一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2018年01月

第1084日 「好みの味」 と 「胃腸の反応」 についての一考察

【原文】
食物に、口好みて腸胃好まざる者有り。腸胃好みて口好まざる者有り。腸胃好む者は皆養物なり。宜しく択ぶ所を知るべし。〔『言志耋録』第292条〕


【訳文】
食べ物には、口は好むが、胃や腸が好まない(胃腸には不消化でよくない)ものがある。これとは反対に、胃や腸は好む(胃腸によい)が、口が好まないものがある。胃や腸が好むものは総て消化がよくて身体に滋養になるものである。それで、どういう食べ物を選択したらよいかということをよく考えるがよい。


【所感】
食物には、味が良いので口は好むが、胃腸は好まないものがある。逆に、胃腸は好むが、味が旨くないと口が好まないものもある。胃腸が好むものはみな栄養価が高い食物である。そういうものを選んで食べるのがよい、と一斎先生は言います。


「ママ、最近、胃腸の具合が良くなくてさ。なんかお腹にやさしい料理をお願いできないかな?」


「神坂君、なにかストレスになることでもあるのかい?」


「えーっ、神坂課長にストレスはあり得ないですよね!」


「本田君、表に出る?」


「神坂くん、じゃあ、今日ちょうどおいしい鯛が入ったから、お刺身を出そうかと思ってたんだけど、鯛雑炊に変更しようか?」


「えーっ、そこは刺身でしょ!」


「やっぱり? (笑)」 


「小料理屋 ちさと」に集合しているのは、佐藤部長、神坂課長、本田さんの3人のようです。


「神坂君、暴飲暴食で胃腸をいじめすぎなんじゃないのか?」


「そうですね。毎週3日は激辛料理を食べてますからね」


「激辛料理って、あの広島風つけ麺のお店ですか?」


「おう、あそこのつけ麺、めちゃくちゃ辛いんだけど、旨いんだよなぁ」


「いや、僕は無理です。あれは辛過ぎます」


「そんなに辛いの?」


「部長、あそこはちょっと尋常じゃないですよ。この前、課長に連れて行ってもらったんですけど、辛くて食べられませんでした。半分以上残しましたよ」


「で、店の親爺にこっぴどく叱られてたな。『頼んだもんを残すな!!』ってな。ははは」


「だって課長がそんなに辛くないから大丈夫って言うから・・・。あれは完全に嵌められました」


「人聞きの悪いこと言うなよ。俺は本当に好きなんだからさ。ただ、あれを食べた日は必ず腹を下すんだけどな」


「ははは。そういえば一斎先生の言葉に『いくら口が好んでも、胃腸が受け付けないものは食べない方がいい』というのがあるな」


「でも味は本当に旨いんですよ」


「逆にね、『胃腸がよろこぶ食物は栄養価も高い』とも言ってるね」


「胃腸の言うことを聴け、ということですかね?」と本田さん。


身体が危険信号を発信しているんだろうね


「危険信号か! ちょっと頻度を減らすかな?」


「結局、食べるのは食べるのね?」


「ママ、なかなかあの味はやめられないんだよねぇ」


「じゃあ、夜はお腹にやさしい雑炊がいいわね。鯛は抜いて卵とじ雑炊にしておくわ」


「いやいやママ、お刺身は出してよ!」


「ごめんなさい、あちらのお客様で売り切れになっちゃいました」


「いやー、旨いなぁ。やっぱり鯛の刺身は最高ですね」


「す、鈴木!!」


「神坂君、悪いな。おいしくいただいております!」


「タケさん?! くそぉ、明日もつけ麺食ってやる!!」


編集後記

人間も40歳を過ぎたら、身体の発する声に耳を傾けるべきなのかも知れませんね。

小生も、脂っこい食べ物を摂取すると、胸やけや下痢になる頻度が高くなったようです。

食事に限らず、睡眠やストレスについても、静かに自分と向き合うと、心や身体が様々なメッセージを発してくれていることに気づかされます。

若いうちは、無理をしてもなんとかなってきましたが、そろそろ自分の心や身体とこまめに相談しながら、日々を過ごすことが必要なのでしょうね。


_SL1039_

















Amazon 商品ページより

第1083日 「節度」 と 「禍」 についての一考察

【原文】
視聴言動は各々其の度有り。度を過ぐれば則ち病を致す。養生も亦吾が道に外ならず。


【訳文】
見たり聴いたり話したり動いたりすることは、それぞれ適度というものがある。度を過ぎる(無理をする)と病気になる。これと同じく、身体を養生することも、また度を過ごさず適度を守っていくにある。


【所感】
視ること、聴くこと、話すこと、動くことそれぞれ節度というものがある。それを超えてしまえば弊害となる。養生することも同じであって、度を守ること以外にやり様はない、と一斎先生は言います。


「善久、それはやり過ぎだろう?」


「でも、神坂課長がいつも、お客様のお困りごとを解決するのが私達の使命だって言われているので・・・」


「それはそうだが、我々は慈善事業をしている訳じゃないだろう。ねぇ、山田さん、どう思う?」


「善久君の気持ちはわかりますが、やはり利益がマイナスのビジネスはよろしくないでしょうね」


今日は毎月恒例の課別営業会議が行われているようです。


槍玉に上がっているのは、新人の善久君のようです。


「確かにY社の提示した価格はちょっと常軌を逸していると思うんだけど、それに合わせる必要があるのかな?」


「山田さん、でも先生はO社の内視鏡がどうしても欲しいと言ってくれてるんです」


「しかし、O社さんはこれ以上仕入れ値を下げるのは無理だと言ってるんだろう?」


「はい・・・」


「善久、内視鏡以外でのお手伝いはできないの?」


「本田君の言うとおりだよ、我々は総合医療商社なんだから、HKクリニックさんとお取引を拡大する中で、トータルのサポートを考えるべきだろう!」


「トータルのサポートですか・・・」


「単なるお客様の言いなりになることが、お客様のお役に立つことだと勘違いしていないか! 我々はお客様の下僕じゃないぞ!!」


「だいぶ、カミサマお元気になられましたね」
石崎君が小声で本田さんにささやいています。


「なんだ、石崎! 意見があるなら大きな声で発言しろ!」


「いえ、ちょっと確認しただけなので・・・」


「善久君、適正価格で買っていただいているお客様の気持ちも考えてみるといいよ。こんな価格で販売したことを知ったらどう思うだろうね?」
山田さんが優しく問いかけます。


