一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2019年05月

第1570日 「本物」 と 「偽者」 についての一考察

今日の神坂課長は、営業2課の本田さんと同行中のようです。

「神坂課長、聞いてますか? K医科の細沼部長がパワハラで訴えられたらしいですよ」

「マジか、全然知らなかった?」

「あの人は、大手メーカーから引き抜かれた人で、鳴り物入りでK社に入社しましたからね。こんなに早くそんなことになるなんて、ビックリしましたよ」

「俺はああいう人は苦手なタイプだな。波長が合わない感じがしたよ」

「たしかに、ちょっと似たところもありますし・・・」

「おいおい、一緒にしないでよ。ああいうキレ者というのは、頭が良さそうに思うかもしれないけど、実はそうではないことが多いものだよ。自分でも頭が良いと思っていないから、かえって周囲に対して自分は利口だというオーラを出すんだ」

「そんなものですかね? 『業界を変える!』なんて言ってましたから、格好いいなぁと思ったんですけど」

「それも、俺は高い志を持っていますよというメッセージなんじゃないか。本物はそんなに高らかに自分の志を語りはしないよ」

「なるほど。なんだか最近の課長は達観していますね」

「そうじゃないよ。少しだけ本物と偽者の違いが分かってきただけじゃないかな」

「本物と偽者?」

「偽者は自分の弱点を覆い隠すために、いろいろと無駄な努力をする。本物は弱点も個性だと考えて、弱みにフォーカスせず、自分の強みをより伸ばそうとしている。その違いじゃないか?」

「課長、鋭いですね!」

「なんて言ってる俺も、結局は細沼さんを偽者だと断定することで、自分を上に見立てようとしているだけかも知れないな。あれっ、なにこの曲。すごく良いじゃない?」

神坂課長は、カーラジオから流れて来た曲に興味をもったようです。

「全然知らない曲ですね?」

「お聞きいただいた曲は、H県出身のシンガー、笠谷俊彦さんの『あなたが幸せになれないはずがない』でした」

「笠谷俊彦? 誰だ、それ?」


ひとりごと

自分に人間力がないことに気づいているから、権力と圧力でメンバーをマネジメントしてしまう。

まさに小生がそんなマネジャーでした。

本物は、自分の力を誇示しません。

徳がある人には、命令せずとも人は従うものなのです。

本物を目指しましょう!


【原文】
養望の人は高に似、苛察(かさつ)の人は明に似、円熟の人は達に似、軽佻(けいちょう)の人は敏に似、愞弱(たじゃく)の人は寛に似、拘泥の人は厚に似たり。皆以て非なり。〔『言志後録』第191章〕

【意訳】
名望を得ようとつとめる人は志が高いように見え、人を厳しく洞察する人は明敏であるように見え、技術に熟練している人は完成しているように見え、軽薄で浅はかな人は行動が敏捷に見え、気が弱い人は寛大に見え、ひとつのことに執着する人は篤実に見える。しかしこれらはすべて似て非なる者である

【ビジネス的解釈】
言動や行動だけで人を判断すると大きなミスを犯すことがある。本物を見抜く力をつけなければならない。


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第1569日 「小事」 と 「大事」 についての一考察

ミュージシャンの笠谷俊彦は、H県を中心に活動している、いわゆる「売れないシンガー」である。

かつては大きなレコード会社と契約をしていたが、アルバム数枚を出したのみで解雇され、現在はマイナーレーベルからコツコツとアルバムを出し続けている。

お酒の大好きな笠谷は、マネジャーの和田とふたりで酒を酌み交わしながらつい愚痴ってしまった。

「東京ドームとは言わないけど、もっと大きなステージで歌いたいよ。やっぱり俺には才能がないのかね? それとも運がないのか?」

「笠谷、デビュー曲が大ヒットしたような歌い手は、意外と長続きしないものだ。それはなぜだと思う?」

「なぜって、実力がないのに運だけでヒットしたからじゃないの?」

「それだけじゃないだろう。そういう歌い手は、勘違いするんだろうな。俺はビッグだって。そしてファンを大切にする気持ちを忘れてしまう」

「和田さん、何が言いたいの?」

「今日のライブハウスにも、30人以上の人が集まってくれたじゃないか。あの人たちは、お前の歌が大好きで、お前の歌を聴きたくてわざわざお金を払って来てくれたんじゃないのか?」

