一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2022年01月

第2546日 「人間」 と 「禽獣」 についての一考察

今日のことば

原文】
(と)れば則ち存するは人なり。舎(す)つれば則ち亡ぶは禽獣なり。操舎は一刻にして、人禽判る。戒めざる可けんや。〔『言志後録』第35章〕

【意訳】
仁義の心をしっかりと守っているのが人間であり、仁義の心を捨てて亡くしてしまったのが禽獣である。取るか捨てるかは一瞬のことであって、それで人間と禽獣の区別がついてしまう。戒めないわけにはいかない

【一日一斎物語的解釈】
人間と禽獣との違いは、道徳心を守るか守らないかの違いである。そう考えると、人間の姿形をした禽獣が数多く存在しているのことに気づく。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、N鉄道病院名誉院長の長谷川先生を訪ねたようです。

「長谷川先生、しばらくご無沙汰しておりまして、申し訳ありません」

「仕方ないよ。私のような老人がCOVID-19に罹患したらひとたまりもないからね」

「ところで、長谷川先生。明日が先生のお誕生日ですよね?」

「よく知ってるね!」

「佐藤が教えてくれました。それで、今日は佐藤と私から先生に誕生日プレゼントをお持ちしたんです」

「その大きなダンボールの中身は、私へのプレゼントだったの?」

「はい。重くて、台車で運ばないと無理でした」

「はて、何でしょう?」

「どうぞ、箱の中をお確かめください」

「おぉ、『吉田松陰全集じゃないか! これは嬉しいねぇ」

「我々からの日頃の感謝の証です。ぜひ、お受け取りください」

「ありがとう。佐藤さんにもよろしくお伝えくださいね」

「はい。先生、一つ質問してもいいですか?」

「どうぞ」

「たしか吉田松陰の『士規七則』に人と禽獣との違いに触れた文章がありましたよね?」

「よく勉強しているね。人には五倫があるが、なかでも主君に対する忠と親に対する孝とが大事だという内容だったね」

「はい。動物には忠誠心や親孝行したい思う心はないのでしょうか?」

「猿のような高等な生物には、ある程度の忠誠心や愛情というものはあるだろうね。ただ、禽獣というと、一般的には鳥や獣の類を指すんだ。そういう生き物には、いわゆる道徳心のようなものはないだろうね」

「なるほど、道徳心ですか? そっちの方がわかりやすいです」

「他人を思いやることや、道を踏み外すことのないようにしようと考えるのは、人間だけだと思うよ」

「でも、先生。そういう意味なら、ここ最近は、姿かたちは人間なのに、心は禽獣という人が増えていませんか?」

「本当だね。先日、私の同業の青年が散弾銃で射殺された事件があったね。あの犯人なんぞは、禽獣以下だね!」

「せっかく人間に生まれながら、禽獣のように振る舞うなんて、情けないし、もったいないですね」

「うん。だからこそ学び続けて、人間としての在り方を学ばなければならないんだよ。私もこの『吉田松陰全集』を熟読して、人間の在り方について更に知見を深めさせてもらいますよ」

