一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2020年04月

第1895日 「物忘れ」 と 「忘れてはいけないこと」 についての一考察

今日の神坂課長は、相原会長とZoom飲み会の最中のようです。

「神坂君、Zoom飲み会って、やってみると楽しいね」

「そうでしょう? 私も結構ハマってます。それに何と言ったってお料理がいいですよね。ちさとママの逸品3種ですから」

「ママ自ら配達しているんだね」

「少人数の場合はですよ。この前10人程度でやったときは、配達業者さんに頼んでいました」

「いやー、このマテガイの酒蒸しは最高だね」

「これは地元産のマテガイだそうです。旨いですよね」

「このお酒とよく合うね。これはどこのお酒? ワインのようにフルーティだよねぇ」

「それも地元産の日本酒で、『醸し人九平次』という銘柄です。このお酒の醸造元は1647年に創業した老舗で、当主は代々、九平次を名乗るんだそうです」

「へぇー、知らなかったなぁ。ママは目利きだね」

「すごいおばちゃん、いや、おねえさんですよ。(笑)」

「最近は物覚えが悪くてね。新しいことを覚えてもすぐに忘れてしまうんだよね。この酒瓶を捨てずにとっておかないと、次に発注できないな」

「ははは。大丈夫ですよ、ママは覚えていますから」

「あー、そうか。ははは」

「でも人間って不思議なものでね。最近のことはすぐに忘れてしまうけど、お世話になったお客様の名前と顔は今でもパッと出てくるんだよね」

「それはすごいですね。会長が心からそのお客様に感謝をされているから忘れないんでしょうね」

「そうかも知れないね。いま起きているコロナウィルスの流行もいつかは忘れ去られてしまうだろう。でも、この時につながったご縁やいただいたご恩は絶対に忘れてはいけないよ、神坂君」

「はい。こういう時こそ既存のお客様を大切にしなければいけないと考えています!」

「それなら安心だ。しかし、ものは考えようだね。コロナウィルス感染症が流行しなければ、Zoomで飲み会をやるなんてこともなかっただろうからね」

「そうですね。これなら遠くに離れている友人ともすぐに飲み会ができますよ」

「そうか、それはいいね。僕も何人か友達に連絡してみようかな。でも、みんな高齢だから、Zoomがうまく使えるかなぁ」

「コロナが落ち着いたら、私が使い方をレクチャーしますから、しばらく私との飲み会でZoomに慣れてください」

「そうだね。神坂君、ありがとう!」


ひとりごと

小生も50歳を過ぎ、本当に物忘れがひどくなってきました。

トイレで用を足している間に「あれをやっておこう」と思ったことも、トイレを出るとすぐに忘れてしまいます。

人の名前もパッと出てきません。

しかし、自分の志や他人から受けたご恩、ご縁などは絶対に忘れてはいけません。

そのためにも感謝の気持ちをもって、心に刻みつけておく必要があります。


【原文】
人は老境に抵(いた)りて儘(まま)善く忘る。惟だ義のみは忘る可からず。〔『言志晩録』第261条〕

【意訳】
人は年を取ると、往々にして物忘れがひどくなる。ただし、自分の分を尽くすことを忘れてはならない

【一日一斎物語的解釈】
歳とともに物忘れはひどくなるが、自分が信じる道だけは忘れてはならない。


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第1894日 「年齢」 と 「慈愛」 についての一考察

今日の神坂課長は、電話でN鉄道病院名誉院長の長谷川先生と会話をしているようです。

「神坂君、わざわざ心配して電話してきてくれてありがとうね。私のところに電話したって、ひとつも商売にならないのに」

「いえ、弊社は長谷川先生にたくさんのお仕事をいただいてきました。ですから、いまこそあらためて感謝をお伝えしたいと思いまして」

「本当にありがとう。この歳になると、そういうことが本当に嬉しいんだよ・・・」

「先生、泣いているんですか? 大袈裟ですよ。(笑)」

「本当だね。なんだか涙腺が脆くなっているようだな。年齢には勝てないねぇ」

「まだまだ、先生のお仕事のお手伝いをさせてもらいますよ!」

「最近は厳しく叱ることができなくなってきてね。今は時間をずらして週に1日だけ病院に出ているんだけど、この前、当院の若い医師が、こんな時期なのにマスクもつけずに医局で会話をしていたのを見つけてね」