「それはそうだろうけど・・・」

「お前はやっと30歳を超えたところだ。まだまだ若い。いつまでも過去の栄光にすがっていないで、自分の足下を見つめる必要があるんじゃないか?」

「自分の足元・・・」

「お前は、ライブハウスで歌うときと、大きなホールで歌うときで、力の入れ具合を変えるのか? それでもプロか? ライブハウスで歌うことを卑下しているようでは、二度と大きな舞台には立てないぞ!」

「和田さん。そのとおりだよ、俺はやっと目が覚めたよ」

「もちろん、ライブハウスで歌うことに満足してはいけないぞ。俺はお前がそこで終わる器だとは思っていない。だから、こうしてマネジャーをやっているんだからな!」

「よし、和田さん、見ててくれ! ライブハウスに来てくれるファンの心を鷲づかみにし続けて、5年後には日本武道館のステージに立ってみせるよ!」


ひとりごと

目の前の仕事をしっかりと処理できなければ、その先にある大きな仕事にたどり着くことはできません。

それはわかっていても、苦境に立たされると心がすさんでしまいがちです。

そこでやる気をなくしてしまえば終わりです。

明日の自分は今の自分がつくるものだ、ということを認識して小事を疎かにしない生き方をします!


【原文】
事に大小有り。常に大事を斡旋する者は、小事に於いては則ち蔑如(べつじょ)たり。今人毎(つね)に小事を区処し、済(な)し得て後自ら喜び、人に向いて誇説(こせつ)す。是れ其の器の小なるを見る。又是の人従前未だ曾(かつ)て手を大事に下さざりしを見る。〔『言志後録』第190章〕

【意訳】
物事には大小がある。常に大事を処理する者は小事を低く見て捨て置く傾向がある。また小事をこまごまと処理し、それが完了すると喜んで人に向かって自慢をする人もいる。これはその人の器の小ささを示すものである。またこういう人はかつて一度も大事を処理したことがないものである

【ビジネス的解釈】
大きな仕事を扱うと小さな仕事を軽視しがちである。また小さな仕事を処理して自己満足しているようでは、大きな仕事はできない。小事の積み重ねが大事となることを忘れてはいけない。


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第1568日 「各自の個性」 と 「仕事の任せ方」 についての一考察

神坂課長は、「ビアガーデンでマネジメントについて語ろう!」というイベントに参加しているようです。(昨日からの続きです)

「話を聞く限り、神坂さんは立派なリーダーですよね?」

神坂課長の右隣に座っている土居さんが話しかけました。

左隣には堺さん、右隣には土居さんが座っているようです。

「え? そんな風に聞こえました。それはマズイですね。私はまだまだ三流マネジャーですよ」

「そうですか? 結構、勉強しているように感じましたけど」

「最近、これまでの分を取り返そうと勉強はしていますが、俄仕込みですから」

「神坂さん、ちょっと相談に乗ってください。なんでもかんでも仕事を抱え込む奴っているじゃないですか? そういう部下にはどういう風に接しますか?」

「私からみたら、今の時代にそんな人がいたら貴重な気がしますけどね。どちらかというと責任を取りたくないから単独で仕事をするのは嫌だ、みたいな輩の方が多くないですか?」

「ところがウチの会社にはそいうのが居ましてね。毎回、仕事を抱え込んだあげくに、もう駄目だとギブアップするのですが、そのときにはもう収拾不能な状態になっているのです」

「それはキツイですね。そこからリカバーするのは大変でしょうね」

「先週もメンバーみんなで休日出勤する羽目になりましたよ」

「それは勘弁して欲しいな。それなら、なるべく仕事をひとりに振らずに、チームでやらせたらどうですか?」

「仕事をいくつかの作業に分解して渡すイメージですかね?」

「そうですよ。最初は仕事の進捗にあまり影響を与えないような作業から渡して、徐々にチームに貢献する喜びを植えつけていけば、そのうちチームで仕事をする上で何が必要かを悟る気がします」

「なるほどなぁ。神坂さん、やっぱり凄いじゃないですか?」

「ははは。照れますね。こんなに褒められたのは久しぶりですよ。実は、今日みたいな暑い日はビアガーデンで飲みたいなと思って仲間を誘ったら全員から断られましてね。それで、仕方なくネットでビアガーデンを探していたら、このイベントの存在を知ったんです」

