一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2021年08月

第2383日 「リーダー」 と 「才徳兼備」 についての一考察

今日のことば

原文】
上古の時、人君無く、百官有司無し。人各おの其の力に食(は)み、以て生を為す。殆ど禽獣と等しきのみ。是の時に当り、強は弱を陵(しの)ぎ、衆は寡を暴(あら)し、其の生を遂ぐるを得ざる者有り。其の間、才徳の衆に出づる者有れば、則ち人必ず来り控(つ)ぐるに情を以てして宰断を請う者有り。是に於いて往きて為に之を理解す。強き者、衆(おお)き者、其の直に屈して、而も其の義に服し、敢えて復た暴(りょうぼう)せず。弱き者、寡き者、因りて以て其の生を遂ぐるを得たり。此の如き者漸く多く、遂には群然として来り控げ、自ら其の力に食む能わざるに至れば、勢之を拒絶せざるを得ず。是に於いて衆必ずあい議して曰く、「是の人微(な)かりせば患復た作(おこ)らん。盍(なん)ぞ各おの衣食を出し以て之に給し、是の人をして復た力に食むの労無からしめざる。則ち必ず能く我が為に専ら之に任ずることを肯(がえ)んぜん」と。衆議乃ち諧(ととの)う。是を以て再び請いしに、才徳の者果たして之を諾せり。是れ則ち君長の始にして、而も貢賦(こうふ)の由りて起る所なり。是の如き者、彼此之有り。其の間、又才徳の大いに衆に卓越する者有らば、次の者も亦皆来りて命を聴き、推して之を上げ、第一等才徳の者を以て諸を第一等の地位に置く。乃ち億兆の君師是れなり。孟子の謂わゆる、「兵民に得て天子と為る」と。意も亦此れと類す。〔『言志録』第117条〕


【意訳】
古代においては、君主も官僚も役人も無かった。人は各々独自の力で生活していた。これは禽獣に等しいレベルである。当時は強者が弱者を押さえ、多数の者が少数の者を荒らしたために、生活ができない者もあった。そこに才徳兼備の者が現れると、民衆はその人を頼り、情に訴えて、裁きを依頼するようになった。そこで才徳ある者が行って、強者や多数者を説得し、その義によって、再び悪さをしなくなった。これによって弱者や少数者も生活ができるようになったのである。こうして弱者や少数者が群がって訴えるようになり、才徳者が生活できなくなってしまった。そこで民衆は「才徳ある人が居なくなれば、再び禍が起るだろうから、各々で衣食を出し合ってその人に貢ぎ、自らの力で生活する労を無くそう。そうすれば我々の為に裁いてくれることを承諾するであろう」ということになった。意見が一致して、再度要請をしたところ、才徳者はこれを受け容れた。これが君主の始めであり、租税の由来である。こうして各地に才徳者が出たが、その中でも更に立派な者が他の才徳者によって推し上げられ、最も優れた者が第一等の地位を得ることとなった。これが万民の君である。孟子が「田舎者でも徳があれば、天下を獲ることができる」といったが、この意味も同類のものであろう。


【一日一斎物語的解釈】
企業のトップは才徳兼備の人物の中でも特に周囲の人から担ぎ上げられるような第一等の人物が就任すべきであって、その出自などは問うべきではないのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、興奮気味にネットニュースを見ているようです。

「マジか?! 中田翔が我がジャイアンツにやって来るのか!」

「大丈夫ですかね? 彼はパワハラ常習犯ですよ」

そばに居た新美課長が反応したようです。

「そうかも知れないが、彼は後輩の面倒見がよいことでも知られているんだ。だいたい、面倒見の良い人というのは時に厳しく、カッとすると手を出すような人が多いもんだ」

「昔はそれでも許されましたが、今は駄目ですよ」

「そう。だから、生きにくい世の中だって言うんだよ」

「日本ハムが無償で放出するというのは、相当のことですよね。やはり、彼をこのままで終らせたくないという球団の温情を感じますね」

「それだけ彼は愛されている選手でもあるんだよ」

「結局、彼のような暴れ馬を御せるリーダーは、原さんしか居ないということになったんでしょうね?」

「巨人という伝統ある球団、そして名将・原辰徳。この組み合わせ無くして実現しなかったことだろうな」

「たしかに今、12球団の監督を見渡してみて、才徳兼備の名将と呼べるのは原さんくらいかも知れませんね」

「ネットの反応も、もちろん賛否両論あるけど、概ね巨人の原監督の下でしか、中田は再生できないだろうという論調が多いな」

「高橋監督が三年連続で優勝を逃して、翌年はなんとしても優勝させなければならないとなった時に、原さんしかいないということで決まった監督ですし、実際に1年目から優勝させている。今や球界ナンバーワンの名将と言って良いのでしょうね」

「その原監督なら、中田を再生させてくれるんじゃないか、という期待が持てるもんな。過ちは誰にでもある、でも真摯に反省したならチャンスを与えてあげたいよな」

「それにしても凄い戦力を無償で手に入れましたね、ジャイアンツは!」

「しかし、あの清原ですら巨人という球団のユニフォームを着ることで、かなり葛藤した。中田は、ああ見えて精神的にはそれほどタフな選手ではない気がするから、これからも相当苦労はするだろうな」