「HKクリニックさんが、Y社にとって重要なお客様だからこそ、あんな価格を出してきたんだろう。しかし、当社が内視鏡だけの商売でこの価格を提示したら、今後永遠に「安売り業者」のレッテルを貼られてしまうぞ!」


「では、この商談は諦めろということですか?」


「馬鹿野郎! 誰が諦めろと言った。適正な利益をいただける金額で注文をもらってくるんだよ!!」


「ど、どうやってですか?」


「それを考えるのが担当者じゃないのか! HKクリニックさんは、大腸内視鏡検査をやっているんだろう?」


「はい、検査数はかなり多い施設です」


「大腸内視鏡ならO社の評価の方が上なのは、お前も理解しているだろう。そこを押してみるんだよ!」


「善久君、なにごとも節度というものがあることを学んで欲しいな」
佐藤部長が発言しました。


「一斎先生はね、『視ること、聴くこと、話すこと、行動すること、すべてに節度がある。その節度を超えてしまうと必ず禍になる』と言ってるんだ」


「禍ですか?」


「そうだよ。さっき神坂君が言ったように、当社が「安売り業者」というレッテルを貼られてしまうこともそうだし、山田君が言ったように、他のお客様の信頼を失うかも知れない」


「善久、新人のお前にとっては簡単なことじゃないことは俺にだってわかっている。しかし、適正な商売をしてこそ、真の信頼を得られるということを理解して欲しい」


「私にできるでしょうか?」


「そういう弱気なことを言ってるからお前はダメなんだよ!! ねぇ、部長?」


「神坂君、君の言動も節度を超えていないか?」


「えっ、あ、はい・・・」


「ぷっ」


「石崎! 何がおかしいんだ!!」


編集後記 

本章を読んで真っ先に思い出したのが、中江藤樹先生の「五事を正す」です。

五事を正すとは、以下の五点です。(財団法人藤樹書院資料より)

貌(ぼう)  : 和やかな顔つきで、人と接すること。

言(げん)  : やさしい言葉で話すこと。

視(し)   : やさしいまなざしで相手を見つめること。

聴(ちょう) : 人の話しをきちんと聴くこと。

思(し)   : 人を思いやること。

本章の一斎先生の言葉も、節度がどこまでなのか?と考えてしまうと難しくなってしまいます。

それよりも日頃から藤樹先生の教えを守って五事を正せば、自然と節度を守ることができるのではないでしょうか?


img_0

第1081日 「生」 と 「本分」 についての一考察

【原文】
人情、安を好んで危を悪(にく)まざるは莫し。宜しく素分を守るべし。寿を好んで夭を悪まざるは莫し。宜しく食色を慎むべし。人皆知って而も知らず。〔『言志耋録』第289条〕


【訳文】
人情として安楽を好み災難を悪まない者はいない。自分の本分を守るがよい。また、人情として長寿を喜んで若死を嫌わない者はいない。食い気と色気とを慎むがよい。だれでもこれをよく知ってはいるが、(実行しないのを見ると)知ってはいないのであろう。


【所感】
ふつうの人情として、安全を好み危険を嫌わない者はいない。よく自分の本分を守るべきであろう。また、長寿を好み若死を嫌わない者もいない。よく食欲と色気を慎むべきである。これは皆知っているようで、実は理解していないことだ、と一斎先生は言います。


「神坂、まだ立ち直れないのか?」


「ああ、肉親の死というより、ライバルが居なくなってしまった空虚感みたいなものの方が強い気もするんだが、いずれにしても、心の真ん中に穴が開いてるような感じだよ」


「お前にとって、その兄貴は特別な存在だったんだな」


「なんだろうな。悲しいというより、虚しいという感覚がずっと続いてるんだ」


神坂課長、今日は同期の鈴木課長と仕事の後に一杯やっているようです。


「それにしても、ちょっと飲みすぎじゃないか?」


「ここのところ酒の量は増えたかもな。飲んでいないとこの空虚感を埋められないんだ」


「今日はそろそろ酒はやめておけ」


「なあ、鈴木。俺、紗耶香に会ってみようかと思ってるんだ」


「バカ野郎! 何言ってやがんだ。今更、別れた女に会って何になるんだよ!」


「俺はあいつのお陰でまともな人生を歩けるようになった。今でも、何かにつまづくと、真っ先に浮かんでくるのは紗耶香の顔なんだ」


「だけど、紗耶香は・・・」


「そう思ってた。ところがこの前、偶然、Facebookでつながったんだ。O市で店をやってるらしい」


「神坂くん、今更、元カノに会ってどうするつもりなの?」


「ママ! 盗み聞きしないでよ!」


「あら、このお店のお客様の話を聞くのはあたしの権利よ!」 


ふたりは、今日も「季節の味 ちさと」で飲んでいるようです。


「いや、別に今更昔の恋愛を蒸し返そうというつもりはないよ。ただ、あいつならこの空虚感を埋めてくれそうな気がして・・・」


「神坂君はお兄さんの分まで生きなければいけないんじゃないか?」


「部長、いつの間に?」


「えっ? 神坂、さっき部長が店に入ってきたの気づかなかったの?」


「全然」


「重症だな、お前」


「一斎先生はね、『危険な領域に立ち入りたくないなら、自分の本分を大切しなさい』と言っているよ」


「本分ですか?


