一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2018年03月

第1144日 「心」 と 「分別」 についての一考察

今日は、営業1課の西郷課長の送別会が開催されているようです。


「サイさん、今までお疲れ様でした。当社の歴史を知り尽くしたサイさんが会社を去るのは残念でもあり、不安でもあります」


「神坂君、ありがとう。創業メンバーの平社長と川井室長が居るし、相原会長だって当社の歴史を知り尽くしているんだから、その心配は要らないと思うよ」


「その点ではそうかもしれませんが、私は別の観点からサイさんがこの会社に残したものの大きさを感じています」


「佐藤部長、恐縮です。しかし、それはいったい何でしょうか?」


「有徳者が人の上に立つという社風が創られたのは、サイさんが当社に来たときからだと思います。サイさんが中途で入社された頃の当社は、まだ営業部門はみんな個人商店でした。そこに『人間力営業を持ち込んだのがサイさんだったじゃないですか」


「それは、過分な評価ですよ」


「そうなんですか? それは知らなかったなぁ」と神坂課長。


「当時、『損得よりも善悪を優先するという考え方を持っていた営業マンは誰も居なかったんじゃないかな。みんな、売上を伸ばすためには手段を選ばないようなところがあったんだ」


「雑賀が聞いたら、『それのどこがいけないんですか』とか言い出しそうです」と大累課長。


「ははは。そうかもね。でも、当時は皆、そういう考え方だったよ。『何を呑気なことを言ってるんだってね


「今では考えられないですね」と神坂課長。


「私も数字を上げることに悪戦苦闘しているときだったから、中途で入社したサイさんの言っていることがまったく理解できなかったんだ」


「じゃあ、佐藤部長も雑賀みたいな考え方だったということですか?」
大累課長が驚いています。


「そうだよ。しかし、サイさんは、それを言葉だけでなく実践していくんだ。次々と、我々がどうやっても落とせなかった大手の施設を切り崩していったんだ」


「すごいですねぇ、サイさん」


「神坂君、やめてよ。佐藤部長、もうその辺で・・・」


「でも、これは事実ですからね。サイさん、最後にそのあたりをみんなに語ってもらえませんか?」


西郷課長が最後の挨拶をする場面になりました。


「皆さん、今まで本当にお世話になりました。この会社に入って、皆さんと一緒に仕事ができたことは、私の人生の中で最高の宝物です」


西郷課長は目頭をハンカチで拭いました。


「さきほど、佐藤部長から最後に何かメッセージを送って欲しいと依頼をされました。ただの営業課長に過ぎない私が偉そうに言えることは何もないのですが、部長からの業務命令だと思って、ひとつだけ話をします」


「サイさん、よろしくお願いします」
神坂課長が声を掛けました。


「営業部の皆さん、売上を取るかお客様の満足を取るかで迷うことがあったら、必ず自分の心と静かに向き合ってください。秤やものさしは、モノの重さや長さを測ることはできても、自分の重さや長さは測れません。でも、人間の心だけは他人の気持ちを推し量れるだけでなく、自分の心の是非もしっかりと分別できるのです」


参加者一同、静まりかえっています。


「お客様に対してオーバースペックの商品を販売するような場合、仮にお客様を騙すことはできたとしても、自分の心を騙すことはできません。必ずうしろめたい気持ちになるはずです。そういう心の動揺は、結局はお客様に必ず伝わってしまうものです」


「(本当にそうだな)」
神坂課長は心の中でつぶやきます。


「自分の心ほど万能で完璧な相談役はいません。いつでも相談できるように、常に心をピカピカに磨いておいてください。料理人が一日の終わりに必ず包丁を研いで明日に備えるように!」


会場は盛大な拍手に包まれました。


ひとりごと 

本来、心は万能の測定器であり、測れないものはないのだと一斎先生は言います。

ところが、人生を歩むうちに心が曇ってしまうと、通常の秤やものさしと同じように、自分自身を測れなくなってしまうのでしょう。

西郷課長が言うように、我々は一日の最後に心をピカピカに磨いておかなければなりません。

そのための手段が読書であることは、言うまでもないことでしょう。


【原文】
権は能く物を軽重すれども、而も自ら其の軽重を定むること能わず。度は能く物を長短すれども、而も自ら其の長短を度(はか)ること能わず。心は則ち能く物を是非して、而も又自ら其の是非を知る。是れ至霊たる所以なる歟(か)。〔『言志録』第11条〕



【訳】
秤(はかり)は物の重さをはかることができるが、自分の重さをはかることはできない。ものさしは物の長さをはかることができるが、自分の長さをはかることはできない。一方、人の心は他人の良し悪しを分別できる上に自分の心の是非をも分別することができる。これが心を最も霊妙なるものとする理由ではないか。



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第1143日 「天命」 と 「寿命」 についての一考察

今日の神坂課長は、めずらしくひとりで「小料理屋ちさと」に居るようです。


「神坂君、今日はひとりなのね」


「ママ、今日はひとりで色々考えながら旨い酒を飲みたいなと思ってね」


「そうね。じゃあ少しひとりにしておきましょうか?」


「ねぇ、ママは自分の天命が何かなんて考えたことはあるの?」


「天命? 大きな話ね」


「最近、俺も佐藤部長の影響で時々『言四録』を読んでるんだけどさ。昨日読んだ言葉に、『人間には必ず天命というものがある。それが何かをよく考えて天命を果たさなければ、必ず天罰が下るものだ』とあったんだ。俺はいったい何をするためにこの世に生まれてきたのかなぁ」


