今日の神坂課長は、A医科大学の駐車場でバッタリと出会った同業Y社の赤尾さんと情報交換をしているようです。
「神坂君、F社の社長が解任されたって聞いた?」
「マジですか? 国木さんですよね?」
「そうそう、国木さんが藤山会長にバッサリやられたらしい」
「藤山会長は国木さんのことをめちゃくちゃ可愛がっていませんでしたか?」
「そうだよ、蜜月の仲と呼ばれるくらいでね。会社の運営はほとんどあの二人で決めているって、部長の川谷さんが文句を言ってたくらいだからね」
「何があったのかな?」
「さあ、詳しくはわからないけどね。ただ、ああいうワンマン経営者の寵愛を受けるというのは、かえって危険かもしれないよな。調子に乗り過ぎて、金を使い過ぎたとか、私腹を肥やしたとか、そういうことじゃないの?」
「たぶん、そうでしょうね。この後どうするのでしょう、国木さんは?」
「さあな。また、この業界で飯を食ってはいくだろうけど。ところで、神坂君。御社の社長も創業者でオーナーだよな?」
「そうですよ」
「気をつけた方がいいよ。あんまり可愛がられると、同じ目に遭っちゃうよ!」
「ウチの社長は大丈夫だとは思いますけどね。そもそも、俺はそこまで好かれていませんしね!」
「それならいいか!」
「良いのかなぁ?(笑)」
「何事も程々にするのが一番良さそうだね」
「腹八分ってやつでしょうかね」
「そうそう。毎回、腹いっぱい食っていたら、メタボになるしな。幸せの絶頂にいる時というのは、その先に大きな不幸が起こる前触れなのかもしれないぞ」
「そういう風に考えて、しっかりと七八分で満足していれば、大きな不幸は訪れないのでしょうかね?」
「うん、お互いに気をつけよう。一寸先に光があるようにね!」
「一寸先は光か。カッコいいですね!」
ひとりごと
欲望というものは、恐ろしいもので、一たび何かを手に入れると、もっと良いものが欲しくなります。
たとえば、裸足の人が最初は藁の草履を履く。
すると、次には足全体を覆う靴が欲しくなる。
それが手に入ると、次には金銀で飾られたシューズを手に入れようとする。
やはり、何事も七~八分で満足するように、自分自身を制御しないといけませんね。
【原文】
太寵(たいちょう)は是れ太辱(たいじょく)の霰(さん)にして、奇福は是れ奇禍の餌(じ)なり。事物は大抵七八分を以て極処と為す。〔『言志晩録』第200条〕
【意訳】
身に過ぎた寵愛を受けることは、大いなる恥辱を受ける前兆であり、思いがけない幸福は、予期しない禍の要素となる。物事はなんでも七~八分目くらいがちょうど良いのだ。
【一日一斎物語的解釈】
何事も七~八分目で満足すべきである。それ以上を求めると、かえって災いの元となるものだ。