一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2022年06月

第2696日 「豊か」 と 「倹約」 についての一考察

今日のことば

【原文】
鶏鳴きて起き、人定まりて宴息(えんそく)す。門内は粛然として書声室に満つ。道は妻子に行なわれ、恩は蔵獲(ぞうかく)に及ぶ。家に酒気無く、廩(くら)に余粟(よぞく)有り。豊なれども奢に至らず、倹なれども嗇(しょく)に至らず。俯仰愧ずる無く、唯だ清白を守るのみ。各おの其の分有り。是の如きも亦足る。〔『言志後録』第184章〕

【意訳】
朝は鶏が鳴いて起床し、人の寝静まる時刻には就寝する。門内は静かに整然として読書の声が部屋に満ちている。妻子も正しい道を踏み行い、その恩恵は家来にも及んでいる。家に酒はなく、蔵には穀物の貯えがある。豊かであるが贅沢ではなく、倹約ではあるがけちではない。天地神明に恥じることなく、ただ清廉潔白を守っている。人にはそれぞれ分限がある。このような生活をしていれば「足る」というべきであろう

【一日一斎物語的解釈】
豊かであるが贅沢ではなく、倹約ではあるがけちではない。自分の分に応じた知足(足るを知る)を心掛けることが、わが身の修養となる。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、相原会長と久しぶりにナイター競艇に来たようです。

「久しぶり過ぎて舟券の買い方、忘れちゃったよ」

「私も競馬中心で、ボートはしばらくご無沙汰でした」

結局、今日は二人とも1レースも当たらず、相原会長の自宅近くの蕎麦屋さんに入ったようです。

「そういえば、この前会長をお送りしたときに、車庫が見えたんですけど、車は日本車なんですね。てっきりBMかベンツに乗っていると思っていました」

「僕は車にはあんまり興味がないからねぇ。でも、軽に乗っているわけじゃないから良いでしょ?」

「もちろん、ケチだなんて言うつもりはないですよ。単純に意外だなと思っただけで…」

「豊かであっても贅沢でなく、倹約してもケチではない。そういう生活を心がけているんだよ」

「それで、今日は二人とも負けたから、寿司屋ではなく蕎麦屋なんですね?」

「でも、ざるそばではなく、天ざるだからね!」

「なるほど、倹約ではあるがケチではないですね(笑)」

「やっぱりそれなりに稼いだ人間には、そのお金を使う義務があると思うんだよ」

「使う義務か! 言ってみたいなぁ」

「あ、ごめんね。自慢している訳じゃないんだよ」

「もちろん、分かっています。でも、仰るとおりだと思います。今は特にCOVID-19の影響で、飲食店は厳しい経営状況ですから、お金を使うべきだと思っています」

「これまでだいぶお世話になってきたもんね!」

「はい。なじみの店が潰れるのは凄く残念だし、悲しいですからね」

「うん。ただし、自分の分を弁えてね。収入より支出が多いような生活はダメだよ。神坂君が破産してしまうからね」

「その辺は心得ているつもりです。最近は本代もバカにならないので、ギャンブルをセーブしているんです」

「酒代は減らさず?」

「それが、私の倹約だがケチではない流儀です」

「さっそく使ったね(笑)」


ひとりごと

豊かであるが贅沢でなく、倹約であるがケチではない。

この絶妙な感覚が良いですよね。

そのためにはまず自分の分をしっかりと弁えよ、と一斎先生は言います。

その上で、経済を回すために、必要なお金は使っていきましょう!!


22278734

第2695日 「智仁勇」 と 「育成」 についての一考察

今日のことば

【原文】
一罪科を処するにも、亦智・仁・勇有り。公以て愛情を忘れ、識以て情偽を尽くし、断以て軽重を決す。識は智なり。公は仁なり。断は勇なり。〔『言志後録』第183章〕

【意訳】
ひとつの罪を処理するにも、智・仁・勇が必要である。公正な立場で愛憎を除き、見識をもって真偽を正し、強い意志をもって敬重を判断する。この場合、識が智・公が仁・断が勇に該当するといえよう

【一日一斎物語的解釈】
部下や後輩に対しては、儒学の三徳である知・仁・勇をバランスよく発揮すべきである。いずれかに偏っては、正しい人材育成は不可能となる。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、読書会に参加した後、フミさんこと松本元社長と食事をしているようです。

