一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2020年12月

第2150日 「古典」 と 「真偽」 についての一考察

今日のことば

【原文】
古書は固より宜しく信ずべくして、未だ必ずしも悉くは信ず可からざる者有り。余嘗て謂う、「在昔通用の器物は、当時其の形状を筆記する者無かりき。年を経るの久しきに至りて、其の器も亦乏しくして、人或いは其の後に及びて真を失わんことを慮り、因って之を記録し、之を図画し、以て諸を後に貽(のこ)せり。然るに其の時に至りては、則ち記録・図画も亦既に頗る謬伝(びゅうでん)有るなり。書籍に至りては、儀礼・周官の如きも、亦此(これ)と相類す。蓋し周季の人、古礼の将に泯(ほろ)びんとするを憫(うれ)い、其の聞ける所を記録し、以て諸を後に貽せり。其の間全く信ず可からざる者有り。古器物形状の紪繆(ひびゅう)有ると同一理なり。之を周公の著わす所なりと謂うに至りては、則ち固より盲誕(もうたん)なること論亡きのみ」と。〔『言志耋録』第224条〕

【意訳】
古い書物は元来信ずべきものではあるが、必ずしもすべてが信用できるものではない。私はかつて、「昔、一般的に使用された器物については、当時はその形状を記録したものは存在しなかった。年月を経て、それらの器物も希少となり、人びとは後の世に実際の形状が忘れられることに配慮して、これを記録し、図や絵として書き留め、後の世の為に残したのである。しかしその頃には、記録や図画も既にかなり間違って伝わっているものもあった。書籍に関していえば、『儀礼』や『周礼』などもこれと同様であろう。思うに周代末期の人々が古い礼が廃れることを患いて、聞いたことを記録し、後世に残したのである。それらは全部が全部信用できるようなものではない。古代の器物の形状があやまりであることと同じ理由である。これら(『儀礼』・『周礼』)を周公旦の著作だと言うに至っては、当然でたらめであることは論ずるまでもないことである」と言った。

【一日一斎物語的解釈】
古い書物が必ずしも信頼できるとは限らない。古典を読む時は、真偽にこだわるよりも、自分を成長させるために読むべきだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、佐藤部長と「季節の料理 ちさと」で食事をした後、久しぶりにもう一軒寄り道をしたようです。

「本当に今年もお世話になりました。部長には足を向けて寝れません」

「こちらこそ、神坂君にはいろいろとお世話になりました」

「え、私がですか?」

「まず、営業2課だけでなく、営業部全体をよくまとめてくれたよね。とても感謝しているよ」

「嬉しいお言葉です」

「古典の学びのお陰かな?」

「はい。それは間違いありません。ただ、部長」

「何?」

「古典に書かれていることはすべて事実とは限らないんですよね?」

「そうだね。たとえば『論語』にも、後から紛れ込んだと思われる文章もある。そもそも、孔子は堯や舜については語っていないのではないか、という説もあるしね」

「そうなんですね」

「ただね。事実か否かというところにあまり拘る必要はないかもね」

「そうですよね。自分にとってプラスになるように読めば、それで良い気がします」

「うん、今から2500年前のことが事実かどうかを深堀りするより、今に活かせることを学びとれば良いんだよね」

「はい、以前にも部長にそう言われたことを覚えています」

「うん、私はずっとそういう読み方をしているよ」

「来年も自分の行動変容につながる読み方をしていきます。古典ではないですけど、最近、宮城谷昌光さんの『孔丘』という本が出たので購入しました。年末年始はこれを読むのが楽しみです」

「宮城谷さんがどう孔子を料理するのか、楽しみだね。実は、私も買ったんだ」

「では、年明けに感想を語り合いましょう!」

「そうだね。では、そろそろ」

「はい。佐藤部長、どうぞ良いお年をお迎えください。そして、来年も変わらずよろしくお願い致します」

「こちらこそ。良いお年を!」


ひとりごと

今年も1日も休まずにブログを書き続けることができました。

来年も書き続ける所存です。

どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

皆様、良いお年を!


