一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2022年11月

第2849日 「誠」 と 「夢」 についての一考察

今日のことば

【原文】
誠意は夢寐(むび)に兆す。不慮の知、然らしむるなり。〔『言志晩録』第82条〕

【意訳】
真の誠は眠っている間に、その兆しが見えるものである。これは考えずとも自然に発揮される知能がそうさせているのであろう

【一日一斎物語的解釈】
心から願うことは、寝ている間にも脳の中で実現に向けて動いている。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、大累課長と雑談中のようです。

「大累、知っているか? 人間の脳は寝ている間にも進化しているらしいぞ」

「どういうことですか?」

「たとえばリフティングが苦手な少年が、昼間に一所懸命に練習をしたとするだろ。それは昼間の段階では筋肉制御の単純な記憶のままなんだそうだ。ところが、寝ている間に脳がそれを運動センスにまで高めて、運動野に書き込んでいくらしい」

「へぇー、それで翌日にはリフティングがうまくなっているってことですか?」

「うん」

「人間の能力ってすごいですね」

「ただ、俺は思うんだよな。それってその子が絶対にリフティングがうまくなりたいという強い想いがあれば、という条件つきなんじゃないかとね」

「あぁ、それはあるでしょうね。そういう想いが懸命な努力につながって、それを脳が最終的にセンスにまで高めてくれるってことでしょうね」

「そう思うよ」

「そう考えると、睡眠というのは休息だけが目的じゃないんですね」

「うん。運動だけじゃないと思うんだよな。昼間にすごく頭を悩ましたことが、寝ている間に熟成されて、翌朝目覚めたときに答えがまとまっているという経験もあるからな」

「神坂さんでもそんなに頭を悩ますことがあったんですか?」

「うるせぇな。こう見えても俺は繊細なんだよ!」

「自分で言いますか?」

「誰も言ってくれないからな」

「そうか、最近どうも仕事がうまく行かないなと思っていたんですけど、睡眠が足りていなかったのかも知れないな。それで、いつものようなキレッキレのアイデアが浮かんでこないんだな」

「お前こそ、自分で言うか?」

「誰も言ってくれませんからね!」

「寂しいな、俺たち」

「せめて自分だけは自分の応援団長でいましょうね」

「そうだな。寝る前に『俺はビッグだ』って3回唱えてから眠ることにしよう!」

「今どき『ビッグって……」


ひとりごと

夢の効能の話です。

ストーリーの中のサッカー少年の事例は、少しアレンジしていますが、元は黒田伊保子著『英雄の書』に書かれていたものです。

人間の心と体はすべて脳と繋がっているということでしょう。

ところで最近の医学では脳腸相関という言葉がキーワードとなりつつあります。

これは、脳と腸内細菌とが非常に深く関係しているということで、腸内細菌の状況によって病気が解明されつつあります。

これについてはいつかまたストーリーにしてみます。


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第2848日 「刺激」 と 「修養」 についての一考察

今日のことば

【原文】
暗夜に坐する者は体軀を忘れ、明昼に行く者は形影を弁ず。〔『言志晩録』第81条〕

【意訳】
深夜、静坐瞑目する者は、身体があることを忘れて、自分自身の内面を見つめなおすが、明るい昼間に行動する者は、その身体は把握できても、その内面を忘れがちである

【一日一斎物語的解釈】
我々は活動している時こそ、内面すなわち心の修養に励むことを忘れてはいけない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、総務課の大竹課長と一杯やっているようです。

「そういえばタケさんは、寝る前に静坐して瞑想をしているんでしたよね?」

「そろそろ始めてから一年になるかな」

「効果はありますか?」

「それは当然だよ。その日にあったことをしっかりと思い返して、反省すべき点、自分を褒めてやる点を洗い出して整理できるから、寝つきもいいし、目覚めも爽快になるよ」

「へぇー、目覚めにも影響があるんですか?」

「うん、これはビックリ。実は瞑想を始めたきっかけは、あの渋沢栄一翁が毎晩そうしているというのを知って、自分もやってみようと思ったからなんだよね」

「タケさん、渋沢栄一が好きなんですか?」

「尊敬すべき大偉人だよ。日本資本主義の父と呼ばれる人だよ!」

「それは知っていますけど、タケさんと渋沢栄一はピンと来ないな」

「大きなお世話だよ! でもね、神坂君」

「はい」

「瞑想してみて気づいたことがあるんだ。夜、独りで静かに瞑想するときは、自分の内面を深く見つめ直すことができるんだけど、起きて活動しているときには、外からの刺激に影響されやすい。なかなか自分の心と対話できていないんだよね」

