一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2018年08月

第1287日 「誠」 と 「敬」 についての一考察

今日の神坂課長は仕事を終えて、佐藤部長と一緒に、「季節の料理 ちさと」で食事をしているようです。


「古典なんかを読んでいると、心に『誠』がなければならない、という表現をよく目にするんですよね。でも、心の『誠』って、どうやったら持てるようになるんですかね?」


「それは難しい問題だよね。ただ、一斎先生はヒントをくれているよ」


「おお、どんなヒントなんですか?」


「神坂君は石崎君や善久君を尊敬しているかい?」


「えっ、石崎と善久ですか? いやー、さすがにあんな若造たちを尊敬しているかと言われると・・・」


「実は、一斎先生はこんなことを言っているんだ。『他人を敬する気持ちがあれば、詰まらない考えは起きにくくなるものだが、心に誠があれば、そもそも詰まらない考え自体が生まれることもない』ってね」


「はぁ」


「つまり、誠を得るにはまず他人を敬するところから始めると良いということだと、私は理解しているんだよ」


「ああ、なるほど」


そのとき、ちさとママが料理を運んできたようです。


「はい。今日は郡上鮎が入ったので、まずはお刺身にしてみました。どうぞ」


「おお、郡上鮎ですか! 高級魚ですよね」


「関東あたりだと、一匹千円くらいで取引されると聞いたわ」


「鮎のお刺身は珍しいなぁ。では、早速。おおーっ、これは旨いですねぇ」


「たしかに、これは美味しい! ママの包丁裁きもお見事だね」


「ありがとうございます。ところで、神坂君」


「はい?」


「さっき佐藤さんが、後輩を尊敬しているかって聞いてたじゃない? それに関して私のバイブルに書いてあることを話してもいい?」


「ええ、もちろんです」


「私のバイブルには、他人に対して謙遜の態度をとるためには、何よりもまず自己というものが確立している事が大切だ、って書いてあるの」


「自己の確立ですか?」


「そう。確固とした自己がないと、目上の人に対しては慇懃で卑屈な態度になり易く、また目下の人に対しては傲慢になり易いんだって」


「ああ、たしかにそうかも知れません。ただ私の場合、目上の人に対しても傲慢だと言われてきましたが・・・」


「ははは。さすがは神坂君ね!」


「ママ、そこは褒めるところじゃないよ!」


「それでね。バイブルにはこう書かれているの。『傲慢は、外見上いかにも偉そうなのにもかかわらず、実は人間がお目出度い証拠であり、また卑屈とは、その外見のしおらしさにもかかわらず、実は人間のずるさの現れと言ってもよい』」


「そうかぁ。俺の傲慢さは、人間のおめでたさから来ているのか!」


「ママの話は参考になるね。神坂君は当社のスーパー営業マンではあるけど、今の営業2課の数字をひとりで作り上げることは不可能だよね?」


「もちろんです。メンバーひとり一人の力の総和ですから。そうか、そういう意味では、やっぱり石崎や善久にも感謝するだけでなく、敬意をもつ必要があるんですね」


「そう、まさに今は敬意を持つことを意識する時期なのかもね。でもね、そういう風に他人の良さを見つけて敬意を抱くようになると、いつしかそんな意識をしなくても、人を尊敬し、自らが謙虚になれるときがくるものだよ」


「なるほど、一斎先生はそれを言っているんですね」


「私はそう理解しているんだ」


「はい、お待たせしました。やっぱり郡上鮎は塩焼きが一番です。熱いうちに食べれば頭から全部食べられますよ!」


「キターッ、待ってました。やっぱり鮎は塩焼きが一番、頂きます! 旨い! 旨すぎる! 俺、ちさとママを尊敬するわ!!」


「ちょっとわざとらしいわね!」


「あっ、バレました? 心の底から敬意を持つって難しいんだなぁ」


ひとりごと 

『誠』とはどうやって自分のものにすべきなのか?

これは、古典を読んでいると突き当たる疑問のひとつです。

それに対して、一斎先生はまず他人を敬するところから始めよと教えてくれます。

そして、物語の中でちさとママが話しているのは、森信三先生の言葉です。

森先生ほど、難しい言葉を具体的にわかりやすく、実践で使えるように落とし込んでくれる先生はいません。

なにはともあれ、周囲に敬意を抱くところからがスタートです。しょう。


原文】
妄念を起さざるは是れ敬にして、妄念起らざるは是れ誠なり。〔『言志録』第154条〕


【意訳】
心に敬の念があればみだらな考えは起さなくなるが、誠があればそもそも心にみだらな考えが生まれることすらない


【ビジネス的解釈】
慎独を積むことで己の心に誠を蔵することができれば、どんな状況になってもみだらな考えを起すことがなくなる。誠を手に入れるためには、お客様はもちろんのこと、上司・先輩・後輩を敬う気持ちをもつことから始めるとよい。


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食生活研究所のブログより
https://syoku-life-labo.com/ayu-sashimi/

第1286日 「夢」 と 「誠」 についての一考察

「やっぱりこのプロジェクトは俺には重すぎますよ!」
石崎君が頭を抱えています。


「どうした石崎。煮詰まったか?」


「雑賀さん、こんな大きな仕事のリーダーを2年目の営業マンにやらせる会社って無責任だと思いませんか?」


「ははは。それは受け取り方次第じゃないか。当の本人はそう思うかも知れないが、見方によっては若手に積極的にチャンスを与える会社だとも取れるよな」


「そうですかねぇ? カミサマの思いつきにしかみえないけどなぁ」


「そういえば願海が言ってたぞ。お前のことがすごく羨ましいし、差をつけられた気がするってな」


「ガンちゃんがそんなことを・・・」


「石崎、真面目な話をするけどつき合えよ」


「もちろんです」


「俺は飲酒運転で事故を起こしてから復帰して、この仕事を与えてもらった。クビにせずに俺にチャンスをくれた会社に心から恩返しをしたいと思ってる。だから、このプロジェクトを何としても成功させて、大きな注文をもらいたい」


「・・・」


「俺は毎日夢を見るんだ。この仕事を受注して、お前と抱き合って喜ぶ夢をな。周りでは大累課長や神坂課長が涙を流して喜んでくれているし、遠くで平社長や川井室長も満足気な表情を浮かべているんだ」


「雑賀さん・・・」


「俺は今まで真剣に仕事をして来なかったから、仕事の夢を見たことなんて一度もなかった。それが最近は毎日だぜ。自分でもこの仕事に賭ける想いの強さに驚いているくらいだよ」


「・・・」


「それなのにプロジェクト・リーダーのお前がそんな弱気なのが、俺は悲しいよ。リーダー自身がこの仕事を絶対に成功させてやるって覚悟を決めてないだろう?」


「そんなことは・・・」


「さっきお前は、カミサマの思いつきだって言ったよな。でもな、神坂課長は毎日俺にCメールで進捗を聞いてくるんだよ」


「えっ? 私にはメールなんて一回も来たことないですよ。それは雑賀さんのことが心配だからじゃないですか?」


「ばかやろう! お前、本気で言ってるのか? 神坂課長はな、お前のことが心配で仕方がないんだよ」


「それならなぜ、直接私に聞いてくれないんですか?」


「神坂課長は言ってたよ。『あいつに直接聞いちゃうとさ。あいつが辛そうな顔をして相談されたら、ついつい相談に乗り過ぎて、あれこれ口出ししてしまうだろう。それだとあいつのためにならないからさ』ってな」


