一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2018年02月

第1112日 「率先」 と 「伴走」 についての一考察

【原文】
老人は養生に托して以て放肆(ほうし)なること勿れ。養生に托して以て奢侈なること勿れ。養生に托して貪冒(とんぼう)なること勿れ。書して以て自ら警む。〔『言志耋録』第320条〕


【訳文】
老人は養生を口実にして、わがままになったり、贅沢になったり、欲ばったりするようなことがあってはいけない。このことを書いて自分の戒めとする。


【所感】
年齢を重ねた人は、養生にかこつけてわがままになってはいけない。養生にかけつけて贅沢になってもいけない。養生にかこつけて貪欲になってもいけない。ここに記して自分の戒めとする、と一斎先生は言います。


今日は、営業1課の西郷課長が後任の新美さんと業務引継ぎの打合せをしているようです。


「課長、正直に言いまして、しっかりと営業1課をまとめ切れるのか不安で仕方がありません」


「それは当然だろう。逆に何の不安もないと言われたら、私が不安になってしまうよ」


「とくに、先輩であり、ウチのエースでもある清水さんとうまくやれるかどうかが心配なんです」


「彼には私からもよく話をしておくよ。彼の営業力が会社でナンバー1なのは、誰もが認めるところだし、それを否定する必要はないからね」


「もちろんです。尊敬する先輩です」


「そうだね。役職上位者というのは、会社の様々な都合によってその位置についているだけで、決して部下よりも偉いということではないんだ」


「はい。肝に銘じておきます」


「ちょっと厳しいことを言うけど、お客様への配慮や販売のスキルに関していえば、新美君は清水君には及ばない。それは社内でも共通の認識だよ」


「それは自分でも理解しています。だからこそ、なぜ私なのか、と驚いたのです」


「ただ、それを言うなら、私だって清水君には敵わないよ」


「・・・」


「清水君は社内への配慮にぞんざいなところがある。我々はチームセリングをしなければいけない。そのためには、まずチームをまとめる必要がある」


「はい、西郷課長のマネジメントにはいつも感動させられてきました」


「ありがとう。私のやり方を真似する必要はないが、マネジャーはメンバー各々に対して、仕事を通して『自己実現』できるような組織づくりをしなければならないんだ


『自己実現』ですか?」


「うん。『マネジメント』という言葉の生みの親でもある、ピーター・ドラッカー博士がそう言ってるんだ」


「働きやすい環境を整えるというだけではダメなんですね?」


「さすがだね。もちろん環境整備は必要だよ。しかし、それに加えて、メンバー個々の特性を把握して、それに適した責任ある仕事を与え、しっかりとフィードバックしていくことが必要なんだよ」


「そこまでやらなければいけないんですか・・・」


「今の時点で、それを任せることができのは、新美君だと会社は判断したんだよ」


「身が引き締まる思いがします」


「メンバーと一緒に成長すればいいんだよ。上からの目線ではなく、水平な目線でね」


「はい。最後にずっと心に刻んでおくべき言葉があれば、教えていただけないでしょうか?」


「そうだなぁ。『論語』の中で、孔子が常に心掛けていたこととして、『意なく、必なく、固なく、我なし』という言葉があるんだ。」


「どういう意味ですか?」


「孔子はね、自分のやり方を押し付けること、必ずこうしようと決めてしまうこと、ひとつのことにこだわり過ぎること、我がままを言うこと、という4つのことを絶とうと常に意識していたんだ。リーダーとして、意識しておくべき言葉だと思うよ」


「ありがとうございます」


「ちなみに、佐藤一斎先生は、『我がまま・贅沢・貪欲の3点を意識すると良いと言っているようだよ」


「併せて心に刻んでおきます」


「もちろんこれは佐藤さんの受け売りだけどね。この言葉は老人が養生する際に気をつけることとして記載されているらしいんだけど、そのままリーダーシップにも応用できるね、と話しをしたことがあるんだ」


「とにかく、1課の皆さんが自己実現できるチームづくりを意識しながら、皆で一緒に成長していきます!」


「頼んだよ!」


ひとりごと 

リーダー職につくと、どうしても自分が偉くなったと思い違いをしてしまいがちです。

実際には、決してそうではなく、会社の様々な状況が勘案されて昇格が決まります。

人間的に優れているとか、能力的に優れているといった一面だけで決まるわけではないはずです。

これからのリーダーに求められるのは、「俺について来い!といった統率型のリーダーシップではなく、メンバーと一緒に伴走するような奉仕型・サーバント型のリーダーシップだと言われます。

時代と共に、マネジメントもリーダーシップも変えていく必要があるのです。


出典:福岡大学コラム
https://www.fukuoka-u.ac.jp/column_list/research10/15/05/26000001.html
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第1111日 「苦難」 と 「成長」 についての一考察

【原文】
老人の養生を忘れざるは固より可なり。然れども已甚(はなはだ)しきに至れば、則ち人欲を免れず。労す可きには則ち労し、苦しむ可きには則ち苦しみ、一息尚お存せば人道を愆(あやま)ること勿れ。乃ち是れ人の天に事えるの道にして、天の人を助くるの理なり。養生の正路は蓋し此に在り。〔『言志耋録』第319条〕


【訳文】
老人が養生を忘れないということはもちろん結構なことである。しかしながら、それがあまり度を過ぎると、私欲を免れることはできない(私欲となる)。苦労すべき時には苦労して、たとえ一息でもある間は、人道をふみ過まるようなことがあってはいけない。このことが、人間が天につかえる道であり、天が人間を助ける道理であって、人間の養生の正しい路(みち)というものは、ここに存するものといえる。


【所感】
老人が養生することを忘れないのは良いことである。しかし、あまり過度に養生することになると、かえって私欲を免れなくなる。骨を折るべきときには骨を折って働き、苦しむべきときは素直に苦しみ、息が続く間は人の道を踏み外さないようにすべきである。これこそが人間が天に仕える道であって、天が人間を助ける道理である。養生における正しい道は、ここにあるものだと思う、と一斎先生は言います。


今日の神坂課長は、相原会長と一緒に夜の競艇場へやってきたようです。


「やぁ、神坂君。はじめて競艇場に来たけど、意外と綺麗だね」


「競艇場もかなり変わってきましたね。なにしろ、最近じゃ『競艇』と呼ばずに『ボートレース』って呼ぶみたいですから」


「なんでも横文字にするのもどうかと思うけどなぁ」


「それは同感です」


「そうは言っても、やはり女性は少ないね」


「ははは、その辺は競馬との違いじゃないですか。やっぱり競艇はギャンブル色が強いですからね」


「よし。さっそく、馬券を買おうか」


「会長、競艇の場合は、馬券じゃなくて『舟券(ふなけん)』と言うんですよ」


「あ、なるほど。じゃあ、さっそく舟券を買ってみようか」


「競艇の場合は、インコースを回ることができる1号艇が圧倒的に有利です。それでも、スタートのタイミングやモーターのパワー次第では、外枠の舟が逆転することもあります。その場合は穴になります」


