて発信されていることに気づくべきです。


そのとき、気をつけるべきは、事実と憶測を分けて書くことでしょう。


つねに、根拠(エビデンス)のある事実をベースにして、論を展開すべきです。


また、憶測の場合であっても、極力客観的なデータを引用しながら、論理的に組み立てるべきでしょう。


その際、私見や憶測であることを明記しておくべきです。


小生は古典の言葉を引用する際には、引用されたものではなく、極力原典に当たる意識を持っています。


少なくとも、出典が不明確な記事やページからの引用はしません。


ウィキペディアなどネット上の引用物から引用する場合、仮に引用したものが間違っていれば、それを引用することで、間違いを拡散してしまうことになりかねないからです。


著作は当然のこと、SNSによる情報配信やブログなどについても、閲覧者の誤解を招くことのない配慮が必要であり、それが情報発信者の責務なのではないでしょうか?

第1021日 何をもって名を残すのか?

【原文】
凡そ古器物・古書画・古兵器、皆伝えて今に存す。人は則ち世に百歳の人無し。撰著以て諸(これ)を後に遺すに如(し)くは莫し。此れ則ち死して死せざるなり。


【訳文】
だいたい古い諸道具、古い書画、古い兵器などは、総て今日まで伝えられて現存している。しかるに、人は百歳まで寿命を保つ人はいない。それで、書物を著作して後世に自分の思想などを残すことが最もよいことである。(これにまさるものはない)。こうすれば、その人は肉体が滅しても、その人の精神が永久に保たれて死なないことになるわけである。


【所感】
古い道具、古い書画、古い兵器などは、皆今に伝わっている。人間は百歳まで生きることはできない。そこで書物を書いたり編纂したりして後世に残すよりほかはない。これがすなわち肉体は死すとも精神は死なずということである、と一斎先生は言います。


食糧や医学の進歩によって、現代では、我国においても百歳以上の人口が6万5千人を超えているそうです。


一斎先生の当時からは、想像も出来なかった時代になったと言えるでしょう。


年齢はどうあれ、一斎先生のような学者であれば、著作を遺しておきたいと考えるのは当然でしょう。


ところが、面白いことに世界の4大聖人と言われるキリスト、釈迦、孔子、ソクラテスはいずれも著作(創作物)を遺していません。


孔子は、『詩経』を編纂し、『春秋』を書いたと言われますが、『春秋』は魯の歴史を記したものですので、創作物とは呼べないでしょう。


孔子自身も、自分の事を、


述べて作らず(古聖の道を伝えるだけで、自ら新説は立てない)


と評しています。


概して4大聖人には、有名になろうとか名を残そうという意識はまったくなかったのでしょう。


それが聖人の聖人たる所以なのかも知れません。


ところで、凡人も凡人なりに名を残したいと思うものです。


では、何をもって名を残すかといえば、昨日あったように自分自身の仕事で名を残すほかはないでしょう。


しかし、本当に組織のため、世の中のためになる仕事ができたなら、自分の名など忘れ去られても良いと思える度量を身につけたいものです。


他人からの承認を期待するのではなく、自己貢献感を大切にして生きることが、幸せを手に入れる重要な方法なのですから。

第1020日 立志は己のためならず

【原文】
人は百歳なる能わず。只だ当に志、不朽に在るべし。志、不朽に在れば、則ち業も不朽なり。業、不朽に在れば、則ち名も不朽なり。名、不朽なれば、則ち世世子孫も亦不朽なり。


【訳文】
人間はとても百歳までは長生きすることはできない。ただ志だけは永久に朽ちないようにしなければいけない。志が永久に朽ちないものであれば、その人のなした事業も永久に朽ちないものとなる。その事業が永久に朽ちないものであれば、その人の名も永久に朽ちることがない。その名が永久に朽ちないものであれば、代々の子孫も永久に朽ちることがない。


【所感】
人は百歳までは生きられない。ただ、志だけは朽ちることのないようにすべきである。志が朽ちることがなければ、自分が為した仕事も不朽のものとなる。仕事が不朽であれば、その名も朽ちることはない。名が不朽であれば、子子孫孫までも永久に不朽である、と一斎先生は言います。