「うっ」


「おまえがそんなことなら、本当はリーダーを俺にやらせてくれって言いたいよ。だけど、今の俺にはそんなことを言える権利はない。とにかく、おまえをサポートして、このプロジェクトを成功させるしかないんだ」


「雑賀さん、すみませんでした」


「もっと俺に相談してくれたり、依頼してくれて良いんだぜ。会社始まって以来初の院内システムの受注を為し遂げようぜ、リーダー!」


「はい、よろしくお願いします」
そのとき雑賀さんの携帯電話にメールの着信があったようです。


「ほら、定例のカミサマメールが来たよ。『もし本気で煮詰まっていたら、俺のところに来るように言ってくれ』って書いてあるぞ」


「なんだよ、格好つけやがって。素直にメールくれればいいのに!」


「いやいや、相談は最小限にした方がいいぞ。俺は今までに2~3回、神坂課長に相談したんだけどな。毎回1時間以上の独演会が開催されるんだよ。途中から、相談しなきゃ良かったって必ず思うよ」


「ははは。絶対そうなりますよね」


「それがわかってるから、あの人は俺にメールしてくるんだよ」


「なんだか雑賀さんって、すごく良い人なんですね?」


「なんだよ、お前。今までどんな悪人だと思ってたんだ?」


「いや、そういうことじゃないですけど・・・。仕事への想いを聞いて感動しました。私は仕事のことで夢をみたことはないです。そういえば、高校生の頃は、自分の学校のレベルでは行けるはずのない甲子園のことをいつも夢みていたのに」


「夢に見るってことは、本気だってことだよ。逆に言えば、一度も夢に出てこないようでは、自分の想いは本物じゃないってことかも知れないな」


「よーし、私も夢に出てくるくらい本気でこのプロジェクトにぶつかってみます!」


ひとりごと 

孔子は晩年、あれほど夢に見ていた孔子のアイドル・周公旦のことを夢に見なくなったといって嘆いています。

自分の想いや誠が本当に強ければ、夢にまで出てくるものなのでしょう。

一斎先生は、自分の想いの強さを夢で確認しろ、と言っています。

小生もしばらく夢に見る程の想いから遠ざかっている気がします。

老いぼれるにはまだ早いはず。

夢に出てくるくらいの熱い想いを懐ける仕事をします!


原文】
意の誠否は、須らく夢寐(むび)中の事に於いて之を験すべし。〔『言志録』第153条〕


【訳文】
自分の心が誠であるか誠でないかということは、せひ共、ねむって夢を見ている間に試してみるべきである。


【所感】
自分の心に誠があるかないかは、寝ている間の夢で試せばすぐに分かる、と一斎先生は言います。


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第1285日 「慎独」 と 「陰徳」 についての一考察


今日の神坂課長は休みを利用して、N鉄道病院名誉院長の長谷川先生、営業部の佐藤部長と一緒に、奈良の安倍文殊院を訪れているようです。


「このお寺は、安倍仲麻呂や安倍晴明で有名な安倍家の菩提寺でね。安倍晋三現首相もこの安倍氏と関係が深いと言われているんだよ。ほら、そこに石塔があるでしょう」


「ああ、長谷川先生、本当ですね。『第90代内閣総理大臣安倍晋三と書かれています」


「では早速、国宝の渡海文殊を拝むとするかね」


「うわぁ、これは凄いですね。大きいなぁ」


「中央の文殊菩薩様は高さ7mだからね。長谷川先生、いつ見てもこの渡海文殊には圧倒されますね」


「佐藤さん、本当だね。でも、なぜだかこのご一行の様子はなごやかなので、観ているとこちらも心が癒されるよね」


「はい。何時間でも観ていられます」


「全国各地に仏像オールスターズはたくさんいるけど、私はここのオールスターズが一番好きなんだ」


「長谷川先生、あの子供の仏像は可愛いですね」


「ああ、善財童子のこと? 面白いポーズでしょ。『法華経』というお経の中で、この善財童子が53人の善智識と呼ばれる賢者を訪れて修行を積んでいくんだよ」


「一説によると、東海道五十三次の53という宿場の数は、この善智識の数だと言われているんだよ」


「相変わらず佐藤部長は物知りですね」


「ちょっとそこに座って、ゆっくり拝見しようよ」


ちょうど渡海文殊像の前には、椅子が並べられており、今日は他に訪れている人もまばらなため、3人は特等席に座ったようです。


「このご一行の四体の仏像さんは、文殊菩薩さんの徳によって惹きつけられているような感じですね」


「うん。でも文殊菩薩様自体は何も言わず、何も指導せずという感じだよね。だまっていても徳が高いから、みんながついて来るんだろうね」
佐藤部長です。


「私にはこの文殊菩薩様が長谷川先生に見えます。まわりの仏像はN大学消化器内科の先生方に思えます」


「ははは。神坂君、そんなことを言ったら、文殊菩薩様に叱られちゃうよ。私はそこまでの徳はもっていないからね」


「そうでしょうか。これは本当にお世辞などではなく、私は徳の高い人というと真っ先に長谷川先生が思い浮かぶんです」


「それは光栄です」


「私なんか、メンバーをまとめるために、あれやこれやと言葉で伝え、先頭に立って行動で示そうとしているんですが、それでもなかなかついてきてくれません」


「そうなの? でも、最近の神坂君は何か神々しさが出てきたけどな」


「本当ですか、それは嬉しいです。でも、先生。どうしたら徳を積むことができるのでしょうか? 読書と実践だけでは限界を感じるんです」


「慎独じゃないかな」


「ああ、独りを慎むということですか?」


「おお、よく勉強しているじゃない。そう、誰も見ていない時に自分を律することができるかどうか。徳を積むには、独りを慎み、陰徳を積むしかないのかも知れないね」


「いんとく?」


「誰にも知られずに善いことをすることだよ。佐藤さん、ちょっと補足をお願いできるかな?」


「恐縮ですが、ご指名ですので少しだけ。結局、他人の目があるときだけ善いことをしたり、目立つ行為をするというのは、自己顕示欲つまり私欲の現れなんだと思うんだ。他人を意識しなくとも自然に善いことができるというのは理想の姿なんだろうね」


