一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2020年08月

第2008日 「人事」 と 「天命」 についての一考察

今日のことば

【原文】
大にして世運の盛衰、小にして人事の栄辱、古往今来、皆旋転して移ること、猶お五星の行(めぐ)るに、順有り逆有り、以て太陽と相会するがごとし。天運・人事は数に同異無し。知らざる可からざるなり。〔『言志耋録』第82条〕

【意訳】
大にしては時勢の盛衰、小にしては人間の栄誉と恥辱、これらは今も昔もぐるぐると旋回しており、あたかも五星の運行が順行もあれば逆行もあり、結局は太陽と相会するようなものである。天運も人事も宇宙の摂理に異なることはない。このことはよく理解しておくべきことだ

【一日一斎物語的解釈】
特に人との関係において発生する事象というものは、自分の力だけではどうにもならないこともある。人事を尽して天命を待つしかないのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、高校時代の同級生とZoom飲み会をしているようです。

「高井、そんなに落ち込むなよ」

「神坂、これが落ち込まずに入れるかよ。お前はいいよな、課長になれたんだから」

「俺の会社はお前の会社から見たら、吹けば飛ぶような会社だぞ。社員の数も全然違うし、比較の対象になるかよ」

「今度こそ、課長になれると思ってたんだ・・・。それがまさか、後輩が先に課長になるなんてよ。これでもう俺の課長の芽はなくなったよ」

「そんなことはないだろう」

「同じ課のメンバーが課長になったんだ。もう終わりだよ」

「正式に決まるのは4月じゃないのか?」

「ウチは9末が本決算だからな。昇格は10月1日に決まり、給与は翌年の4月1日から新しい役職として支払われる仕組みなんだよ」

「なるほど」

「俺があいつに負けているとは思えない。完全に好き嫌い人事だよ」

「そんなに課長になりたいものなのか? 俺はどっちでもよかったけどなぁ」

「ここで課長になれないということは、今後定年までずっと今のままだぞ。企業人として死を宣告されたようなものだよ」

「それは大袈裟だろう。なあ、高井。人事なんてものは、自分の力ではどうしようもないものじゃないか。そんなことに一喜一憂するのは、もったいないと思わないか?」

「出世しなければ、大きな仕事を自分の思い通りにできないんだ!」

「それはどうかな? 出世したって、仕事は思い通りにはならないよ。人事も仕事も、そんな生易しいものじゃない。やることを徹底的にやってプロセスに満足するべきだよ。結果がすべてではないはずだ!」

「それはきれいごとじゃないのか?」

「そうかも知れない。でも、俺はそう思うし、今後もそういうスタンスで生きていくよ。一度しかない人生だからな。不平不満で生きるより、楽天的に生きる道を選びたいんだ」

「神坂、お前はやっぱり大物だな。そんな考え方は俺にはできないよ。でも、お前に言いたいことを言ったら少しだけ気が紛れたよ」

「ははは。少しだけか?」

「ああ、少しだけな。(笑)」


ひとりごと 

人事を尽して天命を待つ、という言葉はいまも廃れずに残っています。

それは、逆の見方をすれば、そのことがどれだけ難しいかを物語っているとも言えるのではないでしょうか?

儒学の根底には、健康的なオプティズムが流れていると言われます。

努力は必ず報われると信じて、力を尽くす。

しかし、結果が思わぬ方向に出てしまったときには、努力したプロセスは無意味でなく次に活かせると信じて、また歩き出しましょう!!


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第2007日 「常夏」 と 「初秋」 についての一考察

今日のことば

【原文】
古今歴代の人気(じんき)、開国の時は豁然として春の如く、盛世の時は鬱然として夏の如く、衰季は則ち颯然として秋の如く、乱雑は則ち粛然として冬の如し。〔『言志耋録』第81条〕

【意訳】
古今を通して人の気というものをみると、建国の時はからりと開けた春のようであり、全盛期には草木が鬱蒼と茂る夏のようであり、衰退期は風が吹き落ち葉が舞う秋のようであり、騒乱の時は荒涼として冬のようである

【一日一斎物語的解釈】
国の盛衰にも企業の盛衰にも四季がある。常夏を実現することは容易ではないが、少しでも秋の到来を遅らせる工夫をすべきではないか。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業部の佐藤部長の部屋に居るようです。