「それに『無駄な生き方をしたくなかったら、酒と女を慎みなさいとも言ってるね


「人間として尊敬している人でも、相手が異性で、昔付き合っていた人だと、簡単に会うことも許されない。人間って複雑で難しい生き物ですね」


「みんな会うなとは言ってないだろう。会わない方がいいんじゃないかって言ってるんだよ」


「だから! 今更もう一度付き合おうと思ってるわけじゃねぇんだよ!!」


「・・・」


「すまん。感情的になり過ぎた」


「神坂くん、あなたの心の問題を解決できるのは、その人ではないと思う。神坂くん自身で乗り越えるしかないんじゃないのかな?」


「・・・」


「あなたのお兄さんは、こうして亡くなった後でも、あなたや周囲の人たちに大きな影響を与えているじゃない」


「まあ、すごい兄貴でしたから」


「あたしの人生のバイブルにはね、『死後にも、その人の精神が生きて、人を動かすようでなければいけない』と書いてあるの」


「死んだ後も人を動かす?」


「そうよ。そのためにはね、『生きている間、思い切り自分のやるべきことに徹して生きる外ない』とも書いてあるわ」


「それが、一斎先生の言う『本分』というものだろうね」


「たしかに、そうですね。ははは。私は死んだ兄の変わりはできないし、生きている間は、とにかく自分のベストを尽くしかないんでしょうね」


「神坂、紗耶香のことは?」


「まあ、ちょっとそんな風に思っただけなんで、大丈夫だよ!」


「(神坂のやつ、ちょっとマズいな)」
鈴木課長は、長年のつき合いから嫌な予感がしているようです。


編集後記 

人は辛いときや逆境にある時ほど、過去のことにいつまでも悩んだり、未来のことを心配して立ち止ってしまいます。

しかし、自分の環境を変えることができるのは、自分だけです。 

「逆境の後にしか人生の花は咲かない」 

これは、小生のモットーです。

逆境を喜んで受け入れるほど、器は大きくありませんが、せめて逆境から逃げずに地に足をつけて、一歩ずつでも前に踏み出していく人生であろうと強く思っています。



caption













味彩(
山形県西置賜郡飯豊町)

第1082日 「老い」 と 「慎み」 についての一考察

【原文】
余は老境懶惰(らんだ)にして行件都(すべ)て蕪す。但だ言語飲食の慎み、諸を少壮に比するに可なるに庶(ちか)し。又飜(ひるがえ)って思う。「此れ即ち是を老衰して爾(しか)るのみ」と。〔『言志耋録』第290条〕


【訳文】
自分は晩年になって、なまけものになり、何をしても乱雑であるが、ただ、言葉と飲食を慎むことだけは、若い頃に比べると良い方である。又他の面から考えると、「これは老衰したことによるのだ」ということである。


【所感】
私はいまや年老いて無気力になり、やることなすこと乱雑になってきた。しかし、言葉と飲食の慎みだけは、若い頃に比べても合格点をあげてよかろう。しかし、よくよく考えてみれば、「それこそが老いた結果なのか」と思うときもある、と一斎先生は言います。


「しかし、西村さんも丸くなったよね」


「そりゃさとちゃん、もう55だよ。いつまでもとんがってる場合じゃないだろう」


「その、『とんがる』って表現が年齢を感じさせますね」
最年少の大竹課長が毒づいています。


きょうは、45歳以上の社員さんの集まり「親爺会」が開かれているようです。


参加しているのは、川井企画室長(56)、西村部長(55)、佐藤部長(51)、西郷課長(59)、大竹課長(46)の5名のようです。


「かつては赤鬼と呼ばれた人だからねぇ」


「いやいや、サイさん。もう昔の話だからさ」


「20年前の西村部長は、本当に怖かったなぁ」


「大竹君、あの頃は確かに理不尽に怒鳴り散らしていたかも知れないな。しかし、最近は集中力が長く続かなくて、なにをするにも中途半端になってしまうんだよ。とても、人に声を荒げる気力が湧いてこないよ」


「一斎先生も晩年に自己を振り返って、同じようなことを言っていますよ」


「へぇ、そうなの?」


『何事にも無気力でやることも乱雑になっている。ただ、言葉の使い方と飲食の量とは、若い頃に比べたら合格点を与えてもいい』と言ってるんです」


「言葉というのは、発した側の意図に反して、相手を大いに傷つけてしまうことがあるからな。特に世代間のギャップが大きくなってきた現代では、上司は若い社員さんに対して慎重に言葉を選ばないといけないよな」


「川井さん、本当にそうですよね。当時の私の言葉なんか、今なら軒並みパワハラだと捉えられてしまうでしょうね」


「私の師事する方が、『言葉は釘と同じだ』と言っていました」


「さとちゃん、どういうこと?」


釘は一度打ち込んでしまえば、仮に抜いても釘穴が残りますよね。言葉も同じで、一度発した言葉は、仮に撤回したり、謝罪したとしても、相手の心に傷を残してしまうんです


「なるほど」


「結局、修養というのは、言葉を磨くことなのかも知れないな」
川井室長も納得しています。


「ところで、西村部長の場合、言葉は確かに優しくなりましたが、酒の量はむしろ増えてませんか?」と大竹課長。


「そんなことはないよ。あれ? このグラス、底に穴が開いてるんじゃないの? もう空になっちゃったよ」


「しっかりとした分厚い底がついてますけど・・・」


「おかしいな?」


「部長、早くもボケてきちゃったんじゃないでしょうね?」


「大竹、やかましい!!」


「まあ、一斎先生がその言葉を書き留めたのは、80代ですからね。西村さんも身体を壊す前に、少しずつ酒の量を減らしてみたらどうですか」


「さとちゃんに真面目にそう言われると、ちょっと考えちゃうよな。大竹君、そこがさとちゃんと君の人間力の違いじゃないの?」


「はい、精進します、ボス!」


「素直でよろしい!」 


「ははは」
一同爆笑しています。


「ところで、サイさんがリタイアしちゃうと、この会のメンバーも4人になっちゃうな」
川井室長がワインを飲みながら、しみじみと語っています。


「大竹君の下だと、次は誰になるんだ?」


「神坂君と鈴木君が同期で、ともに40歳ですから、ここに入会するにはまだ時間がありますね」と大竹課長。


「神坂君は若い頃の西村君にそっくりだな」


「川井さん、そうかも知れませんね。しかし、彼もマネジャーになったわけだし、そろそろ変わり始めて欲しい時期ではありますね」


「その神坂君、先日お兄さんが急に亡くなってからは、まったく元気がないですよね?」
大竹課長も気になっていたようです。


「同期の鈴木君が相当心配してたよ」と西村部長。 


「大きく成長するための試練が訪れたのかも知れないな」
川井室長も神坂課長の変化を期待しているようです。


編集後記

この章句は、小生にとっては耳が痛いですね。

酒は飲みませんが、食べる方は炭水化物オンパレード、そして何より言語の慎みはまだまだ修養が足りていません。

人生100歳時代とはいっても、飲食をしっかりと慎まないと、とても100歳までは生きられないでしょうね。

そういえば、27日に歴史好きが偉人を語る会にご参加してくれた『一筆啓上 家康と鬼の本多作左衛門』の著者 横山茂先生は御年94歳ですが、ご一緒したランチの際に、ラーメン&チャーハンとリンゴ2切れをペロリと食べきっておられました。

