一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2020年06月

第1956日 「個性」 と 「浄化」 についての一考察

今日の神坂課長は、大累課長とランチに出掛けたようです。

「まだテイクアウトするお客さんも多いんですね」

「たしかにな。店の中は空いているのに、テイクアウトは行列ができているんだな」

「これがニューノーマルなんですかね?」

「なんだそれ?」

「知らないんですか? コロナ後は以前の日常には戻らず、新たな日常が生まれると言われています。それをニューノーマルというんです」

「なんでも横文字にしやがって。大和の言葉を大切しろっつうの!!」

二人は店内に入り、定食を注文したようです。

「神坂さん、そういえば最近は、横文字を使う頻度が減りましたね」

「俺は日本人だからな。なるべく日本の言葉、それも大和言葉を大切にしたいんだ」

「人間って、変われば変わるもんなんですね」

「お前にしても、俺にしても、みんな他人よりも優れた個性を持っているはずだ。ただ、それをそのままにしておくと、協調性を失い、時には人に迷惑をかけることになる」

「かつての神坂さんは、散々他人様に迷惑をかけていましたもんね!」

「やかましいわ! でも、否定はできない。だから、学問が必要なんだよ。学ぶことでその個性を浄化して、世の中の役に立つものにできるわけだ」

「なるほどね。でも、何かきっかけが必要ですよね?」

「そう。そこで大切なのは師だよ」

「神坂さんの場合は、誰が師になるんですか?」

「やっぱり多田先生かな。それからきっかけを与えて、俺を導いてくれたという意味では、やはり佐藤部長も師匠のひとりだろうな」

「ということは、師匠と学問があると、人は成長し、世の中の役に立つ人材になれるということですか?」

「おお、大累君。君もなかなかお利口さんだね」

「完全に馬鹿にしてるでしょう? そういう上からの態度は良くないと思いますよ」

「バレたか。下手に出たつもりだったが、心の中が見えてしまったようだな」

「あと、顔! そのニヤニヤした顔つきを見れば、本心じゃないことくらい、誰でも見抜きますよ」

「あー、まだまだ修行が足りんな」

「そうですね。演技を磨くのではなく、心から後輩に敬意を払える人間になりましょう!」

「くそっ、お前だって上から目線じゃねぇか!!」

「おっ、我々の定食が来ますよ。まずは、おいしいご飯に感謝していただきましょう!!」

「やっぱり、上からな気がする・・・」


ひとりごと

人には必ず他人より優れた個性がある。

この歳になると、それを実感します。

しかし、その個性を上手に発揮できている人もいれば、発揮できていない人もいます。

酷い人になると、それを悪用する人もいる。

そういう人にないのは、師匠と学問なのだ、と一斎先生は言います。

師をみつけ、学問をすれば、誰でも世の中のお役に立てる人材になれるのです。


【原文】
曾晳(そうせき)の狂、夫子を得て之を折中せざりせば、即ち蒙荘と為りけん。子路の勇、夫子を得て之を折中せざりせば、則ち賁(ほん)・育と為りけん。子貢の弁、夫子を得て之を折中せざりせば、則ち蘇・張と為りけん。気質の変化とは、此の類を謂う。即ち学なり。〔『言志耋録』第30条〕

【意訳】
曾晳曾子の父)の如く風雅に過ぎる気質をもつ人は、孔子が中庸の徳を示してくれなかったなら蒙の荘子のような風変わりの人物となったであろう。子路のように勇気ある人は、孔子が中庸の徳を示してくれなかったなら、昔の孟賁や夏育のような単なる勇者になったであろう。子貢のように弁説に優れた人も、孔子が中庸の徳を示してくれなかったら、蘇進や張儀のような権謀術数を弄する人物になったであろう。気質の変化はこのような類例を言うのだ。つまり学問次第なのだ

【一日一斎物語的解釈】
人間の気質というものは、師と出逢い、学問をすることによって浄化され、立派な徳目となる。ありのままの状態では、気質が高いほど、まちがった方向に流れる危険性がある。


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第1955日 「気質」 と 「発奮」 についての一考察

今日の神坂課長は、Youtubeで『孔田丘一の儒学講座』を観ているようです。

神「なんだかんだ言って、俺は結局この爺さんにハマっているな」

「人間なんて、本質は皆一緒ですぞ。経験と努力の差が人生の差になって表れておるにすぎんのです」

「あんたらのように手を抜いたり、サボったり、他人のせいにばかりしている連中は、気質が弱くなる。だから、大事な時に一歩が踏み出せんのじゃ!」

神「出たな、この勝手な決めつけ。(笑)」

「誰だって、つらい経験や悲しい過去はあるはずです。それをどう乗り越えたのか、暗闇から目をそらすのではなく、いかに暗闇の奥にある一寸の光に向かって突き進めるか? それが人生を切り開くのですぞ」

