一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2019年04月

第1539日 「厳しさ」 と 「やさしさ」 についての一考察

今日の神坂課長は、A県立がんセンターの消化器内科を訪ねたようです。

「なんだ、神坂。また昼飯をせびりにきたのか?」

「多田先生、そういう訳ではないのですが、お昼になるとなぜか先生の顔が目に浮かぶんですよね」

「それを『せびるって言うんだ! まあ、いいか。あと30分、内視鏡の点検でもやって待っててくれ。今日はラーメンだぞ!」

「ありがとうございます」

二人は病院近くの人気ラーメン店に入ったようです。

「へぇー、ここのとんこつラーメンはあっさりしていますね」

「ここは鹿児島ラーメンの店でな。鹿児島のとんこつラーメンは、あっさりしたのが多いんだ。ただし、食べているうちにとんこつの旨みが口の中に広がるんだよ」

二人は黙々とラーメンをすすっています。

「あー、旨かった。先生、食後のコーヒーを飲みませんか? もちろん私の奢りで」

二人は喫茶店に移動したようです。

「お前の会社には、今年も新人が入社したのか?」

「はい、今年は3人です。今年も研修講師をやるように言われました」

「そうか。人を育てるときは、個性を大切にしろよ。まちがっても鋳型に嵌めるような教育はするなよ」

「私もそういうのは大嫌いですから大丈夫です」

「若い奴の教育で大事なのは、常にそいつのことを心に留めておくことだ。ただそれだけでいい。無理に育てようとすると碌なことはないぞ」

「それで育ちますか?」

「お前は草花を育てるときに、成長が遅くれている草があったら、茎を引っ張って成長を早めようとするか?」

「するわけないじゃないですか! そんなことしたって、草花は成長しませんよ」

「そのとおりだ。だが、草花だとわかっていることが、相手が人間になるとわからなくなる奴が多い」

「ああ、そういうことですか! 育てようという意識が強すぎると、草花を無理やり引っ張るようなことをしてしまうんですね?」

「気をつけろよ、神坂。常に若手のことを想い、成長を望め。ただし、無理に育てようとせず、やさしさと厳しさをバランスよく与えていくことだ」

「ありがとうございます! そうか、そういうことか! 深いなぁ」

「なんだよ!」

「それで、さっきラーメン屋に連れていってくれたんですね? あの鹿児島ラーメンと同じように、若い奴とはあっさりと付き合え。ただし、付き合うほどにありがたさを感じる上司になれ、というメッセージだったんですね?」

「そこまで考えてないよ! ただ、ラーメンが食いたかっただけだ!!」


ひとりごと

ここで一斎先生が引いているのは、孟子の言葉です。(孟子の言葉にご興味のある方は、第406日の項を御参照ください)

成長を願い、常に気にかけていれば、それが確実に相手に伝わるのだ、ということでしょう。

特に新人教育においては、まず個性教育を重視し、その人の強みを見つけてあげることに力を注ぐと良いかも知れません。


【原文】
忘るること勿れ。助けて長ずること勿れ。子を教うるにも亦此の意を存す可し。厳にして慈。是れも亦子を待つに用いて可なり。〔『言志後録』第160章〕

【意訳】
心から忘れ去ってはいけない。また無理に成長を助長してはいけない。子供の教育においてもこの意識を持っておくべきである。厳しさと慈しみを併せ持つ。これも子供の教育に用いるべきことであろう