「よし、では穴党の僕としては、1号艇を外して買うといいかな?」


「穴を狙うにも考え方はいろいろあります。あえて1号艇を切らなくても、2着固定にして買うという手もありますし。1号艇と外の4・5・6号艇あたりを絡めても高配当になることがあります」


「なるほど。これはこれで面白いな」


結局、二人とも穴狙いが見事にハズレて惨敗だったようで、そのまま競艇場近くの一杯飲み屋に入ったようです。


「今日は散々だったたけど、競艇は競馬とは違う楽しみ方ができるね」


「今日はちょっと堅いレースが多過ぎましたね。また、来ましょう」


「そうだね、また連れて来てよ。おーい、芋焼酎お湯割で!」


「いきなり焼酎ですか。会長もかなりお体には気を使われているんですね」


「もう21:00だろ。この時間から強い酒を飲むと、翌日は大変なことになるからね」


「でも、以前にくらべればストレスは少ないんじゃないですか?」


そうなんだけど、あまり生活が弛みすぎても良くないと思ってるんだよ。それで時々、神坂君らにお願いをしてお客様のところに伺うようにしているんだ」


「そうだったんですね。会長は今でもクレーム対応の際に、率先して動いて頂けるんでとても感謝しているんです」


「一番緊張感があるのが、クレーム対応でしょう。お客様のお気持ちを察して、どうやったらお客様に安心してもらえるかと頭をフル回転させるからね。疲れるけど、なにか気持ちがシャキッとするんだよな」


「あえて、そういう場面に身を置くことで、自らを律しているんですね。尊敬します」


「ははは、少しは見直したかい?」


「ええ、少しだけですけど」


「相変わらず素直じゃないねぇ」


「いえ、むしろ素直な気持ちをそのままお伝えしてるだけですよ」


「ははは」


相原会長を自宅に送り届けた後、神坂課長はタクシーの後部座席でひとり考え事をしていたようです。


「楽な方に流されるのではなく、あの歳になっても、あえて厳しい環境に身を置こうとする相原会長はすごいな」


神坂課長はおもむろにスマートフォンを取り出して、何かを調べています。


「あ、やっぱりあった。『生きているうちは、あえて厳しい環境に身をおくことも養生にとっては大切だ。それこそが人の踏むべき正しい道であり、そういう人間に天は力を貸してくれるのだ』


神坂課長は、スマホで『言四録』の言葉を探していたようです。


「なるほどな。だから会長はあれほど高い位置まで上り詰めたんだな」


ひとりごと 

損の道と得の道があるならば、損の道を行け。

これは、小生が師事する方から教えられた言葉です。

人間だれしも楽な道や得をする道を選びたくなるものですが、そこから学べることは少なく成長もできないでしょう。

チャレンジする気持ちを失ったとき、もうその人の精神は死んでしまったも同然なのです。

誰も引き受けない仕事があるなら、それを喜んで引き受ける人になりましょう。



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第1110日 「叱る」 と 「誉める」 についての一考察

【原文】
凡そ事は度を過す可からず。人道固より然り。即ち此(これ)も亦養生なり。〔『言志耋録』第318条〕


【訳文】
総て何事においても、節度を守って度を過すことがあってはいけない。人間が行なうべき道についてもそれと同じである。このことも、養生なのである。


【所感】総じてなにごとも節度を守って度を超すことを戒めるべきである。人間の言動も当然同じである。これもまた養生のコツなのである、と一斎先生は言います。


今日の午前中に、課長職以上のメンバーを集めて、ハラスメント研修が開催されました。


研修終了後、西村総務部長、佐藤営業部長、大竹総務課長、鈴木人事課長、西郷営業1課課長、神坂2課課長、大累特販課課長、新美次期課長の8名で昼食を食べているようです。


「とてもわかりやすい研修で参考になりましたね」
鈴木課長がメモを見ながら感想を述べています。


「時代の移り変わりの話は『なるほどな』と思ったよ」
と西村部長。


「1990年代はCF(Customer First:顧客第一)の時代、2000年代はCS(Customer Satisfaction:顧客満足)の時代、2010年代はCS(Customer Delight:顧客感動)の時代ってやつですね」
と大竹課長。


「そして2020年代は、CR(Customer Reliance:顧客信頼)の時代となる。しかも、その信頼はお客様だけでなく、社員同士においても必要不可欠になる、ということだったな」
と西村部長。


「しかし、驚きましたね。10人に1人はLGBTだっていうんですから」と大累課長。


「みんな頷いてたから聞きづらかったんですけど、Lはレズ、Gはゲイ、Bはバイセクシャルというのはわかるんですけど、Tって何なの?」
神坂課長が首をかしげています。


「Tはトランスジェンダー、つまり性の不一致ですよ」
大累課長が答えます。


「なるほど。そんなことにまで気を使わなきゃいけない時代になったのか。無暗に『男のクセに』なんて言えないわけだ」


「そうだよ、それを言ったら、セクハラにも該当するぞ」と鈴木課長。


「そうなの? お尻をさわるのだけがセクハラじゃないのか!」
神坂課長が大声を出して、周囲の顰蹙をかっています。


「ははは。しかし、今日の話のポイントは、まったく叱らないということでは会社の為にならない、というところだろうな」
西村部長が食後のコーヒーを注文しながら、つぶやきます。


「パラハラ = 叱責 + 嫌がらせ 、だと先生は言っていましたね」


「新美君、そうなんだよ。相手の人間性を否定するような発言は避けなければならないということだ。な、神坂君」


「西村さん! なんでそこで私に声をかけるんですか?」


「え、だって君と僕は同類だろう?」


「一緒にしないでくださいよ! たしかに心当たりは多分にありますが・・・」


「『行為を叱って、人格を誉める』というのは説得力がありましたね」と西郷課長。


「要するに、正しい叱り方を心掛けることが大事であって、部下に無関心になるというのは、最もやってはいけないことだよな」


「西村部長の言うとおりでしょうね。叱らないということは、相手の成長機会を奪うことでもある、という言葉は印象に残っています」と鈴木課長。


「そして、そうなると、かえって有能な人材が流出してしまう、とも言っていましたね」
大累課長もうなづいています。


「しかし、説教は90秒以内というのは参ったな。そんな短い時間で叱るというのは相当難しいよなぁ」
神坂課長は困惑顔です。


「たしかにそうですね。神坂さんの場合は、長いと9分どころか、90分くらい説教しているときがありますよね!」とニコニコしながら大累課長。


「やかましいわ! だいたいお前はな・・・」


「はい、90秒経過です!」


「まだ経ってないわ!」


「まあまあ。神坂君と大累君もなかなかの名コンビだよね。さあそろそろ戻らないといけないから、佐藤さんに締めてもらおうかね」
西村部長が佐藤部長に発言を求めたようです。