「フミさんは昔、瞬間湯沸かし器と呼ばれていたんですよね?」

「ザッツ・ライト! ティファールなんか相手にならないくらい一瞬で沸騰していたよ」

「いまはこんなににこやかなのに」

「もう現役じゃないからねぇ」

「フミさんは、社員さんを育成するとき、どんなポリシーをもってやられていたのですか?」

「なるべく公平に、見識を正し、勇気をもって断じる、これかな」

「へぇー、カッコいいなぁ」

「これをセゴドン(西郷さん)に言ったら、それはまさに知仁勇の儒教の三徳ですね、と言われてびっくりしちゃったよ」

「すごいじゃないですか。現役時代からそんなことを意識していたなんて!」

「ちがう、ちがう。偶然だよ。そのころは、知仁勇なんて言葉すら知らなかったんだから」

「がくっ。そういうことですか(笑)」

「結果的に、知仁勇の三つのバランスが取れていたから、離職率も少なく、人がよく育ってくれたのかなぁと思っているんだ」

「絶対にそうですよ」

「真理って結局そういうものなのかもね」

「はい。理論としては知らなくても、正しい行為というのは、正しい理論に合致しているものなんでしょうね」

「うん。でも、理論を知ることで、感覚的なことを言葉として伝えることができるようになる。だから、学ぶことは大事なんだね」

「はい。学びを実践する楽しさに目覚めた、今日この頃です」

「ゴッドが羨ましいよ。私はもう引退してしまったからねぇ」

「私はむしろ、引退しても学び続ける姿勢に刺激を受けますよ。それに、臨床宗教師としての道はこれからじゃないですか!!」

「オー、イエス! そうだった!! なるべく公平に、見識を正し、勇気をもって伝えることを、もう一度意識しないとね!


ひとりごと

部下や後輩の育成は、一筋縄ではいきません。

好悪の感情を捨てて公平な視点に立ち、正しい見識を活用して指導し、勇気を持ってやらせてみる。

この知仁勇のバランスをとることが、育成の秘訣なのだ、と一斎先生は言います。

つまりは、部下の成長はリーダーの姿勢と覚悟如何に懸かっているといっても過言ではないのでしょう。


job_moujuu_tsukai_woman

第2694日 「継承」 と 「存続」 についての一考察

今日のことば

【原文】
三十年を一世とし、百五十年を五世と為す。君子の沢(たく)は五世にして斬(た)ゆ。是れ盛衰の期限なり。五百年にして王者興る有りとは、亦気運を以て言う。凡そ世道に意有る者、察を致さざる可からず。〔『言志後録』第182章〕

【意訳】
中国では、三十年を一世とし、百五十年を五世と捉える。『孟子』にも、「君子の余沢は五世で途絶えてしまう」とある。これは盛衰の期限といえるだろう。同じく『孟子』に、「五百年経てば王者が興る」とある。これが天の気運の巡り合わせであろう。概して政治に我が意を賭けようという者は、よく察しておかねばならないことだ

【一日一斎物語的解釈】
三十年を一世とする見方がある。仮に立派な創業者が創った企業であっても、その余沢はせいぜい五世、百五十年が限界である。それ以上繁栄が続くためには、中興の祖が出てくる必要がある。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、新美課長とランチ中のようです。

