一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2019年07月

第1631日 「正夢」 と 「精進」 についての一考察

シンガーソングライターの笠谷俊彦は夢を見た。

おそらく日本武道館だと思われる大きなホールで、スポットライトを一身に浴びて熱唱している自分自身の姿を。

笠谷は今まで一度もこんな夢を見たことはなかった。

たとえば、ステージに飛び出してみると、お客様がひとりもいないという夢や、発売したCDがまったく売れずに廃棄処分になる夢など、悪夢にうなされる方が多かった。

「和田さん、初めてだよ。自分が大観衆の前で歌っている姿が夢に出てきたのは」

「それだけ今が充実している証拠だろう。お前の中でなにかをつかみかけているんだろうな」

「そうなのかな? でも、毎日もがき苦しんではいるんだけどな。ふちさん(作詞家・ふちすえあき)が作ってくれた物語を聞く人の心のスクリーンに映し出すためのメロディを書くのは本当にしんどいよ」

「しかし、逃げ出したいとは思わないだろう?」

「それはそうだよ。なんとか良い曲を創りたいという気持ちしかない。俺と同じようにもがき苦しんでいる奴らを救えるかもしれないんだ。やるしかないだろう!」

「笠谷、その気持ちだよ」

「え?」

「お前に足りなかったのはその気持ちだ。今までのお前は自分のためだけに歌っていた。しかし今は、まだ出会っていない誰か、これからも直接出会うことはない誰かのために歌を創っている」

「たしかに、そうかも知れない」

「自分のために働くより、他人のために働くことの方が大きな達成感を得ることができるんだ。この国の中でもがき苦しんでいる誰かの背中を押す歌を歌おう、笠谷!」

「和田さん!」

「いい顔になってきたよ。充実した日々を過ごしている証拠だ。だから神様は、素敵な夢をみせてくれたんだ」

「そうだといいな」

「さあ、笠谷。夢を正夢にできるかどうかは、お前次第だ。絶対に妥協はするなよ!」

「わかっているさ!」


ひとりごと

当然といえば当然ですが、小生はここにあるような予知夢といったものを見たことはありません。

もし、一斎先生が言うように、心が澄んでわだかまりのない状態になれば予知夢を見ることができるのだとすれば、小生はまだまだ鍛錬が足りないということでしょう。 

自分のためでなく、誰かのため、世の中のために働く。

本心からそう思えたとき、人は予知夢を見ることができるのかも知れません!


【原文】
夜間形閉じて気内に専らなれば、則ち夢を成す。凡そ昼間為す所、皆以て象を現わすべし。止(た)だ周官の六夢のみならざるなり。前に説きし所の如きも、亦善妄に就きて、以て其の一端を挙げしのみ。必ずしも事象に拘(かかわ)らざるなり。然れども、天地は我と同一気にして、而も数理は則ち前定す。故に偶(たまたま)畿(き)の前に洩れて、以て兆朕(ちょうちん)に入る者有り。之を感夢と謂う。唯だ心清く胸虚なる者には、感夢多く、常人は或いは尠(すく)なきのみ。〔『言志後録』第252条〕

【意訳】
夜になると身体の活動が静まり、気が内に充満して夢となる。昼間はなすことがすべて形となる。ただ、『周礼』にある六夢だけがそうなのではない。以前にも書いたように、善念・悪念について、その一端を挙げたに過ぎない。必ずしも事象にこだわっているわけではない。しかしながら、天地と自分とは同一の気であって、天命はすでに定まったものである。それで、まれに天機が前に漏れて、その兆候が現われることがある。これを感夢といっている。心が清く胸中にわだかまりのない者は、感夢をみることが多いが、一般の人には少ないものだ

【所感】
心を磨き、日々を精一杯生き抜いていると、時には神のお告げと呼ばれるような予知夢を見ることがある。しかし、そのためには相当な努力が必要であり、単に神頼みをするようでは、予知夢を見ることは不可能である。


