一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2019年09月

第1682日 「佳作」 と 「駄作」 についての一考察

今日の神坂課長は、佐藤部長と一緒に仕事帰りに本屋さんに来ているようです。

「ブックランド・バディーズってこんなとこにあったんですね。前から一度寄ってみたいと思っていたんです」

「ここは店主のするめさんが、ご自身で厳選した本だけを置いているんだ」

「店主は『するめさん』って言うのですか?」

「みんながそう呼んでいるんだよ。噛めば噛むほど味が出る人ってことらしいけどね」

「あ、あの人がするめさんですね?」

「こんばんは。はじめまして、店長のするめです」

「神坂といいます。佐藤の部下でして、この人の影響で最近は読書をするようになりました」

「神坂さんは本を読んでいる人の顔をしていますね」

「そんなことがわかるのですか? 多田先生みたいだな」

「本を読んでいる人とそうでない人は顔を見ればすぐにわかりますよ」

「さすがは本屋さんだなぁ。ところでするめさん、何か新しい世界に踏み込んでみたいのですが、お薦めの作家さんっていますか?」

「実は私は作家さんを薦めることはしていません。どんな作家にも佳作と駄作があります。あくまでも1冊の本を紹介するというのをポリシーにしているのです」

「おー、素晴らしいなぁ。私は今、主に中国の古典を読んでいるのですが、たまには現代の作家の本も読んでみたいと思いましてね」

「佐藤さんの部下ということは、神坂さんも営業マンですよね? それなら、この『営業という生き方』は良いですよ。著者の中村さんは若い頃、ある伝説的な営業マンから、『お前は営業という職業を選んだのか、それとも営業という生き方を選んだのか』と問われたそうです」

「営業という職業、営業という生き方・・・。深いですね」

「はい。私もこの本を読んで、営業マンではないですが、本屋を営業している人間として多くの気づきを得ました」

「ありがとうございます。その本を買います」

「するめさん、神坂君は『易経』の良い参考書も探しているらしいんだけど、何かお薦めはある?」

「朝日選書から出ている本田済さんの『易経』をお薦めします。この本、実は私が『易経』を勉強しようと思ったときに、竹村先生からお薦め頂いた本なのです」

「えっ、あの竹村亞希子先生のお薦めですか? それは間違いないですね! じゃあ、それも一緒にお願いします。するめさんの本の紹介にはすごい説得力がありますね。作家でなく、コンテンツで選ぶというとこ
ろがとても気に入りました

「お買い上げありがとうございます。ぜひ、いつでも遊びに来てください。おいしいコーヒーも淹れていますから」


ひとりごと

読書好きが書店を訪れる大きな楽しみのひとつが、自分の知らなかった本との出会いでしょう。

特に、本に詳しい店主さんから薦められた本なら間違いはありません。

今回、登場した店主さんのモデルは、大阪の伊丹市にある『ブックランドフレンズ』のこんぶ店長です。(ストーリーはフィクションです)

ここに行けば、こんぶさんからあなたの知らない世界を紹介してもらえるはずです。

平日は朝6:30から営業していますので、会社に行く前に寄ることもできます。

関西にお住まいの方は、ぜひ一度訪れてみてください。


【原文】
朱子は『春秋』伝を作らずして、『通鑑綱目』を作り、『載記(たいき)』を註せずして、『儀礼経伝通解』を編みしは、一大識見と謂う可し。『啓蒙』は欠く可からず。『小学』も亦好撰なり。但だ『楚辞註』と『韓文考異』は有る可く無かる可きの間に在り。『陰符』と『参同』に至りては、則ち窃(ひそ)かに驚訝(きょうが)す、何を以て此の泛濫(はんらん)の筆を弄するかと。〔『言志晩録』第48条〕

【意訳】
朱熹が『春秋』の註解を作らずに、『資治通鑑項目』を作り、『礼記』を註釈せずに、『儀礼経伝通解』を編集したのは、一大見識というべきである。『易学啓蒙』は欠くことができない。朱子が劉子澄に編纂を指示した『小学』も好著である。ただ『楚辞集註』と『韓文考異』は有っても無くてもよい。道家の『陰符』と『周易参同契 』の註釈書である『陰符経考異』と『周易参同契注』を編纂したことについては、どうしてこのようなとりとめのない著述をしたのであろうかといぶかるところである

【一日一斎物語的解釈】
多くの偉大な作家や学者でも、時には駄作を生み出すこともある。安易に書評をすることは避けるべきだが、書を読み活学する際には良書を選ぶべきだ。


最高本日も(10)

