一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2022年08月

第2758日 「忙殺」 と 「覚醒」 についての一考察

今日のことば

【原文】
酬酢紛紜(しゅうさくふんうん)にも、提醒(ていせい)の工夫を忘る可からず。〔『言志後録』第246日〕

【意訳】
人との応対に忙しいときでも、常に本心を目覚めさせる工夫を忘れてはいけない。

【一日一斎物語的解釈】
忙しいときこそ、心を覚醒させて仕事を滞りなく処理することを忘れてはいけない


今日のストーリー

「石崎! お前、金額を一桁間違えていないか?!」

神坂課長が石崎君に怒鳴っています。

「えっ、私に限ってそんなことはないと思いますけど……」

「バカたれ、お前に限ってそういうことがあるんだよ!」

「見せてください。うわぁ、本当だ!!」

「『うわぁ、本当だ!!』じゃねぇよ。毎回同じリアクションをしていて、よく飽きないな」

「月末でちょっと忙しかったので、ついつい心ここにあらずで見積りを作ってしまったみたいです」

「他人事みたいに言うな!」

「余裕があれば、こんな間違いはしないんですけどねぇ」

「当たり前だ! 余裕がある時にミスをするようなら、もうお払い箱だよ」

「それはそうですね(笑)」

「笑いごとじゃないぞ。一度、見積りを提出してしまったら、後から修正させてもらえないのが入札だからな」

「この金額で入札していたら、大きな損失を会社に与えるところでした」

「大問題になっていたぞ。いいか石崎。忙しい時だからこそ、心を落ち着かせ、心を目覚めさせる必要があるんだよ」

「心を目覚めさせるって、どういうことですか?」

「眠い時に本を読んでも頭に入らないだろ? そんなときは冷たい水で顔を洗うと目が覚めて、また本が読めるようになる」

「はい」

「それと同じで、忙しい時というのは、心が眠っているときなんだよ。だから、心を目覚めさせる必要があるんだ」

「なるほど。でも、顔と違って心に水をかけることはできないです」

「そうだよ。だからこそ、今自分がやっている仕事はどれだけ重要かということをしっかりと肝に銘じてから仕事に手をつけるしかない」

「気を引き締めるわけですね?」

「そうだ。それがわかったら、とっとと修正して持ってこい!」

「はい。我が心よ目覚めよ!!」

「やかましいわ!!」


ひとりごと

誰でも忙しいときに、思わぬミスをするものです。

小生も慌てているときに新幹線のチケットを予約したところ、往復のチケットを買ったはずが、往路を2枚買っていて大慌てしたことがあります。

その程度のミスなら笑い話で済みますが、場合によっては取り返しのつかない失敗を起してしまう危険性を孕んでいます。

つねに心を覚醒させて、諸事に臨みましょう。


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第2757日 「定例」 と 「習慣」 についての一考察

今日のことば

【原文】
毎旦(まいたん)鶏鳴きて起き、澄心黙坐(ちょうしんもくざ)すること一晌(いっしょう)。自ら夜気の存否如何を察し、然る後に蓐(しとね)を出でて盥嗽(かんそう)し、経書を読み、日出て事を視る。毎夜昏刻より人定に至るまで、内外の事を了す。間(かん)有れば則ち古人の語録を読む。人定後に亦澄心黙坐すること一晌。自ら日間行ないし所の当否如何を省み、然る後に寝に就く。余、近年此を守りて以て常度を為さんと欲す。然るに、此の事易きに似て難く、常常是の如くなること能わず。〔『言志後録』第245章〕

【意訳】
毎朝鶏の鳴き声で目を覚まし、しばらく心を澄まして黙して坐する。夜明けの清明な空気があるかどうかを察し、その後に寝床を出て顔を洗い口をすすぎ、経書を読み、日が昇ると仕事をする。毎晩夕方から夜の八時ごろまでに公務を終える。時間があれば古人の語録を読む。八時以降はまた心を澄ませ黙して坐すること一時ほど。日中の行いが正しかったかどうかを反省し、その後眠りにつく。私は近年、こうした生活を守って平素のきまりとしようと望んでいる。ところがこれは簡単そうでいて難しく、いつもこのようにできないことが多い

【一日一斎物語的解釈】
一日のルーティンを決めることはよいことである。理想的には、そのルーティンのなかに瞑想と読書を取り入れたい。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、相原会長の誘われて食事に出かけたようです。