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第2149日 「アメとムチ」 と 「徳」 についての一考察

今日のことば

【原文】
政に寛猛(かんもう)有り。又寛中の猛有り、猛中の寛有り。唯だ覇者は能く時に随い処に随いて、互いに其の宜しきを得ることを為す。是は則ち管・晏の得手にして、人に加(まさ)る一等の処なり。抑(そもそも)其の道徳の化に及ばざるも亦此に在り。〔『言志耋録』第223条〕

意訳
政治には寛大さと厳しさの両面がある。さらに、寛大さの中に厳しさがあり、厳しさの中に寛大さがある。覇者と呼ばれる人は、時と場所に応じて自在に寛大さと厳しさを使い分けた。これは管仲や晏嬰(あんえい)が得意とするところで、人に長じた点であった。しかしそれが、道徳的な感化に至らなかったところに、覇道の限界があるのだ

一日一斎物語的解釈
人の上に立つ者は、寛大さと厳粛さの両面を上手に使いこなす能力が必要である。しかし、本当に人の心を動かすのは、その人の徳であることを忘れてはいけない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、佐藤部長と仕事納め後に「季節の料理 ちさと」で食事をしているようです。

「最近、しみじみと思うんだけど、神坂君も上司らしくなってきたよね」

「本当ですか? それはなにより嬉しい言葉です」

「昔は力で部下を押さえつけようとしていたけど、今はそれがなくなったよね」

「そうですね。以前はいかにアメとムチを上手に使い分けるかばかりを考えていましたね。特に私はついついムチをつかいがちなので、アメを使う必要性を感じていました」

「うん。でも、アメとムチだけでは人は動かないことに気づいたんだね?」

「はい。それは部長から『言志四録』のことばを教えてもらったり、サイさんから『論語』の面白さを教えてもらったお陰です」

「古典の学びか、すばらしいね」

「5年前の私に、『お前は5年後に古典を読むような人間になっているぞって言ったら、驚くでしょうね」

「ははは。5年前の私も驚くかも知れないなぁ」

「あ、それはそうかも知れません。(笑)」

「ねぇ、ママ。神坂君はだいぶ変わったよね?」

「そうね。顔がやさしくなったよね。私はやんちゃな神坂君も嫌いじゃなかったけどね」

「うそ? やんちゃが良いなら、やんちゃに戻るよ!」

「バカなこと言わないの! それより、アメとムチでは人は動かないことがわかったって言ってたけど、それなら何で人を動かすの?」

「徳だよ。もちろん、今の俺に徳があるとは思ってないから、ご安心を。でもね、そういうものが必要だってことには気づいた」

「それで古典を読む気になったのね?」

「そう。立場が自然とそうさせたって感じかなぁ」

「いや、決してそうではないと思うよ。なんとかメンバーをマネジメントしたいと、神坂君が真摯に考えたからこそ、古典とめぐり合うことができたんだよ」

「えらいぞ、神坂!」

「じゃあ、ママ。なにがご褒美を頂戴!!」

「いいわよ。じゃあ、これ、鯛のお造りをサービスしてあげる!」

「これは、ありが鯛」

この後、店内には微妙な空気が流れたのは言うまでもありません。


ひとりごと

覇道とは力で人を動かすことです。

これには法と罰が必要になります。

しかし、法と罰とでは、人を強制的に動かすことはできても、自発的に動かすことはできません。

人を自発的に動かすためには、王道のマネジメントが必要であり、その根本は徳と礼だとされます。

もちろん王道だけではきれいごとになるかも知れませんが、覇道だけではダメだということにも気づかねばなりませんね。


taino otsukuri

第2148日 「名文」 と 「上達」 についての一考察

今日のことば

【原文】
文章は必ずしも他に求めず。経書を反復し、其の語意を得れば、則ち文章の熟するも、亦其の中に在り。〔『言志耋録』第222条〕

意訳
文章を上達させるために他の書を探し求める必要なない。四書・五経を繰り返し読み、そこに掲載された言葉の真意を理解できれば、自然と文章は上達するものである

一日一斎物語的解釈
文章を上達させたいと望むなら、名文を繰り返し読み、その意を汲み取ることを心がけさえすればよい。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、元同僚の西郷さんと食事をしているようです。