「それはちょっとマズいですね」

「昔の私なら烈火のごとく叱ったんだろうけど、厳しいことが言えなくなってきてね」

「叱らなかったのですか?」

「うん。指摘はしたよ。『君たち、こんなときにマスクもしない医療従事者があるかい?』って」

「優し過ぎます」

「うん、そうだよね。二人とも、すぐにマスクをつけてはくれたけどね。あそこで叱れない自分に少し落ち込んでしまったんだよ」

「私は先生が若い頃、とても厳しかったというお話が今でも信じられません。もしかして、こんな短気な私でも年齢とともにキレなくなるものでしょうか?」

「神坂君は最近よく勉強しているよね。そういう人なら絶対にそうなるよ」

「ちょっと安心しました。たまに、病棟に行くと、大きな声で看護師さんを叱り飛ばしているお爺ちゃんを見かけます。ひそかに、自分もあんな風にならないかな、と心配していたんです」

「ははは。そういう心配する人は、絶対にそういうお爺さんにはならないよ」

「そうですか。でも、まだ勉強をはじめたばかりですから、しっかり鍛錬します。厳しすぎるお年寄りには、みんな距離を置くものですよね。だれも訪ねてこない老後なんて嫌ですもんね」

「そうだね。私にはこうして電話をかけてきてくれる神坂君のような若い人がいてくれる。とても、ありがたいことだよ」

「先生、泣かないでくださいって! 明るく笑って、COVID-19を吹き飛ばしましょうよ」

「そうだね。上に立つ人間が笑顔を失ってしまっては、みんなが浮足立ってしまうからね。笑顔で、勇気を与えられる人であり続けようね、お互いに!」

「はい」

「私は、神坂君に勇気をもらったよ。本当にありがとう!」


ひとりごと

小生は2度目の転職を経て、3つめの会社に勤務しています。

今回は、今までのような鬼上司スタイルを捨てて、新たなスタイルを模索中です。

お陰様で、ちょっとしたことでイラっとすることも減ってきたように思います。

が、もしかするとそれは年齢のせいなのかも知れませんね。


【原文】
老齢は酷に失せずして、慈に失す。警す可し。〔『言志晩録』第260条〕

【意訳】
人は老齢に達すると厳格過ぎるということはなくなるが、慈愛に過ぎてしまうことがある。戒めるべきだ

【一日一斎物語的解釈】
年齢を重ねるとともに、他人に対して優しくし過ぎてしまうことがある。なにごとも度を越さないように留意すべきだ。


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第1893日 「年齢」 と 「振舞い」 についての一考察

今日の神坂課長は、新美課長と打ち合わせをしているようです。

「そういうことで、今は無理に営業をする時ではないから、既存のお客様との関係をいかに強化できるかを考えるべきだと思うんだ」

「そうですね。神坂さんはドクターともZoomを使っているんですか?」

「懇意にして頂いている先生とはね」

「やってみた感想はどうですか?」

「直接会って話すのには適わないけど、電話よりははるかに良好なコミュニケーションがとれるぞ」

「なるほど、メンバーにも話して、チャレンジしてみます」

「ところで、話は変わるんだけどさ。最近、いい歳をしたおっさんが黒いマスクをしているのを見かけるんだけど、あれはみっともないよな」

「どういう意識かにもよりますけど、もしあれがカッコいいとでも思っているなら、情けないですね」

「昨日なんか、黒マスクのおっさん3人連れとすれ違ったよ。あれは異様な光景だぜ」

「どこかに拉致されそうですね」

「やっぱり年齢相応の振舞いってあるよな。正直、若い奴が黒マスクをするのもどうかとは思うけど、おっさんはないだろう」

「若い人が良識ぶって大人の振舞いをしているのもどうかなとは思いますけど、まああれは可愛いものですよね。それに引き換え、いい歳をした大人が茶髪にしたり、黒いマスクをしたりするのは、本当に哀れでしかないです」

「そういう奴らは若い時にちゃんと遊んでないんだよ。だから、今の年齢を楽しめないんだろうな。俺は若い時に好きなだけやんちゃをしてきたから、今は40代の大人に相応しい行動をとるこに躊躇はないんだ」

「今でもやんちゃですけど・・・」

「何? なんか言ったか?」

「いや、そ、そうですよね。私も神坂さんを見習って、年齢相応の行動を心掛けますよ」

「神坂くーん、久しぶり!」

そこに相原会長がやってきたようです。

「あれ、神坂さん。会長が黒マスクをしていますよ!」

「ふぅーっ、あの人は戦後の復興期に青春時代を過ごした人だから、遊んでないんだろうなぁ」

「やぁ、新美君も元気みたいだね?」

「あ、相原課長。新美が会長にどうしても言っておきたいことがあるらしいので、聞いてあげてください。じゃあ新美、あとは頼むぞ!!」

「ち、ちょっと、神坂さん、ずるいですよ!! もー、このやんちゃおやじ!!」


ひとりごと

茶髪のおじさん、黒マスクをつけた年配のサラリーマン。

カッコ悪いです。

情けないです。

自分の年齢でしかできない着こなしや振る舞いがあるはずです。

それが一番カッコいいと思います。


【原文】
少にして老人の態を為すは不可なり。老いて少年の態を為すは、尤も不可なり。〔『言志晩録』第259条〕

【意訳】
若い人が老人のような態度をすることは宜しくない。また老いた人が少年のような態度をとることは甚だ宜しくないことである

【一日一斎物語的解釈】
人には年齢相応の振舞いが求められる。無理に大人ぶったり、若者の真似をするような行為は恥ずかしい行為だと理解してほしい。


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第1892日 「今日一日」 と 「死後の価値」についての一考察

