一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2018年01月

第1064日 クレーム処理とはお客様の悲しみを取り除くこと

【原文】
訴訟には、既に其の言色に就きて以て其の心を視聴すれば、則ち我れ当に先ず平意公心を以て待つべし。急心なるは不可なり。倦心なるは不可なり。愛憎の心は尤も不可なり。


【訳文】
訴え事を裁くには、その言葉や顔つきによって心の中を観て裁くのであれば、自分はまず平静で公平な気持で対処しなければいけない。いらいらした落ちつかない心持で対処することはよくないし、またいやな心持で対処することもよくない。好き嫌いのある心持は最もよくない。


【所感】
訴え事において、人の言葉と顔つきを観察しながら心を視聴するのであれば、まず自分の気持ちを平静で公平にして対処しなければならない。急ぐ気持ちがあるのはよくないことである。またいやいや対応するのもよろしくない。好き嫌いで対応するのは最もよろしくないことだ、と一斎先生は言います。


本章については、クレーム対応に置き換えて読んでみます。


小生も、前職および現職において、製品クレームあるいは部下である社員さんのミスによるクレームの謝罪のために、お客様を訪問したことは多々あります。


クレームに臨む前の心構えとしては、まさに「冷静かつ公平」を意識してきました。


基本的なスタンスとしては、「お客様のいうことは正しい」と考え、冷静かつ公平にお客様のお話に耳を傾けます。


その際、トラブル解消を急がず、まずは誠意をもって話を聴く姿勢が重要です。


「いや、ちがいます」、「そんなことはありません」といった否定の言葉を使わずに、「おっしゃるとおりですね」といった肯定の言葉で共感を示しながら、徹底的に話に耳を傾けるのです。


もちろん、クレーム対応が嫌だとか面倒だとか、あるいは、あのお客様は苦手だといった意識はもちません。


お客様の怒りというのは、第二感情ですから、あえて怒りを鎮めようとするのではなく、怒りに変わる前の第一感情に寄り添うのです。


たとえば、納品を楽しみにしていた器械が届いて、いざ使ってみたら壊れていたという場合。 


お客様は、ワクワクした気持ちから一転して、「残念だ」・「がっかりした」という気持ちに変わります。


この「残念」・「がっかり」という感情に対して、共感のメッセージを発します。


そして、お客様の気持ちが落ち着いてきたら、今後の対応策をすぐに協議の上、決定するのです。


このステップで対応すれば、ほとんどのクレームは解決できます。


クレーム対応とは、単なる苦情処理ではなく、せっかくご縁ができたお客様の嘆きや悲しみを取り除くことなのです。


適切で的確な対応ができれば、そのお客様との関係はより強固になります。


まさに、雨降って地固まるのです。


クレーム対応から逃げていては、永遠にお客様の信頼を得ることはできません。

第1063日 罪を憎んで人を憎まず

【原文】
「刑罰は世にして軽く世にして重くす」とは、此は是れ呂公経歴の名言なり。時代古今、之を世と謂う。須らく善く活眼を開き以て之を軒輊(けんち)すべし。必ずしも成法に泥まず。


【訳文】
「刑罰は時世によって軽くしたり重くしたりすることがある」とは、周の穆王(ぼくおう)に仕えて刑法を作った呂侯が経験を積んで得た名言である。「世」といったのは、時代とか古今とかいうことである。刑罰を司る者は、よく物事の道理を見通す活きた眼を開いて、刑罰の軽重を定めるべきであって、必ずしも既成の法律に拘泥しなくてもよい。


【所感】
『書経』呂刑篇に「刑罰は世にして軽く世にして重くす」とあるが、これは周の呂侯が経験から得た至言である。時代や今昔を指して世と呼んでいる。総じてよく活きた眼を開いて刑罰の軽重を定めるべきである。必ずしも既成の成文法にこだわり過ぎてはいけない、と一斎先生は言います。


