一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2019年02月

第1468日 「動」 と 「静」 についての一考察

神坂課長は入院中の佐藤部長のお見舞いに来たようです。

「部長、大丈夫ですか? 心配しましたよ」

「ああ、神坂君。本当にごめんね、一番大事なときに」

「それは気にしないでください。それより意外と元気そうで安心しました」

「だいぶ炎症は治まったみたいだから。それにしてもひどい腹痛でびっくりしたよ」

「膵炎は痛いって言いますよね。お酒も控えないといけませんね!」

「当分は禁酒だね。ところで、仕事の方はどう?」

「はい、正直に言いまして、部長がいない営業部は混乱しています。しかし、大累と新美とも話し合って、とにかく一致団結して乗り切ろうという話はできています」

「そうか、それは心強いな。よろしく頼みます」

「はい、なんとしても計画を達成します! それで、すこしだけ私にアドバイスをください。こういう緊急事態のときに、マネジャーはどんな心構えでいれば良いのでしょうか?」

「アドバイスなんてできる立場じゃないけどなぁ。まあ、神坂君と私の長い間の信頼関係があるからという前提で話をさせてもらうよ」

「お願いします」

「2つあると思う。一つ目は、比べないこと。他人のやり方と比較して優劣を評価しない方がいいね。2つ目は、自分自身のやるべきことをしっかりやること。自分に嘘をつかないということかな」

神坂課長は手帳にメモをしています。

「つまりね、格好をつけた偽りの自分ではなく、真の自分を発揮するということが大事なんだと思う」

「真の自分ですか?」

「きっと皆は神坂君の一挙手一投足に注目しているはずだ。そこで、神坂君がとらわれのない神坂君であり続ければ、皆は安心してついてくると思うよ」

「陰でカミサマなんて呼ばれている男ですよ、大丈夫ですかね?」

「最近の神坂君なら大丈夫!!」


ひとりごと
 
仕事をしているとき、誰もがある程度は偽りの自分を演じているのではないでしょうか?

自分磨きの途中にいる場合は、それもやむを得ないのかも知れません。

しかし、いつの間にか偽りの自分が本当の自分だと思い込むようなことになっては本末転倒です。

常に、真の自分(真己)と自問自答することを忘れないようにしましょう。


原文】
仮己(けこ)を去って真己(しんこ)を成し、客我を逐(お)うて主我を存す。是を其の身にらわれずと謂う。〔『言志後録』第87章〕

【意訳】
仮の自己を消し去って、真の自己をを成し、世俗の既成概念に囚われた私を追い出して、主体的な本来の私を身に存す。これをとらわれない自由な境地と言うのだ

【ビジネス的解釈】
世間にまみれた偽りの自分と戦い、常に真の自分を保ち続けることが成功への近道なのだ。


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第1467日 「敬」 と 「謙」 についての一考察

今日の神坂課長は、休日によく利用する喫茶店の個室にいるようです。

「佐藤部長が入院して、営業部全体のことを考えなければいけなくなってみると、自分の考えがいかに浅かったかがよくわかるよなぁ」

コーヒーを飲みながら、テーブルの上に自宅から持ってきた『言志四録』と『論語』を広げているようです。

「敬は車で、謙はその車を操るハンドルだ、というこの表現は面白いな」

「車を組織に置き換えて考えてみてもいいのかもな。営業部という一台の大きなバスを俺が運転することを想像してみよう」

「一斎先生の言葉によると、このバスのガソリンが敬なわけだな。つまり、みんながお互いに相手を敬う気持ちをもつことだ」

神坂課長は、営業部のメンバーの顔を心のスクリーンに浮かべています。

「ははは、清水に雑賀や石崎が俺を尊敬してくれているとは思えないな」

苦笑いを浮かべながら、2杯目のコーヒーを注文したようです。

「いや、待てよ。だいたい俺があいつらを尊敬できているのか? そこがまずは問題ということか!」
神坂課長は、何かを思い出したように『経書大綱 論語』(小林一郎著)のページをめくっています。

「ほら、ここに書いてあった。まずは自分の能力を過信しないことだな。経験が長い分、若い連中より仕事ができるのは当然なんだからな」

2杯目のコーヒーが運ばれてきました。

「さて、ハンドルは謙とあるな。つねに謙虚に譲る心をもって接しなさい、ということだろうな。これが俺に一番足りないものだからな」

「ということは、俺は今までハンドルのない車を運転していたというわけか? そりゃ、うまくいくわけないよな」

神坂課長は、コーヒーを一気に飲み干して、立ち上がりました。

「よし、佐藤部長のお見舞いに行くとするか!」


ひとりごと
 
敬と謙の2つの徳を身につければ、国を治めることも難しくない、と一斎先生は言います。

会社組織も同じでしょう。

しかし、敬と謙にあふれた組織を見かけることは稀ですよね?