今日の神坂課長はWeb会議ツールを使って、A県立がんセンターの多田先生と会話をしているようです。

「多田先生、こうやって営業活動ができない日々が続くと、自分は何のためにいまここにいるのかがわからなくなります」

「そうか? 俺は面倒な営業マンが近寄ってこなくなって、清々しているけどな」

「そんな寂しいこと言わないでくださいよ。たまにはこういうバカと会話するのも息抜きになるでしょう」

「これでいいじゃないか、Webで」

「先生・・・」

「考えてみろ。俺がこうやってWebを使ってまで会話する営業マンはお前くらいだ。それだけお前は特別な存在だということじゃないか。そこに気づけ、バカ!」

「なるほど! そうか、他には居ないんですか?」

「あ、ひとりいるな。K社の山本さん」

「出た! 先生もあの魔女の虜ですか? みんなあのカワイ子ちゃんにはデレデレなんだよなぁ」

「お前と違って頭も良いからな」

「K義大出身ですからね。まあ、それは置いておいて。とにかく今は直接お伺いしづらい状況なので、許して頂ける先生にはこうしてWebで仕事をさせてもらっているんです。そうでもしないと、自分の存在価値がまるでないように思えてしまうので・・・」

こういう時に日ごろの活動の成果がハッキリするんだよ。さっきも言ったが、俺はこんなWebでの会話は、日ごろ世話になっていると思っていない奴とはしない。少なくともお前は、俺にとっては欠かせないパートナーだということだ」

「うれしいお言葉です。初めてですね、そんなこと言っていただいたのは」

「面と向かってだと言いにくいけど、こうやって距離が離れていると言いやすいかもな」

「なるほど、Web会議をすることで、かえって本音が引き出せるのかも知れないな」

「今はあんまり商売っ気を出すなよ! みんなで助け合って乗り越える時期なんだからな」

「はい、承知しています」

「こういう試練は、定期的にやってくる。次の試練に向けて、日々を大切に、今日何ができるかを考えて、今日に全力を尽くすしかないな」

「はい」

「そういう日々の積み重ねが、ひとりの人間の価値となる。その価値は、死んだ後にしかわからないのかも知れないぞ」

「人間の本当の評価は、死んだ後にわかるということですか?」

「そうだ。志村けんなんて、まさにそうじゃないか。あの人は、コントを通して自分自身が笑われることに全力を尽くしてきた。だから、亡くなってみると、多くの国民が大きな喪失感を抱いたんだよ」

「爆笑問題の太田さんが、『みんなあの人の遺族みたいなものだ』と言っていました」

「俺は、ドリフのお笑いで育った世代だから、本当に遺族のように悲しいよ」

「多田先生、ありがとうございます。今日一日、何ができるかをしっかりと考えて行動します。先生もCOVID-19で大変だとは思いますが、くれぐれも体に気をつけてくださいね」

「お前もな。絶対に罹患するなよ!」


ひとりごと

遂に日本全国に緊急事態宣言が発出されました。

多くの方が通常にビジネスができずに、悶々とした状況にあるのではないでしょうか?

しかし、考えてみれば今の自分は過去の自分が作り上げたものです。

もし、今不遇ならば、それは過去の自分の一日の過ごし方に問題があったのかも知れません。

誰を責めることもできない今回のようなケースでは、矢印を自分に向けるしかないでしょう。

次なる試練のときに、笑っていられるように、今日から一日一日を大切に過ごしませんか?