「はい。また、お話を聞かせてください」


ひとりごと 

人と禽獣と異なる点について、一斎先生は「道徳心」の有無にあるとしています。

吉田松陰は「忠孝の心」の有無だとし、森信三先生は「理性」の有無だと言います。

人間だけが道徳心を持っているはずなのに、その道徳心をどこかに置き忘れて禽獣と堕した人が増えている気がします。

これほど、恐ろしいことはありませんね。


akazukinchan

第2545日 「克己」 と 「決断」 についての一考察

今日のことば

原文】
克己の工夫は、一呼吸の間に在り。〔『言志後録』第34章〕

【意訳】
己に勝つという克己の工夫は、悩まず一呼吸の間に即断即決実行すべきである

【一日一斎物語的解釈】
一瞬のうちに自分との約束を守る覚悟を決める。これが克己の工夫なのだ。

今日のストーリー

今日の神坂課長は、A県立がんセンターの多田先生を訪れているようです。

「神坂、オミクロンが蔓延しているのに、のこのこやってくるんじゃねぇぞ!」

「多田先生、そんなこと言われたって、我々ディーラーには納品があるんですから。そのついでにちょっと顔を出しただけじゃないですか」

「じゃあ、特に用はないんだな?」

「もしお時間があったら、ちょっとお話を聞きたかったんですけど、忙しいならまた来ます」

「どうせ、もう午前の検査は終了したって看護師から聞いているんだろ? ちょっと話をするか?」

「ありがとうございます!!」

「で、今日は何が聞きたいんだ?」

「はい。以前に先生は、修養とは己に克ことだと仰っていましたよね。ところが私のような意志の弱い人間は、いざとなると誘惑に負けてしまうんですよね」

「楽をして生きてきた奴は大概そんなもんだ」

「それは否定できませんが、そんな私でも己に克つには、どうしたら良いのでしょうか?」

「お前の頭であれこれ考えたところで、どうせ大したアイデアが湧くわけでもないだろう」

「酷い言い方だなぁ。私だって、最近は少しは勉強もして、知識を身につけているんですよ!」

「とにかく、あれこれ考えずにスパッと決断を下せ。もっと端的に言えば、やるかやらないか迷ったら、やれば良いということだ」

「瞬間的にですか?」

「そうだ。悩んだり、考え込んだりするから、弱気の虫が騒ぎ出すんだ。だいたい、他人に相談をするときには、実は当人の中で結論が出ているものだろう。それを肯定してもらったり、背中を押して欲しくて相談するんじゃないのか?」

「たしかに、そうかも知れません」

「要するに、自分の中に結論は既にあるんだ。だったら、一呼吸の間にスパッとその結論を肚に落とせばいいんだよ!」

「先生はいつもそうして来たんですか?」

「そうだな。大事な要件ほど、スパッと決断して、即実行してきた。それで大きく道を踏み外したことはないな」

「そうなんですね。修養というと、なにかあれこれ思案しなければいけないように感じていましたが、感即動なんですね?」

「自分を信じて、自分で出した結論をひたむきに実行してみろ。その積み重ねで人は成長していくものだ」

「ありがとうございます。あ、もうすぐ15分になります。お互いに濃厚接触者にならないように、そろそろ失礼します」

「ランチはいいのか?」

「行きたいところですが、食事中はどうしてもマスクを外して会話をしてしまいがちなので、今日は涙を呑んで辞退します」

「そういうことなら、ずっとCOVID-19が続いてくれた方が俺は助かるな」

「いや、もうすぐ収束します! そのときは、是非また鰻でもご馳走してください!」


ひとりごと 

迷いが生じた時、どうすればよいか?

その答えは、実はすでに自分の心の中で明確になっているのではないでしょうか?

だからこそ一斎先生は、一呼吸の間に断じろ!と仰っているのでしょう。

考えてみれば、人の一生は、小さな決断の積み重ねの上に成り立っています。

克己の工夫は、一呼吸の間に在る、とはそういうことなのではないでしょうか?


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第2544日 「春風」 と 「秋霜」 についての一考察

今日のことば

原文】
春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛(つつし)む。〔『言志後録』第33章〕

【意訳】
人に接するときは春風のように温かく接し、己に対しては秋の霜のような厳しさで鍛錬をするのだ

【一日一斎物語的解釈】
メンバーには春の風のように温かく接し、己には秋の霜のごとく厳しく律するリーダーたれ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、N大学医学部附属病院の倉庫脇にある休憩室で、Y社の若手社員・丸野さんと雑談をしているようです。

「え、丸野君の下の名前、『春風と書いて何て読むの?」

ネームカードを見ながら聞いているようです。

「そのまま、『はるかぜ』です」

「カッコいいね。名前の由来は聞いている?」

「はい、たしか、佐藤一斎という学者さんの言葉から取ったと聞きました」

「え!! 一斎先生?!」

「急に大きな声を出さないでくださいよ、ビックリするじゃないですか!!」

「ゴメン、ゴメン。いや、俺がビックリしたわけよ!」

「なぜ、そんなに驚いているのですか?」

「俺はその一斎先生の『言志四録』という本を学んでいる上司から、人間としての在り方を教えてもらっているんだよ」

「ということは、師匠の師匠が佐藤一斎ですか?」

「そうなるね。そうか、あの言葉だな。『春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛』」

「あー、それです! 春の風のように温かく人に接しなさい、という意味で付けた名前だと言われました」

「誰が付けたの?」

「祖父です。もう亡くなりましたけど」

「きっと立派なお爺さんだったんだろうね」

「高校で古典の先生をやっていたと聞いています」

「なるほどね。素晴らしい名前をもらったね。俺も春の風を目指しているんだけど、気を抜くとすぐに秋の霜のように、人に厳しく接してしまうんだよな」

「もしかして、神坂さんの下の名前は、『あきしも』ですか?」

「そんなわけないだろ!!」


ひとりごと 

既に以前にも書いたように、小生が『言志四録』の章句の中で最も愛する章句です。

この言葉に説明は要らないでしょう。

秋の霜になりがちな小生を戒めてくれる素晴らしい言葉です。

あ、ちなみに小生の名前は「はるかぜ」でも「あきしも」でもありません!


