今日のことば
【原文】
小児は喚(よ)びて慧児(けいじ)と做せば則ち喜び、黠児(かつじ)と做せば則ち慍(いきどお)る。其の善を善とし悪を悪とすること、天性に根ざす者然るなり。〔『言志耋録』第163条〕
【意訳】
子供に賢い子だといえば喜び、悪い子だといえば怒るものだ。このように、善いことと悪いことを弁えることは、本来天から与えられた特性であり、穢れのない子供はそれをそのまま発揮することができるのだ。
【一日一斎物語的解釈】
本来、人間は善悪を弁える力を備えている。子供の頃には自然に発揮できたこの力は、生きていく中で弱まっていくので、注意が必要である。
今日のストーリー
今日も神坂課長は、新美課長とランチに出かけたようです。
「子供って素直で面白いぞ。良い子だと言えば喜ぶし、悪い子だと言えばムッとするからな。裏表がないというか、わかりやすいよ」
「ウチはまだ生まれて間もないので、そういうのを知るのはもう少し後ですかね。でも、楽しみです」
「ウチは二人とももう生意気なガキになっちまったからな。あの頃のような素直さがだいぶ失われつつあるなぁ」
「高校生くらいから、もうそんな感じですか?」
「うん。たとえば誉めてやっても、素直に喜んだりはしないぜ」
「でも、本当は嬉しいんじゃないですか?」
「そうだといいけどねぇ・・・」
「私たちも高校生くらいからそういう純真さを失っていったのでしょうかね?」
「そうかもなぁ。まともに親父と口をきかなくなるのもその頃だったもんな」
「だからこそ、正直に生きろということを子供に言わなければいけないんですね?」
「言ったところで、どれだけわかってもらえるかは疑問だけど、やっぱり言わないよりは言った方が良いと信じたい」
「はい」
「ウチの会社でひねくれ者といえば、清水か雑賀だろうな」
「ははは。それは同感です」
「でも、実はあいつらはものすごく素直な奴なんだと思うよ。ただ、照れ屋だから、ああいう態度を示すんだろうな」
「あ、そうかも知れません。清水さんに商談を決めてくれてお礼を言うと、必ず『あの程度の商談でお礼を言われてもな。次はもう少し大きいのを狙うよ』って言われるんですけど、やっぱり表情は嬉しそうですからね」
「わかりやすい奴だな。人生の折り返しを迎える俺たちとしても、ここでもう一回素直で純真であるためのネジを巻きなおさないといけないな」
「どうやってですか?」
「古典だよ、特に東洋の古典を学ぶのが一番だ。短いフレーズで心にスッと入ってくる言葉がたくさんある」
「部長も神坂さんも『言志四録』が愛読書でしたよね。私も読んでみようかな?」
「『読んでみようかな?』なんて言ってたらダメだ。『読みます!』って言いきらないと!」
ひとりごと
皆さんは褒められた時、素直に喜べますか?
もし、裏を読んだり、皮肉を言ったりしてしまう人は注意が必要です。
もって生まれた善悪を見極める心を失いつつあるのかも知れません。