「そうだね。他人を意識しなくなるからこそ他人がついてくる、ということかな」


「なるほど、そうなんですね。いやー、私の場合は人が見ているときだけ無理して善人ぶっているだけかも知れません。元々他人に厳しく自分に甘い男なので」


「ははは。自己分析まではしっかりできているじゃない。あとは慎独と陰徳を積むことを実践するのみだよ」


「いつか私も長谷川先生のような徳の高い人になれますかね?」


「どうせなら、私を目指すのではなくて、そこにいらっしゃる文殊菩薩様を目指したらどう?」


「あ、なんか今、善財童子に笑われた気がしました!」


「ははは」


ひとりごと 

独りを慎む、つまり誰も見ていないときでも自分を律することができるかどうかで徳が積まれるか積まれないかが決まる、という一斎先生のお言葉は思いですね。

凡人は誰も見ていないとどうしても気が緩み、「これくらいはいいか」となります。

そこを律することができないと、人を無言で惹きつけることはできないのだそうです。

徳を積むということは、思っている以上に大変なことですね。


原文】
畜厚くして発すること遠し。誠の物を動かすは、慎独より始まる。独処能く慎めば、物に接する時に於いて、太(はなは)だ意を著(つ)けずと雖も、而も人自ら容(かたち)を改め敬を起さん。独処慎む能わざれば、物に接する時に於いて、意を著(つ)けて恪謹(かっきん)すと雖も、而るに人も亦敢て容を改め敬を起さず。誠の畜不畜、其の感応の速やかなること已に此(かく)の如し。〔『言志録』第152条〕


【意訳】
徳目の蓄えが潤沢であればその影響力は大きくなる。人の誠が相手を動かすのは、独りを慎むところから始まる。独りを慎むことが深ければ、こちらが意を凝らさなくても、接した相手は居住いを但し、敬服するものである。独りを慎むことがなければ、こちらが如何に意を凝らしても、接する相手は態度を改めることなく、敬意を示すこともない。誠をどれだけ深く身に蔵しているかによって、その感化するスピードはこんなにも違うものだ、と一斎先生は言います。


【ビジネス的解釈】
徳目を自分の内に備えている人の影響力は絶大である。人の誠が他人を動かすのは、なにより独りを慎むことから始まる。誰も見ていない時に節制できる人は特別に意識しなくても人を感化するが、独りのときに自分に甘い人はどんなに策を弄しても人の心を動かすことはできない。リーダーがメンバーを思うままに動かしたいと思うなら独りを慎み、誠を蓄積する以外にないのだ。


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第1284日 「責善」 と 「真心」 についての一考察

営業2課の仲良しコンビ、石崎君と善久君の様子がおかしいようです。


もう10:30をすこし過ぎているというのに、今日はまだひと言も会話をしていません。


「あれあれ、そこのお二人さん、なんだかご機嫌が麗しくないようだな。石崎、何かあったのか?」
そういうことには人一倍勘の働く神坂課長が石崎君に声をかけたようです。


「別になにもないです。行ってきます!」
石崎君は仏頂面で出掛けていきました。


「ちぇっ、なんだよあいつ。相変わらず上司をなめてるな。善久、何があったんだ?」


「課長、ちょっと喫茶コーナーでお話させてもらってもいいですか?」


神坂課長と善久君は喫茶コーナーへ移動したようです。


「石崎には言わないでくださいね。実は、おとといのことなんですけど、あいつのお得意先が代金の振込手数料を間違って多めに振り込んでいることに気づいたみたいなんです」


「たまにあるよな」


「ところがあいつは、会社の利益になるし、大した金額でもないから黙っておく、と言い出したんです」


「なるほど」


「それで私は、それは良くないことだから、ちゃんと事情を話して返金すべきだって忠告したんです」


「当然の指摘だな」


「そしたらあいつ、『偉そうに指導するな』って突然逆ギレして、私にすごい剣幕で文句を言ってきたんです。私も頭に来て、そこから罵り合いみたいになりました」


「それで、それ以来冷戦状態が続いているわけか?」


「そうなんです。あいつが良くないことをしたのに、なんで私が文句を言われなきゃいけないのか、まったく理解できないですよ!」


「善久の気持ちはよくわかるよ。でもな、もし仮に願海が石崎に同じことを言ったとしたら、石崎はキレたと思うか?」


「えっ? そ、それは・・・」


「多分、キレないよな。何故だと思う?」


「願海は人間ができているからでしょうか?」


「多分、願海はお前と同じような言い方はしないと思うんだよ」


「どういうことですか?」


「願海はきっと、そんなことをしてバレたときの石崎の処遇を心配するはずだよな。だから、こんな言い方をするんじゃないか? 『やめた方がいいよ。そんなことをしてバレたら、会社から罰せられるだけだよ。会社の利益のためだと言っても、会社はそんなことを望んでいないと言うに決まってる。そんな小さな金額で、同期のお前が罰せられるのを見るのは俺も嫌だよ』ってな」


「・・・」


「もう気づいたと思うけど、たぶんお前の言い方には、鬼の首を獲ったような感じがあったんじゃないか? 俺は善人、お前は悪人みたいなさ」


「はい。確かに自分の正しさを石崎に見せつけたような印象を与えたかも知れません」


「善久、お前が同僚として石崎の行為に忠告したことは間違いではない。むしろ、絶対にそうすべきだ。ただ、その時に自分の正しさに酔って、相手を下にみたような言い方をするのは良くない。それだとせっかく忠告したのに、喜ばれるどころか、かえって怨まれることになるからな。今回はまさにそんな状況じゃないか?」


「はい。その通りです」


「まあ、俺はいま当事者じゃないから偉そうなことを言ってるが、ご存知の性格だ。もし、俺が善久と同じ立場だったら、一旦はぶちキレてるだろうな。でも、それで良いんだよ。一旦は素直に自分の感情を吐き出して、その後で矢印を自分に向けてみればいいんだ」


「はい。課長のお陰で矢印を自分に向けることができました。今日あいつが帰ってきたら、私から謝ります」


「その必要はないよ」


「えっ、何故ですか?」


「石崎もきっと今頃は自分に矢印を向けているはずだからな。そのうちにお前の携帯に着信があるさ」


そのとき、善久君の携帯電話が鳴りました。


善久君は発信先をみて驚いています。


「じゃ、俺は席に戻るぞ」


神坂課長は手を振って去っていきました。


ひとりごと 

ビジネスをしていると、同僚に忠告をしなければいけない場面に出くわします。

そんなときは誰しも、指摘すべきか黙っておくか迷うものです。

もし、その指摘が自分自身をよく見せるためであったり、周りから良く見られたいと思っての指摘であるなら、やめておくべきでしょう。

そうではなくて、本当に相手のことを想っての指摘であれば、真心を尽くし、言葉を選んで指摘すべきです。

これを書いていて過去の小生の忠告の8割以上は、自分のためだったような気がしてきました。

反省します。


【原文】
善を責むるは朋友の道なり。只だ須らく懇到切至にして以て之を告ぐべし。然らずして、徒に口舌に資(と)りて、以て責善の名を博せんとせば、渠(かれ)以て徳と為さず。卻(かえ)って以て仇と為さん。益無きなり。〔『言志録』第151条〕


【意訳】
善を行うことを励まし合うことは、同門の友としてのなすべき道である。この場合は真心を尽して忠告すべきである。もし口先だけで、友に積善を勧めることで売名を図ろうとすれば、かえってそれは徳とはならず、友人からも仇として疎んぜられ、まったく無益なことである。