子子孫孫までの繁栄の本は、今生きている己の志にある、という強烈なメッセージです。


多くの偉人が、立志の必要性を語り続けています。


それが成功の素であることも、多くの偉人が証明しています。


それにもかかわらず小生のような凡人は、一生の志を立て切れぬままに年老いていきます。


ここで、小生が衝撃を受けたのは、自分の志が立たず、よい仕事ができなければ、自分の名が残らないだけでは済まず、子孫にまで悪い影響を与える可能性があるという件です。


孔子は、


人知らずして慍みず、亦君子ならずや 


といい、


人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり 


と言っています。


逆説的にみれば、十五歳で学問に志した孔子ですら、時には人に知られないことを怨んだのだと見ることもできます。


学問の主体を政治から教育へと移しながらも、決して学問から離れることがなかったからこそ、孔子は後世に名を残し、その子孫が今も現存しているのでしょう。


仕事を残せていない多くの人も、実は何をすべきかは明確に理解しているのではないでしょうか?


そこに一歩踏み込むことをしないのは、現状に甘んじ、大きな失敗をしたくないとか、傷つきたくないといった利己的な気持ちが勝っているからではないでしょうか?


まさに自問自答せざるを得ない箴言です。

第1019日 超保守も超革新もダメ

【原文】
百工は各々工夫を著(つ)けて以て其の事を成す。故に其の為す所、往往前人に超越する者有り。独り我が儒は、今人多く古人に及ばず。抑(そもそも)何ぞや。蓋し徒らに旧式に泥みて、自得する能わざるを以てのみ。能く百工に愧じざらんや。


【訳文】
いろいろな職の人々は、それぞれ工夫をして仕事をしている。それで、そのなす所のものが、時折り先輩よりも勝ったものを作ることがある。ただわが儒者だけが、今の者はたいてい古人に及ばないのは、一体どういうわけであろうか。思うに、ただ徒らに旧来の形式に拘泥して、聖賢の道を自ら会得することができないからなのだ。儒者たるものは、百工に恥ずかしくないだろうか。


【所感】
様々な職種の職人は仕事において工夫を加えている。それゆえに、その仕事は得てして先人の仕事を超える者が出てくる。ところがわが儒者といえば、今の儒者は多くが古人に及ばない。それはなぜだろうか? 私が思うには、徒に古い形式に拘りすぎて、自ら会得することができていないからであろう。職人と比較して恥ずかしく思わねばならない、と一斎先生は言います。


これは、一斎先生の若き同朋への激励の言葉でしょう。


どんな職種においても、後輩が先輩を追い越していくようでなければ、その仕事は衰退するのみです。


常に、フレッシュな発想で、新たなチャレンジを続けていくことこそ、若い人に課せられた使命なのです。


そのためには、まず我々のようなロートルが、保守的な思考を捨てて、大胆に若手に任せていくという決断が必要になります。


昔はこうだったと自慢話をするのではなく、これからこうなって欲しいというビジョンを語り、そのビジョン実現を後輩に托すのです。


たとえば、小生が務めているのは、医療機器商社です。


商社が担う大きな役割のひとつは物流ですが、すでにアマゾンが多くの業界の物流に食い込み、業態の破壊が進行しています。


町の本屋さんが消えているのは、その典型でしょう。


早晩、医療機器の物流も大手物流企業に握られることになるでしょう。


その中で、なにを柱に生き残りを図るのかを、将来を担う若い人にも真剣に考えてもらわねばなりません。


そのとき重要なことが、温故知新なのです。


そもそも自分の会社はなぜ生まれたのか、どのようなお客様に支えられて成長してきたのか、などをもう一度しっかりと振り返るべきです。


そして、そこから新しい進む道を見つけていくのです。


つまり、超保守もダメですが、超革新もダメだということです。


故(ふる)きを温(あたた)めて新しきを知る 


どの職種においても、もう一度、この発想からスタートすべきであることに変わりはないはずです。

第1018日 マニュアルに頼らない

【原文】
学生の経を治むるには、宜しく先ず経に熟して、而る後に諸を註に求むべし。今は皆註に熟して経に熟せず。是(ここ)を以て深意を得ず。関尹子(かんいんし)曰く、「弓を善くする者は、弓を師として羿(げい)を師とせず。舟を善くする者は、舟を師として、奡(ごう)を師とせず」と。此の言然り。