その原因はどこにあるのか?

その答えは、家庭でしょう。

まずは、家庭において、親が子に子が親に、敬と謙を発揮することから始めるべきなのでしょう。


原文】
謙は徳の柄(へい)なり。敬は徳の與(よ)なり。以て師を行(や)り邑(ゆう)国を征す可し。〔『言志後録』第89章〕

【意訳】
慎ましさという乗り物に乗り、謙譲というハンドルを握って軍隊(師)を進めれば、村や国を治めることは容易である

【ビジネス的解釈】
組織をマネジメントする上で大切にすべきは、相手を敬い自らを慎むことをベースにしながら、譲る精神を発揮することである。


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第1466日 「真勇」 と 「蛮勇」 についての一考察

今日の神坂課長は、大累課長とランチ中のようです。

「この前、お前が智者で、新美が仁者、そして俺が勇者だって言ってたよな」

「その通りじゃないですか!」

「いや、お前が智者というのは、いまだに肚に落ちないんだけどな。それは置いておいて、たしかに俺はキャラ的に勇者キャラなんだろうな」

「それ以外に何があります?」

「あるわ! いろいろ、例えば・・・」

「ほら、ないじゃん!!」

「うるせぇな。そういうことじゃなくてさ、俺の勇気は本物なのかなと思ってさ」

「なんか最近の神坂さんは弱気ですよね」

「本当の勇気というのは、慎みの中から生まれるものらしいんだ」

「へぇ」

「俺に慎みはあるのかな? ただ、意気地のない奴だと見られるのが怖くて、虚勢を張っているだけなんじゃないか?」

「そうやって真面目な顔で聞かれると、どう答えていいのかわからないですよ。まあ、昔の神坂さんはそうだったかも知れないですけど、今は違うと思いますよ」

「そうかな」

「そもそも、そういう疑問を持つことが凄いことじゃないですか? 俺たちの若い頃に、そんなこと考えもしなかったでしょ」

「たしかにな。勇気には『真勇』『蛮勇』の2つがあるんだそうだ。真の勇気というのは、相手を敬ったり、自分を後回しにする気持ちから生まれてくるものなんだろうな

「それに比べて、『蛮勇』というのは、ただ暴れん坊なだけってことですね。昔の俺たちはそうでしたね。しょっちゅう殴り合いの喧嘩をしていましたよね?」

「あれはあれで熱い気持ちでやってきたと思うけど、まあ、やっぱり『蛮勇』だろうな。(笑)」

「俺たち、いつの間にか歳をとりましたね」

「ははは、本当だね。しかし、そうしているうちに、いつしか俺たちは『親友』になったな」

「良い話なんだから、ダジャレはやめてくださいよ!!」


ひとりごと
 
この一斎先生の言葉は、小生にとっては衝撃的でした。

根っこのない勇気は、本物の勇気ではない、ということでしょう。

人の凄さに気づき、いつでも人を立てることができる人だからこそ、本当の勇気が生まれるのだ、というこの言葉をしっかりと噛みしめます。


原文】
敬は勇気を生ず。〔『言志後録』第88章〕

【意訳】
人を敬い慎み深くすることが、自らの勇気を生むのだ

【ビジネス的解釈】
真の勇気というものは、相手を敬い、自分を譲る気持ちから生じるものである。


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第1465日 「仮己」 と 「真己」 についての一考察

神坂課長は入院中の佐藤部長のお見舞いに来たようです。

「部長、大丈夫ですか? 心配しましたよ」

「ああ、神坂君。本当にごめんね、一番大事なときに」

「それは気にしないでください。それより意外と元気そうで安心しました」

「だいぶ炎症は治まったみたいだから。それにしてもひどい腹痛でびっくりしたよ」

「膵炎は痛いって言いますよね。お酒も控えないといけませんね!」

「当分は禁酒だね。ところで、仕事の方はどう?」

「はい、正直に言いまして、部長がいない営業部は混乱しています。しかし、大累と新美とも話し合って、とにかく一致団結して乗り切ろうという話はできています」

「そうか、それは心強いな。よろしく頼みます」

「はい、なんとしても計画を達成します! それで、すこしだけ私にアドバイスをください。こういう緊急事態のときに、マネジャーはどんな心構えでいれば良いのでしょうか?」