「マネジメントを語ることより、ビールが目的?」

「はい、その通り。では10杯目のおかわりをもらってきます!」


ひとりごと

孔子の門下に子路というお弟子さんがいます。

孔子から「人を兼ぬ」つまり、人の仕事をも奪ってしまうようなタイプだと言われていました。

一方、冉求という引っ込み思案のお弟子さんもいました。

この二人が「話を聞いてよいと思ったことは直ぐに実行すべきか?」と孔子に質問をします。

孔子は、子路に対しては、父や兄に相談してから進めなさい、と答えたのに対し、冉求に対しては、「すぐに実行しなさい」と答えます。

まるで軸がブレているかのようですが、実は、弟子のそれぞれの個性を活かして育成するという孔子の教育に関する軸からみれば、まったく齟齬をきたしていないのです。

その人に合わせた課題を設定するのも、リーダーの大切な任務です。


【原文】
人、或いは性迫切にして事を担当するを好む者有り。之を駆使するは卻って難し。迫切なる者は多くは執拗なり。全きを挙げて以て之に委ぬ可からず。宜しく半ばを割きて以て之に任ずべし。〔『言志後録』第189章〕

【意訳】
人にはせっかちでかつ自ら背負い込むことを好む人がいる。こういう人はかえって扱いづらい。せっかちな人は大概片意地をはるものである。こういう人にすべてを任せることはできない。半分ほどに分けて任せるのが良い

【ビジネス的解釈】
仕事を抱え込むタイプは、手遅れになってから仕事を手放す傾向がある。こういう人には仕事を半分くらい任せて様子をみるのがよい。


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第1567日 「節度」 と 「修身」 についての一考察

今日の神坂課長は、「ビアガーデンでマネジメントについて語ろう!」というイベントに参加しているようです。

「へぇ、神坂さんは医療器械を販売しているんですか? 病院周りって大変だって聞きますよ」

「堺さん、そうでもないですよ。薬の営業よりは現場に入りやすい分、営業もやりやすい環境にはありますから」

隣に座ったのは同年代の堺さんのようです。

「私の会社は印刷物全般を扱っているんですけどね。ネット通販の普及で価格破壊がおきていて、生き残るだけでも大変なんです」

「堺さんは、そこで営業をしているんですか?」

「はい、営業部でリーダーをしています。まぁ、部下は4人だけですけど」

「私も直属の部下は5人です。ところで、マネジメントではどんなことに悩んでいるのですか?」

「やっぱり社員さんの定着ですかね。いまの若い人は、優しくすればつけあがり、厳しくすれば辞めてしまう。いったいどういう対応をすれば良いのか分からず悩んでいるうちに胃に潰瘍ができました」

「あらあら、深刻ですね。私は結構言いたいことを言ってしまう方なので、いつも後で反省しています」

「ははは。でも、それで社員さんが辞めないというのは凄いなぁ。なにか秘訣があるんですか?」

「いやいや、特にないですよ。あー、でも部下の連中にも言いたいことを言わせているというのはありますね。だいたい今年2年目の若造なんて、私のことを『カミサマ』なんて呼んで馬鹿にしていますからね」

「それを許しているんだ、心が広いなぁ」

「許しているわけではないですが、聞きやしないんです」

「なんか御社の雰囲気の良さが伝わってくるなぁ。やっぱり一方通行は良くないですよね」

「そうかも知れませんね。あとは、何事もバランスじゃないですか? 寛大さも度を越せば放任になるし、しっかりと行動をみてあげることは大事だけど、細かすぎても駄目。かといって雑なのももちろん駄目ですよね。それにリーダーは決めるのが仕事だとは思いますが、それが独断になっても危険です」

「おっしゃるとおりですね。どんな立派な徳目も度を越せば良くない結果を生むわけだ」

「そうそう。お酒だって百薬の長だなんて言われますが、飲みすぎれば体を壊しますからね」

二人はふと冷静になって顔を見合わせました。

「まだ30分しか経ってないのに、お互いにこれで6杯目ですよね! でも、ビアガーデンに来た以上、なるべくコストパフォーマンスを上げたいからなぁ」

「同じくです!」


ひとりごと

伊達政宗五常訓にはこうあります。

仁に過ぎれば弱くなる。
義に過ぎれば固くなる。
礼に過ぎれば諂いとなる。
智に過ぎれば嘘をつく。
信に過ぎれば損をする。

どんな素晴らしい徳目も、度を超えてしまえば徳目でなくなるということでしょう。

マネジメントをする上でも大切にしたい言葉です。


【原文】
寛なれども縦ならず。明なれども察ならず。簡なれども麤(そ)ならず。果なれども暴ならず。此の四者を能くせば、以て政(まつりごと)に従う可し。〔『言志後録』第188章〕