「たしかにそうかも知れませんね。仕事をしていると自分ではコントロールできない外部からの攻撃にいつも晒されている感がありますからね(笑)」

「でしょ? 瞑想を始めたお蔭でそれに気づけた。だから、今は仕事中に心を失いそうになったときは、そっと目を瞑って自分の心と対話するようにしているんだ」

「心を亡くすと書いて、いそがしいと読む。『忙しい、忙しい』と騒いでいる連中というのは、結局のところ修養が足りていないということなんでしょうね」

「そのとおり! お蔭で以前より心穏やかでいられるようになったよ」

「私はタケさんの話を聞いて、日中の心の置き所を考えるヒントをもらいましたよ!」

「神坂君も静坐瞑目してみる?」

「私の場合、目を瞑った瞬間に落ちてしまうので、昼間に仕事しながら心と対話するようにします」

「あぁ、そう……」


ひとりごと

たしかに独り静かに瞑想していれば、心と対話もできるでしょう。

しかし、日中は次から次へと外部から刺激が入ってきますので、自分を失いがちになります。

そんなときでも自分の心と対話して平静さを保てるか否か。

それは結局、心をどこまで磨けているかに懸かってくるのでしょうね。


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第2847日 「徳目」 と 「不可分」 についての一考察 

今日のことば

【原文】
「其の背(はい)に艮(とどま)り、其の身を獲ず。其の庭に行きて其の人を見ず」とは、敬以て誠を存するなり。「震は百里を驚かす。匕鬯(ひちょう)を喪わず」とは、誠以て敬を行なうなり。震艮(しんこん)正倒して、工夫は一に帰す。〔『言志晩録』第80条〕

【意訳】
『易経』艮為山(ごんいさん)の卦に、「その背に(とど)まりてその身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎なし」(意味:(見ざる所)に止まれば、欲心に乱されることが無いので、忘我の境地になれる。外に出ても人(外物)のために煩わされることが無い。まったく禍なく安泰である)とあるのは、敬の心をもって誠をその身に存するということである。同じく、震為雷の卦に「震は、亨る。震の来るとき虩虩(げきげき)たり。笑言啞啞(あくあく)たり。震は百里を驚かせども匕鬯(ひちょう)を喪わず」(意味:(震の象)鳴が方百里の遠きに及んで驚かすことがあっても、宗廟の祭祀に祭用の匙や香酒を手にする者は、戒慎恐懼してそれを取り落とすことがない)とあるのは、誠の心をもって敬を行うということである。震艮は真逆のものであるが、敬と誠の工夫はひとつに帰するものである

【一日一斎物語的解釈】
「敬」と「誠」という徳目は、まったく別物のようであるが、実はその修得の工夫においては不可分のものなのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、勉強会仲間のフミさんこと、松本さんと食事をしているようです。