「アドバイスなんてできる立場じゃないけどなぁ。まあ、神坂君と私の長い間の信頼関係があるからという前提で話をさせてもらうよ」

「お願いします」

「2つあると思う。一つ目は、比べないこと。他人のやり方と比較して優劣を評価しない方がいいね。2つ目は、自分自身のやるべきことをしっかりやること。自分に嘘をつかないということかな」

神坂課長は手帳にメモをしています。

「つまりね、格好をつけた偽りの自分ではなく、真の自分を発揮するということが大事なんだと思う」

「真の自分ですか?」

「きっと皆は神坂君の一挙手一投足に注目しているはずだ。そこで、神坂君がとらわれのない神坂君であり続ければ、皆は安心してついてくると思うよ」

「陰でカミサマなんて呼ばれている男ですよ、大丈夫ですかね?」

「最近の神坂君なら大丈夫!!」


ひとりごと
 
仕事をしているとき、誰もがある程度は偽りの自分を演じているのではないでしょうか?

自分磨きの途中にいる場合は、それもやむを得ないのかも知れません。

しかし、いつの間にか偽りの自分が本当の自分だと思い込むようなことになっては本末転倒です。

常に、真の自分(真己)と自問自答することを忘れないようにしましょう。


原文】
仮己(けこ)を去って真己(しんこ)を成し、客我を逐(お)うて主我を存す。是を其の身にらわれずと謂う。〔『言志後録』第87章〕

【意訳】
仮の自己を消し去って、真の自己をを成し、世俗の既成概念に囚われた私を追い出して、主体的な本来の私を身に存す。これをとらわれない自由な境地と言うのだ

【ビジネス的解釈】
世間にまみれた偽りの自分と戦い、常に真の自分を保ち続けることが成功への近道なのだ。


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第1464日 「逆境」 と 「成長」 についての一考察

今日の神坂課長は、佐藤部長の緊急入院を受け、営業2課でミーティングを開催しているようです。

「これは、営業部、いや当社にとって緊急事態だ。正直に言って、部長の後ろ盾がないことがこんなに不安なことだとは思っていなかった」
神坂課長は素直な気持ちを伝えています。

「しかし、仕事をしていれば、いつも好調というわけにはいかない。時にはこういう大ピンチを乗り越える必要がある」

「なぜですか?」
梅田君が質問したようです。

「人間はな、逆境を経験したときに磨かれて成長するものなんだよ。梅田は陸上をやっていたんだよな。ライバルに負けたときの方が、勝ったときより悔しくて練習したんじゃないか?」

「ああ、そのとおりです!」

「松下幸之助という人は、みんなが不況で苦しんでいるときに、『好況よし。不況またよし』と言ったんだそうだ」

「なぜ、そう言ったのですか?」
今度は石崎君が質問したようです。

「不況のときは、真剣に自分のこと、会社のことを省みることができるからだそうだ。そこから、ムリ・ムダ・ムラを取り除けば、スリムな組織になれるだろう」

「なるほど」

「いずれにしてもだ。逆境を楽しもうぜ、とはさすがに言えないが、このピンチをみんなで頭を使って、工夫をして、助け合って乗り越えていこう!」

「はい!」

「本田君、私は1課や特販課の商談にも手を貸す必要が出てくるから、私がいないときは、全権を君に任せる。山田さんに相談しながら、しっかり決断してくれよ!」

「わ、私にですか?」

「本田さん、勉強のチャンスですね。しっかりやりましょう!」
山田さんが微笑みながら背中を押してくれたようです。

「部長、必ず今期は計画を達成しますよ!」
神坂課長は、病室の佐藤部長に熱い想いを送ったようです。


ひとりごと
 
できるなら逆境は経験したくないものです。

しかし、逆境を経験してこそ成長できるのが人間という生き物ではないでしょうか。

降り止まない雨はない、と言います。

逆境に遭遇したら、逃げも隠れもせず、真正面からぶつかっていく。

自分自身もそうですが、メンバーにそういう気持を抱かせるリーダーでありたいものです。


原文】
順境は春の如し。出遊して花を観る。逆境は冬の如し。堅く臥して雪を看る。春は固と楽しむ可し。冬も亦悪しからず。〔『言志後録』第86章〕

【意訳】
順境はまるで春のようである。外出して花を観るような気分である。逆境はまるで冬のようである。家の中で床に臥し窓から雪を観るような気分である。春はもちろん楽しむべきだが、冬もまた悪くないものだ