「会長、もう体調は大丈夫なんですか?」

「全然平気だよ。熱も37度より少し高いくらいまでし上がらなかったしね」

「よかったです。その声からして、喉も大丈夫そうですね?」

「うん、喉もほとんど痛くならなかったよ」

「では、かえって暇で仕方がなかったんじゃないですか?」

「そうなんだよね。でもね、おかげでじっくりと瞑想する習慣が身についたよ」

「瞑想ですか?」

「自宅療養のときは、主にこれまでの人生や仕事の棚卸しをしてみた。あえて書き留めることはせずに、ただ思い返して、あれこれ考えてみたんだ」

「効果はありましたか?」

「すばらしい効果があったよ。残りの人生をどう生きるかがかなりクリアになった気がするからね」

「なるほど、そんなに効果があるんですか?」

「うん。だから出社するようになってからは、毎晩寝る前に、30分くらい瞑想しているんだよ。今日一日の出来事を棚卸しするイメージだね」

「瞑想がルーティン化したわけですか?」

「うん。一日のうちにルーティンを作っておくことは大事だよ。いままでのルーティンに瞑想を加えたら、すごくすっきり眠れるようになったんだ」

「私はルーティンと呼べるようなものは、ほとんどないです」

「作った方がいいよ。大事なことは習慣化した方が身につくし、継続できるからね」

「あぁ、そう言われれば読書は習慣化しました。5年前には考えられなかったことです(笑)」

「すばらしい! でも、読書をして寝ると頭が冴えてしまって眠れなくならない?」

「それはあります。自分の仕事にどう活かそうかと頭をぐるぐる回転させているので、冴えてしまうんでしょうね」

「そこで瞑想をするといいよ。今日一日の自分の言動を振り返る。本で読んだことも加えて、明日以降のことをシミュレーションするイメージだね」

「なるほど、それは良いですね。さっそくやってみます!!」


ひとりごと

小生もルーティンと呼べるようなものはありませんでした。

そのせいか継続力に難ありの性分がなかなか修正されませんでした。

そこで、ある友人のアドバイスもあり、毎日ブログを書くことを始めました。

いまでは、これが小生のルーティンとなりました。

まさか2750日以上も続けられるとは、思ってもいませんでしたが、今では毎日楽しく物語を書いています。


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第2756日 「三楽」 と 「一生」 についての一考察

今日のことば

【原文】
孟子の三楽、第一楽は親に事(つか)うるを説く。少年の時の事に似たり。第二楽は己を成すを説く。中年の時に似たり。第三楽は物を成すを説く。老年の時に似たり。余自ら顧(おも)うに、齢已に桑楡(そうゆ)なり。父母兄弟皆亡す。何の楽か之有らんと。但だ自ら思察するに、我が身は即ち父母の遺体にして、兄弟も亦同一気になれば、則ち我れ今自ら養い自ら慎み、虧かず辱めざるは、則ち以て親に事うるに当つ可き歟(か)。英才を教育するに至りては、固より我が能くし易きに非ず。然れども亦以て己を尽くさざる可けんや。独り怍(は)じず愧じざるは、則ち止(ただ)に中年の時の事なるのみならず、而も少より老に至るまで、一生の愛用なれば、当に慎みて之を守り、夙夜(しゅくや)(わす)れざるべし。是の如くんば、則ち三楽皆以て終身の事と為す可し。〔『言志後録』第244章〕

【意訳】
『孟子』尽心上篇には「三楽」が掲載されている。第一の楽しみは親に仕えることを挙げており、これは少年時代に当てはまる。第二の楽しみは自分を完成させることを説いており、これは中年の世代に当てはまる。第三の楽しみとして人材の育成を説いているが、これは老年の時代に当てはまる。私は自らを顧みて思うことがある。すでに自分も晩年期を迎え、父母兄弟は皆死んでしまった。何の楽しみが残っていようか。ただ自ら考えてみれば、『孝経』にあるように、私の身体は父母の遺体であり、兄弟もみな同様であるから、我が身を養い、慎み深くして、落度をなくし天に恥じない生活をすることが、親に仕えることに当たるのではないか。人材を育成するにおいては、私が容易にできることではないが、まず己を尽くすべきであろう。天に恥じない行ないをすることは、ただ中年の時だけに限らず、少年時代から老年に至るまで、一生のことであるから、慎んで守っていくべきであり、早朝から夜に至るまで忘れてはならないことである。そう考えてみると、結局『孟子』の三楽は一生のこととしていかねばならないのであろう

