一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2019年01月

第1450日 「ご縁」 と 「ご恩」 についての一考察

今日は営業2課の石崎君に新人の梅田君が同行しているようです。

「毎日、毎日、納品ばかりで全然営業活動ができないですよね。もっとバリバリ営業がやりたくて入社したのに、なんか会社を間違ったのかなと思う今日この頃です」

「梅ちゃん、焦る気持はわかるよ。でもね、この会社に入ろうと決めたのは梅ちゃん自身だよね」

「それは勿論です」

「それなら自分の選択を信じようよ。俺はね、今つくづく思うんだ。この会社に入る前は、営業なんてキツくて辛くて楽しくない仕事だろうと思ってた」

「えっ、だいぶ後ろ向きだったのですね?」

「うん、俺は中途半端な文系だから、営業職くらいしか働く場所がなかったんだよね。それで、医療系の商社なら食いっぱぐれはないだろうという理由でここに入社したんだ」

「石崎さん、最低ですね!」

「そこまで言うなよ! 大学4年の春頃、『どこでもいいやくらいな気持ちで就職課に行ったら、ちょうど今営業職の募集が入ったから行ってみたら、といってこの会社の説明会資料をもらったんだよ」

「へぇ、不思議な縁ですね」

「うん。それで3日後だったかな、説明会に行ったんだ。最初の方の説明は正直に言って、あまり面白くなかったんだけど、最後に佐藤部長が話をしたんだ。それがズシンと心に響いてね」

「私も佐藤部長の話に感動しました」

「そうでしょう。それでいざ会社に入ったら、とんでもない上司の下についてさ。最初の2~3ヶ月は毎日、いつ辞めようかと考えてたよ」

「神坂課長ですね?」

「毎日怒鳴られてさ。なんだよこのチンピラはって思ってた。でも、違った」

「えっ」

「あの人は本気で俺のために叱ってくれていることに気づいたんだ。俺は素直じゃないから、なかなか本当のことは言えないけど、今はカミサマに凄く感謝しているんだ。本当にたくさんのことを教えてもらったからね」

「たしかにあの人の言うことは面白いです。佐藤部長みたいに論理的じゃないけど、なぜか心に響きます」

「せっかく自分で選んだ会社じゃないか。もう少しここで頑張ってみなよ。この会社に出会ったご縁に感謝して、たくさんの素晴らしい先輩から学べるご恩に感謝しながらさ!

「はい、ありがとうございます。私にとっては石崎さんもチョーカッコいい先輩ですよ!」


ひとりごと
 
『言志後録』の本章は、自分の生誕と生育についての言葉ですが、ここでは敢えて会社の入社とそこでの成長に絡めてみました。

考えてみれば、日本に数万ある会社の中から自分の勤務先を選んだことに必然性はないのではないでしょうか?

不思議なご縁に導かれて入社したという方がほとんどだと思います。

そして、そこで自分の選択を信じて働くことで、成長する機会を与えてもらえます。

もちろん辛いことも面白くないこともあるでしょう。

それでもいま自分が勤めている会社とのご縁、そこで関わる多くの人たちとのご縁とご恩に感謝する気持ちを忘れなければ、必ず人間的にもスキルの面でも成長できるはずです!


原文】
未だ生まれざる時の我れを思えば、則ち天根を知り、方(まさ)に生まるる時の我れを思えば、則ち天機を知る。〔『言志後録』第72章〕

【意訳】
生まれる以前の自分のことを思えば、天根すなわち物を生ずる根元を知り、母胎から生まれ出た自分を思えば、天機すなわち天地万物が生長していく天の妙機を知ることになる、と一斎先生は言います

【ビジネス的解釈】
入社前のことを思えば、いま時分がこの会社で働いているご縁の不思議を感じる。入社後の自分のことを思えば、会社の中で育ててもらえているご恩に感謝するしかない。


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第1449日 「初心」 と 「マネジメント」 についての一考察

