一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2022年05月

第2666日 「性格」 と 「摂理」 についての一考察

今日のことば

【原文】
草木の気質には、清・濁、軽・重、寒・温、堅・脆、酸・甘、辛・苦、諸毒の同じからざる有り。医書は之を性と謂う。即ち皆土気なり。人の気質も亦然り。然れども其の同じく生生の理を具うるは則ち一なり。〔『言志後録』第154章〕

【意訳】
草木の気質には、清と濁、軽と重、寒と温、堅と脆、酸と甘、辛と苦などその毒性が同じでないものがある。医学書では、これらを草木の性であるという。これはみな土気である。人間の気質も同じであって、みな生々発展の道理を具えている点では草木と同一である

【一日一斎物語的解釈
草木には、様々な性質をもった種があるように、人間も千差万別である。したがって、マネジャーは各自の長所を伸ばすようなマネジメントを心掛けるべきである。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、大累課長とランチ中のようです。

「人の性格って、生まれながらに大体決まっているんですかね?」

「そうだと思うよ。もちろん、生きていく中で少しずつ変わっていくこともあるだろうけどさ」

「神坂さんは生まれつきノー天気だったんですか?」

「やかましいわ! 俺のどこがノー天気だって言うんだよ」

「人間って、意外と自分のことをが見えていないんですよね」

「そういうお前は、生まれつき人が嫌がることを言う性格だったのか?」

「俺を嫌味大王みたいに言わないでくださいよ!」

「俺だけじゃなく、みんな言ってるぞ」

「マジですか?!」

「人は自分のことが見えていないんだな」

「まぁ、そうやっていろいろな性格の人間が集まるから、組織はうまく回るのかも知れないですね」

「そうなんだろうな。みんな大累みたいな性格だったら、喧嘩が絶えなくて、組織がまとまる訳がないもんな」

「そうですよ。みんな神坂さんだったら、無謀なチャレンジをして、とっくに会社は潰れているでしょうからね」

「うまくできているな、人間って」

「人間だけじゃなく、動物の食物連鎖も植物の光合成もすべてがまったく無駄がなく作られているんですよね。そう考えると、不思議ですよね」

「一体、誰が、もしくはどんな力がこの世界を作り、支配しているんだろう?」

「絶対に人間ではないですもんね」

「うん。人間も所詮、その見えない力に生かされている存在に過ぎないんだろうな」

「だからこそ、お互いの良い所を見つけて、尊重し合うことが大事なんですね」

「そう、それが美点凝視! マネージャーとして常に意識すべきはこれに尽きるんだよな」


ひとりごと

人間の性格は千差万別、だからこそ多角的な視点で物事を捉えることができるのではないでしょうか。

見方を変えれば、周囲の人は、自分にないものを持っているのです。

だからこそ、お互いに相手の長所に目を向け、お互いを補完し合う関係を築いていくべきなのです。

美点凝視のマネジメントこそ、宇宙の摂理に適った手法なのでしょう。


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第2665日 「土俗」 と 「習俗」 についての一考察

今日のことば

【原文】
風俗も亦人気なり。故に土俗有り習俗有り。習は変ず可くして、而も土は変ず可からず。是れ亦止(た)だ之を順導し、其の過ぎたるを抑えて、其の及ばざるを掖(たす)くのみ。政(まつりごと)を為す者の宜しく知るべき所なり。〔『言志後録』第153章〕

【意訳】
風俗も(昨日と)同様に人の気質の集まりである。それゆえその土地のしきたりとも言える土俗と、一過性の慣習と言える習俗とがある。習俗は変えてゆくべきであるが、土俗は変えてはならない。ただより良く導いて、行き過ぎを抑え、不足を補い助けていくのが良い。政治を執り行う者は心しておかねばならない

【一日一斎物語的解釈
企業風土にも変えてよいものと変えてはいけないものがある。マネジメントの要諦は、行き過ぎを抑え、不足を補うことにある。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、元同僚・西郷さんと一献やっているようです。