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第1630日 「夢の良し悪し」 と 「日々の過ごし方」 についての一考察

今日の神坂課長は仕事を終えて、佐藤部長と一緒に「季節の料理 ちさと」に来たようです。

「昨日、変な夢を見ましてね。ストーカーみたいな女にずっと追いかけられて、逃げまわる夢だったんです」

「神坂君、それってあなたの願望じゃないの?」

「ママ、誰がストーカーに追いかけられたいなんて願望を持つんだよ!!」

「そうじゃなくて、女性に追いかけられたいっていう下心がそういう悪夢を見させたんじゃないの?」

「なるほど・・・。って、違うわ!!」

「たしかに一斎先生は、夢というのは自分の心が見させるものだと言っているから、ママの言うこともあながち間違いではないんじゃないかな?」

「部長まで、勘弁してくださいよ」

「ははは。ごめん、ごめん。でもね、たとえば今日は良い一日だったと思って眠りについた日に悪い夢は見ないよね?」

「それはたしかにそうですね」

「何か不安だったり、不満があるときに、その気持ちを引きずったまま寝てしまうと、嫌な夢を見るものじゃないかな」

「やっぱり、神坂君。あなた、昨日何かあったんじゃないのー」

「なんだよ、ママ。その人を疑うような目つきは! 俺は潔白だ!!」

「そうやって強く否定するところが逆に怪しいなぁ」

「そういうママこそ、そんな風に考えるなんて欲求不満なんじゃないの?」

「それはそうよ、この年で独身なんだから!」

「おー、思い切り開き直りやがった!(笑)」

「まあ、いずれにしても、心穏やかな日々を過ごして、安心して眠りにつきたいよね」

「そうですねぇ。しかし、実際には毎日のようにトラブルやクレームもあるし、事故を起こす若造もいるしで、とても心穏やかには過ごせませんよ」

「そういう時こそ、心を鍛錬するときなんだよ。お互いに天から試されていると思って、鍛錬しよう!」

「そうですね」

「はい、では今日はこのレンズ豆と根菜のスープをどうぞ。レンズ豆には、安眠に欠かせない葉酸が豊富に含まれているのよ」

「レンズ豆? レンズみたいな形をしているの?」

「ははは。神坂君、逆だよ。最初に出来上がった凸レンズがこのレンズ豆の形に似ているところから、レンズと名前が付けられたんだよ」

「へぇー、それは知らなかった。いただきます!」


ひとりごと

夢は自分の心の鏡だということでしょうか? 

たしかに、気分良く眠れたときには悪い夢は見ないものです。

だからこそ、ユングなどの心理学では夢を分析することで、その人の思考の傾向や精神状態を把握できるのでしょう。

しかし、本当に良い仕事ができてぐっすり眠れたときには夢をみることがありません。

夢を見ることがない毎日が一番幸せだということでしょうか?


【原文】
一善念萌す時は、其の夜必ず安眠して夢無し。夢有れば、則ち或いは正人を見、或いは君父を見、或いは吉慶の事に値(あ)う。周官の正夢・喜夢の類の如し。又一妄念起る時は、其の夜必ず安眠せず。眠るとも亦雑夢多く、恍惚変幻、或いは小人を見、或いは婦女を見、或いは危難の事に値う。周官の畸夢・懼夢の類の如し。醒後に及びて自ら思察するに、夢中見る所の正人・君父は、即ち我が心なり。吉慶の事は、即ち我が心なり。皆善念結ぶ所の象なり。又其の見る所の小人・婦女も亦即ち我が心なり。危難の事も亦即ち我が心なり。皆妄念の結ぶ所の象なり。蓋し一念善妄の諸(これ)を夢寐(むび)に形わす、自ら反みざる可けんや。死生は昼夜の道なり。仏氏の地獄・天堂の権教を設くるも、亦恐らくは心の真妄を説くならん。此の夢覚と相彷彿たる無きを得んや。〔『言志後録』第251章〕

