一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2022年09月

第2788日 「古今一体」 と 「万物一体」 についての一考察

今日のことば

【原文】
我が身は一なり。而も老少有り。老少の一身たるを知れば、則ち九族の我が身たるを知る。九族の我が身たるを知れば、則ち古往今来の一体たるを知る。万物一体とは是れ横説にして、古今一体とは是れ竪説(じゅせつ)なり。須らく善く形骸を忘れて之を自得すべし。〔『言志晩録』第21条〕

【意訳】
わが身はひとつである。しかも少年時代と老年時代がある。この老少時代が同じ一身だとするなら、高祖から玄孫までの九代の親族もまたわが身であることがわかる。九代がわが身であることを知れば、昔から今に至るまでの人が一体であることが理解できる。万物一体とは横の説つまり空間から説いたものであり、古今一体とは縦の説つまり時間から説いたものである。人は皆、有限の形体にとらわれず、これらのことを深く自得すべきである

【一日一斎物語的解釈】
自分の身体には、先祖が脈々と受け継いできた血が流れている。それを縦のつながりとするなら、万物と同じ宇宙の摂理を抱いていることは、横のつながりと言えよう。つまり、わが身と古今の人物とは一体であり、また万物とも一体なのだ。決して、自分ひとりでは生きられないことを肝に銘じるべきである。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業2課の石崎君と同行しているようです。

「石崎、お前のご先祖様を20代遡ると、ご先祖さんの数は何人になるか知ってるか?」

「20代ですか? それって何年前になるんですか?」

「仮に1代を30年とすれば、600年前ってことかな」

「何時代ですか?」

「たぶん室町時代か戦国時代くらいじゃないか?」

「そんな昔の話ですか?」

「時代は関係ないだろ! 20代遡ったら先祖が何人になるかを聞いてるだけなんだから!」

「親が二人で、その親がそれぞれに二人いると考えて計算していくと、かなりの人数になりますよね。たぶん10万人くらいじゃないですか?」

「甘いな、小僧! 答えは、100万人だ」

「そんなに?!」

「さらにあと少し遡って27代前になると、なんと1億人を超えるんだぞ」

「そんなに増えるんですか? すごいですね。その途中の誰かひとりでも早く亡くなっていたら、私は生まれていないってことですね?」

「そうなんだよ。俺たちの身体は、先祖代々脈々と血を受け継いできてくれたからこそ、ここに存在するんだよ」

「戦争や災害を乗り越えてきてくれたから、今ここに生きていられるんですね」

「そう考えたら、俺とお前もどこかで血がつながっているかも知れないぞ」

「まさかとは思いますけど、絶対違うとも言えませんね」

「ご先祖様も俺たちも同じ血が流れている。同じように、この世のすべてのものには同じ道理が通っている。それを宇宙の摂理と言うらしい」

「すべてはひとつから生まれたってことですか?」

「おー、お前は時々鋭いことを言うな。きっと、そういうことなんだろうな」

「なんだか、ご先祖様を疎かにしていることで気が引けてきました。来年のお盆はお墓参りに行くことにします!!」


ひとりごと


27代遡るとご先祖様の数は、1億人を超えるというのは驚きですね。


そういえば、孔子の家系図はかつてギネスブックに、「世界一長い家系図」として掲載されたそうです。


その数なんと200万人。


我々の身体に脈々と流れる血の不思議をあらためて思い知らされます。


この身体は奇跡の連続の中に存在しているのですね。


gosenzosama

第2787日 「陰陽」 と 「禍福」 についての一考察

今日のことば

【原文】
程子は「万物は一体なり」と言う。試みに思え、天地間の飛潜・動植・有知・無知、皆陰陽の陶冶中より出で来るを。我も其の一なり。易を読み理を窮め、深く造(いた)りて之を自得せば、真に万物の一体たるを知らん。程子の前、絶えて此の発明無し。〔『言志晩録』第20条〕

【意訳】
程子(程顥・程頤兄弟)は「万物は一体なり」と言っている。実際考えてみると、天地の間にある鳥・魚・動物・植物や知を有するもの、無知のものなど、これらはすべて陰陽の生成から生まれたものであって、この私もまたそのひとつである。『易経』を読んで理を窮め、深く道に達してこのことを自得してみれば、実際に万物が一体であることが理解できる。程子の以前には、このようなことを明らかにした人はいない