【ビジネス的解釈】
善行を勧め悪事をさせないようにすることは、同じ釜の飯を食う同僚としては当然のことである。その際には真心を尽くして忠告すべきである。上からの目線で自分の正しさを主張するような態度をとれば、相手は感謝するどころか、かえって逆恨みをすることになる。それでは忠告する意味がないではないか。


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第1283日 「上からの信頼」 と 「下からの信頼」 についての一考察

今日の神坂課長は、特販課の大累課長とランチに出かけているようです。


「その後、雑賀はどうだ?」


「あいつ変わりましたよ。彼にとっても、会社にとっても辛い出来事ではありましたが、あの事故のおかげで、彼は本当の意味で一皮剥けた気がします」(雑賀さんの事故に関しては、第1234日、1235日、1238日、1263日をご参照ください)


「雨降って地固まる、ってやつだな」


「今年入った藤倉は、心から雑賀を信頼しているんですよ。それが嬉しいからか、雑賀もすごく藤倉のことを気にかけてくれるんです」


「良い組織になってきたな」


「これはやはり社長のお陰でです。飲酒運転で事故を起こした雑賀をクビにすることなく、もう一度チャンスをくれたからこそ、ウチの課は結束力が高まったわけですから」


「うん、俺も感動したよ。『本当の息子なら事故を起こしたからって勘当するか?っていう問いかけには衝撃を受けた。真の家族経営とはどういうことかを教えてもらったもんな」


「やっぱり信頼って、すべての基本なんですね」


「『信なくんば立たず』だな」


「『論語』ですね。私もあの一件以来、その言葉が大好きになりました」


「たしか弟子の子貢が孔子に聞いたんだよな。『政治で大切なものは何か』って?」


「そうです。そこで孔子が『食と兵と信の3つだ』と答えるんですよね」


「そうだった。そこで子貢が『ではそのうちでやむを得ずどれかを捨てなければならないとしたら、まず何を捨てるか』と聞くんだよね。そこで孔子が『兵、つまり軍備を捨てよう』と言ったんだな」


「すると続けて子貢が、『ではさらに、もう一つ捨てなければならないとしたらどちらを捨てますか』と聞く。孔子は『食』だと答えるんですよね」


「そうそう。それは衝撃だったな。食料が一番大切だと思っていたからさ」


「残ったのは、信です。孔子はそこで、『信なくんば立たず』という言葉を残すんですよね。『信頼がなければ社会は成り立たない』という意味でしたよね、カッコいいよな」


「政治だけじゃない。仕事においても上司と部下が信頼関係で結ばれるということはとても大切なんだな。雑賀の事故のお陰で、それを学んだような気がする」


「はい、それを日々実感していますよ」


「なんか俺たち、賢い人みたいな会話をしてるな」


「本当ですね。って、この会話はおバカな人の会話ですけど」


「ははは、確かに。俺たちもサイさんのお陰で『論語』なんて、普通だったら絶対に読むことのない本を読んでいるんだな。これもサイさんの人間力なのかもな」


「そうですね。西郷課長じゃなかったら、あの読書会には参加していないでしょうからね。西郷さんへの信頼のなせるわざです」


「信頼といえば、今回の件で俺たちの経営陣への信頼は格段に高まったよな」


「社員みんなの平社長への信頼というか、尊敬の念が高まりましたよね」


「その陰には、川井さんの力添えもあったはずだからな」


「そうですね」


「会社のトップが俺たち部下を信頼してくれている。それがわかったから俺たちもより一層、トップを信頼するようになったんだな」


「これでウチの会社は益々発展しますね、間違いなく!」


「俺も、それを確信したよ。ところで、お前と雑賀の関係も良好なんだろうな?」


「はい、私も今ではあいつのことを息子だと思っていますから。年はそんなに離れていないですけど」


そのとき入り口の扉が開いて誰かが入ってきたようです。


「あれ、神坂課長と大累課長!」


「おお、雑賀じゃないか」


「2人ともフライングじゃないですか? 俺、12時になってすぐに会社を出てきたのに!」


「まあ、セコイこと言うな。ここで会ったのもなにかの縁だ。お前の昼飯代は奢ってやるから」


「神坂課長、それって口止め料ですか?」


「お前は人聞きの悪いことを言うねぇ。俺は見返りを求めるような小さな男じゃないぜ」


「まあそこまで言うなら、奢られてやります」


「おい、大累。こいつどこが変わったんだ?」


ひとりごと 

あらゆる人間関係において信頼こそが最も重要だとは常に言われることです。

しかし、その一方で信頼関係がうまく作れずに悩んでいる組織が多いのが現実です。

『論語』の中では、上司と部下は、相手がどういう態度をとろうとも自分は信頼をもって接することが重要だと書かれています。

もちろん、それが理想でしょうが、組織マネジメントにおいては、まず上司が部下を信頼することが先決なのではないでしょうか?


原文】
信、上下に孚(ふ)すれば、天下甚だ処し難き事無し。〔『言志録』第150条〕


【意訳】
職位が上の人からも、また部下からも信頼を得ているならば、この世の中で成し難いことなどない。


【ビジネス的解釈】
職位が上の人からも、また部下からも信頼を得ているならば、どんな仕事もうまくいく。


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第1282日 「平日の信」 と 「臨時の信」 についての一考察

「願海君、幕田記念病院の幕田院長にアポを取ってもらえないか?」


「えっ、新美課長。幕田記念病院は先日敗戦した施設ですよ」(この件については、第1265日をご参照ください)


「わかってるよ。敗戦が決まってからもう3週間近く経つだろう? そろそろ新しい機械の操作にも慣れてきた頃だと思うんだ」


「わかりました。電話で秘書さんに確認してみます」


それから3日後、営業1課の新美課長と願海君の2人は、幕田記念病院を訪問しているようです。


「院長先生、F社さんの内視鏡は順調ですか?」


「ははは。新美さん、あなたには申し訳ないけど、とても調子よく使わせてもらっているよ」


「そうですか、それは良かったです」


「あなたのように競合負けした病院を敗戦後に訪れる営業さんには、滅多に会ったことがないよ」


「はい。弊社の主力商品は内視鏡ですが、それ以外の医療機器全般も扱っていますので、まだまだ先生のお手伝いはできると思っています」


「なるほどね。それで、今日はどういう用件なのかな?」


「ウチの願海は2年目の社員です。まだまだ先生の内視鏡にかける思いや医療に対するお考えを理解できていないはずです。弊社としても、ぜひそのあたりをお聞きしたいと思っていたのですが、敗戦直後にお伺いするのは、院長先生も話しづらい面もあろうかと思いまして、ちょっと時間を空けてお邪魔した次第です」


「そういうことね。願海君、君は課長にどんな報告をしたの?」


「はい。院長先生からご指摘を受けたとおり、価格面で大きな開きがあることを伝えました。しかし、やはりそれだけではなくて、私自身が先生のお役に立てていないことも大きな要因だと報告しています」