営業1課の新美課長が佐藤部長の部屋に相談に来たようです。

「部長、課長になってもうすぐ1年が経ちますが、私のマネジメント力は悲しいほど伸びていません」

「そんなことはないだろう。営業1課は、よくまとまっているように見えるよ」

「そうでしょうか。メンバーひとりひとりを活かせていないというか、よい点を伸ばせていない気がします」

「今は課題が見えていればそれで良いのではないかなぁ?」

「一度は退職を考えた廣田君などは、どう接して良いのかすごく迷います」

「すべてが勉強だよ。新美君、お子さんはまだ小さかったよね?」

「はい、長女が今4歳です」

「そうか、可愛いだろう。子供は純真無垢でいいよね。何も知らない真っ白な状態から、ひとつずつ善いこと、良くないことを学んでいくよね

「はい。日々成長していくのがわかって楽しいです」

「新美君もマネジャーとしては、娘さんと同じ状態なんだよ。ひとつずつ学び、気づき、それを実践してくれれば良いんだ」

「はぁ」

「新美君が娘さんをみて、日々成長しているのを喜んでいるように、私も新美君をみて、日々
の成長を悦んでいるんだからね」

「ありがとうございます」

マネジメントの基本は、メンバーに肚落ちさせることだ。彼らが悩んでいるときに、ふっと心が晴れるようなアドバイスやヒントを与えることを意識するといいね」

「はい。しかし、それはなかなか難しいですよね」

「もちろん、そのために新美君はどんどん勉強しないとね。ただ、神坂君にこの話をしたときは、彼はこう言っていた。『なるほど、わかりました。では、彼らが毎日ワクワクしながら会社に来れるような雰囲気を作ります』ってね」


ひとりごと
 
小生が初めて営業部門に配属されたのは、入社4年目でした。

自ら希望して異動した職場であり、期待と不安に包まれながら、日々とにかく仕事に邁進しました。

忙しくて深夜に帰宅することがあっても、それが楽しくて仕方がありませんでした。

時代柄、深夜残業は別としても、常に初心を忘れず、ワクワクして仕事ができる環境を作ることが出来れば、若手社員さんの離職問題は解決するのではないでしょうか?


原文】
人は当に自ら母胎中に在る我れの心意果たして如何を思察すべし。又当に自ら出胎後の我れの心意果たして如何を思察すべし。人皆並(ならび)に全く忘れて記せざるなり。然れども我が体既に具われば、必ず心意有り。則ち今試みに思察するに、胎胞中の心意、必ず是れ渾然として純気専一に、善も無く悪も無く、只だ一点の霊光有るのみ。方(まさ)に生ずるの後、霊光の発竅(はっきょう)、先ず好悪を知る。好悪は即ち是非なり。即ち愛を知り敬を知るの由りて出づる所なり。思察して此に到らば、以て我が性の天たり、我が体の地たるを悟る可し。〔『言志後録』第71章〕

【意訳】
人は自ら母胎の中にいた頃の自分の心がどうであったかを思い出してみるべきである。また、母胎から生まれ出た頃の自分の心はどうであったかも思い出してみるべきである。皆完全に忘れていて記憶してはいない。しかし、自分の体がすでに出来上がっていれば、必ず心も備わっているはずである。いま試みに考えてみると、母胎内にあった心は、一つの純粋な気であって、善も無く悪も無く、ただ一つの霊妙な光があるだけである。この世の中に生まれ出ると、この心の霊光が現われて、まず最初に物の善悪を理解する。善悪とは、すなわち是非のことである。この是非こそが愛と敬を知る根源である。思いがここに至ると、私の本性は天から授かったものであり、体は地から得たものであることを悟ることができる

【ビジネス的解釈】
道に迷ったら童心に帰るとよい。童子は純真無垢な心で生まれ、ひとつずつ善悪を知り、愛することや敬うことを学んでいく。仕事に迷ったら初心に帰るとよい。何も知らなかった新人時代を経て、ひとつずつ学び、気づき、実践してきたはずだ。それが今では、かえって善悪より損得を優先してしまいがちになっている自分に気づくはずだ。