【一日一斎物語的解釈】
『易経』を読むと、万物は陰陽の生成から生じており、万物は一体であることが理解できる。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、元同僚・西郷さんと食事をしているようです。

「サイさんは、易にも精しいんですよね?」

「いや、『論語』を学ぶ上で必要な知識を仕入れているに過ぎないから、精しいとは言えないなぁ」

「そうですか。以前にサイさんに『易経』も読むといいと言われて買ってはみたものの、いまだ手付かずなんです」

「竹村先生の本を買ったの?」

「はい。竹村先生の本を数冊と本田濟先生の本を買いました」

「基礎を学ぶなら、それで十分だと思うよ。あとは、きっかけだね」

「実は、私の知人に易を教えている方がいたのですが、つい先日、病気で亡くなってしまったんです。まだ50歳を少し過ぎたくらいの方でしたので、ショックでした。いつか、その方に教えてもらおうと思っていたのですが……」

「それは残念だったね」

「実はそれもひとつのきっかけだと思って、勉強を始めてみようかと思っているんです」

「ぜひ、そうしてごらん。『窮すれば通ず』という考え方は、何にでも応用できるはずだよ」

「すべては陰と陽の組み合わせだというシンプルな考え方ですけど、好景気と不景気、健康と病気など、たしかに2つの極の間を行ったり来たりするものばかりですよね」

「だから昔の儒者は、万物が陰と陽の生成によると考えたんだ。天から理を、地から気を受けて万物が成り立っているという考え方をするんだよ」

「そういえば、天と地、月と太陽なども陰と陽の組み合わせのように見えますね」

「あの孔子が、易を学べば大きな過ちを犯すことなく一生を過ごせると言っているくらいだからね」

「以前に、学問の目的は立身出世にあるのではなく、禍福終始を知って惑わないためだ、と教えて頂きましたよね。易を学べば、小さなことには動じなくなるように思えます」

「間違いないよ! 易を学ぶとは、もしかすると宇宙の摂理を学ぶことなのかも知れないよ」

「あぁ、またまた出ました、宇宙の摂理! それを聞いたら、益々学びたいと思う気持ちが湧いてきました」

「神坂君も東洋の古典を学ぶようになってもうすぐ5年でしょ? そろそろ機は熟したかもね」

「はい。孔子も五十までに易を学べば、禍はないと言っていたんですよね? 私はまだ五十までには、すこし時間がありますので、いまのうちに易を学んでおくことにします!!」


ひとりごと

陰と陽で世界を表す易の考え方は、とてもシンプルですが、それゆえに奥深さを感じます。

朝と夜、夏と冬、喜びと悲しみ等々、多くの事象が二極の対立で表現されてきました。

もしかすると、陰と陽で表わせないものは、この世にはないのではないかと思ってしまいます。

大きな過ちを犯さずに一生を全うしたいなら、易を学ぶに如かずのようです。


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第2786日 「努力」 と 「誠」 についての一考察

今日のことば

【原文】
理は本形無し。形無ければ則ち名無し。形ありて而る後に名有り。既に名有れば則ち之を気と謂うも不可無し。故に専ら本体を指せば、則ち形後も亦之を理と謂い、専ら運用を指せば、則ち形前も亦之を気と謂う。並びに不可なること無し。浩然の気の如きは、専ら運用を指す。其の実は太極の呼吸にして、只だ是れ一誠のみ。之を気原と謂う。即ち是れ理なり。〔『言志晩録』第19条〕

【意訳】
理にはもともと形はない。形がなければ名前もつけられない。形があってはじめて名前をつけることができるはずである。ところがすでに理という名前がついているのであるから、これを気と名づけても問題ないはずである。したがってもっぱら本体を指す場合は、形となった後、すなわち形而下からはこれを理と呼び、もっぱら運用の側面を指す場合は、形となる前、すなわち形而上からはこれを気と呼んでもおかしくはないはずである。孟子のいう「浩然の気」は運用面を指している。その中身は宇宙万象の生成秩序の根源の働きであって、ただひとつの誠があるだけである。これを気の根源といい、即ちそれが理であるのだ

【一日一斎物語的解釈】
人間は生まれながらに道徳心をもっている。孟子はこれを「浩然の気」と呼んでいる。これを正しく育んでいけば、宇宙の摂理と一体となるのだ。それは別の言葉でいえば「誠」である。誠を貫けば、宇宙の摂理に適い、万物と一体となれるのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、佐藤部長と飲んでいるようです。

