一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2022年02月

第2574日 「適材適所」 と 「鑑識眼」 についての一考察

今日のことば

原文】
物其の所を得るを盛と為し、物其の所を失うを衰と為す。天下人有りて人無く、財有りて財無し。是を衰世と謂う。〔『言志後録』第63章〕

【意訳】
物が適所を得たときは盛となり、適所を得ることができなければ衰となる。天下に有能な人材があっても、その所を得なければ人材は無いも同然であり、財産はあっても適正に使用されなければ金が無いのと同然である。これを衰えた世と云う

【一日一斎物語的解釈】
適材適所こそ、企業存続の重要事項である。人材を見極め、もっとも能力を発揮できるポジションを与えるべきである。また、資産についても、ただ溜め込むのではなく、いかに活用できるかを考えるべきだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、大累課長とランチに出かけたようです。

「神坂さん、聞きました? RS医療器の花村さんが会社を辞めるらしいですね?」

「あー、俺も昨日聞いたよ。まぁ、彼は相当尖ったキャラだからな」

「でも、あれで結構ドクターの信頼は厚い人なんですよね」

「そうなんだよ。相当過激な話題で盛り上がってるからなぁ」

「天皇がどうだとか、日の丸がどうだとか」

「そうそう。それが意外とドクターにハマるから不思議だよな」

「そういうネタで盛り上がりつつ、実は製品に関しては相当な知識を持っていますよね」

「ドクターにそこを切った方がいいとか平気で言えるのは彼くらいだろう。ただ、今のご時世だとちょっとな」

「会社のウケは悪いとは昔から聞いていました」

「彼を引き上げた志村さんが、先に飛ばされて会社を辞めちゃったからな。あれが彼の運のツキだったんじゃないかな」

「花村さんは、部下の面倒見もよかったみたいですよ」

「うん。彼の下で成長した子を何人か知ってるよ。もっと彼を上手に使えばいいのにな」

「彼を使いこなせる幹部がいなかったってことですかね?」

「どんなに優秀な人材でも、能力を発揮する場所を与えられなければ、ただの人になっちゃうからな」

「時には害悪にすらなりますね」

「その点、俺とお前は幸せだよな。こんなに尖っていても、上手に掌の上で転がしてくれる上司に巡り会えたんだから」

「神坂さんと一緒にされるのは、ちょっと釈然としませんが、たしかにそうですね」

「人を見れば殴りかかっていたお前が、今じゃ人の上に立っているんだもんな」

「それはあなたでしょ! 私は何度あなたに殴られたことか!」

「あれ、そうだっけ? 昔のことだからな。まぁ、俺たちもああいう尖ったキャラをちゃんと使いこなせる上司にならないとな」

「花村さん、ウチで採用しますか?」

「お前が面倒をみるならいいぞ」

「いや、まずは神坂さんにお手本を見せてもらいたいですね」

「もう少し天皇のことを勉強してからにするわ…」


ひとりごと
 
適材適所という言葉は、人材活用において言い古されてきた言葉です。

しかし、人を見る眼が曇っていては、その人材の能力を正しく見抜くことができず、適所に配置することができません。

人の上に立つ人は、つねに公正な眼で、人を観察し見極める力をつけて行かねばならないのでしょう。

せっかく目の前にいる優秀な人材を失う前に!!


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第2573日 「大略」 と 「精密」 についての一考察

今日のことば

【原文】
将に事を処せんとせば、当に先ず略(ほぼ)其の大体如何を視て、而る後に漸漸以て精密の処に至るべくんば可なり。〔『言志後録』第62章〕

【意訳】
物事を処理しようとする際には、まず全体の概略(アウトライン)を把握した後、少しずつ細部を処理することを心がけるのが良い

【一日一斎物語的解釈】
仕事(や問題)を処理する際は、いきなり細部から手をつけるのではなく、まず仕事(問題)の全体を把握し、いつまでにどのレベルまで仕上げるかを明確にしておくべきである。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、新たに取り扱う抗がん剤投与用輸液セットの勉強会に参加しているようです。