第1681日 「読書」 と 「実践」 についての一考察

今日の神坂課長は、久しぶりに読書会に参加したようです。

「今日の課題本の『葉隠』については、前々から読んでみたいと思っていたので良い機会になりましたよ」
神坂課長です。

「神坂さんは読書家ですよね。いろいろ本を読まれていますもんね」
同じグループの佐久川さんです。

「さくちゃん、俺が読書家? とんでもないよ! 少し前までは本をもったら5秒で熟睡するような男だったんだよ!」

「そうなんですか?! 『論語』とかにも詳しいし、絶対読書家だと思っていました」

「いやいや、ゴッドは読書家だよ。最近はたくさん本を読んでいるじゃないの」
松本さんです。

「フミさんにそう言われるとうれしいな。でも、読書家というのは褒め言葉なんでしょうかね?」

「ん、どういう意味かな?」

「私は学者ではないですし、私の読書の目的は読んだことを実践で活かすことにあります。だから、ただ本を読んでいるだけ、つまりインプットだけでは駄目だと思うんです」

「読書家というと、インプットオンリーのイメージがあるということ?」

「はい。考え過ぎですかね?」

「僕は世の中の多くの読書家は実践家でもあると思うよ」

「なるほど。じゃあ、素直に喜んでおきます。ところで、『葉隠』の中でも一番有名な『武士道とは死ぬことと見附けたり』という言葉については誤解していました」

「私もです。『武士は命を惜しまずに戦うことが本分だ』という理解をしていました」

「あー、さくちゃんも? 俺もそうなんだよね」

「しかし実際には、『いつ死んでも良いように常に準備を怠らず、悔いなく生きろ』というメッセージだったんだね。私も勉強になったよ」

「考えてみれば、自分がいつ死ぬかなんてわかりませんからね。それこそ明日かも知れないし」

「そうですよね。やっぱり毎日を大切に生きないといけませんね!」

「森信三先生は、一日は一生の縮図だと言ってるよね。私達は毎日生と死を疑似体験しているんだということだろうね」

「なるほどなぁ。死ぬ時に『あれをやっておけば良かったと後悔して死にたくないですもんね」

「そういうこと! さて、今やらなければならないことは何かな?」

「この後は懇親会ですから、楽しく酒を飲むことです!」

「オー、イエス! ザッツ・ライト!!」


ひとりごと

インプットなくしてアウトプットなし。

何か新たな行動を起こすには、新たなインプットが必要でしょう。

読書はもっとも安くて手軽なインプット方法です。

本を1冊読んだら、そこから自分にとって大切な1行を拾えれば十分です。

その1行を実践の場でアウトプットし、自分の経験に代えていくことが重要なのです。


【原文】
経書は講明せざる可からず。中ん就く易・書・魯論を以て最も緊要と為す。〔『言志晩録』第47条〕

【意訳】
経書すなわち四書五経は講義をしてその真理を明らかにしなければならない。中でも『易経』・『書経』・『論語』については真っ先に取り組むべきである

【一日一斎物語的解釈】
読書によってインプットしたことは、実践でアウトプットすべきである。読んだだけで理解した気になってはならない。


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第1680日 「講義」 と 「簡潔」 についての一考察

昨日に引き続き神坂課長は、『論語』の読書会に参加しているようです。

「孔子は自分にはオリジナルは何一つないと言っています。すべて、昔の聖賢の言葉を現代に蘇らせているだけだと」

「そうなんですか? でも『論語』オリジナルとされる言葉はたくさんありますよね?」

「神坂君、それこそが温故知新なんだよ。『故きを温めて新しきを知る』ということは、古いものをただそのまま引っ張ってくるということではない。古い言葉に現代に通用する新たな意味をつけ加えて蘇らせることなんだ」

「なるほど」

「多くの学者先生は、簡単なことを難しく考え、難しい表現で伝えようとする。しかし、それでは我々庶民には理解できない。孔子のすばらしいのは、難しい真理を簡単かつ日常の言葉で伝えてくれるところだろうね」

「だからこそ、二千五百年も読み継がれてきているんですね」

「杉田さん、その通りですよ。だからこの読書会は、明日からの行動に活かせる学びを得ることを一番の目的としています」

「知行合一ですね!」

「神坂君、まさにね! しかし、知行合一の本当の意味は、知ることと行うことは同じだ、という意味ではない。人は嫌な匂いを嗅げば、瞬時に鼻をふさぐよね。『あれ、臭いぞ。ということは、鼻をふさがないといけないな』なんて考えてから行動しているわけではないよね」