【一日一斎物語的解釈】
親孝行・自己修養・人材育成、この3つを一生涯の仕事とし、決して疎かにしてはいけない

今日のストーリー

今日の神坂課長は、N鉄道病院名誉院長の長谷川先生を訪れたようです。

「神坂君、人生を通して大切にすべきことが3つあるのを知っているかな?」

「いえ、知りません」

「答えてみてよ」

「そうですねぇ。仕事、家族、趣味ですか?」

「なるほど、その3つも素晴らしいなぁ」

「ということは不正解なんですね(笑)」

「不正解とまで言うのは違うかな。孟子が三つの楽しみについて触れていてね、その三つというのは、親孝行・自己修養・人材育成なんだ」

「勉強になります。でも、先生。ある程度年齢が高くなると親はいなくなってしまって、親孝行はできなくなりませんか?」

「いや、実は親がいなくなったときから最後の親孝行の時期に入るんだよ」

「どういうことでしょうか?」

「『わが身は父母の遺体』という言葉を聞いたことがないかな?」

「あー、あります。たしか『孝経』の言葉だと聞いています」

「そのとおり。つまり年老いた身体をいたわり、なるべく損なわずにお返しするということが、親孝行の締めくくりになるんだよ」

「あぁ、そういうことですか。私はまだ両親が健在なので、いまのうちに親孝行をしておかないと後で後悔しますよね?」

「うん、必ず後悔するよ」

「あとの2つ、自己修養と人材育成は、まさに私自身の課題です」

「うん。そもそも自己修養しない人が、人を導けるわけがないからね」

「耳が痛いです。ちょっと気づくのが遅すぎた感もありますが、それでもあきらめずコツコツやって、今までの遅れを取り戻すつもりです!」

「すばらしいね。私もまだまだ人のお役に立てるのではないかと思っている。だからこそ、名誉院長の職をお受けして、患者様から信頼される医師づくりに少しでも力を尽くしたいと考えたんだ」

「私の周りには、いくつになっても学びをやめない素晴らしい先輩がたくさんいらっしゃいます。ありがたいことです」

「三十年後には、神坂君がそういう言い方をされるように精進しないとね!」

「そんなことを言ってもらえる日がくるとは、今はまだ想像できませんが、そんな背中を見せられるように、日々を大切にしていろいろなことに取り組んでいきます!!」


ひとりごと

親孝行・自己修養・人材育成。

この3つが人生の三大テーマだと、一斎先生は言います。

たしかに終わりなき道を進むようなテーマばかりです。

小生もこの3つを具体的な活動に落とし込んで、残りの人生をこのテーマに懸けてみようと考えています。

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第2755日 「学」 と 「老」 についての一考察

今日のことば

【原文】
血気には老少有りて、志気には老少無し。老人の学を講ずる、当に益々志気を励まして、少壮の人に譲る可からざるべし。少壮の人は春秋に富む。仮令(たとい)今日学ばずとも、猶お来日の償う可き有る容(べ)し。老人は則ち真に来日無し。尤も当に今日学ばずして来日有りと謂うこと勿(なか)るべし。易に曰う、「日昃(かたむ)くの難は、缶(ふ)を鼓して歌わざれば、則ち大耋(てつ)の嗟(なげき)あり」とは、此(これ)を謂うなり。偶(たまたま)感ずる所有り。書して以て自ら警(いまし)む。〔『言志後録』第243章〕

【意訳】
血気には老若の違いがあるが、志気には老若の違いはない。老人が学問を修める場合は、益々志気を高めて、若い人たちに劣るようではいけない。若い人の人生は長い。今日学ばなかったとしても、将来的に埋め合わせることもできよう。しかし老人にそのような時間はない。朱子が「今日学ばずとも明日があるなどと言ってはいけない」と言っているのも尤もなことだ。『易経』にも「日が西に傾いて夕方となった、人生でいえば老境であり、先が久しく続くわけではないのである。日が中央にかかればやがて傾くのは天命である。この理を知り君子は老境を相応に楽しく過ごし、良き後継者を求めて心の安息を得るべきなのである」とあるが、このことを指摘しているのであろう。少々感じるところがあったので、ここに記して自らの戒めとしたい

一日一斎物語的解釈
老齢を迎えた人には残された時間も少ない。志気を保ち、日々の学びを怠ってはいけない。しかし、また一方で楽しむことも忘れずに過ごしたいものだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、読書会仲間の松本さんと食事をしているようです。