「新前のリーダーは、どうしても新しいことをやろうとし過ぎる傾向が出るよね」

「ははは、おっしゃるとおりで、私もリーダーになった頃は、今までの空気を全部変えてやろうと思っていましたね」

「企業風土というのは、ある意味でその会社の歴史の産物とも言えると思うんだよね」

「なるほど。長年積み重ねてきた年輪みたいなものがあるんですね?」

「そう思う。ただ、良いものばかりを積み上げて来るならいいけど、どうしても良くないものも積み重なってくるのは事実だと思う」

「それは取り除くべきなんでしょうね」

「うん。何を残し、何を捨てるか。言うのは簡単だけど、実際にそれを弁別するのは簡単じゃないよね?」

「そう思います。そういう風土とベテラン社員の既得権益って一心同体みたいなところがありますからね!」

「そこだよね。新しいことをやろうとすれば、必ず反対勢力が邪魔をしてくる」

「ありがちです」

「しかし、反対勢力が生まれること自体が、すでに悪しき風土であることを物語っているのかも知れないよ」

「そうかも知れませんね。断固たる決意がなければ、企業風土は改革できないということですね」

「我が古巣も、少しずつ良くない風土も生まれつつあるのかな?」

「ないとは信じたいですけど、かくいう私も今やベテラン社員のひとりです。知らず知らず既得権にしがみついているかも?」

「一度、棚卸しをしてみたら?」

「棚卸しか、うまい言葉ですね。ちょうど、もうすぐ四半期の棚卸しをするので、そのとき一緒にやってみようかな?」

「うん。棚卸しの際には、悪いものを取り除く意識だけでなく、足りないものを把握してプラスしていくことも忘れないようにね!」

「あぁ、なるほど。過不足両方に意識を向けろということですね?」

「それができて、はじめてマネジメントは回り始めるんじゃないかな?」

「さすがはサイさんです。めちゃくちゃ勉強になります!!」


ひとりごと

企業の風土改革は、悪しき風土を取り除くだけでなく、不足するものを付け加えることも忘れるな、と一斎先生は教えてくれます。

しっかり棚卸しもせずに、前任者のやり方だからという理由だけで、そのやり方を捨ててしまうのは危険です。

メンバーともしっかりと話をして、回っているものとうまく回っていないものを分け、回っていないものにメスを入れていく感覚が必要でしょう。

しかし、その際には、その企業のパーパスをしっかりと見つめなおし、パーパスに則って取捨選択することを忘れてはいけません。


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第2664日 「本来」 と 「影響」 についての一考察

今日のことば

【原文】
人の気質は土気・習気を混合す。須らく識別すべし。土気 は其の地気に由りて結聚(けっしゅう)する者、竟に是れ主気なり。習気は其の習俗に縁(よ)りて滲染(しんせん)する者、原(も)と是れ客気なり。客は逐う可くして、主は逐う可からず。故に変化し易き者は習気にして、変化し易からざる者は土気 なり。土気は止(た)だ之を順導して、其の過不及を去るのみ。〔『言志後録』第152章〕

【意訳】
人の気質には土気(土地から受け取った気質)と習気(世俗の風習に影響を受けた気質)とが混じり合っているものである。これはしっかりと区別しなければならない。土気はその土地によって集まったもので、主気すなわち生まれながらに有している気質である。習気は世俗にまみれてじわじわと沁みこんだもので、客気すなわち後天的な気質である。客気は追い払うことができるが、主気は追い払ってはならない。それゆえに変化しやすいのが習気であって、変化しづらいのが土気である。土気はよりよく導いて、過ぎたところは除き、足りないところは補っていくのがよい

【一日一斎物語的解釈
周囲から影響を受けて主体性を失えば、良い結果を得ることはできない。自分自身の強みを把握し、主体性を持ちながら、自分に足りない部分や行き過ぎた点については、他人の意見を尊重するという意識が重要である。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、悲しそうな顔で新聞を読んでいます。