【ビジネス的解釈】
順境にあるときに無理に逆境におちる必要はないが、逆境にあるときはそれを受け入れ味わうことも、ビジネスにおいては貴重な経験となる。


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第1463日 「近さ」 と 「狎れ」 についての一考察

営業部の佐藤部長が急性膵炎で緊急入院したようです。

「神坂、大変なことになったな。佐藤君が復帰するまでは、お前が営業部全体の指揮を執ってくれ」
川井営業企画室長が神坂課長に申し伝えたようです。

「川井さん、言われてみて気づいたのですが、私は営業部全体のことを考えたことはないかも知れません」

「それなら良い機会じゃないか。神様がお前を試しているんじゃないか?」

「普段は私が営業部を引っ張っているような自負を持っているのですが、いざ佐藤部長が居ないとなると急に心細くなります」

「だらしないことを言っている場合か! 残り2カ月で本決算を迎えるんだぞ、ここが勝負じゃないか!」

「佐藤部長の復帰の目途はいつ頃なのですか?」

「早くて2週間はかかるだろう。2月の復帰は不可能だな」

神坂課長は、大累課長、新美課長を招集して、緊急営業部会議を開催することにしたようです。

「実は俺の中で、佐藤部長が居ない営業部というものを考えたこともなかったんだ」

「どうしたんですか、神坂さん。全然いつもの偉そうな感じがないじゃないですか!」

「大累、すまん」

「あれ、いつものように殴りかかって来ないんですか?」

「俺は今まで佐藤部長の本当の凄さが分っていなかったんだな。本当に立派な人というのは、近くにいるとその凄さに気づけないのかも知れない」

「それはそうかもしれませんね。私もどこかで最後は佐藤部長に相談すれば良いと思っているところがありましたから・・・」

新美課長も弱気になっています。

「神坂さん、新美! ここで俺たちがしっかりしなかったら、動揺するのはメンバーですよ。営業部全員で一致団結して、この危機を乗り越えましょうよ!」
大累課長が檄を飛ばしました。

「そうだな。こんな情けない俺の姿を見たら、本当に石崎に馬鹿にされるだろうな」

「俺も、雑賀に馬鹿にされますよ」

「私も、清水さんに鼻で笑われてしまいますね」

三人はお互いに顔を見合わせて失笑しています。

「大累、ありがとう。よし、俺が指揮を取るなんておこがましいことは言えないが、とにかく皆で何ができるかを考えよう。各課で緊急ミーティングを開催してくれ!」

「はい!」

「佐藤部長、いまは心配せずに治療に専念してください。必ずこの危機を乗り越えてみせますよ!」
神坂課長は、心の中でつぶやきました。


ひとりごと
 
皆さんの周囲にも、いつもあまりに近くに居るがために、その大切さ、ありがたさに気づけていない、という人がいるのではないでしょうか?

小生もこの章句を読んで、いろいろと思いを馳せてしまいました。

当たり前に思えていることが、実はとても有難いことなのだということを肝に銘じておきたいものです。


原文】
艮(こん)を篤実輝光と為す。君子の象なり。物の実有る者は、遠くして益(ますます)輝き、近ければ則ち之に狎れて、美を覚えざるなり。月に面して月を看るは、月に背きて月を観るに如かず。花に近づきて花を看るは、花に遠ざかりて花を膽(み)るに如かず。〔『言志後録』第84章〕

【意訳】
易の卦にある艮という卦は、篤実にして光輝くという意味であり、君子のかたちである。中身が充実したものは、遠く離れるほど益々光り輝くものであるが、近付けばそれに狎れてしまい、その美しさを感じられなくなる。それはあたかも月に正対して月を眺めることは、月を背にして月を観るのには及ばないことや、花に近づいて花を看るのは、花から離れて花を膽(み)るのには及ばないことと同じである