法・規則の適用は柔軟に行うべきであり、決して拘泥してはいけない、という教えです。


まず、はじめに『書経』呂刑篇の該当部分を引用しておきます。


【原文】
上下に罪を比する、辞を僣乱(せんらん)する無かれ。行はれざるを用ふる勿れ、惟(こ)れ惟の法を察し、其れ審かに之を克す。上刑も適(つみ)軽ければ下服し、下刑も適重ければ上服す。諸罰を軽重するは、権有り。刑罰は世によって軽く世によって重し。惟(あるい)は齊(せい)に非齊(ひせい)に、倫有り要有り。罰懲は死(ころ)すに非ざるも、人を病に極す。折獄を佞(たく)みにするに非ずして、惟れ折獄を良くして、中に在ら非(ざ)る罔(な)し。


【訳文】
上下(軽重)に罪を量刑するには、その判決を差(たが)え乱してはならぬ。廃れた(法)を適用するな。法を明察し、細かに調べよ。上(重い)刑に該当するものでもその謫(とが)が軽ければ、それより軽い刑罰にあて、下(軽い)刑に該当するものでもその謫が重ければ、それより重い刑罰にあてる。諸刑罰を軽くしたり重くしたりするには、(情状による)応変がある。(つまり、)刑罰は世の中(の情勢によって)軽くしたり重くしたりする。(ただ、法の条文通りに)あるいは斉一にしたり、または斉一でなかったりするには、倫(すじみち)があり、要を抑えていなければならぬ。懲らしめ罰するのは、(人を)殺す(ことを目的にしている)のではないが、人を困苦におしつめることになる。(だから)巧みな罪のさばきをつけるのではなくて、量刑を(誠意をもって)正しく行って(こそ、)(法の適用は)すべて中正となる。(加藤常賢先生訳)


刑罰を与える目的は、あくまでも罪を反省し心や行動を改めさせることにある、ということです。


夫々の企業内において、社則などのルールを適用する際にも、これを忘れてはいけません。


再起することで、仕事を通して世の中に貢献するチャンスを残した上で、罰を適用すべきでしょう。


つまり、罪を憎んでも人を憎まないという心掛けをもつことが、リーダーにとって大切なことなのです。


本章では、さらに法の適用においては時代性をよく考慮すべきだとしています。


法や規則が誕生したときと現在とでは、ものの考え方も変わっているはずです。


特に、若い社員さんの仕事に関する考え方は、我々50代の人間とは大きく異なっていて当然です。


この考え方の違いや育ってきた環境の違いをよく考慮した上で、若い社員さんを育成していかなければなりません。


もちろん、処罰を与えるな、ということではありません。


正しく叱ることは、いかなる時代であろうとも必要なことでしょう。


若い社員さんは自分たちとは異質の考え方を持っている、ということを前提にして、最善の対応を図ることが重要だということです。

第1062日 私情を挟まない人物鑑定法

【原文】
心事は必ず面相と言語とに見(あら)わる。人の邪正を知らんと欲せば、当に先ず瞑目して其の言語を聴き、然る後に目を開きて後に目を開きて其の面相を観、両(ふたつ)ながら相比照し、以て其の心事を察すべし。是の如くなるならば、則ち愛憎の偏無きに庶(ちか)からん。


【訳文】
心に思っている事は、必ずその人の顔つきと言葉に表われるものである。それで、人が正しいか邪(よこしま)かを知ろうとするならば、まず目を閉じてその人の言葉を静かに聴きとり、それから目を開いてその人の顔つきを観て、両方を比較対照して、その人の心に思っている事を知るべきである。このようにして、人の心事を観察したならば、愛するとか憎むとかという偏った感情にとらわれることが無いであろう。


【所感】
人が心に思うことは必ず表情と言葉に表れる。その人が正しいか邪(よこしま)かを知ろうと思うならば、まず目を瞑って言葉を聴き、その後で目を開いて相手の表情を観察し、言葉と表情の両面を比較して心のうちを察するべきである。このようにすれば、愛憎の念から離れて客観的な判断が可能となるであろう、と一斎先生は言います。