神「なるほどな。たしかに、大事な場面で逃げたらダメだよな」

「要するに発奮だ。ありきたりな言葉だが、やはり人は発奮せねば、良い結果に導かれることはない!」

「孔子は弟子たちが、答えを求めて悶々とした状態になったときに、初めてヒントを与えている。それまでは、放置している。それはそうだろう。答えを求めていない奴に何かを伝えるのは、腹の減っていない奴に食事を与えるのと一緒じゃからな」

神「相変わらず例えが強烈だな。(笑)」

「では、人はいつ発奮するかと言えば、艱難辛苦にぶつかった時だ。しかし、大抵の輩はここで逃げ出す。逃げたって無駄ですぞ。神様は、また同じ課題を出してくる。自分自身で解決するまでは、ずっと同じ課題が突き付けられるのです!」

神「やっぱり良いことを言うんだよな、このジジイ」

「この爺の話を聞いて、『良いこと言うな』で終わっていたらダメですぞ!」

神「うわっ、まるで俺の声が聞こえてるみたいだな」

「良いこと言うなと思うなら、即実践してみなさい。そして、壁にぶつかり、暗闇に迷い込みなさい。そこから抜け出す経験だけが、あんたら若者の人生の糧になるんです」

「人間なんて、本質は皆一緒なんです。あ、これはさっき言いましたかな? この年ですから、そういう細かいツッコミはなしでお願いします。そういうクレームを入れてくる輩は、ブロックさせてもらいますからね。あははは」

神「何が面白いんだよ!」

「とにかく若者よ、発奮せよ!! 仕事に一所懸命に打ち込めないから、どこぞのタレントのように、トイレに女を連れ込むようなことをしでかすんじゃ!!」

神「意外と時事ネタを知ってるのが笑える」

「さて、今日も言いたいことを言い尽くしたかな。少し言い足りない気もするが、この辺にしておきましょう。ではまた、お互いに生きていたら会いましょう!!」


ひとりごと

発奮が仕事の糧になるという経験はだれにもあるでしょう。

小生も、営業部門への移動を希望して、初赴任地となった広島では、多くの悔しい想いをし、発奮しました。

今思えば、それが仕事のベースを作ってくれたように思います。

学問と仕事については、死ぬまで不足を感じて、日々精進していくしかありません!!


【原文】
均しく是れ人なり。遊惰なれば則ち弱なり。一旦困苦すれば則ち強と為る。愜意(きょうい)なれば則ち柔なり。一旦激発すれば則ち剛と為る。気質の変化す可きこと此の如し。〔『言志耋録』第29条〕

【意訳】
人は皆同じである。遊んだりサボったりすれば弱くなる。しかし一度困難に直面すると強くなる。心が満ち足りていると柔な人間となるが、発奮すれば剛くなる。気質が変化するとは、そういうことを言うのである