神坂「今まで取り扱ったことのない製品なので、直接コネクションを持っている営業マンは少ないでしょうね」

佐藤「そうだね。冬木さん、まずアポイントを取りたいのはどういう職種の方になりますか?」

冬木「まずは、大手の病院ですと、がん認定看護師という資格をお持ちの看護師さんがいますので、そこにアプローチをかけたいですね」

新美「なるほど、そういう資格があるんですね?」

神坂「となると、まずはその方に突撃ですか?」

冬木「そうですね。この製品がシビアなのは、抗がん剤曝露による影響に対する考え方や反応が病院によってマチマチだということです」

大累「具体的に教えてください」

冬木「下手に院長先生にこの話をすると、いまそういう話をされると看護師の間でパニックが起きるからやめてくれ、と言われる施設もあります」

神坂「ひどいなぁ。もしかしたら、人体や生まれてくる赤ちゃんに甚大な被害が出るかも知れないのに!」

冬木「そうなんです。でも、漏れない輸液セットを導入すれば、当然コストアップになりますから」

大累「スタッフの健康被害を防ぐのであれば、コストではないのになぁ」

冬木「そこが難しいんです。ですので、まずはそういう知識のあるがん認定看護師さんからアプローチをすべきだと思います」

佐藤「なるほど。この製品については、平社長や河合専務からもしっかり育てるように言わている。そういう意味で、当社にとっては重要な位置づけの商品なので、慌てずにじっくり取り組む必要がありそうだね」

神坂「そうですね。まず国内における抗がん剤曝露に対する実態を把握し、その上で各施設ごとの状況を把握する必要がありそうですね」

佐藤「うん。各施設における認識の違いをよく理解し、その理解度に応じて、打つ手を変えていく必要がありそうだな」

新美「まずは全貌を把握して、その後に細部を詰めるという感じですね」

神坂「うん。先に魚の頭としっぽを押さえておかないとうまく行かないかもしれないね」

冬木「皆さんにそこまで理解してもらえると助かります。ぜひ、この地区は御社一社にお任せしたいので、今後ともよろしくお願いします!」

神坂「木を見て森を見ずではダメなんだな。大累、お前はそういうところがあるから気をつけろよ!」

大累「そのセリフ、そっくりそのままあなたにお返しします!!」

参加者一同、爆笑して閉会となったようです。


ひとりごと
 
一度は鳥の目で全貌を把握し、その後は虫の目で細部を詰めていく。

これはどんな仕事においても必要なことでしょう。

そして、時には魚の目で、より詳細に問題を炙り出しておくことも必要な場合があります。

視点は常にその状況に応じて、変化させねばならないようです。


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第2572日 「深看」 と 「軽看」 についての一考察

今日のことば

原文】
人情・事変・或いは深看を做して之を処すれば、卻(かえ)って失当の者有り。大抵軽看して区処すれば、肯綮(こうけい)に中(あた)る者少なからず。〔『言志後録』第61章〕

【意訳】
人の心情や出来事については、あまり深く考え過ぎるとかえってうまくいかないものである。むしろ軽く捉えて対処した方が、物事の要所をつかめることがあるものだ

【一日一斎物語的解釈】
他人の心情や出来事に対して、あまり深読みをすべきではない。シンプルに考え、即行動することが重要である。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業2課の善久君の相談を受けているようです。