「そういえば、老舗の糸山器械が廃業しましたね。たしか、数年前に創業150年を迎えたはずなんですけど」

「『孟子』の言葉に、君子の余沢もせいぜい百五十年、とあるからなぁ。創業者の想いもついに継承されなかったということか」

「直接的にはCOVID-19が原因ではあるみたいですけどね」

「もちろんそうだろう。でも、百五十年経てば、創業を知る者は誰もいなくなる。ということは、会社がなぜ生まれたかを知る者もいなくなるわけだ」

「いわゆる企業のパーパスを見失う時期がそのくらいなんでしょうかね?」

「そういうことじゃないかな。まぁ、ほとんどの企業は10年以内に消えるわけだから、150年続くというのは、凄いことなんだけどな」

「ウチはどうなんでしょうねぇ?」

「まずは、秋に帰ってくるジュニア次第じゃないか」

「そうですね」

「しかし、本当の堪え時は、三代目の時代だろうな。歴史をみると、国や企業は三代目が潰すことが多いからな」

「三代目となると、我々ももう定年した後ですね」

「うん。その三代目にどう帝王学を教え込むかは、ジュニアに懸かっている。そして、そのジュニアの教育には、我々は関与できるんだ」

「ということは、三代目で潰さないために、我々も力を尽くせるわけですね」

「というか、尽くさなきゃダメだろう。平社長の創業の想いをしっかりと受け継ぐように、全力でサポートしないとな」

「はい」

「時には厳しいことも言わなければならないだろうな」

「それは神坂さんにお任せします」

「お前みたいな腰抜けが取り巻きになったら、この会社は終わりだな」

「冗談ですよ。マジでキレないでくださいよ!」

「だったら、今のうちに修行しておけよ。年上の面倒くさい部下がいるだろ。あいつをしっかり指導するんだな」

「清水さんですか…。たしかに、修行どころですね(笑)」


ひとりごと

一世とは三十年を指します。

つまりはジェネレーションギャップとは、30歳の年齢差で生じるということです。

その三十年間には、当然ながら受け継いできたものにも変化が必要になります。

しかし、だからといってすべてを変えようとしてはいけません。

残すべき変えてはいけないものと、変えてよいものをしっかりと弁別する力が必要です。

国や企業が衰退するのも、この弁別を誤ったときなのでしょう。


22854075

第2693日 「周期」 と 「準備」 についての一考察

今日のことば

【原文】
五穀の豊歉(ほうけん)にも亦大抵数有り。三十年前後に必ず小饑荒(きこう)有り。六十年前後に必ず大凶歉有り。較(やや)遅速有りと雖も、竟に免るる能わず。之れが予備を為さざる可けんや。〔『言志後録』第181章〕

【意訳】
五穀の豊作・不作にもやはり運命というものがある。三十年経過した頃に小さな飢饉が起こり、六十年経過した頃には大飢饉もやってくる。多少の時期の相違はあるが、最終的に逃れることはできないものである。だからこそ予め準備をしておくことが必要なのだ

【一日一斎物語的解釈】
景気にも必ず好況と不況のときがある。多少の時期のズレはあっても周期的に繰り返すものである。日頃からそのための備えを怠ってはならない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、大累課長とランチ中のようです。

「このところ円安がかなり進んで、物の値段が何もかも上昇していますね」

「そうでなくても、プーチンの暴走で原料の値段が軒並み上がっているところに円安だからな。ダブルパンチだよな」

「深刻なのは、日本では物価上昇に賃金の上昇が追いついていないことですよね」

「たしかに俺たちの給料も大して増えてないもんな」

「賃金が上昇していないのは、先進国では日本だけらしいですよ」

「そうなのか? 世界は賃金も上がっているのか?」

「ニュースでそう言ってました」

「たしかに景気を底上げするには、消費マインドを喚起しないとな。それには賃上げが一番だよな」

「景気の波っていうのは、ある程度周期的に来るんですよね?」

「そうらしいな。本当はそういう時に備えて準備をしておくべきなんだよな」

「それが本来、政治家に求められることなのかも知れませんね」

「うん。かつて米沢藩主の上杉鷹山は、不景気に備えて、庶民の家の垣根をウコギという植物で作らせたらしい」

「ウコギですか?」

「これはあの直江兼続が持ち込んだ植物らしいんだけど、非常時には食用にもなるため、米沢では古くから食用を兼ねた垣根として利用されてきたらしいんだ」

「それを上杉鷹山が奨励したんですね?」

「そのとおり。その結果、大飢饉が発生したとき、米沢藩だけは餓死者を出さなかったと言われているんだ」

「やはり名経営者は、危機管理に長けているんですね?」

「そういうことだよね。ちょっとしたトラブルでパニックになっているようじゃ、リーダーは務まらないぞ、大累!」

「神坂さんも大して変わらないでしょ!」

「うわぁ、ワイシャツにカレーが飛び散ってる!」

「カレーうどんはそうなるんです。だから、私はこうやってハンカチをエプロン代わりにしていたんですよ。危機管理能力は私の方が上ですね」

「そうでもないんじゃないか?」

「え?」

「ズボンを見てみろよ。カレーの塊が落ちてるぜ(笑)」

「ゲッ、ほんとだ!!」

「お前も俺も、まだまだ名経営者への道は遠いな(笑)」


ひとりごと

景気の波やパンデミックは、人類の歴史を振り返れば、周期的に発生しているようです。

しかし、現状を鑑みると、事が起きてから対応に苦慮しているように思えます。

やはり、来るべきリスクにあらかじめ備えておくことが、最大の戦略だと言えそうです。

特にリーダーは、あらゆるリスクを想定して、しっかりと準備をすることを怠らないようにしましょう!


syokuji_yogore

第2692日 「禍福」 と 「運命」 についての一考察

今日のことば

【原文】
気運に小盛衰有り大盛衰有り。其の間亦迭(たが)いに倚伏(いふく)を相成すは、猶、お海水に小潮有り大潮有るがごとく、天地間大抵、数を逃るる能わず。即ち活易なり。〔『言志後録』第180章〕

