今日は、総務部の西村部長、営業部の佐藤部長、神坂課長の3人で寺社めぐりをしているようです。
ハンドルを握るのはもちろん神坂課長です。
「なんだい神坂君、この変な音楽は?」
「西村さん、これはソニックスというバンドのアルバムです」
「全然知らないな」
「そうだと思います。そんなに売れた訳でもないですしね。ただ、ガレージロックというジャンルが好きな連中にとっては神みたいな存在なんです」
「ガレージロック?」
「まあ、簡単に言えば、ビートルズに影響を受けて世界中に雨後の筍のように誕生した無名バンドの音楽です」
「じゃあ、日本でいえばグループサウンズみたいなものか?」
「ああ、そうですね。タイガースとかスパイダースとかあの辺と同じです」
「それにしても、ちょっとやかましいな。松山千春とか中島みゆきはないの?」
「あ、千春ならありますから、曲を替えましょう。ところで、佐藤部長は普段音楽を聞かれるんですか?」
「私はジャズが好きでね。自宅にいるときはずっとジャズのレコードをかけているよ」
「CDじゃなくて、レコードですか?」
「そう。私の若かりし頃は、まだCDの出始めで、ジャズなんかはLPしかなかったからね。もちろん、大好きなアルバムはCDで買い直しもしているけどね」
「私も NO MUSIC NO LIFE ですから、音楽がないと生きていけないですね」
「今は音楽というと趣味の世界になっているけど、それこそ孔子の時代は、音楽は政治を進める上で欠かせないものだったんだよね、さとちゃん」
「そうですね。かつては祭政一致で、祭りが政治上非常に重要な役割をもっていました。祭りでは音楽は必要不可欠ですから、場面場面で演奏する音楽もしっかり決まっていたようです」
「そうだね。当時の音楽というのは今のように大衆のものではなかったんだよね」
「ええ。孔子は礼の大家ですが、音楽にも精通していたようです。そして、音楽が低俗化していくことをとても嘆いていたようです」
「その低俗な音楽の末裔が、神坂君が聞いているような音楽だな」
「西村さん、結局そこに落としますか?」
「特に音楽というのは、溌剌とした気持ちを外に発散させる働きがありますよね。それに対して礼は厳かな所作によって内面まで厳粛にさせる。だから、一斎先生は、『喜びあふれる陽気を厳かな心で包み込むような人が理想の人物だ』と言っています」
「なるほどね。度を越えた喜びの表現は、たしかに周囲を不快にすることがあるよね」
「それに、哀しみの表現も度を越えると周囲をシラケさせますよね」
「そういえば、例の悪質なタックルをしたN大の学生は、涙を流すことなく淡々と自分の非を認めて反省し謝罪していた。あの会見によって、我々の彼に対するイメージは180度変わったよね」
「たしかにそうですね」
「神坂君、わかっただろう。やかましい音楽ばかりじゃなくて、たまにはクラシックでも聞いて心を整えたらどうだ?」
「はい、そのうちに。さて、そろそろ広隆寺に到着しますよ」
「広隆寺の宝冠弥勒は日本一美しい仏像だと思うんだ。久し振りのご対面だよ、緊張するな。その前に、もう一杯飲んでおこう」
「西村さん、それ4杯目ですよね? 酔っ払って仏像の前で泣き崩れたりしないでくださいよ」
「そんなことするわけないだろう。俺は酒で心を整えているんだから!」
ひとりごと
音楽の重要性については、もう一度考えてみる必要があるのかも知れません。
この時代に社歌を斉唱する会社がどれくらいあるのでしょうか?
むしろ社歌をもたない企業も多いのかも知れません。
時代遅れ、時代にそぐわないと失笑されそうですが、組織の団結のために音楽を活用すべきではないでしょうか?
小生が主催する読書会の歌も誰かに作ってもらおうかな?
【原文】
人をして懽欣鼓舞(かんきんこぶ)して外に暢発(ちょうはつ)せしむる者は楽なり。人をして静粛収斂(せいしゅくしゅうれん)して内に固守せしむる者は礼なり。人をして懽欣鼓舞の意を静粛収斂の中に寓せしむる者は、礼楽合一の妙なり。〔『言志録』第72条〕
【訳】