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第1448日 「人生」 と 「行旅」 についての一考察


今日の神坂課長は、休日を利用して、長谷川名誉院長と佐藤部長と一緒に日帰りの旅を楽しんでいるようです。

「せっかくの旅なのに生憎の雨ですね」

「神坂君は昔から雨男だと言われるよね」

「佐藤部長、それを言わないでください。だいたいこういう時に西村さんがいたら、お前の日頃の行いが悪いと言われるんです」

「ははは。神坂君、それに一々反応するということは、やっぱり心当たりがあるのかな?」

「長谷川先生、勘弁してください」

「この雨は喜ぶべきことだよ。最近ずっと、まとまった雨がなかったでしょ」

「やはり長谷川先生はポジティブですね。そういう発想の転換は苦手です」

「人生も仕事も良いことばかりじゃないよね。でも、その良くないことが自分を助けてくるるんだよ」

「自分をたすけてくれるとは考えたことがなかったです。逆境や辛いことというのは、乗り越えるものだと思っていました」

「うん、どうせ乗り越えるなら視点をかえてポジティブに捉えたほうが楽しいでしょ?」

「そして、長谷川先生のようにポジティブでいると、機会を逃したり、無理に状況を打開しようとしなくなりますね」

「佐藤さん、ナイスアシスト」

「またまた勉強になりました。逆境を乗り越えようなんて前のめりになると、かえって失敗するのかも知れませんね

「その通り。神坂君も飲み込みが早いね」

「お褒め頂き光栄です。そうか、今日の雨は私にそれを教えてくれるために降ったのですね」


ひとりごと
 
人生山あり谷あり、と言われます。

雨の日には雨の中を、風の日には風の中を、ただ淡々と歩く。

そんな人生を歩んでいけば、それで幸せなのではないでしょうか?


【原文】
人の世を渉るは行旅の如く然り。途に険夷(けんい)有り、日に晴雨有りて、畢竟避くるを得ず。只だ宜しく処に随い時に随い相緩急すべし。速やかならんことを欲して以て災を取ること勿れ。猶予して以て期に後(おく)るること勿れ。是れ旅に処するの道にして、即ち世を渉るの道なり。〔『言志後録』第70章〕

【意訳】
人が世の中を渡っていくのは旅をすることに似ている。途中には険阻な所や平坦な所がある。また晴れの日も雨の日もあって、結局これを避けることはできない。ただ時と状況に応じて緩急を意識するべきである。急ごうとして禍を被ることのないようにせよ。またゆっくりし過ぎて期日に遅れるようなことがあってもいけない。これが旅の仕方であり、世渡りの道である。

【ビジネス的解釈】
仕事も人生も旅のようなもので、良い時もあれば悪い時もある。それを避けることはできない。ただ、焦りすぎて失敗したり、好機を逃すことのないように、時に中ることを考えるべきだ。


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第1447日 「苦楽」 と 「成否」 についての一考察

営業1課の廣田さんと営業2課の本田さんは同期入社です。

喫茶コーナーで二人が雑談中のようです。

「この前、かなり大きな商談を受注できたんだ。これで今期の100%は見えてきた」

「それは凄いな。俺は今期はまだ苦しんでいるよ」

「でもな、どうもあまり評価してもらえていない気がするんだ」

「新美課長にか?」

「うん。清水さんが商談を決めてきたときは、かなり褒めているのに、僕のときは、あまり喜んでくれなかった」

「新美課長に限って、そんなことはないと思うけどな。でもさ、廣田。上司の評価を気にして仕事をしない方がいいよ」

「本田は気にしないのか?」

「評価してもらえた時は素直に喜ぶけど、評価されなかったとしても、自分がチームに貢献できていると思えるなら、気にしないことにしている」

「へぇ、お前、人間的に成長したな」

「神坂さんがよく言っているんだよ。『成功するだけが楽しみじゃない。逆境を楽しめてこそ一人前の営業だ』ってな」

「なんだか悟りの境地だな」

「いくら自分のやるべきことを一所懸命にやり切ったとしても、必ず評価されるとは限らないよ。評価するのは自分ではなく、他人だからね」

「そうか、そこで不満を持ったり、どうやったら評価されるかなんて考えるのは良くないんだな。誰のために仕事をしているのかわからなくなるな」

「そうだよ。お客様のために最善を尽くして感謝されたなら、それは確実に会社にも貢献することになる。まずはそれで良いじゃないか!」

「そうだな。よし、今もう一つ大きな商談があるんだ。そこに集中するよ!」


ひとりごと
 
世の中には自分ではどうしようもないこともあります。


たとえば、自分の査定についても、評価するのはあくまで評価者であり、どう評価するかは評価者の課題です。

そこに一喜一憂する暇があったら、目の前の仕事に全力を尽くすことを楽しめ、と一斎先生は言います。

わかってはいても、なかなか難しいことではありますが・・・。


【原文】
人生には貴賤有り貧富有り。亦各おの其の苦楽有り。必ずしも富貴は楽しくて貧賤は苦しと謂わず。蓋し其の苦処より之を言えば、何れか苦しからざる莫(な)からん。其の楽処より之を言わば、何れか楽しからざる莫(な)からむ。然れども此の苦楽も亦猶お外に在る者なり。昔賢(せきけん)曰く、「楽は心の本体なり」と。此の楽は苦楽の楽を離れず、亦苦楽の楽に堕ちず。蓋し其の苦楽に処りて、而も苦楽を超え、其の遭う所に安んじて、而も外を慕うこと無し。是れ真の楽のみ。中庸に謂わゆる、「君子は其の位に素して行ない、其の外を願わず。入るとして自得せざる無し」とは是れなり。〔『言志後録』第69章〕