【意訳】
気数と運命、すなわち人生のめぐり合わせには、小さな盛衰もあれば、大きな盛衰もあるものである。その間に禍と福とが互いに原因となって生じあう有様は、あたかも海水において小さい潮や大潮があることと同じであり、天地の間の出来事は大抵運命から逃げることはできないものである。それがすなわち活きた易というものである

【一日一斎物語的解釈】
人生は禍と福との連続である。目の前の出来事に抗うことなく、淡々と受け容れる。それが正しい生き方だと言えよう。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、佐藤部長と同行しているようです。

「あ、このラジオから流れている曲、ビリー・ジョエルの『さよならハリウッド』という曲です。この曲の中の『人生は、ハローとグッバイの連続だ』という歌詞がカッコいいなと思うんですよね」

「英語でいうと、『Life is a series of Hellos ando Goodbyes』だね」

「ご存知なんですか?」

「実は、ビリー・ジョエルの大ファンなんだよ」

「それは意外ですね。そういえば、部長と音楽談義はしたことがないですもんね」

「音楽談義ができるほど、音楽に精しいわけじゃないけどね」

「この歌詞を初めてみたとき、カッコいいなぁと思ったんですよね」

「人生は禍福の連続だと言うところを、ハローとグッドバイに置き換えたワードセンスがさすがだよね」

「はい。『ハロー』って新たな出会いがある時は幸せですし、時には永遠の『グッバイ』もありますからね」

「だからそれを受け容れて、前を向いて歩いて行こう。そんな内容の歌だったね?」

「はい。きっと私の人生もようやく折り返し地点ですから、この先もたくさんのハローとグッバイがあるんでしょうね?」

「間違いないよ。いつかは神坂君と私もグッバイするときはくるだろうから」

「あー、そうですね。それは淋しいな」

「それでもその後にはまたハローがあるんだよ」

「はい。たしか、出会いは必然だというような言葉をちさとママに教えてもらいました」

「『人は出会うべき人には必ず出会う。しかも一瞬遅からず、一瞬早からず』だね?」

「はい」

「でもその言葉には続きがあるんだよ。『しかし、内に求める心なくば、眼前にその人ありといえども縁は生じず』とね

「なるほど出会いを求めなければ、出会いは生じないんですね?」

「そう。それでもいつも求めたものが手に入るとは限らない。それも受け容れていくんだね」

「人生はそう易々と自分の思い通りにはならないことを忘れずに、目の前の出来事を淡々と受け容れる生き方を目指します!!」


ひとりごと

先日、慶応義塾長の安西祐一郎さんの講演を聞く機会がありました。

その講演の中で、人はなんのために学ぶかといえば、ビビらないようになるためだ、と仰っていたのが印象的でした。

これは、以前から何度もとりあげている『荀子』の「学問とは禍福終始を知って惑わないためにする」という言葉と同じ趣旨ですね。

人生がつねに自分の思い通りに進むはずはありません。

だからこそ禍も福も淡々と受け容れるべきなのです。


さよならハリウッド

第2691日 「純白」 と 「初心」 についての一考察

今日のことば

【原文】
白は能く衆采(しゅうさい)を受く。五色の原なり。賁(ひ)の極、色無きを白賁と為す。素以て絢(あや)と為すは白なり。其の位に素して行なうは白なり。素履の吉なるは白なり。余嘗て之を攷(かんが)うるに、五色の原は白より起る。白の凝聚(ぎょうしゅう)するを青と為し、青の舒暢(じょちょう)するを黄と為し、黄の爛熟するを赤と為し、赤の積累するを黒と為し、黒の極至(きょくし)は又白に帰す。生出(せいしゅつ)流行すること、蓋し亦此の如し。〔『言志後録』第179章〕

【意訳】
白は様々な色を受けており、五色の原色である。飾りの極みは無色であって、これを白賁という。『論語』に「素以て絢を為す」とあるが、孔子がいうには、絵を描くときには白という色彩を一番最後に加えることによって絵が引き立ち、完成するということである。『中庸』に「君子は其の位に素して行なう」とあるが、これは君子は自分の境遇に応じて最善を尽くすことを言ったものであって、わが身を飾らず心は純白のごとくあることを言う。『易経』に「素履(そり)す、往くときは咎無し」とあるが、これは純朴な心になにも飾ることなく道を進むならば、災いを受けることはないということであり、やはり心を純白にするということである。私はこれについてかつてこう考えた。五色の元は白色であり、白色が凝集して青となり、青が伸び広がったものが黄色となり、黄色が熟し切ると赤となり、赤が積み重なると黒になり、黒の極致はまた白にかえる。色が次から次へと生まれ展開するのはこのようなことであろう

