一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2019年06月

第1600日 「先憂」 と 「後楽」 についての一考察

今日の神坂課長は、A県立がんセンターの多田先生を訪ねたようです。

「おお、神坂。ちょっと待ってろよ」

多田先生は、若手医師達に内視鏡処置のテクニックを教えているところのようです。

「やぁ、神坂。待たせて悪かったな。例の資料、持ってきてくれたか?」

「はい、カタログと見積りをお持ちしました」

「ありがとう」

「多田先生は、いつも惜しみなく技術を教えていらっしゃいますよね?」

「まあな。今の時代、俺の背中を見て覚えろなんて言ったって、誰も覚えやしないからな。俺が若手の頃は、自分で盗めなんて言われたけどな」

「ははは、それ、営業の世界も同じです」

「そうだろうな。今の若い奴らは教えてもらうことが当たり前だと思っているからな」

「でも、先生。せっかく先輩の背中をみて覚えた技術を教えるのは勿体ないと思いませんか?」

「まったく思わないな。俺は常に学び続けているからな。彼らに教えていたのは基本技術だ。俺はすでに応用編の最先端にトライし続けている。だから、まだまだあいつらに簡単に追いつかれるようなことはないさ」

「なるほど」

「神坂、後輩や部下から教えて欲しいと言われたら惜しみなく与えろ。教えることで学ぶこともあるからな。ただし、お前自身は教えて欲しいと思っても、簡単に先輩や上司に聴くなよ」

「なぜですか?」

「悩んで、もがいて、自分で考えるから人間は成長できるんだ。そんな貴重な機会を簡単に手放して、答えを求めていたら、そこで終わりだ!」

「たしかにそうですね。でも実は正直に言うと、ちょっと惜しいなと思いながら教えています」

「それは、お前と俺の人間の器の違いだな。お前は小物だからな」

「ちぇっ、今すぐ資料を持ってこいというから、一杯飲みに行くのをやめて持ってきたのに、酷い言われようだな」

「あ、そうだったな。それは悪かった。じゃあ、お詫びにこれから飲みに行くか?」

「待ってました! 先生、とびきりのお店を紹介してくださいね!」

「それはダメだ。実は今から俺の隠れ家に行こうと思っていたんだが、そこはお前には教えられないな。いつもの割烹に行こう」

「なんか、さっき言ってたことと違うような・・・。まぁ、いいか。あの割烹も私の身分からしたら高級割烹ですからね!」


ひとりごと

リーダーとして、部下や後輩から支援を求められたら惜しみなく手を貸すべきでしょう。

しかし、与えるのは良しとしても、求めるのは避けろ、と一斎先生は言います。

まずは自分でもがき、苦しみ、考える。

それが、後に自分の血となり肉となり、後輩の窮地を救う経験となるからでしょう。

まさに先憂後楽の境地ですね。


【原文】
人の物を我に乞うは厭う勿れ。我の物を人に乞うは厭う可し。〔『言志後録』第221章〕

【意訳】
人が自分に物の提供を求めてきたときは嫌がってはいけない。しかし自分が他人に物を乞うことは避けるべきである

【一日一斎物語的解釈】
自分の経験や知識は惜しみなく与えよ。しかし、他人に求めることはするな。


medical_hanashiai

第1599日 「名声」 と 「貢献」 についての一考察

ミュージシャンの笠谷俊彦は、新境地を開拓すべくもがき続けていた。

連日のように作詞家ふちすえあきのもとを訪ね、次のアルバムのコンセプトを練り上げている。

「ふちさん、俺はこの際、『笠谷俊彦』という名前を捨てて、違う名前でやり直した方がいいのかな?」

「笠谷、お前がメジャーレーベルでデビューし、ドラマの主題歌を歌ったのは事実だ。その名声を無理に捨てることはないだろう」

「でも、たとえば赤坂小町というアイドルグループは、バンド名を変えてメジャーになりましたよね。プリンセス・プリンセスという別のバンドとして」

「彼女たちは名前を変えたから売れたわけではないだろう」

「それはそうでしょうけど・・・」

「笠谷、売れたい気持ちはわかる。しかし、売れるために手段を選ばないというのはどうかと思うぞ。まずは、良い曲を歌うことを心がけるんだ」

「そうでしたね。やっぱり俺、売れたいんですよね。もう一度、大きなホールを埋め尽くしたオーディエンスの前でスポットライトを浴びたいんですよ」

「笠谷、売れる歌をつくりたいなら、俺は降りるぞ」

「え?」

「前にも言ったよな。俺は売れる歌が書きたいんじゃない。挫折した人の心に生きる勇気、再び立ち上がる力を与えたいんだ。お前の声をはじめて聴いたとき、お前の声なら俺の想いは伝わると直感したんだ」