【意訳】
寛大であるが放縦にはならない。明晰ではあるが深く探ることはしない。簡潔であるが粗略ではない。果断ではあるが暴力的ではない。この四点を身に修めることができれば、正しい政治が行え、人々は従うであろう

【ビジネス的解釈】
寛大、明晰、簡潔、果断であることは重要なことではあるが、それが過ぎると弊害となる。常にバランスを、と一斎先生は言います。


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第1566日 「平常心」 と 「人心把握」 についての一考察

今日の神坂課長は、読書会で知り合った松本さんと食事をしているようです。(松本さんについては、1213日、1516日をご覧ください)

「フミさんの周りにはいつも人が集まってきますよね。やっぱり徳のある人は違うなぁ」

「ノー。ゴッド、そんなことはないんだよ。私は元々は瞬間湯沸かし器だったんだから」

「えーっ、信じられません!」

「例のリーマンショックのときは、社長である私も随分動揺していたんだろうね。それが見事に社員さん達にも乗り移ってしまって、会社全体がバタバタしてしまったんだ」

「ほぉ」

「そのときに悟ったの。トップはどんなことがあっても動じてはいけないなって。心で泣いても顔には笑顔を絶やさないようにしようと決めたんだよ」

「すごいなぁ。そう決めてすぐにできるものですか?」

「とんでもない! 随分苦労したよ。そして、古典を読むことに道を求めたのさ」

「なるほどなぁ。やっぱり心穏やかな人の周りに人は集まるんだろうな。私みたいにすぐに感情的になる奴からはみんな逃げていきますよね」

「ノー。感情的になること自体が悪いわけではないと思うよ。私的な感情がいけないんじゃないかな。たとえば哀しんでいる社員さんがいたら、一緒に泣いてあげることはむしろ良いことだと思うもんね」

「そうですよね。自分の損得のために感情的になるのは良くないということですね。ただ、カッとなるというのはその部類ですね」

「オー、イエス! 私の若い頃はまさにそれだった。すぐに『馬鹿者!』って叫んでたからね」

「信じられないなぁ。物事に一喜一憂しない心を鍛えるには、やっぱり古典が良いですか?」

「うん。まぁ、年齢にもよるけどね。あまり若いときに読んでも経験に照らすことができないから、意外と腹に落ちないかも知れないね」

「フミさん、ありがとうございます。大変、勉強になりました。私もフミさんみたいな親爺を目指します!」

「サンキュー、ゴッド。でも、それほど大したジジイじゃないよ」

「いや、すごいジジイです! ところで、そろそろその『ゴッドはやめてもらえませんかね?」


ひとりごと

この章を読んで、これまでに何度か紹介してきた荀子の至言を思い出さずにはいられませんでした。

【原文】
君子の学は通ずるが為めに非ず。窮するとも困まず憂うるとも意の衰えず、禍福終始を知りて心の惑わざるが為めなり。

【訳文】
君子の学問とは、立身出世のためにするのではない。窮するときも苦しまず、幸福なときも驕らず、物事には始めがあれば終わりがあることを知って、どんなときも平静な心で対処できる人間となるために学ぶのだ。

真の学問とは、禍福終始に一喜一憂しない心を養うことである。そして、一喜一憂しない心が養われれば、人はおのずとついてくる。

学問をする意味をもう一度心に刻んでおきましょう!