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第2543日 「修養」 と 「笑顔」 についての一考察

今日のことば

原文】
申申夭(しんしんようよう)の気象は、収斂の熟する時、自ら能く是(かく)の如きか。〔『言志後録』第32章〕

【訳文】
のびのびして、にこやかな気分は、精神の修養が十分に習熟した時にこそ、自然にそのようになれるものだろうか。

【一日一斎物語的解釈】
のびのびとにこやかに寛いだ気分というのは、修養によって精神が成熟してくると、自然と到達する境地なのであろう。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、勉強会仲間のフミさんこと松本さんと一杯やっているようです。

「オミクロンが爆発的に増えてきたので、今日はどうしようかと迷いました」

「高齢者にうつしたら大変だから?」

「ぶっちゃけ、そうです。でも、フミさんからやめようという連絡がなかったので、強行しました(笑)」

「ワシも久しぶりにゴッドと飲みたかったからね」

「私もです。フミさんの笑顔をみると何故だがとても安心するんですよね」

「仏の笑顔ってやつかな?」

「そうそう、仏像の笑顔に近いかも!」

「ワシはね。先が見えないコロナ禍で多くの若い人が自ら命を絶ったいうニュースが後を絶たないことが悲しくて仕方ないんだよね」

「やまない雨はない、ということに気づいて欲しいですよね」

「うん。この歳まで生きて来るとね、すべてのことが有難く思えるんだよ。生きることは楽なことではないよ。でもね、生きてさえいれば、嬉しい出来事もたくさん経験できるんだ」

「私はバカですから、死のうなんて思ったことはほとんどないんですよ。最近の若い人はみんな賢過ぎるんじゃないかな」

「それはそうかも! ワシなんて、バカの王様だからね!」

「じゃあ、フミさんのことをキングって呼ばせてもらおうかな?」

「ゴッドとキングか、それは面白い!」

「やっぱりフミさんの笑顔をみていると、幸せな気分になるなぁ。きっとその笑顔が神々しいのは、たくさんの辛い経験を乗り越えた先にたどりついた笑顔だからなんでしょうね」

「自分ではわからないけど、そう言ってもらえると嬉しいな」

「やっぱり修養を重ねてきた人の精神というのは、常に安定しているんでしょうね。それが、ゆったりとした雰囲気を作り出すんだろうな」

「知らず知らずのうちに、仕事で陶冶されたのかもね?」

「間違いないですよ。なにも本からだけしか学べないわけじゃない。実践から学ぶことも人生における醍醐味のひとつなんですよ、きっと!」

「ゴッドもこれから先、辛いことや苦しいことがあるだろうけど、乗り越えるんだよ!」

「はい。そして、私もいつの日かフミさんと同じようにゆったりとした精神状態で、人を幸せにする笑顔を振りまけるような存在になりますよ!」

「頼もしいね!!」


ひとりごと 

孔子は、七十にして自分の心のままに行動しても、世の中の規範から外れることがなくなった、と言っています。

このストーリーに登場するフミさんのモデルになった、小生の人生の大先輩も、七十代になって、何をしても道から外れるようなことはなくなった、と語っています。

その方の笑顔は、本当に神々しいのです。

修養によって磨かれた精神が作り出すゆったりとした雰囲気と笑顔は、周囲の人たちまで幸せにしてくれます。

小生もそんなお爺ちゃんになりたい。いや、なるために、精神を磨いていく所存です!!


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第2542日 「インプット」 と 「アウトプット」 についての一考察

今日のことば

原文】
精神を収斂する時、自ら聡明を閉ずるが如きを覚ゆ。然れども熟後(じゅくご)に及べば、則ち闇然(あんぜん)として日に章(あきら)かなり。機心酬酢(しゅうさく)の時、自ら聡明通達するを覚ゆ。然れども稔(じん)して以て習と成れば、則ち的然として日に亡ぶ。〔『言志後録』第31章〕

【意訳】
精神のはたらきを抑制してエネルギーを内面に蓄えているときは、自分の聡明さが閉ざされたように感じるものである。しかしそれが成熟してくれば、暗闇の中に日々光明がさしてくる。心をはたらかせて人に交わり応対していると、自分がおおいに聡明になったように感じる。しかしそれを長い間積み重ねて慣れてくると、日に日に自己が崩壊していくことになろう

【一日一斎物語的解釈】
ひとり静かに学び思索するときは、自分の能力が発揮できずに悶々とするかもしれないが、実は着実に力を蓄えているときでもある。一方、アウトプットをしているときは、自分の能力が発揮されて、自分が聡明になったかのように思いがちであるが、実は自分をすり減らしている時でもある。インプットなくしてアウトプットなし、ということをよく理解しておかねばならない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、N大学医学部附属病院の倉庫脇にある休憩室で、Y社の若手社員・丸野さんと雑談をしているようです。