「『中田の過去も現在も未来もすべて共有する覚悟で受け容れると原監督が言ったそうです。男気を感じますね」

「男気なら負けない中田翔のことだ、きっとやってくれるだろう!!」

「球界の宝ですから、ぜひ復活してもらいたいですね」

「これで虎の尻尾は捕まえたも同然だ。中田の復活とジャイアンツのV3、そしてコロナ収束を祝って、忘年会の頃には大いに飲みたいな!」

「いや、私はドラゴンズファンなんですけど・・・」


ひとりごと

今回の章句からストーリーを紡ぎ出すのは至難の業です。

そこで、超訳を試みます。

リーダーは才色兼備を兼ね備えた第一等の人物であるべき、との一斎先生の言葉から、小生が頭に浮かべたのは、名将・原辰徳でした。

折しも中田翔の電撃トレードというニュースも入ってきましたので、読売ジャイアンツの原監督を称えるストーリーとさせて頂くと共に、中田選手へのエールとさせて頂きます。


hara kantoku







読売巨人軍公式サイトより

第2382日 「善行」 と 「褒貶」 についての一考察

今日のことば

原文】
古今舜を以て大孝の人と為せり。舜は固より大孝なり。然れども、余は舜の為に此の名を称するを願わず。舜は果たして孝子為(た)らんか。其の此の名有るを聞かば、必ず将に竦然(しょうぜん)として惴懼(ずいく)し、翅(ただ)に膚(はだえ)に砭刺(へんし)を受くるのみならざらんとす。蓋し舜の孝名は、瞽瞍(こそう)の不慈に由りて顕わる。瞽瞍をして慈父たらしめば、則ち舜の孝も亦泯然(みんぜん)として迹(あと)無からん。此れ固より其の願う所なり。乃ち然るを得ず。故に舜は只だ憂苦百端、罪を負い慝(とく)を引き、父の為に之を隠す。思う、己、寧ろ不孝の謗(そしり)を得んとも、而も親の不慈をして暴白せしめじと。然して天下後世の論已に定まり、舜を推して以て古今第一等の孝子と為して、瞽瞍を目して以て古今第一等の不慈と為す。夫れ舜の孝名、摩減す可からざれば、則ち瞽瞍の不慈も亦摩減す可からず。舜をして之を知らしめば、必ず痛苦に勝(た)えざる者有らん。故に曰く、「舜の為に此の名を称することを願わず」と。〔『言志録』第116条〕

【意訳】
昔から舜帝は天下の孝子されている。実際に舜は大孝の人であろう。しかし、私は舜帝のことを思うと、それを称されることを願わない。舜はいったい孝子なのか? 舜がこれを聞けば恐れ多いものと、肌に針を刺されたように感じるであろう。思うに舜の孝行は父である瞽瞍の無慈悲によるのだ。瞽瞍が慈悲深い父であったなら、舜の名は後世に響くことはなかったであろう。むしろ舜はそれを願ったが、かなわぬことであった。このために舜はもだえ苦しみ、罪を負い、罪悪を引き受けて父をかばったのである。私が思うに、舜は自分は親不孝者と謗られようと、父の無慈悲を覆い隠そうとした。しかし実際には舜の孝行は天下に響き、瞽瞍は天下の無慈悲者として定着してしまった。舜帝の孝行振りも、瞽瞍の無慈悲さも消し去ることはできない。舜にこの事を知らせれば、苦痛に耐えられないであろう。それ故に、私は「舜の孝行振りが称されることを願わない」と言うのだ、と一斎先生は言います。

【一日一斎物語的解釈】
中国伝説の皇帝・舜は天下の孝行息子だとして知られているが、その影には父である瞽瞍(こそう)の無慈悲があった。瞽瞍が舜に愛情を注いでいたなら、舜がこれほどまでに孝子として称賛されることはなかったであろう。このように善行の影には、人に知られたくはない事実が隠れていることもある。人を称賛するにしても、非難するにしても、出来る限り事情を拝察すべきである。

今日のストーリー

今日の神坂課長は、佐藤部長の部屋に居るようです。

「部長、善い行いをしている人は、褒められて必ずしも喜ぶというわけでもないんですね」

「ほぉ、何があったの?」

「Y社に粟野君という好青年がいるんです。彼は担当施設でも知らない人がいないくらいの孝行息子らしいんですよ」

「いまどき珍しいね」

「はい。それで、この前偶然話をする機会があったので、そのことを聞いてみたんですよね」

「なるほど」

「そうしたら、自分が孝行息子だと言われることはあまり嬉しくないと言うんです」

「理由は?」

「自分が親の面倒をみているということは、親からしたら息子に面倒をみさせていることになるじゃないですか。つまり、親が自らの力では生計を立てられていないことがわかってしまう。それは親にとっても辛いことだし、そう思わせてしまうことは、自分にとってもとても辛いことだと言うんです」

「真の孝子だね、その青年は!」

「え?」

「これは一斎先生の言葉にあるんだけどね。中国伝説の皇帝・舜は親孝行で有名な人なんだけど、彼が孝行息子だと言われることになった発端は、彼の父親にあるんだ」

「ほぉ」

「舜を生んだ母親は亡くなっていて、父親は再婚し、その女性との間に舜の弟が生まれた。そこで、父親は舜が邪魔になって、なんども舜を殺そうとしているんだよ」

「自分の息子をですか?」

「うん。それでも舜は父に対して自分の孝を貫くんだ。それで、彼は孝行息子だという評判が立ったというわけ」

「その父親は、とんでもない奴ですね。自分の息子を殺そうとするなんて尋常じゃないですよ!」

「いま神坂君が感じたことを誰もが感じるよね。しかし、舜がそういう発言を聞いたら、彼はその辛さに耐えられなかったはずだ、と一斎先生が言っているんだよ」

「あー、粟野君と同じ話ですね」

「うん。父親が無慈悲な人間だということがあからさまになってしまうことが、舜にはなにより耐えきれないだろうということだよね」

「たしかに、そうかも知れませんねぇ・・・」

だから、今の神坂君の話を聞いて、その粟野君という青年は、舜にも匹敵する孝行息子だな、と思ったの」

「なるほどなぁ。人の気持ちは複雑なんですね。私ならそんな父親に孝を尽くそうとも思いません。それでもあえて我慢して孝を尽くすなら、褒められた時には当然だとそっくり返りますよ!」