「立派だね。私は価格のことしか君に伝えていないのにね」


その後、幕田院長は内視鏡にかける思いや医療に対する考え方を熱く語ってくれたようです。


「院長先生、大変勉強になりました。また、お話に感銘を受けました。今お聞きした院長先生の思いに適うご提案をお持ちするように、弊社としても努力して参ります」


「結局、商売というのは日ごろの信頼関係の積み重ねの上に成り立つものだよね。新美さんや顔海君と今のような話を以前から続けていたら、今回も御社から内視鏡を買ったかも知れないからね」


「はい、弊社の努力不足です」


「いや、確かに価格も大事だよ。200万円もの差があったからね。どちらを買っても診療報酬に違いがある訳でもないのに、それだけ差があるとね。経営者としては、やはり安いほうを買わざるを得ないよ」


「おっしゃるとおりです」


「でも、すごく迷ったよ。願海君は、連絡するとすぐに飛んできてくれたからね。Y社さんは動きが遅くてイライラさせられたんだ。納入後のフォローは大丈夫かなと心配にはなったよ。臨機応変な対応をしてくれるかどうかは、ディーラーさんを選ぶ上ではとても重要だからね。その点、願海君なら間違いはないだろうなと思った」


「ありがとうございます」


「あなた達は『屠竜の技(とりょうのぎ)』という言葉を知っているかな?」


2人は首を横に振りました。


「これは中国古典の『荘子』に出てくる故事から生まれた言葉なんだ。ある男が大金を使い果たして竜を倒す秘技を会得したんだそうだ。しかし結局、竜は現れることなく、彼が生きている間にその技を使う機会はなかった、という話でね。そこから、無駄な努力のことを『屠竜の技』と呼ぶようになったそうだ


「・・・」


「でも本当に無駄な努力なんてあるのだろうか? 我々医師は、もしかしたらこれまで遭遇したこともない難病をもった患者さんを診ることになるかも知れない。その時のために日ごろから医療技術を磨き、新たな知識を習得しているのではないだろうか? あなた達も同じではないかな。日々、我々医療機関のお役に立ちたいと考えて努力を積み重ねいくことで、もしかしたら竜を倒すような、とても手に負えないと思われる大きな課題を解決する機会にめぐり合うこともあるんじゃないかな?」


「すべての結果は小さな努力の積み重ねなのですね」


「うん。小さくともたゆまぬ努力の積み重ねだね」


「幕田先生、我々二人は今回の商売から大変重要なことを学びました。我々は、医療器械を売り込む前に、各先生方の医師としての信念をお聴きすることや、弊社の企業理念や価値観をお伝えすることにもっと時間を割かなければならないようです」


「とても大事なことだね。私もウチのスタッフに対して、もう一度今のような話をしておこうと思ったよ。ありがとうね。願海君、これからもウチに顔を出すんだよ!」


「はい。ありがとうございます!」


ひとりごと 

今回、幕田院長が口にした『屠竜の技』を学んだのも永業塾塾長・中村信仁さんからでした。

中村信仁さんは、この『屠竜の技(実際には屠龍技)』を居室に掲げて日々鍛錬する、東京消防庁第6消防方面本部消防救急機動部隊(通称:ハイパーレスキュー隊)の類推を使って、無駄な努力の必要性を教えてくれる素晴らしい語りに仕立てられています。(お聞きになりたい方は、お近くで開催される中村信仁さんの講演会、もしくは全国8ヶ所で開催されている永業塾にご参加ください)

小生も、類推話法の鍛錬の意味で、この『屠竜の技』を別の類推ストーリーに仕立ててみました。

まだまだ学びと鍛錬の不足を痛感します。


原文】
臨時の信は、功を平日に累(かさ)ね、平日の信は、効を臨時に収む。〔『言志録』第149条〕


【意訳】
突発的なことを巧みに処理することで日々に信頼度を増し、また日々の信頼の積み重ねが思わぬ突発的な効果をもたらすこともある


【ビジネス的解釈】
突発的なことを巧みに処理することで日々に信頼度を増し、また日々の信頼の積み重ねが思わぬ突発的な効果をもたらすこともある


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第1281日 「信頼」 と 「価値観」 についての一考察

今日の神坂課長は、月に一度の新卒社員さん向け研修を行っているようです。


「湯浅君、常に売上げ計画を達成し続ける営業マンというのは、どういう人だと思う?」


「は、はい。諦めない人だと思います」


「おお、良い答えだね。確かに、こんな計画は達成できるわけがないと初めから諦めていたら、結果は100%未達成に終わるからね。藤倉君はどう?」


「はい。準備を怠らない人だと思います」


「これも素晴らしい答えだな。準備で仕事は8割決まると言ったよね。では、志路君はどうだろう?」


「素直に売れている先輩の真似ができる人ではないでしょうか?」


「なるほどな。『学ぶ』という言葉は、『まねぶ』から来ているらしいからね。良いことを真似するというのは上達の基本だね。では、最後。梅田君」


「はい。もう私が考えたことはすべて先に言われてしまったので、気合が入っている人、ということにします」


「良いね! ここはひとつの正解を求められているわけではないから、前の人と違うことを言おうとする意識はとても大事だ。一番ズルいのは、前の人の答えを真似するやつだよな」


「えっ、でも神坂課長は先ほど真似は良いと言ってませんでしたっけ?」


「湯浅君、私は『良いことを真似するのは上達の基本だ』と言ったんだよ」


「良い答えを真似するのはダメなのかなぁ・・・」


「よし、その点は後でゆっくり話をするかな」


「あ、いや、大丈夫です。補習は嫌です」


「ははは」
一同、大爆笑のようです。


「4人の答えはどれも正しいと思う。まあ、今年の新人は個性的かもな。だいたい一人くらいは、『信頼を得られる人』と答えてくれるんだけどね」


「なるほど」
梅田君が納得しています。


「人間というのは、その人の言葉よりは行動を重視するし、行動よりも心、つまり価値観や考え方を重視して人を信頼するかどうかを決めるものだと思う」


「・・・」


「つまり信頼を得るためには、いくらカッコいい言葉を並べてもダメだということだね。さらに立派な行動をしたとしても、なぜそういう行動をしたのかが明確にならないと信頼を得るまでには至らないんだよ」


「それが価値観ですか?」
志路君が質問したようです。


「価値観といっても良いし、誠と言っても良いのかも知れない。どちらにしても、そのままではちょっと理解しにくいよね?」


「はい!」
湯浅君が元気に答えました。


「じゃあ、湯浅君。後でゆっくり・・・。嘘だよ。今、話をするね」


「ふーっ、良かった」


「ははは。たとえば、湯浅君が急ぎの資料を明日までに持ってきてと頼まれたとしよう。そのとき湯浅君は、お客様は急いでいるのだからと考えて、当日の夜のうちに資料をお持ちした。お客様は、『ありがとう。明日でも良かったのに』と大変喜んでくれた」