「神坂君、すごいじゃない。勉強してるんだね。そうね、わたしの天命は何だろうね。このお店に来てくれるお客様に喜んでいただけるお料理をお出しして、時々お話もお聞きして、少しだけでも心を癒せる場所をつくることかな」


「お客様にとってのサードプレイスの提供ってところか」


「今はそんな感じかな」


「すごいよ。それでも俺よりはよっぽど明確だもんな」


「ありがとう。わたしの人生のバイブルにはこんなことが書いてあるの。『その人の寿命は、天がその人に与えた使命を果たすだけの時間は与えてくれる。それより永くもなければ短くもない』ってね」


「なるほど、天は役割だけでなくそれを果たすだけの時間も与えてくれているのか」


「だから、無理して天命を探そうとするよりも、日々の仕事や生活の中で自分に与えられた役割をやり切れば、自然と天命が見えてくるんじゃないのかな?」


「そうかもね。俺さ、最近マネジメントが楽しくなってきたんだ。以前は、自分がトップセールスであり続けることがステータスだと思っていたから、部下の育成なんて興味がなかったし、俺には性に合わないって思ってた」


「そんな感じだったよね。そういう愚痴ばっかりだったもん」


「ははは、バレバレだね。でも、今は後輩、特に若い社員さんを応援することにすごくやりがいを感じるようになったよ」


「成長したわね。偉いぞ、神坂君」


「子供を褒めるような言い方しないでよ」


「よし、じゃあご褒美として、今日は特別のお酒を出してあげる」


「おー、そういうのは大歓迎!」


「ジャーン。はい、『越乃幻の酒』」


「なにこのお酒。初めて見たよ」


「もうすぐ創業150年目を迎える新潟の蔵元さんが、1シーズンに88本しか提供しない幻のお酒よ。もちろん代金はいただきません!」


「これはすごいご褒美だ。 しばらく天命は置いておいて、旨い酒を堪能することにします!」


ひとりごと 

孔子は、五十にして天命を知ったといいます。その言葉の影響なのか、人間も五十歳くらいになると、自分の天命は何かと考えるようになります。

しかし、天命というものは、求め続けてようやく見つかるものなのかも知れません。

結局、天命を知るためには、いまここで自分にできることに力を尽くすしかないようです。

そして、その先に見つかる天命というものは、自分が思い描いたり、期待していたものとあまりにも違うものであるかも知れません。

孔子がそうであったように。


【原文】
人は須らく自ら省察すべし。「天は何の故に我が身を生み出し、我れをして果たして何の用に供せしむとする。我れ既に天の物なりとせば、必ず天の役あらん。天の役共せずんば、天の咎必ず至らん」と。省察して此(ここ)に到れば、則ち我が身の苟くも生く可からざるを知らん。〔『言志録』第10条〕



【訳文】
人間は皆、自ら以下の事を省みて考えをめぐらせねばならない。「天はなぜ自分をこの世に生み出したのか。また天は自分に何をさせようとするのか。天が自分を生み落としたとすれば、必ず天命というものがあるはずである。その天命を果たさなければ、必ず天罰が下るであろう」と。自ら省み、考察してこの結論に到達すれば、自分がなぜ生きねばならないかがわかるであろう。



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第1142日 「人徳」 と 「地位」 についての一考察

もうすぐ4月、いよいよゴルフシーズン到来です。


今日は快晴の休日なので、さっそく相原会長、営業部の佐藤部長、総務課の大竹課長、営業2課の神坂課長の4人はゴルフコースに出ているようです。


「ナイスショット! やりますね、タケさん」


「神坂君、僕はゴルフにはかなりお金を掛けてるからね」


「神坂君も5年振りのゴルフにしてはまあまあじゃないか」


「会長、ありがとうございます。前半は素面(しらふ)ですからね。問題は午後ですよ。ナイスショット! 相変わらず佐藤部長は淡々とプレーしますよね」


「神坂君、邪念が出ると言い結果は出ないのがゴルフだよ」


午前中、インからスタートした4人は18番ホールを終えて、お昼休憩に入ったようです。


「神坂君、前半は52か。まあまあじゃないか」と佐藤部長。


「うまくバンカーを避けていたよね」と大竹課長。


「君子危うきに近寄らずですよ」


「ああ、その『君子』で思い出したけど、神坂君、清水君のことをうまくフォローしてくれたみたいだね。ありがとう」


「なんのことですか?」


「清水君本人から聞いたよ。何度も食事に誘ってもらったって」


「へぇ、神坂君。意外と良いところがあるじゃない」


「タケさん、『意外と』という言葉が引っかかりますね」


「ははは。神坂君のお陰で、清水君がとても前向きになって、1課の若手にも声をかけるようになったとサイさん(営業1課の西郷課長)が喜んでいたよ」(このあたりの経緯については、第1134日の物語をお読みください)


「あいつ、余計なこと言わなくて良いのになぁ」


「カミサマが照れてどうするんだ!」


「か、会長までおちょくらないでくださいよ! ところで部長、なんで『君子』からその話になったんですか?」


「実は、一斎先生が嘆いているんだよ。『昔は君子といえば、徳が高い人を指す言葉だった。徳が高い人は当然のように高い地位を得ていた。ところが最近は、徳もないのに地位を得る輩が増えて、いつのまにか君子という言葉が地位の高い人を指す言葉に変ってしまった。嘆かわしいことだ』ってね」