「ははは。普通はそうだよね」

「そうか、人を安易に貶すのは当然ダメなのはわかっていましたが、褒める場合にも相手の感情を推し計る必要があるんですねぇ・・・。いやー、むずかしいなぁ、人の心は!!」


ひとりごと

人間の感情というのは複雑なものです。

誰で褒められたら嬉しいだろうと考えがちですが、この事例のようなケースも考えられるわけです。

安易に褒めたり、貶したりするのではなく、常に相手の心を推し計ることがなにより重要だということでしょう。


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第2381日 「家族」 と 「表彰」 についての一考察

今日のことば

原文】
孝名の著わるるは、必ず貧窶(ひんく)・艱難・疾病・変故に由れば、則ち凡そ孝名有る者、率(おおむ)ね不幸の人なり。今若し徒らに厚く孝子に賜いて、親に及ばざれば、則ち孝子たる者に於いて、其の家の不幸を資として以て賞を博(と)り名を徼(もと)むるに幾(ちか)きなり。其の心恐らくは安からざる所有らん。且つ凡そ人の善を称するは、当に必ず其の父兄に本づくべし。此の如くなれば、則ち独り其の孝弟を勧むるのみならずして、併せて以て其の慈友を勧む。一挙にして之を両得すと謂う可し。〔『言志録』第115条〕

【意訳】
親孝行が評判になるのは、必ず貧困・艱難辛苦・病気・変った出来事を経験した者であるので、概ね不幸な人だといえる。もし孝子だけを賞して親を賞しなければ、その家が不幸であることで賞を得たり、名声を求めることになってしまう。それでは孝子の心も休まらない。その人の善行を称えるときは、その父兄に基づくべきであろう。こうすれば、孝子の親に対する敬愛と兄弟に対する親愛だけでなく、親の子に対する慈しみや、兄弟の友愛をも勧めることになる。これこそ一挙両得と言えよう。

【一日一斎物語的解釈】
立派な行ないをする人というのは、概ね子供の時に大変な苦労しており、親孝行な人である場合が多い。そこで、社内において立派な行ないをした社員さんを表彰する場合には、本人だけを表彰するのではなく、そのご両親や兄弟も合わせて表彰するのが良い。そうすれば、ますます親子や兄弟の愛敬は深まり、それが会社においても良い影響を与えるはずである。


今日のストーリー

神坂課長が在籍するJ医療器械では、総務課の大竹課長の発案で、毎年1名の社員さんとその家族を表彰する制度を導入しています。

今年も2021年度の候補者選びの時期が来たようです。

ランチに出掛けた神坂課長と大竹課長もその話題が中止となっているようです。

「タケさん、雑賀の交通事故を機に発案されたこの制度も、もう3年目を迎えたんですね」

「僕の想像した以上にご家族の皆さんが喜んでくれるので、企画した者としては、本当にうれしい限りだよ」

「この企画は、平社長も大絶賛していましたからね」

「はじめて褒められたよ。(笑)」

「あの人は滅多に褒めてくれない人ですから。それにしても、自分の息子や旦那、あるいは親が会社で表彰されるというのは、思った以上に名誉なことなんですね」

「そろそろマネージャーを表彰しても良いかもね。今年は神坂君にしようか?」

「俺の何を評価するんですか? 課としての数字も達成できていないし、みんなの視線に耐えられませんよ!」

「そんなヤワな男じゃないだろう!」

「第一、ウチは表彰するから来いといっても、嫌だと断りかねないですからね」

「日頃の夫婦仲が問われるわけだ!」

「そういうことになりますね・・・。さて、営業2課からは誰を選ぼうかな」

「マネージャーの視点も問われるよ!」

「2年連続表彰はしないことになっているんですよね?」

「まぁ、それは暗黙の了解だけどね。なるべく多くのご家族に喜んでもらいたいからさ」

「石崎は今期も大口商談を獲得しているので、あいつにしてやりたいんだけどなぁ。あいつはああ見えて親孝行な奴ですからね」

「昨年、彼のご両親は本当に喜んでくれていたね。その喜ぶご両親を見て自慢気でもあり、ちょっと涙ぐんでいた石崎君の顔は今でも忘れないよ」

「俺も家族と一緒に喜ぶメンバーの顔がみれるあの瞬間は本当に楽しみなんですよね。事前に本人に内緒で家族を呼ぶというのが、なかなか難しいんですけどね」

「サプライズはあまり好きではないけど、やはりこの企画だけは、当日になってから本人に表彰されること知ってもらいたい。そして、そこに家族登場という演出は最高だからね!」

「今年は誰が選ばれるんだろうなぁ。楽しみですね!!」


ひとりごと

この章句を初めて読んだ時、こんな会社があったら良いなと思ってストーリーを書きました。

もし社員さんを家族だと考えるなら、その家族もまた会社の家族です。

だからこそ、家族ぐるみで表彰できる制度を創りたい。

これは未だ夢のままですが、いつか実現できる日を信じて動き続けてみようと思っています。


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第2380日 「孝子」 と 「褒賞」 についての一考察

今日のことば

原文】
近代の孝子を賞するに、金帛粟米(きんぱくぞくべい)を賜いて以て之を旌(あら)わす。頽俗を風励するの意に於いては則ち得たり。但だ其の之を賞するには、当に諸を孝子の心に原(もと)づくを可と為すべし。孝子の心は、親を愛するの外他念無し。其の身の艱苦(かんく)すら、且つ甘んじて之を受く。況や敢て名を求めんや。故に金帛粟米の賜、宜しく其の親に厚くして、其の子に薄くすべし。蓋し其の子に薄くするに非ず。其の親に厚くする所以の者は、即ち其の子に厚くする所以なり。親を賞するの辞に曰く、「庭訓、素有り」と。子を賞するの辞に曰く「能く庭訓に従う」と。此の如くなれば則ち孝子の素願足る。〔『言志録』第114条〕