【意訳】
自分の心に善い思いが兆したときには、その夜は安眠でき夢を見ることもない。もし夢を見れば、そこには心の正しい人や君主や親を見るか、おめでたい夢を見る。これは『周礼』にある六夢の中の正夢や喜夢に当たる。また、心に悪い思いが兆したときには、安眠できない。眠りについても雑駁な夢を見て、うつろでぼんやりとしており、つまらない人や女性の夢を見たり、災難に遭遇した夢を見る。これは『周礼』にある六夢の中の(がくむ)や懼夢(くむ)に当たるだろう。目が覚めた後に思い返してみれば、夢に出てくる心の正しい人や君主や親は自分の心であり、おめでたいことも自分の心なのである。すべて善い思いから生じた現象である。また夢に出てくるつまらない人や女性、あるいは災難もまた自分の心である。すべて悪い思いが生み出した現象である。このように自分の心に生じた善い思いや悪い思いが夢に現れるのであるから、大いに反省しなければならない。死と生は、昼と夜のようなものである。仏教において地獄や天国の教理を設けているのも、恐らくは心の善と悪を説いているのであろう。これはきっと夢の世界と同じようなものではないだろうか

【所感】
善い出来事も悪い出来事も、自分の心が創り出すものである。つねに我が心を磨き、日々良い夢をみて、爽快な朝を迎えたいものだ。


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第1629日 「良き慣習」 と 「悪しき慣習」 についての一考察

今日の神坂課長は、善久君とランチを食べ終えて会社に戻るところのようです。

「課長、ごちそうさまでした。久し振りに鰻を食べました」

「お前もいろいろあったからな。鰻で元気を取り戻してもらおうと思っただけだ。おっ、あれは霊柩車だよな。親指を隠さないと!」

「課長、そんなの古い迷信じゃないですか?」

「いや、わからんぞ。お前も御両親とも健在なんだろう。ちゃんと親指を隠して置けよ」

「私はそういうのを信じませんから」

「古い迷信で思い出したけど、朝礼時に皆で声を合わせて唱和することを復活させたいと考えているんだ」

「うわー、それこそ古い慣習で、時代遅れじゃないですか!」

「古い慣習には、『古き良き慣習』と『古き悪しき慣習』がある。朝の唱和は、皆の心をひとつにするという意味でとても意義深いと思っているんだ」

「何を唱和するんですか?」

「営業マンの心得みたいなものがいいだろうな。俺が入社した頃は、毎朝やっていたんだぞ」

「そうなんですか!」

「『私たちは営業のプロである~』みたいな内容だったな」

「意味があるんですかね?」

「お前みたいにすぐ迷いが生じる奴には、営業マンの心得を毎朝唱和することはとても重要だぞ。判断を迷ったときに、その言葉が頭に浮かんで背中を押してくれるはずだからな」

「なるほどなぁ」

「しかし、よろしくない慣習はスパッと無くしていくことも必要だろうな。たとえば会議資料を何でもかんでも紙に印刷するなんていうのは、考えものだよな。連絡事項なら各自PCで確認すれば良いことだからな」

「それはそうですね」

「それから、今日みたいに後輩が弱っているときに先輩が飯を奢るというのも悪しき習慣だよな。金がいくらあっても足りないよ」

「それは『古き良き習慣』ですけど、私が上司になる頃にはなくなるといいですね」

「お前が人の上に立つ頃には、間違いなくそうなっているさ。でもな、無くなるのはそれだけじゃないぞ。老後の年金も崩壊しているかも知れないからな」

「それは残っていて欲しいなぁ!」


ひとりごと

皆さんの会社でも「昔からやっている」という理由だけで続けている無意味な慣習がありませんか?

逆に良い慣習であったのに、時代の流れでやめてしまった慣習はないですか?