「一斎先生って、物事を四季に例えるのがお好きですね」

「あー、たしかにそうかもね」

「今朝、ペラペラっとめくった時に目に留まったのが、国の盛衰を四季に例えている章句でした」

「『言志耋録』の中の言葉だったかな?」

「はい、そうです。あれを読んで思いました。ウチの会社も創業25年を迎えています。企業の寿命は30年とも言われていますから、普通に考えればもう冬の時期に入っているとも考えられます」

「当社は今のところお順調に売り上げを伸ばしているし、まだ夏真っ盛りだと思ってもいいのではないかな?」

「だとすると、いかに夏を維持して、秋の到来を遅らせるかですね」

社長も川井さんも、その辺はかなり真剣に考えているみたいだよ」

「我々にできることはありますか?」

「営業部である以上、売り上げと利益をしっかりと稼ぐことがまず第一だろうね。ただ、今回のCOVID-19によって、大きく時代が動いたのは間違いないから、そうした変化に対応できる組織にしていかなければいけないね」

「たしか、ダーウィンの言葉で、生存競争に生き残るのは、強い者でも、賢い者でもなく、変化に対応できる者だ、というのがあると聞いたことがあります」

「うん、実はそれダーウィンの言葉ではないらしいんだけどね」

「そうなんですか?!」

「まあ、それは置いておくとしても、その言葉のとおりだね。常夏を実現するには、変化にいち早く対応できなければいけない」

「ウチにも毎年新しい顔が入ってきています。彼らのためにも、会社を潰すわけにはいきませんね!」

「うん、そのために時代の変化をしっかりと先取りして、迅速に対応していこうじゃないか」

「はい。それに・・・」

「ん?」

「やっぱり夏がいいですよね。冬は嫌いです。寒いもんなぁ」


ひとりごと 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂にはほろびぬ、
偏へに風の前の塵におなじ。

これは有名な『平家物語』の冒頭の言葉です。

この世にあるものは、すべていつかは消えてなくなります。

しかし、奢るものは、慎ましいものより早く亡びるもの。

工夫次第で、秋の到来を遅らせることは可能なのではないでしょうか。


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第2006日 「陰徳」 と 「陽徳」 についての一考察

今日のことば

【原文】
英気は是れ天地精英の気なり。聖人は之を内に薀(つつ)みて、肯(あ)えて諸(これ)を外に露わさず。賢者は則ち時時之を露わし、自余の豪傑の士は、全然之を露わす。若し夫れ絶えて此の気無き者は、鄙夫(ひふ)・小人にして、碌碌として算うるに足らざる者と為すのみ。〔『言志耋録』第80条〕

【意訳】
すぐれた志気とは、この大自然における最もすぐれた気である。聖人はこのすぐれた気を内に蓄えて簡単には外に表わすことがない。賢者になると、時々これを外部に表わす。それ以外の豪傑の士はこの気を完全に外に表わしてしまう。もし、この気が全然無ければ、それは卑しい小人物であって、評価するに値しない人物だといえよう

【一日一斎物語的解釈】
聖人というものは、宇宙の摂理に常に適った活動をするが、賢人となると、時には宇宙の摂理から外れることもあり、豪傑の士は宇宙の摂理からは外れてしまっている。そして、凡人はそもそも宇宙の摂理というものの存在すら認識していない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、元同僚・西郷さんが主査するオンライン読書会に参加しているようです。

「サイさん、聞けば聞くほど、仁っていうものがわからなくなりますね」

「その感覚は私も経験したよ。仁はあまりにも広大無辺だから、凡人にはなかなか理解できないんだよね。あ、神坂君が凡人だというわけではないけどね」

「いやいや、私はザ・凡人ですよ! サイさん、今はある程度理解できたということですか?」

「仁がどういうものかを説明しろと言われるとまだ難しい。でも、仁を体現している仁者は意外と身近にもいるということがわかってきたんだ」

「本当ですか? 私の周りに顔回みたいな奴は一人もいませんよ!!」

参加者一同、画面の向こう側で大爆笑しています。

「本当の仁者は、自分を売り込もうとか、目立とうという気がまったくないんだよね。だから、こちらがそういう目でみないとなかなか見つけられないんだよ」

「へぇー、ウチの会社にもいるのかなぁ?」

「通常、そういう人は役職にも執着しないから、経営層にはいないかも知れないね」

「あえて言えば、佐藤部長だろうな。あ、サイさんは仁者かも知れませんね、元同僚ですけど」

参加者の皆さんは、笑顔で二人の会話を聞いています。

「顔回は、常に仁から離れないが、他の弟子は頑張って一ヶ月は仁を保っていても、翌月になると仁から離れてしまう。中には一日は頑張れても翌日には仁から離れてしまう者もいる。孔子は弟子たちのこをとそう評しているんだ。常に仁を持ち続けているということは、並大抵のことではないんだよ」

