今日の神坂課長は、元同僚・西郷さんと食事をしているようです。
「サイさん、相変わらず精力的に動いているみたいですね。最近は、東京とか大阪でも『論語』の会を開催しているらしいじゃないですか」
「同じ古典の勉強仲間が是非やって欲しいと言ってくれたのでね。でも、細々とやっているだけだよ」
「でも、すごいことですよ」
「神坂君、ところで営業部はしっかりまとまっているの?」
「まあ、最近は離職者もいないし、まとまっていると言ってもいいのかなぁ?」
「廣田君はどう?」
「ああ、あいつも頑張ってますよ。最近は表情も明るくなってきましたから」
「それは良かった!」
「その代わりと言ってはなんですが、私は酒の量がちょっと増えたかもしれません。『わかっちゃいるけどやめられない』ってやつですね」
「ストレスってこと? 神坂君にストレスはないでしょう?」
「失敬な! 私だって人並みにストレスくらい感じますよ!」
「これは失礼しました。ところで、さっき『わかっちゃいるけどやめられない』って言ったよね?」
「はい」
「でも、本当に分かったら行動できるはずなんだ。つまり、お酒の量が増えると体に良くないということを真に理解すれば、自然とお酒の量は減るということだね」
「じゃあ、俺は本当はわかっていないということか?」
「そうだと思うな。それが真の知行合一だよ。嫌な臭いを嗅いだら、自然と鼻を塞ぐよね。知ることと行うことの関係はそういうものだよ。『嫌な臭いがするな。これは鼻を塞いだ方がいいな』なんて考えないよね?」
「なるほど」
「もちろん、真に理解するためには、熟慮するというステップが必要だけどね。何かを学び、それについて熟慮する。そうすると自然と行動できるようになる。というステップだろうね」
「そうかぁ。俺も医療人の端くれとして、もう少しアルコールが体に及ぼす影響について考えてみようかな?」
「そうすれば、きっと酒の量も減るよ」
「そうですね、そうします! あ、オヤジ。生お替わり!!」
ひとりごと
慮らずして知る、これは例えば、身体に良くない有毒ガスを嗅いだときに自然と鼻を塞ぐということでしょう。
慮って後に得る、これは例えば、腐った魚が落ちていたら、絶対に臭いを嗅ぐことはしないということでしょう。
有毒ガスについては、それが何かが分からなくても臭いを嗅ぎませんし、腐った魚は臭いことを学んでいるので臭いを嗅ぎませんよね。
そして、知行合一とは、こうした自然に知る能力と熟慮して得た知識を合わせて、瞬時に行動できることを言うのではないでしょうか?
行動できていないうちは、真に知ってはいないのです!
【原文】
「慮らずして知る」は本体の発なり。「慮って後に得る」は工夫の成なり。知るは即ち得ること、二套有るに非ず。〔『言志晩録』第171条〕
【意訳】
深く考えなくても理解できるのは、心の本体が発露しているからである。深く考えた後に理解できるのは、修養鍛錬の成果である。知ることはそのまま得ることであって、別に二つのことが存在するわけではない。
【一日一斎物語的解釈】
知行合一とは、知れば自然と行動できるという意味である。行動できないのは、まだ真に知ることができていないからだ。