「あの先生は、すごく駆け引きをしてくるので、本心が読めないんです」

「欲しい素振りはまったく見せないのか?」

「はい。でも、価格は気にしてくるんです」

「ということは、欲しいんだよな?」

「そう思います」

「なるほどな。それで、お前が聞きたいのはどういうことだ?」

「こういう駆け引きがうまい先生にはどういう対応が良いのでしょうか?」

「俺の考えが正しいとは限らないぞ」

「はい」

「実は、俺の場合、そういう駆け引き上手のドクターほど、駆け引きに乗らないことを意識しているんだ」

「え、どういうことですか?」

「お互いの心を読み合うような状況になると、時々深読みし過ぎて失敗するんだよ。ふたを開けてみたら、相手はそこまで考えてなかった、なんてことがよくある」

「価格を下げ過ぎてしまったということですか?」

「うん。競合さんより100万円も下げてしまって、かなり薄利での商売になったこともあったな」

「駆け引きに乗らないとすると、どういう対応をするんですか?」

「この器械は、絶対に先生に必要だ、ということを熱く語りかけるんだよ」

「価格ではない土俵に変えていくんですね?」

「おー、まさにそういうことだよ。本当に必要なものには、大金だってはたくのが人情だからな」

「深読みをやめて、シンプルに自信を持って商品を薦めるということですか?」

「浅く読めということではないけど、我々営業人の目的は、お客様の課題解決のお手伝いだろ。それができる商品だと自信を持って薦めることが重要なんだ。自信を持って薦めるからこそ、この価格以下では販売できないと言い切れる」

「はい。駆け引きの事はちょっと頭から外して、もう一度、商品と先生の課題解決について考えてみます!」


ひとりごと
 
策士、策に溺れる、という言葉があります。

専門領域においては、時に知識が邪魔をするということでしょう。

専門で得意な領域だからこそ、深読みが過ぎてしまうのです。

時には基本に立ち返り、深読み癖を修正することも必要なのではないでしょうか?


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第2571日 「誠」 と 「敬」 についての一考察

今日のことば

原文】
天に先だちて天違(たが)わざるは、廓然として太公なり。未発の中なり、誠なり。天に後れて天の時を奉ずるは、物来りて順応するなり、已発の和(か)なり、敬なり。凡そ事無きの時は、当に先天の本体を存すべく、事有るの時は、当に後天の工夫を著(つ)くべし。先天・後天、其の理を要(もと)むれば、則ち二に非ず。学者宜しく思を致すべき所なり。〔『言志後録』第60章〕

【意訳】
天理に先んじて行動してしかも天理に違わないのは、心が晴れ晴れとして公平であるということである。それは『中庸』にある「未発の中」であり、誠である。天理に則り、天理に準じて行動するのは、すべての物と順応して行くことであり、それは『中庸』にある「已発の和」であり、敬である。無事の時は、天の本質である誠を以て事に当り、有事には敬をもって対処すべきである。その理は同じであり、誠と敬は二つに分けられるものではないからである。学問をする者はここに思いを致さなければならない

【一日一斎物語的解釈】
無事のとき(大きな問題が発生していない時)は、常に誠の心を大切にせよ。有事の際は、特に敬の心を大切にして、謙虚に慎みをもって対応すると良い。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、『言志四録』を持って佐藤部長の部屋に入ってきたようです。

「部長、今お時間ありますか?」

「うん、いいよ。そろそろ帰ろうかと思っていたところだから」

「え、じゃあ明日にしましょうか?」

「別に帰ってもやることがあるわけじゃないから、いま聞かせてよ」

「はい。では、お言葉に甘えて。この『言志後録』にある『未発の中』と『已発の和』というのが理解できないので、教えていただけませんか?」

「おぉ、それはなかなかの難問だね。その言葉自体は『中庸』にある言葉なんだ」

「『中庸』は、四書五経のひとつでしたね?」

「そう。簡単に言ってしまうと、『未発の中』というのは、感情が発動する前の落ちついた心の状態。『已発の和』というのは、感情が発動した後、それが度を過ぎていない心の状態を言うんだ」

