一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2018年01月

第1084日 「好みの味」 と 「胃腸の反応」 についての一考察

【原文】
食物に、口好みて腸胃好まざる者有り。腸胃好みて口好まざる者有り。腸胃好む者は皆養物なり。宜しく択ぶ所を知るべし。〔『言志耋録』第292条〕


【訳文】
食べ物には、口は好むが、胃や腸が好まない(胃腸には不消化でよくない)ものがある。これとは反対に、胃や腸は好む(胃腸によい)が、口が好まないものがある。胃や腸が好むものは総て消化がよくて身体に滋養になるものである。それで、どういう食べ物を選択したらよいかということをよく考えるがよい。


【所感】
食物には、味が良いので口は好むが、胃腸は好まないものがある。逆に、胃腸は好むが、味が旨くないと口が好まないものもある。胃腸が好むものはみな栄養価が高い食物である。そういうものを選んで食べるのがよい、と一斎先生は言います。


「ママ、最近、胃腸の具合が良くなくてさ。なんかお腹にやさしい料理をお願いできないかな?」


「神坂君、なにかストレスになることでもあるのかい?」


「えーっ、神坂課長にストレスはあり得ないですよね!」


「本田君、表に出る?」


「神坂くん、じゃあ、今日ちょうどおいしい鯛が入ったから、お刺身を出そうかと思ってたんだけど、鯛雑炊に変更しようか?」


「えーっ、そこは刺身でしょ!」


「やっぱり? (笑)」 


「小料理屋 ちさと」に集合しているのは、佐藤部長、神坂課長、本田さんの3人のようです。


「神坂君、暴飲暴食で胃腸をいじめすぎなんじゃないのか?」


「そうですね。毎週3日は激辛料理を食べてますからね」


「激辛料理って、あの広島風つけ麺のお店ですか?」


「おう、あそこのつけ麺、めちゃくちゃ辛いんだけど、旨いんだよなぁ」


「いや、僕は無理です。あれは辛過ぎます」


「そんなに辛いの?」


「部長、あそこはちょっと尋常じゃないですよ。この前、課長に連れて行ってもらったんですけど、辛くて食べられませんでした。半分以上残しましたよ」


「で、店の親爺にこっぴどく叱られてたな。『頼んだもんを残すな!!』ってな。ははは」


「だって課長がそんなに辛くないから大丈夫って言うから・・・。あれは完全に嵌められました」


「人聞きの悪いこと言うなよ。俺は本当に好きなんだからさ。ただ、あれを食べた日は必ず腹を下すんだけどな」


「ははは。そういえば一斎先生の言葉に『いくら口が好んでも、胃腸が受け付けないものは食べない方がいい』というのがあるな」


「でも味は本当に旨いんですよ」


「逆にね、『胃腸がよろこぶ食物は栄養価も高い』とも言ってるね」


「胃腸の言うことを聴け、ということですかね?」と本田さん。


身体が危険信号を発信しているんだろうね


「危険信号か! ちょっと頻度を減らすかな?」


「結局、食べるのは食べるのね?」


「ママ、なかなかあの味はやめられないんだよねぇ」


「じゃあ、夜はお腹にやさしい雑炊がいいわね。鯛は抜いて卵とじ雑炊にしておくわ」


「いやいやママ、お刺身は出してよ!」


「ごめんなさい、あちらのお客様で売り切れになっちゃいました」


「いやー、旨いなぁ。やっぱり鯛の刺身は最高ですね」


「す、鈴木!!」


「神坂君、悪いな。おいしくいただいております!」


「タケさん?! くそぉ、明日もつけ麺食ってやる!!」


編集後記

人間も40歳を過ぎたら、身体の発する声に耳を傾けるべきなのかも知れませんね。

小生も、脂っこい食べ物を摂取すると、胸やけや下痢になる頻度が高くなったようです。

食事に限らず、睡眠やストレスについても、静かに自分と向き合うと、心や身体が様々なメッセージを発してくれていることに気づかされます。

若いうちは、無理をしてもなんとかなってきましたが、そろそろ自分の心や身体とこまめに相談しながら、日々を過ごすことが必要なのでしょうね。


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Amazon 商品ページより

第1083日 「節度」 と 「禍」 についての一考察

【原文】
視聴言動は各々其の度有り。度を過ぐれば則ち病を致す。養生も亦吾が道に外ならず。


【訳文】
見たり聴いたり話したり動いたりすることは、それぞれ適度というものがある。度を過ぎる(無理をする)と病気になる。これと同じく、身体を養生することも、また度を過ごさず適度を守っていくにある。


