一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2020年05月

第1926日 「夢中の自分」 と 「覚醒の自分」 についての一考察

今日の神坂課長は、寝不足気味のようです。

「あれ、神坂君。どうしたの、ボ~っとして?」
佐藤部長がそばを通る際に声をかけたようです。

「実は、昨日変な夢を見ましてね。途中で目が覚めて、また寝ると同じ夢をみる、ということのくり返しで熟睡できなかったんです」

「どんな夢をみたの?」

「それが、ちょっとお恥ずかしいのですが、なぜか夢の中では私はプロ野球選手でしてね」

「ぷっ」
そばにいた石崎君が噴き出したようです。

「クソガキ、笑うな! それで、いつもチャンスの場面で打順が私に回ってくるんです。いつもはカモにしている投手なのに、その日はなぜかまったく打てない。バットにすら当たらない。そんな夢でした」

「子供の頃はプロ野球選手を夢見ていたんだよね?」

「はい。小学校六年生のときの作文にそう書きました。イチローは見事に夢を叶えましたが、私は・・・」

「ははは。イチロー選手と比べたら、誰だって適わないよ。でも、その夢にも何か意味がありそうだね」

「え? そうですかねぇ?」

「一斎先生は、夢の中の自分も自己だ、と言っているからね」

「たとえば、こういうことじゃないですか?」
石崎君が横から口を挟んだようです。

「なんだよ、俺の話を盗み聞きするなよ!」

「普通に聞こえてくるんだから仕方ないじゃないですか。その夢のポイントは、いつもは打っているピッチャーなのに、その日は全然打てない、というところじゃないですか?」

「どういうことだよ?」

「たとえば、いつもウチから医療機器を買ってくれているからと安心しているお客様が、実は他社の魅力的な提案を受けて、浮気することを考えているとか!」

「おいおい、やめてくれよ。なんだか、それっぽいじゃないか。(笑)」

「石崎君、鋭いね。神坂君の魂がその波動をキャッチして、夢でアラートを出してくれているのかもね」

「部長まで勘弁してくださいよ。そんなガキの言うことなんか、当たるわけないじゃないですか!」

「そうかなぁ? なかなか鋭いと思うけどな」

「馬鹿らしい。あ、そうだ、ちょっと思い出したことがあるので、出掛けてきます」

「いってらっしゃい」

「部長、どうみても、神坂課長には今の話に心当たりがありそうですね。(笑)」

「間違いないよ。ほら、上着を忘れて出かけているからね。なにかピンと来るものがあって、慌てて飛び出した感じだね。(笑)」


ひとりごと

ユングは夢分析をして、無意識の働きを意識的に解明しようと試みました。

自分にまったく無関係な夢を見ることはないと考えれば、一斎先生の言うように、夢の中の自分もまた真の自己なのかも知れません。

孔子は、若いころ夢に見続けた憧れの人・周公旦のことを、晩年は夢見ることがなくなったと歎いています。

夢が語るメッセージに耳を傾けてみませんか?

それにしても、最近の小生は、夢すらみた記憶がありません・・・。


【原文】
夢中の我れも我れなり。醒後の我れも我れなり。其の夢我たり醒我たるを知る者は、心の霊なり。霊は即ち真我なり。真我は自ら知りて、醒睡(せいすい)に間(へだて)無し。常霊常覚は、万古に亘りて死せざる者なり。〔『言志晩録』第292条〕

【意訳】
夢の中の自分も自己である。目覚めた後の自分も自己である。夢の中の自分と目覚めた後の自分とを理解することは、心の霊妙なはたらきである。霊とはすなわち真の自己である。真の自己はどちらも自己であることを知っているので、醒めているか夢の中かにとらわれないのだ。真の自己は常に霊であり常に知覚しているので、永久不変に絶えることのないものである

【一日一斎物語的解釈】
夢の中の自分もまた真の自分なのかも知れない。夢が伝えるメッセージに真摯に耳を傾けるべきだ。


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第1925日 「生への執着」 と 「安らかな死」 についての一考察