「なるほど、佐藤君が言いたいのは、清水君はまだ徳が足りていないということね」


「はい、会長。彼が会社のエースであることは間違いのないことですが、一匹狼で独りよがりなところがあります。そこが、彼の昇格を見送った最大の理由なのですが、それを彼に理解してもらうのに、サイさんも私も苦労したんです」


「そうだろうね」


「ところが、神坂君が見事にそれをやってのけてくれたんですよ」


「ほお、やっぱりカミサマはご立派!」


「会長! この後のティーグランドでは私の打球の行方にご注意くださいね。結構、午後はシャンクが出やすいので!!」


「おー、怖い。しかし、佐藤君の言うとおりで、人格者でない人を上に立てると、苦労するのは部下だからね」


「我々としても苦渋の決断でした。そのとき、一番納得していなかったのが神坂君だったんです。それなのに、彼は自ら清水君の説得に当たってくれたんです」(昇格会議については、第1068日の物語をお読みください)


「素晴らしいじゃないか! 大竹君、こんな立派な神坂君をからかってばかりいては駄目だぞ!」


「ひどいなぁ、会長。途中からほとんど会長がイジッてたのに! 神坂君、きっと今日は良いスコアがでるな!」


「とかいいながら、タケさんは前半44でしょう。90を切るペースじゃないですか!」


「そうなんだけど、コレがあるからね」
大竹課長はビールの大ジョッキを指しています。


「私も、問題はそこです・・・」


ひとりごと 

人徳と地位とのアンバランスは、今に始まったことではないようです。

中国古典の『書経』には、「徳のある人には地位を与え、成果をあげた人には俸禄を与えよ」とあります。

つまり、どんなに成果をあげても、徳のない人に地位を与えてはいけない、ということです。

小生の場合、未熟な人格のままマネジャーに昇進させてもらったことで、大きな勘違いをして、数々の失敗をしてきました。

マネジャー職にある方は、本来の意味での君子を目指しましょうね。


【原文】
君子とは有徳の称なり。其の徳有れば、則ち其の位有り。徳の高下を視て、位の崇卑を為す。叔世(しゅくせ)に及んで、其の徳無くして、其の位に居る者有れば、則ち君子も亦遂に専ら在位に就いて之を称する者有り。今の君子、蓋(なん)ぞ虚名を冒すの恥たるを知らざる。〔『言志録』第9条〕



【訳】
君子とは徳のある人の総称である。かつては徳のある人は、その徳に相応しい地位を得ていた。したがって、その人の徳の高低によって、地位の高下も自然と定まっていた。ところが後世になると、徳を具えていなくとも高い地位を得る者が出てきたので、いつの間にか君子という言葉は、高い地位にある人を称する言葉になってしまった。今日の君子といわれる人々は、名実伴わないことの恥ずかしさを知らないのではないか。



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第1141日 「手段」 と 「目的」 についての一考察

営業部の佐藤部長が東京出張のついでに、高校時代の友人と夕食を共にしているようです。


「中本、お前から連絡をしてくるなんてめずらしいな」


「なあ、佐藤。生きていくのって辛いなぁ」


突然どうしたんだよ。何かあったのか?」


「実はさ、社内でパワハラの指摘を受けて、今は営業職から外されているんだよ」


「本当かよ?」


「ああ。まあ俺の言い方に棘があるのは自分でも自覚しているから、そういう指摘を受けたこと自体は納得しているんだ。ただ、この歳になってもまだこんなに試練が続くのかなぁ、って思うと虚しくなってくるんだ」


「すぐに言葉が見つからないな」


「おまけに妻との折り合いも良くないんだよね。仕事と家庭の両方に居場所がないなと思っているうちに、精神的に病んでしまって、うつ病の診断を受けてしまったんだ」


「では、今は会社を休んでいるのか?」


「ああ、とりあえず60日間は自宅療養ということになった」


「・・・」


「時々、『もう死んでもいいぞ』っていう声が聞えてくるんだよ」


「ばかやろう! 自ら命を絶つなんて絶対に駄目だぞ!」


「死にたいとは思わないよ。ただ、死んでもいいなとは思う」


「同じことだろう!」


「そうかも知れないな。ただ、自殺をしようとは思わない。例えば、車を運転しているときに、対向車が突っ込んできて死ぬなら仕方がないな、というようなことを思うんだ」


「それは、うつ病のせいだよ。どこか、リフレッシュできる場所はないのか?」


「いわゆるワーカホリックだったからな。趣味という趣味もないんだよ」


「そうだったな。実は、俺もかみさんが死んだとき、たしかに生きがいを失ったよ。そのとき、あるお客様から一冊の本を紹介されて読んでみたんだ」


「どんな本なんだ?」


「佐藤一斎先生の『言志録』という本だよ。そこにこう書いてあったんだ。『生きるということは、自分に嘘をつかず、仕事を通じて人様のお役に立つことに務める。それ以外にない』とな」