【所感】
視ること、聴くこと、話すこと、動くことそれぞれ節度というものがある。それを超えてしまえば弊害となる。養生することも同じであって、度を守ること以外にやり様はない、と一斎先生は言います。


「善久、それはやり過ぎだろう?」


「でも、神坂課長がいつも、お客様のお困りごとを解決するのが私達の使命だって言われているので・・・」


「それはそうだが、我々は慈善事業をしている訳じゃないだろう。ねぇ、山田さん、どう思う?」


「善久君の気持ちはわかりますが、やはり利益がマイナスのビジネスはよろしくないでしょうね」


今日は毎月恒例の課別営業会議が行われているようです。


槍玉に上がっているのは、新人の善久君のようです。


「確かにY社の提示した価格はちょっと常軌を逸していると思うんだけど、それに合わせる必要があるのかな?」


「山田さん、でも先生はO社の内視鏡がどうしても欲しいと言ってくれてるんです」


「しかし、O社さんはこれ以上仕入れ値を下げるのは無理だと言ってるんだろう?」


「はい・・・」


「善久、内視鏡以外でのお手伝いはできないの?」


「本田君の言うとおりだよ、我々は総合医療商社なんだから、HKクリニックさんとお取引を拡大する中で、トータルのサポートを考えるべきだろう!」


「トータルのサポートですか・・・」


「単なるお客様の言いなりになることが、お客様のお役に立つことだと勘違いしていないか! 我々はお客様の下僕じゃないぞ!!」


「だいぶ、カミサマお元気になられましたね」
石崎君が小声で本田さんにささやいています。


「なんだ、石崎! 意見があるなら大きな声で発言しろ!」


「いえ、ちょっと確認しただけなので・・・」


「善久君、適正価格で買っていただいているお客様の気持ちも考えてみるといいよ。こんな価格で販売したことを知ったらどう思うだろうね?」
山田さんが優しく問いかけます。


「HKクリニックさんが、Y社にとって重要なお客様だからこそ、あんな価格を出してきたんだろう。しかし、当社が内視鏡だけの商売でこの価格を提示したら、今後永遠に「安売り業者」のレッテルを貼られてしまうぞ!」


「では、この商談は諦めろということですか?」


「馬鹿野郎! 誰が諦めろと言った。適正な利益をいただける金額で注文をもらってくるんだよ!!」


「ど、どうやってですか?」


「それを考えるのが担当者じゃないのか! HKクリニックさんは、大腸内視鏡検査をやっているんだろう?」


「はい、検査数はかなり多い施設です」


「大腸内視鏡ならO社の評価の方が上なのは、お前も理解しているだろう。そこを押してみるんだよ!」


「善久君、なにごとも節度というものがあることを学んで欲しいな」
佐藤部長が発言しました。


「一斎先生はね、『視ること、聴くこと、話すこと、行動すること、すべてに節度がある。その節度を超えてしまうと必ず禍になる』と言ってるんだ」


「禍ですか?」


「そうだよ。さっき神坂君が言ったように、当社が「安売り業者」というレッテルを貼られてしまうこともそうだし、山田君が言ったように、他のお客様の信頼を失うかも知れない」


「善久、新人のお前にとっては簡単なことじゃないことは俺にだってわかっている。しかし、適正な商売をしてこそ、真の信頼を得られるということを理解して欲しい」


「私にできるでしょうか?」


「そういう弱気なことを言ってるからお前はダメなんだよ!! ねぇ、部長?」


「神坂君、君の言動も節度を超えていないか?」


「えっ、あ、はい・・・」


「ぷっ」


「石崎! 何がおかしいんだ!!」


編集後記 

本章を読んで真っ先に思い出したのが、中江藤樹先生の「五事を正す」です。

五事を正すとは、以下の五点です。(財団法人藤樹書院資料より)