【ビジネス的解釈】
人材育成は、想いが大切である。つねに心に留めておくだけで、無理に手を出さないことだ。


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第1538日 「愛情」 と 「教育」 についての一考察

神坂課長はゴールデンウィークの前夜、「季節の料理 ちさと」へ顔を出したようです。

「あら、神坂君。今日はひとりなの?」

「うん。佐藤部長は出張だからね。休み中はママの顔が見れないから、最後に会いに来た」

「うれしいこと言ってくれるわね。神坂君の会社は10連休なの?」

「いや、ウチは30日と2日は出社日だよ。でもまあ、どちらかは休みましょうという感じなので、俺は30日は休むけどね」

「そうか。ウチは30日と2日、3日はお店を開けるつもり」

「あ、そうなの? じゃあ2日も来るかな」

「ぜひ、お願いします。ところで、神坂家は家族でどこかにお出かけしないの?」

「カミさんはパートがあるし、息子たちは部活があるからね。息子のテニスの試合でも観戦しようかな」

「神坂君は野球をやってたのよね? テニスは教えられるの?」

「いや、ド素人。この前も試合に負けて落ち込んでいるのに、なんと声をかけるか悩んだよ」

「息子さんにも厳しくしてきたんでしょ?」

「ガキの頃はね。甘やかして人様に迷惑をかけるような人間にはしたくなかったしね。って、俺が言うのもなんだけどさ」

「ほんとだ。佐藤さんをあれ程悩ませたのは誰だったっけ?」

「それを言われると何も言えません・・・。ただ、厳しくし過ぎたせいで、親をリスペクトする気持ちもなさそうだなぁ」

「子育ては大変ね。甘やかしすぎてもダメだし、厳しくし過ぎてもダメだもんね」

「部下指導も同じだけどね。最近、いろいろと本を読んで、子供の主体性を育てないといけないんだと気づいたんだけど、もう遅いかもな」

「なにごとも始めるのに遅いということはないよ。親子は深い愛情でつながっているはずだもん」

「そうかな。まあ、テニスを通して、少しそんなことを話してみるかな」

「あっ、ゴメンね! まだ、ビールも出してなかったね」

「そういえばそうだ。ママ、喉が渇いたよ。生と適当なつまみをお願いします」

「さっき、タラの芽のてんぷらを作ったの。それでいい?」

「おー、最高じゃん!!」


ひとりごと

子供を育てるにしても、部下育成にしても、甘やかすことと厳しくすることのバランスはとても難しいですね。

最近はすぐに〇〇ハラスメントだと言われてしまうので、教育がより難しくなっている気がします。

しかし、想いを込めて教育をすれば、心と心が通じ合うはずです。

子供は親子ですから当然ですが、部下の社員さんであっても、心から家族だと思って接するなら、必ず想いは届くと信じましょう!


【原文】
子を教うるには、愛に溺れて以て縦(じゅう)を致す勿れ。善を責めて以て恩を賊(そこな)う勿れ。〔『言志後録』第159章〕

【意訳】
子供を教育する際には、溺愛して放任してはならない。また善い行いを強要して親子の恩愛の情を損なうようなことがあってもいけない

【ビジネス的解釈】
部下の教育については、自分の好むメンバーを甘やかすようなことは避けるべきだ。また、仕事を強制して上下の関係を悪化させることも避けるべきである。


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第1537日 「自分の課題」 と 「他人の課題」 についての一考察

今日の神坂課長は、読書会で知り合った同年代の宮本さんと飲んでいるようです。

「神坂さん、私は私なりに仕事で力を尽くしているつもりなのですが、どうも社長のウケがよくないんです。自分の仕事が正当に評価されないのは悔しいですね」

「そうなんですか。でも、宮本さんは社長に評価されるために仕事をしているわけではないですよね?」

「えっ? まあ、たしかにそうですが、やはり評価されたいという思いは強いですよ」

「なるほど。実は私はあまりそういう意識がないんです。だって、評価って他人が下すものじゃないですか。それはある意味で自分ではどうしようもないことですよ」

「うーん」

「よく言うじゃないですか。『馬を無理やり水辺まで連れて行くことができても、水を飲ませることはできないって」

「ああ、聞いたことはありますねぇ・・・」

「褒めてもらえないからといって、腐ってしまったら、ますます評価は下がりますよ。褒めてくれないなら、逆に宮本さんが社長さんをどんどん褒めたら良いじゃないですか!」

「『求めるならまず与えよ』ですか。神坂さんは超ポジティブですね」

「いや、ポジティブなのではなく、ただノー天気なだけですけどね。(笑)」

「たしかに、自分がやっていることは会社にとって役に立っていると思います。評価の有無でその価値が決まるわけではないですもんね!」

「そうそう、そのとおり!」

「神坂さんと飲むと元気になれるなぁ」

「よく言われます。(笑) でも、手を抜かずにやり続ければ、きっといつかは報われますよ。なんていったって、これからは人生100年時代ですよ。俺たちはまだやっと折り返し地点にたどり着いたんです」

「自分のできることに精一杯取り組むしかないですね。その後は天命に任せなさいということかなぁ」

「そうです! そしてお天道様は決して我々に冷たい仕打ちはしないはずですよ!!」

「ありがとう! 元気が出てきた」


ひとりごと

アドラー心理学では、自分が関知できない事柄を「他人の課題」と呼び、自分の課題と他人の課題は分離して考える必要があるとしています。

他人の評価はまさに他人の課題です。

自分にできることは、自分の信じる道を歩き続けることだけです。

人事を尽して天命を待ちましょう!