「自分に嘘はつかない・・・」


「中本、俺はお前のことはよく知っているつもりだ。お前の言葉はたしかにキツイが、それは会社のためであり、その社員さんのことを思って発した言葉だと信じている」


「それは、そうだな。自分の地位や名誉のために言ったつもりはない」


「ただし、伝え方には問題があったんだろうと思う。もっと部下や後輩を応援するという意識で言葉を選んだらどうだ」


「そうだな。自分のすべてを否定するのではなく、良い点と悪い点をしっかり見極めて、自らを励ましつつ、反省すべきは反省して改善していくしかないな


「人生100年時代を迎えようとしているんだ。俺たちはやっと折り返し地点にたどり着いたばかりだぞ。これからいくらでも人生の花を咲かせることはできるさ!」


「俺も本を読んでみるかな。お薦めの本はないか?」


「あるよ。中村信仁さんの『営業の大原則』はいいぞ。営業だけでない、生きるための原則も単純明快に書かれている。俺も、折に触れて読み返している本だよ」


「ありがとう。さっそく明日書店に買いに行くよ」


ひとりごと 

今日の物語の中で紹介した『営業の大原則』の著者であり、小生が師事する中村信仁さんは、「お金を儲けようと思うと、お金は手に入らない。しかし、お客様に喜んでもらおうと思うようになってからは、不思議とお金も入ってくるようになった」と言っています。

地位や富や名誉を得ることを目的にしてはいけないということなのでしょう。

それらはすべて手段であって、それをもってどう世の中の役に立ちたいかを真剣に問いかけてみると、自分のやるべきことが見えてくるようです。

小生も、大企業に居た頃は地位や名誉を求めて仕事をしていました。

いや、いつしか今の会社でも同じような姿勢になっていたようです。

手段と目的を間違えてはいけませんね。


【原文】
性分の本然を尽くし、職分の当然を務む。此の如きのみ。〔『言志録』第8条〕



【訳】
人間はもって生まれた誠を尽くし、仕事を通して他人のお役に立つように務める。それだけで良いのだ。



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第1140日 「恥」 と 「問いかけ」 についての一考察

今日は、営業部特販課の大累課長と営業2課の神坂課長とで、N日赤病院を訪問し、キーマンである加藤先生と5月受注予定の大型商談の製品構成打合せを実施したようです。


「なんとか決まりそうでよかったですね」


「本当だよ。来年度上期の最大案件だからな」


「それにしても、神坂さんのセールストークはお見事ですよね。神坂さんが問いかけをすると、いつの間にかドクターが嬉々として話をするようになりますからね」


「意外とお客さまというのは、自分自身の真のニーズに気づいていないものなんだよ。だから、質問をすることで、自らニーズに気づいてもらう必要があるんだ」


「なるほど、そうか!」


「ど、どうしたんだよ。急にデカイ声を出してさ」


「いや、実は雑賀のことでいろいろ悩んでいましてね。先日も佐藤部長に相談したんですよ」


「雑賀君か。あいつはなかなかのくせ者だもんな」


「なにせ、口が立ちますからね」


「ははは。お前はそういう奴が苦手だもんな。たとえば俺とか・・・」


「神坂さんは単純で何を考えているかがすぐにわかるから、苦手という意識はないですよ」


「それって褒めてるの? ディスってるの?」


「ご想像にお任せします」


「ちっ、お前は俺を舐めてるな。まあ、いいや。で、何でデカイ声を出したわけ?」


「部長から、雑賀が会社の中で何を実現したいかを理解しなさいと言われたので、さっそく奴にストレートに聞いてみたんですよ。そうしたら『特にないですねって言いやがったんです」


「それで、『真面目に考えろ!』とか言って、また説教したんだろう?」


「そ、そのとおりなんです。それでさっきの神坂さんの話を聞いていて、神坂さんのトークの展開を思い出したんです」


「どういうこと?」


「決して、ストレートには聞かずに、加藤先生が抱えているであろう課題に気づかせるような話の仕方をしていましたよね。つまり、神坂さんは、あらかじめ加藤先生の課題を把握していたということです。ところが私は、雑賀が何をやりたいのか、どうなりたいのかをまったく理解しないまま質問していました」