【原文】
昨日を送りて今日を迎え、今日を送りて明日を迎う。人生百年此(かく)の如きに過ぎず。故に宜しく一日を慎むべし。一日慎まざれば、醜を身後に遺さん。恨む可し。羅山先生謂う、「暮年宜しく一日の事を謀るべし」と。余謂う、「此の言浅きに似て浅きに非ず」と。〔『言志晩録』第258条〕

【意訳】
昨日を見送って今日を迎え、今日を見送って明日を迎える。人間の人生は百年あろうとこの繰り返しに過ぎない。それだけに一日を大切に過ごさねばならない。一日をおろそかにすれば、醜態を自分の死後に残すことになる。大変残念なことだ。林羅山先生は「人は晩年(老人)になったなら、その日一日だけの事を考えるがよい」と言ったが、これは「なんでもない言葉のようで、実は非常に深い言葉である」と私は思う

【一日一斎物語的解釈】
人生は一日一日の積み重ねである。今日一日をおろそかにすれば、その分だけ死後の自分の価値を減じることになる。今日を大切に生きるべきだ。


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第1891日 「気力」 と 「終結」 についての一考察

今日の神坂課長は、大竹課長と喫茶コーナーで外を見ながら雑談しています。

「この微妙な距離感で、お互いに同じ方向を向いて会話をするのって不思議な感じですよね」

「家族ゲームみたいだな」

「なんですか、それ?」

「知らないの、松田優作主演の映画だよ。スマホで『家族ゲーム』って打って画像を検索してごらん」

「あ、本当だ。みんなこっちを向いて食事をしていますね。知らないですよ、こんな古い映画!」

「今はこんな感じだね」

「さらに2mの距離を空けて話しているから、我々の方が違和感がありますね。後ろから見たら、二人が互いに独りごとを言っているようにしか見えないかも?」

「ははは、たしかに。しかし、世の中は思い通りにならないもんだね。俺もこの会社で働けるのもあと数年だから、総務畑とは全然別の仕事をしてみるつもりだったのに、今回のコロナのお陰で台無しさ

「ついに営業デビュー?」

「まさか! 人材開発の仕事をしたいと思ってね。これはずっとやりたいと思ってきたことで、若いころはいつでもそっちの世界に行けるだろう、なんて思ったんだ

「へぇ、研修講師みたいな仕事ですか?」

「まあ、そうだね。ところが、総務の仕事もなかなか奥が深くてね。のめり込んでいるうちに、この歳になっちゃった」

「起業するってことですか?」

「いやいや、社内ベンチャー的にやるつもりで、ボス(西村部長)には承認をもらっていたんだよ。この1年で自分の仕事を引き継いで、来年の春くらいからボチボチやっていこうかとね」

「それが、COVID-19のお陰で流れてしまった?」

「流れてはいないけど、人と会えないから話が前に進まないんだよね。今月アポを取っていた打合せは全部延期だもん」

「そっか。でも、人生なんて、そういうものなんじゃないですか。ここで諦めたら今までの苦労も全部水の泡ですよ!」

「うん、わかってる。遠回りしたように感じるけど、総務畑でやってきたことは必ず活かせるはずだと思ってる。この会社は人材の宝庫で、いろいろ学ばせてもらったからさ。特に神坂君には!」

「どういう意味ですか! こんなノーマルな人間をつかまえて、よくそんなことが言えますね!」

「どの口がそんなこと言ってるんだよ! 君とか大累君が発端となって出来上がった社内ルールは両手じゃ足りないくらいあるんだよ。でも、そんな二人も課長になった。そういう経過を見てきたことは、今後に十分活かせると思う」

「俺たちが良いサンプルになったわけですか? たしかに、タケさんにはいろいろ世話になりました。残り少ないですけど、これからもよろしくお願いします」

「残り少ないとか言わないでよ。とにかく、『百里を往く者は九十を半ばとす』なんて言葉もある。ここからが自分の仕事の総仕上げだ。きっとこれからもいろいろな壁が立ちはだかるだろうけど、最後は人材開発の仕事がしたいんだ。頑張るよ!

「応援しますよ。いつでも、タケさんのモルモットとして、実験に応じますから」

「ほんと? じゃあ、さっそくひとつお願いしてもいい?」

「どうぞ。タケさんの頼みとあらば!」

「実は禁酒の実験をしたいんだけど・・・」

「あ、タケさん、時間だ、出掛けないと。話はまた今度ね!!」


ひとりごと

歳をとると、様々な経験を重ね、ポジティブさを失って守りに入ってしまいがちです。

しかし、何事も最後をどう終えるかが重要であり、そのためにはそこを打開していく必要があります。

50歳を超えると人生の集大成を意識し始めます。

自分の人生を80年とするなら、90%にあたる72歳まではチャレンジを続けなければいけないということですね!