「フミさんは、誰に対してもつねに謙虚で、人を敬う心が言葉や行動に表れていますよね」

「うれしいことを言ってくれるね。もし、そう見えているなら、ワシもようやく学びが板についてきたのかもしれないな」

「そうですか? 最初に会った時から感じていましたけどね」

「何をご冗談を。敬の心を持つことは簡単なことじゃないよ」

「そうなんですか?」

「人を敬うということは、ある意味で自分の至らなさを認めることでもあるからね」

「『負けた!』と思えるから、敬えるということですか?」

「ザッツ・ライト! 自分の至らなさに気づくためには、自分自身に誠がなければならないからね」

「誠ですか?」

「自分地震に対しても嘘をつかない心、そしてその心をベースにして他人に対しても偽らない心、それが誠というものだよね」

「なるほど」

「心の中ではそれほどでもないのに、大袈裟に人を褒めるような人間には誠がない。誠のない敬は相手に伝わらない」

「誠なくして敬はない、ということですか?」

「イグザクトリー! そして、誠の心が敬を育む一面もある」

「敬と誠は表裏一体なんですね」

「セパレートすることはできないだろうね!」

「フミさんの場合は、そんな凄いことを実体験から学んできたんですね?」

「もちろんそういう面もあるけど、やはり学びの効果だと思うよ。もし、古典とめぐり会っていなければ、きっと人を心から敬うことはできなかっただろうからね」

「そう言われると私もまだ本当の意味で人を敬うことができていない気がします」

「ゴッドの場合は、まだ若いんだから、その年で気づけたことに感謝すべきだよ!」

「そうですね。そして、フミさんにこうしてめぐり会えたことにも感謝をしたいです!」

「オー、ユー・マスト・ビー・ジョーキング(ご冗談を!)」


ひとりごと

敬も誠も儒学においては、非常に重要な徳目です。

しかし、頭で理解できても、実際にこの徳目を実践することは容易ではありません。

その理由は、この2つの徳目は不可分だということに気づかないからなのかも知れません。

本来、徳目とはそういうものなのでしょう。

ひとつを卒業したら次に取り組む、といった類のものではなく、互いの関係性を理解しつつ同時に取り組むべきなのでしょう。


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第2846日 「臍下」 と 「成果」 についての一考察

今日のことば

【原文】
人身にて、臍(せい)を受気の蒂(てい)と為せば、則ち震気は此れよりして発しぬ。宜しく実を臍下に蓄え、虚を臍上に函(い)れ、呼気は臍上と相消息し、筋力は臍下よりして運動すべし。思慮云為(しりょうんい)、皆此に根柢す。凡百の技能も亦多く此くの如し。〔『言志晩録』第79条〕

【意訳】
人間の体では、臍は気を受ける場所であり、生生活動の気は臍から発生している。よく臍下丹田に力を蓄え、心は空しくして、呼吸は臍上と通い合い、筋力は臍下から発するようにして体を動かすべきである。物事を考えるのも、何事かなそうとすることも、みなここに根源がある。どのような技能であっても、ほとんどはこの点が重要である

【一日一斎物語的解釈】
臍下丹田に力を蓄え、心を空にして取り組めば、何事も首尾良く進むものである。


今日のストーリー

営業2課の梅田君の営業活動に、先輩の石崎君が同行しているようです。

「最近の石崎さんは凄いですよね。コンスタントに毎月売り上げを稼いでいて、うらやましいです!」

「『うらやましいって、俺は偶然そうなっているわけじゃないよ!」

「あっ、すみません。俺、いつも言葉で人を怒らせちゃうんですよね。もちろん、運がいいなんて思っていないです。何か秘訣がありますか?」

「結局、成功への近道はないみたいだよ。コツコツ努力するしかないんじゃないかなぁ」

「つまらない答えですね!」

「おい、梅田!!」

「あっ、すみません。それはわかるんですけど、少しくらい近道がないのかなと思いまして……」

「そうだ、ひとつある!」

「待ってました!!」

「へその下に力を入れることだ」

「はぁ? なんすかソレ!」

「ここぞというときはへその下に力を入れると良いんだ。たしか、臍下丹田という場所だったな」

「そんなことで変わりますか?」

「臍下丹田はパワーの源らしいよ。勝負のときこそ、グッとへその下に力を入れて、大きく深呼吸。そして余計なことを考えずに、心を空っぽにして臨むんだ」

「そうすると、うまく行くんですか?」

「不思議とね」

「本当かなぁ? まぁ、騙されたと思って試してみます!」

「おい!!」

「あっ、すみません。それって石崎さんが独自に編み出したんですか?」

「いや、佐藤部長から教えてもらった」

「なんだ、最初からそう言ってくださいよ! それなら信頼できます!!」

「お前、いい加減にしろよな!!!」


ひとりごと

臍下丹田。

漢方医学では、ここに意識を集中させると健康になり、パワーも湧いてくるとしています。

東洋の医学で解明できていないことも多い現代です。

もう一度、漢方医学の力を信じてみるのも一計かも知れません。


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第2845日 「利他」 と 「共存」 についての一考察

今日のことば

【原文】
震は乾陽の初起たり。即ち気質なり。其の発して離虚に感ずれば、則ち雷霆(らいてい)と為り、坎実(かんじつ)に触るれば、則ち地震と為り、人に於いては志気と為る。動天驚地の事実も、亦此の震気の外ならず。〔『言志晩録』第78条〕