【意訳】
人の一生には貴賤もあれば貧富もある。その各々に苦楽がある。必ずしも富貴は楽しく、貧賤は苦しいというものでもない。思うに、苦しいという見地から言えば、すべてが苦しくなり、楽しいという見地から言えば、すべてが楽しくなるものである。しかしながら、こうした苦楽は心の外にあるものである。昔の賢人(王陽明)は、「楽は心の本体なり」と言った。心の本体としての楽は、苦楽の楽から離れず、苦楽の楽に堕するものでもない。思うに世間でいう苦楽にあって、しかも苦楽を超越しており、ただ自己が遭遇する状況に満足して、外の世界を慕うこともない。これが真の楽である。『中庸』という古典にも、「君子はその時の地位に甘んじて行動し、自分がどうすることもできない外のことを願わない。どんな境遇に入っても自主自由に道を行なう」とはこれ(真楽)である

【ビジネス的解釈】
ビジネスの成否は自分の思い通りになるものではない。成功に溺れず、失敗に落胆せず、ただ自分のやるべき仕事を淡々と処理することこそ、真の楽しみといえるのだ。


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第1446日 「大言」 と 「壮語」 についての一考察

今日の神坂課長は、出張の佐藤部長に代わって中途社員採用面接の面接官を務めたようです。

終了後に同期の人事課鈴木課長と応接室で片付けながら雑談をしてます。

「鈴木、30分程度でその人物を判断するというのは難しいな」

「わかってくれるか、神坂。毎回、試行錯誤しているけど、反省ばかりだよ」

「特にビッグマウスの奴が難しいな。自信満々に過去の成功を語られると、全面的に信じそうになる。だけど、冷静に考えてみれば、それならどうして会社を辞めたの、ということになるよな」

「面接では自分の欠点を隠そうとして、かえって大きなことを言ったり、自信があるように見せようとする人もいる。そういう人物は、実は、小人物で臆病だったりするから採用すると大変なんだ」

「ビッグマウスは、自信のなさの表れってことか。ちょっと耳が痛い」

「おっ、神坂、成長したな。よく自分を分析しているじゃないか」

「やかましいわ! 俺はビッグマウスじゃなくて、本当にビッグなんだよ!」

「今時、自分のことを『ビッグ』なんて言うのは、永ちゃんとお前くらいだな」

「うるさいな。でもさ、面接ではどうしてもそういう人の方が採用されやすくなるんじゃないのか?」

「そうなんだよ。本当は、大きなことを言わず、自慢話も語らず、自分の信念をしっかりと語るような人が、実は大人物で優秀だったりするんだ。しかし、そういう人は一見目立たないからな」

「それで、この採用基準表があるんだな。たしかに親孝行かとか、親族以外で尊敬している人は誰かとかを
把握するというのは、その人の内面を視るには良いよな」

「まだまだバージョンアップが必要だけどな」

「鈴木、今まで悪かったな。ちょっと若手が問題を起こすと、採用した奴が悪いなんて言ってさ」

「わかってくれればいいさ。これからは一緒に、将来を担う若者を発掘し、育てていこうぜ」

「そうだな。ところで以前に西村部長が、俺を採用したのはただ一点、親孝行な若者だと判断したからだと言ってたよな。みんな見る目がないよな、他にも良いところを見つけられなかったのかね?」

「えっ、他に何がある?」


ひとりごと
 
大言壮語の人というのは、実は自分に自信がないのだ、というのはその通りかも知れません。

部下を厳しく叱りつけたりするのも、リーダーとしての自信のなさの表れなのでしょう。

小生には大いに心当たりがあります。

また、人を見抜く場合にも言葉に騙されないようにしたいものです。

しかし、それもまた難しいことです。

なにせ、あの孔子ですら、弟子の宰我を見抜くことができなかったと後悔しているくらいですから。


原文】
好みて大言を為す者有り、其の人必ず小量なり。好みて壮言を為す者有り、其の人必ず怯愞(きょうだ)なり。唯だ言葉の大ならず壮ならず、中に含蓄有る者、多くは是れ識量弘恢(こうかい)の人物なり。〔『言志後録』第68章〕