人の善悪を判断する具体的な方法が示されています。


面白いと感じたのは、まず先に言葉を聴けという点です。


目を瞑ることで、相手の本心から出る微妙な音を心で聴くことができます。


言葉尻や抑揚など、その人の日頃の話し方がわかっていれば、さらに正しい判断を下せるでしょう。


その後、目を開いて相手の表情を観察することで、視線や口元の微妙な動きを把握することができます。


こうすることで、私情を挟まずに判断が下せるのだと一斎先生は言っています。


ところで、小生は過去に2度、部下である社員さんの不正を見抜くことができなかったという経験を有しています。


このふたりの共通点は、仕事が非常にできる優秀な社員さんだったという点です。


そこに、私の偏見が生れてしまい、不正を見抜くのに時間が掛かってしまったのでしょう。


客観的に人を判断するというのはとても難しいことですが、本章のアドバイスも参考にしながら、自らを鍛錬していくしかありません。

第1061日 行為は「智」で弁え、心情は「仁」で察する

【原文】
訴を聴くには、明白を要し又不明白を要す。明白を要するは難きに以て卻って易く、不明白を要するは易きに似て卻って難し。之を総ぶるに仁智兼ね至るを以て最緊要と為す。


【訳文】
訴え事を裁くには、はっきりしていることが大切であるし、また、はっきりしていないことも大切である。明白にすることは難しいようであるが、反って易しく、明白で無いことは易しいようであるが反って難しいものである。要するに、仁と智とを兼ね備えていることが最も肝要なことである。


【所感】
訴え事を裁くには、はっきりさせることが重要な場合もあれば、あえてはっきりさせないことが必要な場合もある。物事をはっきりさせることは、実は難しいようで簡単であり、逆にはっきりさせないことは、容易なようで実は極めて難しい。これをまとめると、仁と智とを兼ね備えることが最も重要だということになる、と一斎先生は言います。


ひじょうに日本人的な考え方ではないでしょうか。


いわゆる白黒をはっきりつけるだけがすべてではなく、ときにはあえてグレーな結論に留めるということです。


ここでは、行為の裏にある心情を察するということを考えてみます。


行為と心情の組み合わせには以下の4つがあります。 


① 善を為そうとして善を為す 
② 善を為そうとして悪を為す
③ 悪を為そうとして善をなす
④ 悪を為そうとして悪を為す 


行為という結果に焦点をあてれば、①と④については明確に白黒をつけておくべきです。


ただし、②と③については心情と行為が逆になっているケースですので、慎重な対応が必要です。


まちがっても、①と③、②と④に対して同じ評価を与えてはいけません。


②と③のようなケースでは、行為ではなく心情に焦点を当てつつ、行為に判断を下すとよいでしょう。


つまり、②のケースでは結果に対して叱責をしつつも、心情に対してフォローを入れ、次回のやり方を検討するように激励するべきです。


また、③のケースでは結果を評価しつつも、心情についてしっかりと釘を刺しておくべきです。


いずれにしても一斎先生の言うように、リーダーとして人の上に立つ人は、白黒をはっきりと確定する「智」と心情を察する「仁」とを巧みに使い分けることを心掛けねばなりません。

第1060日 仁に過ぎれば弱くなる

【原文】
訴を聴くの道は、仁以て体と為し、荘以て之に涖(のぞ)み、智以て之を察す。先ず其の言を聞きて情偽を攷(かんが)え、次に顔色を観て真贋を弁じ、或いは寛、或いは厳、以て之を抑揚し、然る後、義以て之を断じ、勇以て之を行なう。大抵是(かく)の如きのみ。