「それはそうですよ!」

「つまり、臭いと思った瞬間に鼻をふさぐ、これが知行合一なんだよ。知ってしまった以上行動せずにはおれない、という感覚だね」

「なるほど。では、『よし良いことを知った。試してみようかな』なんて考えるのは、ダメなんですね?」

「ダメとは言わないけど、真の知行合一ではないということだね。しかし、まずは知ったことを実践するという意識を持つことがスタートじゃないかな」

「孔子の言葉というのは、聞いたらすぐに実行したくなる何かがありますよね」

「さすがは杉田さんだね。シンプルで力強い言葉を使うのが孔子の特徴だと思いますね」

「なにごともシンプルに力強く伝えることが大事なんですね。私もメンバーにくどくどと説教をしないように気をつけないとな!」

「神坂さん! そんなこと考えているうちは、知行合一じゃないですよ。明日からすぐ実行しないと!」

「す、杉田さん・・・」


ひとりごと

おなじ儒学の書でも『論語』と『孟子』を比較すると、『論語』のメッセージはとてもシンプルであると感じます。

『孟子』には熱いメッセージが込められているので、維新の志士たちは熟読したそうですが、小生にはやや回りくどさを感じるのです。

人に何かを伝えるときは、シンプルかつ分かりやすくを意識すべきですね。

そうすれば、自然と力強さも加わるように感じます。


【原文】
講書と作文とは同じからず。作文は只だ習語を飜して漢語と做すを要す。講書は則ち漢語を飜して以て習語と做すをば、教授において第一緊要の事と為す。視て容易と為す可からず。〔『言志晩録』第46条〕

【意訳】
書物を講義することと漢文で文書を作ることとは同じではない。作文は日常会話を言い換えて漢語にすることを必要とする。書物の講義は漢語を言い換えて日常の会話となすことが、講義における最も重要なことである。一見して容易なことだと考えてはならない

【一日一斎物語的解釈】
物事を教え諭すときは、シンプルで分かりやすく伝えることが肝要である。文書は書き直すこともできるが、言葉は一度発してしまえば取り返しがつかないということを肝に銘じておくべきだ。


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第1679日 「経書」 と 「心情」 についての一考察

今日の神坂課長は、元同僚の西郷さんが主宰する『論語』の読書会に参加しています。

「以前に、四書を読む順番は、『大学』、『論語』、『孟子』、『中庸』の順だと教えていただきましたが、五経を読む順番はあるのでしょうか?」
参加者の杉田さんからの質問です。

「五経については、そういう記載を見たことはないですね。ただ、孔子は常々、『詩経』、『書経』については弟子たちに読むことを勧めています。とくに『詩経』はまず一番に読むべきだと、息子の伯魚にも伝えているので、まずは『詩経』からということになるでしょうか」

「なるほど」

「その次は、『書経』ですかね? それから礼について触れた『礼記』、歴史書である『春秋』という順ですかね?」

「サイさん、ということは『易経』が最後ということですか?」

「神坂君、そうなると思う。少なくとも五十歳を迎えてから『易』を読めば、大きな禍が起こらないと孔子が言っているからね」

「へぇ、そうなんですか?」

「西郷さん、なぜ最初に『詩経』なのでしょうか?」

「杉田さん、これは私の解釈ですが、『詩経』というのは、孔子より昔の時代の様々な階級の人が細やかな情を詩に込めているんです。それを読めば、庶民から皇帝に至るまでの情の動きを理解できます。それは政治を行う上でも、マネジメントを行う上でも一番大事だからではないかと思います」

「そういうことですか」

「ちなみに、『書経』は帝王学の書ですから、人を統治する上での心構えが掛かれています。また『易経』は物事の遷り変わりをとらえた書ですから、宇宙の摂理を学ぶことができます。それは儒学では『性』と呼んでいます」

「なるほどなぁ。ところでサイさん、そのあたりの経書の良い解説書をご存知ないですか?」

「それがねぇ、神坂君。『詩経』も『書経』も手軽な解説書がないんだよね。いわゆる全集的なもので、全文を解説しているようなものが主体なんだ。ただ最近、角川ソフィア文庫から『書経』が発売されたから、あれはいいかもね」