「そ、そうだったんですか!」

「なぁ、笠谷。アルバム自体をコンセプトアルバムに仕立てよう。成功、挫折、どん底、そして再起という物語を一枚のアルバムで作り上げよう」

「ふちさん、本当にすみません。俺はすぐに心がブレるんです。すぐに俺の中の売れたい虫が動き出すんです。でも、今の話は心に沁みました」

「お前は歌い手ではなく、歌う語り部を目指せ。これから、お前のライブはミュージカルになるんだ。ただし、ステージにスクリーンはない。観客の心の中のスクリーンに客の数だけ別々の物語が映し出されるんだよ!」

「すごいですね! そんなライブをやれたら、ミュージシャンとして最高ですよ!」


ひとりごと

誰しも他人から認められたいという承認欲求を持っています。

しかし、承認されれば満足かというとそうではありません。

人の役に立ちたいという貢献欲求も満たされて、はじめて人は幸せを感じることができます。

そうであるなら、まずは人から認めてもらおうと思う前に、人のお役に立とうと決めて動き出すべきではないでしょうか?


【原文】
名は求む可からずと雖も、亦棄つ可からず。名を棄つれば斯に実を棄つ。故に悲類に交わりて以て名を壊(やぶ)る可からず。非分を犯して以て名を損す可からず。権豪(けんごう)に近づきて以て名を貶(おと)す可からず。貨財に黷(けが)されて以て名を汚(けが)す可からず。〔『言志後録』第220章〕

【意訳】
名誉というものは自ら求めるべきものではないが、さりとて敢えて棄てるべきものでもない。名誉を棄てれば実を棄てることになる。だから人の道に外れた人に近づいて名を台無しにしてはいけない。人の分際をこえた非道なことをして名を損じてはいけない。権力や財力のある人に近づいて名を貶めてはいけない。貨財を不正にむさぼって名を汚してはいけない

【所感】
地位や名声というものは求めるものでもなく、あえて捨てるものでもない。来るものは拒まず、去るものは追わずで、自分の力量以上のことをしたり、権力者に阿ったり、不正をしてまで求めるようなことだけは絶対に避けるべきである。


movie_butai_man_cry

第1598日 「心の安定」 と 「仕事の成果」 についての一考察

今日の神坂課長は部下の石崎君と同行しているようです。

「石崎、さっきお前、有田先生の前でムッとしただろう?」

「え、顔に出てました?」

「思いっきりな!」

「だって、あの先生の言うことは滅茶苦茶ですよね。『半額にしろ』はないですよ!」

「そりゃそうだが、顔に出すのはプロとしてはマズいな」

「課長は昔から顔に出さずに対応できたのですか?」

「石崎、俺ができたと思うか? むしろ、先生とつかみ合いの喧嘩をしたこともある男だぞ。そんなことは、自慢にはならないけどさ」

「ははは。安心しました。どうやって克服したのですか?」

「克服できてはいないと思うけど、商談やクレームの前には、事前準備としてシミュレーションをして色々なパターンを想定するようにしたな」

「そうか、たしかに予想外のことが起きると心が乱れますよね?」

「そうだよ。人間だから毎日色々なことがある。カミさんと喧嘩した日はむしゃくしゃするし、やる気の出ない日もある。二日酔いで吐きそうな日もあるし、風邪をひいて体調が最悪の日もある。こんな俺だが、そんなときでも、なるべくお客様の前では普段と変わらない自分でいようと努力はしてきたつもりだ」

「巨人が負けた次の日もですか?」

「おお、そうだ。特に大逆転でサヨナラ負けをした翌日なんて、巨人ファン以外の奴をみると殴りたくなるけどな。そこを我慢して心を鍛えてきたんだ」

「なかなか難しいですよね。私は彼女と喧嘩した次の日は、全然仕事をする気になれません」

「でもな、石崎。お前や俺が彼女と喧嘩しようが、体調が悪かろうが、巨人が大敗しようが、お客様には関係のないことじゃないか。プロならそんなときでも笑顔で接するべきだと思わないか?」