【ビジネス的解釈】
本当に立派な人物というものは、近くにいるとその立派さに気づかないが、離れてみるとその偉大さに気づくものである。


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第1462日 「学び」 と 「問い」 についての一考察

今日の神坂課長は、休日を利用して、著名な東洋哲学研究家の講演を聞きにきたようです。

「学問という言葉の出典は、『易経』です。そこには、『学もってこれを聚(あつ)め、問もってこれをわかち』とあります」

神坂課長は、真剣にメモを取っています。

「儒学の古典、『中庸』には、博くこれを学び、審らかにこれを問い、慎んでこれを思い、明らかにこれを弁じ、篤くこれを行う、とあります。学問には、この博学、審問、慎思、明弁、篤行の5つがセットになっていなければなりません」

なるほど」

「たくさんのことを学び、詳細な点まで深く問い、深く考え抜き、物事の道理をつかみ、そして誠実に実践する。これができて初めて学問と言えるのです」

「つまり学問とは、学び、そして問うことです」

「問うことはできていないなぁ」
神坂課長のひとりごとです。

「ところが、最近は学生さんだけでなく、ビジネスマンの皆さんまでもが知識を詰め込むことが学問だと思っています」

「うわぁ、耳が痛い」

「先ほどの5つの項目の中でも、大切なのは後半の3つです。学んで得た知識を自分自身の心に深く問いかけ慎思・明弁することが大切です。そのうえで、自分の仕事に活かすように実践するのです」

「特に儒学は実践の学問です。せっかく東洋古典を学ぶのであれば、ご自身の仕事や生活に活かしてください。その時、最も大切な基準となるのが皆さん自身の心なのです」

帰りの電車の中で、神坂課長はひとりで考え事をしているようです。

「たしかに最近の俺は、インプットが中心になり過ぎていたかも知れないな。せっかく学んだことを、もっと深く自分の心と対話して熟成させる必要がありそうだ」

最寄り駅のホームに電車が停車しました。

「よし、今週は自分の心と対話する一週間にしょう。その目的はあくまでも実践にありだな」


ひとりごと
 
『中庸』にある博学・審問・慎思・明弁・篤行の5つの項目は、朱熹が『白鹿洞書院掲示』(宋代に朱子らが講義を行った学校に掲示されていたもの)で取り上げ、本邦では中江藤樹先生が『藤樹規』(同じく藤樹先生が藤樹書院に掲げたもの)に取り入れて掲げています。

まさに学問の要諦を言い尽くした言葉と言えるでしょう。

学問とは、学び、問い、誠実に実践するものでなければ意味がないのだ、とこの言葉は教えてくれます。


【原文】
学は諸を古訓に稽(かんが)え、問は諸を師友に質すことは、人皆之を知る。学は必ず諸を躬に学び、問は必ず諸を心に問うことは、其れ幾人有るか。〔『言志後録』第84章〕

【訳文】
学は古の教えを今に照らして考え、問いは師や朋友に質すということなら、人は皆理解している。ところが学とは必ず自ら実践することであり、問いは必ず自らの心に問いかけるということについては、果たして幾人の人が理解しているのだろうか

【所感】
学問同様、仕事においても、学び、問うことが肝要である。学びには実践が伴わねばならず、問うとは、自らの心と会話をする心掛けでなければならない。


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https://wp1.fuchu.jp/~sei-dou/rekisi-siryou/00001-00050/00045tsuyama-hekizan-hakushika/00045tsuyama-hekizan-hakushika.htm より

第1461日 「症状」 と 「投薬」 についての一考察

「善久、ちょっといいか?」

「神坂課長、何ですか?」

神坂課長が善久君を喫茶コーナーに連れ出したようです。

「善久、俺はお前にすごく期待しているんだ」

「え、私にですか?」

「そうだよ。お前には石崎にはない課題発見力がある。どれだけ課題を解決する力があっても、課題を発見できなければ意味がないからな」

「私にそんな力があるのですか?」

「ああ、あるよ。俺が若い頃と比べたら、お前の方がはるかに課題を見極める力が高い」

「自分では気づいていませんでした・・・」

「お前と石崎とは本当にあらゆる面で好対照だよな。二人を足して二で割ったら凄い営業マンになるんだけどなぁ」

「ザキの方が優秀ですよ。課長も絶対、ザキを評価していると思っていました」

「まだ二年目のお前たちに大きな差なんてあるわけないだろう。石崎は確かに行動力はあるが、肝心の課題を見極める力が弱いから、打ち手を間違えることが多い。一方お前は、せっかく課題をつかんでいるのに、そこからの行動が慎重すぎる。だから、タイミングを逃してしまうことが多い」

