もうすぐ定年退職を迎える営業1課の西郷課長が、営業部の佐藤部長に声を掛けたようです。
「部長、私から清水君にはいろいろと話をしたのですが、最期に部長からも話をしてもらえないでしょうか」
「まだ納得していないのですか?」
「まあ、言葉では納得しているとは言っていますが、表情を見る限りは・・・」
「わかりました。明日の定時後に二人で話をしますので、清水君にその旨を伝えてもらえますか」
翌日、応接室で佐藤部長と営業1課の清水さんが向かい合っています。
「清水君、今回の人事の件に関して、率直な心の内を聴かせてくれないかな」
「はい。私もオブラートに包んだ表現をするのは苦手ですので、正直にお話したいと思います」
「では、こちらも率直に聞くけど、どう思っているんだい?」
「私は営業成績では常に新美君に負けたことはありません。それに年齢でも入社年度でも後輩の彼が課長に指名されたことは、正直に言ってショックでした」
「それはそうだろう。で、西郷課長とはしっかり腹を割って話をしたの?」
「はい、何度も面談をしてもらいました。個人の成績より組織の成績を優先できる人間が組織の長には適しているというお話を聞いて、たしかに私に足りない部分だと感じました」
「清水君が営業のエースであることは、会社の誰もが認めていることだ。しかし、『名選手必ずしも名監督ならず』という言葉があるとおり、プレイヤーとマネジャーとでは、考え方が大きく違うんだ」
「はい」
「しかし、当社は処遇の面では、しっかりと清水君の成果に対して報いているはずだよ。だから、これを機会に人間力を高めることにも時間を使って、名実共に課長へと昇進できる人材になってもらえないかな」
「ありがとうございます」
「一斎先生はこう言ってるんだ。『この世の出来事というのは、すべて予め定められていて、個人の力ではどうしようもないことが多い。それなのに自分の力だけを頼りにして無駄な努力を重ね、最後には疲れ果ててしまう人が多い。とても残念なことだ』とね」
「自分の力だけではどうしようもないこと・・・」
「間違って欲しくないのは、これはすべてを諦めて何もせずに受け入れろということではないんだ。今目の前にあることに力を尽くすことが大事で、とにかく一所懸命に努力した者には、天も味方をしてくれるということなんだ」
「そうですよね。実は、今回の件では神坂課長がとても心配してくれていて、何度も食事に誘ってもらっていたんです」
「ほお」
「ちょうど昨日も誘ってもらったのですが、そのとき神坂さんから、『君は後輩の廣田君や願海君のことをどれだけ知っているか』と聞かれたんです。神坂さんは、廣田の彼女のことや、願海の兄弟のことまですごく詳しく知っていました。他の組織の社員さんのことをそこまで理解していたのには驚きました」
「なるほど」
「そして、そういう情報は、すべて新美から聞いたと教えてもらったんです。そのとき、今回の人事が正しい人事だったことを思い知ったんです」
「そうだったのか」
「だから部長、私はもう大丈夫ですよ。今まで以上に売上を上げて会社に貢献し、報酬もたくさん頂きます。そして、1課の後輩の支援にも力を注いで、新美をサポートしていきますから!」
「清水君、ありがとう。心から期待しているよ!」
ひとりごと
今日から『言志四録』読破の旅は、2巡目に突入しました。
ちょうど今、昇格昇進のシーズンですね。
会社の期待に見事応えて昇格した人もいれば、同期や後輩に先を越されて失意の中にある人もいるでしょう。
昇格した人は、昇格できなかった同僚の気持ちを思い、決して慢心することなく、更なる貢献を続けていきましょう。
そして、今回は残念ながら昇格できなかった人は、これで腐ったり、やる気を失ってはいけません。
それでは、「そこまでの人間」だったのだとして、昇格させなくてよかったと思われてしまいます。
とにかく目の前の仕事に力を尽くして、前を向いて一歩を踏み出してください。
【原文】
凡そ天地間の事は、古往今来、陰陽昼夜、日月代るがわる明らかに、四時錯(たがい)に行(めぐ)り、其の数皆前に定まれり。人の富貴貧賤、死生寿殀(じゅよう)、利害栄辱、聚散離合に至るまで、一定の数に非ざるは莫し。殊に未だ之を前知せざるのみ。譬えば猶お傀儡(かいらい)の戯の機関已に具われども、而も観る者知らざるがごときなり。世人其の此の如きを悟らず、以て己の知力恃むに足ると為して、修身使役として東に索(もと)め西に求め、遂に悴労(すいろうい)して以て斃る。斯れ亦惑えるの甚だしきなり。(文化十年五月二十六日録す)〔『言志録』第1条〕
【所感】
この世の出来事は、昔から現在に至るまで、陰と陽があり、昼と夜があり、太陽と月とが交互に輝き、春夏秋冬が順に運行しているが、それらは皆あらかじめ定まったことなのだ。また、人の富貴と貧賤、死と生、長寿や短命、利益と損害、名誉と恥辱、聚合と離散なども、すべてあらかじめ定まっていないものはない。人がこれを前もって知らないだけのことである。それはたとえば、あやつり人形のからくりは、はじめから具わっているにもかかわらず、観客がそれを知らずに観ていることと同じである。世間の人々は、そのようにあらかじめ定まったものがあることを理解せず、自分の知恵や力量でなんとかなるものと考えて、一生涯苦労して、東へ西へと奔走し、遂には疲れ果てて倒れてしまう。これは心の迷いの甚だしいものである、と一斎先生は言います。