「J医療器械さんは、新卒社員さんも2年目には担当を持つんですよね?」

「そうだよ。ウチは人手が常に足らないから、温室で育てていくわけにはいかないんだよ」

「羨ましいなぁ」

「そうか、Y社の丁稚期間は3年だったね?」

「はい。相当優秀な人は2年で担当を持つこともありますが、私のような凡人は3年下積みが必要なんです」

「気持ちはわかるけど、今の時期を大切にした方がいいよ」

「なぜですか?」

「先輩社員さんについて仕事を学び、分からないことがあれば、自分で調べて知識を増やしていくという作業は、地道で面白くないかも知れない。でもね、そういう時期を大切に、ポジティブに過ごした人は、担当を持った時には大きな花を咲かせることが多いんだ」

「そういうものですか?」

「ウチみたいに、下手に2年目から担当を持つと、傍からは輝いているように見えるかも知れないけど、蓄えた知識が少ないから、すぐに壁にぶち当たってしまうんだ」

「インプットが大事なんですね」

「インプットなくして、アウトプットなしだよ。しっかりインプットしたものを、アウトプットし、アウトプットしたらガソリンが減るわけだから、またインプットしないと走り続けられないんだ」

「御社の若手社員さんは、ガソリン満タンになる前に走り出しているわけですね?」

「そういうことだよ。丸野君は3年後にはガソリン満タンでスタートできる。その点では、ウチの同級生にそれほど劣ることはないはずだよ」

「でも、現場経験では敵わないですよね?」

「たかが1~2年の経験の差なんて、ちゃんと学んでいる人間からすれば、誤差みたいなもんだよ!」

「ありがとうございます。ちょっと、気が滅入っていたんですけど、やる気が出てきました!」

「3年後に担当を持ったら、なるべくウチじゃないところと競合してくれよな」

「ははは。そうですね。特別講義を受けた受講生としては、少しは忖度します!」

「少しか!(笑)」


ひとりごと 

インプットなくして、アウトプットなし。

これは、小生が学びを続ける中で得たひとつの結論です。

インプットだけでアウトプットしなければ意味はないのは当然ですが、アウトプットだけでインプットがなければいつか行動は減退します。

それはあたかもガソリンが切れた車のようなものです。

インプットとアウトプットを共に続けるしか、走り続けることはできないのです。


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第2541日 「診断」 と 「投薬」 についての一考察

今日のことば

【原文】
気魄の人の認めて以て中と為す者は、固(も)と過ぎたり。而も其の認めて以て小過と為す者は、則ち宛(あたか)も是れ狂人の態なり。愞弱(ぜんじゃく)の人の認めて以て中と為す者は、固(も)と及ばずして、而も其の認めて以て及ばずと為す者は、則ち殆ど是れ酔倒(すいとう)の状なり。〔『言志後録』第30章〕

【意訳】
気の強い人が中だとみなすものは、もともと過ぎたものであり、やや過ぎているとみなすものは、ほとんど狂人のようなものである。気の弱い人が中だとみなすものは、もともと及ばないものであり、及ばないとみなすものは、ほとんど酔いつぶれて何もできないようなものだ。

【一日一斎物語的解釈】
強気の人がすこしやり過ぎだなと思うときは、大きなトラブルの元となる可能性があるので要注意である。同様に弱気な人が少し足りないなと思うときも、何もせずに成果をライバルに奪われてしまう可能性があるので、要注意である。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業2課の売上進捗会議を開催しているようです。