貌(ぼう)  : 和やかな顔つきで、人と接すること。

言(げん)  : やさしい言葉で話すこと。

視(し)   : やさしいまなざしで相手を見つめること。

聴(ちょう) : 人の話しをきちんと聴くこと。

思(し)   : 人を思いやること。

本章の一斎先生の言葉も、節度がどこまでなのか?と考えてしまうと難しくなってしまいます。

それよりも日頃から藤樹先生の教えを守って五事を正せば、自然と節度を守ることができるのではないでしょうか?


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第1081日 「生」 と 「本分」 についての一考察

【原文】
人情、安を好んで危を悪(にく)まざるは莫し。宜しく素分を守るべし。寿を好んで夭を悪まざるは莫し。宜しく食色を慎むべし。人皆知って而も知らず。〔『言志耋録』第289条〕


【訳文】
人情として安楽を好み災難を悪まない者はいない。自分の本分を守るがよい。また、人情として長寿を喜んで若死を嫌わない者はいない。食い気と色気とを慎むがよい。だれでもこれをよく知ってはいるが、(実行しないのを見ると)知ってはいないのであろう。


【所感】
ふつうの人情として、安全を好み危険を嫌わない者はいない。よく自分の本分を守るべきであろう。また、長寿を好み若死を嫌わない者もいない。よく食欲と色気を慎むべきである。これは皆知っているようで、実は理解していないことだ、と一斎先生は言います。


「神坂、まだ立ち直れないのか?」


「ああ、肉親の死というより、ライバルが居なくなってしまった空虚感みたいなものの方が強い気もするんだが、いずれにしても、心の真ん中に穴が開いてるような感じだよ」


「お前にとって、その兄貴は特別な存在だったんだな」


「なんだろうな。悲しいというより、虚しいという感覚がずっと続いてるんだ」


神坂課長、今日は同期の鈴木課長と仕事の後に一杯やっているようです。


「それにしても、ちょっと飲みすぎじゃないか?」


「ここのところ酒の量は増えたかもな。飲んでいないとこの空虚感を埋められないんだ」


「今日はそろそろ酒はやめておけ」


「なあ、鈴木。俺、紗耶香に会ってみようかと思ってるんだ」


「バカ野郎! 何言ってやがんだ。今更、別れた女に会って何になるんだよ!」


「俺はあいつのお陰でまともな人生を歩けるようになった。今でも、何かにつまづくと、真っ先に浮かんでくるのは紗耶香の顔なんだ」


「だけど、紗耶香は・・・」


「そう思ってた。ところがこの前、偶然、Facebookでつながったんだ。O市で店をやってるらしい」


「神坂くん、今更、元カノに会ってどうするつもりなの?」


「ママ! 盗み聞きしないでよ!」


「あら、このお店のお客様の話を聞くのはあたしの権利よ!」 


ふたりは、今日も「季節の味 ちさと」で飲んでいるようです。


「いや、別に今更昔の恋愛を蒸し返そうというつもりはないよ。ただ、あいつならこの空虚感を埋めてくれそうな気がして・・・」


「神坂君はお兄さんの分まで生きなければいけないんじゃないか?」


「部長、いつの間に?」


「えっ? 神坂、さっき部長が店に入ってきたの気づかなかったの?」


「全然」


「重症だな、お前」


「一斎先生はね、『危険な領域に立ち入りたくないなら、自分の本分を大切しなさい』と言っているよ」


「本分ですか?