「たしかにその通りですね」

「たとえ本心は揺れ動いていても、お客様の前では心を安定させて接する。これがプロの営業人だよな!」

「はい、私も心を鍛えます!!」


ひとりごと

学問は、禍福終始を知って惑わないためにするものだ、とは荀子の言葉です。

とはいえ、凡人の小生は、小さなことにもすぐに心が反応してしまいます。

『書経』にも五事を正す、という教えがあり、近江聖人・中江藤樹先生はこの教えを大切にしました。

五事とは、貌・言・視・聴・思の五つです。

まず冒頭に貌があります。なるべく穏やかで温和な表情を心掛けよ、ということです。

心を鍛えないと、貌を正すことは難しいですね!


【原文】
「心躁なれば則ち動くこと妄、心蕩なれば則ち視ること浮(ふ)、心歉(けん)なれば則ち気餒(う)え、心忽なれば則ち貌(かたち)惰り、心傲なれば則ち色矜(ほこ)る」。昔人(せきじん)嘗て此の言有り。之を誦して覚えず惕然(てきぜん)たり。〔『言志後録』第219章〕

【意訳】
「心が騒げば動きも乱れる、心にしまりがないと見ることも落ちつきを失い、心が充実していないと気がおとろえ、心がおろそかであると表情もしまらず、心が傲慢であると顔色にも驕りがみえてしまう」昔の人はかつてこう言った。これを暗誦して思わず恐れ慎まざるを得ない

【一日一斎物語的解釈】
なるべく心を平静に保つことが、物事を首尾よく運ぶための秘訣である。人と接するときは、喜怒哀楽を表に出さない努力をすべきだ。


sagyouin_man02_angry

第1597日 「学び」 と 「仕事」 のバランスについての一考察

今日の神坂課長は、元同僚の西郷さんが開催している『論語』を読む会に参加しているようです。

今日は、『論語』子張第十九篇にある、『子夏曰わく、仕えて優なれば則ち學ぶ。學びて優なれば則ち仕う』について考えてみましょう」

「よろしくお願いします」

「意味は、テキストにあるように、『子夏が言った。仕えて余力があれば学ぶ。学んで余力ができれば仕えるのがよい』となります」

「サイさん、仕えるというのは、現代で言えば仕事に就くということで良いのですか?」

「神坂君、そうだね。ここは仕官するという意味だけど、まあ政治に限る必要はないでしょう」

「『学んで余力があれば仕事をするというのでは、私たちは生きていけないですよね。ここはどう読みますか?」
参加者の松本さんです。

「松本さんのおっしゃるとおりです。私はこの言葉をこう捉えています。今の時代は学校で時務学は教えますが、人間学は教えません。しかし、世の中に出てから本当に必要なのは人間学です。だから、人間学をしっかり学んでから社会に出るべきだ、と読み替えています」

「なるほど。しかし、学校ではようやく道徳が復活したくらいですから、なかなか難しいですね」

「そのとおりです。しかし、すでに社会人となってしまった我々にとっては、『仕えて余力があ
れば学ぶ』という方がより難しいでしょうね?