「なるほどな。もう少し付け加えれば、雑賀君は恐らくその『やりたいこと』が見えていないんじゃないかな。つまり『志』が立っていないんだよ」


「ああ、佐藤部長も『志』と言っていました。私は、雑賀が志を立てる支援をしなければいけないということなんですね? でも、どうすればいいのかなぁ?」


『志を立てるには、恥を知ることが大切だ』と一斎先生は言っているんだ。あっ、これはもちろん佐藤部長の受け売りだけどな」


「『恥を知る』ですか?」


「たぶん、自分がいかに未熟かを思い知ることだ、ってことなんじゃないかな」


「雑賀が自分の未熟さに気づいてくれるようにすれば良いということか。あいつは誰をライバルとしているのかな? お役に立ちたいと思っているお客さまはいるのかなぁ?」


「大累、そういうことを聞いてみればいいんだよ」


「そうですね。ありがとうございます」


「ただし、冷静に、決してキレずにな!」


「さすがは、カミサマです」


「なんだと、このやろう!!」


ひとりごと 

人間という生き物は、悔しさをバネにしたときが一番成長できるのかも知れません。

若い社員さんにそうした悔しさをもってもらうためには、自分の未熟さに気づいてもらうことが重要なのでしょう。

ただし、ストレートに「君は未熟だ!」とやってしまっては駄目です。

小生はこれの専門家でした。

誰しも欠点を直接指摘されると良い気分にはなりません。

その社員さんの実情をなるべく把握した上で、効果的な問いかけをして導いていく必要があるのでしょう。

大いに反省させられます。


【原文】
立志の功は、恥を知るを以て要と為す。〔『言志録』第7条〕


【訳文】
志を立て、結果を出すために修養を積むには、すべてにおいて恥を知ることが肝要である。



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第1139日 「立志」 と 「仕事」 についての一考察

営業部特販課の大累課長が佐藤部長をランチに誘ったようです。


「どうした大累君、昼ご飯に私を誘うなんてめずらしいじゃないか」


「部長、突然すみません。実は雑賀の件なんですが」


「相変わらずなのか、雑賀君は」


「はい。ああ言えばこう言うといった状態で、もうどう接したら良いのかわからなくなってきました」


「大累君の成長のためにも、なかなか面白い人材だと思ってみていたんだけどな。もし本当にギブアップだというなら、4月は間に合わないけど、9月の異動を考えてみるよ」


「私もできればギブアップはしたくないんです。なんとか彼を変えたいと思っています」


「そこに問題があるんじゃないかな?」


「えっ?」


「上司は部下を変えることはできないよ」


「・・・」


「雑賀君を変えることができるのは、雑賀君だけだよ。上司ができることは変わるきっかけを与えることまでじゃないかな」


「きっかけ・・・ですか?」


上司の役割は、部下を変えることではなくて、部下の成長を支援することだと思うんだ。大累君は、誰か他人の力で自分を変革してきたのかな?」


「いえ、自らの意志で仕事をしてきたつもりです」


「そうだろう。変えるということは、強制だと思うんだ。変えるのではなく、変わるきっかけを与えることは、支援になる」


「たしかに、そうなのかも知れません。私は、いつの間にか雑賀を強制的に変えようとしていたのかも知れません。ただ、具体的にどう支援していけば良いのでしょうか?」


一斎先生はこう言っている。『まじめに学問をするためには、志を立てることが先決だ。しかし、その志は強制するものではない。あくまでも当人が心からそれをやりたいと思えるかどうかが重要だ』とね。学問も仕事も根本は同じじゃないのかな」


「志ですか?」


「雑賀君は、ウチの会社に在籍して、一体何を実現したいと思っているのかな?」


「雑賀が実現したいことですか・・・」


「まずは、それをしっかりと聞き出すことが重要じゃないか?」


「そうですね。雑賀と面談をしていると、ついイライラしてきて、いつの間にか一方的に説教をしてしまっています。彼の言葉にしっかりと耳を傾けることが重要ですね」


「そうだよ。その上で、彼が自ら志を立てることができれば、彼の仕事のステージは必ず一段上に上がるはずだ」


「おっしゃるとおりですね。早速、雑賀と腹を割って話をしてみます」


「ぜひ、そうして欲しいな」


「ありがとうございます。部長と話をさせて頂いて、自分が何をすべきかが見えてきました。ところで・・・」


「なに?」


「さきほど、雑賀を異動させるというお話をされましたが、どこに異動させることを考えられているのですか?」


「いや、まだ具体的にアイデアがあるわけではないよ。ただ、神坂君の下に置いてみようかなとは思っているよ」


「神坂さんですか・・・。確かに最近、神坂さんは変りましたよね。しかし、もう少し時間をください。まだギブアップはしていませんので!」


ひとりごと 

人の上に立つとどうしても部下である社員さんを変えようとしてしまいます。

小生もそれで失敗をしました。

人を変えることはできないと言います。

しかし、変わるきっかけを与えることならできるはずです。

そのためには、その人が会社で実現したいと思っていることを支援すると良いのだと言われます。

ところで、若い社員さんはそこが不明確なことが多いようです。

まずは、リーダーと一緒に、会社の中で何を実現するかを明確にする腹を割った話し合いが必要なのかも知れませんね。


【原文】
学は立志より要なるは莫し。而して立志も亦之を強うるに非ず。只だ本心の好む所に従うのみ。〔『言志録』第6条〕



【訳】
学問をするには志を立てることが何より重要である。しかし志を立てることは強制するものではない。ただ本人の心の好むところにしたがうべきだ。


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第1138日 「憤」 と 「目標」 についての一考察

今日は営業2課の石崎君が先輩の山田さんに同行しているようです。


「4月からは、私が担当していたエリアの一部を石崎君に任せることになったので、よろしく頼みますね」


「はい、私では役不足かも知れませんが」


「ははは、石崎君。『役不足』という言葉の理解が間違っていますね。その言葉は本来、『私にはこの役は不足ですっていう意味で使われる言葉なんですよ」


「え、そうだったんですか? 『私にはその役は重すぎますという意味だと思っていました」


「そういう使い方をしている人は多いですよね。でも、それは間違い。私はね、大学時代は演劇部に所属していたんです。そのとき、顧問の先生からそれを教えてもらって驚いたことを今でも思い出しますね」


「へぇ、山田さんは演劇をやっていたのですか?」


「学生のときだけですよ。でも、今でも芝居を観に行くのは好きですねぇ」


「そうなんですね。ところで話を戻して申し訳ないですが、4月からの山田さんの後を引き継ぐのは、やはりちょっと心配なんです。山田さんのエリアは大きな病院も多いので・・・」


「大丈夫ですよ。私がしっかりフォローをするし、神坂課長も懇意にされているお客様が多いですから」


「山田さんは営業を始めた頃、どんな心がけで営業活動をされていたのですか?」


「実は、これも演劇部の顧問の先生から言われた言葉なんですけどね。その先生の口癖が『憤の一字を忘れるな』だったんです


「ふん?」


「発憤の憤ですよ」


「ああ、なるほど」


「『憤』という言葉の意味は、自分ができないことに悶々とすることなんです。つまり、『もっと上手になりたい』とか『もっと学びたい』という気持ちで夜も眠れないような状態にいつも自分を追い込みなさい、と顧問の先生は教えてくれていたんです」


