一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2018年11月

第1388日 「言葉」 と 「文字」 についての一考察

「あーあ、参ったなぁ」
石崎君が頭を抱えています。

「どうした、少年。大志を抱いているか?」
神坂課長が目ざとく石崎君の表情を視界に捉えたようです。

「うわぁ、面倒くさい人が来た」

「お、朝から褒められちゃったな。それで、何を落ち込んでるんだ?」

「昨晩、彼女と電話してた時に、自分では自覚がないのですが、いつの間にか彼女を傷つけてしまったようです。突然、泣き出して電話を切られました」

「何を言ったんだよ?」

「それが、まったく記憶にないんです」

「言葉は釘と同じだというからな。一度打ち込んでしまった釘は、たとえ引き抜いても釘穴が残る。それと同じで、言葉が傷つけた心の傷も簡単には癒せないぞ」

「経験者は語る、ですか?」

「ま、まあな。そのとおりだ。俺はどれだけ言葉で人を傷つけ、人間関係を悪くしてきたことか。数え上げたら3日くらいかかるぞ。今朝もカミさんと口論になって、テンションだだ下がりで出社したところだ」

「その話はどうでもいいですけど、本当に彼女の心の傷をどうやって癒せばいいのか・・・」

「そういう時は素直が一番じゃないか。どんな言葉が彼女を傷つけたのかを教えてもらって、それに対して言い訳をせずにひたすら謝る」

「ですよねぇ。それしかないな」

「こういうときは、メールで誤ったりするなよ。言葉はその場で消費されるが、文字はずっと残るからな。メールで人を非難したり、反論したりするのは最悪の結果を招くぞ」

「言葉は諸刃の剣ということですね」

「おお、難しい言葉を知っているじゃないか。そのとおりだな。今日はノー残業デーだし、終わったら直接彼女のところへ行って謝ってこい!」

「そうします」

「甘い物を持っていけよ。女は結局、スイーツとやらに弱いからな!」


ひとりごと 

小生は、自分でも気づかないうちに、上から目線のモノ言いをするようです。

それで、どれだけ人を傷つけ、その結果自分も傷ついてきたことか。

悩ましいのは、自分では自覚がないことです。

もう50歳を超えたし、このまま治らないかも?と思うときもありますが、諦めることなく鍛錬していくしかありません。


原文】
天地間の霊妙、人の言語に如(し)く者莫し。禽獣の如きは徒(ただ)に声音有りて、僅かに意嚮(いこう)を通ずるのみ。唯だ人は則ち言語有りて、分明に情意を宣達す。又抒(の)べて以て文辞と為さば、則ち以て之を遠方に伝え、後世に詔(つ)ぐ可し。一に何ぞ霊なるや。惟(た)だ是の如く之れ霊なり。故に其の禍階を構え、釁端(きんたん)を造(な)すも亦言語に在り。譬えば猶お利剣の善く身を護る者は、輒(すなわ)ち復た自ら傷つくるがごとし。慎まざる可けんや。〔『言志後録』第10章〕

【意訳】
天地の間にあって、人間の言葉ほど不可思議なものはない。禽獣はただ音を発してわずかに意思を通じ合うだけである。ところが人には言葉があって、意思を明確に伝えることができる。また言葉を文字にすれば、遠方の人に伝えることや後世に残すことも可能である。なんと不可思議なものではないか。このように霊妙であるから、禍や人間関係の不和の兆しをつくるのもまた言葉である。例えてみれば、鋭い剣は我が身を護るが、逆に我が身を傷つけるものでもあることに似ている。大いに慎まねばなるまい

【ビジネス的解釈】
ビジネスにおいて特に慎むべきは言葉と文字である。意図せずに相手を傷つけ、結果的に我が意味を苦境に追いやるのは言葉と文字である。


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第1387日 「比較」 と 「悩み」 についての一考察

石崎、善久、願海の2年生トリオが飲み会をしているようです。

「あれ、ゼンちゃん、なんだか元気がないね」

「ガンちゃん、わかる? 今すごく悩んでいるんだ」

「仕事? 女? 男?」

「ザキ、男ってなんだよ! 仕事だよ、仕事!」

「どんなことで悩んでいるの?」

「ガンちゃん、聞いてくれる。楽しい飲み会のはずなのに、ごめんね」

「気にするなよ、お互い助け合うのが同期じゃない。な、ザキ」

「そうだよ。俺たち3人は、これからも力を合わせて目の前の壁をぶち壊していく同志なんだからさ」

「ありがとう、心強いな。先週、大学のゼミの仲間で飲み会をしたんだ。そうしたら、みんな2年目のはずなのに、すでにトップセールスの奴がいたり、製品開発を任されたりしている奴がいたりしてさ。なんだか、僕だけ取り残されているような肩身の狭い思いをしたんだ」

「2年目でトップセールスか、凄いなぁ」
石崎君が感心しています。

「ゼンちゃん、他人と比べない方がいいよ。人間の悩みは人と比べることで生まれると聞いたことがある。つまり、比べなければ悩むこともないってことだよ」

「ガンちゃんは、2年目でトップセールスの奴がいると聞いても焦らないの?」
石崎君が驚いています。

「うん、焦らない。だって、売っている物も違うし、人の能力だって、早く成果をあげる人もいれば、大器晩成型だっている。比べても無意味だよ」

「すごい割り切り方だな」

「とにかく、悩んでいる状態というのはマイナスの状態だろう。その悩みが晴れたところで、プラスマイナスゼロに戻るだけさ。それより、俺たちは医療の世界で世の中の役に立つって決めたわけだから、迷うことなく、今の仕事に真剣に取り組もうよ」