「一斎先生はこんなことを言っています。『何事も度を超さないことを心掛けるべきだ。人間同士のことについては、特に気をつけるべきであり、それが養生にもなるのだ』と。


「なるほどね。コミュニケーションの基本は言葉にあるから、まずは言葉を変えていくべきだろうな」と西村部長。


「ええ、講師の先生が最後に言っていた、男性にはSOS話法、女性にはAUTO話法というのは参考になりましたね」
佐藤部長も頷いています。


「ああ。男性には『さすが、おしえて、すごいといった言葉を使う。女性には『ありがとう、うれしい、たすかる、おかげで』といった言葉を使う、ってやつですね」
神坂課長が自慢げに発言しました。


「さすが!」
残りの7名の声が揃いました。


「なんか、皆さんのSOSに嘘くさいものを感じるのは私だけですかね・・・」


ひとりごと 

ひと昔前に比べれば、昨今はリーダー諸氏にとって、とても難しい時代になったと言えるでしょう。

「〇〇ハラスメント」という言葉が横行する時代ですので、メンバーに対してより慎重な対応が求められます。

しかし、だからといって、メンバーに対して、誉めるだけで叱らなければ、かえってメンバーの成長の機会を奪ってしまうのです。

では、どうすればよいのか?

むしろ、こういう時代だからこそ、今まで以上にメンバーに関心をもち、可能な範囲でプライベートまで把握して、メンバー各々に対して、カスタムメイドの対応をしていくべきではないのでしょうか。



厚生労働書サイト あかるい職場応援団より
https://www.no-pawahara.mhlw.go.jp/

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第1109日 「私欲」 と 「公欲」 についての一考察

【原文】
養生、私に出ずれば、則ち養飜(ひるがえ)って害を招き、公に出ずれば、則ち着実に養を成す。公私の差は毫髪(ごうはつ)に在り。〔『言志耋録』第317条〕


【訳文】
養生というものが、ただ身を思う私心から出るならば、かえって害を招くことになる。養生が世のため人のためにという公共心から出るならば、その養生は真の養生となり得る。この公心と私心との相違は、ほんのわずかであるからよく注意すべきである。


【所感】
養生というものは、私欲から生じたものであれば、かえって害を被ることになり、公欲から生じたものであれば、間違いなく養生となる。この公私の差というものは、髪の毛一本程のわずかな差にすぎないもであるから、よく注意しなければならない、と一斎先生は言います。


今日の神坂課長は、同じ営業2課の本田さん、石崎君と3人でランチを食べているようです。


「ごちそうさまでした」


「おい、石崎。まだ、残ってるじゃないか?」


「いや、食べ過ぎは良くないですからね。ダイエットですよ」


「残すんだったら、最初から少なめに注文すればいいじゃないか?」


「そうかもしれませんけど、お金を払ってるんだからいいじゃないですか」


「そういう考え方は良くないぞ、石崎!」
本田さんが横から口を挟みます。


「どうしたんですか、本田さん」


「いやな、この前ラジオで聞いたんだよ。日本は大量の食糧を廃棄しているってな」


「へぇ、本田君。その話、詳しく教えてくれよ」


「はい、課長。先日、私が愛聴しているFMコミュニティ・ラジオのパーソナリティが話をしていたんですけどね」


本田さんが語り始めました。


「日本は世界で一番食べ物を廃棄している国らしいんです。びっくりしたんですけど、国民1人1日あたりの食品ロス量は、約茶椀一杯分のご飯の量に相当するんだそうです。要するに、毎日1億杯以上のご飯が捨てられているってことですよね」


「そんなに多いんですか?」
石崎君も驚いています。


「しかも、すべてまだ食べられる物が捨てられているんだそうです。その量は、世界全体の食糧援助量の約2倍にあたる量だって言うんです」


「何をやってるんだ日本人は!」


「課長、私たちも日本人ですけど・・・」
石崎君が細かいツッコミを入れています。


「ああ、そうだったな。ということは、日本人が捨てている食糧を節約すれば、世界中で食糧難に苦しんでいる人たちを救うことができるってことだろう」


「そうですよね。私はそれを聴いてからは、とにかく食べ残しはもちろん、お袋にも無駄な買い物をしないようにお願いしているんです」


「素晴らしいじゃないか。しかし、日本って国はいつからそんなに贅沢な国になってしまったんだろうね」


「かつては、質素倹約が日本人の美徳だったはずですよね」


「考えて見れば俺自身も、自分さえ良ければ他人は関係ないという考え方になっていたのかもしれないな」


「本当に考えさせられました」


「まったくだな。おい、そういうことだから、石崎。残してないで全部食えよ。あれ?」


「なんの話ですか?」


「お前、さっきおかずとご飯残してただろう」


「課長、何の話ですか? 私がそんなもったいないことするわけないじゃないですか!」


「お前、調子良すぎするぞ!」 


その日の夜のこと。オフィスで神坂課長は、佐藤部長と帰り支度をしながら話をしているようです。


「本田君からそんな話を聞きましてね。今日は一日ずっと、自分に何ができるのかを考えながら仕事をしていましたよ」


「なるほどね。みんなが私欲を満たすことに夢中になってしまっているんだね


「そうですね」


「私は常々、人間は無欲にはなれないと思っているんだ。しかし、だからといって私欲を満たすことばかり考えていては世の中は成り立たない」


「しかし、今の日本は私を含めてそんな輩の集まりになってしまっているのかも知れません」


「だからこそ、私欲を抑える公欲を持たなければいけないと思うんだよ」


「公欲ですか?」


「自分のためより、他人のため、世の中のためになることを考えるということだよ」


「見えない誰かに譲る精神ですね」


「うん。一斎先生もね、『つねに自分のためでなく、世の中のためを考えることが、自らの養生にもなる』と言ってるんだよ」


「ほぉ」


「ただし、私欲と公欲の差はほんのわずかでしかないので、慎重に行動すべきだとも言っているよ」


「最終的には、何も意識しなくても常に公欲を満たす行動ができるようになりたいですね」


「素晴らしい考え方だね。そうなるためには、お互いにより一層の修養が必要だよ」


ひとりごと 

政府広報オンラインによりますと、日本国内における年間の食品廃棄量は、食料消費全体の3割にあたる約2,800万トン。このうち、売れ残りや期限を超えた食品、食べ残しなど、本来食べられたはずの、いわゆる「食品ロス」は約632万トンとされています。これは、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食料援助量(平成26年で年間約320万トン)を大きく上回る量なのだそうです。

一方で、日本の食料自給率は現在39%(平成27年度)で、大半を輸入に頼っています。それでいて、食べられる食料を大量に捨てているという事実には考えさせられますね。

小生が師事する中村信仁さんと一緒にお食事したときのことですが、中村さんは、お刺し身につける醤油でさえも入れすぎないように意識をされていました。

食品ロス年間632万トンと聞けば、膨大な量に感じますが、我々1人ひとりが、毎日ご飯1杯分の食品ロスを出さないように努力をすれば、かなりのロスを抑えることができます。

すべては一人ひとりの心がけから始まるのです!