【訳文】
訴え事を裁判するには、仁慈を主とし、慎重な態度で臨み、智慧をはたらかせてよく事件を調べ、まず第一に、その訴えを聞いて誠か嘘かを考察し、それから次に、その顔色を観て、真か偽かを判別し、ある場合には寛大な態度で接し、ある時には厳しい態度をとって、抑えたり揚げたりして、しかる後に正しい道理に従って判定を下し、勇気をもって(思い切って)裁くこととする。大体このようにすれば間違いはない。


【所感】
訴訟を裁く道とは、仁の心を根幹とし、荘厳な態度で臨み、智力を発揮してよく調べ上げることにある。まず言葉を聞いて真情や虚偽を考察し、次に顔色を観て真実か嘘かを弁え、ある時は寛大に、あるときは厳しく褒めたり叱責して、その後で道理に沿って判断し、勇気をもって採決を下すのである。大体このようなやり方になるだろう、と一斎先生は言います


物事の決断を下すリーダーは、仁・荘・智・義・勇といった徳を発揮せよ、という一斎先生のメッセージです。


ここで小生が着目したのは、仁に過ぎて馴れ合いにならないようにと、「荘」を持ち出して楔を打ち込んでいるところです。


基本的な心の軸は仁におきながらも、適宜厳しさをもって接することの必要性が説かれています。


以前にも紹介した、伊達政宗五常訓の中に、


仁に過ぎれば弱くなる。


とあります。


優しさだけでは人は心を開きません。


私欲を捨ててもなお、本当にその人のため、あるいは組織のためになると信じることであれば、厳しい処罰を与えることを決断し、断固としてそれを実行すべきなのです。


『三国志』に泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」という有名な故事があります。


蜀の軍師諸葛孔明は、日頃から目をかけ重用していた馬謖という部下が兵法のセオリーに拘りすぎて魏軍に大敗した際、組織の結束のために泣きながら馬謖を断罪にした、という故事です。


企業においても、重用している部下が期待を裏切るというケースがあるでしょう。


その際は、組織のルールに則って、適正な処分を与えなければなりません。


ただし、断罪にしてしまっては取り返しがつきませんので、必ず再度チャンスを与える余地を残しておくべきでしょう。


様々なハラスメントが叫ばれる現代企業において、これを実践することは極めて難儀ではありますが、リーダーは決して諦めて、部下に迎合するようなことがあってはいけないのです!

第1059日 儒学の三徳

【原文】
智仁勇は人皆謂う、「大徳にして企て難し」と。然れども凡そ邑宰たる者は、固より親民の職たり。其の奸慝(かんとく)を察し、孤寡を矜(あわれ)み、強梗(きょうこう)を折(くじ)く。即ち是れ三徳の実事なり。宜しく能く実迹(じっせき)に就きて以て之を試むべし。可なり。


【訳文】
智・仁・勇について、みな人は、「大きな徳であるから、実際にこれを行なうことは困難である」という。しかしながら大体、一村を司る長たる者は、村民に親しむ(村民をよく治める)のが職務である。悪事を明かににし(智)、孤児ややもめや老幼を憐み(仁)、強暴な者をこらしめる(勇)、これらが即ち三徳の実際に行なわれるべきことである。このように、日常実際の事柄について試みていくことがよい。


【所感】
智・仁・勇について人は、「大きな徳であるから、実行するのは難しい」と言う。しかし、ひとつの組織を統治する者は、本来、民(組織のメンバー)に親しむことが仕事である。邪悪なものを見極め、孤児や寡婦に情けをかけ、力づくで反抗する者を倒す。これらがすなわち三徳の実際の事柄である。よく実際の活動においてこれら三徳を試すべきであり、それで良いのである、と一斎先生は言います。


四書のひとつ『中庸』には、


智仁勇の三者は天下の達徳なり。  


とあります。


そこで一般に、智・仁・勇を「儒学の三徳」 と呼びます。


小生のような凡人にとって、この三つの徳を修めることはたしかに困難なことではあります。


しかし、一斎先生は、そうやって遠ざけてしまうのではなく、まずは卑近なところから実践しなさい、と教えてくれます。


具体的には、 


智 = 悪事をあばくこと 

仁 = 弱者を守ること 

勇 = 強者に立ち向かうこと 


だとしています。


リーダーである皆さんも、これを仕事にあてはめてみてはいかがでしょうか? 