【訳文】
あえて大きな事を言う人がいるが、そういう人は必ず小人物である。あえて意気盛んな言葉を発している人もいるが、そういう人は必ず臆病な人物である。言葉は大き過ぎず、勇まし過ぎもせず、含蓄のあることを話す人は見識も博く、度量も寛大な人である

【所感】
自分を大きく見せるような発言をすべきではない。また、人物を見定める際は、大言壮語の人を優秀な人材だと見誤らないような冷静な判断が求められる。


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第1445日 「兆し」 と 「変化」 についての一考察

西村総務部長、佐藤営業部長、神坂課長の3人は奈良を訪れているようです。(昨日のつづき)

「まだまだ冬本番だと思っていたけど、こうして郊外に出てみると、着実に春が近づいているのを感じるね」
西村部長がつぶやきました。

「本当ですね。梅の蕾がかなり色づいていますね」
佐藤部長も同意しています。

「梅の花かぁ。全然意識していなかったな。私の場合は花見といえば、飲むための口実でしかないですから」
神坂課長は相変わらずです。

「都会に居るとこうした季節の変化に気づくのが遅れるよね。やはり人間は自然の中で暮らすべきだよなぁ」

「もしかすると都会で暮らしていると、物事の兆しに気づく力が失われていくのかも知れませんね?」

「サトちゃん、それは絶対にあるよね。視野が狭くなると、気配りもできなくなるからさ」

「梅の蕾からそういう話になるのですか?」
神坂課長が呆れています。

「神坂君、我々は宇宙の摂理の中で生かされていると言っただろう。どんな出来事にも必ず兆しがあるんだ。なるべく小さなうちに兆しを見つけることができれば、大きな問題は起らないんだ」

「なるほど」

「冬の中に春の兆しを見つけるように、うまく行っているときこそ、心の緩みに気づかないといけないんだね」

「そうですね。ウチには、うまく行くとすぐに調子に乗る連中が多いですからね」

「その筆頭株主が目の前に居るけどな」

「え、私ですか! 酷いなぁ、西村さん。あ、でも私も気づきましたよ、兆しに」

「なんの?」

「西村さんがもうそろそろ酒を飲みたくて仕方がなくなっている兆しを。ほら、微妙に手が痙攣しているじゃないですか!」

「ばかやろう、これは寒いからだ!!」


ひとりごと
 
小生の拙い経験の中で思い当たるのは、退職を決断した社員さんの日報は、記載内容が明らかにおざなりになることです。

心の迷いは随所に現れます。

日頃からメンバーとのコミュニケーションを密にしていれば、そうした小さな変化に気づけるものです。

さて、小さな変化を見逃さないための鍛錬として、大自然の中で四季の変化を探すということは、とても良いことなのかも知れませんね。


【原文】
域市紛鬧(ふんどう)の衢(ちまた)に跼蹐(きょくせき)すれば、春秋の偉観を知らず。田園間曠(かんこう)の地に逍遥(しょうよう)すれば、実に化工の窮り無きを見る。余嘗て句有りて曰く、「域市春秋浅く、田園造化忙(いそが)わし」と。自ら謂う、「人を瞞する語に非ず」と。〔『言志後録』第67章〕

【意訳】
都会の喧騒の中でこせこせとしていると、四季の景観の素晴らしさに気づくことができない。田舎の広々としたところを散策してみると、万物生成の窮まりのないことを知るのである。私は過去に歌を詠んで、「都会では四季の変化も目立たぬが、田舎では万物が忙しく生成している」としたが、これは「人をたぶらかすような言葉ではない」

【ビジネス的解釈】
ずっと都会にいると四季の変化に気づくのも遅れる。どんなことにも兆しがある。兆しをいち早く見つける感性を磨いておくべきだ。


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第1444日 「自然」 と 「視野」 についての一考察

今日の神坂課長は、総務部の西村部長、営業部の佐藤部長と3人で1泊2日の旅に出ているようです。

「やっぱり奈良って良いですよね。古代がそのまま残っているような場所がたくさんあって、心が落ち着くんですよ」

「私も心を落ち着けたいときには、奈良に来たくなるんだ」

「西村さんもそうなんですね。佐藤部長はどうですか?」

「営業の仕事をしていると、ついつい売上や利益に意識が向きすぎて視野が狭くなるよね。そうなると、我々人間は宇宙の摂理の中で生きているんだということを忘れてしまう。それを思い出すには、奈良がいいね。車で2時間程度で来れるしね」