「わかった、石崎としてはAランクで読んでいるんだな?」

「はい、絶対に勝てます!」

「石崎、商談と競馬に絶対はないんだよ!」

「競馬と一緒にしないでください!!」

「それはそうだな。しかし、お前の話を聞くと、とてもAランクには思えないけどな。Aランクというのは現時点で購入確率80%以上だぞ」

「それは、わかってます!」

「本当にわかっているのかなぁ? 俺としては、現時点では数字に加えないが、とにかく慎重に商談を進めて、なんとか受注してもらえると助かるよ」

「なぜ、私の読みどおりに数字に加えてくれないんですか!!」

その後、

「善久、この悴田クリニックの商談はどうなんだ?」

「Bランクで読んでいます」

「それは見ればわかるよ。実際のところはどうなんだ? お前は今期受注できると思っているのか?」

「院長とY社担当者の関係が結構強いので、確率は50%くらいかと…」

「お前としては読むのか、読まないのか、そこをはっきりしろ!」

「難しいと思います」

「わかった。この商談は数字に読むことにする!」

「え?」

会議終了後、雑談コーナーで神坂課長と梅田君が雑談をしているようです。

「なんだか神坂課長は、先輩の意見と逆の評価をしていた気がするんですが…」

「それはそうさ。石崎は強気の営業マンだ。強気なのは悪いことではないが、商談を舐めてかかることがある。最後まで気を抜かずにクロージングさせる必要があったんだ」

「はい」

「しかし、善久は慎重派だ。慎重なのも悪いことではないが、慎重過ぎればチャンスを逃す」

「なるほど」

「だから、石崎の商談は数字に読まないと言って、もうひと踏ん張りさせたかったし、善久には、今が押しどころだと気付かせたかったんだよ」

「先輩の性格に応じて真逆の判断をされたんですか? すごいなぁ」

「上司は部下の性格をしっかりと把握しないとな!」

「私はどちらのタイプでしょうか?」

「お前はCランクの引き合いしかないから、評価のしようがないなぁ」

「そんなぁ~」


ひとりごと 

孔子は、弟子の性格に応じて、まったく正反対の指導を堂々と行っています。

こうした指導こそが、相手に応じた適切な指導であって、決して軸がブレているわけではないのです。

この孔子の指導方法は一般に「応病与薬」と呼ばれています。

医師が患者の病状を適確に診断し、最適な薬を与えるように、弟子の性格に応じて、適切な指導をすることを意味します。

大事なことは、与える薬の効能ではなく、診断にあります。

適確に病気を診断できなければ、薬の効能も期待できません。

まずは、部下や後輩の性格を正しく診断する力を身につけましょう!


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第2540日 「中」 と 「凡」 についての一考察

今日のことば

原文】
中の字は、最も認め叵(がた)し。愞弱(ぜんじゃく)の人の認めて以て中と為す者は、皆及ばざるなり。気魄の人の認めて以て中と為す者は、皆過ぎたるなり。故に君子の道鮮(すくな)し。〔『言志後録』第29章〕

【意訳】
中の状態でいることは本当に難しい。気の弱い人が中だと認めているものはみな中に及ばない。また気魄のある人が中だと認めているものはみな中を過ぎている。そのような状況であるから、中庸なる君子の道は殆ど行われていないも同然だ

【一日一斎物語的解釈】
中庸を保つことはとても難しい。自分では中庸であるつもりでも、その性格によって行き過ぎていたり、足りていなかったりするものだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業1課の新美課長とランチに出かけたようです。

「人間って面白いですよね。みんな自分は普通だと思っているけど、実際はむしろ普通の人の方が少ないんじゃないかと思うんです」

「たしかにそうだよな。お前は俺のことを普通だと思うか?」

「そんなわけないじゃないですか!」

「どういう意味だよ!!」

「神坂さんが普通だと認められるなら、たしかに世の中の人が言っていることは正しいということになります」

「は?」

「みんな普通だってことです」

「お前な、そういう回りくどい言い方は良くないぞ。もう少しストレートにモノを言ったらどうだ?」

「え、私の言い方って、回りくどいですか?」

「ほらな。お前だって、自分の言い方は普通だと思っているんだろ? でも、実際にはそんなことはないんだよ」

「なるほど。では、普通の人ってどこにいるんでしょうか?」

「『普通』と言うと平凡なイメージを持つかもしれないけど、実は普通こそが一番難しいんだよ」

「そうかもしれませんね」

「孔子は、『偉大なる平凡人』とも言われているそうだ。つまり、当たり前のことを徹底的にやれる人だ、ということだな」

「あー、凡事徹底ということですね?」

「そうそう、それだ。凡事を徹底出来る人は、実はすごい人なんだよな」

「普通の人って、実は偉大な人なんですね。世の中に普通の人が少ないわけだ!」

「俺は最近、どんなことでも楽しんでやろうと決めたんだ。たとえ、クレーム処理であってもな」

「なぜですか?」

「偉大なる平凡人を目指すためだよ。凡事だと思うから、詰まらなさを感じるわけだろ? どんなことでも楽しんでやれば、凡事でなくなるかも知れないと思ってさ」

「そうすれば、凡事が徹底できるということですね?」

「そう。ご存知のように、俺は目立つことや派手なことが大好きだ。しかし、そんなことばかり追いかけていたら、結局何もつかめない気がするんだ」

「はい。それよりも目の前のことをコツコツ積み上げていく方が、結局は成果を出すことになるんでしょうね」

「だから、今このときも楽しんでいる。お前とのいつものつまらない会話でもな」

「二度と昼飯に誘わないでください!!」


ひとりごと 

今回は、中 = 普通・平凡 と解釈して、物語を書いてみました。

中であることとは、究極的には、平凡であることなのかも知れません。

凡事を究めた先に、中の世界が開けるのではないでしょうか?