「ああ、私もそれは買いましたよ。しかし、まだちゃんと読み込めていません」

「まずはあれをしっかり読んでみたら? 『詩経』については、私も手ごろなものを知らないんだよ。少し調べてみるよ」

「『易経』はかなり出ていますよね。竹村亞希子先生の本はとても読みやすいです」

「おお、杉田さんもよく勉強されていますね」

「ああ、竹村先生の本も持ってるなぁ。あれも、最近手付かずだ。最近は、積読ばっかりだなぁ」

「神坂さん、それは僕も同じです。読みたい本がどんどん出てきて困りますよね」

「いや、ホントに! しかし、経書はしっかり読んでみたいですね!!」


ひとりごと

ちょうど昨日、大阪潤身読書会を開催し、五経を読む順番について話をしました。

タイムリーなので、それを脚色を交えて再現してみました。

ところで、孔子は礼の大家ではありますが、息子の伯魚に対しては、まず『詩経』を学べと教えています。

次に礼を学べと。

『詩経』については、本部にも記載したとおり、適当な解説書はありませんが、日本における『詩経』といえば、『万葉集』でしょう。

我々、日本人は『万葉集』を読むことで、人間の情を学ぶことができるのかも知れませんね。


【原文】
易は是れ性の字の註脚。詩は是れ情の字の註脚。書は是れ心の字の註脚。〔『言志晩録』第45条〕

【意訳】
『易経』は「性」について注釈したものである。『詩経』は「情」について注解したものである。『書経』は「心」について解説したものである

【一日一斎物語的解釈】
経書にはそれぞれの特質がある。自分自身の何を磨くかを考慮して選択すると良い。


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第1678日 「経書」 と 「覚悟」 についての一考察

今日の神坂課長は、佐藤部長同行でVIPのドクター訪問を行い、社へ帰る車中にいるようです。

「サイさんのお陰で『論語』を読むようになり、多田先生から『大学』の解説本を頂いて読み始めました。この2冊は同じ儒学の本ですが、趣は違いますね」

「ほぉ、どんな風に違いを感じるの?」

「『論語』は読むと気が引き締まります。まるで先生から叱られているような感じです。『大学』を読むと、すべての出来事は自分の心がけ次第で善くも悪くもなる、ということを学べる気がします」

「なるほどね。一斎先生は、四書を講義する際にはそれぞれ違った気分で講義をすると言っているね」

「どんなことを言っているのですか?」

「『論語』を講義するときは、父が子を諭すような気持ち、『孟子』を講義するときは、長男が末っ子に指導するような気分。『大学』を講義するときは、理路整然とした気持ち。『中庸』を講義するときは、雲が山間から流れてくるような気分になると言っている」

『孟子』と『中庸』は読んだことがないのでわかりませんが、『論語』と『大学』はなんとなくわかる気がします」

「神坂君は、『論語』については、先生から教えられるようだと言ったよね。現代は父親が子に教える場面はあまりないから、神坂君の表現は適切だと思うな」

「ピリッとしますよね。それでいて、決して窮屈ではないんです」

「それは孔子の人間力のなせる業なんだろうな」

「はい、そう思います。『大学』は読むともっと自分を磨かなければと思わされます」

「うん。環境に負けているようでは、己の鍛錬が足りないよ、と言われているようだよね?」

「あー、本当にそんな感じです。中江藤樹先生は、白文の『大学』を100回読んで理解したんだそうです。二宮尊徳翁も子供の頃に『大学』を読みながら畑作業をしたのですよね?」

「最近は見なくなったあの背中に薪を背負った銅像が読んでいるのは『大学』だと言われているよね」

「やっぱり本にはそれぞれ趣があるんですね。それを感じるような読み方ができないと身にならないような気がします」

「それが本当の読書だと思うよ」

「はい。多田先生から教えていただいたのですが、中江藤樹先生は、経書を読むときは、『聖賢の心をわが心とせよ』と言ったそうです。聖人の心を自分の心にできるまで読み込む必要があるということですよね?」

「良い言葉だね。お互いそういう意識で書と向き合いたいね!」


ひとりごと

先日、朋友と映画『二宮金次郎』(監督:五十嵐匠)を鑑賞してきました。

この映画は、全国の市民会館や公民館でのみ上映される自主制作の映画です。

大変素晴らしい映画で、小生も何度なく涙を流しました。

この映画の中でも、金次郎が畑仕事をしながら『大学』をそらんじる場面が出てきました。

経書を読む場合、読む側も覚悟をもって、自分の血や肉をつくるつもりで読まなければ我がものとはできないのかもしれません。

そんなことを教えられた映画でした。


【原文】
論語を講ずるは、是れ慈父の子を教うるの意思。孟子を講ずるは、是れ伯兄の季を誨(おし)うるの意思。大学を講ずるは、網の綱に在るが如し。中庸を講ずるは、雲の岫(しゅう)を出ずるが如し。〔『言志晩録』第44条〕

【意訳】
『論語』を講義するときは、父親が慈しみをもって子を教えるような気持ちになる。『孟子』を講義するときは、長男が末弟を教え諭すような感じがする。『大学』を講義するときは、網を一条の綱で引くように条理整然とした気持ちになる。『中庸』を講義するときは、雲が山の峰から流露するような感じがする、