「宇宙の摂理ですか?」

「サトちゃんの言うとおりだね。人間が自分一人でできることなんて、非常に限られている。むしろ自分の力ではどうしようもないことの方が多い。そういうことを大自然は教えてくれるよね」

「今、西村さんが言ったことと同じようなことを一斎先生も言っています。仕事に追われて視野が狭くならないように、時には自然に遊び、心を磨けと」

「さあ、着きましたよ。飛鳥寺です」

3人は飛鳥大仏のある本堂に入りました。

「おお、今までに観たことがないお顔をしていますね」

「この飛鳥大仏は、608年からここにずっとお座りになっているんだ。1400年以上もの長い間ね」

「1400年ですか!!」

「とはいっても、実は2度の落雷でかなり損傷していて、顔の一部と左耳、右手の指だけが当時のものらしいんだけどね」

「さすが西村さん。詳しいですね」

「何度も訪れているからね。この大仏さんの前に座ると、いつも自分の小ささに気づかされる。静かに問答をすると、心が落ち着き、新たな活力が湧いて来るんだ」

神坂課長も飛鳥大仏と静かに向き合っています。

そのとき、飛鳥大仏からのこんなメッセージを受け取ったようです。

「自分のできることに力を尽くせ。結果に執着するな」


ひとりごと
 
小生が東京に住んでいた頃、車で埼玉県の大宮に行ったときに、はっと気づいたことがあります。

それは、東京の空は狭い、ということです。

東京は高層ビルに囲まれているため、空を見上げても、見える範囲がとても限られています。

大宮も都会ですが、東京ほど高いビルが密集していないからか、空の見える範囲が広いなと感じたのです。

いつも同じ場所にいると、自分の視野の狭さに気づかなくなります。

時には大自然に遊んで、広い視野と穏やかな心を取り戻す必要性がありそうです。


【原文】
終年都域内に奔走すれば、自ら天地の大なるを知らず。時に川海に泛(うか)ぶ可く、時に邱丘(きゅうがく)に登る可く、時に蒼茫の野に行く可し。此(これ)も亦心学なり。〔『言志後録』第66章〕

【意訳】
一年中、都会の中を忙しく走りまわっていたのでは、天地の広大なことに気が付けない。時には川や海に出かけて舟を浮べ、時には山岳に登って英気を養ったり、時には青々として果てしのない原野に行くべきである。これもまた心を磨く学問といえよう

【ビジネス的解釈】
いつも同じ場所に留まっているのでは、視野は広がらないし、心も開放されない。時には大自然に触れ、宇宙の摂理を学ぶ必要もあろう。


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第1443日 「過ぎたる」 と 「及ばざる」 についての一考察

「なんだ石崎、明日休日出勤をするのか?」

「はい、神坂課長。栗本内科さんで、明日久しぶりの内視鏡の症例があるようなので、顔を出そうと思います」

「病院から頼まれたのか?」

「いえ、ただ心配なだけです」

「そうか。お客様に対してそういう想いを持つことは素晴らしいな」

「はい、ありがとうございます」

「ただ、それならあらかじめご施設に伝えておけば良いのにな、とは思う。もし、サプライズみたいなことを考えているなら、それはどうなのかな?」

「えっ、駄目ですか? 実は、すこしびっくりしてもらおうと考えていました」

「石崎、せっかくの行動に水をさすようでゴメンな。ただな、俺はサプライズって、結局は自己満足なんじゃないかと思うんだ」

「・・・」

「本当に心配なら、明日行きますと伝えれば良い。そうすれば、わざわざ休みの日に自分から訪問すると言ってくれたということで、充分感謝をしてもらえるはずだ。サプライズが必要だとは思えないんだよ」

「ああ、たしかにそうかも知れません」

「やり過ぎは、やり足らないのと同じだ、という言葉もある。大事なのは、お客様に喜んでもらうこと、安心してもらうことだよな。もし、突然訪問して、かえって気を遣わせてしまうことになれば、逆効果になるかも知れないぞ