たとえば、


智 = 悪事には手を染めず

仁 = 仲間を守り

勇 = 強大なライバルに立ち向かう 


といった感じでしょうか。


ちなみに孔子は、『論語』のなかでこう言っています。 


【原文】
子曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず。(子罕第九)


【訳文】
先師が言われた。
「知者は物事の道理を弁えているので迷わない。仁者は私欲をすてて天理のままに生きようとするので、心に悩みがない。勇者は意志が強いので何事もおそれない」(伊與田覺先生訳)


リーダーの立場にある人は、この三徳を身につけることに精進すると共に、自分の傾向を把握し、配下に知者・仁者・勇者をバランスよく配置することにも心を配る必要があるでしょう。

第1058日 2つの近道

【原文】
遠方に歩を試みる者、往往正路を舎てて捷径に趍(おもむ)き、或いは繆りて林莽(りんもう)に入る。嗤う可きなり。人事多く此れに類す。特に之を記す。


【訳文】
遠方に徒歩で行こうとする人は、時折り正しい道路を通らずに近道を行き、どうかすると誤って草木の深く茂った所に入りこむことがある。誠に笑うべきことである。人間社会における事柄にも、これに似たものが多い。それで、特にこのことを書き記しておく。


【所感】
遠くまで歩いて行く人は、しばしば正しい道を通らずに近道をして、かえって誤って林や草むらに入り込むことがある。笑うべき話である。しかし、人間のやることの多くはこれと似ているので、ここに特記しておく、と一斎先生は言います。


近道をしたいというのは、人間のもつ怠惰性のひとつです。


小生は、読書好きなので、週に1~2回は書店に行くのですが、店頭に飾られている本の多くが、『○○分で××ができるようになる方法』といった近道本です。


しかし、昔から言われ続けているように、事を為すのに近道はありません。


近道を探す暇があったら、その時間を鍛錬に当てるべきなのです。


これは、


近道 = 楽をする


という考え方がベースにあって、いわゆる私欲を満たす考え方です。



ところで、


近道 = 効率的 


と捉えると、必ずしも近道が悪いばかりではありません。


人類の発展は、効率の追求、すなわち近道探索の歴史とみることもできます。


これは、公欲を満たす考え方がベースにあるといえるでしょう。


リーダーは、メンバーのために「効率」という名の近道を探すべきですが、「楽をする」という名の近道に足を踏み入れてはいけません。

第1057日 わが道を行け

【原文】
凡そ仕途に在る者は多く競躁の念有り。蓋し此の念有る時は必ず晋(すす)む能わず。此の念を忘るるに至れば、則ち忽然として一転す。事物の理皆然り。


【訳文】
およそ、官職にある者は、たいてい競いあせる心を持っている。思うに、このような心持がある時には、必ず昇進することもない。この競いあせる心を忘れるようになれば、たちまちがらりと変わってくる。(一転して昇進ということになる)。物事の道理は皆このようなものである。


【所感】
一般に仕事をしていると多くの者が競い合って心を乱すようになる。私が思うに、そういう気持ちがあるときは良い方向には進まない。そうした気持ちを忘れ去ることができれば、状況は急激に好転するものである。物事の道理とはそういうものである、と一斎先生は言います。