「私なんか、すぐに自分は『できる』と思ってしまうタイプなので、気をつけないといけないですね」


「そのためには、目標を高く持つことです。目標が低いとすぐに到達して満足してしまうでしょう?」


「そうですね。なるべく高い目標をもつことで自分の足りなさに気づけるのですね」


「これは『論語』に出てくる話なのですが、孔子のお弟子さんの中でも最も徳の高いとされた顔回という人は、舜という伝説の皇帝を自身の目標としていたそうです。『どんなに徳の高いとされる舜だって、私と同じ人間じゃないか。舜になれないはずはない!』ってね」


「すごい情熱ですね」


「石崎君にはぜひ、誰よりも売上を上げる営業マンではなくて、誰よりもお客様のお役に立つ営業人(えいぎょうびと)になって欲しいですね」


「山田さん、ありがとうございます。一生届かないくらいの高い目標を見つけて頑張ります!」


「しっかり応援させてもらいますよ」


「山田さんにだけこんなことを言いますが、私は神坂課長が大好きなんです。いつも本気で真剣に叱ってくれる人なんて、今の時代なかなかいないですよね」


「私も課長は人間味のある人だと思いますよ」


「ちょっと前までは言い方がキツイし、いつも欠点ばかりを指摘されるからウザいなと思うこともあったんです。でも、最近なんかちょっと変わってきましたよね。私の良い点を誉めてくれるようになった気がするんです」


「うん。それは私も感じますね」


「最近は、結果を出して、神坂課長にもっと認めてもらいたいって思うようになったんです」


「それを聞いたら課長は喜ぶと思いますよ」


「あ、それは絶対に秘密にしてください。私のキャラじゃないので! でも、ちょっと目標が小さ過ぎますかね?」


「石崎君、そのコメントも秘密にしておきますよ。また石崎君が大声で叱られないように・・・」


ひとりごと 

孔子という人は、お弟子さんたちが、適切な言葉が見つからなくて言葉を発したいのに発せない、あるいはあと少しで理解できそうでいながら理解できないといった悶々とした状態になるまで、教えを与えることはなかったそうです。

これこそが本当の学問であり、また仕事における基本的な心構えではないでしょうか?

大事なことは答えを知ることではなく、答えを求めて試行錯誤することにあります。

リーダーという立場にある人は、まずメンバーに考えさせる工夫が必要です。

ところが小生は、ついつい我慢できずにプロセスを無視して、やり方を指導してしまう傾向があります。

これでは、メンバーは育たないどころか、いつしか指示待ち族になってしまいます。

気をつけなければいけませんね。


【原文】
憤の一字は、是れ進学の機関なり。舜何人ぞや、予(われ)何人ぞやとは、方(まさ)に是れ憤なり。〔『言志録』第5条〕



【訳】
「憤」という一字は、人が学問を進めていくうえで最も重要な道具といえる。あの孔子の高弟の顔回が「あの立派な舜といでも自分と同じ人間ではないか」と言ったのは、まさしくこの「憤」そのものであろう。


4jikabe.comより転用
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第1137日 「変化」 と 「時間」 についての一考察

今日は営業2課、今年度最後の売上進捗会議が開催されているようです。


「駄目か。あと3千万円がどうしても詰まらないか。各自の不確定案件はどれくらいあるんだっけ?」


「はい、課長。私はあと1件ありますが、5百万円弱の売上の予定です」
山田さんが答えます。


「私は、あと3件ですが、すべて決まったとして2千万円といったところです」
2課のエース、本田さんの答えのようです。


「石崎と善久はどうだ?」


「すみません。私はもう今月までに決まりそうな案件はありません」
善久君が申し訳なさそうに発言しました。


「僕、じゃなかった、私は、今日返事をもらえそうなご施設がありますが、3百万円程度です」
石崎君です。


「そうか。すべて決まっても3千万円には届かないようだなぁ」


「神坂課長、最後まであきらめずに営業活動を続けましょう。私は、消耗品の買い増しや修理促進などで、少しでも上積みを狙います」


「山田さん、そうだよね。まだ1週間以上残っている。みんな、最後まで課全体での達成を諦めずにしっかりお客様のところを訪問してくれないか!」


「はいっ」


2課のメンバーが外出した後、神坂課長は佐藤部長の部屋に入ったようです。


「佐藤部長、私もこの3ヶ月は、すこしマネジメントのやり方に工夫をしてきたのですが、思うように結果が出てきません。やはり私のキャラクターだと、厳しく徹底的に追及する方が良いんですかねぇ?」


「ははは。神坂君らしくない弱気な発言じゃないか」


「ええ、正直に言って迷ってます」


「少なくとも、最近の2課の雰囲気はすごく良くなったと思うよ。会議でも若手が積極的に発言しているしね」


「ええ、それは以前にはなかったことなので、私もうれしく思っていたのですが。最近は、少し舐められているのかなぁとも思ったりしまして」


「そんなことはないだろう。良い雰囲気と馴れ合いの雰囲気は違うものだよ。私には馴れ合いの雰囲気は感じられないよ」


「そうですか。それなら良いのですが・・・。最近、石崎と善久の直帰が多くなったような気がしましてね」


「実はね、これは内緒にしておいて欲しいと言われたんだけどね」


「えっ?」


「石崎君と善久君は、夕方ふたりで手分けして、開業医さんに飛び込み訪問をしているんだよ」


「そんなこと、なぜ私に内緒にする必要があるんですか?」


「カミサマをサプライズで喜ばせたいんだそうだ」


「あいつら・・・」


「以前の神坂君の高圧的なマネジメントだったら、ふたりはそんな気持になっただろうか?」


「・・・」


「一斎先生もこう言ってるよ。『天の道というものはゆるやかに運行する。同じように人の身の上に起ることもゆるやかに変化するものだ。自分の思い通りの速度で動かすことはできない』とね」