「そうだよ、ゼンちゃん。俺たちも少ないながらも担当施設を持たせてもらったんだ。まずは、担当しているご施設のお客様に喜んでもらおうよ」

「二人とも前向きだなぁ。よし、負けてられないな。僕も頑張るよ!」

「ゼンちゃん、『負けてられない って、結局また俺たちと比較しちゃってるよ!!」


ひとりごと 

森信三先生の「一切の悩みや比較より生じる」という言葉を初めて目にしたとき、小生は衝撃を受けました。

確かに、人間の悩みは人から離れては存在しないものです。

すぐに人と比べて悩む習慣を打破して、人と比べず自分自身の誠を尽くす習慣を身に着けましょう!!


原文】
人の世に処する、多少の応酬、塵労、閙擾(とうじょう)有り。膠膠擾(こうこうじょうじょう)として起滅すること端(たん)無し。因って復た此の計較(けいこう)、揣摩(しま)、歆羨(きんせん)、慳吝(けんりん)、無量の客感妄想を生ず。都(すべ)て是れ習気之を為すなり。之を魑魅、百怪の昏夜(こんや)に横行するもの、太陽の一たび出づるに及べば、則ち遁逃(とんとう)して迹を潜むるに譬う。心の霊光は、太陽と明(ひかり)を並ぶ。能く其の霊光に達すれば、即ち習気消滅して之が嬰累(えいるい)を為すこと能わず。聖人之を一掃して曰く、何をか思い何をか慮らんと。而して其の思は邪(よこしま)無きに帰す。邪無きは即ち霊光の本体なり。〔『言志後録』第9章〕

【意訳】
人がこの世で生きていくためには、多少の交際もあれば、煩悩に悩まされることもあり、また騒ぎに巻き込まれることもあろう。様々に動き乱れ、起こったり消滅したりして限りがない。よって比較してみたり、推量したり、うらやんだり、貪ったりけちったりして、限りなく妄想を生じさせる。これらはすべて世間の慣習によって起こるものである。例えてみれば、妖怪が闇夜の中で好き勝手に振舞っていても、太陽が昇れば逃げ隠れて跡形もなくなってしまうのと同じである。心の霊妙な光は太陽の明るさと同等である。心がその霊妙な光に達したならば、世間の慣習によって引き起こされる妄想も消え去って悪さを起こすことができない。聖人はこれらを一掃して言う。何を思うか、何を慮ろうかと。結局それは、わが思いに邪(よこしま)なところがなくなる、ということである。邪な心がないということこそ、心の霊妙な光の本体なのだ

【ビジネス的解釈】
人間の迷いはすべて他人との比較から生じる。その悩みを振り払うものは、自分の中にある誠しかない。誠を尽くしてひたむきに仕事に取り組むのみだ。


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第1386日 「失敗」 と 「物語」 についての一考察

今日の神坂課長は、佐藤部長と同行で、N大学附属病院消化器内科の中村教授を訪れているようです。

「なんだか最近、神坂君の顔がいい顔つきになってきたね」

「中村先生、本当ですか? 先生にそう言ってもらえるとうれしいです」

「心境の変化かな?」

「そうなのでしょうか。気がついたら、営業課長3人の中では私が一番の年配になりました。少しは彼らのお手本にならなければという思いがあるのは事実です」

「人のお手本になろうと思うことは良いことだね」

「はい。ただ、自分はマネジャーとしてはまだ経験が浅いですし、これまでの営業マンとしての人生も失敗の連続でした。だから、お手本というよりは反面教師になっているかも知れませんが」

「他の2人よりたくさん失敗しているんでしょう。すごく良いことじゃないの」

「え、何故ですか?」

「人は自慢話より失敗談の方が好きだし、自然に腹落ちしやすいものだよ」

「ああ、なるほど。そういえば、私は佐藤からたくさん失敗談を聞かせてもらいました」

「だって、神坂君に私の自慢話なんかしようものなら、絶対耳を貸さなかったでしょう?」

「部長! でも、まあ、たしかに・・・」

「ははは。自分の失敗をしっかりとストーリーとして語れるといいだろうね。私も講演のときは、自分の失敗を物語りにして語っているんだ。人は物語が好きだからね」

「物語かぁ、勉強になります」

「そのためには、これまでの失敗をよく反省して分析することが重要だね。未来のことなんて誰にもわからないけど、過去の反省を活かすことで、ある程度未来への戒めにはなるでしょう」

「私の失敗経験が、彼らの参考になって同じ失敗をしないで済むなら、すごくうれしいです。よし、まずは失敗のたな卸しから始めてみます」

「失敗談を語るのは、自分を曝け出すことになるから勇気が必要になるよ」

「その点は大丈夫です。私はこれまでの人生でも、すべて失敗を曝け出しながら生きてきましたから!」

「ははは。失敗を自慢する人をはじめて見たよ!」


ひとりごと 

人の自慢話を聞くのは辛いものです。(笑)