【一日一斎物語的解釈】
人間の気質は本質的にみな同じである。手を抜いたり、現状に満足すれば柔弱になり、艱難辛苦を嘗め、発奮すれば剛強になる。


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第1954日 「学問」 と 「立志」 についての一考察

今日の神坂課長は、新美課長と久しぶりにランチに出かけたようです。

「この定食屋さん、以前ならこの時間に並ばずに入れることなんてあり得なかったよな?」

「驚きましたね。しかも若干空席がありますよ」

「安くておいしいこんなお店ですらこの状況だもんな。飲食店は辛いな」

「まったくです。ところで、神坂さんは最近、読書をかなりしていますが、何のためにそこまで勉強しているのですか?」

「何のためって、自分の為に決まっているだろう」

「仕事に活かすためじゃないんですか?」

「当然だよ。自分の徳を積めば、自然と仕事もうまくいくんだ!」

「へぇー」

「なんてな。実は最初は、何の勉強もしないまま課長になってしまったから、焦ってさ。何か部下を上手に操る方法はないだろうかと思って本を探したんだけどな」

「ですよねぇー」

「ただ、俺が幸運だったのは、早い段階で多田先生にアドバイスを聞くことができたことだな」

「どんなアドバイスだったのですか?」

「テクニック本なんか何冊読んだって意味がない。古典を読め!って」

「古典を読む意味はどういうところにあるんですか?」

「人間は成長するにつれて、欲望が生まれ、心が汚れる。学ぶことによってそのケガレを落とすんだ、と言われたな」

「それが古典を勉強する意味なんですか?」

「そう、それが学問をすることの効用だ。???ってなるだろう?」

「はい、まさに」

「俺も最初は何を言っているのかよくわからなかった。要するに、人間が本来持っている無垢な心に帰ることができれば、人は自然とついてくる、ということなんだ」

「実際にはどうですか?」

「古典を学ぶことで、自分の行動に歯止めが効くようになった。それによって、無駄な争いが減ったせいか、人間関係も円滑になってきた気がするよ」

「たしかに、最近の神坂さんは、伝家の宝刀が出てこないですよね?」

「なんだよ、伝家の宝刀って?」

「ブチ切れです」

「てめぇ、この野郎!!」

「あ、それそれ」

「この後、以前の俺だったらこのままお前に殴りかかるところだが、今の俺は一瞬で冷静になれる。どうだ!」

「どうだ、って言われても、本来はそれが普通の人間ですから・・・」

「たしかにな。(笑) これも、多田先生に言われたんだけど、なぜ学ぶのかを常に明確にしなければいけないそうだ。つまり、志だよ。メンバーの力を最大限に引き出して、世の中に貢献する、これが今の俺の志だ。これがあるから、しっかり勉強しなければいけないと思えるんだ」

「なんだか、変わりましたね、神坂さん。人はいくつからでも変われるんですね?」

「新美、お前だって変われるぞ。なりたい自分になれるんだよ、志さえしっかり立っていればな!!」


ひとりごと

学問とは、あくまでも自分のためにするものである。

これが、孔子をはじめとする古の聖人の教えです。

自分を変えることができれば、周囲は変わります。

自分を変えることなく、周囲を変えようと思っても、それは不可能です。

周囲が変わるかどうかは、周囲にいる人の課題だからです。

まずは自分のための学問をして、身を潤しましょう!


【原文】
学を為すの効は、気質を変化するに在り。其の功は立志に外ならず。〔『言志耋録』第28条〕

【意訳】
学問を行う上で効果とは、悪しき気質(生きていく中で獲得したもの)を変化させ天然の気質(生まれたときに授かっているもの)に復帰することにある。その実践的な課題は、立志に他ならない

【一日一斎物語的解釈】
学ぶことの目的は自分自身の浄化にある。たゆまず学び続けるためには、志が立っていなければならない。

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第1953日 「大胆」 と 「慎重」 についての一考察

神坂課長と佐藤部長がお得意先回りを終えて、会社に戻る車中にいるようです。

「ところで、神坂君。志は大きくとは言えども、実行する上では大胆さだけではダメだということも肝に銘じておく必要があるね」

「なるほど、そうかも知れませんね。自分の志が大きいからと成功を過信すると、大失敗しかねない気がします」

「一斎先生もそのあたりは気を付けるように言っているよ。志は大にして、工夫は小にせよ、つまり実践においては、小さなことをないがしろにしてはいけない、とね」

「さすがですね」

「特に気を付けるべきは、最初の一手だろうね。そこを間違うと、時間が経てば経つほど、実績と目標とが乖離していくだろうから」

「その手の失敗はたくさんしてきました。あとになってどうしようもなくなってから上司に相談するというパターンですね」

「そういえば、そんなことが何度かあったなぁ」

「その節は、大変ご迷惑をお掛けしました」

「神坂君の場合は、尻に火がつくなんていうレベルじゃなくて、全身火だるま状態になってから火消しを求めるようなところがあったよね」

「そこまで酷かったですかねぇ。(笑)」

「まあ、日ごろの部下の行動をしっかりと把握していなかった上司の責任でもあると思って、腹をくくって処理したことも一度や二度ではなかったなぁ」

「今は良き思い出ですね」

「それ、神坂君が言うかな。(笑)」

「事が大きくなる前に、しっかりと計画を立て、準備をすることの大事さに気づくまでに、かなり時間がかかりました。あらためてお詫びいたします」

「ははは。何事も小さな段階でしっかりと是非を判断することが大事だね。とくに上司はそういう視点で部下の仕事を見なければいけない。私は神坂君のお陰でそれを学ぶことができたよ。そういう意味では感謝しているんだよ」

「ありがとうございます。もし、同じことを西村さんから言われたら、絶対に嫌味だと思ってしまいますが、佐藤部長の場合は素直に聞けます」

「あれ? 嫌味のつもりで言ったんだけどなぁ」

「えっ、そうなんですか!?」


ひとりごと

大胆さと慎重さのバランスを保つことが重要ですね。

大胆が過ぎれば、大きな失敗につながる可能性がありますし、慎重さが過ぎれば、先を越されるリスクがあります。

商売にはつねにライバルがいることを想定しつつ、大胆かつ慎重に事を進めていく必要があります。

特に、リーダーはメンバーの性格をよく把握して、軌道修正をかけてあげることも大切な役割だと認識しておくべきですね。


【原文】
学者は志大にして、工夫は則ち皆小ならんことを要す。小は事に於いては始と為り、物に於いては幾と為る。易に云う、「復は小にして物を弁ず」とは是れなり。〔『言志耋録』第27条〕