【原文】
生生にして病無きは、物の性なり。其の病を受くる必ず療すべきの薬有り。即ち生生の道なり。然も生物また変有り。偶(たまたま)薬す可からざるの病有り。医の罪に非ず。譬えば猶お百穀の生生せざる無きも、而も時に稗(ひえ)有りて食う可からざるがごとし。農の罪に非ず。〔『言志後録』第158章〕

【訳文】
生き生きとして病気に罹らないということが物の本来の性質である。病気になったときは必ずそれを治療する薬がある。これが生々の道である。たまに薬では治療できない病に罹ることがあるが、これは医者の責任ではない。例えて言えば、様々な穀物で生き生きと生育しない物はないが、それでも時々稗のように食べることができないものがあるようなもので、これは農家の責任ではない

【所感】
ほとんどの病は治療可能であるが、時には不治の病もあるように、世の中には自分の力で解決できることとできないことがある。解決できることに力を尽くし、あとは天命を待つしかない。


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第1536日 「地位」 と 「器」 についての一考察

J医療器械の平社長と川井経営企画室長が社長室にいるようです。

「川井、この前も話したように、息子にはあと5年、別の会社で働いてもらうことにした。O社さんには事情を説明して円満退社となり、H県のM社さんでお世話になることになったよ」

「そうですか。M社さんなら相当揉まれますね」

「もしかしたら、逃げ出してくるかもな」

「社長と同じで、諦めの悪い青年ですから、大丈夫でしょう」

「ははは。言ってくれるな! しかし、本当に逃げて帰ってくるようなら考えないといけないな」

「別の人間に社長を任せるということですか?」

「ああ、そうだ。ウチには幸い優秀な人材がいるからな」

「神坂、大累、新美の3課長ですね?」

「もちろんその3人もそうだが、人事の鈴木も優秀だぞ」

「たしかに彼はクレバーですね。私がドキッとするような視点でモノを見ています」

「できることなら息子に継がせたいが、会社を潰すわけにはいかない。ウチの社員は皆、家族だと思っているからな。彼らを路頭に迷わせるわけにはいかないんだ」

「はい」

「そこで万が一に備えて、その4人には帝王学の研修を受けさせようと思っている」

「それは素晴らしいですね。どこの研修を受講させるのですか?」

「T出版社で毎月一回、名だたる経営者が講義をしてくれる研修があるんだ。年間300万円と非常に高額だが、思い切って受けさせようと思っている」

「ひとり300万円ですか?!」

「そうだ。これはかなりの投資だよ。今年は神坂と鈴木を受講させる。来年は大累と新美だ」

「社長、私も息子さんが二代目となってくれることを心から願います。しかし、そうなったとしても、今回の投資は決して無駄にはなりませんよ!」

「俺もそう信じているから決断した。彼らに話を降ろした後は、お前からも背中を押してくれないか」

「もちろんです。ただ、社長」

「なんだ」

「ひとつだけ気になることがあるのですが・・・」

「佐藤のことか? 心配するな、あいつの存在が営業部にとってどれだけ大きいかは理解しているつもりだ」

「そうですか、それなら安心しました」


ひとりごと

支那の古典によれば、堯帝は舜帝に皇位を禅譲し、舜帝は禹に皇位を禅譲しています。

禹も皇位を息子ではない人間に禅譲したかったようですが、禹の死後、取り巻きが禹の息子に皇位を継がせてしまいます。

その結果、夏王朝はその後は世襲の形で皇位が引き継がれることとなります。

やがて暴君桀王が出て民意を失い、殷の湯王に討たれて夏王朝は滅びます。

必ずしも禅譲が善くて、世襲がいけないということではありませんが、器でない人間をトップにつけないようにすることだけは心しておくべきです。


【原文】
邦俗にて養子後を承(う)くるは、已むを得ざるに出づと雖も、道においても太だ妨げず。堯は舜を以て婿と為し、後に天下を以て之に与う。祭法に曰く、「有虞氏は顓頊(せんぎょく)を祖として堯を宗とす」と。則ち全然養子後を承くると相類す。蓋し亦天なり。〔『言志後録』第157章〕

【意訳】
我が国の慣習として、養子が家を継ぐということは、やむを得ないことであるが、これは道を行う上でも大きな妨げとはならない。堯帝は舜を婿として迎え、後に天下を禅譲した。『礼記』祭法篇には、「有虞氏すなわち舜の一族は顓頊を遠祖とし、堯帝を始祖とする」とある。養子が後を継承することと相似している。これもまた天の定めというものであろう

【ビジネス的解釈】
事業を継承する上で、血縁者を第一候補とするのは構わないが、よく能力を見極めて、禅譲も視野に入れておくべきだ。


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第1535日 「冠婚葬祭」 と 「喜怒哀楽」 についての一考察