「神坂さん、どうしたんですか? えらく悲しそうな表情に見えますけど」

「新美、昨日のニュース知らないか? 大手製薬会社の贈収賄事件があっただろう?」

「あー、S製薬の事件ですか。それが何か?」

「贈賄で捕まった男は、俺の中学時代の同級生なんだよ」

「えーっ! 神坂さんの友達ですか?」

「いや、友達とは言えないな。なにしろあいつは学校でも1・2位を争うほど優秀な奴で、俺は下から数えた方が早かったからな。あんまり遊んだ記憶はないんだけどな

「そんな優秀な人がなぜ?」

「それだよ。俺もそれが残念なんだよ。一流大学に現役で合格して、一流企業に入社。たしか、昨年には営業本部長になっていたはずなんだよ」

「なにがあったんですかね?」

「最年少で役員になるという噂もあったらしいから、数字をあげるのに焦ったのかなぁ」

「そこまでして偉くなる必要があったんでしょうか?」

「おそらく会社の環境も良くないんじゃないか? そういうことをさせてしまうような空気が流れていたのかもな?」

「だとしても、犯罪はダメですよ!」

「そうだよな。あいつの軸が善悪より損得の方にブレてしまったんだろうな。常に善悪を判断基準にしていれば、周囲からどんな圧力を受けようが、ブレないはずだよな」

「私はそうありたいと思っています」

「うん、そうあろう! 悪事で儲けた金なんて、誰のためにもなりやしない。どんな誘惑があろうと、判断基準は善悪だ。そこはブラさずに行こう」

「はい。一度、営業部員を集めて、メッセージを発信しませんか?」

「そうだな。さっそく部長に相談してくるよ!」

「神坂さん、元気出してくださいね!」

「新美、感謝するよ!!」


ひとりごと

人間は本来、宇宙の摂理に則って生きていくために生まれてきます。

しかし、世俗にまみれているうちに、心の鏡が曇り始めます。

すると、宇宙の摂理に逆らう生き方をしてしまうことがあります。

小生は、人は本来善だと信じています。

常に、損得より善悪を判断基準において、宇宙の摂理に則って生きていきましょう!


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第2663日 「耳目」 と 「心」 についての一考察

今日のことば

【原文】
瞽目(こもく)は能く耳を以て物を視、聾唖は能く目を以て物を聴く。人心の霊の頼むに足る者此(かく)の如し。〔『言志後録』第151章〕

【意訳】
目の不自由な方は、耳で物を視ることができ、耳の不自由な方は目で物音を聴くことができる。人の心の霊妙さが頼りになるという事例はこのようである

【一日一斎物語的解釈
目や耳に頼り過ぎることなく、心をつかってモノを観、聴くことを心がけよ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業2課の石崎君と同行中のようです。

「お客様の心を探るのって難しいですよね? 本音を言っているのか、嘘なのか?」

「他人の心なんて読めるわけないよ」

「え? じゃあ、課長はお客様が買うのか買わないのかをどうやって判断しているんですか?」

「自分が提案している商品がお客様のお役に立てると心から思える提案になっているかどうか、そこがポイントじゃないのかな」

「なるほど。本当にメリットがあると思えば買ってくれるということですね」

「うん。だから俺は他人の心を読むなんてことはとっくに諦めているんだ。でもな、心の眼と耳は大切にしているよ」

「どういうことですか?」

「目の不自由な人は、耳で物を視ることができ、耳の不自由な人は、目で物の音を聞くことができるそうだ。人間の潜在的な力はすごいよな」

「そうなんですか?」

「そもそも仏様に観音様ってあるだろ?」

「ありますね」

「あれ、漢字を思い出してみろ。音を観るって書くだろ?」

「そういえばそうですね!」

「だから、俺も目で見える情報や耳から入ってくる情報だけに頼らないことは気をつけているんだよ」

「音を観ているんですか?」

「実際にできているかと言われるとできちゃいないけど、そういう意識は持つようにしている」

「そうすると、何が変わりますか?」

「そうだなぁ。自分中心の視点ではなく、お客様のことを心から考えられるようになる気がするな」

「心の目と耳ってどうやって使うんですか?」

「俺の場合はね、敢て目線を外してお客様の声を聴く。そして、自分が話しているときに、お客様のことをしっかり視るように意識しているんだ」

「面白そうですね。私も真似していいですか?」

「いいけど、何も見えないとか聞こえないとか文句を言うなよ!」


ひとりごと

人間の五感とは霊妙なものです。

必ずしも目と耳からだけですべての情報を入手しているわけではないでしょう。

特に心の使い方というのは、修養とも直結するため、重要になってきます。

どれだけ使い切れるかはわかりませんが、心を働かせる努力をしていきましょう!