【原文】
余、少壮の時、気鋭なり。此の学を視て容易に做す可しと謂(おも)えり。晩年に至り、蹉跎(さだ)として意の如くなる能わず。譬えば山に登るが如し。麓より中腹に至るは易く、中腹より絶頂に至るは難し。凡そ晩年為す所は、皆収結の事なり。古語に「百里を往く者は九十を半ばとす」と。信(まこと)に然り。〔『言志晩録』第257条〕

【意訳】
私は若い時分は元気旺盛であった。そこで儒学などは容易に理解できると思っていた。然し、晩年になると事毎につまづいて思うようにならぬ。それはあたかも山に登るときのようである。山麓から中腹に至るまでは容易であるが、中腹から頂上に登ることは困難である。すべて晩年になってから為す事はみな人生の締めくくりであるから、登山同様困難である。古人の語に「百里の道を行く者は、九十里をもって全行程の半分行ったものとする」とあるが、まったくその通りである

【一日一斎物語的解釈】
若いころは気力も体力も充実しており、なんでもできると思っていたが、年齢を重ねるにつれて、何事も自分の思い通りにはならないことに気づかされる。物事は、いかに締めくくるかが重要であり、百のうち九十まで進めてようやく折り返しだと思うくらいでちょうど良い。


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第1890日 「立志」 と 「第一歩」 についての一考察

今日の神坂課長は、佐藤部長の部屋に居るようです。

「家にずっといたので、昨日は『言志四録』を読みながら、ひとりで考えごとをしていました」

「そういう時間も大切だよ」

「昨日一番考えたのは、物事を完結させることについてでした。実は、完結というのは不可能なのではないか? そんなことも考えました」

「そうだね。100点を取ろうとすることは大事だけど、実際には100点は取らない方が良いのかもしれないよ」

「なぜですか?」

「人はすぐに驕ってしまう生き物だからね。99点なら、あと1点何が足りなかったのかと考えて努力するでしょ?」

「なるほど」

「でも、物事を上手に完成させるためには、やっぱり最初が肝心だろうね」

「最初?」

「そう、なぜそれをやるのかが明確になっていること。そして、どう進めていくか、そのやり方がハッキリと見えていること。この2点がすごく重要なんじゃないかな?」

「たしかにそうですね。思いつきで始めたようなことは長続きしませんよね」

「ほかに興味が移ると、途端にやる気がなくなってしまうよね。そんなことでは、物事は完結できない。だから、なぜそれをやるのか? つまり、そこに志があるかどうかが重要なんだ」

「たしかに長く続いていることというのは、なぜそれをやるかの目的が明確ですね」

「そして、やり方だね。せっかく志がしっかりしていても、本来の方向と違う方向に突き進めば進むほど、かえってゴールは遠のいてしまう」

「最初のスタートを誤ると、一所懸命であればあるほど、かえって目指すゴールにたどりつけなくなってしまうんですね?」

「そうだね」

「そういうことかぁ。まず、志を立て、最初の一歩をどこに踏み出すかを明確にする。そのあとは、根気とねばりで継続させる。それが、完結へのステップなんですね」

「そういう意味では、神坂君が最初に言ったように、完結させることは難しいのかも知れないね」


ひとりごと

昨日に続き、物事の完遂についての章句です。

なぜそれをやるのかを決めること、そしてどこに第一歩を踏み出すか。

この2点が最初が肝心だということの意味だと、小生は理解しています。

ところで、人生も果てしないレースです。

果たして小生の志はゆるぎないものか?

踏み出した第一歩は間違った方向ではなかったのか?

その答えは人生の最後にしかわからないのかも知れません。


【原文】
収結は固(も)と難しと為す。而れども起処(きしょ)も亦慎まざる容(べ)からず。起処是(ぜ)ならざれば、則ち収結完(まった)からず。〔『言志晩録』第256条〕

【意訳】
物事を完結させることは勿論難しいことであるが、物事の始めも慎重に進めなければならない。始めが正しくなければ、終りを全うすることは不可能である

【一日一斎物語的解釈】
物事を完遂するには、最初(動機と始め方)が肝心である。

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第1889日 「初起」 と 「収結」 についての一考察

今日の神坂課長は、Stay at Home を厳守して、自宅で考えごとをしているようです。

「よし、今日はこの章句だ」

『言志四録』のページを適当に選んだようです。

「『凡そ事、初起は易く、収結は難し』か。これはその通りだな。営業の世界もそうだ。誰だって営業の門を叩くことはできる。でも、全員が営業人として一生を全うできるわけではない。まして、好成績を挙げられるのは一握りの人材だ」

大きめのマグカップに、たっぷりと淹れたお気に入りのマンデリンを一口飲んで、また考えています。

「考えてみれば、仕事も芸術もスポーツもみんなそうだろうな」

「まてよ、日本にはこれと正反対のものがあるな。大学受験はめちゃくちゃ大変で、浪人してまで入学する奴がいるというのに、卒業するのはそれほど難しくない。ほとんどの学生がふつうに卒業できるじゃないか。だから、大学の教育はその後の人生に直結しないんだろうなぁ」