慣習はある意味で企業の風土をつくる大切なものです。

よく吟味して仕分けをし、良い慣習については継続させましょう。


【原文】
邦俗には途(みち)にて柩(きゅう)に遇う時、貴人は則ち輿夫(よふ )輿(こし)を擡(もた)げて走行し、徒行者は則ち左右に顧みて唾す。太だ謂れ無きなり。宜しく旁(かたわら)に辟け、佇立(ちょりつ)して少しく俯すべし。是れ喪を哀れんで貌(かたち)を変ずるなり。又途にて縲絏(るいせつ)者に遇えば、則ち宜しく亦旁(かたわら)に辟けて、正視すること勿れ。是れ罪を悪めども而も人を恤(あわれ)むなり。瞽者(こしゃ)は則ち宜しく我れ路を辟けて傔僕(けんぼく)をして喝せしむる勿るべし。是れ仁者の用心なり。然れども、貴人に在りては、儀衛趨従(すうじゅう)を具すれば、則ち行路自ら常法有り。必ずしも是(かく)の如きを得ず。但だ宜しく従者をして此の意を体知せしむべし。柩若しくは罪人に遇いて、輿を擡げて疾走するが如きに至りては、則ち之を繳(しゃく)せしめて可なり。〔『言志後録』第250章〕

【意訳】
わが国では、道の途中で柩に出遭ったとき、高貴な人は車を担ぐ人夫が車を持ち上げて走行し、歩行者は左右をみて唾を吐くことになっている。これは意味のないことである。道端に避けて立ち、すこし頭を下げればよい。これは死者を追悼して態度を改めるのである。また道の途中で罪人に出遭ったときは、道端に避けて、直視することを避けるべきである。これは罪を憎んでその人を哀れむからである。盲人の場合は道を避けて、使いの者に大声を出させないようにする。これは思いやりのある人の心遣いである。しかし高貴な人の場合は、護衛の武士を連れているので、路を行くにもきまった仕来りがあろう。必ずしも上に挙げたようなことを行う必要はない。ただ従者にその意味を理解させるべきである。柩や罪人に出遭って、車を持ち上げて走るなどという行為は、控えさせるべきである

【一日一斎物語的解釈】
社内にある古くからの慣習については、その妥当性をよく吟味し、不要なもの、もしくは時代錯誤のものがあれば正していくべきである。


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第1628日 「長所7」 と 「短所3」 についての一考察