「相変わらずちさとママの料理は美味しいねぇ」

「西郷さん、お久しぶりですね。お元気でなりよりです」

「ママは相変わらずお綺麗ですね」

「ありがとうございます。あら? 神坂君、何か言いたげね?」

「別に何もないよ。ママ、それは俺に何か言ってほしいわけ?」

「結構です!」

「なんだよ、それ!」

「ははは。あ、そういえば神坂君。この前、文章が上手になりたいと言ってたよね?」

「そうなんです。学がないから、どうも文章は苦手で、メールを先生に送る時もめっちゃ緊張するんです。何か良い本とかないですか?」

「そうだねぇ、書き方の本はたくさん出ているけど、ああいう本を読むよりは、名文を何度も読み返したり、それを転記したりする方が役に立つと思うよ」

「名文ですか?」

「森鴎外の『高瀬舟』とか、いいんじゃない?」

「お、さすがはママ。うん、あれは良いよ」

「『高瀬舟』ですか? 森鴎外? なんですかそれ?」

「森鴎外は明治時代の文豪。『高瀬舟』はその鴎外の代表作で、名文の誉れ高い作品だね」

「それを繰り返し読むと良いんですか?」

「できれば声に出して読むと良いわよ。あの文章の素晴らしさがよくわかると思うわ」

「それで文章が上手くなりますか?」

「野球でいうなら、素振りと同じだよ。バッティングの基本は素振りでしょ?」

「その通りです。素振りと同じか。よし、明日さっそく書店に行ってみます」

「はい。では今日のシメは、その森鴎外の故郷、津和野の郷土料理、うずめ飯を召し上がれ」

「ほぉー、懐かしい。実は、私も島根の出身なんですよ。うれしいなぁ!!」


ひとりごと

さすがに現代においては、文章上達のために経書を読むことが解決策にはならないでしょう。

しかし、名文と言われる文章を声に出して読むことは有意義だと思います。

森鴎外の『高瀬舟』、川端康成の『雪国』、三島由紀夫の『金閣寺』などがおススメでしょうか。

今年はステイホームの年末年始となる方が多いでしょうから、名文を読んでみるのも良いかも知れません。


uzumemeshi

第2147日 「経書」 と 「歴史」 についての一考察

今日のことば

【原文】
史学も亦通暁せざる可からず。経の史に於けるは猶お律に案断有るがごとし。推して之を言えば、事を記するものは皆之を史と謂う可し。易は天道を記し、書は政事を記し、詩は性情を記し、礼は交際を記す。春秋は則ち言うを待たざるのみ。〔『言志耋録』第221条〕

【意訳】
歴史もまた広く理解しておくべきである。経書と歴史との関係は、法律と判例との関係のようなものである。さらに推し広げて言えば、出来事を記録したものはすべて歴史と言うことができる。『易経』は天地の移り変わりを記し、『書経』は政治を記録し、『詩経』は人の性質や感情について記録し、『礼記』は人との交際を記している。『春秋』については言うまでもないことである

【一日一斎物語的解釈】
歴史は先人が行動した実例であり、結果である。経書に照らして歴史書を読むべきだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、総務部の西村部長、営業部の佐藤部長と3人で今年最後の寺社巡りをしているようです。

西村「本来なら泊りで来たかったけど、今年は仕方ないね」

佐藤「3人なのに、車2台で動くのも初めてですね」

西「だからこうしてビールを飲めるのは俺だけだな。ははは」

神坂「『ははは』じゃないですよ。普通は運転手に遠慮して飲まないでしょ!」

西「神坂君、車にガソリンを入れなければ走らないだろう?」

「それはそうですよ」

西「俺のガソリンは酒だからね。酒を飲まないと動けないんだよ」

「何を言ってるのかわかりません」

西「お、あれは歴女っていわれる女の子たちだな。最近はああいう子たちが増えたね」

「ここは光秀の菩提寺ですからね」

「あ、西教寺って、明智光秀の菩提寺なんですか?」

西「君はそんなことも知らずについてきたのか?」

「歴史は苦手でして・・・」

西「歴史は勉強すべきだぞ。仕事に役立つことも多い」

「私は『論語』とか『言志四録』といった古典の方が好きです」

「一斎先生は、どちらも大事だと言っているよね?」

「え、そうでしたっけ?」

「うん。『経書と歴史は、法律と判例のようなものだ』とね」

西「それは見事な喩えだね。たしかに、法律ばかり勉強しても、実際の判例を学ばなければ、法律家にはなれないだろうなぁ」

「おっしゃるとおりです。要するに、経書に照らして、歴史書を読むと良いということです。歴史上の出来事を経書に照らして読めば、うまく行かなかったことは経書に反していて、首尾よくいったことは経書に書かれているとおり、ということは多いでしょうね」

「おぉ、そういうことですか」

西「神坂君、今年の年末年始は歴史書を読みなさい」

「歴史かぁ。やっと古典アレルギーを脱出できたと思ったら、次は歴史アレルギーの治療が始まるんですねぇ・・・」

西「ははは。大袈裟な奴だな。さぁ、光秀の墓にお参りしたら、帰途につこうじゃないか!」


ひとりごと

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、という言葉があります。

しかし、一斎先生のこの章句をみると、正解はこうなるのではないでしょうか?