【一日一斎物語的解釈】
四書五経といった経書には、それぞれに独特の趣がある。経書を読む際には、それを味わいながら読むとよい。


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第1677日 「語り」 と 「想い」 についての一考察

営業2課の新人、梅田君が凹んでいるようです。

「どうした、梅田。いつもの元気がないじゃないか?」
神坂課長が声をかけたようです。

「昨日、先生方を前にしてプレゼンをしたのですが、全然興味を惹けなかったんです。しっかり準備もして、石崎さんにロープレもやってもらったのですが・・・」

「良い経験をしているじゃないか。初めからうまくいったら調子に乗るから、それくらいがちょうど良いんだよ」

「もっとうまく話せるようになりたいです。課長、どういう勉強をしたら良いのでしょうか?」

「そうだな。その製品が使われる場面をたくさん見て、何が一番お役立ちできるポイントなのかを学ぶのが一番だろうな」

「課長、私の話を聞いていましたか? 人前で上手に話しができるようになるために、何をしたら良いかを聞いたのですが・・・」

「だから! 大事なのは自分がプレゼンする商品に惚れ込むことなんだよ。これなら絶対にお役に立てると思う気持ちが一番重要なんだよ」

「意味がわかりません」

「いいか、梅田。結局、プレゼンとうものは何を言うかより誰がいうかが重要なんだ。スピーチは上手に越したことはないが、それ以上に重要なのがプレゼンする人間、あるいはその人間の心なんだよ」

「心・・・ですか?」

「そう。先生方だってお前が若いことくらい、見ればわかるだろう。正直に言って、舐められているという部分はあるよ。でもな、そこでお前がその商品を本当に大好きで、間違いなくお役立ちができるので是非使って欲しい、という熱い想いを全面に押し出してプレゼンをすれば、空気が変わるんだよ」

「そういうものですか?」

「俺の経験から言えば、そういうものだ! そういうプレゼンを繰り返していけば、いつしかお前がプレゼンをするというだけで、初めから興味をもって聞いてくれる先生が増えてくるはずだ」

「熱い営業マンはウザがられませんか?」

「全員から評価をもらおうとするな。同じような熱い想いをもった先生の心に届くプレゼンをすればいいんだ。俺はずっとそうしてきた。もちろん、ウザがられることもしょっちゅうあっ
たよ。でもな、結局は、医療を変えていく先生というのは、熱い先生なんだよ!」

「わかりました。商品のセールスポイントを徹底的に調べてみます!」

「それがわかったら、もう一度俺のところに来い。そのときに、プレゼンのコツも教えてやるよ」

「なんだぁ、課長。プレゼンから話をそらしたからプレゼンは苦手なのかと思っていましたよ。ちゃんとプレゼンのコツも教えてくれるんですね?」

「お前なぁ・・・」


ひとりごと

「何を言うかより、誰が言うかが重要だ」、という言葉は良く聞く言葉ですね。

それなら無名の人間は駄目なのか?

決して、そんなことはないはずです。

要するに、どれだけ語る内容に想いが籠められているかが重要なのではないでしょうか。

もちろん、一斎先生が言うように、人間力を高めて自然に聴衆の心をつかむオーラを身に纏うことができるなら、それが理想ではありますが・・・。


【原文】
講説は其の人に在りて、口弁に在らず。「君子は義に喩り、小人は利に喩る」が如きは、常人此れを説けば、嚼蠟(しゃくろう)味無きも、象山此を説けば、則ち聴者をして愧汗(きかん)せしむ。視て易事(いじ)と為す勿れ。〔『言志晩録』第43条〕

【意訳】
講義というものは講義する人がどのような人物かということが重要であって、弁舌の上手下手にあるのではない。『論語』に「君子は義に喩り、小人は利に喩る」とあるが、これを一般の人が説けば、蝋燭を噛むようなもので味気ないものになる。ところが陸象山が説けば、聴く者は脂汗を流すことになる。講義を行うことは容易なことでないことを知らねばならない

【一日一斎物語的解釈】
人に何かを説く時は、何を言うかより誰が言うかが重要であることが多い。本当に理解させたいと思うなら、人物を磨くしかないのだ。


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第1676日 「語り」 と 「鍛錬」 についての一考察

神坂課長は、歴史好きが偉人を語る会に参加し、午後の史跡巡りを楽しんでいるようです。

「ここは、本證寺といって、三河一向一揆の舞台となった城郭寺院です。ここには聖徳太子絵伝という重要文化財が所蔵されています。この絵伝は全十幅からなり、通常よくある四幅の絵伝に比べて描かれている物語の数が格段に多いのが特徴で、数ある聖徳太子絵伝の中でも傑作とされるものです」
安城ふるさとガイドの会のガイドさんの説明です。

「実物は見れないのですね?」

「はい、残念ながら。ここに以前に展示会に出展された際のカタログがあります」

その後、一行は本證寺からほど近い松韻寺にやってきました。

「ここには、全国でも極めて珍しい聖徳太子馬上像があります。住職さんが写真を撮っても良いと言ってくれていますので、ご自由にどうぞ」

「おー、これは珍しいですね。年代はいつ頃のものなのですか?」

「年代はわかっていませんが、もしはっきりしたらこれもなかなかお目にかかれなくなってしまうかも知れませんよ」

一行は写真を撮って外に出ました。

歩きながら会の主催者徳川さんと神坂課長が話をしているようです。

「私自身が語り部をやるときは、すべて音を録音して後で聞きなおしています。無駄な音はないか、もっと良い言い方はないか、嘘は言ってないか、といったことを後で確認するのです」