「最近、『頑張らなくてもいい』みたいなことを言う人が増えていますよね。部長は、あれをどう思いますか?」

「そんなタイトルの本がよく売れているみたいだね。ああいう言葉は使う相手を間違えると、怠慢を生むことになるんじゃないかな」

「使う相手ですか?」

「うん。すごく頑張っている人、あるいは頑張り過ぎている人に、あえてそういう言葉をかけることは悪くないと思う」

「なるほど、だけど、最初から頑張っていない人にそれを言ったら、余計に頑張らなくなってしまうかも知れませんね」

「そういう人に限って、そういう言葉を真に受けるからね(笑)」

「たしかに。きっとその手の本を買っている人の多くは、頑張っていない人かも知れませんね(笑)」

「自分の怠慢を正当化するためにね(笑)」

「実は、頑張っていない人は、そのことに不安を感じているんでしょうね」

「うん。人間は生まれながらに道徳心を持っているというのが儒学の考え方だからね。頑張るべきときに頑張らないと、道徳心を育むこともできないんじゃないかな」

「道徳心がしぼんでしまうかも知れないんですね?」

「うん。道徳心を正しく育てていくと誠という徳目になる」

「誠って、わかるようでわからない言葉ですよね」

「簡単に言えば、人に嘘をつかないこと。そして、他人に嘘をつかない人であるためには、まず自分に嘘をつかない人でなければならない。つまり、誠というのは、自分にも他人にも嘘をつかない心の持ち方を言うんじゃないかな」

「頑張るべきときに頑張らなければ、誠を自分のものにできないんですね?」

「そうだね。それに頑張った時は、仮に結果が思うようにならなくても、それなりの充実感は残るよね」

「はい。やらないことを後悔するより、やって後悔した方がマシだと思っています」

「誠を手に入れた人の人生は充実しているはずだよ。それは宇宙の摂理と一致するものでもあるからね」

「宇宙の摂理、また出ましたね。やはり常に努力する人が真の幸せを感じることができるんですね」

「そのとおり。ただし、頑張ることを強制するのも間違いだと思う。『根を養えば、樹は自ずから育つ』という言葉もあるとおり、根っこに水を与えればいいんだよ」

「はい。茎や葉を引っ張って、成長させようとすれば、かえって枯れてしまうということですね?」

「結局、頑張れとか頑張らなくてよいとか、そういう表面的な言葉ではなく、いかに相手の内面に寄りそうかが大事なんだろうね」


ひとりごと

奇をてらったタイトルや、わざと一般論と逆のことを言って、人の興味を惹こうとする本が多いように感じます。

本を売るための手段なのでしょうが、考え物です。

そもそも、頑張らなくていいなどと声を大にして言うことでしょうか?

人間は生まれながらに努力を惜しまない生き物です。

だからこそ万物の霊長と言われる地位を得ているのです。

誠を胸に、日々精進する人でありましょう!!


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第2785日 「摂理」 と 「人間」 についての一考察

今日のことば

【原文】
理を窮む、理固と理なり。之を窮むるも亦是れ理なり。〔『言志晩録』第18条〕

【意訳】
物の道理を窮める際、その理とは大自然の法則ともいえる理である。この理を極めるということもまた理である

【一日一斎物語的解釈】
物事の根底に流れる道理とは大自然の摂理そのものである。


今日のストーリー

今朝の神坂課長は、佐藤部長と同行しているようです。

「最近、宇宙の摂理という言葉を立て続けに聞きました」

「あぁ、そういえば先日は長谷川先生のところに行ったんだよね?」

「はい。相変わらず凛としていて、こっちまで背筋が伸びました(笑)」

「私もいつもそうだよ。宇宙の摂理の話は長谷川先生から聞いたの?」

「はい。それにサイさんからも」

「おぉ、君子お二人の言葉か、重いね」

「はい。それからずっと考えていましてね。ふと、あることを思い出して涙が止まらなくなったんです」

「ぜひ聴かせてほしいな」

「死んだ兄の言葉を思い出したんです。事故で亡くなる3日くらい前に電話で話したときの言葉を」

「どんな言葉だったの?」

「『勇、まっすぐ生きるんだぞ』という言葉です。そうか、兄貴が教えてくれていたじゃないか。宇宙の摂理に沿って生きるということは、簡単にいえば、まっすぐ生きることなんだと気づいたんです」