愚者は経験に学び、賢者は歴史と経書に学ぶ。


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第2146日 「古典」 と 「生きる智慧」 についての一考察

今日のことば

【原文】
天道は都(すべ)て是れ吉凶悔吝(かいりん)にして易なり。人情は都て是れ国風雅頌(がじゅ)にして詩なり。政事は都て是れ訓誥誓命(くんこうせいめい)にして書なり。交際は都て是れ恭敬辞譲にして礼なり。人心は都て是れ感動和楽にして楽なり。賞罰は都て是れ抑揚褒貶にして春秋なり。即ち知る、人道は六経(りくけい)に於いて之を尽くすを。〔『言志耋録』第220条〕

【意訳】
天地自然の道とは、すべて吉と凶、悔いと恨みとが移り変わるものだと『易経』に記述されている。人情については、国風・大雅・小雅・頌といった『詩経』の各篇の中に見事に記述されている。政治については、伊訓・湯誥・甘誓・顧命といった『書経』の各篇の中で語りつくされている。人との交際については、慎み敬うことや人に譲ることの美徳が『礼記』の中に記載されている。人の心については、いかに感動するか、和やかに楽しむかということが『楽記』の中に記載されている。賞罰については、取り上げたり退けたり、褒めたり貶めたりすることが『春秋』の中に詳しく記述されている。つまり人の道というのは、これら六経(りっけい)の中にすべて書き尽くされているのだ

【一日一斎物語的解釈】
人間が生きるために必要な知識は、すべて古典の中に書き尽くされている。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、元同僚の西郷さんが主査する読書会に参加して、その帰り道に同じ会に参加した本庄さんと食事をしているようです。

「実はこの夏に、今まで経営してきた事業を精算して、新しい仕事を始めたんですよ」

「え、失礼ですけど、本庄さんはおいくつですか?」

「51歳です」

「すごいなぁ、50を越えて新しいビジネスをやるなんて!」

「昨年くらいからずっと悩んできましてね。このまま惰性で続けてよいのかどうかと」

「なるほど」

「そうしたら、コロナが出たでしょ。逆にあれで思い切ることが出来たのかも知れません」

「大変でしたねぇ」

「でも、西郷さんの読書会で『論語』を学ぶことができ、それ以外にもいくつかの古典を紹介してもらったことで、なんとか乗り切ることができました」

「へぇー、じゃあ、サイさんは本庄さんの恩人なんですね?」

「まったくそのとおりです。西郷さんに出会っていなかったら、まだ決めきれずに会社を続けていたかも知れません」

「やはり、古典には人を動かす力があるんですね」

「おそらく人間が生きるために必要な知識は、すべて書かれていると思って間違いないでしょう。先人の智慧は偉大ですよ」

「そうかぁ、私もサイさんとのご縁を大事にして、もっと古典を勉強してみます!」

「神坂さんの吸収力は凄いなと思っていますよ」

「本当ですか?」

「『論語』の内容を、すぐに自分の周囲の出来事に置き換えて考えられているのは素晴らしいなと思って、いつも感心しているんです」

「うれしいです。私も本庄さんのコメントはいつも深くて、他の哲学者や教育者のお話もされるので、なんて凄い人なんだろうと思っていました」

「恐縮です」

「やっぱり、学んだことを実生活や仕事に活かしてナンボですよね」

「そうです。私たちは学者になる訳ではありませんからね」

「今日は、いろいろとお話が聞けて勉強になりました。私も来年は皆勤を目指して、読書会に参加しますので、よろしくお願いします」

「こちらこそ、来年もよろしくお願いします」

「はい。では、そろそろ帰りましょう。どうぞ、良いお年をお迎えください」

「良いお年を!」


ひとりごと

小生も『論語』を中心に儒学や中国古典を約7年ほど学んできました。

たしかに、一斎先生の言うとおり、古典には人間が生きるために必要なすべての知識が書かれていると言っても過言ではないでしょう。

小生自身も古典に救われた人間です。

古典への感謝の気持ちを、読書会という形で別の方にご恩送りができたら、これほどうれしいことはありません。


『書経』

第2145日 「毀誉」 と 「影子」 についての一考察

今日のことば

【原文】
我れ自ら面貌の好醜を知らず。必ず鏡に対して而る後に之を知る。人の我れを毀誉するは、即ち是れ鏡中の影子(えいし)なり。我れに於いて益有り。但だ老境に至り、毀誉に心無ければ、則ち鏡中も亦影子も認めざるのみ。〔『言志耋録』第219条〕