政府広報オンラインより
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第1108日 「健康」 と 「孝行」 についての一考察

【原文】
余、今年(辛亥)耋齢(てつれい)にして老の極、肚裏(とり)の夙痾(しゅくあ)も亦同じく衰う。因って思う、「今に於いて宜しく外感を虞(うれ)うべし」と。乃ち日に薬を服して預防し、又益々飲食を節し、起居を慎む。庶(こいねがわ)くは以て一日を延べん。即ち亦身を守るの孝爾(しか)るか。〔『言志耋録』第316条〕


【訳文】
自分は今年で八十歳になったが、老衰が甚だしくなり、腹の持病も衰え始めてきた。それで、「これからは、外からの病にかからぬようにしなければならない」と考えている。そこで、毎日薬を服用して予防し、また、より一層飲食に適度を守り、たちい振舞いに気をつける。一日でも長生きしたいと願っている。親から受けたこの体を保全していくこと、これも孝行といえるのではないだろうか(孝行といえるのだ)。


【所感】
私は、今年(1851年)八十歳となり衰えも極まってきて、胃腸の持病も同じくひどくなってきた。そこでこう思う、「いまこそ外気に触れて病にかかることを心配しなければならない」と。つまり、毎日薬を飲んで予防し、ますます飲食を摂生し、起居動作を慎むのだ。願わくば一日でも長く生きていたいと思う。そのように我が身を守ることが孝行といえるのではないだろうか、と一斎先生は言います。


営業部の佐藤部長がお父様と電話で話をしているようです。


「外は大雪だろう?」


「今年は特に冷えるな。屋根の雪降ろしも大変だよ」


「おやじ、雪降ろしをやっているのか?」


「ほかにやってくれる人もいないからなぁ」


「そうか。くれぐれも気をつけてくれよ。常に携帯電話を持って外に出るんだよ」


「ああ、気をつけてはいるから大丈夫だよ」


「その後、胃腸の具合はどうだい?」


「まあ、悪くもなく、良くもなくって感じだな」


「この時期はあんまり外出しない方がいいんだけどな。雪降ろしをする人がいないんじゃ仕方ないよな」


「まあ、かえっていい運動にはなってるよ」


「しっかり厚着して、身体を冷やさないようにな」


「ありがとう」


「でも、考えようによっては、80歳を超えても雪降ろしができるんだから大したもんだよ」


「せっかくここまで生きたんでな。せめて85歳くらいまでは生きたいなと思ってるよ。それがご先祖様への孝行にもなるんじゃないかと思うんだ


「まあ、そうやって年齢を決めずに、一日一日を楽しく過ごして、100歳まで生きてくれよ」


「幸い女房も元気だからな。老夫婦ふたりで慎ましく暮らしていくよ」


「酒は相変わらず飲んでるのか?」


「そればっかりは、唯一の楽しみだからな。ただ、量はだいぶ抑えているから、心配するな」


「そうだ。昨日な、ちょっと面白い酒を贈ったから、2~3日したら着くと思うよ」


「面白い酒?」


「ああ、アルコール度数を低く抑えた日本酒なんだけど、これが飲んでみたら旨いんだよ」


「ほぉー、それは楽しみだ。すまんな」


「気に入ったら、また送るから、連絡をくれよ」


「ありがとう。ところで、お前はそのまま独りで暮らすのか?」


「俺ももう51歳だよ。今更再婚なんて考えてないよ」


「そんな老け込んだことを言わずに、若い嫁さんでももらえよ」


「だれがこんなおっさんをもらってくれるんだよ!」


「それもそうか。ははは。だけどな、お前が独りだというのは心配で、死んでも死に切れんよ」


「そう思うなら、ずっと生きててくれよ」


「そういう訳にもいかんだろう」


その翌日です。休憩コーナーで佐藤部長、総務課の大竹課長、営業2課の神坂課長が談笑しています。


「この前、大竹君の話を聞いてさ。私も実家に電話してみたんだよ」


「北海道は寒いんでしょうね?」と大竹課長。


「そうだね。今年は例年にも増して大雪らしいんだ」


「ご両親はお元気でした?」と神坂課長。


「うん、二人とも持病はあるんだけど、なんとか元気にやってるようだよ。それどころか私が独り身なのを逆に心配されちゃったよ」


「やっぱり、親はいつまでたっても子供のことが心配なんですね」
神坂課長がつぶやくと、大竹課長も神妙な顔つきでうなづいています。


「一斎先生も80歳を迎えて持病の胃腸病が悪くなったようでね。『外で風邪をもらわないように用心しつつ、薬を飲み、食事を節し、生活を慎ましくして、一日でも長く生きていたい。そうやって長く生きることも孝行になると言ってるよ」


「元気で生きることが最大の親孝行になるのかも知れませんね」と神坂課長。


「おー、神坂君らしくないしおらしい発言が飛び出したな」


「タケさん。いま、そういう突っ込みを入れるタイミングですか? ところで、部長はほんとうに独りを貫くんですか?」


「ははは。そこに触れる? 貫くなんて意志を持ってる訳ではないけど、こればっかりはご縁だからね」


「ちさとママはどうですか? お似合いの熟年カップルだと思いますけどね」


「『熟年』は余計だよ! それは、ママにも聞いてみないとね」


「あれ、まんざらでもないみたいですね」


「そりゃ、あんな美人が相手なら誰だってそう思うだろう。特に神坂君はママの大ファンだろう?」


「たしかにそうですね。ママに言い寄られたら、絶対断れません」


「神坂君、心配は要らないよ。ママが君に言い寄るはずはないからさ」


「わ、わかってますよ。タケ爺は本当にウザいな。さ、皆さん、仕事しましょう!」


ひとりごと 

『論語』には、孔子の以下のような言葉が遺されています。

子曰わく、父母在(いま)せば、遠く遊ばず。遊ぶこと必ず方あり。(父母が健在のうちは、あまり遠くに旅行をしない。やむを得ない場合は必ず行き先を告げて心配させることのないようにしなさい)