「・・・」


「その後、湯浅君はこう言うんだ。『先生に喜んでいただければ、また当社に注文をもらえると思ったので』」


「えーっ、湯浅。それはダメだよ!」


「おいおい、梅田。今のは課長の作り話だって!」


「あ、そっか」


「今のがAパターンだとしよう。Bパターンでは湯浅君はこう言うんだ。『先生は、明日は外来ですから資料をゆっくり見る時間がないですよね。今日のうちにお渡しすれば、夜ゆっくりとご確認いただけると思ったんです』」


「すばらしい!」
藤倉君がニコニコしながら声を上げたようです。


「いまの2つのパターンを考えてみよう。Aパターンから見えてくるのは、『売上第一、顧客はその次』といった価値観だよね。Bパターンの場合は、『顧客第一』あるいは『時間を大切にする』といった価値観が見えてくるでしょう。こういうのは言葉に出さなくても、表情やしぐさからも見えてしまうから怖いんだよ」


「たしかにそうですね」
志路君が深くうなずいています。


「だから、どんな価値観を持つかはひじょうに大事なことなんだ。まだ、君たちは仕事に対する価値観が定まっていないはずだ。だから、いまのうちに正しい価値観というのかな? 多くのお客様から賛同を得られるような価値観をもって欲しいんだ」


「はい」


「ただし、価値観にも正解はないよ。さっき4人が別々の答えをしてくれたように、価値観も個性だ。それぞれが自分で考えて、自分自身もそうだし、多くのお客様も納得してれるような価値観を築き上げてくれれば良いんだよ。そうすればきっと多くのお客様から信頼を得ることができるはずだからね」


「はい!」


「よし、これで今日の研修を終わります。さて、湯浅君。行こうか?」


「えーっ、補習は嫌ですーっ!」


湯浅君は神坂課長に肩を抱かれて、そのまま喫茶コーナーに連れて行かれたようです。


ひとりごと 

ビジネスにおいても、実生活においても、他人から信頼を得るということほど難しいことはありません。

すこしでも私欲や利己心が見えてしまうと、相手は警戒心を解きません。

結局、売れ続けている人というのは、売上げのことを頭から消し、私を滅し、多くの人が賛同する価値観に沿って行動しています。

売れる営業マンになることが難しいのは、信頼を得ることが難しいからなのです。



原文】
信を人に取ることは難し。人は口を信ぜずして躬を信じ、躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し。〔『言志録』第148条〕


【意訳】
人の信頼を勝ち取ることは容易なことではない。人は言葉ではなく行いを信じ、さらに行いよりも心を信じるものである。だからこそ信頼を勝ち取ることは容易ではないのである。


【ビジネス的解釈】
お客様やパートナーから信頼されるためには、言葉だけでなく行動することが重要である。しかし、それ以上に重要なのは、その行動に自分の価値観を込めることである。


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第1280日 「詩」 と 「礼」 についての一考察

今日の神坂課長は、平社長に呼ばれて社長室に居るようです。


「まあ、そういうことだ。ひとつお前の力も貸してくれ」


「はい、私にできることであれば、喜んでやらせていただきます」


「当社を家族に例えれば、お前は『頼りになる長男坊みたいな感じだな。頼むぞ」


「ありがとうございます。そういえば、社長。昨日、ジュニアが来られてましたね」


「ああ、ちょうど会社がお盆休みなので、帰省してきたんだ。ちょっと会社を見ておけと言って呼んだんだよ」


「そうでしたか。そろそろ戻すのですか?」


「いや、もう少し修行してもらうつもりだよ。ただなぁ、この前『論語』のある一節を読んで気になったことがあってな」


「おお、社長も『論語』を読まれるんですか?」


「え、神坂も読むのか?」


「私は、退職したサイさんの『論語』の読書会に時々参加させてもらって読んでいます」


「そうだったのか、お前も勉強しているんだな」


「今まで遊んできた分のツケを返しているところです」


「なるほどな。それで、その『論語』の中で、陳亢(ちんこう)という弟子が、孔子の息子の鯉(り)に『あなたはお父さんから何か息子ならではの特別な教えを受けているか』と聞く場面があるんだ」


「その章はまだ読んでいませんね」


「それに対して、息子の鯉は、『特別なことは何も教わっていません。ただある時は詩を学んでいるかと問われ、ある時は礼を学んでいるかと問われて、どちらも未だだったので、それから詩と礼を学んでいます』と答えるんだよ。それを聞いた陳亢は、『とても良いことを聞きました。私は今の私の質問で3つのことを学びました』と言うんだ


「3つのことですか? 詩と礼の話なら2つですよね?」


「そう。その2つのプラスして、『師たる者は、息子といえども他の弟子たちと差別をして特別なことは教えないということを学んだというんだ」


「なるほど。陳亢という人もすごいですね」


「それを読んで、私は少し不安になったんだ。『私の息子は今の会社で詩と礼にあたる仕事の基本を学んでくれているだろうか?』ってな」


「現代の仕事における詩と礼とは何を指すのでしょう?」


「どちらも技術や知識のことではないよな。礼はそのまま社会人として必要な礼儀作法だろう。詩は、おそらく、技術ではなく心を磨けということにつながるのではないかな?」


「心が技術を超えない限り、技術は生かされない、ですね」


「ほお、良い言葉じゃないか?」


「佐藤部長が参加している塾の塾長さんの言葉だそうです」


「なるほどな。まさにそれだよ。息子には丁稚先でしっかりと心を磨いて帰ってきて欲しいところだ。あえて今は孔子のように、『礼儀作法を身につけ、心を磨いているか?』と問うだけにしておこうと思う」


「具体的にこうしろという指示はしないのですね?」


「うん、あいつの主体性に任せようと思う。その上で、帰ってきたらその点を見極めて、会社を継がせるか否かを判断しようと思うよ」


「私も2人の息子には、その点をさりげなく伝えていこうかなぁ」


「そうだな。早いに越したことはないだろう」


ひとりごと 

国民教育者の森信三先生の「しつけの三原則」という大切な教えがあります。

一、 朝のあいさつをする
二、 「ハイ」とはっきり返事をする
三、 席を立ったら必ずイスを入れ、ハキモノを脱いだら必ずそろえる

この3つさえ100%できる子供に育てれば、その他の礼儀作法は自然に身につくという教えです。

心を磨くことについては、これまでに繰り返し述べてきましたのでここでは割愛します。

後継者を育てる際にも、しつけの三原則を徹底し、心を磨くことを奨励し続ければ、立派な跡継ぎに育ってくれるはずです。

もちろん、一般の社員教育も然りです。


原文】
伯魚庭に趨(はし)り、始めて詩礼を聞く。時に年蓋し已に二十を過ぐ。古者(いにしえ)は子を易(かえ)て之を教えば、則ち伯魚は既に徒学せり。而るに趨庭の前、未だ詩礼を聞かず。学ぶ所の者何事ぞや。陳亢も亦一を問いて三を得るを喜べば、則ち此れより前に未だ詩礼を学ばざりしに似たり。此等の処、学者宜しく深く之を思うべし。〔『言志録』第147条〕