【意訳】
私には自分自身の顔の良し悪しはわからない。鏡に映った自分をみてはじめて知るのである。他人が私のことを褒めたり非難したりするのは、鏡に映った自分の影のようなものである。自分に矢印を向ければ有益なものとなる。ただし、老境に入ると、他人の毀誉褒貶に心を動かされなくなるので、鏡の中に自分の影を見つけることもなくなるものだ

【一日一斎物語的解釈】
他人から自分への毀誉褒貶は、鏡に映った自分の影のようなものであり、自分の成長のために活用すれば利益がある。しかし、年齢とともに、そうした他人の評価が気にならなくなる生き方を心がけよ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、年末のご挨拶でN鉄道病院名誉院長の長谷川先生を訪れたようです。

「先生、今年も大変お世話になりました。後半はあまり顔を出せておらず、申し訳ありません」

「いまはCOVIDがあるから、仕方ないよ」

「はい、実は年末のご挨拶もどうしようかと思ったのですが、やはりご無礼はできないと思い、こうして参上しました」

「一応、私もちょっと配慮して、今日はこの部屋を押さえておいたんだ。ここなら密にならないでしょう」

「はい、定員30名の部屋に2人だけですからね。(笑)」

「そういえば先日、変な手紙が届いてね」

「手紙ですか?」

「あなたはいつまで学会で出しゃばるのか?といった内容で、かなり辛辣な内容が便せん3枚に渡って書かれていたんだ。(笑)」

「先生、それ笑いごとではないですよ。そんな無礼な人がいるんですね。誰だろう?」

「犯人捜しをする気もないし、誰であっても関係ないよ」

「なんだか、私の怒りが収まりません!」

「ははは。私に対する手紙だよ」

「わかっていますが、長谷川先生にそんな失礼なことをいう人間は、懲らしめてやりたいです!」

「若い頃の私なら、神坂君のように、売られた喧嘩は必ず買うといった感じで、反論しただろうけどね」

「今はそういう心境ではないですか?」

「そうだね。50歳を過ぎたあたりからは、自分への誹謗中傷を冷静に捉えて、自分に非があると思ったことは修正するようになったなぁ」

「いやぁ、私にはそれはまだできないかなぁ・・・」

「ははは。今はさらに心境が変化していてね。そういう手紙を読んでも何も感じなくなった。老化現象かもね?」

「そんなことはないです。さらに悟りの境地になられたということではないですか?」

「悟りというと大げさだけど、それに近い心境なのかもね」

「その人はドクターなのでしょうか?」

「さぁ? 誰であろうと関係ないよ。だいたい反論のしようがないもの」

「なぜですか?」

「住所も名前も書かれていない怪文書だからね。(笑)」

「あぁ、そうですね!(笑)」


ひとりごと

小生も売られた喧嘩は買ってしまうタイプですので、なかなかこうした心境にはなれないものです。

しかし、50歳を越え、こうして古典を数年学んできたお陰なのか、自分から災いを呼ぶような行為は影を潜めたかと感じます。

そのために、誹謗中傷を受けることもほとんどなくなりました。

やはり、誹謗中傷の原因は自分にあったということでしょうね。


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第2144日 「外面」 と 「内情」 についての一考察

今日のことば

【原文】
人、往往文房の諸翫(しょがん)を以て寄贈す。余固より翫物の癖無し。常用の机硯(きけん)、皆六十年外の旧物に係れり。但だ人の寄贈、其の厚意に出ずれば、則ち之を曠(むな)しうするを欲せず。故に毎(つね)に姑く之を座右に置く。然るに知らざる者は視て之を謗り、以て翫物喪志(がんぶつそうし)と為す。余嘗て此を以て諸(これ)を意に介せず。因て復た自ら警めて謂う、「人の事を做すや各々意趣あり。徒だ外面を視て、妄りに之を毀誉するは不可なり。(まさ)に以て己の不明を視(しめ)すに足る。益無きなり」と。〔『言志耋録』第218条〕