【訳文】
学生が経書(儒教の経典)に精通するには、最初経書の本文に習熟してから、意味の不明瞭な所は註釈によるがよい。今の学生は皆、註釈に習熟して経書の本文に習熟しようとはしない。これでは、経書の深い意味内容つかむことはできない。道家の書である『関尹子(かんいんし)』に、「弓の上手な人は、弓そのものを師として、弓の名人である羿(げい)を師としない。舟を操る人は、舟そのものを師として、舟を動かす大力の奡(ごう)を師としない」とある。この言葉は誠にもっともなことである。


【所感】
学問をする者が経書を修得するには、まず経書に習熟してから後に注釈に頼るべきである。今の時代は皆が注釈に習熟して経書に習熟しない。こういうことだから、経書の真意を得ることができないのである。『関尹子』には、「弓の名人は弓そのものを師とし、弓の達人である羿を師とはしない。また、舟を巧みに操る人は、舟を師とし、舟を動かす奡を師とはしない」と記述されている。この言葉はまったくその通りである、と一斎先生は言います。


羿(げい)とは、伝説上の弓の名人で、堯帝のときに十の太陽が出たので、そのうちの九つを射落としたといわれる人物です。


また、奡(ごう)は地上で大舟を自由に操作し動かしたと伝えられる伝説上の大力の舟の名手です。(ともに、『日本思想大系』より引用)


現代でいえば、マニュアルに頼り過ぎるな、という教えだと言えそうです。


小生もかつて、潤身読書会を開催し始めたころ、ある先輩から現代の注釈書だけでなく、できれば原典に当たることを意識した方がよいとのアドバイスを受け、目から鱗が落ちたことを思い出します。


戦前の本邦では、初等教育において『論語』の素読がおこなわれていたそうです。


素読とは、意味の解説をせずに、ただ声に出して繰り返して読むという教育スタイルです。


これは、一見すると『論語』をマスターする上では、極めて遠回りのように思えます。


しかし、幼少のときに刷り込まれた『論語』の言葉が、後になって実生活や仕事の場面で、見事に生きてくるのです。


現代においては、「とにかくやってみろ」という教育は通用しません。


そういう指示をすれば、必ず「なぜですか?」と理由を問われます。


まず、体験し、そこから何かを感じた上で、意味づけをするというのが本来の教育であり、啓発とはまさにそいうことを言うのです。


「啓発」という言葉の出典となった『論語』の章句をみておきます。


【原文】
子曰わく、憤せずんば啓せず。悱(ひ)せずんばせず。一隅を挙げて三隅を以て反(かえ)らざれば、則ち復(また)せざるなり。(『論語』述而第七)


【訳文】
先師が言われた。
「自分で理解に苦しみ歯がみする程にならなければ、解決の糸口をつけてやらない。言おうとして言えず口をゆがめる程でなければ、その手引きをしてやらない。一隅を示して三隅を自分で研究するようでなければ、繰り返して教えない」


孔子は、弟子が出口(答え)を求めて悶絶するほどでなければ、出口を与えることはしない、と言っています。


若い方は、近道を求めず、マニュアルを遠ざけ、まずは真正面から事に臨んでみましょう。


また、若い人を指導するリーダーは、マニュアルを与えず、自ら挑戦する若者を育成しましょう。

第1017日 漫画は是か非か

【原文】
稗官(はいかん)・野史(やし)・俚説(りせつ)・劇本は、吾人宜しく淫声美色の如く之を遠ざくべし。余年少の時、好みて此等の書を読みき。今に到りて追悔(ついかい)すること少なからず。


【訳文】
小説や民間の歴史や伝説や演劇脚本などは、みだらな音楽や女の色香のように、これを遠ざけなければいけない。自分は若い頃に、これらの本を好んで読んだが、今は大変後悔している。


【所感】
奇談や小説、民間伝説や演劇の脚本などは、淫らな音楽や女性の色香のように遠ざけておくべきものである。私が若い頃は、これらの書を好んで読んだ時期があった。今になって思えば、大いに後悔するところである、と一斎先生は言います。


現代でいえば、漫画や流行の小説などがこれに当たるのでしょうか?