「ということは、どちらも良いことを言っているんですね?」

「そうだね。ただ、理想としては『未発の中』こそが、完全なる『中』だとは言えるだろうな」

「なるほど、だから一斎先生はそれを誠としているんですね?」

「そうだろうと思う。ただ、それは理想中の理想の状態だよね。むしろ、感情が発動した状態であっても度を越さないという『已発の和』の方が大事になってくる気がするね」

「感情だけで生きてきた私には特に!」

「ははは。そこで大事なのが『敬』だというわけだ」

「はい。『敬』は敬うというより、慎むという意味ですね?」

「そう。己の心を空にして、丸受けする状態のことだね」

「なるほどなぁ。ということは、まずは『敬』を意識しながら、少しでも『誠』に近づけるように心をコントロールしないといけないということですね?」

「それで宜しいかと」

「部長、帰りがけにすみませんでした。それで…」

「何?」

「さきほど、帰ってもやることがないとおっしゃっていましたよね?」

「行く?」

「ぜひ!」


ひとりごと
 
『中庸』のおける重要な概念のひとつが、『未発の中』と『已発の和(か)』です。

しかし、重要な概念であるだけに理解しづらいところがありますが、小生なりの拙い理解を物語にしてみました。

平時は「誠」、有事は「敬」を大事にして事に当たれという一斎先生のご指摘は興味深いですね。


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第2570日 「退路」 と 「決断」 についての一考察

今日のことば

原文】
進歩中に退歩を忘れず、故に躓かず。臨の繇(ちゅう)に曰く、「元(おお)いに亨る貞(ただ)しきに利(よ)ろし。八月に至りて凶有り」〔『言志後録』第59章〕

【意訳】
人は好調のときにも、退くことを忘れなければ躓くことはない。『易経』の臨の卦に「元いに亨る貞しきに利ろし。八月に至りて凶有り」とあるのは、それを意味しているのだ

【一日一斎物語的解釈】
常に退歩を想定してビジネスを進めるべきである。引き際を誤ると、大きな損失を蒙ることになる。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、M器械の出川さんと喫茶店で談笑しているようです。

「じゃあ、あの噂は本当だったんですか?!」

「うん。惜しまれるうちに身を引いた方がいいかなと思ってさ」

「別の会社に移籍するわけではなく?」

「もちろんだよ。俺はM器械の先代にはお世話になっているからね。先代を裏切るようなことはできないよ」

「でも、もう先代はいないじゃないですか」

「そういうことじゃないよ。生きていようがいまいが、先代への恩に変わりはないさ」

「マネジメントへの誘いは一切断り、生涯を一営業人として通してきた出川さんは、私たち業界人の憧れなんです。もう少し続けて欲しいなぁ」

「さっきも言ったように、そう言われているうちが花なんだよ。花が散る前に、身を引くのも悪くないだろ?」

「カッコいいですけど…。いまだに営業成績は社内1位なんですよね?」

「昨年はギリギリだった。今年あたりは陥落間違いなしだな。(笑)」

「それが理由ですか?」

「それもひとつかな。ボロボロになるまでやり抜くという生き方もあるんだろうけど、俺には向かないよ」

「たしかに。伝説の営業人であって欲しいとは思ってしまいます」

「神坂君みたいな優秀な人にそう言ってもらえるだけで、幸せだよ」

「失礼ですけど、いま、おいくつでしたっけ?」

「64。第二の人生はこれからゆっくり考えるよ」

「この業界とは無縁の世界ですか?」

「うん。俺はこう見えても中国古典が大好きでさ。中国古典を突き詰めてみようかと思ってはいるけどね」

「それなら、これからもお付き合いが続けられるかもしれないなぁ」

「神坂君も中国古典を読むの? 意外だな」

「ボスの影響です。今は、ウチを退職した西郷さんが主宰する『論語』の読書会にも出ています」

「すばらしい! 実は、『易経』の臨の卦に「元いに亨る貞しきに利ろし。八月に至りて凶有り」とあってね。自分もそろそろ引き際を考えなければと思い至ったんだ」

「そうですか。業界を去られるのは残念ですけど、それならこれからも出川さんとご縁が続きそうです。ぜひ、よろしくお願いします!」

「こちらこそ!」


ひとりごと
 
何事も、いつかは止めねばならないときが来ます。

死ぬまで止めないというものもあれば、自分で引き際を決めねばならないこともあるでしょう。

少なくとも、誰かから「もう止めなさい」と言われる前に、身を引きたいものですね。


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第2569日 「前虚」 と 「後実」 についての一考察

今日のことば

原文】
面背は又各おの三段に分つ。乾の三陽位、前に在り。初を震(しん)と為し、中を坎(かん)と為し、上を艮(こん)と為す。坤の三陰位、後に在り。初を巽(そん)し、中を離と為し、上を兌(だ)と為す。其の陽の顔面に在る者は、之を背上・身柱に収め、陰と相代れば、則ち前兌・後艮を成して、面冷かに背暖なり。胸陽之を背中・脊髄に収めて、陰と相代れば、則ち前離・後坎を為して、胸は虚にして背は実なり。腹陽之を背下・腰上に収めて、陰と相代れば、則ち前巽・後震を成して、腹は柔らかにして気を蓄え、腰は剛くして精を聚(あつ)む。前の三陽皆後の三陰と相代れば、則ち函(かん)して前坤・後乾を成し、心神は泰然として呼吸は天地と通ず。余は艮背の工夫より之を得たり。〔『言志後録』第57章〕