神坂課長が喫茶コーナーでがっくりと肩を落としている雑賀さんを見つけたようです。

「あれ、雑賀。どうした? 背中が泣いてるぞ」

「背中だけじゃないです」

「おお、目が真っ赤じゃないか? また大累にイジメられたのか?」

「子供じゃないんですから、からかうなら向こうに行ってください!」

「わかった、わかった。ゴメン、謝るよ。で、どうしたんだよ?」

「ずっと世話になってた伯父が亡くなったんです」

「そういえば、昨日休んでいたな」

「はい。私の父親の代わりみたいな人で、本当に世話になったんです」

「お母さんのお兄さんか?」

「はい」

「それは辛いな。よく会社に出てきたな」

「2日も休めませんから」

「そうか。でも、無理はするなよ。そんな目で運転したら、また事故を起こすぞ!」

「『また』は余計ですよ!」

「ナイスツッコミ!!」

「課長、からかうのなら・・・」

「あー、ゴメン。わかってるって!」

「ただ・・・」

「何だよ?」

「死に顔がとても穏やかだったんです。今までにあんな死に顔を見たことがないですよ。なんて言うのかな、悔いが一点もない顔というか・・・」

「人生を生き切ったんだな」

「え?」

「人生を精一杯生き切った人なんだよ。だから、天からのお迎えを素直に受けれたんだ。すごい人だな、お前の伯父さん」

「小さな乾物屋を夫婦二人で経営していたのですが、伯母は5年前に亡くなりました。一時は落ち込んでいましたが、それでも周りの人から店を続けてくれと懇願されて続けていたんです。最近は、続けてきてよかったとよく言っていました」

「そして、やり切ったんだ。これで胸を張って天国で奥さんに会えると思ったんじゃないかな? お前もそうだろうけど、俺たち凡人は死ぬのが怖いよな。なるべく長く生きたいと思ってしまう」

「そのとおりです」

「でも、死にたくないとかもっと生きたいと思うのは、生への執着だ。逆に言えば、死にたいと思うことも生への執着だと思う」

「・・・」

「人間、どうせいつかは死ぬんだから、生きている間だけしっかり燃焼すれば良いんだよ」

「たしかに、死ぬのは嫌だと言ったところで、それは避けられないし、そもそもいつ死ぬかもわからないですもんね」

「そうだ。俺たちはまだ生かせてもらえるようだ。だから、毎日を精一杯、泣いて、笑って、生きていこう!」

「課長、ありがとうございます。今日の神坂課長はカッコいいですね!」

「そうだろう?」

「でも、私はいつもの暴言を吐きまくっている課長の方が好きですけどね!」

「なんだよ、それ!!」


ひとりごと

凡人である小生は、いまでも生への執着から完全に逃れることはできていません。

50歳を超えると、さすがに死というものを身近に感じるようになりますが、それと共に死への恐怖は薄くなっていく気もします。

遺された人生をどう生きるかだけしか、自分が自由にできることはないのです。

精一杯生き抜いてみます!


【原文】
生を好み死を悪(にく)むは、即ち生気なり。形に牿(こく)するの念なり。生気已に徂(ゆ)けば、此の念を并(あわ)せて亦徂く。故に天年を終うる者は、一死睡(ねむ)るが如し。〔『言志晩録』第291条〕

【訳文】
生きることを好み、死ぬことを嫌うのは、生きようとする気持ちがあるからである。それはつまり形にとらわれているのである。生きようとする気持ちが無くなれば、形にとらわれる気持ちも一緒に無くなってしまう。したがって、天寿を全うした人は、まるで眠っているかのように安らかに死ぬことができるのだ

【所感】」
生きたいという気持ちも死にたいという気持ちも生への執着である。安らかな死を迎えたいなら、生への執着を捨てることだ。


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第1924日 「やりがい」 と 「生きがい」 についての一考察

今日の神坂課長は、仕事帰りに「季節の料理 ちさと」を訪れたようです。

「こんばんは。ママ、お客さんの入りはどう?」

「あ、神坂君。うん、お陰様でご覧の通りです」

「おお、ほぼ満席か。とはいっても、椅子の感覚を広くしているから、以前の6~7割ってところかな」

「いいの、いいの。こうやってお客様と会話できるのが生きがいなんだから」

「生きがいか。俺の生きがいって何だろう。あ、とりあえず生をひとつね」

しばらくして、ちさとママが生ビールとおつまみセットを運んできました。

「おお、今日は揚げ出し豆腐か、美味しそう。いただきます!」

「お味はいかが?」

「さすがです、この繊細な味付けはママにしか出せないね! そういえば、さっきの生きがいの話だけどさ。一斎先生は、人の一生は海水から水を汲んで、また海に返すようなものだ、と言っているんだ」