子曰わく、父母の年は、知らざる可からざるなり。一(いつ)は則ち以て喜び、一は則ち以て懼る。(父母の年齢を忘れてはいけない。その理由は、ひとつには長生きしてくれることを喜ぶためであり、もうひとつは老い先の短いことを心配するためである)

幼いときに父を亡くし、若くして母とも死別した孔子らしい、細やかな配慮が感じられる名言ですね。

常に親を心配する気持ちをもって、我が身を健康な状態に保つことが、最大の親孝行なのだと教えてくれます。



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第1107日 「淡白」 と「 寡欲」 についての一考察

【原文】
心身は一なり。心を養うは澹泊に在り。身を養うも亦然り。心を養うは寡欲に在り。身を養うも亦然り。〔『言志耋録』第315条〕


【訳文】
心と体とは一つのものである。心を養う場合(精神修養)には、何ごともあっさりとして物事に執著しないようにするのがよい。体を養う場合も同じようにするのがよい。また、心を養う場合には欲望を少なくするのがよい。体を養う場合も同じようにするのがよい。


【所感】
心と体はひとつのものである。心を養うには何事にも淡白でこだわりをもたないのがよい。体を養うのもまた同じである。また、心を養うには欲を抑えることである。体についても同様である、と一斎先生は言います。


今日の神坂課長は、特販課の大累課長と共に、A県立病院での大型器械の納品を終え、社用車でオフィスに戻るところのようです。


「神坂さん、ちょっと書店に寄ってもいいですか?」
大累課長がハンドルを握っているようです。


「お前、本屋さんに寄るの好きだねぇ」


「ええ、週に2回程度は書店を覗いて、どんな本が売れているのかチェックしています」


「勉強熱心で感心なことだ」


「なんか、小ばかにしてませんか?」


「そんなことないよ。俺だって月に1~2冊くらいは読書をするからな」


「神坂さんは、買った本は確実に読みますか?」


「そりゃそうだろ。読むために本を買ってるんだから」


「それがね。私は最近もっぱら『積ん読専門なんですよねぇ。」


「つんどく?」


「ええ、買った本が部屋の中でどんどん積みあがっていく状態です」


「要するに読んでないってことか?」


「はい」


「もったいないな。じゃあ、今日は本屋さんに寄らなきゃいいじゃないか!」


「そうなんですけど、仕事に役立ちそうな本が出ていないかどうかの情報は得ておきたいと思いましてね」


「でも、わかるなぁ。実は俺もCDで同じことをしてる。買ったけど聴かないままのCDが大量にあるよ」


「聴かないCDをなんで買うんですか?」


「その質問、そっくりそのままお前に返すよ。まあ、俺の場合はね、収集癖があってさ。たとえば、ひとりのアーチストを集め始めたら全部欲しくなるんだよ」


「なるほど」


「今までに3回くらい、中古CDを買って家に帰ったら、そのCDをすでに持っていたという経験があるよ」


「マジですか! ちょっとヤバくないですか?」
大累課長が頭を指差しています。


「まだボケちゃいないわ! だけど、CD棚に買ってきたCDと同じCDを見つけたときは、自分の馬鹿さ加減が笑えてくるよ」


「お互いに、欲深いってことでしょうかね?」


「こだわりと欲深さの両方かな?」


「わかります。古書店で面白そうな本を見つけたときは、今買わないともう手に入らないんじゃないかという強迫観念に取り憑かれますよね」


「今すぐ読む本でもないのに、とりあえず買っておこうって思うんだろ? 俺も中古CDを買うときは同じ気持ちだよ」


「もっと淡白に、欲を抑えて生きた方が、気持ちも楽だし、懐も暖かくなるかも知れませんね」


「まったくだ。あ、電話だ」


佐藤部長から神坂課長に無事納品できたかどうかの確認の電話が入ったようです。


「もしもし。はい、無事終わりました。土田部長先生もご満悦でしたよ。明日から3日間は雑賀君が立会いをしてくれるそうです。はい、ありがとうございます。あっ!」


神坂課長は先ほどまでの会話を思い出して、佐藤部長に質問したようです。


「そんな話をしたんですが、一斎先生からのアドバイスはありませんか?」


やはり一斎先生の言葉があるようで、神坂課長は大累課長に親指を立てています。


「はい、ありがとうございました。大累ともシェアしておきます」


「で、一斎先生はなんと言ってるんですか?」


『心と体はひとつのものだから、何事にも淡白にしてこだわらず、欲を抑えて生きることが心身共に養生となる』って言ってるらしいよ」


「すべてお見通しって感じですね」


「で、結局、本屋さんには行くの?」


「まあ、それはそれで・・・」


「じゃあさ、その後、いつもの中古CD屋さんに寄ってもらえる?」


ひとりごと 

神坂課長が同じCDを買ってしまったというエピソードは、小生の実話です。

実は、CDだけでなく、古書店で本を購入して家に帰ったら同じものを所有していたというケースもあります。

「今買わないと、次に来た時にはもうないんじゃないか」と考えて、買うだけは買うのですが、結局読まずに積読となったり、聴かずに棚の肥やしになっている本やCDがたくさんあります。

小生は、どうも物を捨てることが苦手です。

しかし、その心理を冷静に分析してみると、単なる所有欲に過ぎないことに気づきます。

捨てられずに積まれている本やCDがなくても、決して困ることはないはずです。

一斎先生の言うように、ある程度の年齢になったら、淡白に寡欲に生きるべきなのはわかっているのですが・・・。



(出典: http://www.flickr.com/photos/underpuppy/12252359/
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第1106日 「庭園」 と 「養生」 についての一考察

【原文】
花木を観て以て目を養い、啼鳥(ていちょう)を聴いて以て耳を養い、香草を嗅いで以て鼻を養い、甘滑(かんかつ)を食(くら)いて以て口を養い、時に大小の字を揮灑(きさい)して以て臂腕(ひわん)を養い、園中に徜徉(しょうよう)して以て股脚(こきゃく)を養う。凡そ物其の節度を得れば、皆以て養を為すに足るのみ。〔『言志耋録』第314条〕


【訳文】
花の咲いた木を観て目を養い、啼く鳥の声を聴いては耳を養い、芳香のある草の香をかいでは鼻を養い、甘くて口あたりのよい物を食べては口を養い、時には大小の字を書いては臂(ひじ)や腕を養い、庭園をぶらぶら歩いては股や脚を養う。すべて何事でも節度(適当な度合)を得たならば、ことごとく自分の身の養生とするに足るものである。