【意訳】
面冷背暖、胸虚背実、腹柔蓄気・腰剛聚精を良しとし、前坤・後乾の状態となれば心神泰然である。(この章も訳が掲載されておりませんので小生のつたない解釈を掲載します)

【一日一斎物語的解釈】
他者と接する部分は、常に虚をもって自分の心を空にして接し、見えない部分を充実させるように努めれば、心身ともに泰然自若となる。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業2課の本田さんと談笑中のようです。

「そういえば、本田君は柔道をやっていたんだよね?」

「はい、高校までですけどね」

「やっぱり武道をやっている人は姿勢が良いよな。俺も見習わないと」

「私の高校時代の恩師は、勝ち負けより礼にうるさかったです」

「じゃあ、勝ってガッツポーズなんてしたら叱られた?」

「めちゃくちゃ叱られました。というか、殴られました。(笑)」

「今なら問題だな。(笑)」

「絶対アウトです! とにかく、敬意を持って相手と戦えと教えられました」

「勝っても敗者を称え、負けても勝者を称える。本来は球技もそうあるべきなんだろうな」

「野球とかサッカーって、点が入るとすごく喜びますよね? あれは、私にはどうしても違和感を感じてしまうんです」

「うん、そうだな。そういえば、王貞治さんは選手時代、ホームランを打っても絶対にガッツポーズをしなかったらしい」

「ピッチャーへの敬意ですかね?」

「たぶんね。相手に対しては常に敬意を持ち、謙虚な姿勢を保つ。それでいて内にはメラメラと秘めたる闘志を抱いている。これがプロだね」

「そういう意味では、私たちも営業のプロですから、どっしりと構えて営業をすべきですね?」

「そうだなぁ。俺なんか、注文をもらえると、先生に抱き着いて感謝したりするからな」

「ははは。まぁ、それが許されるのは、課長の人柄でしょうけど…」

「闘志は背中に回し、胸は虚心坦懐。これがプロなんだな」

「そういう営業マンを目指したいです!」

「『目指したい!』ではダメだよ。『目指します!』と言い切らないとね」

「はい、目指します!!」


ひとりごと
 
昨日の続きで、一斎先生流の駅の解釈ですが、とても難解なので、今回も超訳バージョンでお許しください。

スポーツを見ていて、敗者の前で勝ってはしゃぐ選手を見ると、違和感を感じます。

相手への経緯が足りないのではなか?と。

喜びは内に秘め、グッと堪えて、相手を称えることができる人間でありたいものです。

いや、そうなります!!


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第2568日 「地天泰」 と 「天地否」 についての一考察

今日のことば

原文】
人の一身は上下を持て陰陽に分かてば、上体を陽と為し、下体を陰と為す。上陽を下体に降し、下陰を上体に升(のぼ)せば、則ち上は虚にして下は実、函(かん)にして地天泰(たい)を成す。又前後を以て陰陽を分かてば、前面を陽と為し、後背を陰と為す。前陽を後背に収め、後陰を前面に移せば、則ち前は虚にして後は実、亦函して地天泰をを成す。〔『言志後録』第56章〕

【意訳】
人間の身体を上下で分ければ上半身が陽で下半身が陰となり、前後で分ければ前身が陽となり、後背が陰となる。そこで上下でいえば、陽を下に、陰を上にし、また前後でいえば、陽を後ろに、陰を前にするように心がければ、それは『易経』の地天泰の卦と同じで安定することになる。(本章は、小生がテキストとしている久須本先生と川上先生の本では訳が省略されていますので、非常につたない訳となっていますことをお許しください)