どうせ、メンバーに話をするなら失敗談を語りましょう。

「ああ、リーダーも同じことに悩み、同じ失敗をしてきたんだな」と親近感を抱いてもらえるはずです。



原文】
人は当に往時に経歴せし事迹(じせき)を追思すべし。某の年為しし所、孰れか是れ当否、孰れか是れ生熟、某の年謀りし所、孰れか是れ穏妥、孰れか是れ過差と。此れを以て将来の鑑戒(かんかい)と為せば可なり。然らずして、徒爾(とじ)に汲汲営営として、前途を算え、来日を計るとも、亦何の益か有らん。又尤も当に幼穉(ようち)の時の事を憶い起すべし。父母鞠育乳哺(きくいくにゅうほ)の恩、顧復懐抱(こふくかいほう)の労、撫摩憫恤(ぶまびんじゅつ)の厚、訓戒督責の切、凡そ其の艱苦して我を長養する所以の者、悉く以て之を追思せざる無くんば、則ち今の自ら吾が身を愛し、肯(あえ)て自ら軽んぜざる所以の者も、亦宜しく至らざる所無かるべし。〔『言志後録』第8章〕

【意訳】
人は過去に経験した事柄を思い起こすべきである。ある年に自分がしたことはどれが正しく、どれが間違っていたのか。どれが十分でどれが不十分だったのか。ある年に自分が計画したことは、どれが穏当で、どれが過ちであったのかと。そうすることで将来への戒めとすれば良いことである。ところがそうではなくて、ただせわしなく慌しくして、未来を勝手に予測したり計画したところでなんの益があろうか。また人は特に幼少期を思い起こすべきである。父母が自分を養い乳を与えてくれた恩、子を案じて何度も振り返り抱きかかえてくれた労力、なでたりさすったり、不憫がっていつくしんでくれた厚情、教え諭したり、いましめただしてくれた切実な思いなど、父母が艱難辛苦して自分を養い育ててくれたことなどをすべて思い出してみれば、現在我が身を愛し、軽んじることことのないようにすることも、当然のこととして捉えることができるであろう。

【ビジネス的解釈】
仕事を進める上では、過去の出来事をよく反省し、何を活かして何を捨てるかを明確にしておくべきである。ロクに反省することもなく、楽観的な予測だけで仕事を計画することほどリスクの高いことはない。


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第1385日 「人物」 と 「マネジメント」 についての一考察

今日の神坂課長は、営業1課の新美課長とランチに出かけたようです。

「課長になってあっという間に8ヶ月が過ぎましたが、未だにマネジメントのコツがつかめませんね」

「そりゃそうだろう。1年も経たないうちに簡単にコツがつかめるほど、マネジメントは簡単なものじゃないぜ」

「まあ、そうですよね。特に先輩社員さんとの距離感は難しいです」

「ははは。清水か、あいつと正しい距離感を取れる人は、我が社には居ないんじゃないか?」

「神坂さんは仲が良いじゃないですか」

「そう思うか? あいつ、俺のことをずっと『おっさん』って呼んでるんだぞ。完全に舐められているよ」

「いつからそう呼ばれているんですか?」

「新人のときから。(笑)」

「一応、私のことは『課長』と呼んでいただいています」

「じゃあ、お前のほうがあいつの中では上のランクにいるかもよ。実はな、佐藤一斎先生は、マネジメントなんて簡単だ、と言っているんだよ」

「え、どういうことですか?」

「要するにな、マネジメントで苦労するということは、リーダーが人間的に未熟な証拠だと言っているんだ

「なるほど、そう言われてしまうとぐうの音も出ませんね」

「うん。でも、そういうことだよな。だってこんな俺でも、佐藤部長の前に行くと、素直に話を聞いてしまうからな」

「確かにそうですね。佐藤部長の前では、ゴマをするような人もいませんしね」

そういうことを許さない威厳みたいなものも持っているよな。なあ、新美。身近にそういう人がいるというのは幸せなことだよな」

「はい。本当にそう思います」

「俺もまだ遅くないと思って、人間力強化に取り組んでいるんだ。一緒に精進していこう! あれ、電話だ」

神坂課長は電話に出るために店を出ました。

「もしもし、おお、清水か。うん、うん。マジか、流石だな。わざわざ連絡をくれてありがとうな」

「おっさんには、この前相談に乗ってもらったからさ」

「もちろん、新美には連絡したんだろうな? え、まだなのか。早く電話してやれよ。うん、良かったな。当社にとってもありがたいことだよ。さすがはトップセールスだ!」

電話を切った神坂課長は店に戻りました。

「大丈夫ですか?」

「あ、ああ、石崎からの相談だったよ」

「そうですか」

「(今、清水から大口商談受注の連絡があったことを伝えたら、新美は落ち込むかも知れないからな。ここは嘘も方便でいくことにしよう)」


ひとりごと 

人格を磨けば、人は自然とついてくるのだ、と一斎先生は言います。

かつての私はそれがまったく分っておらず、無理やり恐怖政治でメンバーを従わせていました。

それでは、必ず破綻が来ます。

回り道のように思えても、人格を磨き、リーダー自身が人物となることが、効果的なマネジメントを行う上では一番の近道なのかも知れません。


原文】
聖人は清明躬に在りて、気志神の如し。故に人の其の前に到るや、竦然(しょうぜん)として敬を起し、敢て褻慢(せつまん)せず、敢て諂諛(てんゆ)せず。信じて之に親しみ、尽く其の情を輸(いた)すこと、鬼神の前に到りて祈請するが如きと一般なり。人をして情を輸さしむること是の如くならば、天下は治むるに足らず。〔『言志後録』第7章〕