【意訳】
学問をする者は、志は大きく、実践の工夫は精密でなければならない。精密さというものは、事を行なう上では始まりとなり、物を為すにおいては兆しとなるものである。易経』に「復は小にして物を弁ず(物事の小さな段階で善悪を区別する)」とあるのは、これを言うのである

【一日一斎物語的解釈】
抱いた大志を実現する上においては、精密さが必要である。最初の一手を入念かつ慎重に打って出ることを意識すべきなのだ。


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第1952日 「大志」 と 「功績」 についての一考察

昨日に引き続き、神坂課長がハンドルを握り、助手席に佐藤部長が乗って、挨拶回りをしているようです。

「しかし、実際に公明正大な志を抱いてる人なんて、世の中に何割いるんでしょうか?」

「残念ながら少ないだろうね。一斎先生は、高く明快な志を掲げたら、適切な配分で力を尽くし、工夫を凝らし、大きな目標に向かって進み続けろ、と言っているよ」

「わき目もふらずに志を遂げることに邁進できたら、充実した人生になるんでしょうね」

「そうだね。人生の価値は、その長さにあるのではなく、その深さにあるというからね」

「人生の深さか? 私の人生は浅いなぁ・・・」

「神坂君はまだ人生の折り返し地点にいるんだよ。これからいかに深く生きるかで、神坂君の人生の価値は大きく変わってくるよ」

「そうなるように精進します!」

「そういう意味では、今日ご挨拶している先生方は皆、高い志を抱いている人ばかりだね」

「あー、そうですね。だからこそ、医療の世界であれだけの功績を残せているんでしょうね」

「長谷川先生、中村教授、多田先生、この3人に共通する点のひとつに、絶対に諦めないということがあるような気がするな」

「なるほど」
「胃癌、大腸癌など、それぞれ専門領域は違うけれど、皆さんが目の前の患者さんの命と真剣に向き合って、患者さんを励まし、生命の灯を消さないように力を尽くしている」

「頭が下がります」

「それだけでなく、早期発見・早期治療、あるいは手前の予防にまで研究を進めているからね」

「そうかぁ、そうですね! 私たちは、公明正大な志をもって日々を過ごしている凄い人たちとのご縁をたくさんいただいているんですね」

「そう。お手本とすべき方々がすぐ近くにいるんだよ」

「まだまだ、志というものを他人事に捉えていたんだろうな。次は多田先生です。少しそんなお話をしてもらいましょうかね」

「ははは。多田先生はこちらの手の内はいつもお見通しだからなぁ。神坂君がそういう話を聞きたいと言ったら、確実にいなしてくるだろうね!」

「そうなんですよ。いつも最初は、イジられたり、かわされたりで、なかなかこちらの話を聞いてもらえないんです。(笑)」

「それは神坂君のキャラだよ。あの長谷川先生ですら、神坂君に会うと、ちょっと意地悪をしてみたくなるらしいからね。(笑)」

「それは褒めてくれているのでしょうか?」

「多分」

「でも、多田先生の場合は、最後はちゃんと話をしてくれますからね。今日も諦めず、粘り強くお話をしてみます!」


ひとりごと

大きな成果を出すためには、公明正大な志を抱き、それを慎重かつ大胆に実行すべきだと、一斎先生は言います。

我々の仕事は多かれ少なかれ、世の中に貢献していることは間違いありません。

その中で、更に大きな成果を求めるならば、より公明正大な志へと昇華していくことが必要なのでしょう。


【原文】
立志は高明を要し、著力は切実を要し、工夫は精密を要し、期望は遠大を要す。〔『言志耋録』第26条〕

【意訳】
志を立てるには高く明快なものとすべきであり、力を尽くすにおいては実を重んじるべきであり、事を処するにあたっては精密に、目標とする所は遠大であらねばならぬ

【一日一斎物語的解釈】
物事を成功に導くものは、公明正大な志、適切な力の配分、精密な準備、大きな目標の4つである。


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第1951日 「暴怒」 と 「立志」 についての一考察

今日の神坂課長は、佐藤部長に同行をお願いして、お得意先訪問をしているようです。

次のお得意先へ向かう途中の車中での会話です。

「神坂君、一斎先生は意外と短気だったんだよ」

「えっ、そうなんですか?」

「自分の思いと違うことがあると、強い怒りを抑えきれなかったと書いているからね」

「若いころの話ですか?」

「いや、『言志耋録(てつろく)』という晩年に書かれた書の中に、現在形で書かれているから、きっと生涯そういうところがあったんだろうな」

「へぇー、意外ですね」

「そうでもないよ。やはり大きな仕事をする人というのは、激情型が多い気がする。怒りの感情というのは、生のままでは危険だけど、浄化してエネルギーに変えることができれば、凄い力になるんじゃないかな」