「それに『無駄な生き方をしたくなかったら、酒と女を慎みなさいとも言ってるね


「人間として尊敬している人でも、相手が異性で、昔付き合っていた人だと、簡単に会うことも許されない。人間って複雑で難しい生き物ですね」


「みんな会うなとは言ってないだろう。会わない方がいいんじゃないかって言ってるんだよ」


「だから! 今更もう一度付き合おうと思ってるわけじゃねぇんだよ!!」


「・・・」


「すまん。感情的になり過ぎた」


「神坂くん、あなたの心の問題を解決できるのは、その人ではないと思う。神坂くん自身で乗り越えるしかないんじゃないのかな?」


「・・・」


「あなたのお兄さんは、こうして亡くなった後でも、あなたや周囲の人たちに大きな影響を与えているじゃない」


「まあ、すごい兄貴でしたから」


「あたしの人生のバイブルにはね、『死後にも、その人の精神が生きて、人を動かすようでなければいけない』と書いてあるの」


「死んだ後も人を動かす?」


「そうよ。そのためにはね、『生きている間、思い切り自分のやるべきことに徹して生きる外ない』とも書いてあるわ」


「それが、一斎先生の言う『本分』というものだろうね」


「たしかに、そうですね。ははは。私は死んだ兄の変わりはできないし、生きている間は、とにかく自分のベストを尽くしかないんでしょうね」


「神坂、紗耶香のことは?」


「まあ、ちょっとそんな風に思っただけなんで、大丈夫だよ!」


「(神坂のやつ、ちょっとマズいな)」
鈴木課長は、長年のつき合いから嫌な予感がしているようです。


編集後記 

人は辛いときや逆境にある時ほど、過去のことにいつまでも悩んだり、未来のことを心配して立ち止ってしまいます。

しかし、自分の環境を変えることができるのは、自分だけです。 

「逆境の後にしか人生の花は咲かない」 

これは、小生のモットーです。

逆境を喜んで受け入れるほど、器は大きくありませんが、せめて逆境から逃げずに地に足をつけて、一歩ずつでも前に踏み出していく人生であろうと強く思っています。



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味彩(
山形県西置賜郡飯豊町)

第1082日 「老い」 と 「慎み」 についての一考察

【原文】
余は老境懶惰(らんだ)にして行件都(すべ)て蕪す。但だ言語飲食の慎み、諸を少壮に比するに可なるに庶(ちか)し。又飜(ひるがえ)って思う。「此れ即ち是を老衰して爾(しか)るのみ」と。〔『言志耋録』第290条〕


【訳文】
自分は晩年になって、なまけものになり、何をしても乱雑であるが、ただ、言葉と飲食を慎むことだけは、若い頃に比べると良い方である。又他の面から考えると、「これは老衰したことによるのだ」ということである。


【所感】
私はいまや年老いて無気力になり、やることなすこと乱雑になってきた。しかし、言葉と飲食の慎みだけは、若い頃に比べても合格点をあげてよかろう。しかし、よくよく考えてみれば、「それこそが老いた結果なのか」と思うときもある、と一斎先生は言います。


「しかし、西村さんも丸くなったよね」


「そりゃさとちゃん、もう55だよ。いつまでもとんがってる場合じゃないだろう」


「その、『とんがる』って表現が年齢を感じさせますね」
最年少の大竹課長が毒づいています。


きょうは、45歳以上の社員さんの集まり「親爺会」が開かれているようです。


参加しているのは、川井企画室長(56)、西村部長(55)、佐藤部長(51)、西郷課長(59)、大竹課長(46)の5名のようです。


「かつては赤鬼と呼ばれた人だからねぇ」


「いやいや、サイさん。もう昔の話だからさ」


「20年前の西村部長は、本当に怖かったなぁ」


「大竹君、あの頃は確かに理不尽に怒鳴り散らしていたかも知れないな。しかし、最近は集中力が長く続かなくて、なにをするにも中途半端になってしまうんだよ。とても、人に声を荒げる気力が湧いてこないよ」


「一斎先生も晩年に自己を振り返って、同じようなことを言っていますよ」


「へぇ、そうなの?」


『何事にも無気力でやることも乱雑になっている。ただ、言葉の使い方と飲食の量とは、若い頃に比べたら合格点を与えてもいい』と言ってるんです」


「言葉というのは、発した側の意図に反して、相手を大いに傷つけてしまうことがあるからな。特に世代間のギャップが大きくなってきた現代では、上司は若い社員さんに対して慎重に言葉を選ばないといけないよな」