【意訳】
によると、震の卦は乾陽の初めて発動する気のもとである。この気が発動して離の虚に感ずれば雷霆となる。坎の実(地中の深い穴)に感ずれば地震となる。人間に於ては「やる気」になる。世間を驚かすような大事業を成し遂げるのは、この震気の発動に他ならない

【所感】
大きな成功を修めるには、自分ひとりだけの力では不可能である。宇宙の摂理に逆らわず、これに則った思考と行動を実践すれば、大きな成功を成し遂げることができる。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、YouTube動画で『孔田丘一の儒学講座』を視聴しているようです。

「諸君らは、宇宙に流れている誰にもコントロールできない法則があることをご存知かな」

「この宇宙の法則のことを、摂理と言ったり、大自然と読んだり、神と呼ぶ者があるが、要は同じものを指していると考えてよいじゃろう」

「たとえば地震や災害じゃよ。人類の化学がどれだけ発達しても、いまだに予知することも防ぐこともできておらん」

「そろそろ人類もそのことに気づかなければ、あまり先は長くないかもしれませんぞ!」

「さて、果たして我々は、この宇宙の法則を読み取ることができるだろうか?」

「残念ながらそれは無理じゃろうな」

「しかし! 間違いなく言えることは、悪より善、利己より利他を意識するなら、この法則から大きく外れることはないじゃろう」

「各国が自国の利ばかりを追うことになるから、戦争が後を絶たない」

「犯罪も同じ心理がベースになっているだけですな」

「しかし、これには大いなる覚悟が必要なんじゃ。つまり、自分が利他の精神で善を施したところで、相手がすぐに同じような行動とるとは限りませんからな」

「それでも続ける覚悟、自分だけは利他を貫くという覚悟が必要なんですな」

「そうすれば、少しずつ周囲が変わり始めます。道は果てしなく長い。それでもやれるか否か?」

「諸君が成功者と呼ばれたいなら、それが唯一の確実な途なのです!」

「しかし、成功者というのは、金持ちになるということでも、長生きできるということでもありませんぞ」

「2019年に亡くなった中村哲さんを知っておるじゃろ?」

「あの人は金持ちにもなれず、長く生きることもできなかった」

「しかし、あの人ほど利他の心で生きた日本人を私は知らない。仮に日本人があの人のことを忘れても、アフガニスタンの人々は決して忘れることはないじゃろう」

「宇宙の法則に則って生きるとはそういうことじゃ。これほど見返りの少ない生き方はないかも知れん」

「しかし、我々が地球上に生まれ落ちた意味はそこにある。よく考えてみるんですな」

動画が終わりました。

「今日は珍しく最後まで真面目な話だったな。それだけに心に刺さった。利他と善か、簡単なことじゃないんだなぁ」


ひとりごと

いまだに天変地異を予測することも、したがって防ぐこともできません。

これこそ人智の限界を示しているのかも知れません。

人類が長く生き延びるには、まず人間同士が利他の心で互いを思いやること。

さらにそれに止まらず、すべての地球上の生物との共存を図ることなのではないでしょうか?