【意訳】
聖人は清く明るい気を身に充満させ、その気のはたらきは霊妙で神のようである。それゆえ人がその前に立てば、おそれ慎んで尊敬の態度を示し、間違ってもなれなれしかったり、媚び諂うような態度をとるようなことはない。その人を信頼してよく懐き、その真情を発露するのは、鬼神の前で祈りを捧げるのと同じである。このように人の真情を発露させることができれば、天下を治めることなどたやすいものだ

【ビジネス的解釈】
本当に人格ができあがった人物の前では、人は自然と敬意を抱き、軽率な態度をとる事はできないものだ。つまり、人格を磨いて人物となれば、マネジメントで苦労することはないということだ。


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第1384日 「言動」 と 「行動」 についての一考察

「神坂課長、また椅子を出しっ放しですよ」

「うるせぇな、クソガキは。ちょっとコピーを取りにきただけじゃないか!」

「たとえ数秒だろうと、見る人は見ていますからね」

「石崎、お前はいつから俺の小姑になったんだ」

「私は、この会社に入って、佐藤部長から教えられたことを徹底しているだけです。神坂課長のことを心配して言ってあげているんですよ」

「ああ、そうですか。それはどうも」

「『どうも』で止めずに、最後まで言いましょうよ。それに、『クソガキ』という呼び方もいかがなものかと?」

「ちっ、面倒くさい奴だな。『石崎さん、どうもありがとう』」

「はい、よろしい。会社でできないことは、客先でもできませんからね

「そういえば、昨日の飲み会のときに靴箱をみたら、何人かの靴が出船(*)に揃っていなかったな」

「ああ、あれは雑賀さんと湯浅君ですよ」

「お前いちいちチェックしていたのか!?」

「課長も気づいたなら直してくださいよ。僕が全部直して、お二人には注意しておきましたから」

「お前、そのうちみんなから嫌われるぞ」

「そんなの逆恨みです。私は自分が正しいと思うことをやります。だって、全部つま先がこちらを向いている下駄箱は美しいじゃないですか」

「まあな」

「それに・・・」

「まだあるのかよ!」

「課長は声がデカ過ぎます。となりのテーブルの女性が露骨に嫌な顔をしていましたよ。僕が謝っておきましたけどね」

「酒の席くらい、楽しませてくれよ」

「品格を問われるような行為は慎みましょう。お客様が同じお店に居ないとも限らないんですから!」

「わかってるよ。でも、そんなに下品だった記憶はないけどなぁ」

「本気で言ってるんですか!? 飲み会での課長のネタはほぼ100%下ネタですからね!!」

*出船に揃える:靴箱に靴をしまう際に、つま先をこちら側にしてしまうこと。


ひとりごと 

行動や言動を慎むことは、社会人としての嗜みです。

しかし、他人がいるときだけ意識をするというのでは、不十分でしょう。

やはり、慎独を心がけねばなりません。


原文】
吾人は須らく自重を知るべし。我が性は天爵(てんしゃく)なり、最も当に貴重すべし。我が身は父母の遺体なり、重んぜざる可からず。威儀は人の観望する所、言語は人の信を取る所なり、亦自重せざるを得んや。〔『言志後録』第6章〕

【意訳】
われわれは自らを慎むことを知るべきである。人間の本性は天から与えられたものであり、一番重視すべきものである。また自分の身体は父母の遺体といってよく、当然尊重しなければならない。自身の起居行動は人が観察するところであり、言葉は人がそれをもって信頼するかどうかを判断するものであり、慎まないわけにはいかない

【ビジネス的解釈】
ビジネスマンとして成功するためには、内面と外面の双方を慎まなければいけない。特に行動と言葉は他人から観察され、信頼関係を築く上で極めて重要であるだけに、より慎重でなければならない。


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「横山験也のちょっと一休み」より
http://www.kennya.jp/sahou/gennkannno_kutu/

第1383日 「学問」 と 「思索」 についての一考察

特販課の雑賀さんが21時を超えても残業をしているようです。

「おい、雑賀「そろそろ帰れよ。俺ができることなら明日にでも手伝うからさ」

「大累課長、ありがとうございます。俺、家に帰ると母親の世話があったりして、集中して物事を考えることができないんです」

「例のプロジェクトが煮詰まっているのか?」

「そうです。ひとつお客様から大きな宿題をもらっていましてね。俺もそれほどITの知識が深いわけでもないので、いろいろと資料を読んだりして勉強しているんですけど、なかなか良いアイデアが浮かんでこないんですよ」

「そういうことか。ITのことだとすると、俺は力になれないかな」

「俺、今頃になって大累課長が言ってくれたことが身に染みてるんです」

「え、俺がお前に何て言ったんだ?」

「『若い時に手を抜くと、後々大きな仕事ができないぞって言われました」

「それ、俺が言ったの? ははは、その言葉、かつて神坂さんから俺が言われた言葉なんだよ。そうか、俺はいつの間にかあのおっさんの影響を受けてたんだな」

「でも、その言葉の意味が今頃わかったんです」

「まあ、そうだよな。いくら本を読んだり、文献を漁ったりして知識を入れても、それを自分の経験というフィルターで咀嚼しない限り、良い解決策は生まれてくれないからな」

「そうですよね。俺はその経験ってやつが圧倒的に浅いんですよ」

「よし、じゃあこうしよう。俺が
神坂さんにお願いするから、お前と石崎と神坂さんと俺の4人で解決策を討議しよう。お前たちよりは少しは先輩の神坂さんと俺がいれば、経験の部分は補えるだろう」