「川井さん、本当にそうですよね。当時の私の言葉なんか、今なら軒並みパワハラだと捉えられてしまうでしょうね」


「私の師事する方が、『言葉は釘と同じだ』と言っていました」


「さとちゃん、どういうこと?」


釘は一度打ち込んでしまえば、仮に抜いても釘穴が残りますよね。言葉も同じで、一度発した言葉は、仮に撤回したり、謝罪したとしても、相手の心に傷を残してしまうんです


「なるほど」


「結局、修養というのは、言葉を磨くことなのかも知れないな」
川井室長も納得しています。


「ところで、西村部長の場合、言葉は確かに優しくなりましたが、酒の量はむしろ増えてませんか?」と大竹課長。


「そんなことはないよ。あれ? このグラス、底に穴が開いてるんじゃないの? もう空になっちゃったよ」


「しっかりとした分厚い底がついてますけど・・・」


「おかしいな?」


「部長、早くもボケてきちゃったんじゃないでしょうね?」


「大竹、やかましい!!」


「まあ、一斎先生がその言葉を書き留めたのは、80代ですからね。西村さんも身体を壊す前に、少しずつ酒の量を減らしてみたらどうですか」


「さとちゃんに真面目にそう言われると、ちょっと考えちゃうよな。大竹君、そこがさとちゃんと君の人間力の違いじゃないの?」


「はい、精進します、ボス!」


「素直でよろしい!」 


「ははは」
一同爆笑しています。


「ところで、サイさんがリタイアしちゃうと、この会のメンバーも4人になっちゃうな」
川井室長がワインを飲みながら、しみじみと語っています。


「大竹君の下だと、次は誰になるんだ?」


「神坂君と鈴木君が同期で、ともに40歳ですから、ここに入会するにはまだ時間がありますね」と大竹課長。


「神坂君は若い頃の西村君にそっくりだな」


「川井さん、そうかも知れませんね。しかし、彼もマネジャーになったわけだし、そろそろ変わり始めて欲しい時期ではありますね」


「その神坂君、先日お兄さんが急に亡くなってからは、まったく元気がないですよね?」
大竹課長も気になっていたようです。


「同期の鈴木君が相当心配してたよ」と西村部長。 


「大きく成長するための試練が訪れたのかも知れないな」
川井室長も神坂課長の変化を期待しているようです。


編集後記

この章句は、小生にとっては耳が痛いですね。

酒は飲みませんが、食べる方は炭水化物オンパレード、そして何より言語の慎みはまだまだ修養が足りていません。

人生100歳時代とはいっても、飲食をしっかりと慎まないと、とても100歳までは生きられないでしょうね。

そういえば、27日に歴史好きが偉人を語る会にご参加してくれた『一筆啓上 家康と鬼の本多作左衛門』の著者 横山茂先生は御年94歳ですが、ご一緒したランチの際に、ラーメン&チャーハンとリンゴ2切れをペロリと食べきっておられました。

やはり、長生きの秘訣はよく食べることでもあるのだな、と感じました。

まあ、一斎先生がこれを書いたのは80代ですから、飲食と言語の慎みにはもう少し猶予を頂けるものと考えておきます。


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第1080日 「長さ」 と 「深さ」 についての一考察

【原文】
人命には数有り。之を短長する能わず。然れども、我が意、養生を欲する者は、乃ち天之を誘(いざな)うなり。必ず脩齢(しゅうれい)を得る者も、亦天之を錫(たま)うなり。之を究するに殀寿(ようじゅ)の数は人の干(あずか)る所に非ず。〔『言志耋録』第288条〕


【訳文】
人間の寿命には、一定の理法(定め)というものがあって、人がこれを長くしたり短くしたりすることはできないものである。しかしながら、自分の意志で養生しようとするのは、すなわち(その人自身の発意によるのではなくて)天がその人を誘い導いてそうさせるのである。また必ず思った通りに長寿を得るのもまた天がそれを授けてくれるのである。要するに、人の若死するか長命するかということは、天のなす所(天命)であって、人の関与する所ではないのである。


【所感】
人間の命にはさだめがある。それを自分の意志で短くしたり長くすることはできない。しかし、自らの意志によって摂生をしようとする者は、実は天が導いてそうさせているのである。長寿の者もまた天がその命を与えるのである。これを突き詰めていくと、長寿や若死するさだめについては、人が関与することのできないことなのだ、と一斎先生は言います。