そしてそれこそが真の成功のようにも思えます。


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第2844日 「恩恵」 と 「絶滅」 についての一考察

今日のことば

【原文】
人は地気の精英たり。地に生れて地に死し、畢竟地を離るること能わず。宜しく地の体の何物たるかを察すべし。朱子謂う「地卻って是れ空闕(くうけつ)の処有り。天の気貫きて地中に在り。卻って虚にして以て天の気を受くる有り」と。理或いは然らん。余が作る所の地体の図、知らず、能く彷彿を得しや否やを。〔『言志晩録』第77条〕

【意訳】
人間は地の気の精妙なる英気である。大地の上に生まれ、大地の上で死に、結局大地を離れることはできない。よく大地の本体がどういうものなのかを察するべきである。朱子は「地にはすき間があり、天の気がそのすき間を貫いて地中に通じている。かえってそのすき間によって天の気を受けるのだ」と言った。理屈はそうかもしれない。私が作った地体図は果してこの朱子の思考に似ているのであろうか、わからない

【一日一斎物語的解釈】
人間もまた宇宙の摂理の中で生かされている。儒学でいえば天地のパワーである。地上の生き物は、特に地から多くの恩恵を受けていることに気づくべきだ。天から降り注ぐ見えないパワーを地が受け、人間に恩恵を与えているのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、大累課長と雑談中のようです。

「人類は万物の霊長だなんて、驕り高ぶっている場合じゃないよな」

「どうしたんですか、急に?」

「知ってるか、環境省が出しているレッドリストのこと」

「あぁ、絶滅危惧種のリストですよね?」

「おー、よく知ってるな。2022年の最新のレッドリストによると、日本に棲息する動物のうち約3,000種が絶滅の危機にあるらしいぜ」

「そんなに?」

「それって、人間のせいだよな。人間が自分勝手に森林を伐採し、大気を汚染させてきた結果だよな」

「間違いないでしょうね」

「万物の霊長だというなら、弱い動物たちを守ってあげるのが本来の姿なのに」

「その恩恵をこうむっている訳ですから、偉そうなことは言えないですけどね」

「それはそうだけどな。人間も動物も植物も天と地から与えられた恵みをちゃんとシェアすべきなのに、全部人間が独り占めしているんだよ。その結果、実は自分で自分の首を絞めていることも知らずにな」

「ということは、最も絶滅の危機にあるのは人間かも知れませんね」

「うまいこと言うな。まったくその通りだよ」

「そういえばキャビアが高値で売れるからといって乱獲したために、チョウザメの数が激減しているって記事を読みましたよ」

「俺たち庶民には関係ないけど、世の中の金持ちはこぞってキャビアを食べているのかねぇ?」

「必要なだけ捕獲する。これが地球のルールですよね」

「海や大地の恵みを地球上の生き物がみんなでシェアしていくべきなんだ。そうすれば、大気汚染や地球温暖化だってこれ以上悪化しないはずだよな」

「それが宇宙の摂理なんですよね」

「うん。まずは何事も必要な分だけをいただく。これを実践することから始めるのが良さそうだな」

「そういえば、巨人はFA宣言した選手を必要以上に乱獲していましたよね」

「今はしてないだろ! 自前で若手を育てることに力を注いでいるじゃないか!」

「ただ釣り竿が古くて、魚が掛からないだけじゃないですか?」

「……」


ひとりごと

天地の恵みは人間のためだけにある訳ではないはずです。

しかし、人間が便利さを追い求めすぎたために、多くの動植物が犠牲となり、地球上から消えてしまいました。

いつまで、こんなことを続けるのでしょうか?

便利さを求めすぎた結果、実は退化していることに気づくべきです。

人類こそ、最も絶滅が近い種なのかも知れません。


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第2843日 「読書」 と 「思考」 についての一考察

今日のことば

【原文】
経を読むには、宜しく我れの心を以て経の心を読み、経の心を以て我れの心を釈(と)くべし。然らずして、徒爾(とじ)に訓詁を講明するのみならば、敏(すなわ)ち是れ終身(かつ)て読まざるなり。〔『言志晩録』第76条〕

【意訳
経書を読むときは、自分の心で経書の精神を読み解き、経書の精神で自分の心を照らすべきである。そうせずに、ただ徒に文字の解釈に拘泥するようでは、一生涯結局本を読んでいないことになるであろう

【一日一斎物語的解釈】
古典のような自己啓発書を読むときは、文字にとらわれず自らの心で読むことが肝要である。また、書かれている内容が自分にとってプラスとなるように自分の身に引き換えて読むべきである。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、A県立がんセンター消化器内科の多田先生を訪ねているようです。