「そうでしょうね。仮に仁を宇宙の摂理のようなものだと考えてみると、仁者といわれるような人は、常に宇宙の摂理に則って生きることができるけど、凡人となると日によって、宇宙の摂理を外に放出してしまったり、内にため込んだりで一定しないということですね?」

「そういうことだと思うよ。人知れずに徳を積むと陰徳となってわが身に備わるけれど、それを他人にひけらかしてしまうと陽徳となって、わが身から離れてしまうんだろうね」

「なるほどなぁ。私なんて、巨人が勝った翌日は仁者でいられますけど、3連敗でもしようものなら、その翌日には、誰も近づけないくらい危険なオーラを発しているらしいです」

「ははは。それは駄目だね!」

「はい。物事に動じず、常に陰徳を積める人間にならないといけないですね。反省します。(笑)」


ひとりごと 

心の安定を保つというのは、とても難しいことですね。

夫婦喧嘩をすれば、会社に行っても気分がすぐれず、つい部下を叱責してしまったりといった経験は誰しもあるのではないでしょうか?

顔回は、怒りを遷さなかったと言われています。

つまり、怒りを覚えても、それで周囲への対応が変わるようなことは決してなかったということです。

常に、仁を、宇宙の摂理を心の奥深くにしまい込んだまま日々を過ごせる人を目指さねばなりませんね!


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第2005日 「自分の思い」 と 「他人の気持ち」 についての一考察

今日のことば

【原文】
事は固より自ら為に謀りて、而も迹(あと)の人の為にせしに似たる者之れ有り。戒めて之を為すこと勿れ。固より人の為に謀りて、而も或いは自ら為にせしかと疑わるる者之れ有り。嫌を避けて為さざること勿れ。〔『言志耋録』第79条〕

【意訳】
本来は自分のために計って行った事が、その形跡としてまるで他人のために行ったかのように見られることがある。これは自ら戒めてこういうことのないようにすべきである。また、本来は他人のためを思って行ったことが、まるで自分のためにしたかのように疑われるときもある。人からの嫌疑をさけて行動しないようなことがあってはならない

【一日一斎物語的解釈】
常に利他の心で行動することを意識し、仮に偽善だと言われようとも、思いに少しも利己心がないなら、行動を変えてはならない。


今日のストーリー

今日の神坂課長が喫茶コーナーの前を通りかかると、外をぼんやりと見つめている雑賀さんを見つけたようです。

「おい、雑賀、どうしたんだ。黄昏モードじゃないか」

「あ、神坂課長。参りました。俺、久々に落ち込んでます」

「何があった? よかったら話してくれないか?」

「聞いてくれますか?」

「もちろん。あ、ちょっと待ってな」

神坂課長は缶コーヒーを2つ買ってきたようです。

「ほら、これでも飲みながら話そうぜ」

「ありがとうございます。実は昨日、仕事終りに書店に寄ったんです。そこで、すごく真面目そうな中学生くらいの男の子が本を万引きしているところを発見したんです」

「おお。それで?」

「その子に声を掛けました。そしたら、その子が急に走り出したんです。事を荒げるつもりはなかったのですが、このまま逃がすわけにはいかないなと思って追いかけました。それに気付いた書店の店員さんがその子を捕まえたんです」

「よかったじゃないか」

「いや、その後なんです。私も店員さんとその子と一緒に、奥の部屋に通されて事情を聞かれたんですけどね」

「うん」

「そのときに、その子に言われたんですよ。『おじさんに見つからなければ、この本をばあちゃんに届けることができたのに!』って。泣きながらね」

「どういうことだ?」

「その子のおばあちゃんは、病院に入院していて、余命がもう少ししかないそうです。そのおばあちゃんが大好きな雑誌の最新号の発売日が昨日だったらしいんです」

「なるほど」

「ただ、その子は父親がいなくて、母親がその子を含めた3人の兄弟を育てているらしく、とても貧乏なんだそうです。俺も同じような境遇だったから、なんか余計なことをしてしまった気がして・・・」
雑賀さんも目に涙を浮かべています。