「いつも声をかけてくれてゴッドには感謝しているよ」

「なにを言ってるんですか。話をしていて楽しいし、勉強になるから、こっちからお願いしているんですよ」

「うまいこと言うねぇ!」

「そういえば、最近はお世辞が上手になったとよく言われます」

「ははは。これは参った!」

「それにしてもフミさんの学ぶ意欲は凄いですよね」

「学んでいるとき以外は、飲んでいるような飲んだくれだよ。せめて学ばないとね。仕事がないということは、やっぱり淋しいものだよ」

「そういうものですかね?」

「それに残された時間は限られていることを感じるんだよ。先日も、自分より9つも若い後輩が突然亡くなったんだ」

「なるほど。私もそれを感じないことはないですが、まだ実感が薄いんでしょうね」

「ゴッドはまだやっと折り返し地点だよ。でもね、年とともに血気のようなものは薄れてはいくけど、志気は衰えていないつもりなんだけどね」

「はい、それはフミさんからヒシヒシと伝わってきますよ」

永遠に生きるように学び、明日死ぬかのように生きる。これが私の今のモットーなんだよ」

「カッコいい!」

「実はこれはマハトマ・ガンジーの言葉でね。この言葉を知ったときは、身体に電流が走ったよ」

「まだまだ若輩者ですけど、私もその言葉を胸に刻みますよ」

「ただし、楽しく学ぶことも忘れないようにしているんだ。学生のときみたいに、嫌々学んでも、なにも残らないからね!」

「それは、学生時代にまったく勉強しなかった私には痛いほどわかります(笑)」

「同士よ!(笑)」

「さっき、フミさんは私はまだ人生の折り返しだと言いましたよね。でも、フミさんも100歳まで生きるなら、まだ3/4までも来ていませんよ!」

「オー・ノー。リビング・デッド(生ける屍)にならないように、学び続けないと!!」


ひとりごと

少年老い易く、学成り難し。

小生もあっという間に55歳となりました。

まだまだ、『論語』も『言志四録』も体得できている実感はありません。

楽しく、真摯に学び続けていきます。

リビング・デッドと呼ばれないように!


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第2754日 「女性」 と 「四十」 についての一考察

今日のことば

【原文】
婦人の齢四十も、亦一生変化の時候と為す。三十前後猶お羞を含み、且つ多く舅姑(しゅうこ)の上に在る有り。四十に至る比(ころ)、鉛華(えんか)漸く褪せ、頗る能く人事を料理す。因って或いは賢婦の称を得るも、多く此の時候に在り。然も又其の漸く含羞(がんしゅう)を忘れ脩飾する所無きを以て、則ち或いは機智を挟(さしはさ)み、淫妬(いんと)を縦(ほしいまま)にし、大いに婦徳を失うも、亦多く此の時候に在り。其の一成一敗の関すること、猶お男子五十の時候のごとし。預(あらかじ)め之が防を為すを知らざる可けんや。〔『言志後録』第242章〕

【意訳】
女性の四十歳という年齢も、一生のうちで変化のある時期である。三十歳前後はまだ羞じらいがあり、舅と姑も健在であることが多い。四十歳になる頃には、おしろいをつけることもなくなり、とても上手に人付き合いができるようになる。そこで賢婦人だと言われるようになるのも、この年齢の頃であろう。しかし一方で、羞恥心を忘れ化粧をすることもなくなって、賢しらを用いたり、嫉妬心を抱くなどして、大いに婦人としての徳を失うのも四十歳頃のことである。あるいは上手くいき、あるいは失敗するというのも、男性の五十歳頃と同様である。あらかじめ防ぐ手立てを知らなければならない

【一日一斎物語的解釈】
女性にとっては四十歳という年齢は、その後の人生を決める大切な年齢である。大いに用心して、慎み深く行動しなければならない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、自宅でくつろいでいるようです。

「奈緒、お前最近全然化粧してないんじゃない?」

「マスクするのに化粧する必要はないじゃん」

「うまくマスクを言い訳にしてないか?」

「うるさいわね。どうせ化粧したって、何も変わらないじゃない」

「なんだよ、『キレイだね』とか言って欲しいのか?」

「うぇっ、今更イサムにそんなこと言われたら、コロナに感染しちゃうわ」

「あいかわらず酷い言い方だな。女性は四十歳からが重要なんだぞ」

「なにそれ?」

「男の五十代、女の四十代は、人生の分かれ道になりかねないと偉い先生が言っているんだよ」

「大きなお世話よ」

「世間で『神坂さんの奥さんは、賢い方ね』って言われたくないのか?」

「賢くもないアンタに嫁いだときから、そんな言葉は期待していないもん」

「厳し過ぎる、涙が出そう(笑)」

「そういいながら、笑ってるじゃない」

「だって、俺が賢くないのは図星だからな」

「でしょ」

「ママ友とはうまくやってるのか?」

「その辺は抜かりないわよ。なるべく目立たず、それでいてしっかり自己主張はすることを心がけているの」

「そういうところに騙されたんだよなぁ、俺」

「えっ、何か言った?」

「いや、なんでもない。ガキどももいないし、鰻でも食いに行くか?」

「化粧しなくてもいいなら、付き合うわ!」


ひとりごと

この章句をストーリーにするのは、毎回苦労します。

女性蔑視だと怒られそうで……。

とりあえずは、こんな感じで書いてみました。

厳しいコメントはご容赦願います(笑)


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第2753日 「好調」 と 「転落」 についての一考察

今日のことば

【原文】
齢五十の比(ころ)、閲歴日久しく、練磨已に多し。聖人に在りては知命と為し、常人に於いても、亦政治の事に従う時候と為す。然も世態習熟し、驕慢を生じ易きを以て、則ち其の晩節を失うも、亦此の時候に在り。慎まざる可けんや。余は文政辛巳(しんし)を以て、美濃の鉈尾(なたお)に往きて、七世・八世の祖の故墟(こきょ)を訪(と)い、京師に抵(いた)りて、五世・六世の祖の墳墓を展し、帰途東濃の巌邑(いわむら)に過(よ)ぎりて、女兄に謁(えっ)す。時に齢適(まさ)に五十。因て、益々自警を加え、今年に至りて犬馬の齢六十有六なり。疾病無く事故無く首領を保全せり。蓋し誘衷(ゆうちゅう)の然らしむるならん。一に何ぞ幸なるや。〔『言志後録』第241章〕