「神坂、ちゃんと読書は続けているんだろうな?」

「もちろんです。最近はすっかり日課になりました」

「習慣は第二の天性なり、という言葉もある。読書が習慣化されれば、お前の人生は間違いなく潤うだろうな」

「本当ですか? うれしいです!」

「しかし、ただ文字を追うだけの読書なら話は別だぞ」

「はい、わかっています。経書は心で読め、と多田先生に教えて頂きましたから」

「うん。しかしそれだけなら50点だぞ」

「えっ、そうでしたっけ?」

「経書を読んで、自分の心を見つめ直さなければならない」

「見つめ直す?」

「内省と言ってもいいだろうな。自分の心の穢れ具合を点検するイメージだ」

「あぁ、なるほど。心の穢れに気づけば、穢れを払うことができますね!」

「そのとおりだ。その際に自分の思考のクセもチェックするといいだろうな」

「思考のクセですか?」

「人の言動や行動というのは、思考によって作り出されるんだよ。普通の人間は、何か問題が起きると、行動分析はするが、思考分析をしないものだ」

「たしかに、思考分析なんてしたことはないです」

「思考が変われば、行動は大きく変わる。その結果、パフォーマンスも劇的に変わるんだよ」

「なるほど。どういう考え方がベースにあるのかを探って、それを変えれば、行動も結果も大きく変わるということですか?」

「そうだ。せっかく経書と取り組むなら、自分の思考分析をしっかりやるべきだろうな」

「ありがとうございます。今週の休みに、さっそくやってみます!!」


ひとりごと

このストーリーの後半の「思考」に関する話は、元帝京大学ラグビー部の監督・岩出雅之さんの講演で語られた内容です。

帝京大学といえば、ラグビー大学選手権で9連覇を達成していますが、そのときの監督が岩出さんです。

せっかく読書をするなら、心と思考の点検をしてみると良いでしょう。


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思考を変えることで、周囲の世界も大きく変わるかも知れませんよ。

第2842日 「集中」 と 「空間」 についての一考察

今日のことば

【原文】
端坐して経を読む時、間思妄念自然に消滅す。猶お香気室に満ちて、蚊蟊(ぶんぼう)の入る能わざるがごとし。瞑目調息の空観に似ず。〔『言志晩録』第75条〕

【意訳】
正座して経書を読むときには、雑念や妄想は自然に消えていく。それはまるで良い香りが部屋に充満して、あぶなどの害虫が部屋に入り込むことができないかのようである。目を閉じて呼吸を整える野狐禅(やこぜん)のようなものとは似て非なるものである

【一日一斎物語的解釈】
じっくりと仕事に集中するための自分だけの空間や独自の方法を見つけておくとよい。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業2課の本田さんと喫茶コーナーで雑談中のようです。