神坂課長と大累課長は久しぶりに二次会に流れ込んだようです。

「ひっく(しゃっくりしながら)。だいたい雑賀のやつ、俺を上司だと思ってないんじゃないかと思うんですよ」
大累課長はだいぶろれつが回らなくなっています。

「さっきから雑賀の欠点ばかりをあげつらっているけどさ、あいつにだって良いところはあるだろう」
神坂課長の目もすわっています。

「まあ、なくはないですけどね」

「わかった、じゃあ、お前自身の欠点を7つあげてみろよ」

「7つもないですよ!」

「あるわ、いくらでも!」

「なんだと、カミサマ! 今のは納得いかないな」

「ほらみろ、すぐに酒に飲まれること、先輩を先輩と思わず暴言を吐くこと。これもお前の欠点だ」

「神坂さんの欠点もたくさんありますよ。すぐに手を出すこと、後輩をバカにすること、ケチなこと」

「ケチ? それは聞きづてならないな。お前にはそこそこ奢ってるはずだぞ」

「そうですかね?」

「ははは、やっぱり他人の欠点は見つけやすいな。それに引き換え自分のこととなると全然自己分析ができてない」

「確かにそうですね(笑)」

「まずは、メンバーに敬意を払う意味でも、10のうち7つくらいは長所をあげるようにした方が良さそうだな」

「そうですね。神坂さんの良いところは、切り替えの早いところだな」

「お前の良いところは、そういう素直さだ」

「後輩や部下に対する熱意もすごいと思います。尊敬しますよ」

「後輩と一緒に涙を流して喜び合えるお前も尊敬するよ」

「神坂さん、これ気持ちいいですね」

「本当だな。今度、石崎とやってみようかな?」

「俺も雑賀とやってみます」

「でもさ、ちゃんとルールを説明してからやらないと、気持ち悪がられるだろうな!」


ひとりごと

他人を見る時は、美点凝視を意識するべきですね。

どんな人にも長所はあります。

もちろん、どんな人にも短所もあります。

森信三先生は、長所に没入せよ、と言っています。

長所と短所を合算して客観的な評価を下しても、人間関係は良くはなりませんので、美点だけを視るという意識はとても重要なことですね。


【原文】
凡そ古今の人を評論するには、是非せざるを得ず。然れども、宜しく其の長処を挙げ以て其の短処を形わすべし。又十中の七は是を掲げ、十中の三は非を黜(しりぞ)くるも、亦忠厚なり。〔『言志後録』第249章〕

【意訳】
だいたい古今の人物を評価する際には、よしあしを判断せざるを得ない。しかしその場合、まず長所を取り上げた上で短所を取り上げるようにすべきである。また十のうち七までは長所を挙げ、十のうち三程度は短所を挙げておくことも、誠実で篤実なことである

【一日一斎物語的解釈】
他人の評価をする際は、まず長所を挙げることを意識するとよい。長所を優先してみつける意識を持つことで、円滑な人間関係を築くことができる。


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第1627日 「放任」 と 「抑圧」 についての一考察


今日の神坂課長は、大累課長と一杯やっているようです。

「しかし、人のマネジメントは難しいですね」

「そうだな。でもな、それは当然のことらしいぞ」

「どういうことですか?」

「この前、あるセミナーに参加したときに、講師の先生が言ってたんだけどな。そもそも日本はマネージャーに昇格させてからピープルマネジメントを学ばせるだろう?」

「そうですよね」

「そんなのは日本だけらしい」

「え?」

「つまり、欧米ではそもそもピープルマネジメントができる人をマネージャーに上げるらしいんだ」

「なるほど。そういえば、日本はスポーツの世界でもそうですね。名選手でないと監督になれませんよね」

「確かにそうだな」

「じゃあ、どの程度自由にさせるか、あるいは締め付けるかを今更悩んでも遅いってことですね」

「しかし、それを言っては元も子もないから、なんとかやりくりするしかないよな」

「どうすればうまくマネジメントできるのかなぁ」

「メンバーに敬意を払うことが重要らしいぞ。お前、雑賀に敬意を払って接しているか?」

「あいつに敬意ですか! そういう神坂さんは石崎に敬意を持って接しているんですか?」

「あのクソガキにか?  無理無理! けどな、お前はお前が上司だったら、一緒に働きたいと思うか?」

「おっと、そう言われると」

「だろう? そう思えば、あいつらよくぞ働いてくれていると思えないか?」

「思えます!」  

「ははは、お互いにその辺りから敬意を払っていこうぜ」


ひとりごと

放任主義は一見すると伸び伸びとメンバーを育てるかのように見えますが、実は窮地に立つと組織が機能しなくなるというリスクももっています。

一方、抑圧的なマネジメントでは、メンバーは主体性を発揮せず、やらされ感のなかで仕事をすることになります。

適度なバランスを保つのは難しいことですが、一斎先生はそのポイントは「敬」にありとしています。

皆さんは、ご自身の部下の社員さんに敬意を払っていますか?


【原文】
放鬆(ほうしょう)任意は固より不可なり。安排(あんばい)矯揉(きょうじゅう)も亦不可なり。唯だ縦(じゅう)ならず束ならず。従容として以て天和を養うは、即便(すなわ)ち敬なり。

【意訳】
あまりに勝手気ままに行動することは宜しくない。しかし、適当に処理したり矯正し過ぎるのも宜しくない。自由放任することなく、締め付けすぎず、ゆったりとして調和を得た天の道を養うということ、これがすなわち敬ということなのだ、

【一日一斎物語的解釈】
自由放任は良くないが、締め付けすぎてもいけない。常にメンバーに対して敬意を忘れないことが肝要である。


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プロフィール

れみれみ