「なるほどね」

「それで間違っていませんよね?」

「うん、間違っていないよ。どんなときでもまっすぐに生きようと思えば、物事の道理がシンプルに理解できるようになるはずだよ」

「はい。そのときは何とも思わなかったのですが、今になって兄の言葉が心に沁みました。たぶん、ひとりで1~2時間泣いていたんじゃないかと思います」

「天国のお兄さんも喜んでいるよ。『俺の言いたかったことをやっと理解してくれたな』ってね」

「あー、また泣けてきました。本当は私じゃなく、兄が生きた方が世の為、人の為になったんです。それなのに、兄が先に死んで、私が生き残ってしまったんです」

「神坂君、この世界だけがすべてだとは限らないよ。私たちがこの世で生を終えると、次の世界が待っているのかも知れない。お兄さんは優秀な人だったから、早くお呼びが掛かったのかもしれないね」

「はい。そう考えるようにします。そして、凡人の私はこっちの世界でまっすぐ生き抜いて、宇宙の摂理を究め、次の世界で兄に少しでも追いつけるように精進します!!」

「うん。一緒に精進しょう!!」


ひとりごと

宇宙の摂理と聞くと、何かスピリチュアルの世界を想像する方がいるかも知れません。

しかし、よく考えてみれば、この世の中のすべての物は統一された道理のもとに運営されていると思わざるを得ないことばかりではないでしょうか。

それは決して人間ごときがどうこうできるものではないのです。

むしろ、その摂理にさえ逆らわなければ、与えられた天寿だけは全うできるはずです。

いつも心のどこかで宇宙の摂理を感じておきたいものですね。


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第2784日 「克己」 と 「復礼」 についての一考察

今日のことば

【原文】
濁水も亦水なり。一たび澄めば則ち清水と為る。客気も亦気なり。一たび転ずれば、正気と為る。逐客(ちくかく)の工夫は、只だ是れ克己のみ。只だ是れ復礼のみ。〔『言志晩録』第17条〕

【意訳】
濁った水も水には変わりない。いったん澄めば清らかな水となる。物にはやる気持ちも気であることには変わりない。いったん転換すれば正しい気となる。客気を追い払う工夫とは、ただ己の私欲に打ち克つことである。また正しい礼に帰ることである

【一日一斎物語的解釈】
人間は生まれながらに善の心をもっている。その善の心を発揮するには、己の欲に勝ち、正しい礼儀作法を実践すればよい。


今日のストーリー

今朝の神坂課長は、フミさんこと松本元社長と食事をしているようです。

「フミさんは、社長だったとき、自分の社員さんの長所が見えていましたか?」

「前にも言ったけど、リーマンショックで倒産の危機に陥るまでは、長所より短所が目について、いつも叱ってばかりいた気がするよ」

「あー、そう言っていましたね」

「社外取締役をすべて解任して、頼みは社員さんだけになったから、みんなを信じるしかなくなったんだよね」

「社員さんの中には私みたいなデキの悪い社員さんもいたんじゃないですか?」

「ゴッドがデキの悪い社員さんだと思ったことはないよ。でも、当時の社員さんの中には、売上計画を一度も達成できていない営業マンもいたんだよね」

「それでも美点凝視ができたんですか?」

「その時に気づいたんだよ。どんなに濁った水であろうと、蒸留すればきれいな水になる。それと同じで、たとえやる気が空回りしていようと、やろうという気持ちがあるなら、それを上手に導いて正しい気に変えることができるはずだ、とね」