【意訳】
孝行者を賞するのに、金銭や高価な布や穀物などを賜ってこれを表彰する。これは堕落した風俗を改める意味では良いことである。ただ孝子を賞するには、孝子自身の心をよく観察するべきである。孝子の心とは、親への愛敬である。親のためには、いかなる艱難辛苦でも甘んじて受け、名声などを求めたりはしない。よって金銭や高価な布や穀物などは、親に厚く与え、子には薄くするべきである。思うに、それは、実は子に薄くすることにはならない。その親に多く与えることは、すなわちその子に多く与えたことになる。親をほめる言葉として、「家庭教育がよく行き届いている」といい、子をほめる言葉として、「よく家庭教育に従った」という。このようにしたならば、孝子も満足するであろう。

【一日一斎物語的解釈】
親孝行な人というのは、親の愛に包まれて育ち、また本人もその親を愛し尊敬しているものである。したがってそういう人は親のために大変な苦労をすることを厭わず、自分自身の地位や名誉などはそれほど重視しないものである。もし社内にそういう社員さんがいるなら、本人を誉めるよりもその親御さんを誉めてあげるとよい。それはそのまま当の社員さんを悦ばすことになり、より一層仕事に邁進してくれるはずである。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、大累課長と同行中のようです。

「さっき会ったY社の粟野君って、いまどき珍しい好青年だね」

「彼のキラキラした笑顔は、恐ろしい武器ですよ。病院内の看護師さんの間に彼のファンクラブがあるらしいですから」

「俺の若かりし頃を思い出すな」

「神坂さん、とうとうボケちゃったんですか?」

「ゴン」

「危ないなぁ。運転手に暴力を振るうなんて、自殺行為ですよ!!」

「あの子は、きっと素晴らしいご両親に育てられたんだろうな。お前や俺とは育ちが違うのが一目でわかる」

「あなたと一緒にされるのは心外ですけど、たしかに彼は相当な孝行息子だという評判です」

「きっとご両親が立派な人なので、真っ直ぐに育ったんだろうな」

「いまでも週末はご両親を連れて買い物に行ったり、旅行に行ったりするそうです」

「それは素晴らしいけど、彼女ができたらどうするんだろうな?」

「それが、彼女も一緒に買い物や旅行に行くそうです」

「マジか?! 彼女も相当できた娘なんだろうな。俺のカミさんなら、絶対一緒に旅行なんていかないぜ!」

「それはウチも一緒です。彼は昨年、社内でも売り上げで第3位に入ったらしいんですけど、その時のコメントも『これもすべて両親のお陰です』と言ったそうです」

「出来過ぎていて気持ち悪いな」

「そう思うのは心がねじ曲がっている証拠です!」

「うるせぇな。お前に言われなくたって、俺の性根がひん曲がっていることくらいわかってるよ」

「彼は、両親のことを褒められると本当にうれしそうな顔をするので、ファンクラブの看護師さんたちは、彼ではなくて、彼の両親にプレゼントを贈るらしいですよ」

「同じ世界の話だとは思えないな」

「リアルワールドです!」

「しかし、両親を褒められて悪い気がする奴はいないだろうな。あの雑賀だって、母親をねぎらうと喜ぶからな」

「あいつを動かすときに、よく使わせてもらってます」

「部下を動かすために、心にもないくせに母親を褒めたり労ったりするのか? それの方がよっぽど心がひん曲がっているぞ!!」

「あっ・・・」


ひとりごと

残念ながら現代の家庭においては、親を褒めて悦ぶ子供がどれほどいるのか、ちょっと不安になります。

それは結局、家庭教育というものが疎かにされてきたからなのでしょう。

わが家のことを顧みれば、それは見事に証明されている気がします・・・。


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第2379日 「欲望」 と 「質量」 についての一考察

今日のことば

原文】
鍋内(かない)の湯、蒸して烟気(えんき)を成す。気、外に漏るれば則ち湯減ず。蓋を以て之を塞げば、則ち気漏るること欲わず。露に化して滴下し、湯乃ち減ぜず。人能く欲を窒げば、則ち心身並に其の養を得るも亦此の如し。〔『言志録』第113条〕

【意訳】
鍋の中にある湯が蒸発すれば水蒸気となって外に出て行く。こうなると鍋の湯量は減る。蓋をすることで蒸気を再び露として鍋に戻すことができ、湯量は減ることがない。人間の欲望もこれと同じである。無暗に欲望を撒き散らすことなく、抑制することで自身のエネルギーを失うことなく健全な日々を過すことができる。

【一日一斎物語的解釈】
私欲や我欲に蓋をすれば、心身共に健全に暮らすことができる。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、佐藤部長の部屋に居るようです。

「一斎先生もたとえ話の名人ですね。自分の欲を抑えることを湯に譬えて、沸騰して湯気となるとお湯の量は減ってしまうが、蓋をすればまた露となって滴下するのでお湯の量は減らない、という言葉を知りました」