【意訳】
時折り書斎用の諸文具を贈ってくれる人があるが、私は元々物にさほど愛着を感じない。日常使用している机や硯なども、みな六十年以上前の古い物である。ただ、ものを贈ってくれるのは、その人の厚意からのことであるから、その厚意を無にしたくはない。そこで暫くの間、その贈り物を座右に置いておく。しかし、それを知らない人は、私のことを謗って、「物にとらわれて本心を失っている」と指摘する。私自身はそう言われたところで意に介さない。ただ、このことから自分を戒めてこう言っている、「人の行動には、人それぞれの思惑がある。ただ外面だけを見て、むやみに誉めたり謗ったりしてはいけない。それは、ただ自分の無知を世間に示すだけのことで、無益なことである」

【一日一斎物語的解釈】
他人の行動には、その人にしかわからない思惑がある。それを考えずにむやみに非難することは、自分の思慮の無さを相手に露呈するだけで、なんのメリットもない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、居室のデスクでPC画面を見ているようです。

神坂「しかし、このアマゾンの書評ってのもふざけたのが多いねぇ。なんで一般人がこんなに偉そうに本を批評するのかね?」

山田「私はそういうのは読まないことにしています」

「それが正解かもね」

本田「逆に大絶賛しているのも、サクラの可能性がありますからね」

「なるほどなぁ。俺は批判の方はあんまり意識しないんだけど、絶賛されている書評を読むとその本が読みたくなっちゃうんだよな」

「気を付けた方がいいですよ」

「そうだな。だいたい、こうやって本を批判している奴に限って、実際には本を理解できていない奴が多いんだよ!」

佐藤「ははは。朝からご立腹だね、神坂君」

「あ、佐藤部長。おはようございます」

「おはよう。今の話だけど、本だけじゃなくて他人の行動についても、その人がなぜそうした行動をしたのかを理解せずに安易に批判するのはよろしくないよね」

「あぁ、そうですね」

石崎「では、課長。明日からは梅ちゃんが遅刻してきても、いきなり叱らない方が良いかもしれませんね」

「その必要はないだろう。あいつは今まですべて寝坊だからな!」

「でも、次は電車の遅延が原因かも知れませんよ」

「石崎、オオカミ少年の話は知っているだろう? これだけ何度も『オオカミが出たぞー』ってやられたら、そりゃ誰も信用しないわな」

「たしかに、そうですね。(笑)」

「ただ、結果だけを見て叱らないようには意識しないといけないな。たとえば、石崎が失注したなんてケースだと、今まではついつい『バカヤロー』ってやっちゃうもんな」

「はい、よろしくお願いします!!」

「なんで、そんなに嬉しそうに反応しているんだよ?」

「昨日話をした有川医院さんの商談なんですけど・・・」

「お前、まさか?」

「・・・」

「神坂君、これは石崎君にまんまと嵌められたね」

「こいつ、こういうことになると、頭の回転が早いんですよ。で、何が原因なんだ?」

「え?」

「『え?』じゃないよ。失注の原因は何だって聞いてるんだよ!!」

「課長、安心してください。受注しました!!」

「バカヤロー!!」

「ははは。受注して叱られるなんて、前代未聞だね」


ひとりごと

他人の行動を外面だけで判断して批評するのは避けるべきですね。

その人にしかわからない特別な事情があるかも知れません。

要するに、他人をとやかく言うことを止めれば良いということでしょう。

実は、これが一番難しいんですけどね・・・。


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第2143日 「疎交」 と 「感応」 についての一考察

今日のことば

【原文】
世には未だ見ざるの心友有り。日に見るの疎交(そこう)有り。物の暌合(けいごう)は感応の厚薄に帰す。〔『言志耋録』第217条〕

【意訳】
世の中にはまだ一度も会ったことがなくとも心の通じ合う友もいる。また毎日会っていても表面的な付き合いに終始している人もいる。ものごとの離合というものは、結局、心の感応の厚薄で決まるものなのだ

【一日一斎物語的解釈】
人間関係の深さは、付き合いの長さとは無関係である。心の感応こそが重要なのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、定時後に居室で新美課長と談笑しているようです。