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第2662日 「文武」 と 「陶冶」 についての一考察

今日のことば

【原文】
武事は専ら武芸に在らず。文学は必ずしも文籍に在らず。〔『言志後録』第150章〕

【意訳】
武つまり戦(いくさ)に関することというのは技を磨くことだけを指すのではない。同じく文学というのも文章を書き、書を読むことのみを指すのではない

【一日一斎物語的解釈
武道も学問も、重要なのは文武を通して精神を磨くことにある。技を磨いたり、知識を増やすことはその手段でしかない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、大累課長とランチに出かけているようです。

「この前、友人の紹介で、書で身を立てている人に会ったんですよ」

「書道家ってこと?」

「はい。会ってみたら想像と全然違って、まるで武道家みたいな人でした」

「俺のイメージだと、ひげがめちゃくちゃ長くて、和装をしている人だけどな」

「筋骨隆々で、腕相撲をしたら絶対勝てない感じでしたよ」

「意外だな。でもさ、考えてみたら、武道も書道も同じようなものかも知れないな」

「え、全然違うでしょ!!」

「いや、武道の大家も書道の大家も、ドンと構えて、何があっても泰然自若って感じじゃないか」

「たしかに、その先生もそうでした」

「要するに、武道や書道を通して、精神を磨きあげているんだよ」

「単なる技術の修得だけではないってことですね?」

「うん。技術を磨くことは、手段であって、目的ではないんだな」

「目的は精神修養か!」

「俺たちも営業という仕事を通して、自分の精神を鍛え上げることは可能だろうな」

「そうですよね! 営業の技術を磨くことも、売り上げを上げることも、すべては手段なんですね?」

「そういえば、フミさんが言ってた。『仕事を通じて人格を陶冶する』ことができるって」

「あぁ、松本さんですね。良いこと言いますね」

「あの人の話には、いつも心を打たれるんだよな」

「松本さんも武道家や書道家と同じく、道を究めた人なんですね」

「たしかにそうだな。よし、俺たちも、営業道を究めて、人格を磨きあげていこうぜ!!」


ひとりごと

武道で精神を陶冶するというのは理解しやすいですね。

しかし、書道においても全身全霊で筆を操れば、魂が磨かれていくのでしょう。

否、どんな職業であっても、道と呼べるほどに真剣に打ち込めば、精神を磨きあげることができるはずです。

小生は営業道を究めて、人格を陶冶していきます!!


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第2661日 「老成」 と 「三戒」 についての一考察

今日のことば

【原文】
人は五十已後に至りて、春心再び動く時候有り。是れ衰徴(すいちょう)なり。将に滅せんとするの燈(ともしび)は、必ず乍(たちま)ち焔(ほのお)を発す。此れと一般なり。余往年自ら警むる詩有り。曰く、「晩年学ぶ莫(なか)れ少年の人を、節輒(すなわ)ち荒頽して多く身を誤る。悟り得たり秋冬黄爛(こうらん)の際、一時の光景陽春に似たるを、頒白(はんぱく)誰か憐む遅暮(ちぼ)の人、自ら知る三戒の終身に在るを、看んことを要す枯樹閑花発(ひら)くも、也(ま)た是れ枝頭一刻の春なるを」と。〔『言志後録』第149章〕

【意訳】
人は五十歳を過ぎる頃に、再び青春の気が起こってくる時期があるが、これは衰えの兆候である。それはあたかも消え入る直前の燈火が瞬時に焔を発するのと同じようなものである。私はかつてこれを戒めるための詩を作った。以下のような詩である。「晩年は若者のやることを真似しないことだ。ややもすれば荒れ崩れてわが身を誤ることになる。秋冬の紅葉の季節は、陽春の頃のようにも感じられることを知った。白髪交じりの年寄を誰が憐れむであろうか。『論語』季氏第十六篇にある色・闘・得の「三戒」は終身の戒めであると知った。枯れた樹にひっそりと花が咲くのは、枝の先に一瞬の春が訪れたものと見るべきなのだ」