【所感】
花や木を鑑賞して目を養い、鳥の鳴く声を聴いて耳を養い、
香草の香りで鼻を養い、甘くてやわらかなものを食べて口を養い、時には大小の文字を書いて肱や腕を養い、庭を散策しては股関節や脚を養う。なにごとも節度をもって行えば、すべてが養生となるものだ、と一斎先生は言います。


今日は休日です。
佐藤部長とN鉄道病院名誉院長の長谷川先生の二人で、白鳥(しろとり)庭園を散策しているようです。


「この前、佐藤さんから教えてもらった『言志録』の言葉があったでしょう」


「『なにごとも節度をもって行えば養生になる』という章句ですか?」


「そうそう。あれを聞いて、白鳥庭園を久しぶりに歩いてみたいなと思って、佐藤さんをお誘いしたんだ」


「そうだったんですね」


「なにせ、ここに来れば、花や木を鑑賞できるし、鳥の鳴き声を聴くこともできるし、香草の芳しい香りを楽しむこともできるでしょう」


「おまけに、足腰にも良い運動になりますね」


「そうなんだよ。普段から文字を書くことは続けているから、肱や腕の運動だけは自信があるんだ」


「先生のご達筆な文字には、いつも感銘を受けます」


「いやいや、相当なくせ字だよ」


「自分の悪筆が恥ずかしくなります」


「相変わらず持ち上げるのが上手だね、佐藤さんは」


「長谷川先生、私はお世辞は大の苦手ですよ」


「ははは。ところで、今年は厳冬だけに、梅の開花も遅れそうだね」


「そうですね。早い年ならもう咲き始めていますからね」


「ちょっと残念だな。この時期は、鳥のさえずりを聴くにも早すぎるしね」


「先生は、どの鳥の鳴き声が好きですか?」


「私はクロツグミが好きだなぁ」


「いいですねぇ。私はホオジロですかね」


「静かに目を閉じて鳥の鳴き声を堪能したいね。佐藤さん、また暖かくなったらご一緒してもらえる?」


「ええ、いつでも喜んでお供しますよ」


「さてと、もうひとつ楽しませていないパーツがあるんだよ」


「では、そろそろ休憩しますか?」


「この庭園にある『茶寮汐入』の『抹茶わらび餅』が大の好物でね」


「よく存じております。これでお口を養ってあげるわけですね」


「うん。もちろん口を楽しませてくれるんだけど、それだけじゃなくて、心も体も癒される味なんだよ」


「では、私も今日は同じものをいただくことにします」


「いらっしゃいませ!」


ひとりごと 

本日の物語の中で紹介した白鳥(しろとり)庭園は、愛知県名古屋市に実在する日本庭園です。

熱田神宮から徒歩10分圏内と都会の中にある庭園ですが、3.7ヘクタールの敷地面積を有する東海地方最大級の庭園です。

中部地方の地形をモチーフにし、築山を御嶽山に、そこを源流とする水の流れを木曽川に見立てた美しい景観に癒されます。

日々の仕事や人間関係に疲れたときに、郊外まで出掛けてのんびりできれば理想的ですが、なかなかそういう時間をとれない方は、お近くに庭園がないかを調べてみてはいかがでしょうか?

きっと心も体も癒されて、よい養生になるはずです。


白鳥庭園ホームページより
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第1105日 「立志」 と 「養生」 についての一考察

【原文】
「其の志を持して、其の気を暴(そこな)うこと無かれ」と。此の訓(おしえ)は養生に於いても亦益有り。〔『言志耋録』第313条〕


【訳文】
『孟子』に「心をしっかり保持して、体中の気(活力)を乱暴に使い損ってはいけない」とある。この教訓は老人の養生にもためになる。


【所感】
『孟子』のことばに「その意志を堅持して、感情を乱してはならない」とある。この教訓は、養生においても有益な言葉である、と一斎先生は言います。


今日の神坂課長は、営業部の佐藤部長と一緒に、N鉄道病院の長谷川名誉院長の自宅に招かれたようです。


「長谷川先生、あらためまして先日のセミナーでの総括発言、ありがとうございました」


「いや、佐藤さん。こちらこそお礼が言いたいと思っていたんだよ」


「恐縮です」


「長谷川先生、先生がお礼をされたいとは、どういうことですか?」
神坂課長が思わず質問したようです。


「神坂君、この年になるとね、ついつい毎日をだらだらと過ごしてしまいがちなんだよ」


「長谷川先生でもそうなのですか?」


「そうなんだ。でもね、久しぶりにああいう緊張感のある場所に引っ張り出してもらったお陰で、忘れていた熱いものを思い出すことができたんだよ」


「熱いもの・・・ですか?」


「『燃える情熱ってやつかな。ははは」


「そういえば、先日、中村教授とお食事させていただいたときにも、おっしゃっていましたね。たしか、『日本を世界一の医療大国にする』と言われていたと記憶しています」


「そのとおり。わたしの夢でもあり、信念でもあったから、念仏のようにその言葉を唱えていたんだと思うよ」


「その長谷川先生の志は、しっかりと中村教授が引き継がれていますね」と佐藤部長。


「彼はひじょうに優秀な医師であり、また人格者でもあるからね」


「ところで、先日の総括発言の中で、長谷川先生が、かつては大腸がんは欧米人に多く、日本人には少ない病気だと言われていたというお話には驚きました」


「いまでこそ日本でも、大腸がんは女性の死因の第一位、男性でも胃がんを抜いて2位になっていて、毎年4万人以上が大腸がんで命を落としてはいるんだけど、かつては極めて稀な病気だったんだ」


「それが何故、日本でも増加してきているのですか?」


「食の欧米化だよ」


「そうか、かつての日本は魚を主体とする食事だったのが、いまではすっかり肉食中心になっていますね」


「そのとおり。肉と乳製品の影響が大きいだろうね。食の欧米化と共に大腸がんの罹患率は飛躍的に増加してきたんだ」


「長谷川先生は、まだ大腸がんが稀だった時代からずっと大腸がんを研究されて来られたんですよね」と佐藤部長。


「日本にも必ず大腸がんは増加する、そのときのために大腸内視鏡の改良と挿入方法の研究を続けてきたんだ」


「それが長谷川先生の志だったんですね」


「わたし以外の日本の先生も次々に成果を上げてくれたしね」


「拡大内視鏡も日本発ですよね」


「秋田のK先生らの研究も素晴らしい成果だと思う。日本は大腸がんの診断・処置については、世界一の国になったと言えるだろうね」


「たしかに、そうですね」


「そんな若い頃の情熱を思い出させてくれたのが、あのセミナーだった」


「総括のお話を聞いていて涙が出ました」


「やんちゃな神坂君にそれだけ感動してもらえたなら、想いは伝わったと思っていいかな。((笑))」


「長谷川先生、やんちゃって。私ももう40歳なんですけど・・・」


「ははは。一斎先生も『言志四録』の中で『孟子』の言葉を引用して、こう言っていますね。『しっかりと志を保持して、気力を無駄にしてはいけない、という孟子のことばはいくつになっても大事なことだ』と」