【一日一斎物語的解釈】
ビジネスの成功要因としても素直さというのは大きな要素である。素直な心とは色で示せば純白の心ともいえよう。純白な心で物事を観察することを忘れてはいけない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業2課の梅田君と同行中のようです。

「最近、ちょっと仕事に慣れてきてズルくなってきた気がするんですよね」

「ははは。悪いことじゃないだろう」

「でも、新人の頃は無我夢中でやっていたんです。あの頃の心は真っ白だったなぁって思うんですよ」

「今は真っ黒か?」

「さすがに真っ黒だとは思わないですけど、ちょっとくすんだ色じゃないですかね」

「そう思えることが素晴らしいじゃないか」

「そうですか?」

「だって、新人の頃は早く慣れたいと思って仕事をしていたんじゃないか?」

「あー、たしかにそうですね」

「それが達成できた事に満足するんじゃなくて、真直ぐさを失ったことを反省しているなんて、立派だよ」

「ありがとうございます!」

「俺はいつも自分が一番だと思ってやってきたからな。真っ白な心を失っているなんて思ったこともなかったよ(笑)」

「課長らしいですね(笑)」

「梅田の心のキャンバスがくすんだ白なら、俺はもう濃いグレーくらいにはなってるかもな(笑)」

「それはヤバいですね」

「お前に気づかされたよ。いつでも純白な心で仕事をすることを心掛けるべきだよな。それでこそ、お客様の課題解決のお手伝いができるんだろうからな」

「はい。いまなら心を漂白すれば白に戻れるんじゃないですか?」

「そう簡単じゃないぞ。洗濯物と違って、心を真っ白にする漂白剤は売ってないからな」

「どうしたら良いのでしょうか?」

「知識と技術と心の3つを磨き続けることだろうな」

「具体的にはどうすればいいんですか?」

「学び続けるしかないよ。医学知識、製品知識を学び、営業のスキルを学び、そして人間力を学ぶんだ。死ぬまで勉強だな」

「やはり、勉強するしかないんですね。苦手ですけど、頑張って取り組みます!」

「その若さで自分の心のくすみに気づけるんだから、しっかり勉強すれば超一流の営業人になれるよ!」

「絶対になります!!」


ひとりごと

新人の心は、いわば真っ白なキャンバスだとも言えるでしょう。

そのキャンバスにどんな色をつけ、絵を描いていくのか、ワクワクしていたはずです。

ところが時間の経過とともに、そのことを忘れ、ズルさを覚えます。

だからこそ、我々は学び続けて、いつでもキャンバスを白く塗り直し、新たな気持ちで目の前の仕事に取り組む必要があrのです。


canvas_easel

第2690日 「短所」 と 「長所」 についての一考察

今日のことば

【原文】
人は当に自ら己の才性に短長有るを知るべし。〔『言志後録』第178章〕

【意訳】
人間は自分の才能や特性には必ず短所と長所があることを知っていないければならない

【一日一斎物語的解釈】
人には才能と性格の両面に長短があることを理解しておくべきだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、元気のない善久君に声をかけたようです。

「どうした、また悩んでいるのか?」

「課長、私の長所って何でしょうか?」

「なんだ、自分の長所を見失ったか?」

「はい」

「短所は思いつくのか?」

「短所ならたくさん見つかります」

「挙げてみろ」

「行動が遅いこと、ネガティブなこと、暗いこと、あとは…」

「もういいよ。そのくらいにしとけ! さて、そこでリフレーミングだ!」

「リフレーミングですか?」

「そう。今挙げた短所を違うとらえ方で見つめなおすんだ。たとえば、行動が遅いというのは、慎重だということだ。ネガティブだというのは、リスクを理解している証拠だ」

「なるほど、では暗いというのも、落ち着きがあると考えても良いんですね?」

「そういうことだよ。いいか、善久。人間の長所と短所は裏表なんだよ。自分で言うのもなんだが、俺の長所は陽気なところだ。しかし、それは見方を変えれば調子に乗りやすいという欠点にもなる」