「天から命をお借りして、最後は天にお返しするという考え方と同じね」

「ああ、そうだね。その汲み上げられた海水は、どんな使命を果たして海に帰っていくのかなぁ」

「いろいろじゃない? 海水から真水をつくることもあれば、塩を精製することもできるし、海産物の飼育に使うかも知れない」

「そうか、人間と同じで千差万別か。俺も世の中のお役に立ってから、海に帰っていきたいなぁ」

「今の仕事はとても重要な仕事じゃない? 医療に関わっているんだから」

「まあね。末席に座らせてもらっている感じだけどね」

「あら、神坂君でもそんな謙虚なことが言えるのね」

「相変わらず客に対して失礼な店主だな。俺だっていつまでも馬鹿なことばかりはやってられないよ」

「失礼しました。私は思うんだけどね。結局、どんな仕事をしようとも、そこでどれだけ自分を磨けるかが大切なんだと思うよ」

「何をやるかより、いかにやるかが重要ってことか?」

「うん。なるべく自分を後回しにして、利他の心で仕事をすれば、それだけ人は磨かれていくんだと思うの」

「そこだよね。スーパー自己中だった俺にとっての最大の課題だ!」

「仕事に生きがいを感じるようになれば、自然と自分を後回しにできるよ」

「なるほどな。俺は今の仕事にやりがいは感じていたけど、まだ生きがいを感じるところまで行ってないんだな」

「誰かのお役に立てていると思うと、生きがいが芽生えるよ。神坂君の仕事は、たくさんの人の健康な生活に貢献しているんだから」

「そういう意味では、もちろんドクターや患者さんから直接感謝されるのは嬉しいけど、自分の課のメンバーが、成長していくのを見ることが一番嬉しいかも知れない」

「神坂君って、根っからのマネージャーなのかもね?!」


ひとりごと

天からお借りしたこの命をいかに燃焼し切れるか。

これが人生の課題でしょうね。

最後まで燃え尽きることができずに、途中で火が消えてしまったローソクのようにならないためにも、今やるべきことに力を尽くすしかありません。


【原文】
海水を器に斟(く)み、器水を海に翻(かえ)せば、死生は直ちに眼前に在り。〔『言志晩録』第290条〕

【意訳】
海水を器に汲み、その器の水を海に返せば、そこに死生の道理をみることができる

【一日一斎物語的解釈】
死生とは海水から水を汲み、また海へと返すようなものだ。


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第1923日 「逆境」 と 「安楽」 についての一考察

今日の神坂課長は、オンラインでの読書会に参加しているようです。

「いまはまさに、世界中が逆境の中にありますね。苦しいのは自分だけではありません。この逆境の中にいかに楽しみを見いだせるかが、人生を生き切る上で重要な課題となるのです」
主査の西郷さん(神坂課長の元同僚)がまとめています。

「逆境の中に楽しみを見つける。言葉としてはカッコいいですが、実際にはかなり難しくないですか?」
神坂課長のツッコミです。

「そのとおりです。しかし真の成功者と呼ばれる人は、皆さん大きな苦難を乗り越えています。西郷南洲翁はこんな言葉を詩にしています。『雪に耐えて梅花麗し』と」

「どういう意味ですか?」

「梅の花というのものは、雪の降り積もる厳寒の冬を越えたからこそ美しく咲くのだ、という意味だね」

「なるほど。いま、世界中が寒い冬を迎えているということか」

「乗り越えましょう。それもできるだけ楽しんで!」

「サイさん、やっぱりどうしても肚に落ちないのが、苦労を楽しむという点です。たとえば、『論語』には顔回という人が出てきますよね?」

「うん。極貧の中に生きた高弟だね」

「でも、結局彼は餓死のような形で若くして亡くなっていますよね。それで幸せだったと言えるのかなぁ?」

「顔回という人は、決して貧乏そのものを楽しんだわけではないよ」

「え、そうなんですか?」

「彼は貧しい生活の中でも、学ぶ楽しさを忘れなかった人なんだ。つまり、私が言いたいのは、逆境そのものを楽しむのではなく、逆境の中に自分を磨く楽しみを見つけようということなんだ」