「そうだよね。人は死ぬまで志を強く持ち続けるべきだろうね。そういえば、森信三先生が、若い頃は『志』という言葉を使っていたけれど、晩年は『心願』という言葉を好んで使ったと、愛弟子の寺田一清先生にお聞きしたことがあるな」


「『心願』ですか?」


「うん。森先生は、『志』という言葉にもどこか私欲というか利己心のようなものを感じたらしいんだ」


「そうなんですか。私のような凡人には思いもつかないことです」


「それにしても、佐藤さんはすっかり『言志録』をモノにしてしまっているね」


「恐縮です。元はといえば、長谷川先生からご教示頂いて読みだした本です」


「そうかもしれないけど、もうわたしの知識をはるかに超えているよ。これからもいろいろ教えてくださいね」


「私が長谷川先生に教えるなんて、畏れ多いです」


「こんなに畏まった佐藤部長を見れるのはなかなかないことですよ。(笑)」


「ははは、みんな私を神様か何かと間違えていないかな?」


「いや、長谷川先生。医療の世界に携わる人間からすれば、先生はまさに神のような存在です」


「佐藤さん、それは言い過ぎじゃないの?」


「いえいえ、決して言い過ぎではありません!」


「では、そんな私を前にしてもまったく物怖じしない神坂君は神を超えてるのかもね!」


「は、長谷川先生。私だって先生の前では緊張しているんですよ。たしかに会社では『カミサマ』と呼ばれてはいますが・・・」


ひとりごと 

孔子は、十五歳で学問に志し、七十三歳で亡くなるまで、学問への情熱を失うことはありませんでした。

人間が事を成すには、立志ありきだと、多くの古典に刻まれています。

小生のような営業人に限らず、すべてのビジネスに携わる人は、自分や自社のためでなく、お客様のためを思い、お客様の志の実現をお手伝いさせていただくことを使命としているはずです。

そして、その使命がそのまま自身の志とイコールとなるとき、ビジネスは成功へと導かれるのです。

もちろん、このブログが、見えない誰かの志を実現する上でお役に立てているなら、それほどうれしいことはありません。


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第1104日 「親」 と 「子」 についての一考察

【原文】
養老の方、夜燭(やしょく)は明らかなるを要し、侍人は多きを要す。児孫側に嬉戯(きぎ)するも亦妨げず。宜しく人の気を以て養と為すべし。必ずしも薬餌を頼まず。〔『言志耋録』第312条〕


【訳文】
老を養う方法としては、夜の燈火は明るいのがよく、側にいて世話をする人は多い方がよい。子供や孫達が側にいて遊びたわむれていても別に邪魔にはならない。つまり、人のいる雰囲気というものが老人の養生にもなるので、必ずしも薬をたのみとすべきではない。


【所感】
年老いた人の養生には、夜はなるべく明るくして、世話をする人は多い方がよい。子どもや孫が騒ぎ戯れることは養生の妨げにはならない。とにかく、たくさんの人の気を感じるような環境にいることが養生になるものだ。必ずしも薬だけが養生になるものでもない、と一斎先生は言います。


総務課の大竹課長が福井県にある実家に、長男一家と一緒に帰省しているようです。


「おっかあ、少しは元気になったかい?」


大竹課長のお母さんは、先日、「振り込め詐欺」に引っかかってしまい、相当落ち込んでいるようです。(詳細は、第1092日をご覧ください)


「電気つけんとあかんて。部屋が暗いと、気持ちまで暗くなっちゃうよ」


「孝、ほんなすぐにちょきんとてきねぇ(しゃんとできないよ)」


「もう過ぎたことやし、せんない(仕方ない)やんか。俺は感謝してるんだからさ」


「感謝?」


「そりゃそうだよ。俺のためにおっかあが大事な金を使ってくれたんだから」


「わりぃのぉ。あれだけあったら孫やひ孫にごっぽし(たくさん)買ってやれたのぉ」


「孫はもう成人してるんだから、そんなことしなくていいんだよ」


「ほやな。さっきな、お小遣いをくれたんよ。もう涙が止まらんかった」


大竹課長とお母さんのそばでは、長男の娘さん、つまりお母さんから見ればひ孫にあたる女の子が無邪気に遊んでいます。


「菜々(ひ孫の名)はしこらしい(可愛らしい)のぉ」


「そりゃ、俺も菜々ちゃんにはデレデレよ。何をしても許せちゃう!」


「ほやのぉ。ははは」


「やっと笑ってくれたなぁ。ところで、親父の体調は大丈夫なんか?」


「あの人は、毎日遊び歩いて元気やざぁ」


「糖尿病は?」


「薬はちゃんと飲んでるけど、ほれよりみんなとワイワイやっとるんが一番ええみたいやざぁ」


「たしかに、家でじっとしてたらかえってボケちゃうかもな」


「わちは、本読んだり、テレビ観てるんが好きなけな」


「だけど、おっかあもたまには外に出たらどうや? 親父と旅行でも行ってきね」


「ほやなぁ」


それから3日後、休憩コーナーで大竹課長と佐藤部長が雑談をしているようです。


「ということで、お袋も我々が帰る頃にはかなり元気になりました」


「よかったねぇ。なんたって大竹君の場合は、孫だけじゃなくて、ひ孫の顔も見せられるんだから、お母さんも元気になるよなぁ」


「まあ、菜々ちゃんには私も毎日元気をもらってますからね」


「ははは。一斎先生も言ってるよ。『年をとったら、薬に頼るだけでなく、なるべく部屋を明るくして、たくさんの人の気に触れる方が良い』ってね」


「なるほど。そうなると、親父のやってることは養生には良いんですかね?」


「そうだね。仕事をやめてしまうとどうしても人と会う機会が減ってしまうからね。お父さんのように友達と会って楽しめているのは、すごく良いことじゃないかな」


「もともと、家にじっとしているようなタイプじゃなかったですからね。お袋とは対照的な性格なもんで」


「お父さんも、お孫さんや菜々ちゃんに会えて喜んでたんだろう?」


「そりや、もちろんです。あんな締まりのない親爺の顔は初めてみましたよ」


「そうだろうね。一斎先生は、『とくに子供や孫がはしゃぐのは邪魔になるどころか、老人を元気づけるものだとも言ってるから、菜々ちゃんに会えたのは最高の養生だったんじゃないかな」