「あー、その話か。お湯と同じで、人間も無暗に欲をまき散らすとエネルギーを失ってしまう、という話だったね」

「はい、それです」

「もうひとつ付け加えるとするなら、お風呂のお湯は下の栓が抜けていたら量が減っていくよね。それと同じで、人間は反省を怠るとエネルギーを失ってしまうのかもね」

「なるほど。欲をまき散らすのも、反省を忘れるのも、すべては自分のエネルギーの減損になるわけですね」

「そう考えたら怖いことだね」

「私欲もそうですが、怒りなんかも同じかも知れませんね?」

「たしかに。無暗に怒りを表に出すと、エネルギーを失うだけでなく、人の信頼も失いかねないね」

「とはいえ、私のような凡人が欲や怒りをすべて抑え込むというのは、相当の一大事ですからねぇ・・・」

「それは私も同じだよ。だからこそ、思わず欲や怒りを洩らしてしまったときには、エネルギーの補充をすればいいんじゃないかな」

「どうやってですか?」

「読書などのインプットをしつつ、反省するということもエネルギーの補充になるだろう。でも、そういう時こそ、敬意と感謝だろうな」

「敬意と感謝か」

「すぐに欲や怒りを洩らすダメな自分に、部下の皆さんはついてきてくれる。こんなに貴くて有難いことはない!ってね」

「あー、そう思うと、自分の中に『次は俺がお返しをするぞ!というパワーが漲ってきますね」

「だよね!」

「瞬間湯沸し器みたいな私に、仕事とはいえついてきてくれるメンバーには感謝しかないです!」

「うん、私もいつもそう思っているよ」

「そして、もう一人感謝と敬意を伝えたい人がいますね!」

「ほぉ、それは誰かな?」

「私の目の前にいる貴いお方です。(笑)」


ひとりごと

質量不変の法則は、人間のエネルギーにも適応できるようです。

怒りや悲しみや欲望をストレートに表わせば、その分生きるエネルギーを外に放出しているのかも知れません。

それを堪えて溜め込むことで人として磨かれ、内にエネルギーを蓄えることができるのでしょう。

それでも凡人は、時にそうした穢れた想いを外に出してしまいます。

そのときはしっかり反省し、敬意と感謝をもって、もう一度やり直しましょう!!


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第2378日 「欲望」 と 「人間力」 についての一考察

今日のことば

原文】
草木の生気有りて、日に暢茂(ちょうも)するは、是れ其の欲なり。其の枝葉の長ずる所に従えば、則ち欲漏る。故に其の枝葉を伐(き)れば、則ち生気、根に反りて幹乃ち大なり。人の如きも亦軀殻の欲に従えば、則ち欲漏る。欲漏るれば則ち神、耗して霊なる能わざるなり。故に欲を外に窒(ふさ)げば、則ち生気内に蓄えられて心乃ち霊に、身も亦健なり。〔『言志録』第112条〕


【意訳】
草木が枝葉を伸ばそうとするのは草木の欲である。その欲のままに任せておくと、欲が溢れていつまで経っても肝心な幹がしっかりしない。剪定をすることで、成長しようとする欲が抑えられ幹が太くなる。人間もこれとまったく同じである。欲望に従って行動すれば、全体の調和を欠いて肉体も不健康となってしまう。そこで、人間も欲望のままに生きずに、欲望を抑えて健全な肉体を保つべきである。


【一日一斎物語的解釈】
人は欲望のままに行動すれば、人間として成長できない。欲望を抑えてこそ人間力が高まるのである。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、新美課長とランチに出かけたようです。

「日替わり定食、ライス大盛りで!」

「あれ、お前、ダイエット中じゃなかったっけ?」

「いつの話ですか。とっくにやめました」

「それ以上デブになったら、成人病たちがお迎えにくるぞ」

「私にとって食事は最大の楽しみなんです。それを我慢するとストレスでかえって病気になりそうな気がするんですよね」

「ちっ、都合のいい解釈だぜ。一斎先生は、人は欲望を抑え込む鍛錬をしてこそ、健全な精神と肉体を保つことができると言っているんだ。欲をそうやって都度都度洩らしていたら、身体はブクブクと太ってデブになる一方で、肝心の人間力は育たず仕舞いになるぞ!」

「なんとでも言ってください。わがなすことはわれのみぞ知るです!」

「完全に開き直りやがったな」

「そういう神坂さんはどうなんですか? 決して痩せているとは思いませんけど」

「言われなくてもわかってるよ。だから大盛りにするのを控えているんじゃないか」

「無理をせず、一緒に大盛りを食べましょうよ」

「俺をデブ仲間に引き込むな!」

「(小声で)神坂さん、さっきから神坂さんが『デブ』って言うたびに、あそこのお客さんがこっちを睨んでいるの気づいていますか?」

「げっ、気づかなかった。しかし、あいつはメガトン級だな。ああなったら終りだぞ、新美」

「ちょっと不安になってきた・・・」

「おかみ、こいつのご飯大盛りを普通サイズに変更ね!」

「ちょっと、勝手に決めないでくださいよ」

「お前の身体のことを心配しているんだ。先輩の優しさに感謝しろよ」

「ぜったい意地悪しているだけでしょう、あなたの場合は!!」


ひとりごと

欲を洩らさずに内に蓄えることで、肉体も健やかになる、と一斎先生は言います。

欲望をその都度洩らしていては、肉体だけでなく、人間そのものも成長しないと理解しても行きすぎではないでしょう。

堪忍は無事長久の基とは、徳川家康公の言葉ですが、欲を抑えることで、我が身を磨くことを考えなければいけないようです。


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第2377日 「良い欲」 と 「悪い欲」 についての一考察

今日のことば

原文】
人身の生気は、乃ち地気の精なり。故に生物必ず欲有り。地、善悪を兼ぬ。故に欲も亦善悪有り。〔『言志録』第111条〕

【意訳】
人間の肉体の生きる気力は、地から得た精気である。それ故、地には欲があるように、生物にも欲があるのだ。地は善と悪とを兼ねているから、欲にも善い欲と悪い欲があるのだ。