遊び呆けた学生時代を思い出して苦笑しながら、またコーヒーを流し込んだようです。

「そもそもどんなことでも完結なんかできないんじゃないのかな?」

「そういえば、完璧というのは、まったく傷がない璧(たま:古代の宝物)のことを言うんだと、サイさんに教えてもらったな。実際には、そんなものはこの世にはない。つまり完璧というのも目指すべきものであって、なれるものではないんだ」

「完結も同じなんだろうな。完全に全うして終わることはできない。ただ、それを目指して鍛錬を続けるしかないんだ」

パソコンに目をやると、Facebookには各人がコロナウィルス関連のコメントを次々に書き込んでいるようです。

「だけど、コイツだけは収束させてほしい。できることなら、この病気を完結させてもらいたい。スペイン風邪みたいに絶滅させたいよな」

コーヒーを一気に飲み干して、目を閉じました。

「今、俺たちにできることは家にいること。そして、家で祈ることだ。また、ちさとママのところで、みんなで爆笑しながら大声をあげて酒を飲める日が一日も早く戻ってくるように、祈り続けよう」

本を閉じ、書斎に飾った薬師寺のお札に祈りを捧げたようです。

「さて、午後からは競馬中継を楽しみながら、小遣い稼ぎをするとしよう!」


ひとりごと

森信三先生は、名著『修身教授録』の中で、物事をやり遂げるには、まず強い「意志」が必要だとしています。

しかし、意志だけでは停滞期がやってくるので、その際には「根気」が必要だとしています。

ところが、根気をもって続けても、また気持ちが緩んでくる。

この時には、精神的にも飽きがきているので、なかなか大変であり、ここで重要になってくるのが「ねばり」だと言っています。

何事も、「意志」と「根気」と「ねばり」で、完結を目指しましょう。

決して、完結することはないことを理解しつつ。


【原文】
凡そ事、初起は易く、収結は難し。一技一芸に於いても亦然り。〔『言志晩録』第255条〕

【意訳】
すべて物事というものは、始める際は比較的容易に進められるが、完結させることは難しい。これは技術や芸事においても同様である

【所感】
物事を最後まで完結させることは容易ではない。


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第1888日 「先祖」 と 「祈り」 についての一考察

今日も神坂課長は、大累課長・新美課長とZOOMで飲み会をしているようです。

「それにしても、まったく先が見えないですよね」
新美課長がため息をついています。

「ニュースを見て思うけど、やっぱり中小企業はテレワークを導入できないんだよな。ウチもそうだけど」
大累課長も神妙な表情です。

「そうなると接触を8割減らすというのは、相当厳しいよな」
神坂課長です。

「特に担当を持っているメンバーは、納品もあるので、病院へ行かないわけにいかないですからね」

「新美の言う通りだよ。せめてウィルスを持ち込まないこと、感染媒体にならないことに気を遣うことくらいしかできないんですかね、神坂さん?」

「俺、最近ずっと思うことがあるんだけどさ。これはご先祖の怒りなんじゃないのかな?」

「は? 神坂さん、自宅にひきこもっているうちに頭がおかしくなったんじゃないですか?」

「やかましいわ! 俺は正常だよ」

「神坂さんの正常というのは、我々から見たら異常なわけで・・・」

「新美、お前次に会ったときは、キ○タマを引っこ抜くからな!!」

「大累さん、やっぱりZOOMは良いですね」

「だろう。(笑)」

「大累や新美は先祖のお墓参りをしているか? 俺は最近まったくできていない。兄貴にお線香をあげにも行っていない。みんな自分のことばかり考えて、今俺たちがあるのはご先祖のお陰だということを忘れてしまっているんじゃないかな?」

「本当に大丈夫ですか? 神坂さんの発言とは思えないんですけど」

「たしかに私もお墓参りができていないです」

「新美、そうだろう? この危機的状況を乗り越えるのは、宗派を超えた祈りなんじゃないのかな」

「世界中の人々が自分の先祖や先人たちに感謝をささげるべきだということですね?」

「なんだよ、新美まで。なんだかスピリチュアルの世界に入ってませんか、二人とも?」

「俺は大真面目だぜ。先祖を思い、先祖に感謝して、これからの世の中が平和であるように祈りをささげるべきだと思う。別に墓参りなんかしなくてもいい。自宅で祈ればいいと思う」

「ウチはに仏壇があるので、今日から朝晩、祈りを捧げます」

「俺も昨日から朝晩祈っているんだ。これまでの無沙汰を詫びて、そして力を貸して欲しいってな」

「二人ともマジですか? そんなことで解決しますかね?」

「それはわからない。でも、家でできることのひとつに祈りがあると俺は思うんだ」


ひとりごと

小生は仏像鑑賞が好きでよく寺院を訪れています。

しかし、COVID-19のために、最近はお寺にも行けません。

そして、お寺に行けなくなってみて、かえって祈りの大切さに気付かされました。

もちろん、神様仏様に祈りを捧げることも重要ですが、それと同じく先祖への祈りも必要なのかも知れません。

自宅でできることのひとつとして、祈りを捧げませんか?