「ああ、なるほど」

「それに、長く生きることが幸せの条件だろうか? どれだけ生きても死ぬときに後悔して死ぬようでは、充実した人生とは言えないのでは?」

「おお」

「人生の価値はどれだけ長く生きたかではなく、どれだけ深く生きたかで決まるんだよ」

「顔回の一生は、学びに徹した充実した一生だった?」

「私はそう思う。充実した人生を送った人は、死に際して後悔がない。だから、すがすがしく天寿を受け容れることができるんだろうね」

「いやー、参りました。自分が死ぬときにそんな気持ちになれるかな? 今のままだととても無理です。日々後悔の連続ですから。昨日も晩飯の後に、ポテチを食べて後悔しました」

一同大爆笑です。


ひとりごと

苦中楽あり、という言葉があります。

これは、苦労そのものを楽しめという意味ではないでしょう。

苦の中に自分を磨く楽しみがある、小生はそう理解しています。

まだまだ新型肺炎の禍が過ぎ去ったわけではありません。

この逆境の中に、いかに自分を磨く楽しみを見つけられるか。

きっとその楽しみが、いつの間にか逆境からその人を救ってくれるのだと信じています。


【原文】
労佚(ろういつ)は形なり。死生は迹(あと)なり。労の佚たるを知らば、以て人を言う可し。死の生たるを知らば、以て天を言う可し。〔『言志晩録』第289条〕

【意訳】
苦労と安楽は形であり、死生は跡であって、どちらも現象は違えど根本は同じものだと見ることができる。苦労がそのまま安楽につながることを知れば、人事を悟ったということができる。死が生であることを知れば、天を悟ったということができる

【一日一斎物語的解釈】
逆境の中にこそ自分を磨く楽しみがある。こうして苦中に楽を見いだせれば、死は生の終着点であることを悟ることができる。


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第1922日 「ポジティブ」 と 「ネガティブ」 についての一考察

今日の神坂課長は、久しぶりにいきつけの喫茶店に顔を出したようです。

「マスター、また個室を借りたいんだけど、空いてる?」

「おや、神坂さん。久しぶりだねぇ」

「ごめんね。なるべく外出を控えていたからさ」

「お気になさらず。個室はちょうどさっき1室空きましたよ。注文はいつものでいいですか?」

「ありがとう。あ、そろそろアイスコーヒーにしようかな?」

「承知しました」

神坂課長は個室に入ったようです。

「COVID-19の蔓延のせいで、なんだか死について考える機会が増えた気がするな。昨日もちさとママがお店を閉めるのは、死の疑似体験だみたいなことを言ってたし」

運ばれてきたアイスコーヒーを一口飲んで、もってきた『言志四録』をパラパラとめくり始めたようです。

「やっぱり晩年の一斎先生のコメントには、生死に関するものが多いな。あー、ここにも出てる」

「『無は無から生じるのではなく、有から生じるものだ。同じように、死も死から生じるのではなく、生から生じるのだ』。なるほど、それはそうだなぁ」

「そういえば、以前に部長に、人間が生まれてきたことに意味があるのかって質問したことがあったな。そのとき部長は何て言ったっけ?」

古いメモ帳をめくり返しています。

「あー、あった。『意味があるのかどうかはわからない。しかし、せっかく生まれてきた以上は、自分で意味を見つける方が良いのではないか』。うーん、事実はどうかわからないけど、ポジティブに考えろってことだな」

「この世に生まれてしまった以上は、いつかは必ず死ぬんだ。それなら、生きている間に自分の存在意義を見つけないと面白くないよな。ところで、俺の存在意義って何なんだろう?」

しばらく考え込んでいるようです。

「まぁ、すぐには見つからないか。この40代を真剣に生きれば、50にして天命を知ることができるかな? そう信じてみよう」

「よし、思考タイムは終了だ!」

神坂課長は、iPhoneに取り込んだ、踊ろうマチルダ(注:アーチストの名前)の『新しい夜明け』というアルバムを聴き始めたようです。

「そういえば、踊ろうマチルダとしての活動を終了するってホームページに出ていたな。マチルダも一旦死を迎えるわけか。彼が次にどんなアーチストとして新しい生を迎えるのかにも期待しょう!!」


ひとりごと

生がある以上、必ず死があります。

これは不易の世界です。

しかし、その生をどう生きるかについては、変易、つまり自ら変えることができるのです。

それなら、ネガティブに生きるより、ポジティブに生きる道を選びましょう!!