【意訳】
年齢が五十歳になる頃には、多くのことを経験して積み重ね、かなりのことに習熟してくるものである。聖人(孔子)においては天命を知る頃であり、通常の人でも政治に従事する時期であろう。しかも世間ずれをなしたり、驕りの心が生じて晩節を失うのもこの時期においてであろう。大いに慎まなければならない。私は文政四年に美濃の鉈尾(今の岐阜県美濃市)に赴き七代、八代の先祖の昔の館址を訪れ、京都に出て五代、六代の墓を参り、その帰途に東濃の巌邑(現岐阜県恵那市岩村町)に寄って姉に会った。それがちょうど五十歳の頃であった。それから益々自警して今年六十六歳となった。病気もなく事故にも遭わず一命を全うしてきた。これは天がまごころをもって自分をよい方向に導いてくれたお陰であろう。なんと幸せなことであろうか

【一日一斎物語的解釈】
五十歳になる頃は、経験を積んで大きな仕事ができる時期である半面、驕りや勘違いによって晩節を汚すきっかけとなる時期でもある。細心の注意を払って、仕事や人付き合いに臨む必要がある。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、読書会に参加した大西さんと食事をしているようです。

「大西さんはなぜ『論語』を学ぼうと思ったのですか?」

「実は私、以前の職場でパワハラで部下から訴えられましてね。その会社に残っても大好きな営業ができなくなることになって転職をしたんです」

「おぉ、パワハラをした人から直接話を聞くのは初めてです」

「でしょうね(笑) それで、転職するにあたって、いろいろ考えたんです。自分で振り返ってみても、自分の言動がパワハラであったことは認めます」

「そこは素直に(笑)」

「はい。でもね、私は部下たちが嫌いだったり、憎かったりしたわけではないんです。なんとか全員が結果を出して喜び合えるチームを作りたかっただけなんです」

「それは私も同じです」

「その結果、あきらかに行き過ぎた指導をしてしまったんです。ですから、私の想いそのものは間違っていないと信じたかった」

「絶対に間違いじゃないですよ!」

「ありがとうございます。それで、この気持ちを1ミリも削らずに、伝え方だけを変えようと決心したんです」

「なるほど」

「そして『論語』にめぐり会い、孔子の弟子に対する指導方法がなによりのお手本になると確信したんです」

「そういうことだったのですか。すみません、いやな事を思い出させてしまって」

「いえ、このことは忘れてはいけないことです。だから、時々こうして話をすることにしています」

「おいくつの時だったのですか?」

「四十二歳のときです」

「あー、今の私とほとんど変わらない年齢ですね?」

「はい。その頃は、イケイケでした。何をやっても結果さえ出せば良いと思っていましたからね」

「私も似たような性格です(笑)」

「神坂さん、気をつけてくださいね。熱い想いだけでは、マネジメントはできませんから!」

「はい。それで私もサイさんから『論語』を学んでいます」

「すばらしい! 『論語』をしっかり学べば、絶対に大丈夫ですよ! 私ももう少し早く『論語』にめぐり会っていれば、人生が変わったかも知れない」

「…」

「でもね、今はその事があったからこそ本当のマネジメントができる機会を得たのだと思っています。今はまだ後悔の念が完全に晴れたわけではありませんが、十年、いや二十年後に振りかえって、あの出来事は自分にとって最善だと思える時がくるように、今をしっかり生きようと思っています」

「大西さん、感動しました。私も大西さんに負けないように、日々を精一杯生きますよ!」

「くれぐれもパワハラには注意してくださいね!」


ひとりごと

四十代から五十歳になる頃は、人生で一番脂の乗った時期であり、大きな仕事での成果を残せるのはこの時期です。

しかし、その反面、調子に乗って大きな失敗を犯すのもこの時期です。

上記のストーリーは、ほぼ小生の実話です。(ややカッコよく脚色していますが)

思い通りになることが多いからこそ、より慎重に仕事を進めねばならないのが、この時期なのです。


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第2752日 「視」 と 「察」 についての一考察

今日のことば

【原文】
余自ら視・観・察を飜転(ほんてん)して、姑(しばら)く一生に配せんに、三十已下(いか)は視の時候に似たり。三十より五十に至るまでは、観の時候に似たり。五十より七十に至るまでは、察の時候に似たり。察の時候は当に知命・楽天に達すべし。而して余の齢今六十六にして、猶お未だ深く理路に入る能わず。而るを況や知命・楽天に於いてをや。余齢幾ばくも無し。自ら励まざる容(べ)からず。〔『言志後録』第240章〕