【原文】
後図は宜しく奉先に在るべく、孫謀(そんぼう)は念祖に如くは莫し。〔『言志晩録』第254条〕

【意訳】
後の世まで残る計画は、まず先祖を大切にすることにあり、子孫のためにする謀(はかりごと)は、祖先を想うことに勝るものはない

【一日一斎物語的解釈】
今の自分があるのはご先祖様のお陰であることを忘れてはならない。


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第1887日 「土地」 と 「文化」 についての一考察

今日の神坂課長は、大累課長・新美課長とZOOMで会話をしているようです。

「ステイ・アット・ホームが合言葉になっているし、A県も緊急事態宣言が出たし、たまにはこういうのも良いだろう」

「そうですね、昼から酒を飲みながら語り合うのもアリですね」

「マジか大累、お前酒を飲んでるのか?」

「ほら」

大累課長が缶ビールを画面に大写しにしたようです。

「ちょっと待ってろよ、俺も取ってくる。新美も飲めよ」

「じゃ、そうします」

3人ともお酒を準備して、再開したようです。

「この4月に俺の東京の友人がN市に転勤で移ってきたんだ。そいつが言うんだよ。こっちのメシは味が濃すぎるし、旨くないって」

「失敬な人ですね!」

「だよな。特にステキヤラーメンは最悪だ、化学調味料の味しかしないって言いやがった」

「あれは私たちのソウルフードですからね。東京の人にはわかってもらえなくても良いですよ!」

「お、新美も怒ってるな。だから、俺も言ったんだ。郷に入っては郷に従えって。これがこっちの味だ。ここで生活するなら文句を言わずにこの味に慣れろってよ」

「そのとおり!」

「川本屋の味噌煮込みうどんは、なんであんなに硬いんだとも言ってた。しかし、実は俺もそれはそう思う。俺は川本屋よりまじめ屋の方が好きだな」

「私もまじめ屋のうどんの方が適度にコシがあって好きです」

「あ、新美もか? 川本屋はちょっと硬すぎるよな」

「それに高いです。一杯1,500円以上しますから」

「だよな。とにかく、その土地に住むならその土地の文化に慣れるべきだよね。食も立派な文化だからな」

「そうですよ。そういうことを言っていると、土地の神様に受け入れてもらえませんよね、きっと」

「そうだ! 現にこの俺様が許さないからな」

「いよっ、N市のカミサマ!」

「てめぇ、大累。今度会ったらぶん殴ってやるからな」

「いやー、ZOOMはいいな。暴力的な先輩に叩かれずに、好きなことが言える。酒が旨いわ!」

「ムカつく奴だ。ビールは終了だ。昨日届いた、ちさとママ推薦のとっておきの日本酒をとってくる!」

「大累さん、あんまりいじらないでくださいよ。今度会うとき、私までとばっちりを食うのは嫌ですから!」

「大丈夫だよ。最後におだてておけば、簡単に木に登る男だから」

「俺はサルか!!」

「え、神坂さん、いたの? 画面に映ってないじゃん」

「お前らが陰口をきくだろうと思ったから、画面から外れて音を聞いていたんだよ!」

「か、神坂さん、じゃあ聞いていましたよね。私は何も悪口は言ってませんでしたよね?」

「『とばっちりって言ってたような気がするけどなぁ」

「・・・」


ひとりごと

今日の章句は、物語に変換するのがかなり難しかったので、拡大解釈をしてみました。

あたらしい土地に住む場合、やはりその土地の文化や風習に従うべきですよね。

自分の住んでいたところとの違いに文句を言うのではなく、その違いを楽しむべきなのでしょう?

しかし、実はこの物語の東京から越してきた友人の言葉は、小生がよく口にしていた言葉なのです。

猛省!!