今日の神坂課長は、総務部の西村部長、大竹課長とランチ中のようです。

「なんだか最近、有名人が亡くなったというニュースが多くないですか?」

「内田裕也に萩原健一、そして今度は小出監督だもんね。たしかに訃報が多いね」
大竹課長です。

「お互い、死というものが身近になってきた証拠ですかね?」

「二人とも何を言ってるんだ。人生100年時代だぞ。人生はまだまだこれからじゃないか!」

「西村さん、さすがポジティブ! でも、毎日酒に飲まれていたら、100歳までは無理じゃないですか?」

「誰が、酒に飲まれてるんだ!」

「誰がって、西村さんに決まってるじゃないですか!」

「やかましいわ! 酒は、俺の親友みたいなもんだ。親友に裏切られるはずはない!」

「ここまでくると、ポジティブを超えて、ただのアル中楽天家って感じですね、タケさん」

「俺に振るなよ。いいじゃない。酒に飲まれてないって言ってるんだからさ」

「まあ、そういうことにしておきましょう。それにしても、自分の葬儀にはどんな人が集まるんだろうなぁ」

「それは今のうちにどれだけ人脈を構築できるかじゃないの。特に社外においてさ」

「そうですよね。なるべく多くの人に哀しんでもらいたいなぁ」

「神坂君、昼から湿っぽい話はやめよう。その前に、君は二人の息子さんの結婚式というおめでたい場を楽しむことができるじゃないか」

「あいつら、結婚するのかなぁ。相手の家がどんな家かによっては、お付き合いも面倒ですよね」

「地域や信仰によっては、整合が難しいこともあるからねぇ」

「まったく君たちはネガティブだな。そういうときのために酒があるんじゃないか!」

「結局、酒ですか!」

「だいたい、葬儀というものは、ご家族と参列者で送る人のありし日を偲び、哀しみを共有すればいいんだよ。結婚式では、若い二人の門出をただ手放しで喜べばいいだろう!」

「たしかに、西村さんの言うとおりだ。儀式において大事なのは参列者の心を合わせることなんでしょうね」

「大竹君、そのとおり! 俺なんか子供はすべて送り出し、親もあの世に送った。残りの人生は、愉しく生きるしかないじゃないか。そんな話をしてたら酒が飲みたくなってきたよ」

「結局、酒ですか!」


ひとりごと

冠婚葬祭には信仰する宗教や宗派によって、異なる点が多いのは事実でしょう。

しかし、大事なことは葬儀では哀しみ、婚礼では喜ぶことです。

華美過大にすることばかり意識して、大切な心の触れ合いを疎かにしてはいけませんね。


【原文】
邦俗の葬祭は、都(すべ)て浮屠(ふと)を用い、冠婚は勢笠(せいりゅう)両家に依遵(えじゅん)す。吾が輩に在りては、則ち自ら当に儒礼を用うべし。漢土の古礼は今行なう可からず。須らく時宜を斟酌して、別に一家の儀注を創(はじ)むべし。喪祭は余嘗て哀敬編を著わし、冠礼にも亦小著有り。務めて簡切明白にして、人をして行ない易からしむるを要するのみ。独り婚礼は則ち事両家に渉り、勢い意の如きを得ず。当に漸と別とを以て要と為すべし。〔『言志後録』第156章〕

【意訳】
我が国の葬式や祭礼はみな仏教式で行い、冠婚については伊勢・小笠原両家の礼法に依拠して行われる。吾ら儒者らは儒教の礼式を用いるべきで、中国の古い礼式では行うべきではない。すべて時勢にかなっているかを測りながら、別に一家の礼式を創設すべきである。葬祭について私は過去に「哀敬編」を書き、冠礼(成人の儀式)についても小著がある。なるべく簡潔明瞭で、人が行い易いことが肝要である。ただ婚礼だけは事が二つの家に関わることであるから、好き勝手なことはできない。事を急がずに別のものとして扱うべきである

【ビジネス的解釈】
冠婚葬祭については、華美であることを避け、簡素なしきたりで臨むべきで、葬儀では哀しみを、婚礼では喜びを共有する場作りが必要である。


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第1534日 「山川」 と 「学び」 についての一考察

今日の神坂課長は、N大学の中村教授、Aがんセンターの多田先生、営業部の佐藤部長と4人でゴルフ場にいるようです。

4人は前半9ホールのプレーを終えて、クラブハウスで昼食をとっているようです。

「佐藤さんのスコアは46で合ってる? さすがだね」

「はい、46です。上出来ですよ。中村先生は42ですよね? 凄すぎます!」

「自分でもビックリしているよ。このままいけばベストスコアだけど、そうはいかないのがゴルフだよね」

「多田先生も48ですか、皆さん凄い! 私は風に翻弄されて54です・・・」

「いつもとそう変わらないじゃないか!」

「多田先生! そんなことないですよ。100は切りますよ、3回に一回くらいですけど。いやー、それにしてもこのコースはさすがリンクスですね。風が強くて難しい!