bonji tettei

第2539日 「思索」 と 「知行」 についての一考察

今日のことば

原文】
心の官は則ち思なり。思の字は只だ是れ工夫の字のみ。思えば則ち愈(いよ)いよ精明に、愈いよ篤実なり。其の篤実なるよりして之を行と謂い、その精明なるよりして之を知と謂う。知行は一の思の字に帰す。〔『言志後録』第28章〕

【意訳】
心の大切な役目は思うことにある。「思」という字は工夫を意味する。思えばますます物事に詳しく明らかとなり、ますます誠実に取り組むことができる。誠実に取り組むことを「行」といい、物事に詳しく明らかとなることを「知」という。知行はともに「思」という一字に帰するのだ

【一日一斎物語的解釈】
ビジネスの原点は、「思い」にある。知識を得ることも、実行に移すことも、「思い」があってはじめて意味をなす。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、昨日に引き続き、『孔田丘一の儒学講座』を観ているようです。

「先週は忙しくて、配信を見逃してしまっていたんだった。先週の分も観てみよう」

「儒学を学ぶと大概は、『知行合一』という言葉を知ることになるじゃろう。しかし、その意味を誤解している輩が多いことは、本当に残念なことじゃ」

「本で読んだことを、そのまま受け売りで実行したところで、大した成果が出るわけがないじゃろう」

「知行合一という言葉の真の意味は、『本当に知ることができたことは必ず実行できる、ということを言っておるんじゃよ」

「そして、そのためには、『思う』という作業が必要なのじゃ」

「本で読んだことでも、誰かから学んだことでも、一旦は丸受けして、その内容を自分の仕事や生活に当てはめて、しっかりと思索することが重要なんじゃよ」

「一旦深く考えたら、そのまま思考を寝かせておくのもよいじゃろう。思考というものは、ワインのように熟成するものじゃからな」

このことを唱えた儒学者が、細井平洲じゃ。知っておる人も多いじゃろうが、あの上杉鷹山公の師に当たる人じゃな」

「この人が、『学思行相須(ま)って良となす』と言っておる。つまり、学んだことは、しっかりと思索した後に実行する。これこそが学問だ、という意味じゃろう」

「では、『思う』という作業は具体的にはどうすべきか?」

それは『中庸』に書かれておるんじゃ。ご存知だと思うが、孔子の孫の子思が書いたとされる書じゃな」

「『中庸』には、こうある。『博く学び、審らかに問い、慎んで思い、明らかに弁じ、篤く行う』」

「つまり、自分で間口を狭めずに幅広くインプットを行ない、分からないことは師匠や有識者に質問して理解を深め、それから一人で自分の事例に落とし込んで思い、行動すべきか否かを弁じ(決断し)、その上で強く実行する、ということじゃな」

学問には、博学・審問・慎思・明弁・篤行の5つが大事だとしておるんじゃが、このうちの審問・慎思・明弁の3つは、先ほどの細井平洲の学思行の『思』をさらに細分化したものと解釈して良いじゃろう」

「わからないことを問い質さずに勝手に思索したところで、得るものはほとんどない。まずは、知識のある人に聴くという素直さが必要なんじゃな」

「その上で、これまでの知識や経験に照らして、新しい学びを思索するんじゃ。さらにそれを行動に移すためには、行動すべきか否かを判断しなければならない。ここまで深く思索した後は、ただ実行あるのみ!」

「思うことは、工夫することじゃ。『中庸』にあるような正しいステップで思うことができれば、ますます物事に詳しくなり、誠を持って取り組むことも可能になるんじゃよ」

「人間の脳味噌なんぞ、使い過ぎということはないものなんじゃ。通常の人間は、その能力の10%も使わずに死んでいく」

「だからこそ、徹底的に頭をフル回転させる時間をつくるべきですな。ワシがここまで大してボケもせずに来たのは、思索の効果だと密かに任じておるんじゃ」

「諸君、思い給え!」

突然、動画が終了したようです。

「せっかく人気が出て来たんだから、もう少し終わり方をちゃんとした方が良いと思うんだけどなぁ。まぁ、これがあの爺さんのキャラなんだろうな」

「なるほど、『思う』ことが大事なわけか。本を読んだら、読みっ放しにせず、一度、深く考えてみる必要があるんだな」


ひとりごと 

学思行相須って良となす。

すでにこの名言は、何度も取り上げてきました。

先日もとある知人の読書会で、この言葉を紹介する機会があり、参加者の皆さんに感謝の言葉をいただきました。

「思う」という作業がなければ、読書も実行も、無駄になってしまうかも知れません。

思いましょう!