「なるほど」

「その前に、まずは私の接し方を変えようと思ったんだ。社員さんが持っている力を発揮できていないのは、結局はトップである私に問題があるのだと気づいたからね」

「矢印が自分に向いたんですね?」

「うん。トップの私が己に打ち克つことができれば、社員さんも団結してもらえるんじゃないかと思ってね。藁にもすがるような気持ちだったよ」

「その結果、皆さんが変わったんですね?」

「そうなんだよ。それまで残業なんてしたことがなかった事務員さんまで、遅くまで働いてくれるようになった。それも残業代のことなど、ひとことも言わずにね!」

「すごい! きっとフミさんの気持ちが姿勢にも表れていたんでしょうね」

「そうかも知れないね。それ以降は、みんなが気持ちよく挨拶できる会社になったからね」

「自分に打ち克つことと正しい礼の実践がキーワードのようですね?」

「おぉ、ゴッドは人の話をまとめるのがベリーグッドだね!」

「ありがとうございます!!」

「うん、気持ちの良い返事だ(笑)」


ひとりごと

自分のやることが首尾よくいくか否かは、すべて自分次第です。

己の欲に打ち克ち、矢印を自分に向け、正しい生き方を貫けば、越えられない壁はないのかも知れません。

それはすなわち至誠と呼ぶものなのでしょう。

孟子も、「至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなし」と言っています。

吉田松陰先生は孟子のこの箴言を愛し、その通りに一生を生き抜きました。


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第2783日 「蕩蕩」 と 「戚戚」 についての一考察

今日のことば

【原文】
人は皆是非の窠中(かちゅう)に在りて日を送れり。然るに多くは是れ日間の瑣事にて、利害得失の数件に過ぎず。真の是非の如きは、則ち人の討(たず)ね出(いだ)し来る無し。学者須らく能く自ら覔(もと)むべし。〔『言志晩録』第16章〕

【意訳】
人は皆、善悪の穴の中にあって生活をしている。しかしこれらの多くは日々の些細なことであって、損か得かに関するものばかりである。本当の是非については、人々は求め得ようとしない。学問をする者はこの点についてしっかりと考えねばならないる。

【一日一斎物語的解釈】
損得と善悪は全く別物である。仕事においても生活においても、損得より善悪を優先することを意識すべきだ。


今日のストーリー

今朝の神坂課長は、新美課長と食事をしているようです。

「この前、サイさんと食事をしたんだ」

「えー、西郷課長とですか? 私も誘ってくださいよ」

「いや、サイさんがお前とは飲みたくないって言うからさ」

「えー、マジですか、ショックです!」

「ウソだよ」

「そうだと思ってましたけど、一応ノッてみました」

「それは言わんでいいわ! あ、そうだ。お前は君子と小人の違いって何だかわかるか?」

「急に聞かれても答えられませんよ」

「急じゃなくても答えられないだろ!」

「それ言わなくてよくないですか?」

「わからないなら、教えてやろう」

「お聞きします。西郷課長の受け売りの話を」

「それは言わんでいいわ! 簡単に言うと、俺とお前の違いと同じだよ」

「全然わかりません!」

「理解力が低いなぁ。お前はいつも損か得かばかりを考えているだろ? 俺は常に善か悪かで判断している。その違いだよ」

「つまり、君子は善悪を考え、小人は損得を優先するということですか?」

「そう。だから、君子は坦(たいら)かに 蕩蕩(とうとう)たり。小人は長(とこしな)えに戚戚(せきせき)たり、と孔子は言っている」

「どういうことですか?」

「君子は善悪を基準に考え、小さな損得に目を奪われることがないから、いつもゆったりと落ち着いている。しかし、小人は損得ばかり考えるから、いつも心配事が絶えない、という意味だよ」

「なるほど」

「納得したか?」

「するわけないでしょ! なんであなただけ君子で、私が小人なんですか! むしろ逆ですよ。昔、西郷課長が言ってましたよ。『神坂君はどうしていつも損か得かしか考えないのかなぁ』って」

「えー、マジか? ショック!!」

「ウソですよ!」

「えっ、ウソなの? よかった。びっくりさせるなよ!」

「簡単に信じないでくださいよ。そこは、『お前にノッてやった』でしょ!!」


ひとりごと

小生のような小人は、ふと気を抜くと、いつの間にか損得を考えています。

損得を考えているときは、どうしても心が落ち着きません。

善だと思うことを実行しているときは、なんともいえない充実感があり、自然と心がゆったりとしてきます。

坦か蕩蕩たる君子となるべく、小さな損得を意識しない生き方をしましょう。


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第2782日 「感恩」 と 「報謝」 についての一考察

今日のことば

【原文】
倫理・物理は同一理なり。我が学は倫理の学なり。宜しく近く諸を身に取るべし。即ち是れ物理なり。〔『言志晩録』第15章〕

【意訳】
人の踏み行うべき倫理と物の道理との間には共通の理が存在する。私の学問つまり儒学は人倫の学問である。これを我が身に引き入れて実践すべきである。そしてそれが物の道理でもあるのだ