森信三先生は、漫画を小さいうちから読むと、知が早く開けてしまうと危惧されています。


本を読むと創造力が育まれますが、漫画を読むと映像が画一化されます。


例えば、『論語』を活字で読めば、読者はそれぞれの孔子像を頭に思い描くことになりますが、漫画ですと、長身でほっそりしていて髭を伸ばした孔子像が描かれているため、みな同じイメージを持ってしまうのです。


森信三先生はこのことを危惧されたのだと小生は理解しています。


最近では、漫画のビジネス書がブームを迎えています。


活字離れが進む中では、漫画の存在を完全に否定できない時代を迎えているといえるでしょう。


活字と漫画のバランスをどうとっていくかが、今後の教育のポイントになってくるかも知れません。


一方、流行の小説による害悪といえば、正しく美しい文章や言葉が乱れていくことにあるでしょう。


「的を射る」が正解なのに、いつしか「的を得る」となってしまったり、「一所懸命」が「一生懸命」になってしまうといった形で、時代と共に間違った使われ方がそのまま現代語となっていきます。


漫画や流行の小生を読むことを完全に否定することはできませんが、少なくとも初等教育においては、文豪の書いた美しい日本語の文章に多く触れる機会をつくって欲しいと願います。

第1016日 古典をいまに活かす

【原文】
古書は固より宜しく信ずべくして、未だ必ずしも悉くは信ず可からざる者有り。余嘗て謂う、「在昔通用の器物は、当時其の形状を筆記する者無かりき。年を経るの久しきに至りて、其の器も亦乏しくして、人或いは其の後に及びて真を失わんことを慮り、因って之を記録し、之を図画し、以て諸を後に貽(のこ)せり。然るに其の時に至りては、則ち記録・図画も亦既に頗る謬伝(びゅうでん)有るなり。書籍に至りては、儀礼・周官の如きも、亦此(これ)と相類す。蓋し周季の人、古礼の将に泯(ほろ)びんとするを憫(うれ)い、其の聞ける所を記録し、以て諸を後に貽せり。其の間全く信ず可からざる者有り。古器物形状の紪繆(ひびゅう)有ると同一理なり。之を周公の著わす所なりと謂うに至りては、則ち固より盲誕(もうたん)なること論亡きのみ」と。


【訳文】
古い書物はいうまでもなく信ずべきものではあるが、そうかといって、総て信ずることのできないものもある。これについて、自分はこれまでに次のようなことを言ったことがある。「昔、普通に用いられた諸道具も、その当時に、その形状を記録したものはなかった。年月が久しくなるにつれて諸道具も乏しくなってきたので、後になって真の形状がわからなくなるのを心配して、これを記録したり、その形状を図面にして後世に残したのである。しかし、年がたつにつれて、その記録や図面もその当時に随分と伝え誤りがあったのである。書物についても、『儀礼(ぎらい)』や『周礼(しゅらい)』などもこれに類している。思うに、周末の人が、古礼のしだいに滅びていくのを心配して、聞いた所を記録して後の世に残したのである。その中にはまったく信ずることのできないものがある。これは古い器物の形状が誤りのあるのと同じ道理である。これを周公旦が著作したというのは偽(いつわり)であること論ずるまでもないことである」と。


【所感】
古い書物は元来信ずべきものではあるが、必ずしもすべてが信用できるものではない。私はかつて、「昔、一般的に使用された器物については、当時はその形状を記録したものは存在しなかった。年月を経て、それらの器物も希少となり、人びとは後の世に実際の形状が忘れられることに配慮して、これを記録し、図や絵として書き留め、後の世の為に残したのである。しかしその頃には、記録や図画も既にかなり間違って伝わっているものもあった。書籍に関していえば、『儀礼』や『周礼』などもこれと同様であろう。思うに周代末期の人々が古い礼が廃れることを患いて、聞いたことを記録し、後世に残したのである。それらは全部が全部信用できるようなものではない。古代の器物の形状があやまりであることと同じ理由である。これら(『儀礼』・『周礼』)を周公旦の著作だと言うに至っては、当然でたらめであることは論ずるまでもないことである」と言った。このように一斎先生は言います。


経書と言われる古い書籍を妄信し、闇雲に偏重してはいけない、という戒めの章句です。


小生は、3年以上にわたって『論語』を読み、仲間と一緒に読書会も開催し続けてきました。


東京・大阪・名古屋で開催させて頂いている潤身読書会では、なにが事実かを読み解くのではなく、『論語』の各章句をどのように読めば、自分たちの実生活において有益であるかを探求しています。