【原文】
事を処するに平心易気なれば、人自ら服し、纔(わず)かに気に動けば、便ち服せず。〔『言志後録』第187章〕

【意訳】
物事を処理する際に、心が平静でゆったりとしていれば、人は自ら従うものである。ところが感情に負けて動いてしまうと、人は従わなくなる

【ビジネス的解釈】
いつも穏やかな人の周りには自然と人が集まってくるが、すぐに感情的になる人からは人は遠ざかるものだ。


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第1565日 「宝物」 と 「我が身」 についての一考察

神坂課長がかなり落ち込んだ様子で出社してきました。

「課長、どうしたんですか?」

「石崎、参ったよ。昨日、車上荒らしにあってな。カバンを丸ごと盗まれてしまった・・・」

「マジですか! 大金が入っていたんですか?」

「もちろん財布もやられた。でも、金額はそれほど大したことはない。カードは別にカードケースに入れて所持していたから盗まれずに済んだ。ただなぁ・・・」

「なんですか?」

「あのカバンの中には、恩師からもらった大切な手紙とか、亡くなった後輩の形見のボールペンとか、俺にとっては大切な宝物がけっこう入っていたんだよ」

「ああ、それは辛いですね」

「朝刊の広告でみた本を買おうと、本屋の近くのコインパーキングに停めたんだが、ちょっとの時間だからいいかなと思ってカバンを置きっぱなしにしてしまった」

「課長のカバン、高そうでしたもんね。このカバンならきっと金目のモノが入っているだろうと思われてしまったのでしょうね?」

「そんなに高いカバンじゃないけどな。はぁー、大事な宝物を失ってしまった空虚感が拭えないよ」

そのとき、山田さんが優しく声をかけました。

「神坂課長の一番大切な宝物は失ってないじゃないですか!」

「えっ? 俺の一番大切な宝物?」

「そうですよ。課長にとって一番大切な宝物は、課長自身の身体や心じゃないですか。後輩の形見がなくなっても、課長の心の中でその後輩はずっと生き続けているんですよね?」

「ま、まぁ、そうだけど・・・」

「世の中に二つとないものを宝物と言うんだそうです。神坂課長の替わりを務めることができる人はいないんです。ご家族にとっては唯一の大黒柱ですし、我々にとっても頼りになるただひとりの上司なんですか
ら」

「山田さん・・・」

「そうですよ、課長。そんなしみったれた姿は、課長らしくないですよ」

「石崎、俺はそんなにしみったれてるか?」

「情けないくらいカッコ悪いです!」

「そこまで言うな!」

「よし、今日は営業2課の緊急飲み会を開催しましょう。会の名称は、『カミサマを元気づける会』。梅ちゃん、『季節の料理 ちさと』を予約して!」

「石崎・・・。山田さんもありがとう。俺にはもうひとつ大事な宝物があることに気づいたよ。営業2課の仲間だ。よし、今晩はパアーっとやろうぜ!!」


ひとりごと

本書の一斎先生の言葉にはハッとさせられました。

小生の部屋には本とCDがうず高く積まれています。

それこそが自分の宝物だと思っていましたが、その本を読めるのも、CDを聴けるのも、自分の身体が五体満足であるからなのですね。

そろそろ断捨離をしないといけない時期のようです・・・。


【原文】
物一有りて二無き者を至宝と為す。顧命の赤刀・大訓・天球・河図(かと)の如き、皆一有りて二無し。故に之を宝と謂う。試みに思え、己一身も亦是れ物なり。果たして二有りや否や。人自重して之を宝愛することを知らざるは、亦思わざるの甚だしきなり。〔『言志後録』第186章〕

【意訳】
物がただ一つで同じものがふたつとない物を宝物という。『書経』の顧命における赤鞘(あかざや)の刀、三皇五帝の書、鳴る球・竜馬図などは、全てただ一つであって同じものはない。だからこそ宝物と呼ばれるのだ。試みとして考えて欲しい。自分の体もまた唯一であって、ふたつとないはずであろう。人は自分の体を大切にすべきことに気づかないのは、あまりにも無思慮なことではないか

【ビジネス的解釈】
自分の身体こそが、自分にとって最も大切な宝物であることを認識していない人は多い。我が身あっての人生であることに思いを致すべきだ。


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第1564日 「本音」 と 「戯言(ざれごと)」 についての一考察