【一日一斎物語的解釈】
人間である以上、必ず欲を生じるものである。ただし、欲にも善い欲と悪い欲があるので、善い欲を発揮すべきである。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業2課の梅田君と同行しているようです。

「課長、欲を出すことって悪いことなのでしょうか?」

「ははは、どうしたいきなり?」

「私はこの会社でトップセールスになりたいし、出世もしたいんです。でもそれを親に話すといつも欲を出すなって叱られるんです」

「親から見ると、どれだけ大きくなろうと、どれだけ歳をとろうと、子供は子供だからな。心配なんだよ」

「でも、親だって息子が出世したら嬉しいはずじゃないんですか?」

「もちろん嬉しいよ。でもな、そのために無理をして体を壊したり、眠いまま運転をして事故を起こしたりするんじゃないかって考えるんだよ」

「じゃあ、欲を持つことは悪いことではないんですね?」

「基本的にはな。ただし、欲にも良い欲と悪い欲がある。悪い欲を持つのは駄目だろうな」

「良い欲と悪い欲ですか?」

「簡単に言うと利己的な欲は悪い欲、利他的な欲が良い欲ということになるだろうな」

「難しいなぁ」

「たとえば、自分だけ儲けたいとか、自分だけを評価して欲しいというような考えは利己的だから、そういうのを悪い欲というんだよ」

「みんなで儲けたいとかみんなで褒められたというのなら、良い欲になるんですか?」

「そうだな。そしてできるなら、自分が目立つのではなく、周囲の人を目出させてやる。そんな覚悟ができたら素晴らしいだろうな」

「うわぁ、それはキツイな。私は自分が目立たないと満足しない性格なんですよね」

「知ってる。(笑)」

「あ、バレてました?」

「まぁ、まだ若いうちはそれでもいいと思うよ。ただ、後輩が増えてきたり、自分が上司という立場になったときは、後輩や部下を立てることを意識すべきだな」

「その方が出世の近道になるのでしょうか?」

「うーん、それを期待して、後輩を立てるというのも利己的な感じがするよな。期待はしてもいいけど、必ずそうなるとは思わない方がいいだろう」

「出世って難しいんですね。トップセールスになれば自然と出世できると思っていました」

「物を売る能力と人を育てる能力はまったく別物だからな」

「わかりました。私も悪い欲を持たない様に、今のうちから周りの人を立てることを意識します!」

「それなら時々、俺のことも良く言ってくれよな。俺は褒められると頑張るタイプなんだよ」

「・・・」


ひとりごと

一斎先生は、欲には良い欲と悪い欲があると言います。

小生はそれを自分なりに咀嚼して、利己的な欲と利他的な欲がそれに当たると考えました。

言葉を変えれば、利己的な欲は私欲、利他的な欲は公欲と呼ぶことができます。

若い社員さんには、組織の中で明確な役割を与え、それによって組織に貢献する喜びを体験させると良いでしょう。

そうすれば、次第に公欲を充たすことに力を注げる人へと成長するはずです。


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第2376日 「欲望」 と 「成果」 についての一考察

今日のことば

原文】
人は欲無きこと能わず。欲は能く悪を為す。天既に人に賦するに性の善なる者を以てして、而も又必ず之を溷(みだ)すに欲の悪なる者を以てす。天何ぞ人をして初めより欲無からしめざる。欲は果たして何の用ぞや。余謂(おもえ)らく、欲は人身の生気にして、膏脂(こうし)精液の蒸する所なり。此れ有りて生き、此れ無くして死す。人身の欲気四暢(ちょう)し九竅(きょう)毛孔に由りて漏出す。因りて軀殻をして其の願を熾(さかん)ならしむ。悪に流るる所以なり。凡そ生物は欲無き能わず。唯だ聖人は其の欲を善処に用いるのみ。孟子曰く、「欲す可き、之を善と謂う」と。孔子曰く、「心の欲する所に従う」と。舜曰く、「予(われ)をして欲するに従い以て治めしめよ」と。皆善処に就きて之を言うなり。〔『言志録』第110条〕

【意訳】
人間には欲がつきものであり、この欲が悪さをする。天は人に善性を与えておきながら、これを乱すのに欲を与えている。天はなぜ人に欲を与えないようにしなかったのか。欲はいったい何の役に立つのだろうか。私は思うのだが、欲とは人が生きるための生気であって、身体の油や精液の発散する場所である。人はそれがあるから生きることができるのであり、それが無くなれば死んでしまう。人の欲は体中に拡散し、目や鼻といった九つの穴や毛穴から漏れ出てくるのである。それによって身体を欲へと駆り立てるのであり、そのために悪を為すことになるのであろう。すべて生物から欲を無くすことはできない。ただ聖人と呼ばれる人だけが、その欲を善い方に活用するのである。孟子は「こうありたいと願うことを善という」といい、孔子は「心の思うままに従う」といい、舜帝は「私をして心の欲するままに統治せよ」と言った。聖人たちは皆、善い方向へと善を活用したのである。

【一日一斎物語的解釈】
天は人間に善性と欲望を与えている。実は人間は欲望があるからこそ生きていけるのだ。しかし、欲望が悪を引き起こす要因となるのは間違いない。人は無欲になることは不可能であり、聖人と呼ばれた人は、この欲望を見事にコントロールして善い方向に活用しているのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、石崎君と同行中のようです。