「雑賀、それは違うぞ!」

「え?」

「どんなに貧乏でも、万引きは駄目だ。お前が見つけたことで、その子は万引きの未遂で済んだ。もし、万引きに成功していたら、それがクセになっていたかも知れない」

「・・・」

「その子が何と言おうと、お前は正しいことをした。いいか、雑賀。それがその子のためになるんだ。お前は別にその子を捕まえて、警察に表彰してもらおうなんて思ったわけじゃないだろう?」

「それは、もちろんです!」

「お店の損失を防ぐことができたし、その子も未遂で済んだ。お前はやるべきことをやったんだ。誰が何と言おうと、それが利己心ではなく、世の中のため、利他の心で行うことなら、絶対に実行すべきだ!」

「神坂課長、あの子、わかってくれますかね?」

「すぐにはわからなくても、いつか必ずお前に感謝する日がくるさ」

「そうですね。俺も貧乏で何度か万引きをしようと思ったこともありました。でも、やろうと思うたびに母ちゃんの悲しむ顔が目に浮かんで、できなかったんです。今はそれでよかったと思っています。あの子もこれに懲りてもう万引きはしないで欲しいです」

「大丈夫だよ。同じような境遇のお前に見つけてもらったのは偶然じゃない。その子は、きっともう万引きはしないよ!」


ひとりごと 

人の心は自分の想い通りにはなりません。

善かろうと思ってやったことが、時には相手を傷つけることもあります。

しかし、それはやり方や言い方の問題であって、その思いに間違いはないのです。

次はやり方や言い方を工夫して、世のため、人のために再び行動できる人でありたいですね!


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第2004日 「精神」 と 「肉体」 についての一考察

今日のことば

【原文】
霊光に障碍無ければ、則ち気乃(すなわ)ち流動して餒(う)えず、四体軽きを覚ゆ。〔『言志耋録』第78条〕

【意訳】
心の本体である霊妙な光を遮るものが無ければ、気が体全体に流動して不活発になることはない。全身が軽くなるのを感じる。

【一日一斎物語的解釈】
修養によって心の曇りを拭いされば、大自然の摂理に則った行動ができるようになり、その結果、体調も万全となる。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、とある市民病院の駐車場で偶然、同業他社Y社の小出さんと鉢合わせになったようです。

「おお、神坂君。久しぶりだね。ここにも来てるの?」

「ああ、小出さん、ご無沙汰しています。いや、今日は若造の代理で、商品を納品してきたところです」

「なるほど。まさか、その若造はコロナ?」

「違いますよ! ピンピンしてますよ。ただ、別の施設の立会とバッティングしたので、こっちを私が引き受けただけです」

「そうかぁ。実は、K医科の丹沢君がさ、鬱で会社をずっと休んでいるらしいんだよね」

「え? あの活発な丹沢君がですか?」

「そう。何があったのか知らないけど、もう3ヶ月くらい会社に来ていないらしい」

「コロナ鬱ですか?」

「詳しいことは知らないんだけどね。彼の上司はあの河上さんだろ。相当バチバチやってたらしいよ」

「パワハラですか?」

「そういうことじゃないのかなぁ」

「きっとコロナがダメ押ししたんじゃないですか。彼は高校球児だったし、いまも草野球を続けていると聞いています。いままでは河上さんのストレスを野球で紛らせてきたんでしょうけど、いまはそれもできないじゃないですか」

「なるほどな。そうかもねぇ」

「心が曇ると、体調に出るのが普通の人間です。職場と自宅以外のサードプレイスがないと、人間はストレスに負けてしまうんでしょうね」

「神坂君のサードプレイスは、飲み屋かい?」

「否定はしませんけど、最近は読書会もとても重要なサードプレイスです」

「読書会? どんな本を読んでるの?」

「『論語』です」

「マジで?! 嘘だろう? 君が『論語』を読んでるの?」

「失礼な言い方ですね! 『論語』は心の曇りを拭うのには最適な書物ですよ」

「へぇー、どうりで最近、天変地異が多いなと思ったけど、原因はここにあったのか」

「そんなわけないでしょ! 相変わらず失礼なオッサンですね。小出さん、学ばないと老いたときに脳から腐りますよ!!」

「まさか、とっくに脳が腐っていると思っていた神坂君にそんなことを言われるとはね!」

ひとりごと 

健全な精神は健全な肉体に宿る、と言われます。

しかし、現代は逆なのかもしれません。

つまり、健全な精神がなければ、健全な肉体は保てない、のではないとも思います。

現代のストレス社会に負けないためにも、まず心の手入れをしっかりしましょう!!