「ということは、短所と長所は同じ数だけあるとも考えられるわけですね」

「そのとおり。そして、お前のように自分の短所を理解している奴の方が、俺みたいに長所しかわかってない奴よりは失敗は少ないだろう」

「なるほど」

「しかし、大成功も難しいかもな」

「そうですね。短所が分かっているなら、それをなるべく長所で捉えなおして、慎重になり過ぎたり、リスクが怖くて何もしないという心境にならないように注意すれば良いんですね?」

「そういうことだよ。今のは性格の話で、才能面でも長短はあるんだが、それはまたいつか話をしよう」

「ありがとうございます!」

それにしても俺の若い頃は、自分の長所にしか気づいていなかったな」

「その長所が実は周囲を困らせていたんですね?」

「誰がそんなこと言ってた?」

「大累課長と新美課長です」

「あいつら、人のいないところで陰口か。今から説教してくる」

「しまった! 言うなと言われていたのに、ついしゃべってしまいました!!」

「口の軽いのもお前の欠点だぞ!」

「すぐにキレて暴力をふるうのは、課長の欠点です! ここは、お互いに欠点に気づいたということで、水に流しましょう!」

「なんだか、うまくまとめやがったな! そういう機転の利くところは、お前の長所だな(笑)」


ひとりごと

どんな人にも長所と短所はあります。

そしてそれは、実は裏表の関係であることが多いのです。

短所を長所に変えるのも、長所を短所にしてしまうのも、自分次第だということでしょう。

実はこれは性格面の話で、才能面となると話は別ですが、それはまた別の機会に。


computer_kurayami_man

第2689日 「以心」 と 「伝心」 についての一考察

今日のことば

【原文】
実言は芻蕘(すうじょう)の陋(ろう)と雖も、以て物を動かすに足る。虚言は能弁の士と雖も、人を感ずるに足らず。〔『言志後録』第77章〕

【意訳】
真実の言葉というものは、それが草刈り人や木こりなどの卑賎な身分の人の言葉であったとしても、よく人の心を動かすものである。いつわりの言葉というものは、それが弁舌の巧みな人の言葉であったとしても、人を動かすことはできないものだ

【一日一斎物語的解釈】
「何を言うかより誰が言うか」だと言われるが、真実の言葉は相手の心に届き、偽りの言葉は届かないものだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、石崎君の愚痴を聞いているようです。

「価格は高くても性能は絶対にこっちの方が良いので、先生にはおススメだと言ったのに、まったく信用してくれないんです」

「お前としては、その製品を使う方が先生のメリットは大きいと考えているんだな?」

「もちろんです!」

「高い方が儲かるからじゃないんだな?」

「新村先生は、まだ45歳です。これからも長いお付き合いをしていく先生ですから、短期的な儲けなんて考えていないですよ!」

「そういう想いは全部伝えたんだな?」

「はい。ちょっと最後は熱くなり過ぎたかも知れませんけど…」

「ははは。そのくらいの方が伝わるはずだよ」

「結局、何を言うかよりも、誰が言うかが大事なんでしょうね。私みたいな若造だと、自分の儲けしか考えていないと思われているんです」

「そうかも知れない。でも、お前がそこまで先生のこと、ご施設のことを思って提案したなら、必ず伝わるはずだと俺は信じたい」

「そうでしょうか? 考えさせてと言った時の先生の顔は不信感が強く出ていた気がします」

そのときちょうど石崎君に電話が掛ってきたようです。

「あ、新村先生です。出てもいいですか?」

「もちろん」

「え、本当ですか?! はい、ありがとうございます。はい、納期は1週間あれば大丈夫です」

神坂課長は石崎君を見つめて、小さくうなずいています。

「先生、ひとつお聴きしてもいいですか? ありがとうございます。先生は、私の説明を聞いているとき、すごく不信感を懐いているように私には感じました。だから、注文をいただいて驚いているんです。なにが一番大きな決定要因なのでしょうか?」

先生が回答しているようです。

「はい。あー、そうだったんですか! はい、嬉しいです。これからもしっかり頑張ります!! 納期は明日メールで連絡します。はい、失礼します。ありがとうございました!!」

電話が終わりました。

「先生の不満顔の原因はなんだった?」

「私の提案に比べて、今までお付き合いしてきたM社の提案があまりにも自分本位だとわかってきて、頭に来ていたそうです。私の提案は、素晴らしい提案だったと誉めてくれました!!」