【原文】
無は無より生ぜずして、有より出ず。死は死より死せずして、生より死す。〔『言志晩録』第288条〕

【意訳】
無は無から生じるのではなく、有があってはじめて生じる。同様に死というものも生があってはじめて死があるのである

【一日一斎物語的解釈】
無は有からしか生じないように、生があるからこそ死があるのだ。


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第1921日 「死の疑似体験」 と 「生の価値観」 についての一考察

今日の神坂課長は、久しぶりに「季節の料理 ちさと」を訪れたようです。

「ママ、お久しぶり。お店、開けたんだね?」

「あら、神坂君。さっそく来てくれたの? ありがとう! 緊急事態宣言も解除されたから、すこしずつでも営業させてもらおうと思ってね」

「ようやく、いつもの日常が戻ってくるのかな?」

「どうかなぁ?」

「どうしたの?」

「ウチのお店は狭いでしょう? お客さん同士の席が近いから、すこし距離をとるようなレイアウトにしないといけないんじゃないかと思ってるの」

「ああ、なるほど。COVID-19の前にはもう戻れないのか?」

「うん。でも、なんとか再開するよ。私は気づいたの。私にとって、このお店は私の命そのものなんだって」

「命そのものか?」

「だから、今回のお休みの期間は、死を疑似体験したようなものだった。きっと、自分が死んだら、こんな感じになるのかなぁって」

「そうかぁ。でも、俺も志村けん死亡のニュースの後は、しばらく死について考えたなぁ」

「悲しかったよね」

「でも、人間って、こうやって死を疑似体験しながら、本当の死に備えていくのかもね」

「そうね。だんだんと、死が怖いものではなくなって、自然に受け入れられるようになるのかなぁ?」

「そうだといいね。って、縁起でもないこと言わないでよ。俺はまだ、ママの料理をたくさん食べたいんだからさ!」

「うん、まだまだ死ねないよ。親も生きているし、順番は守りたいもの!」

「それで、今日は何を食べさせてくれるの?」

「まだ、生ものは出回ってないから、今日はおふくろの味を堪能してください」

「おお、肉じゃがか! それにホウレンソウのおひたし、最高じゃん!」

そのとき、お店の玄関の扉が開いたようです。

「いらっしゃい、あら、佐藤さん!」

「えっ、ああ、部長!!」

「おー、神坂君。さすがだね。さっそく来てたんだ?」

「ママからLINEが来ましたからね。これは、来いという合図だと思いましてね」

「実は、私も。(笑)」


ひとりごと

小生が住む愛知県は、緊急事態宣言が解除されました。

しかし、COVID-19流行の前の生活に完全に戻ることはないでしょう。

今回の出来事によって多くの価値観が変わりました。

新しい価値観に適応しながら、COVID-19とも共存していく時代の幕開けです。

とにもかくにも、希望を持って一歩踏み出しましょう!!


【原文】
死の後を知らんと欲せば、当に生の前を観るべし。昼夜は死生なり。醒睡(せいすい)も死生なり。呼吸も死生なり。〔『言志晩録』第287条〕

【意訳】
死んだ後のことを知りたいと思うのであれば、生まれる前のことを観るべきである。昼は生であり夜は死とみることができる。起きているときが生であれば、寝ている時が死である。さらに呼気は生であり、吸気は死であるともみることができよう