「凄いですね。そこまでやるのですか?」

「素人だと言っても、歴史を語るのですから、なるべく間違ったことは言いたくないですからね。それが自分自身の鍛錬にもなります。私は営業部門の責任者をやっているので、仕事にも充分活かせますよ」

「徳川さんも営業ですか! 私もです。なるほど、たしかにそうですね」

「そうやって鍛錬を重ねれば、次第に人の心に響く話ができるようになるのです。中田さんも市川さんもそうやって少しずつ鍛錬されて成長されているのですよ」

「素敵ですね。もちろん聞きにきてくれた人のことを考えなければいけないのでしょうが、その前にまずは自分の語りを鍛えることが先だということですね」

「はい。言い方を間違えると不遜に聞こえますが、やはりまずは自分自身の心の持ちようが大事だと思うのです」

「私も会議での自分の話を録音してみます」

「こういう小さいレコーダーでも充分に音は聞き取れますよ。それにこれはUSBのタイプなので、そのまますぐにPCで編集もできます」

「徳川さん、ありがとうございます。さっそく実践してみます」

「そして、いつか語り部もお願いしますね!」


ひとりごと

本章の一斎先生の言葉は、取り方を間違えると危険ですね。

講義をする際に、自分にとって有益であれば、聞く人のことはどうでも良い、と取れなくもありません。

しかし、ここはそういうことではないでしょう。

徹底的に自分の在り方ややり方を見直し、鍛錬を重ねれば、自然と聞く者の心に化学変化を起こすことができる、と言っているのだと理解します。

そうでなければ、名だたる偉人が一斎先生を慕って、一斎先生の下で学問をするはずはないですよね?


【原文】
講説の時、只だ我が口の言う所は我が耳に入り、耳の聞く所再び心に返り、以て自警と為すを要す。吾が講、已に我れに益有らば、必ずしも聴く者の如何を問わず。〔『言志晩録』第42条〕

【意訳】
講義をする際、ただ私が口から発した言葉が私の耳に入り、私の耳が聞いたことがふたたび私の心に返ってくることで、自分を戒めることが肝要である。私の講義が私自身にとって有益であるならば、必ずしも聴く者がどのように受け止めるかは問題ではない

【所感】
人前で語るときは、その内容についてしっかり反省し、常に向上心を忘れないようにすべきだ。そういう想いをもって語るなら、聴く人の心に化学変化を起こすことができるだろう。


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第1675日 「収斂」 と 「流動」 についての一考察

今日の神坂課長は、歴史好きが偉人を語る会に参加しているようです。

本日の語り部、市川さんが休憩をはさんで80分間、本日の偉人・蘇我馬子について、聴く人を飽きさせることなく語り終えました。

その後は、午後の史跡巡りとなりますが、その前に参加者でランチを食べているようです。

「いやー、今回初めて参加させてもらったのですが、市川さんの知識は凄いですね。それにまとめ方も上手で、あっという間の80分でしたよ」
神坂課長です。

「ありがとうございます。最初は、緊張しまくって大変だったのですが、何度かやらせてもらううちに病みつきになってきました」

「この会を始めるきっかけは、私と一緒に会を主催している中田さんが、家康検定で99点をとったということを聴いて、そんな素晴らしい知識を独り占めしているのは惜しい。ぜひ、人前で語るべきだと言ったところから始まったのです」
会の主催者の徳川さんです。

「私も最初は丁重にお断りしたのですが、徳川さんの圧力に押されてやることになりましてね。でも、やることが決まってからも、何度『やっぱりやめますと電話しようか悩んだくらいです。(笑)」

「そう言っている中田さんですが、今では堂々と話をされますし、何より午後の史跡巡りは毎回すべて中田さんのコーディネートで開催されていますからね」

「そうなんです。今や私のライフワークになりました」

「人前で語るためには、それなりの準備が必要です。今までの知識を整理する良い機会にもなりますし、なにより、人前で語る緊張感というのは誰でも味わえるものではありません。しかし、人間は時には心の精気を思い切り動かすことが大事でして、緊張を持って語るというのは、まさに心の精気を動かすのには最適なのです

「なるほどなぁ。たしかに準備なしで80分は語れませんよね。それに準備をしっかりしていなければ、緊張感に負けてしまうでしょうしね」

「神坂さん、そうなんです。でもね、しっかり準備をして何とか語り終えた時の達成感は、なにものにも代えがたいものがあります。あの達成感と脱力感を味わいたくて、この会を続けているようなものです」

「中田さん、わかる気がします」

「人間は、時には心の精気を思い切り動かし、また時には瞑想などによって心の精気を鎮めるということを繰り返す必要があるのです。それでこそ心は健全でいられるのです。両端の極まで触れる経験をしているから、日ごろは平穏でいられるものなのです」