「え? 兄が・・・ですか? はい、わかりました。ありがとうございました」


「あなた、どうしたの?」 


「兄が死んじまった・・・」 


神坂課長のお兄さんが突然の事故で45年の生涯を閉じたようです。


「ずっと目標にしてきて、いつも追いつけなかった。いつか絶対に追い越してやろうと思って、同じ営業の世界に入ったのに・・・。追い越す前に死んじまいやがった」


葬儀を終えた神坂課長は、目標を失い、ぽっかりと胸の奥に穴が開いてしまったように感じています。


仕事に復帰してからも、ずっと沈みがちな神坂課長をみて、周囲もかける言葉が見つからないようです。


「佐藤部長、あんなに節制して、常に体を鍛え、心を磨いてきた兄が45歳で死んでしまうなら、好きなものを好きなだけ食って、好きなことだけやって生きた方がよっぽど幸せかも知れませんね?」


佐藤部長行きつけの小料理屋「季節の味 ちさと」で、ふたりは食事をしているようです。


「一斎先生は、『人の寿命は天から与えられるもので、人間の力ではどうしようもないと言っているね」


「結局、人間は自分の一生すら自分の思い通りにコントロールすることはできないんですね」


「神坂くん、長生きすることだけが幸せだとは限らないんじゃない?」


ちさとママが、あまりにもいつもと違う神坂課長をみて声を掛けたようです。


「え?」


「人間って、長く生きれば生きるだけ幸せなのかしら? 長生きできなければ不幸なのかしら? じゃあ、何歳まで生きたら幸せなの?」


「・・・」


「あたしの人生のバイブルにはね、『人はどれだけ長く生きたかが重要なのではなく、どれだけ深く生きたかが重要だ』って書いてあるの」


「どれだけ深く生きたか・・・」


「そうだね。これは私の師事する方に教えてもらったことなんだけどね。人間の一生というのは、究極的には、生まれて、生きて、死ぬという3つしかないんだ」


「生まれて、生きて、死ぬ・・・」


「そのうち、『生まれることと死ぬことは、自分ではどうしようもないことだよね」


「まさに兄の死は、兄の力では避けることができなかったわけですから・・・」


「でもね、『生きる』ことだけは、自分で自由にできるんだ。ただ獣のように食べて寝るだけの生活を選ぶか、神坂君のお兄さんのように自分を鍛え、修養して生きる道を選ぶかは、自分自身の問題なんだ」


「はい」


「それに一斎先生は、『摂生する人は、天がそうさせるのだ』とも言っているよ」


「天が?」


「つまり、神坂君のお兄さんが一所懸命に節制し修養したのも、天がお兄さんにそうさせたかったからだ、ということだよ」 


「わたしもそう思うわ。お兄さんは天からの使命をしっかりと果たしたんだって」


「神坂君のお兄さんの45年間は、私の今までの51年間よりもはるかに深い人生だったんじゃないかな」


「兄は、今頃天国でどう思ってるんですかね?」


「お兄さんがご自身の人生をどう振返っているかはわからない。でもね、きっとこう思っているはずだ」


「???」


「『勇(いさむ:神坂課長の名前)、俺を追い越してみろ! 俺を追い越すまではこっちに来るなよ!!』ってね」


神坂課長は、これまで堪えていたものを抑えきれなくなり、しばらく嗚咽していたそうです。


編集後記 

どうせ自分の人生を自分自身で自由にできないなら、好き勝手に生きた方が楽じゃないか? 

そう考えてしまいがちですね。

しかし、実際に好きなことしかやらない生活をしてみると、何か心に後ろめたさを感じるものです。 

それは、天から課された使命(天命)から逃げていることに、
自分自身で気づいているからではないでしょうか?

宗教改革で有名なマルティン・ルターは、

たとえ明日、世界が滅びようとも今日私はリンゴの木を植える。 

という名言を遺しました。

天から与えられた使命を果たすとは、結局、目の前にある仕事に手をつけることなのです。


Martin_Luther












画像引用 Wikipedia
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れみれみ