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第2003日 「気力」 と 「体力」 についての一考察

今日のことば

【原文】
人心の霊は気を主とす。「気は体の充てるなり」。凡そ事を為すに気を以て先導と為さば、則ち挙体失措(しっそ)無し。技能・工芸も亦是(かく)の如し。〔『言志耋録』第77条〕

【意訳】
人の心の霊妙さは気を主体としている。『孟子』には「気は体の充てるなり」とある。およそ何か事を為すときには、志気を先導とすれば、体全体に過ちは生じないものである。技術や工芸なども同様である

【一日一斎物語的解釈】
何事も志を立てれば、それに気が連動して、万事うまくいく


今日のストーリー

今日の神坂課長は、担当の善久君に同行して、A医科大学の若手有望ドクターである戸田先生に面会中のようです。

「それにしても戸田先生、最近は各メーカーさんから引っ張りだこですね」

「ありがたいことです。新しいデバイスや手技を開発して、日本の医療のお役に立てるなら、こんな嬉しいことはないですからね」

「すばらしいですね。我々がディーラーという立場でどれだけご協力できるかわかりませんが、ぜひ先生の志を達成することをサポートさせてください」

「ありがとうございます。善久君は若いですが、一所懸命に仕事をしてくれるので助かっていますよ」

「ありがとうございます。善久、戸田先生に褒めてもらえるなんて最高じゃないか!」

「はい、戸田先生、ありがとうございます」

「それにしても、先生。あんまり寝てないんじゃないですか? 症例を毎日こなしながら、ペーパー(文献)も書いて、さらにこうしてデバイスの開発にも携わっていらっしゃる。睡眠時間はどれくらいですか?」

「毎日3時間くらいですかねぇ」

「それでは、身体もしんどくないですか?」

「神坂さん、さっきも言ったように、私は日本の医療に貢献したいんです。せっかく声をかけてくれるのに、断ることなんてできないですよ」

「熱い男ですね!」

「お見受けする限り、神坂さんもそんな方だと拝察しますけど?」

「あ、先生、おっしゃるとおりです。神坂課長ほど熱い人は弊社には居ません」

「ははは。やっぱりね! でもね、神坂さん。実は身体も全然しんどくないんですよ。やりたいことを全力でやれているからかな?」

「志ですね。日本の医療に貢献したいという先生の志が全身に漲っているから、身体も快調なんでしょうね」

幸い私はまだ30代前半ですので、気力も体力も充実しています。しばらくは突っ走りたいんですよ!」

「全力でサポートします。善久だけで手に負えないときは、私も喜んで駆けつけますから!」

「やっぱり、神坂さんも熱いねぇ!」

「はい。ただ、先生・・・」

「なんでしょう? 40歳をこえるとガクンと体力も気力も落ちます。今のうちにやりたいことは全部やってください!!」

「なるほど、経験者は語るですね。しかし、神坂さんもまだまだ眼は死んでないと思うけどな」

「そうですね、先生の話を聞いて、なんだか私も燃えてきました! お互いに頑張りましょう!!」


ひとりごと 

人間にとって、気力も体力もどちらも重要ですが、何かを成し遂げるには気力の充実が不可欠です。

体力だけでは何もできません。

気力を漲らせ、それをやりきる体力があって、初めて事は成就するのでしょう。

気力の源は志だ、と一斎先生は言います。

やはり、立志こそが成功の原動力なのですね。


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第2002日 「長の心」 と 「組織の空気」 についての一考察