【意訳】
孔子の子の伯魚(鯉)が庭を横切ったとき、孔子に呼び止められて詩と礼を学んだかと聞かれた。伯魚はおそらく二十歳を超えていたであろう。昔は互いに子供を取り換えて教育したので、伯魚は既に学問をしていたはずである。しかし、まだ習っていませんと答えた。今まで何を学んでいたのだろうか。門弟の陳亢も一つの質問をして三つの答えを知ることができたことを喜ぶようでは、これより以前に詩や礼を学んでいないようである。こうした点を今の学者は深く吟味すべきであろう。


【ビジネス的解釈】
孔子の弟子の陳亢は、孔子の息子で弟子でもある鯉に、父親から特別な教えを受けているかと勘ぐった質問をする。しかし孔子は、儒学を学ぶ上での基礎は、『詩』と『礼』にあるということだけを息子の鯉に教えたことを知る。これによって、師は息子と弟子を差別しないことも学んだという。
仕事を適切に処理する上で基礎となるのは、礼儀や心がけであろう。後継者を育成する場合には、この点を疎かにしてはいけない。


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第1279日 「個性」 と 「仕事」 についての一考察

営業部の新卒社員さん4名は、それぞれリストをもらって、競合他社の取引先への飛び込み訪問を始めたようです。


いち早く帰社した特販課の藤倉君が落ち込んでいます。


「今日も4件訪問して、1件も先生に会うことができませんでした。心が折れそうです」


「わかるよ。俺も最初は飛び込みから始めたからな。でもまだ3日だろ? 心が折れるのが早過ぎだよ!」


先輩の雑賀さんが笑いながら話しかけたようです。


「飛び込み訪問って、本当に意味があるんですか?」


「意味はあるよ。ただ、会社は藤倉に注文を取ってくることを期待しているわけではないかもな」


「え、どういうことですか?」


「だってさ、競合先のお得意さんをひっくり返すなんていうのは、ベテラン営業でも大変なことだろう。それを入社5ヶ月目の新人がやれるなんて最初から思っていないよ」


「それは、そうですよね。だったら、なぜ飛び込みをさせるのですか?」


「人間ていうのは、誰かに頼って生きる生き物だと思わないか。先輩と同行していると、結局先輩に頼ってしまう。だから会社は、独り立ちさせるにはひとりで市場に投げ出すのが一番だと思っているんじゃないかな」


「たしかに同行していたときにはわかっているつもりになっていたことが、いざ一人でやってみると全然わかっていないことに気づくことが多いですね」


「現場でたくさん失敗をしながら、お客様との駆け引きを学んでいくことができる。それが飛び込み訪問のメリットだろうな」


「雑賀、また先輩ぶって偉そうにお説教か?」
特販課の大累課長が帰社したようです。


「相変わらず部下への信頼が足りない発言ですね、課長」


「なんだよ、じゃあお説教じゃないのか?」


「藤倉が飛び込み訪問がうまくいかなくて凹んでいたので、背中を押していたところですよ」


「なんだ、藤倉。もうギブアップか?」


藤倉君は自分の悩みと、雑賀さんのアドバイスについて大累課長に報告したようです。


「ほお、雑賀。良いこと言うじゃないか。ただ、俺ははじめから奪回を期待していないわけではないぞ。できれば、新規顧客を増やしたい訳だから、藤倉が他社から奪回してくれることを望んではいるよ」


「はい」


「ただ、それだけが目的ではないということだ。雑賀が言ったように、いろいろな経験を積んで欲しい。そして一つの出来事に対して深く考えて、次の行動を決めて欲しいんだよ」


「考えるんですか?」


「そうだよ。どこかの誰かみたいに、話ができないとお客様の悪口を言ったり、そもそも与えられたリストが悪いと文句を言ったところで、何も自分にはプラスにならないだろう」


「そんな人がいたんですか?」


「ああ、意外と近くにな」


「もしかして、課長。それ、俺のことですか?」


「他に誰がいるんだよ!」


「失敬な上司だなぁ。俺、そんなこと言ってましたっけ?」


「そんなことしか言ってなかった気がするなぁ。まあ、雑賀のことは置いておいてな。何事も矢印を自分に向けないと成長しないんだよ。人のせいにしていたら自分は変わる必要はないと思ってしまうだろ?」


「まあ、それは・・・」


「雑賀に遠慮することはないよ。こいつも今ではかなり変わってきたからな」


「はい。雑賀さんはとても頼りになる先輩ですから」


「おお、後輩。お前は良い奴だな。お前の爪の垢を煎じて飲ませたいよ、そこの御方に」


「ちっ、うるせぇ奴だな。ところで、藤倉。自分のできないことや弱みにばかり目を向けるなよ。入社当時にできなかったことで、5ヶ月経った今ならできることもたくさんあるだろう?」


「あるかなぁ。あ、でも製品の知識はかなり増えました」


「それだけ成長しているんだよ。今のように自分の出来ていることを確認して自信をもつことも大事だぞ。藤倉の最大のセールスポイントは何だ?」


「笑顔ですかね。いつも周りを明るくする笑顔だと言ってもらえます」


「そうだよな。自分の性格をよく把握して、自分の強みを理解し、その強みを活かして仕事をしていくしかないんだよ。絶対に仕事から逃げるなよ」


「はい」


「逃げた所で、営業の神様はまた同じ宿題を出すからね。解決するまでは、どこに行っても同じ宿題が出されてしまうものだよ」


「なるほど」
雑賀さんが感心しています。


「ははは。雑賀、俺は藤倉に話しているんだけど」


「いや、課長も良いことを言うなと思いました」


「それはありがとうございます。藤倉、自分の弱みや出来ていないことに焦点を当てると、仕事が辛くなる。毎日辛いなと思って魂をすり減らしながら仕事をしたって面白くないだろう。それにそんなことを考えている営業マンの態度や表情には覇気がないから、お客様はそんな人からモノを買おうと思うはずがないよな」


「はい。大累課長、雑賀さん、ありがとうございます。よし! あすからとびっきりの笑顔を振りまきながら仕事をしてやります!」


「藤倉、いいね、その笑顔!!」


ひとりごと 

営業の世界では、売れる営業マンは売れる顔をしているし、売れない営業マンは売れない顔をしている、と言われます。

これは、心の内が表情や態度となって表れるからでしょう。

人には個性があり、強みと弱みがあります。

強みを伸ばすことに比べて、弱みを克服するには何杯もの時間と労力が必要です。

まずは、自分の強みを活かしたスタイルを確立し、その上で少しずつ弱点の矯正を図っていくべきでしょう。


原文】
孔門の諸子、或いは誾誾如(ぎんぎんじょ)たり。或いは行行如たり。或いは侃侃如(かんかんじょ)たり。気象何等の剛直明快ぞ。今の学者、終歳故紙陳編の駆役する所と為り。神気奄奄(えんえん)として奮わず。一種衰颯(すいさつ)の気象を養成す。孔門の諸子とは霄壌(しょうじょう)なり。〔『言志録』第146条〕