「ははは。神坂君はまだ風に逆らってゴルフをやっている感じだね」

「中村先生、どういうことですか?」

「風が敵だと思うと、風と喧嘩をするゴルフになるでしょう。私は、風に球を運んでもらうつもりで打つんだよ」

「風を味方につけるわけですか?」

「そういうイメージかな。うまく行かなければ、風のせいではなくて、自分が風を読みきれなかったと思って、次に修正するんだ」

「ははは。教授はゴルフも哲学的だなぁ。神坂、俺はそこまで考えてプレーはしてないよ」

「ですよね? ちょっと安心しました」

「ただ、そういう教授の姿勢は学ぶべきものが多いよな。このコースからは山も海も見える。しかし、俺たち4人はその山や海を同じようには観ていない。おそらくそれぞれのフィルターで観ているはずだ

「ははは、多田君も哲学的じゃないか。ねぇ、佐藤さん」

「まったくです。いま多田先生が仰ったことと同じようなことを佐藤一斎先生も言っています。『山や水に心はない。ただ見る人の心によって姿を変える。山を仰ぎ見ることからも、目線を下げて水を見ることからも、多くのことを教えられると」

「なるほど。いずれにしてもお三方は、ゴルフといえどもそこから常に学びを得ているわけですね。姿勢が違いすぎるなぁ」

「ははは。学ぶためにゴルフに来ているわけではないよ。楽しみながら、時に学ぶことも忘れないくらいの意識で良いんじゃないかな」

「そうですよね、やっぱり楽しまないとゴルフじゃないですよ。ただ、私も後半は風と会話をしながら、大自然を味方につけるゴルフを意識してみます」


ひとりごと

禅の言葉に、「我以外皆師」という言葉があります。

その対象は、人に限定されないということでしょう。

私たちの周囲では、日々いろいろな出来事が起こります。

矢印を自分に向けて、そこに自分なりの意味づけをすることがとても大切なのでしょう。


【原文】
仰いで山を観れば、厚重にして遷らず。俯して水を見れば、汪洋(おうよう)として極り無し。仰いで山を観れば、春秋に変化す。俯して水を見れば、昼夜に流注す。仰いで山を観れば、雲を吐き煙を呑む。俯して水を見れば、波(は)を揚げ瀾を起す。仰いで山を観れば、巍(ぎ)として其の頂(いただき)を隆(たか)くす。俯して水を見れば、遠く其の源を疏(そ)す。山水は心無し。人を以て心と為す。一俯一仰、教えに非ざる莫きなり。〔『言志後録』第155章〕

【意訳】
山を仰ぎ観れば、重厚でどっしりとしていて動かない。目を落として川の水を見れば、広々として極まりない。また山を仰ぎ観れば、季節ごとに姿を変える。また俯して水を見ると、昼夜を問わず流れ続けている。山を仰ぎ観れば、雲や霞が出たり入ったりしている。俯して水を見ると、波を起こし、荒波となっている。山を仰ぎ観れば、そそり立っている。俯して水を見ると、遠く源流まで通じている。山にも水にも心はないはずであるが、見る人の心によって様々に様相を変える。俯して川の水を見たり、仰いで山を観れば、いつも教えられるのだ