「やっぱり、真剣な想いは伝わるんだな」

「はい! すぐに今からメーカーさんに発注します」

急いで席を立った石崎君の背中を神坂課長は嬉しそうに見つめています。


ひとりごと

真摯な想いは伝わるはずです。

少なくとも小生はそう信じていますし、これまでの営業人生で、それは実証出来ている気がします。

しかし、もし少しでも自分が得をしたいと思えば、それもしっかりと伝わるものです。

営業の使命は、お客様の課題解決のお手伝いであり、良い提案ができた報酬として売り上げが立つのです。

それをもう一度肝に銘じて、私の組織のメンバーにも伝えていきます。


bussiness_eny_02_b_12

第2688日 「私欲」 と 「荷物」 についての一考察

今日のことば

【原文】
其の老ゆるに及んでや、之を戒むる得に在り。得の字、指す所何事かを知らず。余齢(よわい)已に老ゆ。因(よっ)て自心を以て之を証するに、往年血気盛んなる時、欲念も亦盛んなりき。今に及んで血気衰耗し、欲念卻って較(やや)澹泊(たんぱく)なるを覚ゆ。但だ是れ年歯(ねんし)を貪り、子孫を営む念頭、之を往時に比するに較(やや)(こま)やかなれば、得の字或いは此の類を指し、必ずしも財を得、物を得るを指さず。人死生有り、今強いて養生を覔(もと)め、引年を蘄(もと)むるも、亦命を知らざるなり。子孫の福幸も自ら天分有り。今之が為め故意に営度するも、亦天を知らざるなり。畢竟是れ老悖衰颯(ろうばいすいさつ)の念頭にて、此れ都(すべ)て是れ得を戒むるの条件なり。知らず、他の老人は何の想を著(つ)け做すかを。〔『言志後録』第176章〕

【意訳】
『論語』季氏篇には「老人になったら、戒めるべきは得つまり利欲である」とあるが、私には「得」の字が何を指しているのかよくわからなかった。私はすでに年老いた。そこで自分の心に照らして考えてみると、往年の血気盛んな時期には欲もまた盛んであった。最近は血気も衰え、欲は去ってやや淡白なものになってきた。ただ長生きを望み、子孫のために計を案じる想いは、往年と比較するとやや濃くなってきたようで、「得」の字はあるいはこうしたことを指しており、必ずしも財産や物品を得ることを指さないのであろうか。人には生死があるから、この年になって無理に養生したり、寿命を引き延ばそうとすることは天の命を知らない人間のやることであろう。子孫の幸福もまた天から賦与された分際がある。無理に計って何かをしようとすることも天の命を知らない行為である。結局、これらは老いぼれて朽ちかかった者の想いであって、すべて「得」を戒める条件なのだ。他の老人が何を思うかは私にはわからない。

【一日一斎物語的解釈】
結果をコントロールすることはできない。人生も仕事も自分の欲をいかに抑えるかが重要である。何かを得たいと思うこと自体が欲であり、そうした欲を極力排して、人事を尽くして天命を待つのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、N鉄道病院の長谷川名誉院長を訪ねたようです。

「長谷川先生、先生は医療の世界で素晴らしい貢献をされて、今は名誉院長としての地位を得られていますよね。もちろん、先生が誰よりも努力をされた方だとは理解しているつもりですが、そんな先生でも得られなかったものってあるのでしょうか?」