「ああ、そうしてもらえますか。ありがとうございます」

「了解。後で神坂さんには電話しておくよ。でもな、雑賀。自分の経験が足りないことに気づいたのは良いことだし、まだ全然遅くないと思うぞ。それにお前の良いところは、浅い経験のまま突っ走ろうとせずに、ちゃんと本や文献を読むところだと思う

「課長、なんか照れますよ。俺は課長に叱られているときの方が居心地がいいんですから」

「なんだよ、それ。でも、今のは本音だからな。じゃあ、今日はそろそろ帰れよ。お母さんも待ってるだろうしな。俺は神坂さんに電話してから、居室の退出項目をチェックして帰るよ。お疲れさん!」

「お疲れ様でした。あ、大累課長」

「なんだよ」

「いろいろありがとうございます。俺、課長のこと尊敬してますから!」

「やめてくれ、俺も褒められるのは苦手なんだ。じゃあな」

去っていく大累課長の目にも、見送る雑賀さんの目にも光るものがあったことは、お互いに知る由もないことのようです。


ひとりごと 

学びと思索は、物事を為す上においては、まさに車の両輪のようなものです。

どちらが欠けても、偏りが生じてしまいます。

しかし、時期によってバランスは違ってくるでしょう。

20代、30代のうちは、学び7割、思索3割くらいでよく、40代以降は、学び4割、思索6割くらいでもよいのかも知れません。


原文】
凡そ教えは外よりして入り、工夫は内よりして出づ。内よりして出づるは、必ず諸を外に験し、外よりして入るは、当に諸を内に原(たず)ぬべし。〔『言志後録』第5章〕

【意訳】
総じて教えというものは外から入ってくるものであり、
創意工夫は自身の内部から生まれてくるものである。自身の内部から生まれてきたものは、必ず教えに照らし、外から入ってくるものは、必ず自身の中で実行すべきものかどうかを判断するべきである

【ビジネス的解釈】
学びと創意工夫は、自分自身を成長させるための車の両輪である。学んだことは自分自身でよく咀嚼してから実行に移すべきであり、自らのアイデアは教えに照らして実施すべきか否かを判断すると良い。


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第1382日 「行動」 と 「時間」 についての一考察

S急便の中井さんが荷物を持ってきてくれたようです。

「毎度、S急便です。あ、佐藤さん、いつもお世話になります」

「ああ、中井君。いつも元気でいいね」

「ありがとうございます。それだけが俺の唯一の自慢ですからね」

「そんなことないよ。勉強熱心なところも素晴らしいなと思うよ」

「そんなに褒めてくれても、何も出ませんよ。稼ぎの少ない運送屋ですから! あ、そうだ。佐藤さん、5分くらい時間ありませんか?」

「いいよ。どうしたの?」

2人は喫茶コーナーに移動したようです。

「実は、また馬鹿なりに悩んでいましてね。佐藤さんにいろいろな本を借りたり、教えてもらったりして読んでいるんですけど、読めば読むほど、いったい運送屋の使命って何なのかがわからなくなってくるんです」

「ほお、それはまた大きな命題だね」

「だって、いくらお客様のことを考えても、結局は価格競争に巻き込まれて、いかに単価を上げるかとか、どれだけたくさん配達できるかだけを考えなければならないんです。身体はボロボロな上に、なんだか最近は心も満たされないんですよね」

「なるほどね。そう言われれば我々の仕事も似たようなところがあるよ。やはり営業としての効率アップや単価アップは大きな課題だからね。それでいて、しっかりとお客様の課題解決をお手伝いしなければならないんだから、大変なことだよね」

「ああ、そうか。同じなんですね。しかし、どうすればいいのかなぁ?」

「そんなとき、古の偉人たちはどうしていると思う?」

「え、どうしてるのかな? その頃に宅配マンや営業マンがいたとは思えないですからね」

「ははは、それはそうだね。中国の古典にでてくる偉人たちをみるとね、大きな共通点が2つあるんだ」

「教えてください」

「ひとつは、強い想いをもつこと。そして、もうひとつは日々時間を惜しまずに働くこと。この2点だけはすべての偉人に共通しているんじゃないかな」

「なるほど。それを聞くと、自分はどっちも中途半端に思えてきました。お客さんのためより自社の売り上げのことを考えていたように思うし、そんな風に悩んでいるだけで、なにひとつ具体的な行動ができていなかったなぁ。やっぱり俺は馬鹿なんだから、考えるより行動を重視しないとダメなんだな」

「そうだね。熱い想いをもって、日々たゆまず行動すれば、先ほどの命題への答えは見えてくるんじゃないかな? ウチの神坂は、とにかくお客様の役に立つと思えば、休日だろうと真夜中だろうとすぐに行動する男でね。そのせいだと思うけど、信頼してくれているお客様とはほとんどお金の話をしないんだよ」