「はい。そこは自分でも課題だと思っています」

「もっと自分の力に自信を持て、善久。お前は、願海に影響されて本もよく読んでいるんだろう。せっかく本を読んでいるんだから、一冊本を読んだら、ひとつでいいからその内容を実行に移してみろ」

「ひとつで良いのですか?」

「たかが1,500円程度の投資で大きな見返りを求めるな。ひとつ気づきがあれば十分じゃないか!」

「たしかに、そうですね」
善久君の表情が少し明るくなったようです。

「でも、課長。なぜ、急にそんな話をされるんですか?」

「お前、会社を辞めようかと考えているんじゃないか?」

「えっ!」

「ほら、図星だろう。表情を見ていればわかるさ。それに日報の内容も以前より薄くなってきたしな」

「正直に言いますと、営業は向いていないのかなと思い始めていました」

「営業マンに向かない人間なんていないんだよ。そう思うのは、お前が理想とする営業マンとお前の性格がマッチしていないからじゃないか?」

「・・・」

「自分の得意とする能力と性格をよく見極めて、自分に近い理想の営業マンを見つけ出すといいよ。ほら、この本を読んでごらん」

「『心の営業』?」

「それを読むと、お前が営業に向いていることがよくわかるさ!」


ひとりごと
 
医師が患者の症状に応じて与える薬を変えるように、部下の課題に応じてアドバイスを変えることを応病与薬といいます。

孔子は、この応病与薬の名人です。

ところで最近の20代の若い人たちには、ただ短所だけを指摘するのは逆効果のようです。

まず長所を指摘して褒め、次に短所について一緒に考える。

これが新しい処方箋のようです。


原文】
学者にして読書を嗜まざる者有れば、之を督して精を励まし書を読ましめ、大いに読書に耽る者有れば、之をして静坐自省せしむ。是れ則ち症に対して之を補瀉(ほしゃ)するのみ。〔『言志後録』第83章〕

【意訳】
学問をする人で読書を嗜まない人がいれば、促し励まして読書をさせ、大いに読書をする人がいれば、静坐して自らを省みるように勧める。これは症状に応じて薬を与えるようなものである

【ビジネス的解釈】
リーダーは常に、メンバーの長所を伸ばしつつ、短所を矯めるアドバイスをすべきである。


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第1460日 「未発」 と 「已発 」についての一考察

神坂課長は、N鉄道病院名誉院長の長谷川先生のご自宅に居るようです。(昨日の続き)

「はい、お待たせしました。私がそば粉から手打ちした特製のお蕎麦ですよ。どうぞ召し上がれ」

「うわぁ、美味しそうですね。先生が手打ちしたのですか、凄いなぁ」

「そば打ちも私の大切な趣味でね。心が迷ったときにそばを打つと冷静になれるんだよ」

「ということは、最近何か心に迷いが生じたということでしょうか?」

「ははは。バレたか、その通り。でも、そばを打って解決したよ」

「そうやって、心を落ち着かせる手段をお持ちになっているのはさすがです」

「さっき話をした人心というものは、なるべく大きく育てないに越したことはないけど、無くすことは難しいよね」

「はい、私には無理です」

「ははは。人間は本来、道心を持っているわけだから、常にそれを発動すればいい。でも、どうしても人心が発動してしまうことがある。とくに欲というものをゼロにすることは不可能に近いよね」

「ええ、無欲にはなれません」

「うん。だからこそ、生活習慣病を予防するような心構えで、人心を予防するべきなんだけど、それでも感情が発動してしまったときは、その瞬間に冷静なもうひとりの自分の声に耳を傾けるんだ」