「Y社の加藤さんとは、もう10年以上の付き合いになるんですけど、いまだに打ち解けないんですよね」

「あの人は、ちょっと暗いよな。俺もああいう人は苦手だなぁ」

「F社の宮本君とはまだ2年弱の付き合いなんですけど、彼とは妙に意見も合うし、話も弾むんですよね。不思議ですね」

「要するに、人間関係の深さっていうのは、付き合いの長さじゃないってことなんだろうな」

「あぁ、たしかにそうですね」

「俺とお前だって、もう10年以上の付き合いだろ? その割に腹を割って話ができないもんな」

「えー、うそでしょ? そんな風に思ってたんですか? けっこうショックですよ!」

「ははは。嘘です」

「相変わらず、意地の悪い先輩ですね。私もそういう所が苦手で、本当に大事な話は神坂さんにはしづらいんですよね」

「マジか! お前、そんな風に思ってたのかよ。長い付き合いなんだから、いい加減に俺の本質をつかんでくれよ!」

「さっき、人間関係の深さは付き合いの長さじゃない、って言ったばかりじゃないですか!(笑)」

「そ、それはそうだけどさ。後輩のお前にそう言われると寂しいもんだぞ」

「あれ? 神坂さん、本気で落ち込んでます?」

「当たり前だろ。こう見えても俺は打たれ弱いんだ」

「すみません。つい本音を言ってしまって・・・」

「おいおい、本音だったのかよ。もう今日は眠れないよ~」

「・・・」

「に、新美!」

「嘘です。けっこう頼りにさせてもらってますよ!」

「この野郎!! 先輩を本気で凹ませるなんて、お前は性格が悪すぎる!!」

「先に意地悪したのは、神坂さんですけどね!」

「あー、よかった。これで今日は熟睡できる」

「どれだけハートが弱いんですか?」

「ハートが弱いから攻撃するんだよ。攻撃は最大の防御だって言うだろ?」

「私たちは、心で通じ合っているんじゃないですかね。すべてを語らなくてもお互いに理解できるところがありますよね」

「新美、そのとおりだ! よし、もう少し心のつながりを深めるために、軽く行こう。今日は俺がご馳走するからさ」

「意地悪した後輩に奢ってくれるなんて、なんて寛大な先輩なんでしょう!」

「いや、心配になったから・・・」

「ガラスのハートか!」


ひとりごと

たしかに会って数時間で昔からの親友のように仲がよくなる人がいます。

こういう人とは同じ価値観を共有できているのでしょう。

どれだけ付き合いが長くても、価値観が違えば、真に分かり合うのは難しいものです。

ところがビジネスとなると、そういう人とも付き合わなければなりません。

ここがビジネスにおける最大の難しさなのかも知れません。


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第2142日 「毀誉」 と 「爽快」 についての一考察

今日のことば

【原文】
毀誉得喪は真に是れ人生の雲霧なり。人をして昏迷せしむ。此の雲霧を一掃すれば、則ち天青く日白し。〔『言志耋録』第216条〕

【意訳】
毀誉得失は人生における雲や霧のようなものである。これらは人を惑わせる。この雲や霧を一掃することができれば、青い空に太陽が輝くように人生も快晴となる

【一日一斎物語的解釈】
むやみに人を非難したり、褒めたりすることをやめよ。そうすれば、人生は今よりはるかに素晴らしいものとなる。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、大累課長、新美課長と「季節の料理 ちさと」に来ているようです。