「徳川さんはプロデューサーみたいですね」

「ははは。それは、褒めすぎです。ただ、中田さんや市川さんに人前で語る喜びを知ってもらえたことは、本当に良かったと思っていますよ。これからもそういう人を少しずつ増やしていきたいのです」

「じゃあ、私もいつか語らせてもらいますよ。しかし、その前にしっかり勉強しないと!」

「神坂さん、期待してお待ちしています。さぁ、それでは午後の史跡巡りに出かけましょう。今日は聖徳太子にゆかりの寺院を訪れる予定です」


ひとりごと

読売ジャイアンツ終身名誉監督の長嶋茂雄氏は、かつて「プレッシャーを楽しむ」という名言を残しています。

何か新しいことに挑戦する時には多かれ少なかれプレッシャーを感じるものです。

そして、そのプレッシャーのさなかには、もうやめてしまおうかと悩むこともあるでしょう。

しかし、それを乗り越えて何かを達成すれば、大きな達成感や充実感を得ることができます。

これこそ、「心の精気を流動させる」ということでしょう。

ただし、流動させっ放しでは心が疲れてしまいます。

あるときは瞑想などによって、一人静かに考える時間をもつことで、心の精気を鎮めることも必要だと一斎先生は言っています。

こうして両極端を味わうことで、はじめて真ん中がどこにあるかがわかり、平生は心を落ち着けて生活ができるようになるのでしょう。


【原文】
余の義理を沈思する時は、胸中寧静にして気体収斂するを覚え、経書を講説する時は、胸中醒快(せいかい)にして気体流動するを覚ゆ。〔『言志晩録』第41条〕

【意訳】
私が正しい道について沈思黙考するときは、胸の中が安らかに落ち着いて精気が収縮するように感じ、経書を講義する場合には、胸の中が明晰で爽やかになり精気が流動するのを感じる

【一日一斎物語的解釈】
心の精気というものは、時には瞑想をして鎮め、時には人前で語るなどして活発に動かすことを意識するとよい。


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第1674日 「徳」 と 「言」 についての一考察

今日の神坂課長は、佐藤部長と一緒に「季節の料理 ちさと」にやって来たようです。

「あら、神坂君。なんか久しぶりね」

「ママ、ご無沙汰してごめん。俺に会いたかったでしょ?」

「そうねー」

「なんだよ、その嘘くさい笑顔は。完全に『心と裏腹ですって顔に書いてあるじゃん」

「お、神坂君。人の心を読むのが上手になったわね!」

「当たってるんかい!!」

二人はカウンターに腰かけたようです。

「心と裏腹といえば、先日、暇だったので、家でずっと参院選の候補者の政見放送を観ていたんですけどね」

「面白い時間のつぶし方だね」

「いや、実は例のN国の立花氏の政見放送を観るつもりだったのですが、そこからついつい色々な候補者のも観てしまっただけなんです」
「なるほど」
「それで、凄く感じたのは、今の政治家は言葉だけを飾っているのですが、誠をまったく感じないんです。立花氏にいたっては、政見放送で『カーセックス』を連呼する輩ですから、問題外ですけどね」

「たしかに今の政治家が四書などの経書をどれだけ読んでいるのかは疑問だもんね。古典を読んで、実践し、徳を積んでいないから、誠がないんだろうなぁ」

「徳を積んでいないからか・・・。隠徳を積むってやつですね?」

「そうだね。人知れず努力し、心を磨くということをしないと徳が磨かれない。それをしていない人の言葉には誠がないから、相手の心に響かないんだろう」

「私の言葉もどれだけメンバーに響いているのか、心配になってきました」

「大丈夫だよ。神坂君の話には実践で学んだリアリティがあるからね。言葉を飾らなくても、想いが伝わってくるよ」

「ありがとうございます。部長はいつでも部下を持ち上げる天才ですね!」

「あれ? 今の言葉には誠を感じなかった?」

「いやいや、そういうことじゃないですよ。ママ、料理まだー?」

「はいはい、今日は高知県産のヒラマサのお刺身です。ブリ御三家と呼ばれるお魚のなかでも、一番おいしいのよ」
「ブリ御三家?」

「ブリ、カンパチ、ヒラマサをブリ御三家って呼ぶの」

「どれどれ。おーーーっ、旨い。旨過ぎる!!」

「よし!」

「えっ?」

「今の言葉には誠を感じたわ!」


ひとりごと

『論語』の言葉に、

徳有る者は必ず言あり。言ある者は必ずしも徳有らず。(憲問第十四)

とあります。

徳を積めば自然と言葉に誠が籠るということでしょう。

言葉を磨くことも大切ですが、心を磨かずして言葉を磨いても意味がないということです!