「もうひとりの自分ですか?」

「そう、感情を発動してしまった自分を人心様と呼ぶなら、もうひとりの冷静な自分は道心様とでも言おうかね」

「ああ、なるほど。私の場合は、カッとなるとすぐに『ばかやろう』って叫んでしまうのですが、その叫んだ瞬間に道心様を発動するように意識すると良いのですね」

「そんな感じかな。もちろん本当は、『ばかやろう』なんて言葉を発しない方が良いんだよ」

「はい、重々承知しております・・・」

「ははは。さあ、冷めないうちに食べてよ」

「はい、いただきます。うわぁ、これは美味しいです。出汁も絶妙です。やはり長谷川先生は何をやっても凄い人ですね。おそばに居れて光栄です」


ひとりごと
 
『中庸』という儒学の古典に、『未発の中(みはつのちゅう)と已発の和(きはつのか)』という考え方があります。

心がまだ動かぬ状態を「未発」といい、この状態のときは、心は静で、中正を得た、本来的な「性」の状態にあります。

心が外物と接することによって心が動いて、情が現れるのが「已発」の状態です。

未発の状態こそ心の本体です。

ひとたび心が動いて情が発動しても過不及なき「和」の状態になるとは限りません。気質の阻害によってしかるべき節度にぴたりと中(あた)らぬ危険性があります。

そこで朱熹(朱子)は、未発の涵養(かんよう)(心を静的場において保持する工夫)と已発の省察(心が事物と応対する場においてその理非曲直を観察する工夫)とを一本化し、居敬の工夫を主張し、いついかなるときにあっても心の主体性を保持する方法としたのです。(『日本大百科全書』より)

つねに「未発の中」を保持することを意識しつつも、どうしても感情が発動してしまった場合には、それが節度に中(あた)るように工夫をすることが重要だということです。

感情が発動したその瞬間にどう対応するかが大事だということでしょうね。


原文】
性の動くを情と為す。畢竟断滅す可からず。唯だ発して節に中(あた)れば、則ち性の作用を為すのみ。然るに自性(じしょう)を錮閉(こへい)する者を習気と為す。而して情の発するや、毎(つね)に習気を夾(はさ)みて黏着(ねんちゃく)する所有り。是れ錮閉なり。故に習気は除かざる可からず。工夫機筈(きかつ)は、一念発動の上に在り。就即(すなわ)ち自性を反観し、未発の時の景象を覔(もと)め、以て挽回すれば、則ち情の感ずる所、純(もっぱ)ら性を以て動き、節に中らざる無きなり。然れども工夫甚だ難く、習気に圧倒せられざる者少なし。故に常常之を未だ感ぜざるの時に戒慎し、猶失う所有れば、則ち又必ず之を纔(わず)かに感ずるの際に挽回す。工夫は此の外に無きのみ。〔『言志後録』第82章〕

【意訳】
本性が発動したものが情であるから、この性と情を断ち切ることはできない。発動した情が中庸を得ていれば、本性が正しく発動しているといえる。ところが自己本来の性が閉じこめられ、情慾がそのままに流されてしまうのが習気である。したがって情が発すると必ず習気がまとわりつき、性に基づく正しい情のはたらきが阻害されてしまう。これが錮閉(こへい)である。それゆえ習気は除去しなければならない。その工夫の要点は、一念が発動されるところにある。すなわち自己本来の性をよく振り返り、観察した上で、まだ情が発動する前の心の在り様を求めて、そこに立ち返れば、情が動き出すときに、性に基いて動き、中庸を得ることができるのだ。しかしながら、この工夫は大変に難しいため、習気(煩悩などによる後天的な気性)に圧倒されない者は少ない。そこで常に情が発動する前に自らを戒め慎み、それでもなお中庸を失いそうになったときは、情が動き出した瞬間にすぐに未発の時の在り様に立ち返るのだ。工夫といってもこれ以外の方法はないのだ。

【ビジネス的解釈】
人心の本となる人間の感情を完全に無くすことはできないし、無くす必要もない。ただ、発した感情が節度を超えなければよいのだ。そのためには常に鍛錬をして、感情が発動する前の人間の本性を理解しておかねばならない。しかし、これは大変難しく、人間はどうしても感情に負けてしまう傾向がある。そこで、もし感情を発してしまったときは、その瞬間に冷静さを取り戻せるように鍛錬するしかない。