やはり、長生きの秘訣はよく食べることでもあるのだな、と感じました。

まあ、一斎先生がこれを書いたのは80代ですから、飲食と言語の慎みにはもう少し猶予を頂けるものと考えておきます。


300px-Nails

第1080日 「長さ」 と 「深さ」 についての一考察

【原文】
人命には数有り。之を短長する能わず。然れども、我が意、養生を欲する者は、乃ち天之を誘(いざな)うなり。必ず脩齢(しゅうれい)を得る者も、亦天之を錫(たま)うなり。之を究するに殀寿(ようじゅ)の数は人の干(あずか)る所に非ず。〔『言志耋録』第288条〕


【訳文】
人間の寿命には、一定の理法(定め)というものがあって、人がこれを長くしたり短くしたりすることはできないものである。しかしながら、自分の意志で養生しようとするのは、すなわち(その人自身の発意によるのではなくて)天がその人を誘い導いてそうさせるのである。また必ず思った通りに長寿を得るのもまた天がそれを授けてくれるのである。要するに、人の若死するか長命するかということは、天のなす所(天命)であって、人の関与する所ではないのである。


【所感】
人間の命にはさだめがある。それを自分の意志で短くしたり長くすることはできない。しかし、自らの意志によって摂生をしようとする者は、実は天が導いてそうさせているのである。長寿の者もまた天がその命を与えるのである。これを突き詰めていくと、長寿や若死するさだめについては、人が関与することのできないことなのだ、と一斎先生は言います。


「え? 兄が・・・ですか? はい、わかりました。ありがとうございました」


「あなた、どうしたの?」 


「兄が死んじまった・・・」 


神坂課長のお兄さんが突然の事故で45年の生涯を閉じたようです。


「ずっと目標にしてきて、いつも追いつけなかった。いつか絶対に追い越してやろうと思って、同じ営業の世界に入ったのに・・・。追い越す前に死んじまいやがった」


葬儀を終えた神坂課長は、目標を失い、ぽっかりと胸の奥に穴が開いてしまったように感じています。


仕事に復帰してからも、ずっと沈みがちな神坂課長をみて、周囲もかける言葉が見つからないようです。


「佐藤部長、あんなに節制して、常に体を鍛え、心を磨いてきた兄が45歳で死んでしまうなら、好きなものを好きなだけ食って、好きなことだけやって生きた方がよっぽど幸せかも知れませんね?」


佐藤部長行きつけの小料理屋「季節の味 ちさと」で、ふたりは食事をしているようです。


「一斎先生は、『人の寿命は天から与えられるもので、人間の力ではどうしようもないと言っているね」


「結局、人間は自分の一生すら自分の思い通りにコントロールすることはできないんですね」


「神坂くん、長生きすることだけが幸せだとは限らないんじゃない?」


ちさとママが、あまりにもいつもと違う神坂課長をみて声を掛けたようです。


「え?」


「人間って、長く生きれば生きるだけ幸せなのかしら? 長生きできなければ不幸なのかしら? じゃあ、何歳まで生きたら幸せなの?」


「・・・」


「あたしの人生のバイブルにはね、『人はどれだけ長く生きたかが重要なのではなく、どれだけ深く生きたかが重要だ』って書いてあるの」


「どれだけ深く生きたか・・・」


「そうだね。これは私の師事する方に教えてもらったことなんだけどね。人間の一生というのは、究極的には、生まれて、生きて、死ぬという3つしかないんだ」


「生まれて、生きて、死ぬ・・・」


「そのうち、『生まれることと死ぬことは、自分ではどうしようもないことだよね」


「まさに兄の死は、兄の力では避けることができなかったわけですから・・・」


「でもね、『生きる』ことだけは、自分で自由にできるんだ。ただ獣のように食べて寝るだけの生活を選ぶか、神坂君のお兄さんのように自分を鍛え、修養して生きる道を選ぶかは、自分自身の問題なんだ」


「はい」


「それに一斎先生は、『摂生する人は、天がそうさせるのだ』とも言っているよ」


「天が?」


「つまり、神坂君のお兄さんが一所懸命に節制し修養したのも、天がお兄さんにそうさせたかったからだ、ということだよ」 


「わたしもそう思うわ。お兄さんは天からの使命をしっかりと果たしたんだって」


「神坂君のお兄さんの45年間は、私の今までの51年間よりもはるかに深い人生だったんじゃないかな」


「兄は、今頃天国でどう思ってるんですかね?」


「お兄さんがご自身の人生をどう振返っているかはわからない。でもね、きっとこう思っているはずだ」


「???」


「『勇(いさむ:神坂課長の名前)、俺を追い越してみろ! 俺を追い越すまではこっちに来るなよ!!』ってね」


神坂課長は、これまで堪えていたものを抑えきれなくなり、しばらく嗚咽していたそうです。


編集後記 

どうせ自分の人生を自分自身で自由にできないなら、好き勝手に生きた方が楽じゃないか? 

そう考えてしまいがちですね。

しかし、実際に好きなことしかやらない生活をしてみると、何か心に後ろめたさを感じるものです。 

それは、天から課された使命(天命)から逃げていることに、
自分自身で気づいているからではないでしょうか?