【一日一斎物語的解釈】
人倫の道は宇宙の摂理と通じている。したがって人倫の道を踏み行えば、自然と物事の道理にも通じ、豊かな人生を送ることができる。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、N鉄道病院名誉院長の長谷川先生を訪れているようです。

「長谷川先生、難しそうな本をお読みになっていますね」

「あぁ、これ? これは、『人倫の道』という本でね。偉大な哲学者・西普一郎先生の語録集なんだよ」

「どんな方なのですか?」

「うん。森信三先生が自分が接した人の中で最高にして最深の人格者だと評した人なんだ」

「難しいことが書いてあるんですか?」

「西先生の本は難しいけれど、これは語録集だから、それほど難解ではないよ」

「そうですか。人倫って、人が踏み行うべき道というような意味でしたよね?」

「よく勉強しているね。そのとおり。そして、その人倫の道を踏み行うためには、人間とは何か、自分は何のために生まれてきたのかを明確にしなければいけないんだ」

「そんなこと考えたこともないです」

「ははは、神坂君もそろそろそういうことを考えても良い年齢かもね?」

「私の場合、学び始めたのが遅いので、もう少し先かもしれません」

「なるほど(笑)」

「人が踏み行うべき正しい道とは、もう少し具体的に言うとどういうことなんでしょうか?」

「私は『感恩報謝の心をもつことだと思っているよ」

「感恩報謝ですか?」

「この言葉は、『感謝』という言葉の元になった言葉でね。『感恩』というのは、受けた恩を有難く思うこと。そして『報謝』というのは、恩に報いることをいうんだよ」

「それが人倫の道の基本なのですか?」

「西先生は、道徳教育こそ教育全部の中心だと言っている。道徳教育の真髄は、感恩報謝の心を育てることにあるんじゃないだろうか」

「今はその感恩報謝の心を失くした時代なのですね?」

「うん。感恩報謝の心があれば正しい道を歩いてゆける。そして、人倫の道を歩めば、自然と事物に通じる。なぜなら、人も物も共通する宇宙の摂理を宿しているからね」

「物を大切にするようになる、ということですか?」

「簡単に言えば、そういうことかもね。物の道理がわかれば、原子力などに頼らずとも人間は暮らしていけるはずなんだよ」

「ありがとうございました。まずは、感恩報謝の心ですね。自分に関わるすべての人に感謝して、それを言葉や行動に表すところから始めてみます!」


ひとりごと

「感恩報謝」という言葉が、「感謝」の語源だということは御存知でしたか?

感謝とはすなわち、恩に報いることを意味するのです。

両親の恩、祖父母の恩、上司の恩、師匠の恩をしっかりと受け止めて報いる。

この場合の報い方は、ご恩返しだけでなく、ご恩送りであっても良いでしょう。

いずれにしても、この感恩報謝こそが、人間の行動の中でもっとも貴いものなのかも知れません。


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第2781日 「理」 と 「楽」 についての一考察

今日のことば

【原文】
「天下の物、理有らざる莫し」。この理即ち人心の霊なり。学者は当に先ず我れに在るの万物を窮むべし。孟子曰く、「万物皆我れに備わる。身に反りみて誠なれば、楽焉(これ)より大なるは莫し」と。即ち是(これ)なり。〔『言志晩録』第14章〕

【意訳】
『大学章句』五章の朱子補伝に「天下の事物は皆一つとして道理を備えていないものはない」とある。ここでいう理とは人の心の聖なる働きのことである。学問をする者はまず自分の中に備わっている万物の理を窮めるべきである。孟子は、「万物の道理は総て自分の中に備わっている。それだから、自分自身に反省してみて、自分の本性に具わっている道理が、皆誠実であるならば、これほど大きい楽しみはない」と言っている。まさにこのことを言っているのだ