【一日一斎物語的解釈】
常に他人に見える部分は虚を保ち、内面を充実させることを心がければ、つまらない人間は去り、真の仲間となるべき人が集まってくるようになる。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、読書会仲間のフミさんと食事をしているようです。

「ゴッドも『易経』を学んでいるんだよね?」

「いえいえ、私は独学で竹村先生の本を読んでいるだけです。学んでいると言えるほどではないです」

「そうなのか。でも、好きな卦くらいはあるでしょう?」

「あぁ、そういうことなら、『地天泰が好きです」

「ほぉ、『地天泰か。あれはたしか、下三本の卦が陽で、上三本の卦が陰になっている卦だね?」

「すごいなぁ、フミさん。そのとおりです」

「なぜ『地天泰が好きなの?」

「人に接する部分は謙虚にしつつ、中身は充実している様を表しているからです!」

「すごいのはゴッドだよ。そんな読み方ができるなんて!」

「実はね、フミさん。これは、一斎先生の受け売りなんです」

「あぁ、そういうことね!」

「一斎先生が言っているんです。人間の身体を上下で割れば、本来は上体が陽で下体が陰ですし、前後で割れば、前面が陽で後背が陰となりますよね

「ふんふん」

「しかし、それは不安定な状態だと言うのです。だから上体の陽を下に降ろし、前面の陽を背面に持っていくべきだと」

「そうすると、さっき言ったように、人に接する部分が陰つまり謙虚となり、内面が陽すなわち充実した形になるということなのか!」

「はい!」

「面白いよね、易は」

「フミさん、易も勉強していたんですか。学び続ける姿勢が凄いなぁ。感心しますよ」

「そう言いながら、この話について来たゴッドもさすがだよ!」

「あ、今の私たちって、お互いを立てて、自分を一歩下げていますね。まさに地天泰の状態なんじゃないですか?」

「そうだね。とても気持ちいいね」

「これが、一斎先生が言っていたことなんだなぁ」


ひとりごと
 
易には、「当たるも八卦、当らぬも八卦」という言葉で知られているように、8×8で六十四の卦があります。

「地天泰」とは、その六十四卦のひとつで、全部で六本ある爻のうち下の三つが陰、上の三つが陽となっている卦です。

この状態は、外には謙虚さを発揮し、内に充実したものをもっている形となるため、安定するのだと一斎先生が言います。

得てして小生などは、これと真逆の「天地否」になりがちなので注意が必要ですね。


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第2567日 「易の三義」 と 「冬の五輪」 についての一考察

今日のことば

原文】
余は固と無芸無能なり。然れども人の芸術有るを厭わず。之を諦観(たいかん)する毎に、但だ其の理の易理に非ざる無きを見る。〔『言志後録』第56章〕

【意訳】
私はもともと芸も無く能力も無い人間である。しかし人に技芸があることを厭わない。その技芸の背奥にあるものをよく観察してみると、そこに易の三義に適合しないものはないことがわかる

【一日一斎物語的解釈】
技能や芸事に達者な人(仕事で結果を出す人)をよく観察すると、易の三つの側面に逆らうことなく、努力をしていることがわかる。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、大累課長と一杯やっているようです。

「あっという間にオリンピックが終わったな」

「そうですね。今回のオリンピックは残念なシーンの方が印象に残りましたね」

「高梨沙羅ちゃんは可愛そうだったな」

「スピードスケートの小平選手もですね」

「直前に足をねん挫したんだってな。ツイてないな」

「最後にカーリングで感動をもらいましたが、金メダルが獲れなかったのは残念だったなぁ」

「羽生結弦は、王者陥落といったところかな。ネイサン・チェンに王者の風格を感じたな」

「スノボーの平野歩夢に握手を求めたショーン・ホワイトもカッコ良かったですね」

「俺はあのシーンが一番感動したよ。王者の去り際として、あれ以上のカッコよさはなかったよな」

「はい。今思い出しても目頭が熱くなります」

「一流の技術をもったスポーツ選手というのは、みんな『易の三義』を自然に理解している気がするな」

「なんですか、『易の三義』って?」

「易には三つの意味が含まれている。一つ目は、変易』といって、すべての物は変化するという考え方。2つ目は『不易』で、変化には必ず一定不変の法則性があるということ。3つ目は『易簡』で、その変化の法則性を我々人間が理解さえすれば、世の中の出来事も理解しやすくなる、ということだ」