【意訳】
『論語』為政第二篇に「其の以(為)す所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察す」とあるが、これを拡大解釈して人の一生にあてはめてみると、三十歳以下は「視」の時期にあたるのではないか。三十歳から五十歳までは「観」の時期、五十歳から七十歳までは「察」の時期にあたるであろう。「察」の時期には知命・楽天に達していなければならない。私は六十六歳になるが、いまだに道の深遠に達せずにいる。ましてや知命・楽天などは届くべくもない。残りの人生も長くはない、自ら励まざるを得ない

【一日一斎物語的解釈】
『論語』為政第二篇の「視・観・察」を人の人生に当てはめるならば、三十歳までは「視」のとき、三十〜五十歳までは「観」のとき、五十〜七十歳までは「察」のときと言えよう。そう考えてみれば、七十歳までには、自分の天命を知り、天命を楽しむ境地に達していなければならないことになる。残された人生を考えれば、一刻の猶予もない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、元同僚・西郷さんの主催する『論語』の読書会に参加しているようです。

「この為政第二の有名な章にある、『視・観・察』は、すべて『みる』を意味する言葉なのですが、視と観は物の内面をみることで、察は内面をみることを言っています」

視・観・察の順にみるものが深くなっていくイメージですか?」

「神坂君、さすがだね」

「若い頃は、なかなか相手の内面をみるのは難しいですよね」

「経験も足りないしね」

松本さんも参加しているようです。

「フミさんと神坂君の言うとおりです。感覚的にいえば、三十歳くらいまでは視る時期、三十から五十歳までは観の時期、そして五十歳以降は察の時期になるように思います」

「じゃあ、フミさんはもう他人の内面を察することができるんですね?」

「ゴッド、それは嫌味?」

「いえいえ、フミさんならそのくらいの域に達しているんじゃないかと思いましてね」

「ゴッドはわかりやすいね。お世辞をいう時は、鼻がヒクヒクするから、すぐにわかるよ」

「ほら、やっぱり察しているじゃないですか!」

「これはまだ『観のレベルじゃないかな? ねぇ、西郷さん?」

「そうですね。神坂君の表情をみて判断していますから、『観でしょうね」

「四十を超えても、いまだに表情で見透かされるとは、私の鍛錬もまだまだですね(笑)」

「ははは。そこがゴッドらしさだけどね。私は、ゴッドの真直ぐでケレン味のない生き方が好きだよ」

「さすがだ。フミさんの今のセリフが本心なのか嘘なのか、表情からではまったくわからなかったです!」

「おいおい、これは本心だよ!」

「あれ、そうですか(笑) でも、フミさんはちゃんと天命を知り、天命を楽しむレベルに達していますよね。私も、七十歳になる頃にはそうなれるように鍛錬します!」

「今のは本心かな?」

「鼻がヒクヒクしてなかったでしょ!!」


ひとりごと

年齢を重ね、経験を積んでくると、人は次第に相手の内面を察することができるようになるのだ、と一斎先生は言います。

たしかにそのとおりで、若い営業マンよりは、ベテランの営業マンの方が、お客様の本心を察することができるようです。

しかしながら、鍛錬を積まなければ、いつまでも外見をみるだけで、内面がみれないままになるかも知れません。

人の内面を察する人になれるよう、日常の経験から学び取っていきましょう。


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第2751日 「読書」 と 「実践」 についての一考察

今日のことば

【原文】
余は弱冠前後、鋭意書を読み、目、千古を空しゅうせんと欲す。中年を過ぐるに及び、一旦悔悟し、痛く外馳(がいち)を戒め、務めて内省に従えり。然る後に自ら稍得る所有りて、此の学に負(そむ)かざるを覚ゆ。今は則ち老ゆ。少壮読む所の書、過半は遺忘(いぼう)し、茫として夢中の事の如し。稍留りて胸臆(きょうおく)に在るも、亦落落として片段を成さず。益々半生力を無用に費ししを悔ゆ。今にして之を思う、「書は妄に読む可からず、必ず択び且つ熟する所有りて可なり。只だ要は終身受用足らんことを要す」と。後生、我が悔を蹈むこと勿れ。〔『言志後録』第239章〕

【意訳】
私は二十歳前後の頃、一心不乱に書物を読み、千年の昔のことまで極め尽くしたいと思っていた。中年を過ぎる頃、一度そのことを後悔して、心を外物にはしらせることを戒め、務めて心の内を省みるようにした。その後やや自得するところがあり、儒学に反しないことを悟った。今は年老いて、若い頃に読んだ本のことも大半は忘れ去り、ぼんやりとして夢のようである。胸の内に記憶していることも、まばらで断片的である。益々この半生を無駄に過ごしてきたことを悔いている。今になって思うことがある。「読書は妄りに読むべきものではなく、よく選択をして熟読玩味すべきである。ただ要点は、本で学んだことを一生活用することである」と。後に続く人達は、私の後悔を繰り返さないで欲しい