今日のことば

【原文】
胸次清快なれば、則ち人事の百艱(ひゃくかん)も亦阻せず。〔『言志耋録』第76条〕

【意訳】
胸の中が清清しければ、人間同士の幾多の艱難に遭っても行き詰まることがない

【一日一斎物語的解釈】
心に一点の曇りもなければ、人間関係は常に良好なものとなる。


今日のストーリー

営業2課の善久君が神坂課長に相談事を持ち込んだようです。

「またか! 山川先生は何回同じことを繰り返すんだろうな」

「はい、この前は看護師長さんと揉めて、看護師長さんを泣かせたばかりですからね」

「で、今度はME(臨床工学技士)さんか。原因は?」

「処置具の操作が遅いという理由みたいです。阿吽の呼吸を求めすぎですよね!」

「それで前回同様、小南ナースから俺にSOSが来たわけだな?」

「そういうことです」

「面倒くせぇなぁ」

「でも、これを解決できるのは課長しかいないというのが、小南さんの判断です」

「ありがたいのか、ありがた迷惑なのか、よくわからんな」

「またお礼に何か注文をくれると思います」

「お前な、他人事みたいにニコニコしてないで、お前が俺の代わりになれるように関係構築してくれよ」

「山川先生は、3年は通わないと認めないという先生ですから、あと1年くらいは必要です」

「まあ、人の振り見て我が振り直せ、って言葉もあるからな。俺も短気にかけちゃ、山川先生といい勝負の人間だし、また勉強させてもらうか」

「ありがとうございます」

「善久、人間というのは、心に何か不安とか不満があると、他人に当たってしまうから気をつけないといけないな。常に自分の心の中を快晴に保っておかないとな」

「山川先生は、いつも不満そうな顔をしていますね」

「モノの見方だと思うんだけどな。どんな人にも良い点と悪い点がある。また、どんな出来事にも良い面と悪い面があるのが世の中だと思うんだ」

「はい」

「だったら、良い点、良い面を見るように心がければ、心は晴れるんだよ。俺はようやくこの歳になって、それに気づいたんだ」

「あの~、課長」

「なんだよ?」

「早く行きませんか? 小南さんから何回もショートメールが来るんです。『まだ?』って」

「ちっ、少しくらい蘊蓄を語らせてくれよなぁ!!」


ひとりごと 

人の上に立つ人は、特にこの点に注意しておかないといけませんね。

部下というのは、常に上司の顔色をみて相談のチャンスをうかがっています。

また、組織や職場の雰囲気というのは、その長が作り出すものです。

トップが明るく清々しい心で接すれば、職場の雰囲気は自然と良くなり、それが成果にもつながるはずです。


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第2001日 「快楽」 と 「家族」 についての一考察

今日のことば

【原文】
人は須らく快楽なるを要すべし。快楽は心に在りて事に在らず。〔『言志耋録』第75条〕

【意訳】
人はつねに快く楽しい状態であるべきである。快楽というものは自分の心の中に在るのであって、事物そのものにあるわけではない

【一日一斎物語的解釈】
人生の喜びは、物を所有することではなく、心を満たすことに注がれねばならない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、佐藤部長と同行中のようです。

COVID-19の影響で、再びメーカーさんの訪問規制は厳しくなってきましたね」

「こういう時に現場さんが困らないように、しっかり仕事をするのが我々の役目だね」

「それにしても、外出することが制限されるといろいろな価値観が変わりますね。ウチのカミさんなんて、外出する必要がないから服を買うお金が浮いたとか言ってました。喜んでいいのか、悪いのかって感じです」

「ははは。そういう意味での価値観も見直すときなのかも知れないね」

「どういうことですか?」

「我々はどうしても物を所有することで満足する傾向があるよね。それで幸せを感じるといった面がね」

「たしかに、それはありますね。少しでも良い車に乗りたいとか、高い時計が欲しいとか」

「しかし、それも外出しないなら宝の持ち腐れだよね」

「そうですねぇ」

「一斎先生は、物を所有することで感じる喜びは本物の喜びではない、と言っている。いかに心を満たすかだってね」

「なるほど、心を満たすか。となると、読書ということになるのですかね?」

「もちろん、読書はそうだろう。でも、いまこそ家族の絆とか、家族愛みたいなものも見直す必要があるんじゃないかな? 皆が無事に暮らせていることが、いかに幸せなことかってことをね」