「むずかしいなぁ」

「わからないか? つまり、人間の体力や技術は変化する。年をとれば衰えるし、ギアが進歩すればすごい記録が生まれる。どんな競技であっても、かならず変化しないものはない。それを理解する必要がある。これを『変易』というんだ」

「なるほど」

「しかし、変わらないものもある。チャンピオンが敗れれば、新たなヒーローが誕生する。ショーンが敗れ平野が勝ち、羽生が敗れてネイサンが勝つ。どんな王者もいつかは陥落する。これは不変の法則なんだ。これが『不易』」

「たしかに、若い挑戦者に敗れて去っていくチャンピオンの背中には、哀愁と共に清々しさがありますよね?」

「うん。そして、そういうことがあるということをしっかりと腹に落として、何があっても動じない精神力を鍛えておく。これが『易簡』というものだ」

「高い技術を持っている選手こそ、自分の力だけではどうしようもないことがあるのを知っているんですね?」

「そう。そしてそうと分かっていても、少しでも勝つ確率を高めるために、4年間ずっと血の滲むような努力をしてくるわけだ」

「なるほどな。オリンピアンたちは、変わりゆくものと不変のものを見極め、そこに一定の法則を見出して、そこから外れないようにするんですね?」

「デキるビジネスマンも同じじゃないか? 変えてよいものと変えてはいけないものをしっかりと見極めて、宇宙の摂理に逆らうことはしない。まるで、俺だな!」

「は? 私は神坂さんがやることと真逆のことをやるように意識したら、自然と宇宙の摂理に逆らわなくなりましたけどね」

「やかまわしいわ!!」


ひとりごと
 
易の三義とは、変易・不易・易簡の三つです。

運を味方につける人というのは、自然とこの三つを理解して行動しているのかも知れません。

北京オリンピックでは、優れた技術をもった一流選手たちのパフォーマンスに感動し、負けて去っていく過去の王者の背中に涙しました。

すべてのオリンピアンの皆さん、感動をありがとう!!


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第2566日 「名句」 と 「記録」 についての一考察

今日のことば

【原文】
志気は鋭(えい)ならんことを欲し、操履(そうり)は端(たん)ならんことを欲し、品望は高ならんことを欲し、識量は豁(かつ)ならんことを欲し、造詣は深ならんことを欲し、見解は実ならんことを欲す。〔『言志後録』第55章〕

【意訳】
物事に取り組む気持ちは鋭く、行いは端正であり、品性や人望は高く、見識や度量は広く、学問や技芸の造詣は深いものであり、考察や知見は実あるものでありたい

【一日一斎物語的解釈】
人の上に立つ者は、志気欲鋭、操履欲端、品望欲高、識量欲豁、造詣欲深、見解欲実の6つを強く願わずにはいられない


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業2課の善久君と同行中のようです。

「課長の手帳の最初のページに何か言葉を書き込んでいませんでした?」

「あ、見つかっちゃった? あれはね、『言志四録』の中にある言葉なんだ」

「どんな内容ですか?」

「簡単に言うと、志を鋭く、行動は規律正しく、品格は高く、知識は幅広く、専門分野を極め、思考は実効性を尊ぶ、という内容でな。企業人としては、心に刻んで起きた言葉だと思ったんだ」