【一日一斎物語的解釈】
自分の心には万物と同じく宇宙の摂理が備わっている。心を磨き、心の誠に忠実であれば、万物と一体となる楽しみを享受できる。


今日のストーリー

今朝の神坂課長は、元同僚の西郷さんと食事をしているようです。

「サイさん、真の楽しみってどういうものなんでしょうね?」

「楽しみは人それぞれだとは思うよ。ただ、言えることは、地位や名誉や財産を得ることではないだろうということだね」

「やはりそうですよね。若い頃は、金持ちになることが幸せなことであり、お金がたくさんあって自由に使えればなんでもできて最高に楽しいだろうと思っていました」

「今は変わった?」

「はい。サイさんや佐藤部長にいろいろとご指導をいただいて、少しずつ分かってきた気がします。まぁ、現実が見えてきたということもありますけどね(笑)」

「うん。実はそこが重要だと思うよ。自分の分を知り、現実を直視し、自分自身が自分が思っていたような人間ではないと気付かされる。そこでいったんは落ち込むだろうけど、そこからどう立ち直り、その後の人生をどう生きるか、そこが大事なんだよ」

「そんなことが少しだけわかってきた気がします。ところで、サイさんの今の楽しみはなんですか?」

「私が最高の楽しさだと思うのは、晩年の孔子の生き方だろうなぁ。『心の欲する所に従えども矩を踰えず。自分の心の赴くままに行動をしても、それがすべて道から外れないという境地。そうなれたら最高の楽しみを得ることができるんじゃないかな」

「今はまだその域には達していないですか?」

「まだまだだよ。もっともっと学びを深めていかないとね」

「どんな学びが必要なんですか?」

「物事にはすべて宇宙の摂理が備わっている。その摂理を究めたいということかな」

「その摂理を究めるとどうなるんですか?」

「誠の生き方ができる。いわゆる『至誠惻怛』の域だね」

「しせいそくだつ?」

「まごころと悼む心、それを備えた生き方ができる。つまり至誠惻怛は、宇宙の摂理に適うものだと思っているんだよ」

「それならすでにサイさんは身につけている気がしますけどね」

「いやいや、至誠とは最高の誠だよ。一生かかっても身につけられるかどうかわからないよ」

「それが身につけば、孔子のように生きられるんですね?」

「うん。孔子は七十代でその域に達した。私はとても難しそうだから、生きながらえて八十代になった時には、そうなっていたいと思っているよ」

「サイさんが聖人孔子のようになった姿をこの目で拝ませて頂きます!」

「おっと、これはプレッシャーをかけられてしまったね(笑)」


ひとりごと

人は、宇宙の摂理をその心に宿しているのだ、と儒家は考えます。

その理と一体となって生きるとき、最高の楽しみを享受できるのでしょう。

しかし、その道は険しいと言わざるを得ません。

なにせ、孔子が七十代でようやくたどり着けたのですから。

小生もあきらめず、プラス10歳でその境地を手に入れる所存です。


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第2780日 「一燈」 と 「遍照」 についての一考察

今日のことば

【原文】
一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め。〔『言志晩録』第13章〕

【意訳】
暗い夜道をたっとひとつの提灯を下げて歩く。暗い夜を心配することはない。ただ手にする一燈を頼りに進めばよいのだ

【一日一斎物語的解釈】
遠い将来を心配する必要はない。ただ今やるべき事に全力を尽くせばよい。


今日のストーリー

今朝の神坂課長は、営業2課の山田さんと同行しているようです。

「この前、テレビ番組で言っていたのですが、西暦2100年には日本の人口は今の半分になるらしいですね」

「そうみたいだね。それって明治維新の頃の日本の人口なのかな?」

「大正時代の人口と同じくらいだそうです」

「なるほど、ということはそこからまた日本を洗濯すればいいじゃない!」

「残念ながら、その頃とは人口の構成比が違うらしいんです」

「あぁ、そうか。その頃は若い人がたくさんいたんだね。しかし西暦2100年は老齢人口が多くなっているわけか」

「そうです。だから、同じような復興は期待できません」

「山田さん、たしかに日本の行く末は心配ではあるけど、どうせ俺たちはその頃には死んでいるわけだし、悩んでも仕方がないよ」

「そうですねぇ」

「そんな先のことを心配するより、今目の前にあることに力を尽くすしかないよ」

「はい。そういえば、課長のところは男の子二人でしたよね?」

「うん。あ、山田さんは女の子二人だったね。ということは、俺たちは少なくとも最低限の人類貢献はできたのかもよ」

「そう考えましょうか?」

「うん、そしてガキ共にも結婚をして子供をつくるように教育していこうよ」

「そのためには、夫婦が仲よくして、子供たちに『結婚っていいな』と思ってもらわないといけませんね」

「ゲッ、それはできてないかも……」

「ウチは結構、仲が良いですよ。この前も、夫婦で旅行に行ってきました」

「それ以上言わないで! それにしても酷いなぁ、山田さん。せっかくポジティブになるような話をしたのに、それで俺を貶めるなんてさ」

「貶めているつもりはありませんよ。すみませんでした!!」

「ははは。わかってるよ。まぁ、とにかく、はるか彼方を見渡せるような強いライトよりも、この両足を踏み出す先の地面を照らす灯りがあれば歩いていくことはできるんだから、それでよしだよ!」