「あっという間にオリンピックも終わってしまいましたねぇ」

「いろいろ言われたけど、いざ始まってみればスポーツの素晴らしさに酔いしれたな」

「はい、たくさんの感動をありがとう、って感じです」

「俺はやっぱり野球の金メダルが一番うれしかったな」

「巨人からは坂本選手だけしか参加しなかったのにですか?」

「そういう小さいことは関係ないよ。日本の野球界にとってオリンピックの金メダルは悲願だったんだ。長嶋さんも星野さんも成し得なかったことだからな」

「歴史的な出来事だったんですね。そういえば、金メダルをとった選手がよく『無欲の勝利』という言葉を口にするんですけど、本当に無欲だったのでしょうか?」

「人間は無欲になんてなれないと俺は思っている」

「では、『無欲の勝利』というのは嘘ですか?」

「嘘ではないだろう。ただ、メダルを取る選手は、メダルが欲しいと思ってプレーはしていないと思うんだ」

「でもメダルを目指して練習してきたんじゃないんですか?」

「もちろんそうさ。しかし、いざ競技が始まれば、メダルのことは頭にないはずだ。それよりも、練習してきたことを100%、いやここぞという場面では120%発揮しようと考えているだけだと思う」

「自分がやってきたことを信じてプレーするということですか?」

「そのとおり! 『練習は裏切らない』という格言もあるくらいだからな。誰よりも練習してきたという自信が、ここぞという場面で120%の力を生むんだろうな」

「100%ではなく120%の力を出せた人が勝つんですね」

「そうだと思うな。誰だってメダルは欲しい。だからそのために死に物狂いで練習をする。その練習が自信を生み、メダルが欲しいという欲望を抑え込むんだよ、きっと」

「私たち営業の世界だとなかなか難しい境地ですね」

「そうか? 俺は野球をやってきた。もちろんプロになれるレベルではなかったけど、試合で最高のプレーができるように精一杯練習をしてきた。それと全く同じ気持ちでお客様に接して、医療器械をご提案しているつもりだぞ」

「そうだったんですか。私はそこまで考えていませんでした」

「お前もサッカー少年だったんだろう? だったら、その時の熱い気持を思い出して、営業に全力で取り組め」

「売り上げは二の次ですか?」

「ここだけの話だが、俺は売り上げのことを真面目に考えたことはない。どうしたらお客様に喜ばれるか、それだけを考えているんだ」

「それで数字はついてきますか?」

「野球でも選手一人ひとりがベストのプレーをすれば、結果的にチームは勝つんだ。同じように、お客様にとって最善の提案ができれば、数字は勝手についてくるよ」

「(かっこいいなぁ)」

「えっ、何?」

「いや、課長は見かけによらず、良いことを言うなと思いまして」

「ちっ、お前は見かけどおりの小生意気なガキだな!!」


ひとりごと

人間は欲望がモチベーションとなって努力する生き物ではないでしょうか。

欲望のために日々の努力を怠らなければ、欲望を忘れるくらい打ち込んだ結果として、望む成果を手に入れることができるのかも知れません。

だからこそ、ここぞという場面では、逆に欲望を抑え込む必要があるのです。


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第2375日 「マイナス思考」 と 「プラス思考」 についての一考察

今日のことば

原文】
性は善なりと雖も、而も軀殻無ければ、其の善を行うこと能わず。軀殻の設(もうけ)、本(もと)心の使役に趨(おもむ)き以て善を為す者なり。但だ其の形有る者滞れば、則ち既に心に承けて以て善を為し、又過不及有るに由って悪に流る。孟子云う、「形色は天性なり。惟(ただ)聖人にして然る後に以て形を践む可し」と。見る可し、軀殻も亦本(もと)不善無きことを。〔『言志録』第109条〕

【意訳】
心が善だと言っても、身体がなければ善を行うことはできない。身体を作ったのは心の指示に従って善をなすためである。その心も身体の中に滞留すれば善をなすが、時に行きすぎたり及ばなかったりすると悪に流れてしまう。孟子は「人の身体も容貌も天から与えられたものだが、聖人だけが、人の本性に内在する美を外に現わすことができる。」と言っている。身体もまた元々は不善でないことを理解すべきであろう。

【一日一斎物語的解釈】
本来人間の身体は天から与えられた心の善を行動に移すために存在している。ところが時には善を為そうとしてやり過ぎたり、やり切れなかったりで悪に流れてしまうこともある。孟子は聖人だけが常に心の善を行動に移すことができると言っている。本来、人間の心も身体も善だということを理解しておこう。


今日のストーリー

神坂課長が帰宅すると次男の楽君が落ち込んでいました。

「菜穂、楽はなんであんなに元気がないんだ?」

「今日、テニスの練習中に楽が打ち返した球が相手の前衛の子の顔にモロに当ってしまったらしいの」

「マジか? で、その子の怪我の具合は?」

「鼻血がすごかったので、病院で診てもらったらしいんだけど、骨折はしていなかったらしいわ」

「それは不幸中の幸いだな。その子の家にお詫びに行かなくていいのか?」

「先生は練習中の出来事だから大丈夫とは言ってくれたんだけど、さっき楽と一緒に行って来たわ」

「あー、そうか。相手の親御さんはどうだった?」

「楽があまりにも落ち込んでいるので、かえってこっちの心配をしてくれたぐらいで、全然気にしていないと言ってくれたの」

「そうか。それでも楽はショックだったんだな」

「血が凄かったらしいからね」

「鼻血って結構出るからびっくりするよな。俺も子供の時にキャッチボールで相手の子の顔にボールをぶつけてしまって、凄い量の鼻血が出て驚いたことを今でも覚えているもんな」