「課長、どうしましょうか? 今から電話したほうが良いですかね?」

「栗本内科さんのことを一番よく理解しているのはお前だ。お前が自分で判断しろよ」

「わかりました。やっぱり電話を入れます」

「石崎。もう一度言うが、お前のその気持は素晴らしいと思う。わざわざ休みを削ってお客様のところに行くと言ってくれたことを、俺はすごく嬉しく思っているんだ」

「はい。そう言ってもらえただけで、私も嬉しいです」

「やり過ぎないようにしようと思えば、かえってやり足らなくなる可能性が高いよな。だから、お客様に対しては、すこしやり過ぎくらいでちょうどいいと思っておいて間違いはないよ」

「はい」

「ただ、自分のことはすこし足らないくらいでちょうどいいと思いたいな」

「はい。課長の場合、部下を叱るときには、すこし足らないくらいにしておくと良いと思います」

「これは一本とられたな!」


ひとりごと
 
孔子は「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と言いました。

徳川家康は「及ばざるは過ぎたるよりまされり」と言いました。

そして小生は思います、お客様に対しては「過ぎたるは及ばざるよりまされり」と。

大切なことは、相手を思いやる気持ちでしょう。

自分勝手に、「過ぎているか、足りていないか」を考えるのではなく、相手視点で考えるべきですね。


原文】
古人謂う、「天下の事過ぐれば則ち害有り」と。雨沢(うたく)善からざるに非ざるなり。多きに過ぐれば則ち澇(ろう)す。其の害たるや旱と同じ。今善を為すに意有りて、心に任せて自ら是とする者は、皆雨沢の澇なり。余も亦往往若(かくのごと)き人を見る。然れども他人に非ざるなり。自ら警せざる可からず。〔『言志後録』第65章〕

【意訳】
昔の人は「世の中の物事は、度を過ぎると害となる」と言っている。雨そのものは悪いものではないが、雨が降り過ぎると水浸しとなってしまう。その損害の程度は日照りと同じである。今、善い行いをしようとして、自分の思いのままに任せて行動するならば、それは雨による水害と同じことである。私もこういう人をよく見かけるが、それは他人事ではない。自らも深く慎まねばならないことである

【ビジネス的解釈】
何事もやり過ぎは、害を及ぼす本となる。自分勝手に「お客様にとって善いことだと」思い込んで、かえってお客様に迷惑をかけることがないようにすべきである。


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第1442日 「晦」 と 「顕」 についての一考察

営業部特販課の大累課長と雑賀さんが揉めているようです。

「お前はいつも詰めが甘いんだよ! クロージングの意識が低いから競合に勝てないんだ!」

「俺だって俺なりには意識していますよ。でもY社はチームで営業しているのに、こっちは俺ひとりですよ。限界がありますよ!」

「言い訳するな! ちゃんと自分に矢印を向けて反省しろよ。そうしない限り、ずっと負け続けるぞ!」

「どうせ俺はお荷物ですよ!」

「そんなこと言ってないだろう!!」

雑賀さんは怒って居室を飛び出していきました。

「大累君、ちょっといいかな?」
佐藤部長が大累課長を部長室に呼んだようです。

ふたりは応接セットに向き合って座りました。

「大累君は、雑賀君が自腹で営業セミナーを受講していることは知ってるかい?」

「えっ?」

「実は私の友人が講師をしている営業研修に、雑賀君が参加しているらしいんだ。社名をみて、こっそり私に教えてくれたんだけどね」

「知りませんでした・・・」

「彼は、神坂君や清水君にもよく質問しているらしいよ。この前は、清水君と同行したみたいだしね」

「ああ、清水から雑賀を連れ出してもいいかと聞かれたので、お願いしました」

「あれは、雑賀君から頼んだようだよ」

「あいつ、なんで私に相談してくれないんですかね?」

「彼はよくこう言ってるよ。『自分がしっかり結果を出して、大累課長を男にしたい』ってね」

「・・・」

「一斎先生がこう言ってるんだ。『暗いところに居ると明るいものがよく見えるが、明るいところに居ると暗い場所は見えない』ってね。上位者というのは、自分が思っているほどメンバーのことを理解できていないのかもね?」

「そうだったんですね。たしかに、私も神坂さんに相談するのはちょっと恥ずかしいんですよ。そういうことなのかなぁ?」

「雑賀君もそうやって陰で頑張っているようだから、きっとそのうちに結果を出すよ」

「そうですね。私はいつでもメンバーとフラットなつもりで居たのですが、いつの間にか上から目線になっていたのかも知れません」

「明るい場所にいても、暗い場所を観ることができるリーダーになって欲しいね」

「はい、意識します。今晩、雑賀を飯に誘ってみます!」


ひとりごと
 
リーダーになると、気づかないうちにメンバーを下に見てしまうのかも知れません?