【原文】
古の儒は立徳の師なり。「師厳にして道尊し」。今の儒は則ち立言のみ。言、徳に由らざれば、竟(つい)に是れ影響のみ。何の厳か之れ有らん。自ら反(かえ)りみざるべけんや。〔『言志晩録』第40条〕

【意訳】
昔の儒者は徳を有している師であった。「師に尊厳があれば、その説く道も尊くなるものだ」。今の儒者は言葉だけである。徳のない人の言葉は、実態を伴わないので空虚であって、尊厳さなどはまったくない。よく反省してみなければならない

【一日一斎物語的解釈】
徳のない人の言葉は人の心を揺さぶることはない。実践から学び、徳を身につければ、言葉はさほど重要ではない。


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第1673日 「逆境」 と 「天理」 についての一考察

今日の神坂課長は、営業1課の新美課長と昼食を共にしているようです。

「昨日のニュースで、久しぶりに池江璃花子ちゃんの姿を観たよ。一見すると元気そうに見えるけど、病状は一進一退らしいな」

「私は池江さんのニュースを観るたびに、胸が締め付けられるような気持ちになります。東京オリンピックが目の前に迫っているのに、レースに出るどころか、ずっと病院に入院しているなんて、本当に辛いでしょうね」

「本当にな。ご両親なんか代わってあげられるものなら、代わってあげたいと思っているだろうな」

「池江さんのことを考えると、神様なんていないのかなと思ってしまいますね」

「本人にはとてもこんなことは言えないけど、きっと何か意味があるんだと思う。この病気に打ち克てば、今の経験がきっと大きく役に立つはずだよ」

「本当にそうでしょうかね?」

「そう信じるしかないんじゃないか。池江ちゃんにはそう信じて、戦って欲しいな」

「まあ、たしかに辛い経験というのは、乗り越えることができれば、人生の糧にはなりますね。私も、いくつかそんな経験を積んできましたし」

「うん。神様なのか、お天道様なの、仏様なのか、名前はどうでもいいんだけど、俺はそういう見えない何かによって人は生かされていると思うんだよ」

「なぜそう思うのですか?」

「だって、どうしようもない暴れん坊だった俺がこの会社に入ったのは偶然だとは思えない。この会社に入って、佐藤部長に会わなかったら、俺は今頃どうなっていたのかと思うと、怖くなるぞ」

「なるほど。私はそういう神坂さんから、また沢山学ばせてもらっていますしね」

「え、そう。嬉しいこと言ってくれるじゃない。どんなところを学んでるんだよ?」

「正直、若い頃はこの人には近づかないようにしようと思っていましたから。そんな神坂さんが佐藤部長に少しずつ感化されて、課長になってからはすごい短期間で成長されています。どんな人間でも志がしっかりすれば変わるんだなぁとあらためて教えてもらいましたよ」

「それって、褒められているのだろうか?」

「どうなんでしょう? 褒めるというか、素直な気持ちです」

「ははは。まあ、そういうことだよ。きっと人間は大自然の摂理によって生かされているんだ。それに気づくには辛い経験が必要なんだろう。俺にとっては榊が辞めた一件が大きかった」

「ああ、榊君ですか」

「あの一件は俺にとっての転機だったからな。とにかく、すべての出来事には意味がある。辛い経験をしたときこそ、大自然の摂理が教えてくれていることの意味を理解しようとするべきだ。矢印を自分に向けてな

「池江さん、乗り越えてくれますよね?」

「彼女からパワーをもらってN大の水泳部が大活躍をしたじゃないか。そしてその選手たちが池江ちゃんに生きる力を与えてくれたはずだよ。戻ってくるさ、彼女なら」

「そうですね。そう信じます!」


ひとりごと

逆境を経験し、それを乗り越えた時、人は大きく成長します。

逆境が教えている大自然の摂理を読み解き、人生に活かすことができるかどうかは、自分自身に懸かっているのです。

矢印を他人に向けていては、大自然の摂理には気づけません。

矢印を自分に向けて、何を学び、何を実践するか。

どんなことからも人は学ぶことができるのです。


【原文】
「随処に天理を大認す」と、呉康斎此の言有り。而して甘泉以て宗旨と為し、余姚の良知を致すも、又其の自得する所なり。但だ余姚の緊切なるを覚ゆ。〔『言志晩録』第39条〕

【意訳】
「随処に天理を体認す」とは明の学者呉康斉の言葉である。同じく明の学者、湛若水(甘泉)は、この言葉を奉じて自分の主義主張を立てた。王陽明の「良知を致す」も同じく自得する行為である。ただ、陽明の言葉の方が私には緊要切実に感じる

【一日一斎物語的解釈】
人は、どんな場面からも大自然の摂理を感じることができる。そのためには、自分の心を磨き、常に実践を心がけることが緊要である。


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