宗教改革で有名なマルティン・ルターは、

たとえ明日、世界が滅びようとも今日私はリンゴの木を植える。 

という名言を遺しました。

天から与えられた使命を果たすとは、結局、目の前にある仕事に手をつけることなのです。


Martin_Luther












画像引用 Wikipedia

第1079日 「食」 と 「修養」 についての一考察

【原文】
道理は往くとして然らざるは無し。敬の一字は固と修身の工夫なり。養生の訣(けつ)も亦一箇の敬に帰す。


【訳文】
物事の道理というものは、どこへ行っても(古今東西)一つで変わるものではない。敬という字は、元来身を修める工夫であるが、暴飲暴食を慎むという保健衛生的なことでもあって、生命を養う肝要な秘訣もまた、敬の一字に帰する。


【所感】
物事の道理というものは、どこへ行こうとも変わることのないものである。「敬」という文字は元来、自分の身を修めるための工夫を指す言葉であるが、摂生をする秘訣もまさにこの「敬」に帰するのだ、と一斎先生は言います。


「おいおい、雑賀君、ちょっと食べすぎじゃないの?」


「なに言ってるんですか、神坂課長。私はまだ20代ですよ。どんどん食べて、どんどん働かないと!」


「ブッ」


「どうした大累、突然吹き出して」


「いや、まさか雑賀の口から『どんどん働く』なんてフレーズが出てくるとは思わなかったもので」


今日は、営業部の新年会のようです。


「大累課長、ひどいなぁ。私はいつだって全力投球ですよ」


「神坂さん、あいつ殴ってくださいよ」


「なんで俺が殴るんだよ!」


「そういうのは神坂さんの専売特許じゃないですか」


「大累、俺はお前を殴りたい!」


「どうぞ、どうぞ。その時はパワハラで訴えますから。(笑)」


営業部のメンバーは皆さん、楽しそうです。


「いや、確かに、雑賀君はちょっと太りすぎじゃないか?」


「佐藤部長、言ってやってください。あいつは、私の指示なんか、最初から聞く気がないんですから」


「大累、それは君の修養が足りないんじゃないか? ねぇ、部長」


「陰で『カミサマ』とか呼ばれてる人に言われたくないですよ!」


「いや、神坂君の言うことにも一理はあるな」


「ええ?部長! まさかカミサマの肩を持つんですか!」


「誰がカミサマや!! やっぱり、お前を殴りたい!」


「私は、しっかり本も読んでますし、人間力も高めようと日々努力しているんですけど、大累課長はそこをわかってくれないんですよねぇ」
雑賀君の口はなめらかです。


「神坂さん、殴ってくださいよ!!」
大累課長が神坂課長の耳元でささやきます。


「俺はカミサマだからな、暴力には反対だ」


「ただねぇ、雑賀君。私が日頃から修養が大切だと言っているのは、学習の面だけを言っているわけじゃないんだ」
佐藤部長が今までとは違う真面目なトーンで話し出しました。


大累課長が大きくうなづきます。


「一斎先生はね、慎ましい食生活で健康面に留意することもまた修養だと言ってるんだよ」


「そうなんですか?」


「雑賀君はまだ若いから、理解するのは難しいかもしれないけど、暴飲暴食は将来必ず身体を悪くするからね。そうなったら、どんどん働こうと思っても働けなくなるよ」


「たしかに、そのとおりだよ。それに、考えてごらん。一流の営業人にあんまり太った人はいない気がしないか?」


「一流の営業人か・・・」
どうやら雑賀君の心に言葉が届いたようです。


「ん? でも、神坂課長もそんなにスリムではないような気がしますが・・・」
やっぱりひと言多いのが雑賀君です。


「カミサマ、鉄拳の時は今ですよ!」
大累課長の悪魔のささやきです。


「ゴン!」


「痛てぇ、なんで俺を殴るんですか」


「先輩に対する敬意が足りない後輩への、カミサマからの愛の制裁だよ。大累君!」


「訴えてやる!!」


「カミサマを訴える奴がどこにいるんだ?


編集後記 

昨年(2017年)6月に健康診断を受け、メタボ予備軍の診断を受けた小生は、メタボ改善プログラムを設定してもらいました。

その時の体重が80kg、そこから3kg落としましょう、という指導を受けたのです。

ちょうど、昨日、プログラムを設定してくれた看護師さんから電話があり、結果を報告しました。

結果は、82kg!

3kg減量するどころか、2kg増量しておりました・・・。

「今後も継続して取り組みますか?」という看護師さんの優しい質問には、「もちろんです!」と元気に即答しておきましたが。。。

孔子は、『論語』のなかで、「君子(立派な人)は、飽食を求めない」と言っています。(※)

このタイミングで本章に当たるということは、摂生しなさいよ!という小生へのカミサマからのメッセージなのでしょうか?

※ 【原文】子曰わく、君子は食飽くを求むること無く、居安きを求むること無し。(学而第一)
  【訳文】先師が言われた。「学問修行に志す人は、飽食を求めない。家で安閑とすることを求めない」(伊與田覺先生訳)


b0242437_1525327

第1078日 「敬」 と 「孝」 についての一考察

【原文】
人道は敬に在り。敬は固より終身の孝たり。我が軀(み)は親の遺(い)たるを以てなり。一息尚お存せば、自ら敬することを忘る可けんや。〔『言志耋録』第286条〕


【訳文】
人間として履み行なうべき道は敬にある。その敬はもちろん一生涯における孝(父母によく仕えること)である。自分の身体は、父母が自分に遺してくれたものであるからである。それで、一息でも通う間は、自ら敬することを忘れてはいけない。


【所感】
人として生きる基本の道は身を慎むことにある。身を慎むとは、もちろん生涯親孝行をすることである。自分の身体は親の遺体だと考えれば、呼吸している間(つまり生きている間)は自らを慎むことを忘れてはいけない。


「おっ、愛妻弁当か、いいなぁ」


「神坂課長、私、独身ですよ!」


「あれ、そうだったっけ? え、じゃあ、その弁当は誰が作ってくれたの?」


「母です」


「弁当男子ってのは聞いたことあるけど、いまどき母親に弁当を作ってもらってる男子のことは何て呼べばいいんだ?」


「別に命名していただかなくて結構ですよ。。。」


「本田君、いくつになるんだっけ?」


「29歳です」


「いつまで弁当を作ってもらうつもり? 親離れしないとな!」


「いや、母がどうしても作りたいって言うんです。うちの母が子離れできてないんですよ。私は親孝行のつもりで、弁当を食べてるんですから!」


「物は言いようだな。それが親孝行かは別として、親孝行できるということは有難いことだぞ」


「神坂課長のご両親は?」


「もうふたりともあの世に居るよ」


「そうでしたか、すみません」


「いや、気にするな。俺はさ、この性格だろ? 好きなことをやりたいだけやって来てさ。そろそろ親孝行しなきゃなと思っていた矢先に、ふたりともあっという間に逝っちゃったんだよな」