「ああ、そうですね。明らかに普段より顔を合わす機会も多いので、自然と会話も増えます。それは、とても良いことなんですね」

「僕は今はひとりだからね。神坂家が羨ましいよ」

「そういえばこの前、時々家族で行く回転寿司でテイクアウトを頼んで、みんなで食べたんですけど、なんだか幸せを感じました」

COVID-19によって、多くのことが制限されて、窮屈になっているけれど、一方でそういう何気ない日常に感謝する機会も与えられたんだろうね」

「家族で笑い合うというのは、読書なんかよりはるかに心を満たしてくれますね」

「人間の感じる最高の喜びはそこにあると思うよ」

「なるほどなぁ。今度の土日には昔のビデオでも引っ張り出して、家族で鑑賞会を開いてみるかな!」


ひとりごと 

2001日目を迎えて、レイアウトを一新してみました。

まず、『言志四録』の言葉を味わう。

その後に関連するストーリーをお読み頂き、最後にひとりごとで締める。

しばらくはこのスタイルでいってみます。


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第2000日 「暦」 と 「己」 についての一考察

神坂課長が大累課長と雑談中のようです。

「ようやく梅雨明けらしいですね。もう8月ですよ。異常気象もここまで来たかって感じですね」

「本当だな。むしろ、『えっまだ梅雨は明けてなかったの?と思っちゃったけどな」

「梅の頃の雨っていう意味で、梅雨って書くんですよね? 漢字の変更が必要じゃないのかな?」

「ははは。たしかに!」

「そして南の海上には台風が発生しているらしいですよ。むかしは台風って9月以降のイメージでしたよね? どうなってるんだろうなぁ」

「日本の文化を育んできた四季が崩れていく気がして残念だよな」

「お陰で最近は、水不足という言葉を聞かなくはなりましたけどね」

「そうだなぁ。でもな、一斎先生はそうやって暦と天候がズレるとちょっとでも文句を言う癖に、人は自分の言動と行動が一致していないことには気づかない。そっちの方が問題じゃないのか、と言ってるんだよ」

「ゲッ、それは痛いところを突かれた感じですね」

「だろ? あの言葉を読んでからは、大声で文句を言いにくくなった。(笑)」

「そういえば、昔は朝、会社に来ると、神坂さんが大概何かに文句をつけて吠えてましたよね」

「そういう恥ずかしいことは早く忘れてくれない?」

「そう簡単に忘れられませんよ。あれが嫌で直行してた奴もいましたからね!」

「マジで?! 誰よ?」

「それはそいつの名誉のために、内緒にしておきます」

「新美だろ?」

「ブッ」

大累課長が口に入れたコーヒーを噴き出したようです。

「汚ねぇなぁ。でも、そうやって慌ててるところみると、やっぱり新美だな。なんだよ、直接文句を言えばいいのによ」

「あの場面で文句を言ったら、怒りの矛先が自分に向くのは目に見えてますからね。そんな危険を冒すバカはいませんよ」

「若気の至りとはいえ、恥ずかしいなぁ」

「そう考えると、神坂さんも変わりましたね。神坂さんの場合、一日の間に四季がありましたからね」

「どういう意味だよ?」

「笑う→怒る→凹む→悲しむ、という感情の四季をぐるぐる巡ってましたよ」

「そうか、でもその感情の四季ってのは、なくなった方が良い訳だな?」

「そうなんですけど、ちょっと寂しさも感じたりしますね。(笑)」

「そうなのか? じゃあ、昔の俺に戻るか?」

「あっ、余計なこと言っちゃった。また、新美に怒られる。『神坂さんを煽らないでくれ!』って」


ひとりごと 

自分の言動と行動の不一致を棚に上げて、周囲に文句を言っていないか?という一斎先生のご指摘は強烈ですね。

仰るとおりです、と頭を垂れるしかありません。

まずは、修己、その後に治人というのが、儒学の基本的なスタンスです。

己をしっかりと省みる必要がありますね。


【原文】
寒暑の節候、稍暦本と差錯(ささく)すれば、人其の不順を訴う。我れの言行、毎(つね)に差錯有るも、自ら咎むるを知らず。何ぞ其れ思わざるの甚だしき。〔『言志耋録』第74条〕

【意訳】
寒暑の時節時候が暦と少し違うだけで人は天候の不順さを訴える。一方、私の言行にはいつもズレがあるが、それを自ら咎めることをしていない。なんとはなはだしく考えの足りないことではないか