このため、単純に『論語』の章句を解釈するだけでなく、その章句を読んだ感想や気づきを参加者の皆さんにアウトプットしていただきます。


そのアウトプットから更なる気づきや学びを得ることができるという点が、潤身読書会最大の魅力だと考えています。


また、小生含め参加者の皆さんは学者先生ではありませんので、字句の解釈にもあまり拘泥しないことを心がけています。


ただし、大きな誤解を与えてはいけませんので、小生が『論語』の解説本約30冊を読み、様々な先生方の解釈を併載して、参加者の皆さんの理解の助けとなるような配慮はしています。


経書のような古典を読むときに大切なことは、そこに書かれていることの真偽を明かにすることを目的とするのではなく、あくまでも「温故知新」で、古いものをスープを煮るようにじっくりと暖め、そこから自分の仕事や生活に活かせる新たな学びや気づきを得ることにあるのではないでしょうか?


翻ってこれは、古典に限らず、読書における基本的確認事項なのかも知れません。

第1015日 目指すべきは王道

【原文】
政に寛猛(かんもう)有り。又寛中の猛有り、猛中の寛有り。唯だ覇者は能く時に随い処に随いて、互いに其の宜しきを得ることを為す。是は則ち管・晏の得手にして、人に加(まさ)る一等の処なり。抑(そもそも)其の道徳の化に及ばざるも亦此に在り。


【訳文】
政事には寛大と厳正の両面がある。また寛大さの中に厳正さがあり、厳正さの中に寛大さがある。ただ覇者(武力をもって天下を治める者)は、よく時に従い所に従って、この寛大さと厳正さとをうまく使い分けしていく。この事は春秋時代の斉の宰相であった管仲と晏嬰が得意とする所で、特に常に抜きん出ている。道徳的感化(王道政治)に及ばない所もまたここにある。


【所感】
政治には寛大さと厳しさの両面がある。さらに、寛大さの中に厳しさがあり、厳しさの中に寛大さがある。覇者と呼ばれる人は、時と場所に応じて自在に寛大さと厳しさを使い分けた。これは管仲や晏嬰(あんえい)が得意とするところで、人に長じた点であった。しかしそれが、道徳的な感化に至らなかったところに、覇道の限界があるのだ、と一斎先生は言います。


一般的な解釈としては、


覇道 = 法治主義(法と罰で人を治める) 

王道 = 徳治主義(礼と徳で人を治める)


と理解されます。


覇道政治の代表とされるのが、ここに挙げられる管仲と晏嬰でしょう。


ともに春秋時代の斉の宰相ですが、管仲は孔子より少し前の人で、桓公を最初の覇王とすることに力を尽くした人であり、晏嬰は孔子と同時代の人で、景公を輔けて名宰相の名をほしいままにした人です。


管仲の言行録としては『管子』があり、晏嬰については『晏子春秋』があります。


特に、『管子』については、小生は「パワハラ・リーダー必読の書」と位置づけています。


彼らは、儒家が進めるような徳による政治をとらず、


倉廩実ちて礼節を知る(『管子』)


というように、まず国を強くする富国強兵が先だとして、徹底的な経済政策を推進しました。


彼らは賞罰を巧みに活用し、まさに寛大さと厳格さをテクニックとして使い分けました。


その結果、斉の国は徳は廃れ礼が乱れ、それが各国にも波及して、いつしか戦国時代へと突入し、やがて覇道政治の典型ともいえる秦の始皇帝が全国統一を成し遂げます。


ある程度の寛大さと厳格さの出し入れはが政治において必要なことは、一斎先生も認めています。


しかし、それが理想の政治でないことは理解しておくべきだということでしょう。


全国制覇を成し遂げた強大な秦王朝がわずか15年ほどで倒れたのに対し、儒学を巧みに取り入れた江戸幕府が300年の泰平を謳歌したのは、礼と徳をベースとする王道政治を実現できたからなのでしょうか?