「・・・」


「『親孝行、したいときには親はなしって言うけど、あれは本当だよ。あの両親がいなければ、俺はこの世に生まれてすらいないんだからね」


「そういえばこの前、佐藤部長とも同じような話をしたんですが、そのとき『我が身は親の遺体』という言葉があると言ってました」


「自分の身体は親の遺産ということか?」


「だから、自分の身体を労わることは、そのまま親への孝行にもなるんだと仰っていました」


「なるほどな。俺は、両親には感謝しているし、尊敬もしてるんだが、生きている間はどうしても素直にそれが言えなかったな」


「私も毎朝、弁当を渡されるときに『ありがとう』が言えないんですよ」


「言えるうちに言っておけよ。絶対、後で後悔するからさ」


「そうですね。明日は気合入れて。(笑)」


「実はさ、俺はせめてもの罪滅ぼしにと、両親の命日と父の日、母の日には毎年墓参りをさせてもらってるんだ」


「そうなんですか?」


「ここに石崎がいたら、絶対『キャラじゃないっすね』とか言うんだろうけどな」


「課長、それは間違いありません!」


「ってことは、やっぱり本田君もそう思ったわけね?」


「い、いやいや、決してそんなことは・・・」


「あっ!」


「どうしたんですか? 急に大きな声を出して!」


「いいのを見つけたよ」


「???」


「母の溺愛弁当を食べるアラサー男のネーミング! 聞きたいだろ?」


「結構です!!」


「おーい。なんだよ。行っちゃったよ」


「課長、代りに聞いてやってもいいっすよ」


「石崎、いつの間に!!」


「いいネーミングだと思うんだけどな」


「どうぞ」


「マンマ男子! まんま(ご飯)とママを掛けてるんだけど、どう?」


「クソ面白くないっすね」


編集後記

『白虎通』という古典に「孝は百行の本」という有名な言葉があります。

すべての行動の基本は、孝行にあるということでしょう。

一斎先生は、人を敬う気持ちも孝の精神から生れるとしています。

最近の世論には、「子が親を尊敬しないのは当然だ」という暴論まであります。

これは、核家族化の弊害なのかも知れません。

自分の親が、親の親である祖父母を尊敬し、親孝行している姿を見せれば、自然と親孝行のできる子供に育つはずではないでしょうか。



gatag-00007373

第1077日 「楽しみ」 と 「憂い」 についての一考察

【原文】
天道・人事は皆漸を以て至る。楽(たのしみ)を未だ楽しからざるの日に楽しみ、患(うれい)を未だ患えざるの前に患うれば、則ち患免る可く、楽全うす可し。省みざる可けんや。〔『言志耋録』第285条〕


【訳文】
天地自然の現象や人間社会の事柄というものは、総て徐々に起ってくるものである。それで、楽しみがまだ来ない時に楽しみ、心配ごとがまだ来ない時に用心しておれば、心配ごとは免れることができるし、楽しみは完全になしとげられる。よく考えておくべきことである。


【所感】
天地自然の出来事も、人間の行なうことも、すべて徐々に変化するものである。楽しいことをまだ周囲が気づく前に楽しみ、心配なことをまだ周囲が気づく前に心配しておけば、心配事を避けることができ、楽しみを全うすることができる。この点をよく省察しておくべきだ、と一斎先生は言います。


「先憂後楽」という言葉をご存知の方は多いでしょう。

これは、范仲淹(はんちゅうえん)の『岳陽楼記』にある言葉で、「後楽園」という名称はここから取られています。

その意味するところは、為政者は人民の先頭に立って国のことを心配し、人民が楽しんだ後に自分が楽しむべきだ、ということです。

ビジネスの世界においても、リーダーは同じ心掛けで、部下である社員さんに接すると良いのでしょう。

しかし、一斎先生はもう少し捻りを加えて、楽しみも心配事も先に見つけて、民(社員さん)のために図れ、と教えています。

リーダーには、先読み力、先見性が必要だ、ということでしょうか?


「我々医療機器ディーラーが生き残るためには、物流に頼らない新規ビジネスを立上げる必要がある!」


今日は、四半期に一度のマーケティング会議が開催されており、会議の冒頭で経営企画室の川井室長が発言をしたようです。


「すでにアメリカでは、アマゾンが医薬品のデリバリーを始めるというニュースも発信されていますね」と神坂課長。


「諸君も知ってのとおり、私は全国の医療機器ディーラーが参画している物流プロジェクトを推進している。しかし、アマゾンに物流を握られたら、医療機器ディーラーの大半は潰れてしまうだろう」
川井室長の語気が荒くなっています。


「我々にあまり猶予はないということですね」と大累課長。


「いまのうちから様々な可能性に投資しておく必要がありそうですね」
西郷課長も発言します。


「我々の課題は、これまでの当社の強みを活かせる新規ビジネスの芽がどこにあるかを見つけることだ!」


「ビジネスのスピードは、年々増しています。先手を打てなければ儲けるビジネスを展開することは難しい時代ですよね」
3月から課長昇進が決まっている新美さんもこの会議に参加しているようです。


「しかし、一朝一夕でビジネスが立ち上がるわけでもないだろう」
と神坂課長が応酬。


「そうだね。兆しは必ずあるはずだ。佐藤一斎先生は『人に先んじて楽しみを見つけて世の中を楽しませ、人に先んじて心配事を見つけて世の中を救うことができれば、危機を脱して、楽しみを享受することができる』と言ってるんだ」
いつものように一斎先生の言葉を借りて、佐藤部長が発言しました。


「なるほどな。2つの側面があるということか!」
川井室長は興奮しています。


「2つの側面?」
西郷、神坂、大累、新美の4名の声が揃います。


「そうだ。ひとつは世の中を楽しませるビジネス。そしてもうひとつは世の中の心配事を取り除くビジネスだ」


「それを医療機器の提供という枠組みの中で考えるということですか?」と神坂課長。


「我々は医療機器ディーラーだからな。まったく畑違いの分野に踏み出しても勝ち目はないだろう」


「医療の世界で、人を楽しませるビジネスなんてあるのかなぁ?」


「新美、思考の幅を狭めるな! 我々だってお客様を楽しませることはできるのかも知れないぞ!!」


「川井さんが言うように、新しいビジネスの芽を発掘して育てるのが我々のミッションだ。次回の会議までに各自で探索して報告して欲しい」
佐藤部長がまとめます。


「いや、場合によっては、芽が出る前のビジネス、つまり土の中にあるビジネスを掘り当てなければ、先行者メリットは享受できないかも知れないぞ!」


会議後、川井室長を除く5名が喫茶コーナーで先ほどの続きを議論しています。


「ところで部長、先ほどの一斎先生の言葉は、新規ビジネスだけでなく、当社の社員さんたちに対しても活用できる言葉ですね」
人格者の西郷課長らしい発言です。


「なるほど。社員さんに先んじて楽しみを見つけて彼らを喜ばせ、社員さんに先んじて心配事を見つけて彼らの不安を取り除くことができれば、会社は安泰!というわけですね」
新美さんもうなづいています。