「ああ、なるほど」

「一斎先生は、そもそも怒りを抑えきれないというのは、志をしっかりと維持できていないからだと分析しているんだ」

「やっぱり志に行きつくんですね?」

「うん、立志は、成果を生むために必要不可欠なものだろうからね」

「昨日、サイさんと飲んだんですけど、志があれば私欲も抑えられると言っていました。私欲があるから怒りが生まれるのかも知れませんね?」

「そのとおりじゃないかな。私欲から出る怒りというのは、怨みに発展したりして、危険な方向に向く可能性が高いよね」

「たしかに、そうですね。でも、公欲から出る怒りというのは、もっと世の中を良くしてやろうというエネルギーに変わるんですね」

「不思議なもので、人間というのは、自分のためよりも、誰かのために行動するときの方が、思わぬ力を発揮するものなんだ」

「それも志が立っていればの話でしょうね。私なんかは、まだまだその領域には足を踏み入れることができていない気がします」

「そんなことないと思うよ。神坂君も部下の成長のために全力でぶつかっているように見えるけどな」

「そうですか、ありがとうございます。しかし、自問自答してみると、まだ私欲でカッとなっているケースもままある気がします」

「ははは、正直な男だね!」

「一斎先生が短気だったというのは、なんだか勇気づけられますね。そういえば、孔子という人も、サイさんから話を聞いているうちに、すごく人間臭い人だとわかってきました」

「やっぱり感情が表に出る人の方が、人を惹きつけるんじゃないかな? いつも冷静沈着な人には、ちょっと近づきにくいでしょ?」

「そうですね、時にはメンバーと一緒になって、怒ったり、悲しんだり、落ち込んだりするリーダーの方が親近感が湧きますね」

「そう。ただし、一斎先生が言っているように、怒りや悲しみを抑えきれないようでは、メンバーは困惑してしまう」

「はい。私はメンバーと一緒に一喜一憂するタイプですから、行き過ぎないように注意するのが課題です」

「カッとなった瞬間に、『ここだな』と思う冷静な自分をつくることが大切だね」

「なるほど、もう一人の客観的な自分を育てるのが、修養ということか。奥が深いですねぇ」


ひとりごと

怒りのコントロールは小生の永遠の課題です。

一斎先生は、怒りを抑えようとするのではなく、しっかりとした志を立てることが先だと言います。

志が立てば、自然と感情をコントロールできるのだと。

すべては、志に行きつくようです。


【原文】
志を持するの工夫は太だ難し。吾れ往往事の意に忤(さか)うに遭えば、輒(すなわ)ち暴怒を免れず。是れ志を持する能わざるの病なり。自ら恥じ自ら怯(おそ)る。書して以て警と為す。〔『言志耋録』第25条〕

【意訳】
志を維持するための工夫は大変難しいものである。私は時々自分の意に反することに遭遇すると、強い怒りを抑えることができないことがある。これは志をしっかりと維持できていないために起こる病気である。みずから恥だと感じると共に畏れるところでもある。そこでここに書きとめて自分への警鐘とする

【一日一斎物語的解釈】
感情を抑えきれないようでは、まだ志が定まっていないと言わざるを得ない。


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第1950日 「私欲」 と 「志」 についての一考察

今日の神坂課長は、元同僚の西郷さんと飲んでいるようです。

「サイさん、欲のない奴ってダメですよね?」

「ダメというか、本当に欲のない人なんているのかな?」

「ああ、なるほど。本当は欲があるのに、無理に隠しているんですかね?」

「そういう人が多い気がするけどね」

「はい。人間って、ある程度は欲がなかったら成長しないと思うんです。若いうちは、夢を持てといいますが、夢って、結局は私欲ですよね」

「うん。『私は〇〇になりたい』とか『〇〇を手に入れたい』というのが夢だからね。たしかに私欲のひとつだろうな」

「はい。それを人間的な成長とともに志に昇華していかなければいけないと思うんです」

「素晴らしいね。神坂君が言うように、志というのは、『誰かを幸せにしたい』とか『世の中を良くしたい』という考え方だからね」

「それは、公欲と呼んでも良いと思っています。つまり、無欲を求めるのではなく、私欲に勝る公欲を持つことが大事なんだと気づいたんです」

「逆の言い方をするなら、私欲を制することができないのは、真の志が立っていない証拠だということだね」

「おお、さすがはサイさん。カッコいいこと言いますね!」

「これは、佐藤一斎の言葉だよ」

「え、一斎先生ですか!? 一斎先生は何でもお見通しだなぁ」

「真の志というのは、真っ赤に燃える暖炉のようなもので、私欲というのは一握りの雪みたいなものだとも言っている。つまり、暖炉にその雪をくべれば、雪はあっという間になくなってしまうよね?」