第1014日 よい文章を書く秘訣

【原文】
文章は必ずしも他に求めず。経書を反復し、其の語意を得れば、則ち文章の熟するも、亦其の中に在り。


【訳文】
うまく文章を書くには、別に他の本を求めて知る必要はない。四書・五経などを何度も繰り返し熟読して意味がわかるようになれば、文章の上達は自然に其の中から得られるものである。


【所感】
文章を上達させるために他の書を探し求める必要なない。四書・五経を繰り返し読み、そこに掲載された言葉の真意を理解できれば、自然と文章は上達するものである、と一斎先生は言います。


よい文章を書くには、よい文章を繰り返し読めばよい、ということです。


たくさんの文章を濫読するより、ひとつの文章をしっかりと繰り返し読む、それも声に出して読むことが重要です。


これは、小生が毎月参加している永業塾における中村信仁塾長からの教えでもあります。


では、どんな文章を選ぶべきか? 


永業塾では、文豪森鴎外の『高瀬舟』を繰り返し読むことが推奨されています。


世界的に評価の高い文豪の文章を繰り返し声に出して読む。


その際には、その情景を頭に浮かべ、なぜ著者はこの言葉を使ったのか、なぜこういう表現を使ったのかを考えながら読むと理解が深まります。


このとき、永業塾で学んだ大切な教えとして、 


句読点に忠実に読む 


ことが推奨されています。


会社の研修で、社員さんに文章を読んでもらうと、自分の好きなところで勝手に読点を入れて読む人があまりにも多いことに驚かされます。

文豪の文章には、句読点一つひとつにも、重要な意味が込められています。


句読点を意識することもまた、文章上達の秘訣と言えるでしょう。


一斎先生の時代には、経書が最適だったのでしょうが、現代においては、漢字書き下し文の経書を読むよりは、『高瀬舟』などの現代の文豪の文章を学ぶことが時代に適しているように思います。

第1013日

【原文】
史学も亦通暁せざる可からず。経の史に於けるは猶お律に案断有るがごとし。推して之を言えば、事を記するものは皆之を史と謂う可し。易は天道を記し、書は政事を記し、詩は性情を記し、礼は交際を記す。春秋は則ち言うを待たざるのみ。


【訳文】
歴史の学問にも精通すべきである。経書と歴史の関係は、あたかも法律と判決例との関係のようなものである。さらに推し広めて言えば、なした事柄を書くものは総て歴史といっても過言ではない。『易経』は天地自然の道理について書き記し、『書経』は政治の事を書き記し、『詩経』は人の性質や感情について書き記し、『礼記』は人との交わりについて書き記してある。これらは歴史といえる。魯の歴史である『春秋』はいうまでも無いことだ。


【所感】
歴史もまた広く理解しておくべきである。経書と歴史との関係は、法律と判例との関係のようなものである。さらに推し広げて言えば、出来事を記録したものはすべて歴史と言うことができる。『易経』は天地の移り変わりを記し、『書経』は政治を記録し、『詩経』は人の性質や感情について記録し、『礼記』は人との交際を記している。『春秋』については言うまでもないことである、と一斎先生は言います。


ここで一斎先生は、経書を法律だとするなら、歴史が判例に当たると言っています。


つまり、しっかりと経書を学んだら、その実例として歴史を学びなさい、ということです。


何のために法律を学ぶのかといえば、世の中を善くするためです。


日本国民が、善を行い悪に染まらないように導くためです。


それと同じように、経書を読む目的も、人々の生活を正し、世の中を善くするためです。


世の中を善くするために、実際に過去に行われた良い事例や悪い事例を歴史から学ぶのです。


渋沢栄一翁が記載したいわゆる『渋沢論語』には、『論語』の実例として歴史上の人物の事例が数多く解説されており、とても興味深く読むことができ、またしっかりと肚落ちします。


また、当時の維新を成し遂げた政治家の性格なども『論語』になぞらえて解説してあって、逆に歴史の裏側を観ることもできます。


いま、日本人に求められているのは、一人ひとりが自分自身でしっかりとした歴史観をもつことではないでしょうか。


しかし、正しい歴史観を持つには、何が正しいかを理解していなければなりません。


日本人の心の奥にしっかりと根付いている『論語』をはじめとする経書を読み、その後に歴史を学ぶ時、はじめて自分なりの正しい歴史観にたどり着けるのではないでしょうか?
プロフィール

れみれみ