「ははは。神坂君は私を聖人君子と見誤っているんじゃない?」

「いや、長谷川先生が聖人君子であることは、疑いようがない事実じゃないですか」

「とんでもないよ。私は一介の医者であり、頑固親爺でしかないんだから」

「そんなご謙遜を」

「まぁ、神坂君が私を買い被りしていることは置いておいて、質問に答えようかね」

「お願いします」

「これまでに得られなかったものなんて、数えられないくらいあるよ」

「えーっ、そうなんですか?!」

「仕事の面で言えば、消化器の分野においては、N大学をT大学やK大学と肩を並べるトップレベルに持っていきたかった。しかし、それは叶わなかった」

「あぁ、そうなんですか」

「他にも大腸がんで亡くなる人を一人でも減らすためにも、大腸がん検診を普及させたかったけれど、これもまだまだでしょ」

「たしかにそうですね」

「プライベートだってそうだよ。本当は神坂君のような息子が欲しかった。親子で共同研究ができたら、どれだけ楽しかったろう」

「娘さんでは駄目なのですか?」

「娘はいつかは他人のモノになってしまうでしょ(笑)」

「なるほど(笑)」

「でもね。欲しいものが手に入らないのは当然なんだよ。何かを得たいと思うのは仕方のないことだけど、得ることができないこともまた仕方のないことだと思うんだ」

「はい」

「人は何かを手に入れる時には、何かを手放さなければならないと思う。だから無いものを欲しがるのではなく、有るものに感謝しないといけないんだよね」

「足るを知るですね」

「うん。人生が幸せだと感じる人は、今あるものに感謝の出来る人なんだろうね」

「おぉ、名言ですね」

「そして私のような年齢になったら、得ることよりも手離すことを意識しなければいけないんだろう」

「荷物を軽くするということですか?」

「うん。そうじゃないと冥土までたどり着く前に力尽きてしまうかも知れないからね(笑)」

「先生を受け容れなかったら、それこそ冥土にとっては大きな損害ですよ(笑)」


ひとりごと

人間にはいくつになっても欲はあるものなのでしょう。

しかし、学問をした人は、その欲を抑え、いまあるものに感謝できます。

その感謝の気持ちを幸福と呼ぶのではないでしょうか?

小生もそろそろ荷物を降ろし始めないと!!


hakui_nimotsu_hakobu_man

第2687日 「モノ」 と 「思念」 についての一考察

今日のことば

【原文】
物には心無し。人の心を以て心と為す。故に人の贈る所の物、必ず其の人と同気なり。失意の人、物を贈れば物も失意を以て心と為し、豪奢の人、物を贈れば物も豪奢を以て心と為し、喪人(そうじん)、物を贈れば物も喪を以て心と為し、佞人(ねいじん)、物を贈れば物も佞を以て心と為す。但だ名有るの贈遺は受けざるを得ず。而も其の物の其の心と感通すること是の如くなれば、則ち我は受くるを屑(いさぎよ)しとせざる所有り。唯だ君父の賜う所、正人君子の贈る所、微物と雖も、甚だ敬重するに足るのみ。〔『言志後録』第175章〕

【意訳】
物そのものには心などないので、人の心がそのまま物に遷るものである。よって、人が贈る物は、その贈り主の心境を反映することになる。失意の人が物を贈れば、その物にも失意が遷る。奢った人が物を贈れば、その物にも奢りの心が遷る。国を逃れている人が物を贈れば、その物にも喪失の思いが遷る。口先だけの人が物を贈れば、その物にも佞の心が遷るものである。ただし、名目のはっきりした贈り物は受け取らないわけにはいかない。ところが上述したように、その贈り物は贈り主の心を反映しているものであるから、気持ちよく受け取れないところもある。ただ君主や父親からの賜り物や心の正しい人や立派な人からの贈り物については、どんな小さなものであっても、大いに敬重するべきである。

【一日一斎物語的解釈】
物には念が遷り込むと言われる。したがって、心持の宜しくない人物からの品物は受け取らない方がよい。物の良し悪しではなく、送り主の心をよく吟味すべきなのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業2課の石崎君と同行しているようです。

「あれ、そのネクタイ、前の彼女からもらったものじゃなかったか?」

「そうですよ」

「よく平気で使えるな」

「え、なんでですか?」

「お前、それをくれた女の子を振ったんだよな?」

「そうですよ」

「それを見るたびに思い出さないか?」

「いま、課長に言われるまで忘れてました」

「すごいな、お前の鈍感力は」

「いちいち彼女が変わるたびにモノを捨ててたらもったいないじゃないですか」

「しかし、モノには念が籠るものなんだぞ」

「そうなんですか?」

「彼女の恨みがそのネクタイに凝縮されているかもよ」

「えー、怖いな。そういえば、このネクタイをつけた日の夜は寝苦しい気がします」

「ほらな(笑)」

「マジですか! そんなことってあるんですか?」

「あるよ。残留思念ってやつだよ。テレビ番組でFBIの超能力捜査班がその残留思念から犯人を割り出すのをやっているだろ?」

「なんだか気持ち悪いな。家に帰ったら捨てようかな?」

「その方がいいかもな」

「でも、今まで付き合った彼女の品物が結構あるんですよね」

「どれくらいだ?」

「30個くらいです」

「ひとりの女の子から30個もプレゼントをもらったのか?」

「いえ、ひとりにつき2~3個ですかね」

「お前、何人の女の子と付き合ってきたんだよ!!」


ひとりごと

小生はテレビで時折放送されているFBI捜査官の番組が好きで良く見ています。

そこでよく出て来るのが残留思念です。

そんなものが本当にあるのかどうかはわかりませんが、一斎先生が言っているのはこれと同じものなのでしょうか?

それにしても一斎先生の幅広い考え方には敬服します。


shitsuren_woman
プロフィール

れみれみ