神坂課長が帰宅しようと社屋を出たところで、S急便の中井さんとバッタリ遭遇したようです。

「あれ、中井さん。まだ仕事ですか?」

「おー、神坂さん。ここからが俺たちの勝負の時間帯ですよ」

「大変な仕事ですねぇ」

「そうだ、神坂さん。5分くらい時間ある?」

「いいですよ」

「実はね、ウチにまた新入りが来たんですけどね。こいつがよくわからない野郎で、いつもニコニコして俺のことを褒めたり、俺のやることにいちいち感心したりするんですよ」

「良い奴じゃないですか」

「実はそいつは結構学歴が高いんですよ。そこそこ名の知れた大学を卒業しているようで、本当は高卒の俺のことを馬鹿にしてるんじゃないかと思うんです」

「慇懃無礼ってやつか。でも、人間はそう簡単に本音を隠せるものではないですよ。ふとした発言の中に、意外とそいつの本音が隠れているものじゃないですか?」

「なるほどなぁ。よし、今度はじっくりと奴と話をしてみるかな。そうすれば、俺を馬鹿にしていることが見抜けるかも知れませんね!」

「ただねぇ、中井さん」

「なに?」

「私はそいつのことを知らないから何とも言えないのですが、そいつが中井さんを馬鹿にしていると決めつけてしまうのはどうなのかなぁ?」

「だって大卒の奴が高卒の俺を褒めるなんてあると思う?」

「それは中井さんのコンプレックスじゃないですか? 少なくとも今の仕事についていえば、中井さんはそいつからみて尊敬できる人なんだと思うけどなぁ」

「え、そ、そうなのかなぁ?」

「本当に言葉を聴いていればわかりますよ。先入観を持たずに、ニュートラルな状態で話をした方がいいですよ」

「そうなのかなぁ。たしかに俺は決めつけてたかもなぁ」

「ウチの石崎が私におべっかを使ってきたときは、大概何か裏がありますからね。わざとらしい言葉は一発でわかりますよ!」

「ああ、石崎君。でも、彼は神坂さんのことが大好きでしょ?」

「とんでもない! 陰で私のことを『カミサマ』とか呼んで馬鹿にしてますから!」

「神坂さん、お互いに先入観を捨てて、仲間に接したほうが良さそうだね!」


ひとりごと

本音は隠し通せるものではない、ということでしょうか?

しかし、本音をすべてさらけ出すと今の世の中は生き難い。

現代は人と人との距離感がこれまでにないくらい近い時代なのかも知れません。


【原文】
戯言(ぎげん)固(も)と実事に非ず。然も意の伏する所、必ず戲謔(ぎぎゃく)中に露見して、揜(おお)う可からざる者有り。〔『言志後録』第185章〕

【意訳】
ざれごとは本来事実ではない。しかもそこに潜んでいる本音は必ず洒落や冗談を言う中に露見するもので、隠しきれるものではないのだ

【ビジネス的解釈】
本音というものは、言葉を発すれば必ず露呈する。仮に言葉を発しなくとも、目や表情、しぐさの中にも現れる。


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第1563日 「分際」 と 「知足」 についての一考察

今日の神坂課長は、営業部の佐藤部長と同行しているようです。

「勉強し始めると、次から次へと本を買いたくなりますね。最近は飲み代を抑えているのですが、追い付かないくらいです」

「それはわかるなぁ。私もとりあえず本を買ってしまう習慣があるからねぇ。家には積まれたままで読んでいない本がけっこうあるよ」

「積ん読ってやつですね。私は、本さえも自由に買えない身分を寂しく感じることもありますよ」

「それは違うんじゃないかな。自分の収入の範囲で本を買って読めばいいと思うよ。『足るを知る』ということは修養のひとつだからね」

「そうかぁ、でもついつい足りない方に目がいきがちですよね」

「だからこそ、一斎先生は常に自分の分に応じた知足を唱えているよね」

「自分の分に応じた知足かぁ」

「一斎先生の場合は、家人が正しい道を守り、家に酒はなく、食物の余裕は確保している。しかし、けっして贅沢にならず、そうかといってケチにはならず倹約を心掛ける。そして自分の身は、常に清廉潔白を心掛けて暮らしている。それが分に応じた知足だ、と言っているね」