「サイさん、なぜですか?」

「社会人になると仕事に忙殺されて、学ぶことをやめてしまいがちじゃないかな?」

「たしかにそうですね。そして40歳を超えたくらいで、必要性に迫られて付け焼刃のような学びを始める。まさにそれが今の私です・・・」

「ははは。学び始めるのに遅すぎるということはないよ。でも、やはり早いに越したことはないよね」

「たしかに今の学校教育は、一番大切な学問が教えられていないのでしょうね?」

「そう思う。かつての日本は、寺子屋などでそうした学問を中心に学童教育を行っていた。だから、利他の心をもった思いやりのある人が育ったんだね」

「学校教育の改革を願ってばかりいても、何も変わりませんから、せめて会社の中でこうしたことを教えていくというのが、今我々に出来ることでしょうね?」

「神坂君、ぜひ実践してください!」


ひとりごと

働き方改革関連法案が次々と施行されていく中で、これからは時間が余り始めます。

その時間を学びに当てるのか、遊びに使うのか、その選択は各自に委ねられています。

つまり、働き方の目的が問われる時代がやってきたのです。


【原文】
「学んで優なれば則ち仕うる」は做し易し。「仕えて優なれば則ち学ぶ」は做し難し。〔『言志後録』第218章〕

【意訳】
学んで余力があれば仕官する、というのは実行し易いが、仕官して余力があれば学ぶ、というのは実行し難いことである

【一日一斎物語的解釈】
学校教育において、人間学を学ぶことができない現代においては、人間学を学ぶための時間を創るか創らないかは、各自に委ねられている。学ばねばならない。

                               
7b6252d1392d96850066e0c77652b0b2_m
                                      <a href="https://www.photo-ac.com/profile/1640315">studiographic</a>さんによる<a href="https://www.photo-ac.com/">写真AC</a>からの写真                            

第1596日 「心のゆとり」 と 「求心力」 についての一考察

今日の神坂課長は、佐藤部長と共に、N鉄道病院名誉院長の長谷川先生の御自宅を訪ねているようです。

「長谷川先生、週末はおひとりで過ごされることが多いのですか?」
神坂課長が尋ねたようです。

「男やもねだからねぇ。以前は息子夫婦が心配してよく来てくれたんだけどね」

「最近は来られないんですか?」

「うん。この年になると何かと気忙しくなるみたいでね。息子にいろいろと小言を言ってしまうんだ。それが嫌なんだろうね。最近は寄り付かなくなってしまったよ。盆と正月だけは孫の顔を見せに来てくれるけどね」

「長谷川先生が小言を言われるなんて、想像できないです」

「そう言ってもらえるとうれしいな。60歳を超えてからは、なるべく心に余裕をもって人に接することを意識してきたからね。ね、佐藤さん?」

「ははは。そうですね、以前の長谷川先生は部下の先生方にはとても厳しかったですからね」

「そうそう。今でもたまに私に相談に来てくれる先生方もいるんだけど、そういう先生方には、あまり細かいことは指摘せず、気持ちにゆとりをもって接しようと意識しているの」

「そうなんですか! そのお話は何度聞いても信じられないです。私には、長谷川先生は仏様の顔にしか見えませんから」

「神坂君、こんなところでそんなお世辞を言ったって、コーヒーのお替りくらいしか出せないよ。(笑)」

「お世辞だなんて! 心からそう思っています」

「ありがとう。年とともに心に締りをつけるのが難しくなるから、常にそのことを意識しておく必要があるようだよ。森信三先生は、こんなことを言っている。『人は退職後の生き方こそ、その人の真価だといってよい、退職後は在職中の三倍ないし五倍の緊張をもって晩年の人生と取り組まねばならぬ。』とね」

「そうなんですね。いまのままだと定年後は毎日家にいてゴロゴロしているだけになりそうです。先生をお手本にさせて頂いて、退職後に真価を発揮できるような生き方をします!」

「うん、そのためには今が大事だからね!!」


ひとりごと

心にゆとりがないと、自分のペースを相手に押し付けてしまいがちです。

人それぞれ、歩むペースは違います。

それを受け入れて、本当に大切なことだけを指摘するというスタンスでいないと、メンバーから距離を置かれてしまうことになります。

これは小生の実体験からの言葉ですから、なかなか説得力があるのではないでしょうか?


【原文】
人は老境に至れば、体漸く懶散(らんさん)にして、気太だ急促(きゅうそく)なり。往往人の厭う所と為る。余此を視て鑑(かん)と為し、齢六十を踰えて後、尤も功を着け、気の従容を失わざるを要す。然れども未だ能わざるなり。〔『言志後録』第217章〕

【意訳】
は老境に至ると、身体に緊張感がなくなって、気持ちは気忙しくなる。そのためときに人から嫌われることになってしまう。私はこれを鑑として、六十歳を越えた後はいよいよ修養を心がけ、気持ちをゆったりとするように意識しているが、いまだ十分とはいえない

【一日一斎物語的解釈】
年齢とともに、自分では気づかないうちに気忙しくなるものだ。他人から距離を置かれないためにも、心を磨き、常に心に余裕をもって人と接することを意識するとよい。


roujin_dokkyo
プロフィール

れみれみ