今日は営業部の佐藤部長、神坂課長、大累課長、新美課長の4名が「季節の料理 ちさと」で食事をしているようです。
「どうだ、新美。そろそろリーダー業にも慣れてきたんじゃないか?」
「まだ4ヶ月目ですよ、そんな簡単なものではないですよ」
「たしか、神坂さんは、リーダーになって3日目くらいに、『俺のリーダーシップも板についてきた』とか言ってましたよね」
「大累君、謙虚で知られたこの私がそんな不遜なことを言うはずがないだろう!」
「あら、神坂君。私もあなたがリーダーになって5日目くらいに、『俺は天性のリーダーだ』なんて言ってたのを覚えているわよ」
「ちさとママ、勘弁してくださいよ!」
「ははは」
一同大爆笑です。
「ところで、神坂さんは日頃からどんなリーダー像を理想としているのですか?」
「新美君、よくぞ聞いてくれた。リーダーというのは、いわば、同じ舟に乗り込んだ仲間を無事に目的地に送り届ける船頭みたいなものだと思っているんだ」
「なるほど」
「ところが、航海というものはいつも順風満帆な時ばかりではないよな。時には大時化に襲われるときだってあるだろう。俺は、そういうピンチのときにこそ冷静に対処して、メンバーをひとつにまとめることができる、そんなリーダーを理想に描いているんだよ」
「きゃー、カミサマ。格好いい!」
「ゴン」
「痛ぇ」
「たしかに想定外のトラブルが発生した時にジタバタするようなリーダーだと、メンバーはがっかりするでしょうね」
「仮に心の中は動揺しまくっていたとしても、顔は笑顔を失くさず、明るくメンバーを励ますようなリーダーでいたいよな」
「なるほど、たしかに格好いいですね。佐藤部長はどんなリーダーでありたいとお考えですか?」
「私はね。平常のときこそ、想定外の事態に対する備えを怠らないようにしておきたいと思っているよ。平時の時から有事に備えて各メンバーに明確な役割を与えておけば、いざという時には、リーダーが特別な指示をしなくても、メンバー各自が自分でやるべきことを淡々と処理してくれるはずだよね。私はそんなチームづくりが理想かな」
「神坂さん、これは完全に一本取られましたね」
大累課長です。
「たしかに! これは参りました。さすがは佐藤部長です」
「ということを佐藤一斎先生が言っているんだ」
「な、なんだぁ。そういうことですか。(笑) でも、実際に佐藤部長はそういうリーダーシップを意識しているんですよね?」
「『言志四録』を読んで感銘を受けたからね。でも、できているかどうかは怪しいものだよ」
「準備で仕事は8割決まる。私は新卒社員さんたちに偉そうにそんな話をしておきながら、自分はまだまだ準備の意味を理解していなかったことを思い知りましたよ」
「野球の世界でも、名手と呼ばれる選手はファインプレーがないと言いますよね。名手は、最初から最善の守備位置についているから、他の野手なら捕球できないような打球でも、何事もなかったかのようにキャッチするんですよね」
新美課長です。
「さすがは大の竜ファンだ。その例えはわかりやすいな」
「その点、神坂さんはわざと派手に転んでファインプレーに見せるタイプですよね?」
「うっ、ムカつくけど、その通りかも知れない」
「ははは」
愉しい宴はその後も続いたようです。
ひとりごと
真のリーダーとされる人は、たしかに派手なパフォーマンスをしないものかも知れません。
しかし派手なパフォーマンスは目立ちますので、そうしたパフォーマンスの得意なリーダーの方が世間の注目を浴びるものです。
小生などはその典型で、全国のリーダーが集まる会議などでは、なるべく人の意表を突く発言をして目立とうということばかり考えていたものです。
リーダーはでんと構えているだけで、メンバーが各自の意志で期待通りに動く、そんな組織を作り上げましょう!
【原文】
賢者は歾(ぼっ)するに臨みて、理の当に然るべきを見て以て分と為す。死を畏るるを恥じて死に安んずるを希(こいねが)う。故に神気乱れず。又遺訓有りて、以て聴くを聳(そびや)かすに足る。而して其の聖人に及ばざるも、亦此に在り。聖人平生の言動、一として訓に非ざるは無く、而して歾するに臨み、未だ必ずしも遺訓と為さず。死生を視ること、真に昼夜の如く、念を著くる所無し。〔『言志録』第133条〕
【意訳】
賢人は臨終に際して、その死を道理の上で当然のこととして受け入れるので、死を畏れず、安らかに死ぬことを望むものである。このために心を取り乱すこともない。また遺訓によってそれを聴くものの心をゆさぶる。しかしこれこそが聖人に及ばない点であるとも言えるのだ。なぜなら聖人の平生の言動はすべて人の教えとなるものであるから、必ずしも遺訓を遺さないのである。死生を昼夜の如く見ているため、心を惑わすこともないのだ。
【ビジネス的解釈】
賢人と呼ばれる人は、何事につけ心を平静に保ち、死をも恐れることなく、立派な遺言を残すものだ。しかし、聖人と呼ばれる立派な人は、普段から人を教え諭す言動を行っているため、あえて遺言のようなものを残すことはない。それはあたかも死と生とを夜と昼に見立てて、自然に移り行くものとして理解しているかのようだ。同様に、仕事においても、危急の際に心を惑わすことなく、言葉で人を導くリーダーは有能と言える。しかし、日頃から常に有事に備えて言葉で教え諭すリーダーの下では、危急のときにもメンバーは各々が最適な行動を取るようになる。それが理想のリーダー像である。