「天の道にそって流れるのを待つしかないのですね?」


「まさに、『人事を尽くして天命を待つってことじゃないかな」


「3ヶ月やそこらで結果を求めるな、ということですね」


「そうだよ。私は今の神坂君のマネジメントに期待している。やはり今は上からのマネジメントより、水平目線のマネジメントが必要なんじゃないかな」


「わかりました。メンバーを信じて、もう少し今のやり方を工夫してみます。ただ・・・」


「どうした?」


「入社1年目の石崎に『カミサマ』なんて呼ばれているのは、やっぱり舐められてるんじゃないかと思いましてね」


「よく言うよ。君も若い頃、西村さんのことを『アカオニ』とか言ってなかったっけ?」


「あっ、そういえばそうでした(笑)」


ひとりごと 

なにかを変えようと努力をしても、すぐには結果が出ないものですよね。

だからといって、すぐに諦めて元に戻してしまったら、永遠に変化を起こすことはできません。

やり抜く覚悟をもって、工夫を加えながら、自分が信じたやり方をコツコツ続けていくしかないのでしょう。

とくにマネジメントにおいては、常にメンバーを育成しながら結果を出すという難しい課題が突き付けられます。

かつての小生は短期的な結果を出すことを優先して、メンバーを強制的に動かすというやり方をしていました。

そのやり方は天の道に反することであったために、継続的に結果を出し続けることができず、挫折することになったのだと気づかされました。


【原文】
天道は漸を以て運(めぐ)り、人事は漸を以て変ず。必至の勢は、之を卻(しりぞ)けて遠ざからしむる能わず、又、之を促して速やかならしむる能わず。〔『言志録』第4条〕


【訳文】
天地の道はゆるやかに運行し、人間の身の上に起るあらゆる出来事もゆっくりと変化していく。そこには必ずそうなるという勢いがあるもので、これを勝手に退けて遠ざけることもできなければ、これを促して急がせることもできないものだ、と一斎先生は言います。



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第1136日 「天」 と 「学問 」についての一考察(後編)

Aがんセンター消化器内科部長の多田先生と神坂課長は、病院近くの高級割烹に入ったようです。


「神坂、今日は俺が奢ってやるから好きなものを食え」


「いいんですか? 結構お高いですが・・・」


「小さい事を気にするな。よし、俺は昼会席にするかな」


「では、私も同じものを頼みます」


「相変わらず主体性がないなぁ、お前は」


「(だって、全部5,000円以上だよ。先に頼めるかよ・・・)」


「さて、食事しながら続きを話すかな」


「お願いします」


「本を読むことも、師匠から教えを請うことも勿論大切なことだ。しかし、それはむしろ学問の大前提だ」


「はい」


「その上で、天地の教えに耳を傾けることが重要なんだ」


「でも、天地の教えは文字で書かれているわけでもないですし、声が聞えるわけでもないですよね?」


「そのとおりだ。しかし、その声なき声に耳を澄ますんだ」


「具体的にはどうすればいいのですか?」


「自分で考えろ! と言いたいところだが、まあ敢えて言えば、自分の心の奥から聞こえてくる声に耳を傾けろ、ということじゃないかな」


「自分の心の声、ですか?」


「そうだ。本来人間の心は天地とつながっているんだ。ところが人間は生きていくうちに、自分の心の声が聞こえなくなってしまう。なぜだと思う?」


「周囲の声が気になるからですか?」


「まあ、正解としておくか。どうしても生きていると、他人に負けたくないとか、他人より優秀だと見られたいという邪念が生じてしまう


「多田先生でもそうですか?」


「ばかやろう。俺なんかその気持ちだけで医者になったようなもんだ」


「(おいおい、なんでここで叱られるんだよ・・・?)」


「そうなると、どうしても周囲の評価や評判ばかりが気になってしまう。それで、心の声を無視するようになるんだ」


「なるほど、わかる気がします」


「それに気づくことが大切なんだよ。そして、何をするにも、もちろん学問も仕事でも同じだが、自分の心の声に従って、天地に仕えることに務めるべきなんだ。決して、他人に誇ろうというような気持を持つべきではないんだよ