「最近また売り手市場になりつつあるからなのか、同業の連中と話をすると、どこの会社でも若手の退職者が増えているらしいですね」と大累課長。


「我々にはまだまだやるべきことがあるということか? 今度、鈴木を飯に誘って話し合ってみるかな?」
神坂課長がつぶやきました。


編集後記

最近のベストセラー本『未来の年表』でも警鐘が鳴らされていましたが、日本人の人口は、2055年には9000万人、2115年頃には5000万人程度にまで減少すると言われています。

人口の減少だけでなく、AI(人工知能)の発達によって、現在の多くの職業がAIにとって代られるとも言われます。

こんな時代を乗り越えるための解決策を求めると、『言四録』や『論語』といった古典にたどり着きます。

温故知新の考え方で、古いものを学び直す中から新しい意味を見つけ出すべきときに来ているのではないでしょうか?


s-rit-01532

第1076日 「諦め」 と 「成長」 についての一考察

【原文】
人は皆往年の既に去るを忘れて、次年の未だ来らざるを図り、前日の已に過ぐるを舎てて、後日の将に至らんとするを慮る。是(ここ)を以て百事苟且(こうしょ)、終日齷齪(あくさく)して以て老死に至る。嘆ず可きなり。故に人は宜しく少壮の時に困苦有り艱難有るを回顧して、以て今の安逸なるを知るべし。是れ之を自ら本分を知ると謂う。〔『言志耋録』第284条〕


【訳文】
人はみな既に過ぎ去った年のことを忘れてしまって、まだやって来ない翌年のことを考えて計画し、また過ぎ去った前日のことを捨てておいて、これから来ようとする後日のことについて心配する。それで、万事いい加減になって、一日中こせこせして、ついに年をとって死んでしまうことは誠に嘆かわしいことである。それ故に、人は若い頃の苦しみ悩んだことを思い出して、現在安らかに楽しんでいられることの有難さをよく知るがよい。これを自分で自分の身のほどを知るということである。


【所感】
人間という生き物は誰でも、過ぎ去った年のことは忘れて、これからやってくる翌年のことを考え、昨日のことを真摯に顧みることをせずに、来てもいない明日のことを心配する。そなことだから、万事をいい加減に処理し、小事にこだわった挙句、やがて老いて死んでいくことになるのだ。なんと哀しいことではないか。それ故に、人間は若い頃の苦しみや辛い出来事をよく振り返って、今現在が平穏無事であることに感謝をすべきだ。これこそが自分に与えられた本分を尽くすということなのだ、と一斎先生は言います。


昔、中国の杞(き)という国に、ある心配性の男が住んでいました。

彼は日々、いつか空が落ちてくるのではないか? いつか地面が崩れ落ちてしまうのではないか? と心配していました。

もし、そうなったら一体自分はどこに身を置けば良いのか?

そう考えると、夜も眠れず、食事も喉を通らない有様だったそうです。

最終的には、彼を心配する賢者から、そんなことはあり得ないことだという説明を聞いて、彼は安心し大いに喜んだとのことです。

これは中国の老荘系の古典『列子』にある故事です。

ここから、「杞憂」という言葉が生れています。

あまりにも馬鹿げた心配をすることを指す言葉として、「杞憂に終わる」といった言い回しで今も使われていますよね。

しかし、自分の胸に手を当ててみると、実は小生も同じような馬鹿げた心配をしていることに気づかされます。。。


「おい、善久(ぜんきゅう)、いつまで凹んでるんだ!!」


「神坂課長、すみません。あんな低レベルな失敗をしてしまって、情けないです」


「まだ先週のミスのことでウジウジ悩んでいるのか?」


「あのとき先方に再度納期を確認しておけば、納品日を間違えるなんて最低の失敗をしなくて済んだんです。なんで確認しなかったんだろう。なんて俺はダメ営業マンなんだ!!」


「結局、当日のうちに納品できたんだから、いいじゃないか」


「でも、これで私の信頼は地に落ちました。今後、今まで通りのお付き合いをしてもらえるかどうか不安で仕方がありません」


「なあ、善久。過去のミスをいくら悔やんだところで、もうその時に戻ることはできないだろう。だったら、そのミスを今後の営業人生に活かすことを考えればいいじゃないか」


「しかし・・・」


「それにな、今後どうお付き合いしてもらえるかを心配したところで、それは君が決められることじゃないだろう。それはお客様が考えることだよ。君にできることは、その反応に対してどう対処するかではないか? そんなことは、その時になってから考えればいいんだよ」