【ビジネス的解釈】
山や野原、海や川といった大自然の中にあるすべてのものから学ぶことができる。重要なのは、何を観るかではなく、どのように観るかである。


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第1533日 「清濁」 と 「併呑」 についての一考察

今日の神坂課長は、佐藤部長と「季節の料理 ちさと」に来たようです。

「しかし、人間の性格って、それぞれ違うものですね。ウチの息子2人は性格が真反対ですよ」

「へぇ、どんな風に?」

「長男は、どちらかというとギャンブラー気質というか、普通のサラリーマンにはなりたくないって言うんです」

「神坂君の息子そのものじゃないか」

「ま、まあそうなんですよ。でもね、次男は違うんです。なるべく良い大学へ行って、良い会社に入りたいって言うんです。今どき、古くないですかねぇ?」

「別に古くはないだろうけど、堅実派だね」

「それって、神坂君を反面教師にしているのね、きっと」
ちさとママが口を出しました。

「客に向かって失礼な店だなぁ、ここは。父親は父親なりに頑張ってるんだ!!」

「はい、はい、泣かないの。大好物の特製ぎょうざを作ったからさ」

「おー、いいね! ママ特製のぎょうざは最高だからな」

「息子さんと同じように、神坂君の課のメンバーだって、いろいろな性格の持主が揃っているじゃないか」

「そうですよね。石崎と善久なんて共通点がほとんどないくらい性格が違いますしね」

「すべては個性だからね。善い悪いは本来ないはずなんだ。おとなしい子というのは、暗いのではなく、思慮深いということだから」

「美点凝視ですね! そうなんですよね、みんな良い奴ばかりです。コミュニティというのは、いろいろな性格の持主が集まるからこそ存在する意味があるのでしょうね?」

「そのとおりだと思うよ。みんな同じ性格なら、間違った方向に進みだすと、止められる人がいないから、大きな失敗を犯してしまうリスクが高くなるよね」

「そうですよね。私が暴走しそうになると、山田さんが冷静にストップをかけてくれるし、逆にちょっと弱気になっていると、本田君が背中を押してくれる。素晴らしい仲間ですよ!」

「そうだね。そうした様々な性格の人たちをしっかりまとめるのがリーダーの重要な仕事のひとつだよ。そのためにも清濁併せ呑む覚悟を持っていないとね」

「はい、覚悟をもってマネジメントしますよ! あー、それにしても、餃子を食べたらラーメンが食べたくなってきたな」

「はーい、そうだと思って、特製ラーメンもご用意しましたよ!」

「うわぁ、さすがはちさとママ! これだけ客の個性をちゃんと把握して、食べたいものをタイムリーに出してくれる店はなかなかないよ!」

「あら、さっきとは真逆のお言葉、恐縮です」

「店主の性格が悪いのが唯一の問題だな!」


ひとりごと

人間関係というものは、気をつけていないと、いつのまにか自分と性格の似かよった人とだけ付き合うようになりがちです。

しかし、「異見も意見」と言われるように、自分と違う考え方や性格をもった人がそばにいるからこそ、コミュニティは成り立つのではないでしょうか?

そう考えるなら、相手の嫌いな点や相手と異なる点を見出すのをやめて、好きな点や共通点を発見する意識で接する必要がありそうです。


【原文】
草木の気質には、清・濁、軽・重、寒・温、堅・脆、酸・甘、辛・苦、諸毒の同じからざる有り。医書は之を性と謂う。即ち皆土気なり。人の気質も亦然り。然れども其の同じく生生の理を具うるは則ち一なり。〔『言志後録』第154章〕

【意訳】
草木の気質には、清と濁、軽と重、寒と温、堅と脆、酸と甘、辛と苦などその毒性が同じでないものがある。医学書では、これらを草木の性であるという。これはみな土気である。人間の気質も同じであって、みな生々発展の道理を具えている点では草木と同一である

【ビジネス的解釈】
草木には、様々な性質をもった種があるように、人間も千差万別である。したがって、マネジャーは各自の性質をよく把握して、適材を適所に就けることを心掛けるべきである。


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第1532日 「変えるべきもの」 と 「変えてはいけないもの」 についての一考察

今日の神坂課長は、大累課長と居酒屋にいるようです。

「ウチの企業理念って、メンバーに伝えるのが難しくないですか?」

「『常に真・善・美を追い求める企業』ってやつか。まあ、あれには平社長の強い思いが込められているからな。社長は絶対にあれを変えることはないよ」

「エッセンスはそのままに、もう少しわかりやすくしてもらえませんかねぇ」

「実は、俺もその件では何度か社長と話したこともあるが、かなり深い話でなぁ。俺のような馬鹿な頭では簡単に理解できるものではなかった。でもな、『真実は何か、それはやるべきことか、そこに美しさはあるか』と自分なりに翻訳してメンバーに伝えて来たよ」