【一日一斎物語的解釈
色欲、争いごと、損得勘定の3つはビジネス上においても戒めるべきものである。特に人の上に立つ人間は心しておくべきだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、N大学医学部附属病院の倉庫脇にある休憩室でY社の菊池さんと雑談中のようです。

「神坂さん、聞きましたか? T記念病院の坂巻院長が失脚したらしいですよ」

「え、あのラストエンペラーと呼ばれた先生が? パワハラの内部告発か?」

「神坂さんじゃないんですから、それは違いますよ!」

「失礼な奴だな!! じゃ、何が理由なの?」

「贈賄ですよ。医療用ヘリを自分の病院に誘致したくて、県の役人に金品を贈っていたのがバレたようです」

「あぁ、ヘリの話は聞いたことがある。A医科大学と熾烈な誘致合戦をしているって」

「そうなんです。世間の噂ではA医大がリードという話でしたが、おそらく一発逆転を狙ったんでしょうね」

「あの人はたしか80歳を超えていたよね? もうそういう争いごととか欲得の世界から足を洗ってもいい年齢じゃないのかね?」

「ラストエンペラーですから」

「以前に聞いたことがあるんだよ。異性問題、争いごと、損得勘定の3つは、人間いくつになっても戒めるべきテーマだってね」

「坂巻先生は、女性関係も派手ですからね。噂では、3人の女性を囲っているらしいです」

「えーっ! 3人も!!」

「その点はちょっとうらやましいですけどね」

「ということは、あの爺さんは三拍子揃っちゃったわけだな」

「そういうことになりますね」

「線香花火って、落ちる前に一瞬激しく火花を放つだろ?」

「はい?」

「それと同じで、人間は年を取ると、青春時代がカムバックするような時期があるらしい。でもそれは老いの兆候なんだそうだ。あの爺さん、それを勘違いしたのかもな?」

「失脚すべくして失脚したというわけですね?」

「そうじゃないかな。たしかに菊地君が言うように、ちょっとうらやましくもあるけど、やっぱりその3つの戒めは守っていかないとな。お互い、仮にもリーダーなんだから」

「心しておきます!!」


ひとりごと

この章句からは2つのことを学ぶことができます。

一つ目は、齢を重ねているのに、無理に若い人の真似をしないこと。

二つ目は、いくつになっても、色恋・競争・損得感情の3つには注意が必要なこと。

どちらも未だ改善できていない55歳の男がここにひとりいます。


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第2660日 「修身」 と 「感化」 についての一考察

今日のことば

【原文】
修身の二字は、上下一患す。心意知物、次第有りと雖も、而も工夫は則ち皆修身内の子目(しもく)にして、先後無きなり。家国天下、小大有りと雖も、而も随在(ずいざい)に皆修身感応の地にして、彼此(ひし)無きなり。〔『言志後録』第148章

【意訳】
修身の二文字は、上は天下から下は一身まで一貫している。『大学』にある正心・誠意・致知・格物という順序があるものの、その実行における工夫については皆修身における項目であって、先後の区別はないものである。斉家・治国・平天下においても、そこに大小の違いはあるが、どれもこれも皆修身から発するところであって、かれこれの区別はないものである