「・・・」


「いいか、過去をいくら悔やんでも、未来をいくら憂いても、君が成長できるわけではないだろう?」


「それは、そうですが・・・」


「必要なことは、『いまここで何ができるかだ!」


「いまここ?」


「だいだい、君は『失敗』という言葉を使ったよな。俺は、今回の件を君の失敗だとは思っていない。ミスをひとつしただけだ」


「失敗とミスとはどう違うんですか?」


「失敗というのは、もう駄目だと諦めてしまうことだ。つまり今回の件で、君がJS医院さんへの営業活動をやめてしまえば、それは失敗になる」


「そんなつもりはありません!」


「そうだろう。君が営業活動でミスをしたのは事実だ。しかし、それを次に活かして、JS医院さんのお困りごとの解決に今以上に取り組めば、それは失敗とは呼ばないんだ」


「私はミスをしただけで、失敗をしたわけではないのか?」


「そうだよ。君の営業人生は今年始まったばかりだ。どんどんミスをして、成長してくれればいいんだ。その尻拭いをするのが上司である私の責任であり、役割でもあるんだ」


「神坂課長、ありがとうございます」


「俺はな、善久。これまでの営業人生で山ほどミスをしてきた。時には教授の逆鱗に触れて、N市立大学病院への出入りを禁止されたこともある」


「神坂課長がですか?」


「俺は君のように慎重に事を進めることが苦手なタイプだから、そんなことも一度や二度ではないよ。これまで会社に相当の迷惑をかけてきた」


「そんなことは・・・」


「でもな、諦めることだけはしなかった。ミスから必ず教訓を見つけて次に活かすことを考え続けてきた」


「ミスを教訓に・・・」


「その教授のところにも許してもらえるまで通い続けた。結局、3ヶ月間毎日通って、ようやく許されたよ。(笑)」


「3ケ月間、毎日ですか?」


「今になって振り返ってみると、その当時は最悪だと思っていた出来事が、実は自分の成長のスタートラインであり、活力源であったと思えるようになった」


「最悪の出来事が成長のスタートライン?」


善久、決して、諦めるな! 諦めなければ、君の営業人生は必ず輝くはずだ!!」


「神坂課長、ありがとうございます。目が覚めました! 今からもう一度、JS医院の院長先生にお詫びと今後の対策を報告しに行ってきます」


「もう20:00だぞ?」


「あそこは、患者さんで溢れかえっているので、この時間でもまだ診察中なはずです。今からでも院長に会えるかも知れません。いや、会えるまで待ち続けてみます!」


編集後記

過去と自分は変えられない、と言われます。

しかし、視点を変えることで、過去の意味づけを変えることはできます。

が見ても100%善、100%悪というものはあり得ないのではないでしょうか?

常に矢印を自分に向けて、ポジティブな視点で物事を観る習慣を持つことができれば、どんな出来事も必ず自分自身の成長につなげることができるのかも知れません。



1444464165791990

第1075日 「若さ」 と 「老い」 についての一考察

【原文】
身には老少有りて心には老少無し。気には老少有りて理には老少無し。須らく能く老少無きの心を執りて、以て老少無きの理を体すべし。〔『言志耋録』第283条〕


【訳文】
人間の身体には老い(衰え)と若さの別があっても、心には老少は無い。元気には老いと若さの別があっても、天賦の理性には老少は無い。老いとか若さとかということの無い心をもって、老少の無い万古不易の道理というものを体得すべきである。


【所感】
人間の身体には若さと老いという区別はあるが、人間の心には老いも若きもない。同様に、気というものには老いと若さの別があるが、天から生じる理には老いも若きもない。なにごとも、老いも若きもない心を活用して、老いも若きもない道理を実践すべきである、と一斎先生は言います。


昨年(2017年)9月~12月にかけて、首相官邸において人生100年時代構想会議が4度開催されてきました。

いよいよ日本人も平均寿命が100歳を超える時代を迎えるのでしょうか? 

そうだとすると、51歳の小生など、ようやく人生の折り返し地点を過ぎたばかりということになります。

かつて、元東京都知事の尾崎行雄さんは、70歳を超えて「人生の本舞台は常に将来にあり」と言ったそうです。

これからは、60代、70代の人たちが活き活きと働く時代を迎えるのだとすれば、まだまだ、自分自身を「初老」だなどと言って、心に老いを生じ、行動を制限していてはいけませんね。


「サイさん、定年後はどうされるんですか? 会社には残らないって聞いたんですが」 


営業1課の西郷課長と2課の神坂課長、それに総務課の大竹課長の3人でランチをとっている最中のようです。


「そうなんだよ。ちょっとやりたいことがあってね」


「サイさん、60歳起業をするらしいぞ」


「タケさん、相変わらず情報通ですね。だけど、本人が目の前にいるんですから、本人から聞きますよ!」


「そりゃ、そうだな。(笑)」


「実はね、5年くらい前から『論語』を勉強していてね。東京、名古屋、大阪で月に一回程度、『論語』の読書会を開催しているんだよ」


「『論語』ですか?」


「タケさんも、毎回参加してくれているんだよ」


「サイさんのテキストはなかなか凄いんだよ。『論語』の解説本を30冊以上読み込んで、ひとつひとつの章句を多角的に解説してくれるんだ」


「普段の生活や仕事に活かせるものなのですか?」


「もちろん参加者の受け取り方次第だろうけど、俺は公私共にかなり勉強になってるよ」


「タケさん、ありがとう。私はね、孔子という人物は偉大なリーダーだと思っているんだ」


「孔子が偉大なリーダー?」


「だから、『論語』を学ぶとマネジメントの勉強になるし、『論語』はリーダーシップの教科書だとさえ思っているんだ」


「それで、『論語』と起業とはどうつながるのですか?」


「『論語』をマネジメントに取り入れた研修やコンサルティングをやっていくつもりなんだよ」


「ニーズはあるんですか?」


「『論語』には、宇宙の摂理が書かれているんだ。だからこそ、万古不易で二千五百年以上読み継がれてきたのだろうと思う」


「なんか難しくなってきましたね」


「その難しいことを深く、深いことをやさしく、やさしいことを愉快に解釈して現代のビジネス社会に当てはめれば、研修やコンサルティングのニーズは必ずあると確信しているんだよ」


「60歳で引退どころか、老いて益々やる気に満ちていますね」


「ん? 老いているつもりはないんだけどな・・・」


「これは、失礼しました」


「神坂君の毒舌も万古不易で健在だねぇ」


「タケさん、これでも最近、少しは意識してるんですよ!」


「え、本当? それこそ老いじゃないの?」


「前々から思ってたんですけど、タケさんの方が私よりよっぽど毒舌だと思うんですよ。そう思いません、サイさん?」


「うーん、そういうのを『目糞鼻糞を笑う』っていうのかな」


「うひゃ、ふたりとも糞にされちゃいましたよ!」


「一番の毒舌はサイさんだな、こりゃ」


編集後記

ここでは西郷課長が実施していることになっている『論語』の読書会は、実際に小生が毎月、東京、名古屋、大阪で開催しています。

ご興味のある方は、以下のイベントページから参加ボタンを押していただければご参加できます。

事前知識は一切不要ですので、ぜひお気軽にご参加ください。

大阪
第21回大阪潤身読書会

第22回大阪潤身読書会

名古屋
第48回潤身読書会

第49回潤身読書会

東京
第24回東京潤身読書会
プロフィール

れみれみ