heiyu

第2538日 「死生」 と 「盛衰」 についての一考察

今日のことば

原文】
物には栄枯有り、人には死生有り。即ち生生之易なり。須らく知るべし、軀殻(くかく)是れ地、性命是れ天なるを。天地未だ曾(かつ)て死生有らずば、則ち人物何ぞ曾て死生有らんや。死生・栄枯は只だ是れ一気の消息盈虚(えいきょ)なり。此れを知れば、則ち昼夜の道に通じて知る。〔『言志後録』第27章〕

【意訳】
物には栄枯盛衰があり、人には死生がある。これはすなわち易(移り変わり)である。以下のことを知っておかねばならない。人間の身体は地のものであり、性命は天のものである。天地には死生はないのであるから、人間にも死生などはないのである。死生や栄枯というのは、気が消えたり現れたり、満ちたり欠けたりしているに過ぎない。このことを理解すれば、そのまま昼夜の道に通じたといえよう

【一日一斎物語的解釈】
万物の盛衰も人間の生死も昼夜の交替と同じようなものである。それを理解していれば、自分の周囲に起る出来事に一喜一憂することはない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、YouTubeチャネル『孔田丘一の儒学講座を視聴しているようです。

「諸君は死ぬことが怖いですかな? ワシはもうこの歳じゃて、死ぬことなど露ほども怖くないですぞ」

「そもそも『死生命有り、富貴天に在り』と『論語』にもある」

「死生も富貴も我々の力だけではどうにもならんことなんじゃ」

「ところが今のご時世、自分でどうにもならんことに悩み、時には命を落とす者までおる。なんと命を粗末にすることか!」

「生まれたら必ず死ぬ。栄えれば必ず衰退する。これが道理なんじゃ」

「それは、昼の次には必ず夜がくるのとまったく同じ道理なのですぞ!」

「諸君らは、夜を無理に昼間にしようと努力しますか? 昼の太陽をなんとか沈めようと考えますか? 考えはせんじゃろ」

「それなのになぜ、死を恐れるのか? いま生きていることに感謝して、いまできることに全力を尽くせば、それで良いではないか!」

「必要以上に富や地位を求めて何になる? 地位など、いつかは必ず手離さねばならぬのですぞ!」

「仮に富や地位を手に入れても、それを維持し続けようなどとは思わんことじゃ。そんなものは空に浮かぶ雲みたいなものじゃ。風が吹けば、どこかへ消え失せてしまう」

「人にはすべて分がある。その分を越えた地位や富は手に入りはしない。それも道理じゃからの」

「だから、繰り返すが、自分の分の中で、最善を尽くしなさい」

「自分の為ではなく、誰かの為に力を尽くしなさい」

「そうしたところで、富や地位は手に入らんかもしれん。しかし、もっと大事なものを手に入れることができるじゃろう」

「それは何か。感謝の言葉じゃよ。『ありがとう』という言葉と笑顔を受け取ることができる」

「これこそが最高の報酬であることに気づけば、くだらんものに惑わされることもなくなるはずじゃ!」

「たくさんの『ありがとう』を受け取る人は、お金持ちにはなれなくても、お人持ちにはなれる」

「たくさんの人が集まってくる。孔子がそうであったようにな」

「移り変わるものを追い求めず、本当に大切なものを手に入れることに力を尽くしなさい」

「富や地位では幸せにはなれないんじゃ」

「それは『裕福であって、『幸福ではない」

「これからは、幸福を追い求めなさい。それには、人の為に最善を尽くすしかない」

「幸福な人は、死が訪れても平然とそれを受け容れるじゃろう。しかし、裕福なだけの人は、その時になって後悔するんじゃ。自分の周りには信頼できる人間がいないということにな!」

「ちょっと興奮してしゃべりすぎたわい。では、諸君。また会いましょう!」

視聴を終えた神坂課長はPCを片付けているようです。

「もう少し終わり方を工夫できないのかな、この爺さん。無理やり尺に押し込んでるのが見え見えだよ(笑)」

「それにしても『裕福より『幸福』を求めるという話は腹に落ちたな。爺さん、ありがとう。また勉強させてもらいました」


ひとりごと 

朱子の唱える理気二元論に基づいた一斎先生の章句でしょう。

そのままではストーリーにしにくいので、今回も超訳でお許しください。

どうせいつかは死ぬのなら、今生があることを楽しみませんか?

富や地位を手に入れること、つまり裕福を目指すより、幸福を目指しませんか?