【一日一斎物語的解釈】
読書はみだりに数を読めばよいというものではない。むしろ良書を厳選し、それを熟読することが望ましい。その目的は、自分自身の人間力を高めることに置くべきである。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、佐藤部長と同行しているようです。

「読書が習慣になって、もう随分本を読んだと思うのですが、意外と頭に残ってないんですよね。自分のバカさが嫌になります」

「ははは。一度読んだくらいですべて頭に入ったら、それこそ天才だよ」

「そうですか、ちょっと安心しました。吉田松陰さんとか年間に500冊読んだとか聞いたので」

「松陰先生と比べるなんて、神坂君も大きくなったね(笑)」

「たしかにそうですね。Y県の人たちに怒られますね(笑)」

「あの一斎先生だって、若い頃に読んだ本はほとんど忘れていると嘆いてるくらいだからね」

「あぁ、一斎先生でもそうなら、私が覚えているわけはないですね」

「何冊読んだかを競っても、まったく意味がないよ」

「はい」

「できれば重要な本を選んで、なんども熟読する方が良いかもしれない」

「私のような単細胞は、そっちの方がいいでしょうね」

「そして、それよりも重要なことがある」

「実践ですね!」

「さすが! いくら本を読んでも、重要な本を熟読吟味しても、それを実践につなげなければ何の意味もないと言っても過言ではないだろうね」

「私は1冊の本から、コレだ!という一行を選んで、ノートにまとめています。あまり多くても実践できないので、1冊の本から3つ以内に絞って、実践することを心がけています」

「すばらしいね。私も参考にさせてもらおうかな」

「部長にそう言われると、俄然やる気になります!!」

「神坂君がそういう姿を見せてくれるのは、とても有難いよ。きっと後輩たちも刺激を受けているはずだからね」

「そうだと良いんですけど。少なくともそう信じて、読書実践を継続します!」


ひとりごと

もちろんインプットは大いに越したことはありません。

しかし、どれだけインプットしても、アウトプットしなければもったいない。

読書は実践するためにあるのです。

どれだけ読んだかを競うより、どれだけ実践できたかを競いましょう!


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第2750日 「吝嗇」 と 「愛用」 についての一考察

今日のことば

【原文】
余が左右に聘用(へいよう)の几硯(きけん)諸具、率(おおむ)ね皆五十年前得る所たり。物旧ければ、則ち屏棄(へいき)するに忍びず。因て念(おも)う、「晏子の一狐裘(こきゅう)三十年なるも、亦恐らくは必ずしも倹嗇(けんしょく)に在らざらん」と。〔『言志後録』第238章〕

【意訳】
私が自分の左右において愛用している机や硯その他の道具は、だいたい五十年前に入手したものである。物は古くなると愛着が沸いて棄てることが忍びなくなるものである。そこで思うのだが、「晏平仲が一枚の狐の毛皮を三十年身につけていたというのも、恐らくはそうした理由であって、単にけちだということではないだろう」と

【一日一斎物語的解釈】
モノを長く愛用することは、吝嗇(けち)とは違う。今の時代こそ、なんでも新しくするのではなく、末永く愛用するモノを持ちたいものだ。


今日のストーリー


今日の神坂課長は、読書会に参加した後、一緒に参加した松本さんとお食事中のようです。

「フミさん、ちょっと気になったんですけど、フミさんの万年筆ってかなり使い古されているように見えたんですけど……」

「あー、あれね。あれはかれこれ三十年以上使っているんじゃないかな」

「三十年ですか?!」

「あの万年筆はね、私が課長になったときに、先代の社長からもらったものなんだ」

「ということは、フミさんが使う前に、先代も長く使ってきたということですよね?」

「うん、たぶん先代も三十年近くは使って来たんじゃないかなぁ」

「えー、ということは合計六十年!!」

「実はね、一度ペン先を交換してはいるんだ。でも、ボディは昔のままだよ」

「万年筆って、そんなに長く使えるんですか、驚いたな」

「私は、大事な書類にサインするときは、必ずあのペンでサインをしてきた。もしかしたら一番の宝物かもしれないなぁ」

「あ、以前にフミさんからいただいたビジネスマンの心得も手書きでしたね。あれも、その万年筆ですか?」

「もちろん!」

「すごいなぁ。ひとつのモノを長く愛用するのって良いですよね」

「ゴッドの愛用品はないの?」

「私は手帳とかペンは新しいモノが出ると、すぐに試してみたくなる質でして、ひとつを長く使うことができないんです」

「そうなの? それは残念」

「あっ、ひとつあります! 野球のグラブです。高校に入学して野球部に入ったときに、親に買ってもらったグラブを高校・大学とずっと使い続けてきました」

「すばらしい!」

「最近は、あまり時間がなくて野球をやっていないんですけど、グラブの手入れは習慣になっているので、毎週欠かさずやっています」

「古いモノを使い続けることは、今の時代にこそ、必要なことだよね」

「たしかにそうですね。私も万年筆を買ってみようかなぁ」

「そうだ、あの万年筆をゴッドに譲ろうか?」

「いやいや、ダメです。そんな大切なモノをもらうわけにはいきません。フミさんが使い続けてください!」

「よし、わかった。では、私が文字を書かなくなるときが来たら、そのときはゴッドに譲らせてくださいな」

「恐縮至極です!!」


ひとりごと

皆様にも愛用品はあるでしょうか?