【一日一斎物語的解釈
身を慎んで物事の理を究めることも、組織や会社をマネジメントすることも、すべて修身が基本である。


今日のストーリー

「毎度、Nakaiロジスティックスです」

「あ、中井さん!」

「神坂さん、お久しぶりです」

「この前、ウチに来たのは3ヶ月くらい前でしたかね? また、社員さんがコロナ?」

「いえ、今回は違います。実は、佐藤さんと神坂さんに聞いてもらいたいことがありましてね」

「そいうことね。おい、石崎、佐藤部長を呼んできてくれないか?」

「はーい」

「返事をのばすな!」

中井さん、佐藤部長、神坂課長の3人は喫茶コーナーに移動したようです。

「ウチも今年は新卒社員を採用したんですけどね」

「へぇー、すごいな。新卒がくる会社になったんですね!」

「はい。ところが、これが大変で。この業界のことをまったく知らない若い子をどう導いたらいいのか?」

「それでヒントをもらいに来たの?」

「はい。佐藤さん、一体私は何をすれば良いのでしょうか?」

「中井君自身が学び続ける姿を見せてあげることじゃないかな」

「学び続ける姿ですか?」

「うん、社長だからと格好をつけずに、お客様のために常に修養を怠らない姿勢を見せることだよ」

「そうですね。私も佐藤部長のそういう姿に影響を受けて、いつしか学ぶことが好きになりました」

「たしかに、以前の神坂さんはいつも殺気立った目をしていたけど、いつの頃からかすごく優しい目つきになりましたよね」

「え、そう? 殺気立ったは言い過ぎじゃない?」

「いや、近づいたら殺す、みたいなオーラがありましたよ」

「勘弁してくださいよ(笑)。でも、部長の言うとおりで、やはりリーダーが自ら修養を積む姿勢をみせれば、部下は次第に感化されるものだと思います」

「なるほど。そういえば、最近は忙しさにかまけて、本を読んでいなかったなぁ。学ぶ姿勢をみせられていませんでした」

「社長自らが身を修めることを率先すれば、少しずつだけど、必ず組織は良くなっていくものだよ」

「帰りにさっそく書店に寄って、本を買って帰ります。いつも的確なアドバイスをありがとうございます!!」


ひとりごと

物事の道理を究めることも、組織をマネジメントすることも、すべてはわが身を修めることが根本である、と一斎先生は言います。

常に、学び続け、成長し続けるリーダーの下では、必ずメンバーも成長していきます」

まずは、他人に矢印を向けず、わが身を慎み、修めていくことに力を注ぎましょう。

メンバーが感化されずにはおかないくらい、がむしゃらに!!


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第2659日 「タイミング」 と 「ボリューム」 についての一考察

今日のことば

【原文】
草木の移植には必ず其の時有り。培養には又其の度有り。太(はなは)だ早きこと勿れ。太だ遅きこと勿れ。多きに過ぐること勿れ。少なきに過ぐること勿れ。子弟の教育も亦然り。〔『言志後録』第147章〕

【意訳】
草木を移し変えるには適切な時期というものがある。また草木を生育させるにも適切な肥料の度合いというものがある。あまり早すぎたり、逆に遅すぎたり、あるいは肥料が多すぎたり、少なすぎたりしてはいけない。子弟の教育もこれと全く同じである

【一日一斎物語的解釈
若い社員さんを育成するにおいては、その人の成長度に合わせて適切なタイミングで仕事を任せることが重要である。また、答えを与えず、支援についても相手の求めに応じて適宜行うべきである。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業1課の梅田君と面談をしているようです。