「そうなんですね。私はかつては社内のトップセールスであり続けることにステータスを感じていました。そして、今はマネジャーとしてトップを取ろうと考えていました」


「そういう気持ちを全否定するつもりはない。ただ、トップを取ることが目的になっては駄目だぞ


「はい。トップマネジャーとして何をするかを考えなければいけませんね」


「そうだな。お前の部下や若い社員さんの将来を、お前の舵取りが左右するかも知れないんだからな」


「はい。もう一度、自分の心の内なる声にしっかりと耳を傾けて、どういうマネジメントをすることが会社や社員さんのためになるのかを見詰め直してみます」


まあ、頑張れ! お前の急成長を感じることができて、俺もうれしいよ」


「はい。多田先生、今日はおいしい食事をご馳走になった上に、素晴らしいお話を聞かせて頂きありがとうございました」


「だいたい、お前はいつも昼飯前に俺のところに来るからな」


「ああ、きっと私は自分の心の声には無頓着ですが、お腹の声には敏感に反応するみたいですね」


「ばかやろう!」


ひとりごと 

人間という生き物は、ひとりでは生きていけません。

勿論、支え合うという意味でもそうですが、競い合うという意味においても、相手を必要とする生き物のようです。

しかし、そういう視点からだと相手に勝つことが目的になりがちです。

小生も常に、他人に勝ちたいとか、他人より良く見られたいという意識で仕事をしてきたように感じます。

そんな狭い視野から抜け出して、人間本来の在り方を考えたとき、天地を師とし、天地の声に耳を傾けることがとても重要なのでしょう。

それはつまり、心の内なる本当の自分の声に耳を傾けることなのだと気づかされました。


【原文】
凡そ事を作すには、須らく天に事うるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず。〔『言志録』第3条〕



【所感】
何事を行うにおいても、すべて天の意に従う心を持つべきである。人に功を誇ることを目的とするような心がけではいけない、と一斎先生は言います。


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第1135日 「天」 と 「学問」 についての一考察(前編)

今日の神坂課長は、Aがんセンター消化器内科部長の多田先生と面会中のようです。


「多田先生、私は40歳にしてようやく読書の面白さに気づきました」


「ほお、お前が本を読むようになったのか。どんな本を読んでいるんだ?」


「主に日本の偉大な思想家や教育者に関連する本です」


「具体的にはどんな人物なんだ?」


「吉田松陰先生や佐藤一斎先生です」


「ははは。佐藤さんの影響が大きそうだな」


「はい、多大な影響を受けています」


「あえて、もう少し推薦するなら、中江藤樹や石田梅岩あたりも読むといいぞ」


「ありがとうございます。ちょっとメモさせてください」


「ただな、神坂」


「はい?」


「本からの学びはあくまでもインプットであって、それをしっかりとアウトプットしないと、真の読書の意義を理解していないことになるんだぞ」


「実践ということですか?」


「そうだ。本から得た知識を自分のものにするには、実践してみることが一番だ。お前は学者になりたいわけではないだろう」


「はい、もちろんです。マネジメントに活かす読書をしようと思っています」


「そういう意味では、本から学ぶことはむしろ学問をする上では当然のことであって、それだけに留まってはいけないんだ


「人から学ぶことが重要ということですか?」


「おお、神坂。お前、たしかに成長しているな。今までのレベルの低い会話が嘘のようだ」


「た、多田先生! レベルの低い会話はないでしょう」


「ばかやろう! お前との会話の8割は低レベルの会話だよ」


「がくっ」


「ははは。しかし、その通りだ。人間から学ぶ、つまり師匠を持つということが、学問をする上ではひじょうに重要なことなんだ


「そうなんですね。私には師匠と呼べる存在はまだいないなぁ。ただ、N鉄道病院の長谷川先生や佐藤部長からはたくさん学ばせていただいています」


「ああ、長谷川のオヤジな。あの人は俺の師匠だよ。俺が唯一恐れる人物でもある」


「多田先生でも怖がる人がいるんですね? 多田先生がビビッてるところを見てみたいなぁ」


「見たいなら、学会にでも行けば、普通に見れるだろう。ただな、神坂」


「はい?」


「その上があるんだよ」


「本よりも、師匠よりも上のものということですか?」


「そうだ」


「何ですか、それは?」


「天だよ」


「天・・・?」


「さっき敢えて名前を挙げなかったんだがな。二宮尊徳という名前は聞いたことがあるだろう?」


「はい、薪を背負って本を読んでいる人ですよね」


「その言い方が低レベルだっていうんだよ。あれは尊徳の少年時代の話だよ」


「何度も低レベル、低レベルって言わないでくださいよ。私だって少しは傷つくんですから」


「その尊徳さんがこう言ってるんだよ。『自分は経書以上に天地の教えを尊ぶ。文字に書かれていない天地の教えこそが、誠の道を教えてくれる』とな」


「多田先生、もう少し教えてください」


「よし、じゃあランチを食べながら話そうか。神坂、時間はあるか?」


「はい、喜んでお供します!」


第1136日につづく


ひとりごと 

二宮尊徳の『二宮翁夜話』には以下のような言葉があります。

「夫れ我教は書籍を尊まず、故に天地を以て経文とす。予が歌に『音もなくかもなく常に天地(あめつち)は書かざる経をくりかえしつつ』とよめり、此のごとく日々、繰返し繰返してしめさるる、天地の経文に誠の道は明らかなり。掛かる尊き天地の経文を外にして、書籍の上に道を求むる学者輩の論説は取らざるなり。能く目を開きて、天地の経文を拝見し、之を誠にするの道を尋ぬべきなり」

本からの学びも、師匠の教えも勿論重要です。

しかし、それ以上に天地の教えに対して、目を開き、耳を澄ませることが大事だと一斎先生は教えています。

まして五十を超えた小生のような人間が、「五十にして天命を知る」ためには、天地の教えを尊ぶ必要性が高そうです。


【原文】
太上は天を師とし、其の次は人を師とし、其の次は経(けい)を師とす。〔『言志録』第2条〕


【所感】
学問をするにあたっては、天を最上とし、次いで人を師と仰ぎ、その次に経書を師とすべきである、と一斎先生は言います。



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