「おお、やっぱり神坂さんは只者じゃないんだな。久しぶりに同志と酒を酌み交わしてみるかな!」


ひとりごと 

なにかを成し遂げるには、

1.何を成し遂げるかを明確に心に抱き、熱く思い続けること

2.そして具体的な行動に移すこと

この2つしかないと、古の偉人は教えてくれています。

彼らは、為すべきことのために時間を使い切った人たちです。

我々にとって一番の資源である時間をどう有効活用するかが重要なのでしょう。


原文】
自ら彊(つと)めて息(や)まざるは天の道なり。君子の以(な)す所なり。虞舜の孳孳(じじ)として善を為し、大禹の日に孜孜せんことを思い、成湯の苟(まこと)に日に新たにし、文王の遑暇(こうか)あらざる、周公の坐して以て旦を待てる、孔子の憤を発して食を忘るるが如き、彼の徒らに静養瞑坐を事とするのみなるは、則ち此の学脈と背馳(はいち)す。〔『言志後録』第2章〕

【意訳】
自ら勉めて休むことなく動いているのが天の道である。そしてそれは君子の踏むべき道でもある。たとえば、舜帝が朝から晩まで善行をなそうとしたのも、夏の禹王が日々一所懸命に善を尽くそうとしたのも、殷の湯王が日々徳を新たにすると記したことや、周の文王が朝から晩まで食事をする暇がなかったということや、周公旦が夜中に良いことを思いついたときは、朝を待って即実行に移したことや、孔子が学ぶことのために発憤して食事をするのも忘れて努力したということなどは、その例といえるであろう。ただ徒に静かに心身を養い、眼を閉じて坐っているだけで良いとする考え方は、吾々の学はとは全く相容れないものなのだ

【ビジネス的解釈】
日々休むことなく行動することが成功の秘訣なのだ。過去の聖人たちは皆、時間を無駄にすることなく、自分の為すべきことを為してきた。ただ、考えているだけで行動しなければ、何も変えることはできないのだ。


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第1381日 「没頭」 と 「結果」 についての一考察

神坂課長が善久君のところにやってきたようです。

「どうだ、善久。最近は良い仕事ができてるか?」

「少しずつお客様の心の扉を開けられるようになってきたという実感はあるのですが、結果につながらないのが悩みです」

「そうか。お前はまだ2年生だからな。焦ることはない、確実に成長しているじゃないか!」

「ありがとうございます。でも、やっぱり結果が欲しいです」

「それなら自分の売り上げのことは、頭から忘れ去ることだな」

「課長、営業マンが売り上げのことを忘れて良いのですか?」

「もちろんだ。いいか、俺は売り上げを上げるなと言っているのではないぞ。売り上げのことを考えるな、と言っているんだ

「売り上げのことを考えずに売り上げを上げろということですか? 理解不能です」

「善久はギター小僧だったよな?」

「え、はい。ずっとバンドをやってます」

「ライブのステージ上では、どんな気持ちでギターを弾いているんだ?」

「そうですねぇ。やっぱり、来てもらったお客さんに喜んでもらいたいと思って演奏しています」

「そうだろう。今日は何人入ったからいくらの売り上げだ、なんて考えないだろう?」

「それはそうですよ!」

「良い演奏ができれば、その結果としてお客さんは次のステージにも足を運んでくれるよな?」

「はい、そのとおりです」

「仕事もそれと同じじゃないか?」

「ああ、そうか。ということは、私はまだまだお客様に心から喜んでもらえるような仕事ができていないということですね」

「善久、『そこまでやるか!』とお客様に言わせるだけの仕事ができているか? お客様から心からの『ありがとう』をいただいているか?」

「・・・」

「売り上げのことなんか忘れて、その2つの言葉をお客様に言わしめる仕事をしてみろ。そうすれば結果的に売り上げは上がるはずだ」

「なるほど」

「あえて言えば、ワーカーズ・ハイになれ、ってところかな?」

「ワーカーズ・ハイですか?」

「マラソンランナーが極限に達するとすべてが楽しく感じるのを、ランナーズ・ハイという。登山者が厳しい登山の途中に快感を感じるのを、クライマーズ・ハイという。だから、仕事に没頭していて、なにもかも忘れてしまう境地をワーカーズ・ハイと言っても間違いではないだろう

「ワーカーズ・ハイか。それを味わえるまで、お客様のために自分のできるベストを尽くしてみます!」


ひとりごと 

一斎先生のこの言葉を読んで、小生は大いに反省しました。

若い頃は、本当に仕事に没頭して毎日夜遅くまで仕事をしていましたが、それがまったく苦だとは思っていませんでした。

ところがいつしか、お客様のために我を忘れて仕事に没頭することを忘れてしまっている自分に気づかされました。

もう一度、ワーカーズ・ハイを味わうべく精進します!