「ああ、それの方がわかりやすいですね。それいただきます!」

「ママ、ビール一本追加ね。こいつの奢りで!」

「マジですか!」

「素晴らしいことを教えてもらったんだ。ビール1本で済めば安いものだろう」

「うーん、ビール1本の価値があるかなぁ」

「ごたごた言ってると刺し盛りも追加するぞ!」

「勘弁してくださいよ!」

「企業理念というのは、まさに創業者である社長の想いそのものだからな。それを経営理念やビジョン、戦略や戦術に落とし込むのが経営陣やマネジャーの仕事なんだよな」

「まあ、そうなんでしょうね。ビジョンや戦略なんかは、そのときの市況や時代の流れみたいなものを捉えて、臨機応変に変えていかないといけないんですよね?」

「そういうことだよ。まさに、『不易流行』ってやつだな」

「聞いたことはある言葉ですが、どういう意味ですか?」

「大切にすべき不変なものを守りながら、変えるべきものは機を逃さずに変えていく、というような意味じゃないかな」

「へぇー。神坂さん、最近ちょっと利口になりましたね」

「なんだよ、その上からの言い方は」

「不思議なんですけど、今みたいな話を佐藤部長にされると素直に聞き入れられるんですけどね。神坂さんに言われるとどうも腹に落ちないんですよね」

「素直じゃないねぇ!」

「何を言うかより誰が言うかが大事だと言うじゃないですか。なんかこう、神坂さんの話は中身を伴っていない気がする・・・。痛っ! 出たな、専売特許の暴力が!」

「やかましいわ。お前の専売特許の先輩への冒涜が始まったから、天に代わって成敗したまでだ!」

「ママ、揚げ出し豆腐追加ね。この人の奢りで!」

「なんでだよ!」

「パワハラで訴えられると思えば、安いものでしょ!」

「どうやら、お前の暴言と俺の暴力は不易のようだな・・・」


ひとりごと

企業にとって、変えてはいけないもの、それが企業理念です。

また、ビジネスマンとして変えてはいけないもの、それが志でしょう。

企業理念に照らしつつ自らの志を成し遂げることが、企業人に求められる道なのです。


【原文】
風俗も亦人気なり。故に土俗有り習俗有り。習は変ず可くして、而も土は変ず可からず。是れ亦止(た)だ之を順導し、其の過ぎたるを抑えて、其の及ばざるを掖(たす)くのみ。政(まつりごと)を為す者の宜しく知るべき所なり。〔『言志後録』第153章〕

【意訳】
風俗も(昨日と)同様に人の気質の集まりである。それゆえその土地のしきたりとも言える土俗と、一過性の慣習と言える習俗とがある。習俗は変えてゆくべきであるが、土俗は変えてはならない。ただより良く導いて、行き過ぎを抑え、不足を補い助けていくのが良い。政治を執り行う者は心しておかねばならない

【ビジネス的解釈】
ビジョンや戦略は臨機応変に変えていく必要があるが、企業理念を変えるようなことがあってはならない。経営者は、常に立ち戻るべき不変の企業理念を社員に浸透させねばならない。


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第1531日 「主体」 と 「客体」 についての一考察

神坂課長のデスクに、善久君がやってきたようです。

「神坂課長、少しお時間ありますか?」

「おー、どうした。恋の病か?」

「あ、そっちは順調です。ただ、仕事の方で・・・」

2人は応接室へ移動したようです。

「お前の場合は彼女ができれば、仕事にも積極性が生れるんじゃないかと期待していたんだけどなぁ」

「はい、積極性は出てきたと思うんです。ただ、先輩方のアドバイスがそれぞれ微妙に違うところがあって、何を信じていいのか迷うことが多いんです」

「たとえば、どんなことがあったんだ?」

「はい。先日、湊川クリニックさんの商談のクロージングをどういうシナリオにしようかと悩んで、山田さんと本田さんに相談してみたのですが・・・」

「また、正反対のキャラに相談したもんだな」

「え、ええ。そうしたら、本田さんは『今日は、注文をもらいに来ました』と最初に言ってしまえって言うんです。でも、山田さんは、雑談をしながら、院長に買う意志がありそうなら、最後に『結論をください』と言えばいいんじゃないかと」

「なるほどな。あの二人らしいアドバイスだな。たださ、二人のアドバイスに共通している点があるよな?」

「え?」

「二人とも、しっかりとクロージングに来たという意思表示はすべきだと言っているじゃないか。売れない営業マンというのは、クロージングを怖がるんだよ。クロージングに来たと言った瞬間にそれまでの関係が壊れてしまうのではないか?と思うんだろうな」

「・・・」

「な! 二人ともお前の弱みをちゃんと見抜いているんだよ。あとは、お前の性格やスタイルにあった方を選べば良いじゃないか」

「神坂課長ならどちらのアドバイスを参考にしますか?」

「そんなもん、聞くまでもないだろ。俺は商談のクロージングのときは、一番最初に、『今日は買うか買わないかのお返事をいただきに来ましたと伝えるよ」

「本田さんの意見と同じということですね・・・」

「だけど、お前はそういうのは苦手だろう。だったら、山田さんのアドバイスを活かせば良いじゃないか」

「そうですよねぇ・・・」

「お前はまだ自分のキャラクターがちゃんと把握できていないんだろうな。性格的には山田さんに近いのに、営業スタイルは本田君のような営業スタイルを求めている。そのギャップを自分なりに整理した方がいいぞ」