人間の心は弱いものですので、ライバルの存在があるかないかで、仕事やスポーツあるいは学問の成績が変ってくるという一面があることは否めません。


しかし、本当に大きな成果を生む人というのは、他人と比べて一喜一憂しないのかもしれません。


西郷南洲翁の有名な言葉があります。


人を相手にせず、天を相手にすべし。
天を相手にして、己れを盡し、人を咎めず、我が誠の足らざる所を尋ぬ可し。


周囲の人間と比較するような狭い了見で仕事をするのをやめて、どうせなら天を相手にし、自分の力を尽くそう。


そして、なにがあろうと他人のせいにせず、自分の誠が足らなかったのだと矢印を自分に向けよ。


痛烈なメッセージです。


西郷さんに限らず、維新の志士達の多くが、こうした考え方でただ祖国を守り、発展させることに力を注いだからこそ、維新という奇跡が達成されたのでしょう。


仕事をしていると、ついつい了見が狭くなり、人に後れを取ることに焦りを感じてしまうのが凡人ではありますが、そんなときこそ、一斎先生や西郷さんの言葉を思い出して、我が誠を尽くすことに専念し、2018年を幸せな一年にしようではありませんか!!

第1056日 リーダーは孤独

【原文】
官署に在りては言の家事に及ぶことを戒む。家に在りては則ち一に官事を洩すこと勿れ。公私の弁は仕うる者の大戒なり。


【訳文】
役所においては、自分の家の事などをしゃべるようなことがあってはいけない。自分の家においては、役所のことなどを少しでも知らせるようなことがあってはいけない。公私の区別は役所に務める者が守らなければならない大きな戒めである。


【所感】
職場においては家のことを無闇に話すことを慎む。家に居るときは職場でのことを無闇に話さない。公私をしっかりと弁えることが、仕事をする上において非常に重要なことである、と一斎先生は言います。


一斎先生のことばは官署つまり役所としていますが、小生の意訳では、解釈を広くして職場全般を対象としてみました。


政治家や国の重要な職務に携わる人は当然ですが、サラリーマンであっても、株式会社に勤めているのであれば、思わぬ発言がインサイダー情報となるリスクがあります。


家庭内でふと漏らした情報を、事の重大さを理解せぬままに、妻や子供が外で話をするようなことがあれば、時には大きな問題を引き起こしかねません。


ましてや、友人・知人に気を許して極秘情報を洩らしてしまうようでは問題外です。


サードプレイスをもつことのメリットについてはたびたび記載してきましたが、こうしたリスクも秘めていることを理解しておくべきでしょう。


また、家庭内のいざこざを仕事に持ち込んで、部下の社員さんに当たり散らすようなリーダーも問題です。


家の事は家庭内で解決し、職場での事は職場で解決すべきです。


そう考えると、重責を担うリーダーほど孤独なのだということが身に染みて理解できますね。

第1055日 私欲より公欲を優先しよう

【原文】
功利の二字は、固より不好の字面に非ず。民の利する所に因って之を利すれば、則ち虞廷(てい)も亦功を以て禹を称せり。但だ謀と計とを以て病と為すのみ。学者之を審(つまびらか)にせよ。


【訳文】
功と利の二字は元来好ましくない字づらではない。人のためになることに利するならば、聖王舜の朝廷においても、治水による功績で禹を称讃したほどである。(世のため人のためにするならよいが)ただ自分の功利のためにするたくらみごとは弊害をもたらすだけである。学問に志す者はこの点を十分心得るべきである。


【所感】
「功利」の二文字は、もとより好ましくない文字だというわけではない。人々を益するように利を与えるならば、舜帝が治水の功績で禹を称賛したように、好ましいことである。問題なのは謀略や計略を立てて自分を利することである。学問をする者はこの点を明らかにすべきである、と一斎先生は言います。


小生がこのブログの中で幾度か繰り返してきた、


私欲より公欲を優先しよう 


という教えだと理解して良いでしょう。


人間は無欲にはなれないものです。


無理に欲を抑えようとすれば、かえってどこかに反動が出るのが凡人の性です。


私欲を抑えようとするのではなく、それをはるかに上回る公欲、つまり世の為人の為となる事に力を尽くせば良いのです。


つまり世の中を利するのです。


功利を追求しない世捨て人では、現代は生きられないことも理解しておく必要があるでしょう。
プロフィール

れみれみ