原文】
自彊不息の時候、心地光光明明なり。何の妄念遊思か有らん。何の嬰累罣想(えいるいけいそう)か有らん。〔『言志後録』第3章〕

【意訳】
人が自ら休まず勉め励んでいる時には、その心は明るく光り輝いている。どこにもみだらな思いや遊びたいという思いなどはありはしない。また心に引っ掛かるような患い事や悩み事などもありはしない

【ビジネス的解釈】
仕事に没頭しているときは、心は明るく、余計なことはまったく考えていない。また、うまく行くかどうかと悩むこともない。こうした境地で仕事ができることが望ましい。


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第1380日 「嘘」 と 「誠」 についての一考察

今日の神坂課長は、A県立がんセンターの多田先生を訪ねているようです。

「神坂、少しくらい本を読んだからって、偉そうにするなよ」

「え、そ、そんなことはしてませんよ」

「嘘つけ! 最近、お前が本を読んでいることを自慢していると聞いたぞ!」

「だ、誰からですか?」

「ほら、あの少年のような子だよ」

「石崎ですか! あの野郎、ぺらぺら言い触らしやがって!」

「本に書いてあることをろくに理解もせずに、ぺらぺらしゃべってるのはお前だろう」

「まあ、確かにそうですね。でも、多田先生、良いなと思ったことはどんどん発信しながら、自分のものにしたいという思いもあるんです」

「頭で理解したつもりになっても、実際に行動してみると、いかに理解していなかったかに気づかされる。そして、もう一度本を読み、反省を活かして実践するんだ。そうすれば、得るものは大きいし、人に伝えても伝わるようになる」

「なるほど、おっしゃるとおりです。反省しました」

「その素直さはお前の最大の魅力だな」

「ありがとうございます。ところで、多田先生。実践、実践と言いますが、実践する上で一番大切なことは何ですか?」

「人に嘘をつかないことだな」

「そんな簡単なことですか?」

「馬鹿野郎! 簡単なことじゃないぞ。だいたい、少し前にお前は俺に嘘をついたじゃないか」

「うっ、そうでした」

「俺が言いたいのは、人に心で嘘をつかないことを心がけろ、ということだ」

「心で嘘をつく?」

「そうだ。人間は言葉とは反対のことを考えていることが多い。お前も反省していますと言葉で言いながら、心の中では、帰社したらあの少年をとっちめてやろうと思っているだろう」

「そ、そんなことはないですよ」

「本当か?」

「いえ、考えていました。すみません」

「いいか、神坂。人に嘘をつかないと覚悟するなら、まず自分に嘘をつかないことを覚悟しなければいけないんだ」

「自分に嘘をつかない覚悟ですか?」

「儒学では、自分に嘘をつかないことを『忠、人に嘘をつかないことを『信と呼ぶ。この『忠『信をあわせて『誠と言うんだ」

「ああ、『誠ですか。最近よく『誠』という言葉を目にするのですが、イマイチ意味が分らなかったんです。そういうことなのか?」

「神坂、まずは自分に嘘をつかないことから始めてみろ。自分の心に正直に、真っ直ぐに生きてみろ。そうすれば、どんな結果になろうと後悔することはないはずだ」

「多田先生・・・。(多田先生は、俺が後輩を失って落ち込んでいることを知っているんだな。石崎か、あの野郎、余計なこと言いやがって! でも、きっと心配してくれたんだろうな。今晩、鰻でも奢ってやるかな)」


ひとりごと 

孔子は常に行動を重視します。

言葉は二の次で、まず実践しろと何度も言っています。

「○○したい」と思うだけでは何も変わりません。

思ったら即行動に移して、とにかく一歩を踏み出す。

人生を変えたいなら、それしかないですね!


原文】
孔子の学は、己を修めて以て敬するより、百姓を安んずるに至るまで、只だ是れ実業実学なり。四を以て教う。文・行・忠・信。雅(つね)に言う所は詩書執礼。必ずしも耑(もっぱ)ら誦読を事とするのみならざるなり。故に当時の学者は、敏鈍の異有りと雖も、各おの其の器を成せり。人は皆学ぶ可く、能と不能無きなり。後世は則ち此の学堕ちて芸の一途に在り。博物多識、一過して誦を成すは芸なり。詞藻縦横、千言立ち所に下るは、尤も芸なり。其の芸に堕つるを以ての故に、能と不能有りて、学問始めて行儀と離る。人の言に曰く、某の人は学問余り有りて行儀足らず、某の人は行儀余り有りて学問足らずと。孰(いずれ)が学問余り有りて行儀足らざる者有らんや。繆言(びゅうげん)と謂う可し。〔『言志後録』第4章〕

【意訳】
孔子門下の学問は、修身によって他者を敬する気持ちを育て、人々の気持ちを安らかにすることまで、すべて実践重視の実学・活学である。それを以下の四つの項目にって行うのだ。すなわち文(古の経書を読むこと)、行(篤実な行いをすること)、忠(おのれの本分を尽くすこと)、信(約束を違わないこと)である。つねに孔子が述べているのは、『詩経』や『書経』などの経書を読み、礼をとり守ることであった。必ずしも読み書きだけを学問とは捉えていなかったのだ。それゆえ当時の学者はそれぞれ能力の差はあったものの、それぞれの本分を発揮できたのだ。このように人は誰でも学ぶことができ、能力のある者とそうでない者といった差はないのである。ところが後世(もちろん現代も)はこの学問は堕して芸事のようになってしまった。なんにでも詳しく、一度読めばすべて覚えてしまうのは芸である。詩の才があり、数え切れないほどの文字をあっという間に書き写すなどというもの芸である。このように芸と堕したことによって能力のある者とそうでない者が生まれてしまい、学問が実践とかけ離れてしまったのだ。人の言葉に「ある人は学はあるが実践に疎く、ある人は行動力は十分だが学に欠ける」とある。しかし孔子の学問を学んだのであれば、どこにいったい学問は十分だが実践が不足しているなどという者があろうか?この言葉は大きな間違いだと言わざるを得ない