【意訳】
孔子門下の弟子たちは、閔子騫(びんしけん)のようにおだやかで落ち着いていたり、子路のように意気軒昂であったり、冉有(ぜんゆう)や子貢のようにやわらぎにこやかであったりと、その性格はまったく実直で明快であった。今の学者連中は一生を古書に追われて、息も絶え絶えで奮わず、その性格は衰え寂しいものとなっている。孔子門下の弟子たちとは雲泥の差である。


【ビジネス的解釈】
孔子門下の弟子たちがそうであったように、本来学問というものは自分の個性を活かしつつ、実直明快な態度で取り組むものである。同様に、仕事においても、自分の性格をよく把握し、常に実直明快な態度で取り組むべきである。仕事に追われて、魂をすり減らすような取り組み方をしているようではいけない。


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第1278日 「読書 」と 「五感」 についての一考察

「神坂はいるか!」


朝一番でA県立がんセンターの多田先生からオフィスに電話が入ったようです。


「はい、もしもし・・・」


「おい、神坂か、とにかくすぐに来い! ガチャ」


「なんだよ、理由くらい言ってくれよな」


「課長、どうしたんですか?」
石崎君が興味深々で聞いています。


「多田先生からで『すぐ来い』だけ言って電話を切られたよ」


「やばいですね。恐竜みたいな人ですから、怒ると手に負えないですよね?」


「お前、なんか嬉しそうじゃないか? そうだ、クレーム処理を見せてやるからお前も一緒に来い」


「な、なんでですか! ちょ、ちょっと待ってくださいよ。マジかよ、話しかけなきゃ良かった!」
と言いながら、石崎君は慌てて神坂課長の後を追いかけたようです。


「ご愁傷様です」
善久君は笑って手を振っています。


15分後、二人はがんセンターの内視鏡室に到着したようです。


「おい、神坂!」


「は、はい」


「またファイリングが止まったぞ。急いでカルテを書いて学会に出かけたいのに、これじゃ動けないじゃないか!」


「やはりファイリングですか。そうだと思って、O社さんのサービスに来てもらうように言ってありますので、もう少し待ってください」


「10:00までしか待てないからな。間に合わなければ、俺の変わりにお前が患者に謝罪しろ!」


「わかりました。それはお約束します」


「ははは。流石だな、神坂。普通の営業マンならそこで『それは困ります』とか言って、俺をさらに激怒させるんだがな。それにあの電話だけで、ファイリングだと予測して対応したのも見事じゃないか」


「何年、先生を担当してきたと思ってるんですか。多田先生のことは、ご家族の次によく理解しているつもりです」


「おお、大きくでたな! 長谷川の親爺よりか?」


「あ、いや、そのお名前は反則ですよ!」


「ははは。おい、そこの若いの! これがクレーム対応のお手本だな。お前の上司もなかなかやるだろう」


「あ、はい」


「なんで神坂は冷静なのに、君がそんなにビビッてるんだよ」


「そりゃ、多田先生の怖さは、ウチの人間はみんな知ってますから。だいたいブチ切れて電話してくるのは、多田先生ぐらいですからね」


「ばかやろう! それだけお前が売った機械がよく壊れるということだ!」


「それは、先生の使い方にも・・・。あ、何でもないです!」


「なあ、若いの。神坂はこんなバカだが、最近はよく本を読んでいるらしいぞ」


「はい、私にも読書を勧めていただいています」


「読書というのは実践に活かしてナンボだ。神坂は元々、人に対する対応には天性のセンスがあった。ただ、あまりにもバカなので、言葉遣いや一般常識に問題があって、よく先生方に叱られたもんだ」


「ぷっ」


「石崎、お前、覚えてろよ!」


「だが最近は、俺と会話をしてもそれなりの会話ができるようになった。大した成長だよ。若いの、いいか。本を読んで頭デッカチになるなよ。仕事は五感をフルに発揮させてこそうまく行くものだ。本を読んで身につけた知識を五感全部で発揮できるようにするんだぞ」


「はい!」


「多田先生、ファイリングが直りました!」


「おお、間に合ったか。面白くないな。じゃあ、すぐにカルテを書いて、出かけなきゃならないから、これで失礼するぞ。神坂、ありがとうな! 若いの、頑張れよ!」


帰りの車中です。


「なんだかとてつもなく大きな台風が一瞬で去っていったような感じでした」


「ははは。いつもあんな感じだよ」


「患者さんに説明しろと言われて、即答で返事をしたのには驚きました」


「あの人の場合は、あれが正解だと思うよ。もし仮に本当に間に合わなくても、俺に謝罪させるようなことはしない人だしな」


「なるほど」


「多田先生は、俺がお前を連れてきた意味を瞬時に察知していたな。そして、俺の言葉の足りない部分まで補ってくれた」


「読書のことですか?」


「そう。やっぱりあのオッサンは凄い人だよ。世界一口が悪いけどな!」


「(課長も凄いオッサンですよ。同じく口は悪いですけど)」
石崎君は心の中でつぶやいたようです。


ひとりごと 

人間は五感を均等に使うべきであり、目だけを使って読書をしているだけではいけない、と一斎先生は教えてくれます。

言われてみると、私たちは得てして五感のいずれかを偏って使ってしまうことが多いのかもしれません。

目を使って読書をしたら、五感を使って実践に活かす。

これが活学・活読なのでしょう。


原文】
一耆宿有り好みて書を読む。飲食を除くの外、手に巻を釈(す)てずして以て老に至れり。人皆篤学と称す。余を以て之を視るに、恐らくは事を済さざらんと。渠(かれ)は其の心常常放(お)かれて書上に在り。収めて腔子の裏に在らず。人は五官の用、須らく均斉に之れを役すべし。而るを、は精神をば耑(もっぱ)ら目に注ぎ、目のみ偏して其の労を受け、而して精神も亦従いて昏聵(こんかい)す。此の如きは、則ち能く書を看ると雖も、而も決して深造自得すること能わず。便ち除(た)だ是れ放心のみ。且つ孔門の教の如きは、終食より造次顚沛に至るまで、敢えて仁に違わず。試みに思え、渠は一生手に巻を釈てざれども放心此の如し。能く仁に違わずや否や。〔『言志録』第145条〕


【意訳】
ひとりの老人が好んで大いに読書をしている。食事のとき以外は本を手放すことがないまま老年期を迎えた。人はその人を篤学だと言う。私がかれを見たところでは、彼は事を成すことはないであろう。彼の心はいつも本に奪われていて、体の中には置かれていない。人間は五官を均等に活用すべきである。しかし彼は主に精神を目にばかり集中させ、目を酷使して、その結果精神も昏くなっている。これでは書を読むと言っても、決して深く自得し活学することはできまい。これは心を放り出している状態である。孔子門下の教えは、食事中でも慌ただしいときでも「仁」から離れないことである。思って見よ、彼は一生本を手にしていても、心は放り出している。これで「仁」から離れないでいることができようか、できはしまい。


【ビジネス的解釈】
本を読むだけでは仕事は成就しない。どれだけ本を読んだかは問題ではない。どれだけの本を自分の血や肉に変え、五感のすべてを使って実践に活用できたかが重要である。


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