小生も神坂課長と同じで、次から次へと新しいモノを買ってしまうタイプなので、何十年と使い続けたという品は多くありません。

唯一、初めての赴任地であった広島を去るときに買ったパイロットの万年筆だけは、使用頻度こそ少ないのですが、かれこれ二十年くらいは筆入れに入っています。

久しぶりにインクを入れて使ってみようかな?

仮に世間からケチだと言われようと、愛する一品を使い続けることは粋なことですよね。


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第2749日 「ご縁」 と 「人情」 についての一考察

今日のことば

【原文】
聖賢の故旧を遺(わす)れざるは、是れ美徳なり。即ち人情なり。余が家の小園、他の雑卉(ざつき)無く、唯だ石榴(せきりゅう)・紫薇(しび)・木犀の三樹有るのみ。然も此の樹植えて四十年の外に在り。朝昏相対して、主人と偕(とも)に老ゆ。夏秋の間、花頗る観る可く、以て心目を娯(たの)しましむるに足る。是れ老友なり。余が性は草木に於いて嗜好較(やや)(あわ)し。然も此の三樹は眷愛(けんあい)すること特に厚し。凡そ交(まじわり)の旧き者は、畢竟忘るる能わず。是れ人情なり。故旧遺れざるは、情此れと一般なり。〔『言志後録』第237章〕

【意訳】
『論語』に「故舊遺れざれば則ち民偸(うす)からず」とあるが、これは美徳であり、人情ともいえる。我が家の庭には種々の草木はなく、石榴(ざくろ)・百日紅(さるすべり)・木犀の三種の樹木があるだけである。これらの樹木は植えてから四十年以上が経過している。朝夕鑑賞しつつ、主人とともに老いてきた。夏から秋にかけては美しい花が咲き誇り、目や心を楽しませてくれる。まさに老友といえよう。私は草木についてはあまり愛着がないが、この三本の樹木だけは特にかわいがってきたのだ。およそ旧知の人はいつまでも忘れることはできない。これが人情である。孔子が「故舊遺れざる」と言った気持ちは、これと同様であろう

【一日一斎物語的解釈】
古くからのお客様というのは旧友である。売上の多寡に目を奪われることなく、古くからの関係を大切にすべきである。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業2課の石崎君と面談をしているようです。

「課長、古川医院って、売り上げも少ないし、今後もお付き合いしないといけないんですか?」

「あぁ、古川爺のところか?」

「あの先生は70歳を超えていますよね? たしか息子さんも娘さんもいなかったはずですし」

「今の院長の代で終わるから、付き合いを薄くしてもいいんじゃないかと思うんだな?」

「はい。間違っていますか?」

「いや、お前がそう思うは無理もない。でもな」

「はい?」

「あそこは我が社の創業時にお客様になってくれたご施設なんだよ。だから、平社長は未だに年末年始にはご挨拶に行っているんだ」

「課長の入社前からのお付き合いですか?」

「うん。俺も創業時のことは知らん(笑) それに、俺もお前と同じようなことを言って、社長にこっぴどく叱られたよ」

「え、そうだったんですか?」

「ウチの創業時を支えてくれたお客様だ。あそこで儲けようなんて思うな!ってな」

「知りませんでした」

「ごめんな。それは伝えておくべきことだよな」

「いえ、教えてくれてありがとうございます」

「俺たち営業マンは、常にご縁を大切にしなければいけないんだ。特に井戸を掘った人を忘れてはいけない」

「そうでしたね。あやうく大切なご縁をこっちから切るところでした」

「そういうことだから、あの爺さんとは今後もうまく付き合ってくれよな」

「はい。課長も昔同じことを考えたと聞いて、それはそれでちょっとおかしかったです(笑)」

「お前と俺は似ているからな。そうだ、今のお前の気持ちは、平社長に伝えておくよ」

「えっ、何故ですか!!」

「だって、俺だけ叱られるのは理不尽じゃないか!」

「あなたは最低の上司だ!!」


ひとりごと

お客様に貴賤はありません。

売り上げ金額の多寡でランク付けをするような考え方では、いつしか大切なお客様を失ってしまうかも知れません。

しかし、ビジネスですから、儲けない訳にもいきません。

だからこそ、売り上げ金額に加えて、ご縁の深さも評価基準に加えてみてはいかがでしょうか?

小生の知る限り、ご縁を大切にしない人で、長期的にビジネスを成功させている人はいないのですから。


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