「ちょっと声をかけてみてよ」

「わかった」

神坂課長は楽君の部屋に行ったようです。

「楽、まだ落ち込んでいるのか?」

「うん。別に狙ったわけじゃないんだよ。クロスで抜けると思って思いきり打ったら、手元が狂ってストレートに打っちゃったんだ」

「そういうことはあるさ。落ち込むなら怪我をさせたことより、勝負どころで狙ったところに打てなかったことを反省した方がいいんじゃないか?」

「え?」

「相手の子にはかあさんも一緒に行って謝ってくれて、気にしてないと言ってもらったんだろ?」

「うん」

「だったら、そのことはそれで終わり。問題は、大事なところで身体が思い通りに動かなかったことじゃないか?」

「たしかにそうかもしれない。僕はいつも『ここだ!』と思うと力が入って狙い通りに打てないことが多いんだよね」

「心の鍛錬が足りていないと身体が思うように動かないんだ。大事な場面こそ、冷静さが必要になるからな」

「どうすればいいの?」

「たぶん楽は『決めなければダメだ』と思って打っているんじゃないか?」

「うん、いつもそう思ってる」

「それをマイナス思考と言うんだ。そうじゃなくて、『よし、ここで決めてやる!』とプラス思考で考えた方が体は動くはずだぞ」

「そうか! 次はそう考えて打ってみる!!」

「前向きに考えると心の思うままに体が動くはずだ。やってみろ!」

「うん、父さん、ありがとう!!」


ひとりごと

心と体についての章句が続くので、すこし超訳してみました。

聖人のみが善の心のままに体を善に活用できる、という理解をして、聖人を一流プレーヤーに置き換えてみたのが今日のストーリーです。

そして、神坂課長が楽君に伝えた言葉は、ジャイアンツファンの方はご存知かと思いますが、阿部選手から若き主砲・岡本選手に伝えられたメッセージです。

マイナスに考えるのではなく、プラスに考える。

これは、スポーツに限らず営業の世界でも活用できる教えです。

プラス思考で動くとき、営業マンの口も身体も思い通りに動いてくれるはずです。


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第2374日 「心」 と 「善」 についての一考察

今日のことば

原文】
性は諸を天に稟(う)け、軀殻は諸を地に受く。天は純粋にして形無し。形無ければ則ち通ず。乃(すなわ)ち善に一になるのみ。地は駁雑(ばくざつ)にして形有り。形有れば則ち滞る。故に善悪を兼ぬ。地は本(も)と能く天に承けて以て功を成す者、風雨を起して以て万物を生ずるが如き是れなり。又時有りてか、風雨も物を壊(やぶ)れば、則ち善悪を兼ぬ。其の謂わゆる悪なる者、亦真に悪有るに非ず。過不及有るに由りて然り。性の善と軀殻の善悪を兼ぬるとは亦此の如し。〔『言志録』第108条〕

【意訳】
人の心は天から受け、身体は地から受けたものである。天は無形であるからすべてに通ずる。すなわち善と一体化している。地は不純物も混じった形有るものであるから滞る。それゆえに善悪双方を有している。とはいえ地は本来は天から受けて功を成すものであるから、風雨を起して万物に命を与える。しかし、時には風雨が物を破壊することがあり、こうなると善悪を兼ねていることになる。その悪も、真の悪ではなく、過ぎたり足りなかったりで適度なところを保てないために生じるのだ。心が善で、身体は善悪を兼ねるというのも、またそれと同じであろう。

【一日一斎物語的解釈】
人の心は本来形がなく善に通じている。身体は形が有るために時に滞り善悪をなす。身体も本来は心に通じて善をなすものであるが、時には悪に振れることがある。しかしその悪というものも、過不足が生じて中庸を失っているだけに過ぎない。人間の心と身体の善悪とはそういうものである


今日のストーリー

営業2課の梅田君が警察に違反切符を切られたようです。

「梅田、何をしでかしたんだよ?」

「一方通行を逆走してしまいました!」

「知らずに突っ込んだのか?」

「いや、正直に言いますと、分かっていて突っ込みました」

「アホか!」

「今朝から腹の調子が悪くて、途中で何度も車を停めてコンビニで用を足したりしていました。おまけに事故があって渋滞していたものですから、アポイントに間に合わないかも知れないと焦ってしまって・・・」

「気の毒な気もするけど、やはり一通逆走はマズいだろう」

「はい。時間帯で一方通行になる道だったので、まぁバレないかなと思いまして・・・」

「そうしたら、バレたのか?」

「警察が張っていました」

「ツキのない奴だな。しかし、ツキの問題にしてはいけないな」

「すみません」

「点数は大丈夫だよな?」

「今のところ無傷です。でも、これで念願のゴールド免許もお預けになりました」

「知るか!」

「すみません!」

「まぁ人間というのは心は善でも、時に体が心に逆らうことがあるらしいからな。俺もそのパターンでスピード違反で捕まったことがあるよ」

「腹の具合さえ悪くならなければ・・・」

「身体は自分の思うようにはならないからな。ところで梅田、前日に何を食ったんだよ?」

「課長に誘われて激辛つけ麺のお店に行ったじゃないですか!」

「あ、そうだったな」

「私は辛いのが苦手だと言ったのに、ほぼ強制的に連れて行かれたんです」

「あれ? じゃあ、俺が悪いってこと?」

営業2課のメンバーが神坂課長を見つめています。

「いやいや、それは酷いよ、こじつけだよ! 悪いのは一通を逆走した梅田だろう。俺がつけ麺屋に連れて行ったのとは因果関係が証明できませんな!」

「梅ちゃん、罰金はいくら?」

石崎君が聞いたようです。

「7,000円でした」

石崎君が神坂課長を見つめています。

「嘘でしょう。俺が払うの?」

一同の目が神坂課長に注がれています。

「わかったよ。あー、高いつけ麺代になったなぁ!!」


ひとりごと

心は善でも、手足は時に中庸の度を越すことがある。

以前にもあったように、一斎先生は心と身体の諸器官を別物と捉えています。

いずれにしても、人は時に、いけないと分かっていてもついやってしまうということがあります。

あくまでも過不足の問題であって、基本は心も諸器官も善であるとするのが、一斎先生の主張のようです。


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