「一瞬、私欲が脳裏をよぎっても、すぐに志が消し去ってくれるわけか」

「そういうこと」

「面白いなぁ。たとえ話が上手な人の話というのは腹に落ちますよね」

「人の心をつかむには、たとえ話、カッコいい言い方をすれば、類推話法を身につけた方がいいね」

「類推話法か、その言い方、気に入りました。営業人でも、やはり類推話法を使えるか使えないかは重要ですよね?」

「そう思うよ。上手に類推話法を使って、いつの間にか自分が医療器械を使っているかのように思わせてしまう。まるで魔法のようにね!」

「その魔法を手に入れるには、幅広い知識が必要になりますね」

「知識だけでなく、思索することがより重要だね。一つの事例を多くの物事に当てはめて考える習慣をつけておくと良いと思うよ」

「いやー、私欲の話から、類推話法の話を聴けるとは意外でしたが、とっても勉強になりました。サイさん、ありがとうございます」

「どういたしまして。神坂君、是非とも世の中の為に、しっかり働いてくださいね!」


ひとりごと

小生は常々、儒学から学んだことして、「私欲に勝る公欲を持とう」と言ってきました。

一斎先生は、これを逆の視点でとらえているようです。

真の志(公欲)が立てば、おのずと私欲は消え去るものだ、ということでしょう。

いずれにしても、無欲などを目指すのではなく、私欲を公欲に昇華させていくことが重要なのだと思います。


【原文】
私利の制し難きは、志の立たざるに由る。志立てば、真に是れ紅炉(こうろ)に雪を点ずるなり。故に立志は徹上徹下の工夫たり。〔『言志耋録』第24条〕

【意訳】
自分の私欲を抑えられないのは、志が立っていないからである。志さえ立てば、赤く燃え盛る炉に一点の雪を置くようなもので、すぐに溶けて消え去ってしまうはずだ。それ故、立志というのは日常の作法から悟りに至るまでの全てに撤する工夫といえるのだ

【一日一斎物語的解釈】
私欲に克つ公欲こそが志と呼べるものである。


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第1949日 「恥」 と 「志」 についての一考察

営業2課の梅田君が落ち込んでいます。

「どうした、梅田。冴えない顔しているじゃないか? 昨日、ちょっと厳しくやり過ぎたか?」

「課長の厳しさなんて、大学の時の陸上部の監督に比べれば全然優しいです」

「じゃあ、どうしたんだ?」

「先月も、石崎さんと善久さんに負けました。これで3ヶ月連続です」

「ああ、売上の話か?」

「はい。営業マンとして恥ずかしいです。3ヶ月連続ビリですから」

「梅田、それは恥じることじゃないな」

「え?」

「先輩に営業成績で負けたことは恥ではないはずだ。恥ずかしいなんて思わなくて良いから、悔しいと思え!」

「もちろん、悔しいです」

「いいか、梅田。お前のような若い奴にこんなこと言っても腹に落ちないかもしれないけどな。他人と比較するのを極力やめてみろ」

「でもそれでは、私はずっと最下位のままになってしまいます」

「他人と比べるな、と言っただけで、比較するなとは言ってない」

「じゃあ、何と比べるのですか?」

「1カ月前の自分だよ。先月のお前と比べて成績はどうか? この一ヶ月で何ができるようになったか、まだ何ができていないか、そういうことを考えるといいぞ」

「先月の自分ですか?」

「もし先月の自分と比べて、何も成長していないようなら、それは大いに恥じるべきことだ。情けない、恥ずかしいと思うべきだ。でもな、先輩と比較することは無意味だ」

「なぜですか?」

「経験も違えば、担当する市場規模も違う。単純には比較できないことを、無理やり比べて、恥ずかしいと思うのはナンセンスだ。それは恥じなくてよいものを恥じていることになる」

「・・・」

「どうせ、先輩をみるなら、結果ではなく、彼らの活動、プロセスを観察してみろ」

「プロセスですか?」

「そうだ、そうすれば、いかに自分がまだまだ甘かったかに気づくことができるはずだ。あいつらは、きっとお前より努力しているんじゃないのか?」

「ああ、きっとそうですね。課長、ありがとうございます。とても、勉強になりました。他人と比較することをやめてみます!」

「毎月、成長し続けたら、一年後のお前は凄い営業マンになっているだろうな!」

「はい! 必ず、石崎さんと善久さんより良い成績を上げて、会社に貢献します!」

「だ・か・ら、比較するなっつうの!!」


ひとりごと

恥を知ることは大切なことです。

もしかしたら、日本という国には恥の文化があるのかも知れません。

しかし、ここでいう「恥」とは、世間一般の人が今思う「恥」とは違うような気がします。

恥ずべきことを恥じ、恥じなくてよいことは恥じない。

これをきっちりとデキている人がどれだけいるのでしょうか?