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第1459日 「道心」 と 「人心」 についての一考察

今日の神坂課長は、N鉄道病院名誉院長の長谷川先生の自宅を訪れたようです。

「最近、『老子』を読んでいるんだって?」

「え、長谷川先生、情報が早いですね」

「昨日、会合で多田君に会ってね。彼がそう言っていたよ。多田君が君のことを褒めていたよ」

「本当ですか? 多田先生はなかなか直接褒めてくれることはないので、とても嬉しいです」

「読書は良いよね。心が磨かれるもの」

「はい」

「ところで、神坂君。人間の心は本来、善か悪か、どちらだと思う?」

「私は善であって欲しいと思います。相手の心の裏を読むなんていうのは、私はあまり好きじゃありません」

「ははは。でも、営業の仕事はそれでは駄目ではないの?」

「そうなんです。そこは仕事だと割り切っています。でも、本当にお客様に自分をさらけ出せば、殆どのお客様は心を開いてくれて、駆け引きなどしなくて済むようになります」

「さすがはトップセールスマンだ! 人間には道心と人心の2つがあると言われているのを知ってるかな?」

「いえ、知らないです」

「二宮尊徳がこう言っている。道心とは、天の道に通じる、美しい心。人心とは、人を傷つける心、欲望、自らを粗末にする心。人間はこの2つの心を併せ持っているんだ。生まれたての赤ん坊には道心しかない。しかし、生長していく中で、次第に欲を覚え、人心が育まれてしまうんだろうね」

「そう思います」

「そう考えると、人心というのは生活習慣病みたいなものだよね。生活習慣病は、発症してから手を打つのでは遅い。予防することが大切だよね?」

「はい」

「人心も予防することで、大きくさせない努力が必要だと思う。それは、家庭において、親子の間の親愛の情を育み、兄弟の間の上下関係を正しく理解させることから始まると思うんだ」

「なるほど」

「そして学校に行くようになったら、友達との間の信頼の情を育む。そして会社に入ったら、上司と部下の正しい在り方を学ぶ。これは親子の親愛や兄弟の上下関係が身についていれば、それほど難しいことではないはずだよね」

「はい。弊社の新卒者の採用の際は、そこを重視しているようです」

「素晴らしいことだね! そして最後に結婚して、夫婦の間の役割の違いを学ぶんだ。これで人間が完成する。この5つの人間関係をしっかりと学んでいけば、人心など育つはずがないよね

「はい。長谷川先生、とても勉強になりました。小難しい理論をメンバーに押し付ける前に、何をすべきかがすこし見えた気がします。ありがとうございます!」


ひとりごと
 
儒学における基本的な考え方のひとつに五倫という教えがあります。

父子の親・君臣の義・長幼の序・夫婦の別・朋友の信。

この5つの人間関係をただすことが、人間としての根本を作るという考え方です

まずは家庭からです。

生活習慣病のように人心を太らせる前に、しっかり予防しておきましょう。


原文】
昔人謂う、「道の大端は、道心・人心に在りて、其の節目は父子・君臣・夫婦・長幼・朋友、五者の倫に在り」と。余謂(おも)えらく、道心は性なり、人心は情なり。精一にして中を執るは、情を性に約するなり。本体に工夫存せり。其の功を著くる処は、則ち五倫の交と為りて、親・義・別・序・信の教(おしえ)有り。即ち感応自然の条理にして、性を情に見るなり。工夫に本体存せり。後の道学を講ずる者、往往にして虚玄(きょげん)に馳せ、高妙に過ぎ、悠渺空曠(ゆうびょうくうこう)にして、性を言語(ごんご)の道断え、心行の路絶ゆるの際に覔(もと)む。豈果たして人倫ならんや。或いは功利と為り、或いは詞章と為るは、則ち人倫に於いて亦滋(ますます)遠し。〔『言志後録』第81章〕

【意訳】
昔の人は言っている、「道徳の元は道心(良知)と人心(私心)にある。その要点は父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五つの人倫にある」と。私が思うには、道心は人間の本性、人心は人情、心を一つにして中庸を守れば本性に従って情を制約できる。まず本体(性)を明かにすることに工夫しなければならない。工夫すべきは五倫の交わりである。すなわち父子には親、君臣には義、夫婦には別、長幼には序、朋友には信がそれである。そこにおいては自然の条理がその交わりの中に発現して感応し、人情のはたらきの中に性が現われる。正に五倫の交わりという具体的な工夫の場において、本体(性)の存在が明かにされる。後世の学者たちは、ややもすると空虚で底なしの思想に走り、優美に過ぎて道理や実際から離れ、本性たる言語では何も言えず、思慮分別もなく、心にも考えられない、身に行うこともできない遠い所のものを求めている。これが果して人倫であろうか。一方で、自己の名誉や利益の為や、文字文章で表現することを旨とするようでは、人倫の道からますます遠のいてしまう

【ビジネス的解釈】
人間が本来持っている道徳心を発揮させるには、五倫の交わりから学ばせるのが最もよく、自然の摂理に適っている。小難しい理論を学んで、自分の利のことばかり考えるようになれば、人間力が磨かれることはない。


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