今日の神坂課長は、長谷川先生のご自宅にお邪魔しているようです。
「長谷川先生、『大学』の八条目といわれる、格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下について教えていただきたいことがあるのですが」
「ほぉ、何だろう。僕に答えられるかな?」
「最初の格物というのがいまひとつ分からないのです。天下を安定させるには、まず国を治めよ。国を治めるにはまず自分自身の家庭を和合せよ。そのためには自分の身を修めよ、という後半の流れは理解しやすいのですが・・・」
「『格物』についてはいろいろな解釈があるからね。簡単にいえば、物事の道理を窮めること、ということになるんだけど、それだと不満なんだよね?」
「不満というわけではないですが、何か、分かったような分からないような感じになるんです」
「さすがは神坂君、正直でいいね」
「いやいや、ただ馬鹿なだけです」
「そんなことはないよ。最近の神坂君はよく勉強しているじゃない。さて、どう説明しようか。これは朱子の考え方なんだけど、物事にはすべて万物共通の道理があると考えるんだ。それを大自然の摂理と呼んでみようか」
「はい」
「すべての物事は、大自然の摂理の一部だと考えるのではなく、大自然の摂理の全部を包含しているという考え方をするんだよ」
「むずかしいですね」
「たとえば、神坂君の身体はおよそ37兆個の細胞からできているんだ。しかし本をただせば、受精卵というたったひとつの細胞にたどりつく」
「はい」
「その受精卵が分裂と分化を繰り返しながら、ヒトの身体をつくっていく。つまり、神坂君の身体にある37兆個の細胞一つひとつに両親やご先祖の遺伝子が引き継がれていることになる。それと同じようなものだと考えたらどうだろう」
「なんとなくイメージできます」
「ありがとう。それで、格物というのは、そういう道理を見極めることだということだから、なぜそのものが存在するのかを理解すること、と考えてみてはどうかな? 私はそういう理解をしているんだ」
「なぜそれがそこにあるのかを理解すること、ということですね。少しクリアになった気がします」
「少し?」
「あ、でも、やっぱり少しです・・・」
ひとりごと
「格物」という言葉の意味を理解するのは、なかなか難しいですね。
小生もいまだにこれといった明確な定義にはたどりつけません。
しかし、そのものがなぜそこにあるのか、ということを窮めることだと理解しておけば大きく間違ってはいないのではないでしょうか?
格物ができると、致知、つまり知が拡充する。
知が拡充すると、自分に対して謙虚になれる。
謙虚になれば、正しい心で人に接することができる。
そうなってはじめて身を修めることが可能になるのだ。
いまは、このように理解しておきます。
【原文】
理を窮む、理固と理なり。之を窮むるも亦是れ理なり。
【意訳】
物の道理を窮める際、その理とは大自然の法則ともいえる理である。この理を極めるということもまた理である。
【一日一斎物語的解釈】
物事の根底に流れる道理とは大自然の摂理そのものである。