【一日一斎物語的解釈】
死後のことはわからないが、死生を疑似的に体験することはいくらでも可能である。


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第1920日 「学習」 と 「生死」 についての一考察

今日の神坂課長は、次男の楽(がく)君とお茶の間で会話をしているようです。

「とうさん、死んだら人間はどうなるの?」

「とうさんはまだ死んでないから、それはわからないなぁ」

「死ぬのって怖いよなぁ」

「そうだな。でも、自分がいつ死ぬかは誰にもわからないだろう?」

「それはそうだよ。もしわかるなら知りたいよ」

「そうか? とうさんは知らない方がいいなぁ」

「なんで?」

「だって、もし今年中に死ぬとわかったら、悲しすぎないか? まだ、とうさんもやりたいことはあるし、お前らが大人になるのを見届けたいからな」

「そうか。俺も、もし死ぬのが近いってわかってたら、学校なんか行っている場合じゃないな」

「ははは。学校は行った方がいいだろう?」

「もうすぐ死ぬなら、勉強しても意味がないじゃん。命が残り少ないなら嫌いなことはしたくないもん」

「なるほどな。でも、結局はいつ死ぬかはわからないんだ。それなら、長く生きられると信じた方が楽しくないか?」

「それはそうだね」

「生まれたら必ずいつかは死ぬんだ。生まれることも死ぬことも、俺たちは選べないよな? でも、どうやって生きるかは自分で決められるんだ」

「うん」

「だったら、しっかり勉強して世の中に貢献した方がいいし、たくさん友達がいた方がいいだろう。だから、学校には行くべきなんだよ」

「そうか、もし長生きするなら、勉強しておかないと大変なことになるね」

「そう、それで苦労しているのがとうさんだ。(笑)」

「勉強しておけばよかったと思う?」

「めちゃくちゃ思うぞ。今からお前と同じ年に戻れるなら、とうさんはめっちゃ勉強するぞ」

「でも、それはできないね!」

「うん、だから今、少しでも取り返そうと本を読んでいるんだ」

「あんまり先のことを考えても仕方ないのかな?」

「そうだよ。今、楽にできることは、たくさん勉強し、たくさん運動し、たくさん友達を作ることだ。全力でそれをやればいいんだよ」

「勉強は嫌だけど、頑張らないといけないね?」

「とうさんみたいに後悔したくなかったらな!!」


ひとりごと

自分の過去をウジウジト悔やむのも、これからの未来を心配し過ぎることも、心に負荷をかけるだけです。

過去には戻れませんし、未来を自分の思うようにすることもできません。

そして、この世に生まれてきた以上、いつかは死ぬのです。

それなら、今できることに力を尽く方が、心もスッキリしませんか?

マハトマ・ガンジーの言葉に、「永遠に生きるように学べ。明日死ぬかのように生きろ」とあります。

学びを大切にして、日々に全力を尽くせ、ということでしょう。


【原文】
凡そ人は少壮の過去を忘れて、老歿(ろうぼつ)の将来を図る。人情皆然らざるは莫し。即ち是れ竺氏が権教(ごんきょう)の由って以て人を誘う所なり。吾が儒は即ち易に在りて曰う、「始めを原ね終りに反(かえ)る。故に死生の説を知る」と。何ぞ其れ易簡にして明白なるや。〔『言志晩録』第286条〕

【意訳】
およそ人というのは若い日や壮年期のことを忘れて、老いや死について考えてしまう。人情はみなそのようである。それはすなわち釈尊が仏教の教えのなかで人をそのようにそそのかすからである。私が学ぶ儒教においては、経典のひとつ『易経』の中で「始めを原ね終りに反る。故に死生の説を知る( 死ぬのも生きるのもまた一つの道理である。物の始めをたずねれば必ず終りがある。死生の理は明明白白である)」としている。なんと容易で明瞭ではないか。

【一日一斎物語的解釈】
人間は過去を忘れて自分の未来を心配しがちであるが、死生の理は明白であるので、死を過度に恐れることなく、生を全うすべきである


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第1919日 「今の生」 と 「次の生」 についての一考察

今日の神坂課長は佐藤部長の部屋に居るようです。

「部長、凄いことを発見しました。朱熹(朱子)が死んだ年に道元が生まれているんですね」

「へぇ、そうなの?」

「まあ、朱熹が亡くなったのは1200年4月23日で、道元が生まれたのは1200年1月19日らしいので、生まれ変わりというわけではないのでしょうが、なにか因縁を感じませんか?」

「同じ東洋の偉大なる哲学者だからね。命がバトンタッチされたのかも知れないね」

「それに関する一斎先生の言葉ってありますか?」

「そうだねぇ。『生とは死のはじめであり、死は生の終わりである。しかし生がなければ死は生じないし、死がなければ生も生じない。生と死は永遠の遷り変りなのだ』という言葉を残しているね」

「生と死は一対なわけですね。それも自分の死は、全く別の国で違う生へと生まれ変わるのかも知れない」

「科学的にはあり得ないことだろうけれど、科学というものは、ある意味で過去の迷信や想像を実証するためのものかも知れない。そういう意味では、いま神坂君が言ったことも全否定はできないよね」

「ということはですよ。生きている間に修養を積み、学問を積んで魂を磨いた人の死は、次には、それ相当の人の生となって生まれ変わるのかも知れませんね?」

「そうかもね」

「疎かに生きられないですね。自分の生き方が次に生まれ変わる際の人間のランクを決めるのかも知れないと思うと」

「今この時は一度しかないからね。COVID-19で大変な状況ではあるけれど、それに不平や不満を言っているだけでは自分の魂は磨かれないね」

「はい。この状況をどう自分の成長に結びつけるか。みんながそれを考えるべきです!」

「大累君から聞いたよ。アフターコロナを見越した事業分析をしようという話のようだね」

「はい。ぜひご協力をお願いします。2020年は、新しい生活スタイル、そして新しい営業スタイルの元年となる年だと思います。乗り遅れるわけにはいきません!