【原文】
吾が家の葬祭は、曾祖以来儒式を用う。但だ遺骸は僧寺に托す。国法に従うなり。既に之を托すれば、礼敬せざるを得ず。儒者多く僧寺を疎遠にするは、是れ祖先を疎んずるなり。不敬なること甚だし。〔『言志晩録』第253条〕

【意訳】
我が家の葬式は、曽祖父以来儒教の形式を用いてきた。ただし、遺体は寺に託した。国の法律に従ったものだ。遺体を寺に託した以上、これを礼拝し尊敬しない訳にはいかない。ところが、多くの儒者が寺を疎んじているのは、自分の祖先を疎んずることになる。不敬極まりないことである

【一日一斎物語的解釈】
郷に入っては郷に従うべきである。その土地のしきたりに逆らうことは、土地の神や祖先に対する不敬の行為ともいえるのだ。


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第1886日 「吉凶」 と 「心」 についての一考察

今日の神坂課長は、『季節の料理ちさとのちさとママが主催するオンライン飲み会に参加しているようです。

「ママ、実物よりディスプレイを通して見た方が若く見えるね」

「ふふふ、そうでしょう。実はちょっとデコレーションしたの」

「マジで?」

「首筋の皺を消して、ほうれい線も浅くしてみた」

「女はいくつになっても、若く見られたいんだね」

「ええ、そうよ。ババアで悪かったわね」

「そこまでは言ってないけどな。それはババアのひがみだよ!」

「ほら、いまババアっていったじゃない!!」

「ははは。神坂さん、相変わらず口が悪いねぇ」

「仲本君のいうとおり! 神坂君ってデリカシーがないのよね。だから女性にモテないのよ、きっと」

「ママ、実はそうでもないよ。この毒舌が大好きっておねぇちゃんもいるんだぜ」

「あら、マニアックな子ね」

「ははは」

「楽しいなぁ。こんなに笑ったの久しぶりだわ。皆さん、このお店のためにいろいろと考えてくれて、そしてこんな飲み会にも参加してくれて、本当にありがとうございます。ぐすっ」

「なんだよ、ママ。さっきまで笑ってたと思ったら、今度は泣いてるの? 更年期の症状が半端ないね!」

「神坂、黙れ!!」

「は、はい。失礼しました。ママが怒ると怖いなぁ。小学校時代の鬼ババ先生を思い出す」

「神坂君」

「なに?」

「ありがとうね。今回のことがあって、私はかえってこのお店を続けてきて良かったなと思えているの」

「そうだよ、ママ。人生にはいろんなことがあるけどさ。その出来事を嫌な事だと思えばそうなるし、ポジティブに考えれば、こうやって新しいやり方を発見できるんだよね

「うん。やっぱり何ごとも心の持ちようね。どんな辛いことがあっても笑いに変えてしまう神坂君は素敵だなと思うよ」

「ホント? ちょっと惚れ直した?」

「それはない!」

「がくっ。ちょっと皆さん、これが魔性の女ちさとの正体ですよ! 気をつけましょうね」

「よっ、名コンビ。二人の会話はまるで漫才だよ。めっちゃ笑える。俺たちも、こんなに笑ったの久しぶりかもな。ママの料理も久し振りに食べることができたし、今日は最高ですよ!!」

「高山君、ありがとう。なんか泣ける」

「ママ、そろそろ時間だね。今日もおいしいお料理をありがとう。お薦めのお酒もおいしかった! 皆さん、楽しい時間でしたね。ママに感謝の拍手を送りましょう!!」

「パチパチパチパチ」

「神坂君、皆さん、ありがとう。そして、これからもお店をよろしくね!」


ひとりごと

現在の新型コロナウィルス感染症の猛威は、普通に考えれば最悪の出来事です。

オリンピックも延期となり、様々なスポーツも中止もしくは無観客での開催を余儀なくされています。

そして、非常事態宣言によって、一部の会社も休業要請を受けています。

しかし、一斎先生が言うように、吉凶は心の持ちようなのかも知れません。

一件、凶事にみえるこの出来事を、みんなの知恵と勇気と行動で吉事に変えてしまいましょう!!


【原文】
人情、吉に趨(おもむ)き凶を避く。殊に知らず、吉凶は是れ善悪の影響なるを。余、改歳毎に四句を歴本に題し、以て家眷(かけん)を警む。曰く、「三百六旬、日として吉ならざるは無し。一念善を作(な)さば、是れ吉日なり。三百六旬、日として凶ならざるは無し。一念悪を作(な)さば、是れ凶日なり」と。心を以て歴本と為せば可なり。〔『言志晩録』第252条〕

【意訳】
吉に向かい凶を避けようとするのが人情というものである。ところが人は、吉凶というものは人の行動の善悪の結果であるということを理解していない。私は年が改まるたびに、次の四句を暦の本に書いて、一族の戒めとしている。その内容とは「三百六十五日、一日として吉でない日はない。思い立って善を行なえば、それが吉日である。三百六十五日、一日として凶でない日はない。心にふと悪を生じてこれを為せば、それが凶日である」というものだ。このように吉凶は自分の心にあるのだから、心をもって暦の本とすればよい

【一日一斎物語的解釈】
客観的な吉凶などというものはない。吉凶とは心の持ちようで決まるものである。


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