「はい。まずはこの両足を一歩前に進めていきます!!」


ひとりごと

一燈照隅・万燈照国、とは伝教大師最澄の言葉です。

安岡正篤先生は、後半を入れ替えて、萬燈遍照という言葉を使っています。

一人ひとりが、自分の身の回りを照らす。

たとえその一人の灯りはちっぽけでも、それが萬と集まれば、遍く全体を照らすことになる、という意味です。

まずは、自分の足元をしっかりと照らすことを意識しましょう。

それはすなわち一歩を踏み出すこと、つまり目の前の仕事に全力を尽くせということなのです。

その姿が周囲の人に化学変化を与え、皆が自分の周囲を照らす日がくると信じて!!


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第2779日 「欲心」 と 「学問」 についての一考察

今日のことば

【原文】
人心の霊、知有らざる莫し。只だ此の一知、即ち是れ霊光なり。嵐霧(らんむ)の指南と謂う可し。〔『言志晩録』第12章〕

【意訳】
人の心の霊妙なはたらきは、何事も知らないものはない。この知性こそが、霊妙な光であって、人間の欲心を正しく導くものといえる

【一日一斎物語的解釈】
本来、人の心は善良であって、自らの欲を抑制できるはずである。


今日のストーリー

今朝の神坂課長は、新聞記事を読んでいるようです。

「どうしてこんな罪を犯すんだろうなぁ。子供じゃないんだから、自分の欲望をもう少し抑えられないものかね?」

「アンウイッシュの渡辺の話ですか?」

「石崎、古いな。今頃俺がそんな話を持ち出すと思うか?」

「そうですけど、いまのコメントを聞くと、あの事件しか思い出せないです」

「ははは、たしかにな。まぁ、似たような事件かもな。ウチの近所で女性のパンティが立て続けに盗まれる事件があってな。その犯人がようやく捕まったんだよ」

「あー、昨日ニュースでやっていました。課長の家の近所だったんですか?」

「そうなんだよ。幸い、ウチは被害を受けてないけどな」

「私は、性欲が一番抑えがききますけどね。それより物欲の方が大きいです」

「よく言うよ。彼女がいないと生きていけないとか言ってなかったか?」

「そ、それは性欲ではなく、愛情ですよ。人を愛し、愛されているときが一番幸せじゃないですか!」

「うそくせぇな。まぁ、とにかく、この程度の欲望が抑えられない奴が増えているのは、日々の学びを怠っている証拠だな」

「学びですか?」

「そう、本来人間の心は、その程度の善悪を判断できないほどポンコツじゃないはずだ。だけど、日々の生活の中で心は曇る。その曇りを晴らすには、学びが必要なんだよ」

「たしかに、以前に比べると、課長もキレなくなりましたよね」

「そ、そうだろう。学んでいる証拠だよ」

「それにしても良かったですね。あまり長い間、犯人が捕まらないと、課長が疑われそうですもんね」

「なんで俺が疑われるんだよ!」

「奥さんのは盗まれていないというし……」

「このクソガキ、鼻の穴に割り箸を突っ込むぞ!」

「そう思っても、課長の場合は、学びを続けているから実際にはその気持ちを抑えられるんですよね?」

「いや、それがさ。ほら」

「げっ、割り箸だ! そんなことしたら、明日の新聞に載りますよ!!」


ひとりごと

生まれたときのピュアな心を持ち続けていれば、善悪は判断できるのだそうです。

ところが、生きていくうちに、少しずつ人間がズルくなってくるにつれて、心も淀み、曇ってきます。

その淀みや曇りを晴らすためには、学問をするしかありません。

学ぶことで、ピュアな心を取り戻せば、人生大過なく過ごせるはずです!


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