【ビジネス的解釈】
どれだけインプットをしても、実践し行動に移さなければまったく意味がない。ビジネスはアートではない。最終的に顧客のお役に立てなければ、ビジネスとしての価値はない。


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第1379日 「学び」 と 「澱(よど)み」 についての一考察

今日はJ医療器械の会議室で、就業後に某医療機器メーカーの勉強会が開かれているようです。

「毎週毎週、メーカーさんの勉強会に出てるけど、こう次から次だと、頭の中が整理できないよなぁ」

石崎君が左隣に座った善久君に愚痴をこぼしています。

メーカーさんのプレゼンテーションの後、石崎君の右隣に座っていた営業1課の清水さんが挙手をして質問をしました。

「ご紹介ありがとうございます。製品の仕様についてはよくわかりました。ところで、この製品は、医療機関あるいは患者様に具体的などんなメリットをもたらすのですか?」

「製品的には他社と大きな違いはありませんが、価格なら負けません!」

「わかりました。ありがとうございます」

席に着くと、清水さんが石崎君に話しかけました。

「石崎、この会社とは付き合う必要はないな。安さを一番のウリにしているような会社の製品を扱えば、俺たちまで安売り業者だと思われてしまうからな」

「なるほど。清水さんは、毎週毎週勉強会に出ていて、どんな風に知識を得て、どう活用しているのですか?」

「俺が聞きたいのはさっき質問した一点だけだよ。俺たちの仕事は、お客様である医療機関の課題解決のお手伝いだろう。そうだとすれば、ドクターやコ・メディカル(ドクター以外の医療従事者)にどういうメリットを提供できるかだ」

「はい」

「もうひとつの使命は、この地域に住む人たちの健康な生活をお守りするお手伝いだ。その点でいえば、患者様にどんなメリットを提供できるかだろ?」

「さすがです」

「馬鹿、そんなの当たり前のことだ。それが分っていなければ、売り続けることはできないぞ。自分の売上だけのために頑張ると、いつか必ず頭打ちになるからな」

「トップを守り続けるのは大変なんですね」

「トップであり続けるためには、社内の誰よりも勉強しなければ駄目だ。学びを止めた途端に後輩に追い越されていくからな」

「いつか、僕も清水さんを追い越したいです!」

「絶対無理だな!」

「な、なぜですか!?」

「『○○したい』なんて言っているうちは、絶対に俺を追い抜くことはできない。俺は常に『トップであり続ける』と決めているんだからな。タイやヒラメになったらお終いだよ」

「タイはわかりますけど、ヒラメって何ですか?」

「上司のご機嫌取りばかりする奴のことだよ」

「僕はタイかも知れないけど、ヒラメではないですよ!」

「ははは、わかってるよ。俺はずっとおっさんの背中を追いかけてきた。『いつか必ず追い抜いてやる!』ってな?」

「『おっさん』ってカミサマのことですか?」

「そうだよ。やっと追い抜いたと思ったら、あのおっさんはマネジメントの道を歩き始めやがった。いつの間にか、また俺の前を歩いている気がする。最近はやたら本も読んでいるらしいしな」

「清水さんにとって、カミサマはどんな存在なのですか?」

「ライバルでもあり、良き先輩でもあり、兄貴でもあるかな。あ、これは内緒だぞ。こいうこと言うと、あのおっさんはすぐに調子に乗るからな」

「それなら、よ~く心得ています」


ひとりごと 

仕事に限らず、生きている限り学び続ける必要があります。

学びを止めれば、人生の歩みも止まります。

水は流れているうちはキレイですが、留まると澱みます。

人生を澱ませてはいけませんね。


原文】
此の学は、吾人一生の負担なり。当に斃れて後已むべし。道は固より窮り無く、堯舜の上善も尽くること無し。孔子は志学より七十に至るまで、十年毎に自ら其の進む所有るを覚え、孜孜として自ら彊(つと)め、老の将に至らんとするを知らざりき。仮(も)し其れをして耄(ぼう)を踰(こ)え期に至らしめば、則ち其の神明不測なること、想うに当に何如と為すべきや。凡そ孔子を学ぶ者は、宜しく孔子の志を以て志と為すべし。(文政戊子重陽録す)〔『言志後録』第1章〕

【意訳】
儒学は我々が一生背負っていくべきものである。まさに死ぬまで学びをやめることがあってはならないのだ。道というものは当然極まることがなく、聖人尭や舜の善行でさえ極め尽くすことはできなかった。孔子は十五歳から七十歳に至るまで、十年単位で自らの進むべき道を定め、ただひたすら努め励み、老いが迫っていることすら気づかないほどであった。もし仮に孔子が八十、九十を超えて、百歳まで生きたならば、神のごとくすべてに明るく、人がとても測り知ることのできない境地へと到達したであろうことは、想像に難くない。孔子を学ぶ者は、みなこの孔子の志をしっかりと心に留めて自らの志としなければならない

【ビジネス的解釈】
仕事を続ける限り、学び続ける必要がある。仕事を極めるためには、自分自身を鍛錬し極めていかねばならない。


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