「さっそく来週の会議の議題にして、じっくり意見交換をしようじゃないか」

「とにかく仕事以外に、私が魂を磨く方法はないので、よろしくお願いします」


ひとりごと

古来、「輪廻転生」とか「生々流転」といった言葉が語れています。

人間の死は、その生を終えるという意味では悲しいことですが、次なる生への飛躍のときだと思えば、穏やかな気持ちになります。

そして、次の生をより充実したものにしたいなら、現世の生を大切にする以外に方法はないのかも知れません。


【原文】
生は是れ死の始め、死は是れ生の終り。生ぜざれば則ち死せず。死せざれば則ち生ぜず。生は固より生、死も亦生。「生生之を易と謂う」とは、即ち此(これ)なり。〔『言志晩録』第285条〕

【意訳】
生とは死のはじめであり、死は生の終わりである。生まれなければ死ぬことはなく、死ななければ生まれることはない。生はもとより生であるが、死もまた生である。『易経』に「生生之を易と謂う(生生して止まないことを易という)」とあるのは、このことを言っているのだ

【一日一斎物語的解釈】
生死は一対である。この世に生まれた以上、いつかは必ず死ぬ。その死はまた次の生へと受け継がれる。「易」とは生の哲学なのだ。


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第1918日 「楽天」 と 「予兆」 についての一考察

今日の神坂課長は、大累課長と喫茶コーナーで雑談をしているようです。

「神坂さん、コロナが収束した後も、この微妙な距離感は一般化するんですかね?」

「ソーシャルディスタンシングってやつか? ある程度は考慮されるようになるんじゃないか。あまりにもキチキチに客を詰め込むようなお店は改装を迫られるかもな」

「でも、人間同士の距離って心の距離感と比例しませんか?」

「近づく方が親しくなれるってこと?」

「はい」

「それはよくわかるよ。でもな、コロナの後は、そういう感覚が古いと言われていくのかも知れないぜ」

「やっぱりオンライン営業ってことも考える必要があるんですかね?」

「少なくともすぐに対応できる体制はとっておくべきじゃないかな」

「やりにくくなるなぁ」

「今回のCOVID-19の大流行は、どう考えても大自然の摂理の中で起きた出来事のような気がする。いくつもの変化の兆しが見えるじゃないか」

「それはそうですね」

「だから、ポジティブに捉えようぜ。今回の件は、人間が生き残っていくために、必要な変革の時期なんだと思うんだ。だったら、前向きにピンチをチャンスに変換できるような視点で物事を見ようじゃないか!」

「神坂さんは相変わらずポジティブですねぇ」

「ノー天気とか楽天家と言われるけど、そういう奴が世の中を変えていくんじゃやないかと思う。都合の良い解釈だけどな」

「いや、それは間違いないですよ。そういう人には人がついてきますからね」

「そういうお前も、かなりの楽天家じゃないのか?」

「まあ、どっちかと言えばそうですね。雑賀は逆ですけどね」

「雑賀か。ああいうタイプは、変化の兆しには気づかないかもな。あとで慌てるんだろう」

「ただ、今回はあいつの得意なITの世界が進展しそうなので、珍しく超ポジティブですけどね」

「いいことじゃないか! 心が明快でポジティブでいれば、きっと変化の兆しを先取りできると思うんだ。後で振り返って、この出来事が会社にとって良い出来事だったと思えるように、変化を先取りしていこうぜ!!」

「その前向きさには100%同意しますが・・・」

「なんだよ?」

「何が起きていて、この後何をすべきかについては、部長にも入ってもらってしっかり分析しましょうね」

「俺の分析じゃ心配か?」

「はい、信頼度0%です」


ひとりごと

自分の力ではどうしようもない出来事が起こるなら、それをポジティブに捉えるしかありません。

ネガティブになっても、もう以前に戻ることはできないのですから。

そして、常に心がポジティブであれば、変化を先取りできるのだ、と一斎先生は言います。

それなら猶更ポジティブでいたいですよね!!