「さすがは一斎先生ですね。我が家では、私も含めてですが、家人が道を踏んでいるとも言い
切れず、それに冷蔵庫にはいつも酒がありますからねぇ」

「ははは。実は、私もそこは守れないんだ。なるべく在庫は少なめにとは思っているけどね」

「おー、部長もそうだと聞いて、ちょっと安心しました」

「神坂君もお酒を減らして本を買おうと思い始めたのだから、修養のレベルは上がってきたと
みて良いんじゃないかな」

「そう言って頂けるとうれしいです。ちょうど昨日でビールが切れたので、今晩買って帰ろうかと思っていたのですが、この週末はストックを置かないようにしてみるかな」

「すばらしい!」

「そのかわりと言ってはなんですが・・・」

「なに?」

「今晩、『ちさと』に一緒に行きませんか?」


ひとりごと

「足るを知る」というのは、頭で理解できても実践するのはなかなか大変です。

なぜなら、どうしても自分の持分を他人と比較してしまうからです。

森信三先生が「一切の悩みは比較から生じる」と言ったように、まずは自分の分をしっかりと見極め、認識するところから修養を始めるべきなのでしょう。


【原文】
鶏鳴きて起き、人定まりて宴息(えんそく)す。門内は粛然として書声室に満つ。道は妻子に行なわれ、恩は蔵獲(ぞうかく)に及ぶ。家に酒気無く、廩(くら)に余粟(よぞく)有り。豊なれども奢に至らず、倹なれども嗇(しょく)に至らず。俯仰愧ずる無く、唯だ清白を守るのみ。各おの其の分有り。是の如きも亦足る。〔『言志後録』第184章〕

【意訳】
朝は鶏が鳴いて起床し、人の寝静まる時刻には就寝する。門内は静かに整然として読書の声が部屋に満ちている。妻子も正しい道を踏み行い、その恩恵は家来にも及んでいる。家に酒はなく、蔵には穀物の貯えがある。豊かであるが贅沢ではなく、倹約ではあるがけちではない。天地神明に恥じることなく、ただ清廉潔白を守っている。人にはそれぞれ分限がある。このような生活をしていれば「足る」というべきであろう

【ビジネス的解釈】
自分の分に応じた知足(足るを知る)を心掛けることが、わが身の修養となる。


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第1562日 「知・仁・勇」 と 「人材育成」 についての一考察

今日の神坂課長は、大累課長とランチに出かけているようです。

「お前、今日も朝から雑賀を大声で叱ってたな」

「あいつ、また勝手に見積りを客先に提出したんですよ。上司の印鑑をもらえって、毎回言っているのに、全然守らないんです」

「特価の商談か?」

「大特価ですよ。『メーカーさんから特価をもらって、利益もそこそこあるから大丈夫だと思いましたとか言いやがるんです!」

「大累、叱るのって難しいよな。だけどさ、同じ事を何度も言って聴かないなら、なにかやり方や言い方を変える必要があるんじゃないの?」

「そうなんですよね。さっき、冷静になって考えたら、いつも同じことで叱ってるなと思いましてね。でも、どういう言い方をすれば、あいつの心に響くのですかね?」

「この前、サイさんに教えてもらったんだけどな。メンバーを指導する際も、知・仁・勇の三つのバランスを考えないといけないんだそうだ」

「どういうことですか?」

「ほら、お前も一緒に出た読書会のときにもサイさんが言ってたじゃないか。儒学の三徳として知・仁・勇があるって」

「そうでしたっけ?」

「学びが浅い奴だなぁ。要するに、なるべく公平に私情を抑えて接すること、これが仁だよ。しっかり対話をして、状況や心情を理解した上で事の真偽を判断すること、これが知だな。そして、いざとなれば厳しく接する、これが勇だよ」

「なるほどな、その3つのバランスを考えて叱れということですか? でも、なんか面倒だなぁ」

「お前、それを面倒がってたらメンバーは成長しないぞ。それに、メンバーが成長しなければ、お前も成長できないはずだろう」

「なんか、めちゃめちゃ良いこと言っていますよね?」

「そうだろう。これが俺の成長だ!」

「そうなんですけど、どうしても神坂さんに言われると腹に落ちないんですよねぇ」

「わかったぞ!」

「なんですか?」

「お前は先輩に対しても私情で接しているんだな。俺はもう昔の俺ではない。生まれ変わった神坂勇だ。それなのにお前は俺をいつまでも昔の俺だと思っているんだ」

「言うほど生まれ変わった感がないんだよなぁ」

「ゴン!」

「痛っ! ほら、どこが生まれ変わってるんだよ、相変わらずの暴力上司じゃないか!」

「これは愛のげんこつだ。まさに仁だよ」

「ふざけるなっ!!」


ひとりごと

「好き嫌い人事」という言葉があるように、世の中には本人の能力ではなく、好き嫌いで評価されてしまうという会社がまだまだ多いようです。

そして、それは中小企業に限定したことではありません。

それだけ私情を挟まずに指導するということは難しいことなのでしょう。

まさに、「学ぶに如かず」というところでしょうか?