「はい。もう一度、自分の営業スタイルを見つめなおしてみます。ただ・・・」

「なんだ?」

「課長が先ほど言われたのは、少し違っています。正確には、本田さんではなく、神坂課長の営業スタイルに憧れているんです」

「善久。そういう嬉しい発言は、二人きりのときではなくて、みんなの前で言って欲しいなぁ。(笑)」


ひとりごと

主体性と客観性の問題というのは、それほど容易な問題ではありません。

自分の意志を強く持つことは重要ですが、他人の意見に耳を貸さなくなればそれは危険なことです。

しかし、周囲の意見を聞きすぎて、自分を見失えば、やはり良い結果は出ないでしょう。

主体と客体のバランスは、人それぞれが自分の強みと弱みをしっかりと把握した上で、常に意識しておくべき問題なのです。


【原文】
人の気質は土気・習気を混合す。須らく識別すべし。土気 は其の地気に由りて結聚(けっしゅう)する者、竟に是れ主気なり。習気は其の習俗に縁(よ)りて滲染(しんせん)する者、原(も)と是れ客気なり。客は逐う可くして、主は逐う可からず。故に変化し易き者は習気にして、変化し易からざる者は土気 なり。土気は止(た)だ之を順導して、其の過不及を去るのみ。〔『言志後録』第152章〕

【意訳】
人の気質には土気(土地から受け取った気質)と習気(世俗の風習に影響を受けた気質)とが混じり合っているものである。これはしっかりと区別しなければならない。土気はその土地によって集まったもので、主気すなわち生まれながらに有している気質である。習気は世俗にまみれてじわじわと沁みこんだもので、客気すなわち後天的な気質である。客気は追い払うことができるが、主気は追い払ってはならない。それゆえに変化しやすいのが習気であって、変化しづらいのが土気である。土気はよりよく導いて、過ぎたところは除き、足りないところは補っていくのがよい

【ビジネス的解釈】
周囲から影響を受けて主体性を失えば、良い結果を得ることはできない。自分自身の強みを把握し、主体性を持ちながら、自分に足りない部分や行き過ぎた点については、他人の意見を尊重するという意識が重要である。


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第1530日 「心の目」 と 「心の耳」 についての一考察

きょうの神坂課長は、西村総務部長、佐藤部長と一緒に、滋賀県にある向源寺に来ているようです。

「実は、私はここの十一面観音を拝観するのは初めてなんだよ。サトちゃんは初めてではないよね?」

「私はここの観音様が大好きで、もう5〜6回は来ています」

「同じ仏像をそんなに何回も観て、楽しいんですか?」

「楽しいかと聞かれると困ってしまうけど、この観音様を静かに見つめていると心が洗われる気がするんだ」

「神坂君、観音という言葉って不思議だと思わないか?」

「西村さん、何がですか? あ、そうか! 音を観るって不思議な言葉ですね」

「通常、生き物は耳をつかって音を聞き、目をつかってモノを見るわけだけど、目の不自由な人は耳でモノを見ることができるし、耳の不自由な人というのは目で音を聞くんだ」

「どういうことなんだろう? 私には理解し難いですね」

「要するに、心で感じているんだよ。耳や目というのはある意味でツールみたいなものなんだろうな」

「難しいですね」

「神坂君、私はここに来ると1時間はこの観音様と会話をするんだよ。今、西村さんが言ったように心を使ってね」

「たしかに、じっくり観てみると、美しい観音さんですね」

「『日本彫刻史における最高傑作』だと言われたり、『東洋のヴィーナス』なんて呼ぶ人もいるからね」

「そう言われてみると、女性っぽいですね」

「菩薩様に性別はないんだけど、この観音菩薩は女性の姿を借りた菩薩さんだね」

「せっかくですから、私も心をつかって会話をしてみます。しばらく、自分だけの時間としましょうか?」

「いいね。後で何を話し合ったか、何が聞こえたかを話し合おうじゃないか」

「一杯やりながらですよね!」

「当然だよ!!」


ひとりごと

「聴」という漢字は、耳と目と心からできています。

モノが発する真の音は、心で聴かなければ、正しく聞き取れないのかも知れません。

それが音を観るということなのでしょうか?

向源寺の国宝十一面観音立像は、本当にすばらしい仏像です。

死ぬまでに是非一度、その目で御覧ください。


【原文】
瞽目(こもく)は能く耳を以て物を視、聾唖は能く目を以て物を聴く。人心の霊の頼むに足る者此(かく)の如し。〔『言志後録』第151章〕

【意訳】
目の不自由な方は、耳で物を視ることができ、耳の不自由な方は目で物音を聴くことができる。人の心の霊妙さが頼りになるという事例はこのようである

【ビジネス的解釈】
目や耳に頼り過ぎることなく、心をつかってモノを観、聴くことを心がけよ。


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