「課長、俺は戦力外だということですか!」

「そんなわけないだろう。戦力外の人材をY社みたいな大手に提供したって、要らないって言われるだけだよ」

「Y社は要らないと思ってますよ、きっと」

「いや、向こうも乗り気らしいぞ。しかし、今回の件を飲むかどうかはお前に任せる」

「なぜ、石崎さんや善久さんじゃなくて、私なんですか?」

「いま伸び悩んでいるからだ。そして、そこをなんとしても乗り越えて欲しいと願っているからだよ」

「Y社に行ったら成長できますか?」

「梅田次第だよ。正直、ウチのようなぬるま湯体質ではない会社だ。売上を上げなければかなり厳しい処遇を受けるかも知れない」

「捨てられても拾ってくれますか?」

「お前は厳しい環境の方が伸びると信じている。だから、きっとY社で成長できるだろう」

「迷ったら相談に乗ってくれますか?」

「仮にも競合他社に行くんだ。戻ってくるまでは、相談には乗らないつもりだ」

「そうですか、課長の怒鳴り声を聞けなくなるんですね…」

「ははは、お前はマゾか?」

「もし私が行かないと言ったら、別の人を出向させるんですか?」

「いや、梅田だから行かせるんだ。お前が嫌ならこの話は無しだ。梅田にとって最善だと思うから、この話を進めようと思ったんだからな」

「そうなんですか…」

「でもな、梅田。仕事以外の話なら何でも相談に乗るぞ。一緒にゴルフも行こうぜ!」

「本当ですか! 『季節の料理ちさと』にも連れて行ってくれますか?」

「当たり前だ!!」

「課長、私だからこの話を進めるんだという、先ほどの言葉で決めました。やってみます!!」

「そうか、梅田。しっかり勉強して来いよ。そして…」

「はい?」

「必ず帰ってきてくれよ」

「課長、泣いてるんですか?」

「泣くにきまってるだろ! 可愛い部下を厳しい世界に送り出すんだからな」

「神坂課長!」

しばらくの間、二人は泣きながら抱き合っていたようです。


ひとりごと

成長のタイミングというのは、微妙なものです。

常にメンバーの成長度合いを測り、適切なタイミングで適切なアドバイスをすることが重要です。

相手が聞く耳を持っていない時にいくら語りかけても、相手の心には響きません。

一斎先生が言うように、アドバイスはタイミングとボリュームが重要なのです。


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第2658日 「環境」 と 「成長」 についての一考察

今日のことば

【原文】
草木の萌芽は、必ず移植して之を培養すれば、乃ち能く暢茂条達す。子弟の業に於けるも亦然り。必ず之をして師に他邦に就きて、其の槖籥(たくやく)に資せしめ、然る後に成る有り。膝下に碌碌し、郷曲に区区たらば、豈(あに)暢茂条達の望有らんや。〔『言志後録』第146章〕

【意訳】
草木の芽は、別の場所に移植して培養をすることでよく成長し、枝葉も伸び拡がる。子弟の学業も同様である。是非とも他国の師について学ばせ、鍛錬を積ませることで、はじめて学業が成就するのである。親もとにおいて凡庸に過ごし、片田舎でこじんまりと育っていて、どうして学業が成就するであろうか

【一日一斎物語的解釈
若い世代には、様々な環境で自分を鍛えるように導いていく必要がある。温室育ちや内弁慶では、大した成果は期待できない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、佐藤部長の部屋で話し込んでいるようです。