小生は、恥ずかしながら全く自信がありません・・・。


【原文】
立志の工夫は須らく羞悪念頭より跟脚(こんきゃく)を起すべし。恥ず可からざるを恥ずること勿れ。恥ず可きを恥じざること勿れ。孟子謂う「恥無きを之れ恥ずれば恥無し」と。志是(ここ)に於いてか立つ。〔『言志耋録』第23条〕

【意訳】
志を立てる工夫としては、他人や自分の不善を恥じるという羞悪心を土台とすべきである。恥じなくてよいことは恥じる必要はない。恥ずべきことを恥じないということがあってはならないことなのだ。孟子は、「恥無きを之れ恥ずれば恥無し(恥ずべきことを恥じないでいることを、恥として悪むようになれば、おのずから恥は無くなる)」と言った。こうしてはじめて志が立つのである

【一日一斎物語的解釈】
恥じるべきときに恥じ、恥じなくてよいときには恥じない。この恥の見極めこそが志を立てる上でひじょうに重要である。


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第1948日 「立志」と「経験」についての一考察

今日の神坂課長は、Youtubeで『孔田丘一の儒学講座』を観ているようです。

「皆さん、コロナに負けず生きておりますか? わしはいつお迎えが来ても良いと思っているんだが、なかなか来んのです」

「ということで、まだ時間がありそうなので、今日も好き勝手に語らせてもらいます。あんたら、どうせ暇でYoutubeを観ているんだろうから、最後までジジイのたわごとに付き合ってくだされ

神「相変わらずの言いたい放題だな!」

「さて、どんな修養の本を開いても、必ずといって良いほど、志を立てなさいと出ていますな」

神「たしかに」

「しかし、そんな簡単に志など定まらないのが人生ですわ。わしの人生なんて二転三転どころか、七転び八起きでも足りずに、それからさらに七転び八起きして今がある」

神「どんな人生を過ごしてきたんだよ!」

「一般的には、志を立てるといえば、なるべく高尚で、真っ直ぐな志を立て、そいつを何があっても完遂するつもりで取り組むことだと言われております。これは佐藤一斎が言った言葉ですがな」

神「おお、一斎先生の登場か!」

「しかし、若いころに立てた志など、後々考えれば甘っちょろいものです。だから、最初は、とにかく一つのことをやり続けようと思うくらいで良いんです」

「三日坊主で終わったら、そこで諦めずにまた三日坊主を繰り返す。そのうちにそれが習慣となればしめたものですな」

神「まあ、そうかもな。なんの志もないまま生きてきた俺の若い頃を思えば、それでも随分立派な人間になれそうな気がする」

「なにかに夢中になり、何かひとつ専門領域を持つと、たとえその道が行きどまりになっても、ちゃんと別の道がみつかるものです」

「何度も壁にぶつかって、何度も絶望の淵から這い上がったわしが言うんだから間違いない!!」

神「本当かよ? このジジイの場合、本当に全力でひとつのことに取り組んだのか、怪しいもんだけどなぁ?」

「そこの御仁、わしを疑っておるな? わしのチャンネル登録者数は10万人ですぞ、バカにしてもらっちゃ困りますな」

神「なんだよ、今度は自慢かよ!」

「そんなことを繰り返していると、そうですなぁ、恐らく40代後半から50代前半くらいにかけて、真の志が定まるはずです」

神「おお、じゃあ、俺もあと10年以内には、志が定まるってことか!」

「そのときの志は、一斎が言ったように、まっすぐで、高尚で、そして死して後已むという覚悟の定まったものになるはずじゃ」

「いや、そうせねばいかん!! 志を掲げて、志に生き、死して後已むんだよ、皆さん」

神「この最後に畳みかける語りがなぜか心を熱くさせるんだよなぁ」

「今はとにかく先のことなど考えなさるな! 今目の前にあることに、全力を尽くしてみなさい。進んで倒れ、又起き上がって進む。決して倒れたままではダメですぞ。なんとしても起き上がって前へ進むのじゃ!!」

「はぁー、大声を出したら、喉が渇いたわい。そろそろ、アルコールがわしを呼んでいるようじゃ。この辺で失礼しますよ」

「諸君!! 過去も未来も関係ない、とにかくあんたが自由にできるのは今しかない。今を精一杯生きてみなされ。それでは、また生きていたらお会いしましょう!!」


ひとりごと

若いうちは、夢を持てばよいのです。

夢とは、利己的な願望、for me の考え方です。

一方、志とは、利他的な願望、for you, for them の考え方です。

ますは、夢を抱き、それを年齢と経験を重ねていくうちに、志へと昇華するのです。


【原文】
立志の立の字は、豎立(じゅりつ)・標置(ひょうち)・不動の三義を兼ぬ。〔『言志耋録』第22条〕

【意訳】
立志の「立」という字には、まっすぐ立つという豎立(じゅりつ)と、高く自らを保つという標置(ひょうち)と、簡単には動かないという不動の三つの意味が備わっている