「それならうれしいですけどね。ところで、佐藤部長のところもご両親は健在でしたよね?」


「うん、ありがたいことにね。両親ともに80歳を超えているから、やっぱり心配だよね。時々電話だけはしているよ」


「北海道でしたもんね?」


「なかなか帰るわけにもいかないからね」


「そういえば、この前サイさんから教えてもらった『論語』の言葉に、『父母が健在なうちは、常に行き先や居場所を教えておくように』というのがありました」


「親って何歳になっても、子どものことは心配らしいからね」


「その心配につけこむ詐欺師には、本当に腹が立ちますよ!」


「人間の優しさを信じることができない、可哀そうな連中だよ」


「なるほど。そういう見方もあるんですね」


「お互いに、親孝行できるうちにやれることをやろうな」


「ええ。まだ両親が動けるうちに、三世帯で温泉にでも行こうって話をしてきましたから、今年中に実現しますよ」


「ご両親の喜ぶ顔が目に浮かぶなぁ」


ひとりごと 

子は親を思い、親は子を思う。

これはいくつになっても変わらないはずです。

しかし、年を重ねると、子は素直に言葉に出すことができなくなります。

まず、親に対する感謝を素直に口に出すことが、素直さを磨く最高の鍛錬なのかも知れません。

生きている間に、子供の口から感謝の言葉を聞けたなら、親にとってこれほどの幸せはないのではないでしょうか?

追伸:福井便に関しては、かなり適当なところがありますが、その点はご容赦ください。



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第1103日 「お酒」 と 「養生」 についての一考察

【原文】
老を養うに酒を用いるは、醴酒(れいしゅ)若しくは濁醪(だくろう)を以て佳と為す。醇酒(じゅんしゅ)は烈に過ぎて、老軀(ろうく)の宜しきに非ず。〔『言志耋録』第311条〕


【訳文】
老後を安楽にするために酒を用いる場合には、甘味の酒かどぶろくがよい。濃い良い酒は強過ぎるので、老人の体には適していない。


【所感】
年をとった人の養生にお酒を用いるときは、甘酒の類かにごり酒が良い。日本古来の製法で醸造したお酒は、身体への影響も大きいので、老体には控えた方がよいであろう、と一斎先生は言います。


今日の神坂課長は、相原会長、営業部の佐藤部長と3人で小料理屋「ちさと」にいるようです。


「お酒はぬるめの燗がいい、肴はあぶったイカでいい~」


「会長、なんですか、その歌?」


「え、神坂君、知らないの? 八代亜紀の『舟唄』だよ」


「ははは、会長。『舟唄』は1979年のヒット曲ですから、神坂君が知らないのも当然ですよ」


「1979年といったら、私はまだ2歳ですよ!」


「えー、神坂君ってそんなに若いのか!」


「それ、どういう意味です? 老けてるってことですか!」


「いや、違う、違う。小生意気な割りに意外と若いなっていう意味」


「相変わらずストレートですね」


「君に言われたくないよ!」


「まあまあ、お二人の掛け合い漫才もそのくらいにしていただいて。さあ、会長。次は何を飲みますか?」


「本当は、辛口のキツイやつを熱燗でキューっといきたいんだけどね。それやっちゃうと、翌日が辛いんだよな。佐藤君、一斎先生からのアドバイスはないの?」


「実は、あるんです。『老人の養生に酒を用いる場合は、甘酒の類かにごり酒が良い。醇酒と言われれる日本古来の力強い酒は年老いた身体には良くないとあります」


「やっぱりそうだよな。だけど甘酒やどぶろくは嫌だなぁ」


「あら、相原さん。それなら良いお酒がありますよ」


「お、ママ、流石! どんなお酒なの?」


「最近、若い人には、アルコール度数の低い日本酒が人気なの」


「それだと物足りないんじゃない?」


「そういう人のためのお酒がコレ」
ちさとママが酒瓶を相原会長に手渡しました。


「『加茂金秀 特別純米13』? ママ、これはどんなお酒なの?」


「このお酒はね、アルコール度数13度の原酒なの。原酒でアルコール度数を低くするのは、とても難しいことらしいの」


「通常の日本酒のアルコール度数は15~16度、原酒だと17~18度くらいですよね」と佐藤部長。


「さすがに佐藤君は酒に精しいね。そういうものなのか。でお味は?」
相原会長は興味津々です。


「どうぞ。飲んでみてください」


3人とも加茂金秀 特別純米13をグラスに注いでもらったようです。


「おーっ、全然物足りなさはないな」
相原会長はご満悦です。


「ワインのような甘みと、日本酒独特の旨みが見事に調和していますね」
佐藤部長も驚いています。


「たしかに、これなら違和感はないなぁ」
神坂課長も納得のようです。


「これはいいねぇ。いつもの酒よりは身体に優しいはずだしなぁ」


「このお酒は、広島の金光酒造さんの自信作らしいの。相原さん、特別に1本お分けしましょうか?」


「え、うれしいね。ママ、ありがとう」


「会長、家で飲みすぎないようにしてくださいよ」


「ひとり酒 手酌酒 演歌を聞きながら~」


「会長、なんですか、その歌?」


「えっ、神坂君、知らないの? 吉幾三の『酒よ』じゃないか!」


私のカラオケの十八番でもあります」


「おお、佐藤君も『酒よ』が好きか! いい歌だよなぁ。何度聞いても心に沁みる」


「どうせ、それも古い歌なんでしょう?」


『酒よ』は1988年の大ヒット曲だよ」


「やっぱり。1988年だと、私はまだ11歳ですよ」


「えっ、神坂君ってそんなに若かったの?」


「はい、まだ40歳になったばかりです!」


「君、小生意気な割りに意外と若いんだなぁ」


「それさっきも聞きましたわ。もうやめさせてもらうわ!」


「お二人は、本当に名コンビね!」


ひとりごと 

正直に言いまして、この章句の物語づくりには苦労しました。

というのも、小生は下戸で、お酒の知識がまったくありません。

そこで、大好きな歌と漫才のネタを盛り込んでみました。

ところで、もしお酒が飲めるなら、ここで取り上げた金光酒造さんの『加茂金秀 特別純米13』は実際に飲んでみたいですね。

ただ、アルコール度数が低いといっても13度ですから、小生はとても手が出せません。

お酒が好きな方はぜひお取り寄せしてみてはいかがでしょうか?



『加茂金秀 特別純米13』 はせがわ酒店オンライン店より
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プロフィール

れみれみ