どうせ一度しかない人生なのですから。


money_zaisan

第2537日 「新規」 と 「改変」 についての一考察

今日のことば

原文】
漢土三代已後(いご)、封建変じて郡県と為る。是を以て其の治概ね久しきこと能わず。偶々(たまたま)晋史を読む。史臣謂う、「国の藩屛有るは猶お川を済(わた)るに舟楫(しゅうい)有るがごとし、安危成敗、義実に相資(そうし)す。藩屛式(も)って固くば、乱何を以て階を成さん」と。其の言是の如し。而も勢変ずる能わざる、独り西土のみならず、万国皆然り。邦人何ぞ其の大幸(だいこう)を忘れんや。〔『言志後録第26章〕

意訳】
支那においては、夏・殷・周の三代以後、封建制度が変化して郡県制度となった。それからは長らく治世を保つことがむずかしくなった。たまたま『晋書』を読んだが、史官の言葉に「国に諸侯があるのは、川を渡るのに舟が必要であるようなもので、平安か危機か、事が成るか敗れるかは封建の義に深くかかわっているのである。諸侯の守護が堅固であれば、どうして乱の兆しが生じようか」とある。誠にその通りであろう。それにもかかわらず情勢として封建制に変わることができないのは、ただ支那だけではなく、世界の各国が皆同様である。わが国民は(未だに封建制度が守られているという)この大きな幸いを忘れてはいけないい。

【一日一斎物語的解釈】
組織改編は慎重に行うべきである。組織風土を無視して流行に乗って組織を頻繁に改変することは会社存続の危機を引き起こすリスクがあることを忘れてはならない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、同期の人事課鈴木課長と雑談中のようです。

「本当は飯に誘いたかったんだけど、またオミクロンが大暴れしているからな」

「神坂らしくないな」

「誰かと一緒に行くとどうしてもマスクを外して飲食をしてしまうよな。それで感染したら、みんなに迷惑をかけるじゃないか」

「じゃあ、一人では飲みに行くのか?」

「うん。俺の生活を潤してくれているお店のために、少しでも協力したいじゃないか」

「ははは、そこは神坂らしいな。ところで用件はなんだ?」

「つい最近、K社が組織を大きく変革して、地域ごとのチーム制から、大学の系列別のチーム制に変えたんだよ」

「あそこの社長は、組織をいじるのが好きだからな」

「でも、俺は系列別のチームというのはアリだと思っているんだ。ウチもそうした方が良いと思わないか?」

「それぞれ一長一短があるから、そう単純ではないだろう」

「地域制のメリットって何だろう?」

「当社の場合は、K社やY社と違って、ひとりの営業マンが複数の施設を担当せざるを得ないだろ?」

「それはそうだな。営業の数が違うから、仕方ないことだよ」

「それなら担当施設が地域でまとまっていた方が効率よく訪問できるじゃないか」

「あ、そうか。ウチは納品も営業がやるけど、K社は納品担当は別にいるもんな」

「ティール組織のような欧米で流行ったものをすぐに導入して、うまくやっている会社の方が少ないんじゃないか?」

「やはり日本には日本流のやり方があるんだろうな」

「同じように、会社の規模や性格によっても、取るべき体制は変わるだろう」

「かといって古いものに固執するのもマズいよな?」

「それはそうだよ。だから、今回のお前のように、新しい情報を得たら、社内でしっかり分析する必要はあるだろうな。特にツールのデジタル化で遅れをとると致命傷になり兼ねないからな」

「デジタル・トランスフォーメーションってやつか。たしかに、ウチと同じ規模の会社でも、SFAを導入したり、RPAを導入するところが増えてきたようだしな」

「とにかく新しい情報をキャッチすることは重要だ。ただし、それを自社に導入した場合に、自社の強みを生かせるのかどうかで判断すべきじゃないのかな?」

「なるほど。やっぱりお前はいろいろ考えているな、尊敬するよ」

「俺は頭で考えるタイプで、お前は行動重視。二人を足して二で割るとちょうどいいビジネスマンになりそうだな」

「たしかに! そうか、我が社の組織体制がこれで良いのか否か、佐藤部長や他の課長連中にも相談してみよう。このままで良いとも思えないしな」

「組織変革やデジタル化の目的は、自社の強みを活かし、さらに伸ばすことだと思う。それが結局は、お客様のお役立ちにつながるんじゃないかな」

「まったくそのとおりだ。オミクロンが終わったら、今日のお礼に驕ってやるよ」

「その言葉、忘れるなよ!」

「まん防が早く解除になることを祈っていてくれ

「は?」

「俺の約束の有効期限は意外と短いんだ」

「・・・」


ひとりごと 

この章句は、そのままではストーリーになりませんので、かなりの超訳でご勘弁ください。

日本もDXの波は急速で、金融などの大手企業は、2025年までにDXを終えておかなければ、政府が掲げる「デジタル田園都市国家構想」に乗り遅れてしまうそうです。

大手だけでなく、中小企業もデジタル化をいかに導入するかが、生き残りのポイントになりそうです。

組織体制もDXを意識して構築すべき時代に入っているのです。


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