【一日一斎物語的解釈】
立志とは、なるべく高く、まっすぐな志を立て、それを何があっても成し遂げるという覚悟をもつことである。


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第1947日 「後悔」 と 「改善」 についての一考察

営業2課の石崎君が肩を落として帰ってきました。

「どうした、少年。いつもの元気な挨拶はどこへ行った?」

「課長、すみません!!」

「な、なんだよ! 突然、デカい声を出すなよ。おしっこチビリそうになったじゃないか」

「Aランクで読んでいた松島内科のエコー装置の商談をロストしました」

「マジで? あれは間違いなく取れるって言ってたよな?」

「はい、絶対注文をもらえると思っていました。それで今日、納品日を決めようと思って訪問したら、他社に発注したと言われました」

「何が原因なんだ?」

「たぶん価格です。院長先生は、C社のエコー装置はビックリするくらい安かったと言っていました」

「お前から買いたいって言ってた院長だよな?」

「はい。私が飛び込みで訪問した施設です。最初は相手にもしてくれなかった院長でしたけど、少しずつ関係を構築して、最近はたくさん消耗品も買ってもらえるようになっていました」

「それなのに何故だ?」

「可能性があるとすれば、私が利益を取り過ぎたことかも知れません。粗利で20%乗せていたので」

「お前のことを信頼して、お前から買いたいと言ってくれたなら、取り過ぎって程でもないかもな?」

「悔しいです。今まで少しずつ築きあげてきた自信がすべて崩壊した感じです。私は営業という仕事に向いていないのかも知れません」

「石崎、お前は詰まらねぇ野郎だな!」

「えっ?」

神坂課長の意外な言葉に、居室が凍りついています。

「商談なんてものは、勝ったり負けたりするものだ。特に若いうちは、『ああして置けばよかったと後で反省することが多いのは当然のことだ。そういう悔しさは次の商談に活かせばいいんだよ。それなのに、自分は営業に向いてないだと? そう思うなら、とっと会社を辞めちまえ!!」

「神坂課長、それは言い過ぎですよ!!」
本田さんが、慌ててフォローしています。

「俺はお前には期待していたんだ。ちょっと俺の若いころに似ているし、やんちゃだけど根性のある奴だと思ってた。お前からそんな言葉を聞きたくなかったよ・・・」

「課長・・・」

「お前は今、貴重な経験をさせてもらっているんだ。悔しいと思える経験なんて、そうしょっちゅうはないぞ。その悔しさを活かすのか殺すのか、それはお前次第なんだよ」

「課長、俺、本当は営業が好きです。辞めたくないです!」

「よし、そうと決まれば話は早い! 今から、一発逆転を狙おうじゃないか?」

「ど、どうやってですか?」

「こうなったら裏技だ! たしか、松島内科の院長は、多田先生の高校の後輩だったはず。ここは多田先生にお出まし願おう!」

「そんなことしたら恨まれませんか?」

「シナリオはこうだ。俺が多田先生に頼んで、多田先生から松島先生に電話かメールを入れてもらう。値段が高いという話になる。そこで、多田先生が俺にとにかく値段を下げろとプレッシャーをかける。それに負けて俺が値段を下げる。これでどうだ?」

「なるほど」

「ついてこい! 今から多田先生のところへ行くぞ!!」


ひとりごと

昨日に続き、悔しさについての章句です。

小生も悔しさがバネになって努力したという経験があります。(第812日参照)

たしかに、悔しい思いをしたとき、もうやめてしまおうかと思うこともあるでしょう。

しかし、そこでやめてしまっては、それまでの努力が水泡に帰します。

自分に矢印を向け、しっかり反省して、良い方向に軌道修正しましょう!!


【原文】
悔の字は是れ善悪街頭の文字なり。君子は悔いて以て善に遷り、小人は悔いて以て悪を逐う。故に宜しく立志を以て之を率いるべし。復た因循の弊無からんのみ。〔『言志耋録』第21条〕

【意訳】
悔という文字は善悪の分れ目となる文字である。立派な人は後悔すると善の行動へと移っていくが、小人物はやけを起して悪い行動を起してしまいがちである。それ故に、しっかりと志を立てて後悔をコントロールしなければならない。また、ぐずぐずして行動しないという弊害を取り除かなければならない

【一日一斎物語的解釈】
悔いて反省をするか、悔いて自暴自棄になるか。これは人生の岐路となる重要事であるから、自分の志に照らして上手にコントロールすべきである。


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