ちさと「みなさん、だいぶご無沙汰だったわね。もう私に飽きた?」

神坂「そうだなぁ、ママも結構老けたからなぁ」

「神坂! それは思っても言うな!!」

新美「本当ですよ、神坂さん。こっちまでヒヤヒヤしますよ」

「あれ? ということは、新美君もそう思ったってこと?」

「え、いや、あの・・・」

大累「バカ、そこはそんなことありませんって即答するところだろ!」

「ははは。新美ってさ、一見そうは見えないんだけど、結構毒舌で他人の悪口も言うんだよな」

「神坂さんほどではないですけどね」

「そのとおり! こいつほど、人を傷つける無神経な男はいないわ」

「あれ、ママ。マジで怒ってるの?」

「そりや、女性に絶対言っちゃいけないことを平気で言っているんですからね。当然ですよ」

「愛の裏返しなんだけどなぁ・・・」

「それ、意外とマジですよね?」

「う、うるせぇな。お前も結構性格が悪いぞ!」

「神坂さんの次にね!」

「なんだよ、大累。自分だけ良い人みたいな感じを出すの、おかしくないか?」

「おかしいです!! 大累さんも同じ穴の狢だと思いますよ」

「はい、はい。その辺にしましょう。他人を褒めたりそやしたりしていると、幸せになれないらしいよ」

「そうなの?」

「佐藤さんが言ってたわ。たしか、一斎先生の言葉よ」

「まあ、たしかにそうかもね!」

「でも、褒めるのも良くないんですかね?」

「たとえば、誰かが褒められているのをみて、やきもちを焼いたり、逆恨みをする人もいるんじゃない?」

「そうだな。とにかく諸君、他人の悪口はやめましょう!」

「お前が言うな!!」


ひとりごと

他人の悪口は当然として、褒めるのも控えようという一斎先生のご提案は面白いですね。

たしかに、褒めることで天狗になる人や、それを傍で見て逆恨みする人などがいるのかも知れません。

心身を健康に保つには、毀誉褒貶から遠ざかるべし、ということでしょう。


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第2141日 「毀誉」 と 「本音」 についての一考察

今日のことば

【原文】
人の人を毀誉するを聞くには、大抵其の半(なかば)を聞けば可なり。劉向謂う、「人を誉むるに其の義を増さざれば、聞く者心に快ならず。人を毀るに其の悪を益さざれば、則ち聴く者耳に満たず」と。此の言人情を尽くすと謂うべし。〔『言志耋録』第215条〕

意訳
人が人を褒めたり謗ったりする場合には、だいたい話半分に聞けば充分である。前漢の学者劉向は言った。「人を褒める場合には、その善い点を誇張して褒めなければ、相手の心に快楽を与えない。また人を謗る場合では、その悪い点を誇張して謗らなければ、周囲の人たちは満足しない。」と。この言葉は見事に人情をとらえていると言えよう

一日一斎物語的解釈
他人の噂というものは、話半分に聞けばよい。褒めるにしても、誹るにしても、話を盛らない限り相手や周囲を喜ばせることはできないのだから。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、佐藤部長の部屋に居るようです。

「善久が顧客リストを整備してくれたので褒めてやったんですけど、全然嬉しそうじゃないんですよ」

「ははは、なんで?」

「わかりません。当たり前だとでも思ってるんですかね?」

「『会社にとってすごく重要な仕事をしてくれたね!って感じで褒めたの?」

「いやいや、そこまでは。『すごく助かったよ。やっぱりデータの整理をやらせたら天下一品だな』って感じですかね」

「それだと喜ばないかもね」

「なぜですか?」

「一斎先生が言っているんだ。人を褒めるときは、話を盛らないと相手を気持ちよくはさせられない、ってね」

「なるほど。ちょっと大げさくらいがちょうどいいのか」

「個人的な感謝ではなく、組織とか会社に貢献したということを伝えてあげると喜ぶんじゃないかな」

「以後、意識してみます」

「さらにその話には続きがあってね。人を誹る場合にも、話を盛らないと、それを聞いた周りの人が喜ばない、と言っている」

「尾ひれをつける、ってことですね。たしかに、人の悪口って、ちょっと盛った方が盛り上がりますよね。大累の得意技です。(笑)」

「人間は、自分が褒められることも好きだけど、人の悪口も大好きだからね」

「私のことを言われているようで、耳が痛いです。(笑)」

「ははは。私もそうだよ」

「そうですか? 部長が他人の悪口を言ったことなんてありますかね?」

「口には出さないだけで、内心は・・・」

「おー、怖い! 私も心の中ではどう思わているのか?」

「それは秘密。ということだから、結論を言うと、他人の噂話など話半分に聞けばよい、ということになるんだ」

「そうですね。褒めるにしても、誹るにしても、話を盛っているわけですから、話半分でちょうど良いんでしょうね」

「うん。まぁ、他人の悪口はほどほどにね!」

「わぁー、やっぱり! 部長は、いつも私の愚痴を話半分に聞いていたんですね?!」

「バレたか!」

「部長!!」


ひとりごと

褒めるにも、誹るにも、話を盛らないと盛り上がらないという解釈は面白いですね。

さすがは人間観察力に長けた一斎先生、感服致します。

誹られれば腹を立て、褒められれば有頂天になっているようでは、おめでたい限りだということでしょう。

褒められた際は、相手の本心はその半分程度だと冷静にとらえなければならない訳ですから。


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