【一日一斎物語的解釈】
周囲の環境に文句を言う前に、自分の言動と行動が一致しているかを反省せよ。


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第1999日 「聡明」 と 「無償の愛」 についての一考察

今日の神坂課長は、元同僚の西郷さんと食事しているようです。

「サイさん、読書会はしばらくオンライン開催ですか?」

「うん、8月からはリアルに戻そうかと思ったんだけど、今の状況を見ると難しいかなぁ」

「そうですね。まあ、私の場合は終了後の懇親会が一番の楽しみなんですけどね。(笑)」

「それはそれで良いと思うよ。私も皆さんと一緒に一杯やりたいもんね!」

「飲食店も大変ですね。こうやって、仲間内であっても、アクリル板で仕切って飲食をするようにお客さんにお願いしなきゃならないなんてねぇ」

「そのうち、営業もアクリル板を隔てての商談が主流になるかもよ?」

「それじゃますます相手の本心が見えなくなりますね」

「そういう時代になるならなおさら、自分の心の曇りを磨いて、鏡のように研ぎ澄ませて置かないとね」

「自分の心がピカピカの鏡のようになっていれば、相手の心も視通せるということですか?」

「儒学者は、そう考えているよね。自分の心が曇る最大の要因は、私利私欲だ。そういうものを心から極力追い出しておけば、相手の言葉や表情から真意を汲み取ることは可能だ、という見方だね」

「たしかに若い頃は、どうしても売りたいという気持ちが強すぎて、相手の気持ちを読めずにごり押しをして、よく断られました。『二度と来るな』と言われたこともあったなぁ」

「お前の会社は、押し売りの営業マンを育てているのか!って怒られたこともあったね」

「その節はご迷惑をおかけしました。(笑)」

「『論語』で最も大切な徳目は、仁だとされているよね。あの仁というのは、今の私の定義では、『無償の愛』ということになる。親は子供のためなら、自分のことを顧みずになんでもするものだよね。あれが無償の愛、つまり仁だと思うんだ」

「なるほど。よくありがちな『思いやり』という定義よりは、よっぽど深くて腹に落ちますね」

「それを、血のつながった身内だけでなく、他人にも施せるか。それが孔子塾の大きな実践項目だったんだろうね」

「お客様に対しても、無償の愛で課題解決を図ることを心がけるべきなんですね?」

「とても難しいことだけどね。それをするには、自分の心から私利私欲を取り払わないといけないだろうね」

「なるほど。営業スタイルが、アクリル板経由になろうと、オンラインになろうと、仁の心で無償の愛をもって接することができれば、結果は出るんでしょうね。いや、勉強になりました!」


ひとりごと 

自分の目で見ている世界は、すべて自分というフィルターを通してみている主観の世界なのだと言われます。

当然そこには、自分の私利私欲が紛れています。

少しでもそうしたものを払って、なるべくクリアな心を維持できれば、相手の心の中もある程度は見通せるのかも知れません。

しかしそのためには、仁の心=無償の愛で接するという、とても難易度の高い言動が必要となります。

そのために、日々の修養が必要となるわけです。


【原文】
能く疑似を弁ずるを聡明と為す。事物の疑似は猶お弁ず可し。得失の疑似は弁じ難し。得失の疑似は猶お弁ず可し。心術の疑似は尤も弁じ難し。唯だ能く自ら霊光を提して以て之を反照すれば、則ち外物も亦其の形を逃るる所無く、明明白白、自他一様なり。是れ之を真の聡明と謂う。〔『言志耋録』第73条〕

【意訳】
紛らわしくて判別しづらいものを弁別することを聡明という。事物の紛らわしいものは弁別することが可能である。当を得ているか否かを弁別することは難しい。それでも当を得ているか否かはなんとか弁別可能であるが、心のはたらきの是非を弁別することは究めて難しい。ただ自身の霊妙な心の光で照らしてみれば、外から入ってくる名利の念や欲望などは、その本性を現わさざるを得ず、すべて明白に、自分と他者とを一致させることができる。これを本当の聡明というのだ。

【一日一斎物語的解釈】
自分にとっての損得を見分けることは、物事の是非を見分けることよりも難しく、人の心を見分けることは更に難しい。しかし、修養によって、生まれながらに授かった真の心のはたらきを取り戻したならば、他者の心を正しく観ることも不可能なことではない


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