「実は、梅田のことなんですけど、ここにきて伸び悩んでいるんですよね」

「明るくて元気で、良い素質を持っている子だと思っていたんだけどなぁ」

「私も同じ思いでした。野心もありますし、必ず伸びると思っていたんですが、意外と…」

「彼にはすこし優し過ぎるのかな?」

「そうでしょうか? 私は大概、パワハラ上司だとか言われてますけどね(笑)」

「神坂君の指導には愛がある。それが伝わっているんだと思うよ」

「なにか刺激を与えることも必要ですかね?」

「Y社に出向させるのはどうかな?」

「え、えーっ!! ウチから出向した社員さんなんていましたっけ?」

「これまではいないよ」

「ですよね。そんなこと可能なんですか?」

「実はY社の人事部長さんとは、昔からの知り合いでね。つい最近、人材交流してみようかという話をしたんだ」

「環境を変えるということですか? それにしても大胆な発想だなぁ」

「彼はトップになりたいと常々言っているし、それなら業界最大手のY社で揉まれてみるのも良いかもしれないよ」

「梅田は行きますかね?」

「より厳しい環境で自分を磨けば成長できるということをしっかり伝えられるかどうかだね」

「私が説得できるか否かか?」

「うん。初めての試みだ。神坂君にとっても、梅田君にとっても、きっとプラスになるだろう。いや、我が社にとってもそうだな」

「正直、あいつを手放すのは淋しいですけど、大きくなって戻ってきてもらえるなら堪えないといけませんね」

「それもこれも神坂君次第だ!」

「責任重大ですが、腹を割って話してみます!!」


ひとりごと

環境が変わることは、ストレスにもなる反面、大きな成長のチャンスでもあります。

小生も二度の転職によって、そのまま留まっていたら得られなかったであろう貴重な体験を積むことができました。

果たしてそれが成長につながっているのか否かは自分自身ではわかりません。

しかし、時には思い切って環境を変えてみることも考えるべきだと信じます。


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第2657日 「理」 と 「人」 についての一考察

今日のことば

【原文】
李延平曰く、「理は其の一ならざるを患えず、難き所は分の殊なるのみ」と。李谷子之に反して曰く、「分は其の殊ならざるを患えず、難き所は理の一なるのみ」と。余は則ち謂(おも)う、「二先生の言、各おの得る所有るに似ると雖も、然れども恐らく究竟(きゅうきょう)の語に非ず」と。其の実、真に能く理の一なるを知る者は、即ち能く分の殊なるを知る者なり。未だ理の一なるを知らず、焉んぞ能く分の殊なるを知らん、真に分の殊なるを知る者は、即ち能く理の一なるを知る者なり。未だ分の殊なるを知らず、焉んぞ能く理の一なるを知らん。今難易を以て之を言うは、是れ猶お未だ透らざるなり。〔『言志後録』第145章〕

【意訳】
宋代の儒者である李延平は「理が一つでないことを憂えず、難しいことではあるが、万物においてどう機能しているかを見極めるべきである」といった。これに対して、李谷子は「万物において機能が異なることを憂えず、難しいことではあるが、理が一つであるということを理解するべきである」といった。私は次のように考える。「二先生の言は、それぞれ得る所があるが、おそらく究極の悟りを解明したことばではない」と。実際に、理が一つであることを本当に知る者は、それが万物においてそれぞれに機能することを理解しているはずである。理が一つであることを知らないで、どうして万物において機能していることがわかろうか。また真に万物において別々に機能していることを知る者は、理が一つであることをよく理解しているはずである。万物において別々に機能することを知らないで、どうして理が一つであることがわかろうか。どちらが難か易かと議論することは、透徹した行為とはいえまい。

【一日一斎物語的解釈
万物は宇宙の摂理に則って動いている。宇宙の摂理はただ一つであるが、それがあらゆる物のなかに息づき、それぞれの役割を果たさせているのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、N鉄道病院の長谷川名誉院長を訪ねたようです。

「先生、すっかり体調もよくなられたようで安心しました」

「ご心配をお掛けしました。COVID-19に罹患したと知ったときは、ちょっと覚悟したよ」

「いやいや、まだ天は先生を呼び戻したりしませんよ」

「また生かされた気分だよ」

「はい。まだまだいろいろ教えてください!」

「私に教えられることなら、なんなりとどうぞ」

「では、ひとつ宜しいですか?」

「もちろんです」

「古典や哲学の本にはよく『宇宙の摂理』とか『大自然の法則』といった言葉が出てきます。実際にそういうものは存在するのでしょうか?」

「これは参ったな。その答えは私にもわからないので、私の考えを述べさせてもらうね」

「ありがとうございます」

「もし宇宙の摂理がないなら、万物の霊長である人間にコントロールできないものはないはずだよね?」

「そ、そうですね」

「しかし、実際には天変地異については何一つ対応できていない。なすがままに被害を被ってきたよね」

「はい、私も自然の猛威を思い知らされる映像をたくさん見ました」

「うん。それが答えじゃないかな。つまり、人間にコントロールできないものがある以上、宇宙の摂理は存在すると」

「なるほど。そうなると、我々は宇宙の摂理の前には為す術がないのでしょうか?」

「宇宙の摂理を知ろうと努力し、なるべく宇宙の摂理に準じた生き方をすれば、ある程度は対処可能かも知れないよ」

「ただ生かされているわけではないと?」

「うん、共存していけるはずだと思うけどね」

「そうか、それなのに人間は宇宙の摂理に逆らって、できもしないのにコントロールしようとしているんですね」

「自然界における食物連鎖も、植物が二酸化炭素を吸い込んで酸素に変えて吐き出すことで、生物が生きられることも、人間が造ったシステムではない」

「はい」

「やはり我々は宇宙の摂理に耳を傾け、共存共栄を図るしかないと思うんだ」

「すごく腹落ちしました。ありがとうございます!!」


ひとりごと

朱子学の理気二元論は難解です。

この「理」というものも、未だに良く理解できておりません。

しかし、儒学で「理」と呼ばれるものは、いわゆる「宇宙の摂理」を指すのだろうと考えています。

人間は、人間至上主義のまん延によって、どうやら宇宙の摂理に逆らって生きることを選択してしまったようです。

今一度、共存共栄の道を探ることはできないのでしょうか?


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