「記憶違いでなければ、佐藤部長の手帳にも同じようなことが書いてあった気がしたんですけど…」

「なんだ、バレてるのか。実は、これは部長の真似をしただけなんだ。(笑)」

「やっぱりそうですか。なんか同じような言葉に見えたんですよ」

「他人の善い行いを真似ることは恥ずかしいことではないと思っているよ」

「はい、そう思います。というか、私はむしろ、お二人が手帳の冒頭に書き込んでいる言葉なら、私も真似をしたいと思ったから聞いたんです」

「そういうことか。それなら、後で見せてやるから、書き写したらどうだ?」

「ありがとうございます」

「志、行動、人間性、知識、技術、思考という6つの分野のあるべき理想を書いてあるから、一生大切にできる言葉だと思うよ」

「課長はいつからこの言葉を書き込んでいるのですか?」

「3年前からかな。たしか3年前の1月に部長の手帳にこれが書いてあるのを見つけたんだよ」

「この6つなら、どれが一番大事ですか?」

「すべてだと思うよ。でも、あえて若手営業マンの善久に限定するなら、知識と技術を磨くことかな?」

「やっぱりそこからですか?」

「うん。どんなに人格が優れていて、行動力があっても、製品の知識や営業の技術がないとモノは売れないからな」

「徐々にその辺は身につけて行けばよいですか?」

「うん。しかし、早いに越したことはないぞ。俺みたいに手遅れになって慌てるのはみっともないからな」

「わかりました。しっかり勉強します!」

「お前、なんでそんなに嬉しそうなんだ?」

「だって、部長と課長と同じ文字を手帳に書き込めるなんて、嬉しいじゃないですか!」

「善久、お前は可愛い奴だな。ランチ奢っちゃおうかな!」


ひとりごと
 
以前にも記載しましたが、小生は、この章に出てくる6項目を手帳に書き込んでいます。

非常に簡潔で解りやすい指針を与えてくれるからです。

しかし、あえて今、どの項目に力を尽くすべきかと考えると、55歳をこえた小生としては、志気欲鋭、つまり志を鋭く保つことではないかと思っています。


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第2565日 「有形」 と 「無形」 についての一考察

今日のことば

【原文】
火は滅し、水は涸れ、人は死す。皆迹(せき)なり。〔『言志後録』第54章〕

【意訳】
火はいつかは消え、水もいつかは涸れ、人もいつかは死ぬ。これらはすべて大自然の摂理の痕跡である

【一日一斎物語的解釈】
すべて形のあるものは、いつかは消えてなくなる。この大自然の摂理を忘れてはならない


今日のストーリー

結局、石崎君は彼女とよりを戻すことができなかったようです。

「少年、そんなに落ち込むなよ」

「落ち込みますよ! こっちはまだ大好きなんですから…」

「止まない雨はない。明けない夜はない。火もいつかは消え、水もいつかは涸れる。そう悪いことばかりは続かないさ」

「この愛だけは永遠だっと思っていたのに…」

「お前は夢想家か? それとも売れない詩人か? 永遠の愛なんて絶対にないよ」

「課長の奥さんへの愛は?」

「どこに落としてきたのかな?」

「夢のない話ですね」

「形あるものはいつか無くなるというが、形ないものもやっぱりいつかなくなるんだな」

「何の話ですか?」

「愛だよ、愛!」

「課長の方が売れない詩人ぽいですよ! 最近、おかしいなと思ってたんですよね。キスしようとしたら、風邪をうつしたくないからイヤ、なんて断わられたりして」

「それ、ミスチルの歌にあったな」

「知りませんよ、いつの歌ですか?」

「そうだ、『Over』って曲だ。気分転換に聴いてみろ」

「そんな古い歌は結構です!」

「なぁ、元気だせよ。晩飯を奢るからさ」

「課長は、たくさん女性にフラれているんですよね?」

「だからさ、それは誰から聞いたんだよ! 俺はそんなにフラれてないぞ」

「大累課長です」

「あの野郎! アイツの方がよっぽどフラれてるんだぜ」

「そうなんですか? どっちも面白そうだな。晩飯食べながら聞かせてください!」

「ちっ、なんで飯を奢った上に、自分の失恋話をしなきゃいけないんだよ!!」


ひとりごと
 
形あるものは、必ずいつかは消えてなくなります。

同じように、どんなに楽しい想い出も、どんなに悲しい出来事も、いつかは忘れてしまうものです。

「忘れる」という能力は、ある意味で人間には必要不可欠なのかも知れませんね。


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れみれみ