【原文】
一罪科を処するにも、亦智・仁・勇有り。公以て愛情を忘れ、識以て情偽を尽くし、断以て軽重を決す。識は智なり。公は仁なり。断は勇なり。〔『言志後録』第183章〕

【意訳】
ひとつの罪を処理するにも、智・仁・勇が必要である。公正な立場で愛憎を除き、見識をもって真偽を正し、強い意志をもって敬重を判断する。この場合、識が智・公が仁・断が勇に該当するといえよう

【ビジネス的解釈】
部下や後輩に対しては、儒学の三徳である知・仁・勇をバランスよく発揮すべきである。いずれかに偏っては、正しい人材育成は不可能となる。



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第1561日 「起業」 と 「存続」 についての一考察

今日の神坂課長は、元営業1課長で、いまはリタイアしている西郷さんの『論語』の読書会に参加し、終了後の懇親会にも参加しているようです。

「しかし、サイさんは博学ですよね。『論語』は何年くらい学んでいるのですか?」

「まだ10年にも満たないよ。博学だなんてとんでもない」

「そうですか? でも、私なんかから見たら、驚くべき知識ですけどね」

「古い格言に『十年偉大なり、二十年畏るべし、三十年歴史になる』というのがある。どこまで生きられるか分からないけど、三十年極めてみたいと思っているんだ」

「そうなると、サイさんは91歳か。人生100年時代ですから、大丈夫ですよ!」

「ありがとう。神坂君もその頃には71歳だね」

「うわぁ、本当だ。どんな爺になっているんだろうなぁ」

「いろいろな意味で、三十年というのはひとつの区切りになるだろうね」

ウチの会社もちょうど創業三十周年を迎えるころに、ジュニアが社長になるんだろうなぁ」

「中国では、一世を三十年とする見方がある。たしかに、世代交代というのは三十年周期くらいで起るものだよね?」

「そういえば、上皇陛下もちょうど三十年で譲位されましたよね」

「ああ、本当だね!」

「親から子へ、師匠から弟子へと稼業や技術が伝承していくサイクルが三十年ということなんでしょうね」

「そうなんだろうね。『孟子』には、自分が子孫に与える影響は五世で途絶えると言っている。つまり、良い家風も悪い家風も百五十年くらいが賞味期限だということだ」

「ということは、稼業や伝統を百五十年以上続けていくには、それなりの人材が続けて出てこないといけないわけですね」
「そういうことになるね。果たしてJ医療器械は、百五十年以上続く会社になるのかな?」

「なって欲しいです。常に人材育成を怠らなければ可能だと信じたいです!」

「私もOBとして、そう願っているよ。神坂君、よろしく頼むよ!!」


ひとりごと

200年以上続く老舗企業は世界に約5500社あり、そのうち日本に約3100社あるそうです。

実に世界の老舗企業の半分以上が日本にあるのです。

一方、起業から30年以上存続する企業の割合は0.021%。

つまり、10000社に2社の割合だということです。

いま、日本の企業はあらゆる西欧化の波に飲まれていますが、日本人の美徳のひとつである勤勉性を失わず、老舗企業を守り続けて欲しいと願います。


【原文】
三十年を一世とし、百五十年を五世と為す。君子の沢(たく)は五世にして斬(た)ゆ。是れ盛衰の期限なり。五百年にして王者興る有りとは、亦気運を以て言う。凡そ世道に意有る者、察を致さざる可からず。〔『言志後録』第182章〕

【意訳】
中国では、三十年を一世とし、百五十年を五世と捉える。『孟子』にも、「君子の余沢は五世で途絶えてしまう」とある。これは盛衰の期限といえるだろう。同じく『孟子』に、「五百年経てば王者が興る」とある。これが天の気運の巡り合わせであろう。概して政治に我が意を賭けようという者は、よく察しておかねばならないことだ

【ビジネス的解釈】
三十年を一世とする見方がある。仮に立派な創業者が創った企業であっても、その余沢はせいぜい五世、百五十年が限界である。それ以上繁栄が続くためには、中興の祖が出てくる必要がある。


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