【原文】
心気精明なれば、能く事機を知り、物先に感ず。至誠の前知するは之に近し。〔『言志晩録』第284条〕

【意訳】
人の心が晴れて明らかであれば、物事の兆しを予測でき、物事のはじめを感じることができる。『中庸』にある「至誠の前知」とは、このことに近いことを言っているのだ

【一日一斎物語的解釈】
心の中を明るくポジティブにすることで、物事の変化の兆しを予見することも可能である。


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第1917日 「人生」 と 「使命」 についての一考察

今日の神坂課長は、元同僚西郷さんの主査するオンライン読書会に参加したようです。

会の終了後、各自お酒を飲みながらの雑談会に入ったようです。

「サイさん、読書会はオンラインでも十分できますね」

「うん、心配していたけど、大きな問題はなく開催できた気がする」

「遠方から参加されていた人がいましたよね。オンラインでなければあり得なかったことですよね」

「彼は古くからの友人で、前から出たいと言ってくれていたんだよね。ようやく念願が叶ったと喜んでくれていたのも嬉しかった」

「今回のことを機に、オンライン読書会は増えていくでしょうね?」

「それを実感したよ。私としてもこれで自分の使命を果たせるんじゃないかという希望も湧いてきたしね」

「使命ですか?」

「『論語』には、永遠に色あせることのない不変の真理が書かれていると思っている。それを私のビジネスマンとしての経験に照らしてお話をすることで、少しでもこの国の将来のお役に立てるのではないかと思ってね」

「たしかに、今日の章句なんて、今の情況にどう対処するかのひとつの答えを示していましたもんね」

「リアルの読書会だと、どうしても場所が限定されるけど、バーチャルの読書会では、距離の壁を超えることができると確信したんだ」

「そういえば、一斎先生が『言志四録』の中で、人の一生なんて長くても100年程度で、人類の歴史からみたらほんの一瞬に過ぎない。しかし、人間として生まれた以上は、人間としての使命を果たして死んでいきたい、って書いていました」

「おお、私の今の想いにピッタリの言葉だ」

「俺の使命って何なんだろうなぁ?」

「神坂君、今の仕事に力を尽くしていれば、必ず見えてくるよ。孔子だって『五十にして天命を知る』と言っているんだからね」

「なるほど」

「ろうそくに例えると、使命を果たす人というのは、最後まで完全に燃焼しきって跡形もなくなったような状態なんだろうね。使命を果たせない人というのは、途中で火が消えてしまって、最後まで燃え尽くせずに、燃えカスが残ってしまった状態なのかもね」

「それは寂しいな。せっかくろうそくに生まれて、途中で消えて捨てられてしまうなんて」

「そう。だから最後の最後まで燃え尽くせるように生きないとね!」

ひとりごと

せっかく人間として生まれてきたのなら、何か世の中のお役に立って死にたいと願うのは人間の本願なのでしょう。

もちろん、程度の差はありますが、どんな職業でもそれなりに社会の役には立っているはずです。(社会の役に立たない職業が長く続くわけはありません)

その中で、より自発的にお役に立ちたいと考えるとき、自分に課された使命というものを認識するのでしょう。

小生もすでに50代、残り少ない時間を使命を燃やし尽くすために注いでいきます。


【原文】
我れより前なる者は、千古万古にして、我れより後なる者は、千世万世なり。仮令我れ寿を保つこと百年なるも、亦一呼吸の間のみ。今幸いに生まれて人となれり。度幾(こいねがわ)くは人たることを成して終わらん。斯(こ)れのみ。本願此に在り。〔『言志晩録』第283条〕

【意訳】
私が生まれる以前には遥かなる年月が経過しており、私の死後も永遠に続いていくであろう。たとえ私が長生きをして100歳となったところで、それは人類の歴史においては、ほんの一呼吸の間に過ぎない。いま私は幸いにも人間として生まれることができた。この上は、なんとしても自分に与えられた使命を果たして死んでいきたい。私の本願はここにしかないのだ

【一日一斎物語的解釈】
人生100年となろうとも、人類の悠久の歴史からみればほんの一呼吸の間に過ぎない。しかし、人間として生まれたからには、人としての使命を果たし終えて死にたいものだ。


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