上から目線でなく、横からの目線で接するとよい、とアドラーは言います。

常にメンバーの置かれた環境を把握することに努めることは、リーダーの最も重要な仕事ではないでしょうか?


原文】
晦(かい)に処(お)る者は能く顕を見、顕に拠(よ)る者は晦を見ず。〔『言志後録』第64章〕

【意訳】
暗い所にいる人は明るい所がよく見えるが、明るい所にいる人は暗い所を見ることがない

【ビジネス的解釈】
下位職者は上位職者のことがよく見えるが、上位職者は意識しない限り、下位職者のことを理解できにくいものである。


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第1441日 「適材」 と 「適所」 についての一考察

神坂課長は、総務課の大竹課長と喫茶コーナーで休憩中のようです。

「鈴木から聞いたのですが、今年は採用も苦戦しているようです。来年度の新卒も5名採用を目指しているようですが、現在のところ3人しか本人承諾を得ていないようです」

「景気が良くなると医療業界には人が来なくなるからなぁ」

「キツイというイメージがあるのですかね?」

「世の中には、ドクター向けの営業は大変だという認識があるんじゃないの?」

「そうなのかなぁ。いっそのことタケさん、営業やりません? 口から生まれてきたみたいな人だし、たぶんやれるでしょう?」

「バカ言っちゃいけないよ。今更、営業はないない。それに、私は根っからの総務マンだよ。総務が天職だからね」

「適材適所ですね。まあ、俺も根っからの営業マンなのかなぁ?」

「神坂君は、営業意外は無理、無理。神坂君に総務なんかやらせたら、会社が一瞬でひっくり返っちゃうよ!」

「そこまで言いますか!」

「ウチみたいな零細企業は、適材適所なんて言ってられないところもあるけど、大手企業なんかでは、優秀な人材がうまく活用できていないなんてことが多いみたいだよ」

「なんだかんだ言っても、企業の財産は人だということですね?」

「だからこそ、ウチの社長は、家族主義をうたっているし、実際に家族を迎えるつもりで採用をやるように指示しているんだろうな」

「一度採用したら、何があっても首を切らないと断言していますもんね。でも、そういう意味だと、教育にはもう少しお金をかけた方がいいかも知れませんね。営業教育の講師が俺でよいのかなと思ってしまいます」

「お金というのは動かしてナンボというところがあるからね。外部の教育会社に依頼する必要もあるかもね?」

「やっぱりプロに任せたほうが良い気がします」

「人材教育は鈴木君の担当だから、私からも少し話してみるよ。そういえば、私の知っている社長さんは、教育に年間5百万くらい投資していると言ってたからね。あの人にも聞いてみよう」

「ウチはメーカーじゃないから、製品開発費は発生しない分、人材開発費にお金を回していく必要がありそうですね」

「適材適所という考え方は、ヒトとカネの双方にとって大切なんだね!」


ひとりごと
 
小生には苦い思い出があります。

かって、小生の後輩として営業部門に配属になったG君は、驚くほど数字に弱く、またお客様の名前もなかなか覚えられないという若者でした。

半年経った頃、小生は上長に、「G君には営業は無理です。配置換えをしてください」とお願いをしました。

かくして、配置換えで情報システム部門に配属になったG君は、そこでメキメキと頭角を現し、いつしかなくてはならない存在へと成長したのです。

自分の人を見る目のなさ、相手の美点凝視ができていなかったことを痛感した出来事です。

適材を適所に配置するためには、人を見抜く眼力が必要だということでしょう。


原文】
物其の所を得るを盛と為し、物其の所を失うを衰と為す。天下人有りて人無く、財有りて財無し。是を衰世と謂う。〔『言志後録』第63章〕

【意訳】
物が適所を得たときは盛となり、適所を得ることができなければ衰となる。天下に有能な人材があっても、その所を得なければ人材は無いも同然であり、財産はあっても適正に使用されなければ金が無いのと同然である。これを衰えた世と云う

【ビジネス的解釈】
適材適所こそ、企業存続の重要事項である。人材を見極め、もっとも能力を発揮できるポジションを与えるべきである。また、資産についても、ただ溜め込むのではなく、いかに活用できるかを考えるべきだ。


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