「神坂課長は、集中して仕事をしたいときは、どんな工夫をされているんですか?」

「実は、そんなに集中して仕事をやった記憶がないんだよなぁ……」

「えっ!」

「あぁ、そうだ。独りで考えごとをしたいときは、家の近くにある喫茶店の個室を借りることがあるな」

「へぇー、喫茶店の個室ですか、いいですね」

「そこはコーヒーも美味しいし、部屋を借りるとおかわりも自由なんだよ」

「いいですねぇ。私の家の近くにもそういうところないかなぁ」

「なに、本田君は集中できる場所がないの? まだ独身なんだから、自宅でだって集中できるだろう?」

「それが自宅にいると、ゴルフクラブが目に入ったり、ギターが目に入ったりして、ついそっちに手を出しちゃうんですよ……」

「ははは。そいつは自覚の問題だな!」

「そうなんですけど、何か環境を変えてみれば集中できるかもしれないと思っているんです」

「そういえば、石崎は音楽を聞きながら仕事をした方が集中できるらしい。俺の場合は、つい歌っちゃうからダメだけどね(笑)」

「私も手が動いちゃいますね(笑)」

「たしかに自分なりに集中できる環境とか手法を考えておくことは重要かもしれないな」

「図書館とかも行ってみたんですけどねぇ」

「音楽雑誌とかゴルフ雑誌を見ちゃうんだろ?」

「そうなんです(笑)」

「俺はどっちかというと仕事というより考えごとをするために喫茶店を見つけたんだけど、そういう場所があるって幸せなことなのかもね」

「そうですよ。自分でも探してみますけど、もしなかったら課長の家の近くまで遠征してもいいですか?」

「それは構わないよ。個室も5室くらいあったと思うし、予約もできたはずだよ」

「コーヒーの香りで満たされた空間って、想像するだけでも集中できそうな気がします」

「うん。たしかに香りも重要かもね。ほら、これが電話番号」

「ありがとうございます!!」


ひとりごと

皆さんは、仕事や思索に没頭できる自分だけの空間をもっていますか?

もちろん自宅に書斎があれば最高ですが、なかなか難しいですよね。

最近はコワーキングスペースも増えてきたので、そういうものを活用するのもアリでしょう。

ホテルもデイユースで利用可能なようです。

いざという時のために、自分に適した空間を見つけておくことも必要かも知れませんよ。


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第2841日 「効率」 と 「選択」 についての一考察

今日のことば

【原文】
吾れ読書静坐を把って打して一片と做さんと欲し、因て自ら之を試みぬ。経を読む時は、寧静端坐し、巻を披(ひら)きて目を渉(しょう)し、一事一理、必ず之を心に求むるに、乃ち能く之を黙契し、恍として自得する有り。此の際真に是れ無欲にして、即ち是れ主静なり。必ずしも一日各半の工夫を做さず。〔『言志晩録』第74条〕

【意訳】
私は読書と静坐を同時に実施してみようと試みた。経書を読むときは、安静にして静坐し、本を開いて目を走らせ、ひとつの事柄、ひとつの道理を自らの心に求めていくと、無言のうちに書物と心がピタリと融合して、いつの間にか心に会得するものがあった。このときは本当に無心無欲の状態であり、これを主静というのだ。必ずしも朱子が言うように「半日静坐、半日読書」と分けて実施する必要性はない

【一日一斎物語的解釈】
読書と静坐のように関連する事柄を効率的に実施することは悪いことではない。むしろ別々に実行する以上のシナジー効果を得られる場合もある。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業2課の石崎君と同行中のようです。

「神坂課長、普通は2つのことを同時にやると、どっちつかずになるものでしょうか?」

「昔から『二兎を追う者は一兎をも得ず』というからな」

「私の場合、家で音楽を聞きながら仕事をすると、すごく捗るんですよ」

「あぁ、それはわかるな。俺も大好きなロックを聴きながら運転すると早く目的地に着くもんな」

「それは違うと思うんですけど……」

「パープル(Deep Purple)の『ハイウェイ・スター』とか『スピード・キング』を聴くと、思わずアクセルを踏んでしまうんだろうな」

「そのうち事故しますよ!」

「お前が言いたいのは、そういうことじゃないんだろう?」

「わかっているなら、くだらない話をしないでください!」

「『くだらない』って言うな! 部下を和ませてやろうと頑張ってるのに!」

「『〜しながら』っていうのも悪くないんじゃないかと思うんですよね」

「そうだな。読書と静坐は別々にやるより、一緒にやった方が書物の内容と自分の心がピタリと一致して、深く悟るところがあるらしいからな」

「やっぱりそうですよね。組み合わせの問題ですよね」

「そうだよな。シナジー効果がありそうなことを組み合わせると、別々にやるより成果があがるものなのかもな」

「あえてそういうものを組み合わせて一緒に実施した方が仕事が捗るかも知れませんね」

「そうすれば無駄な残業もしなくて済むかもな」

「これからの時代は、いかに短時間で仕事を処理できるかが益々重要になってきますよね」

「昔は学校には必ず二宮金次郎の銅像があったそうだ。薪を背負って歩きながら本を読んで勉強していた若き日の二宮尊徳の銅像だよな」

「薪を運ぶのと読書にはシナジー効果があるんでしょうか?」

「あるだろう。きっと本を読むことで背負っている薪が賢くなって、よく燃えるようになるんじゃないかな」

「それは……」


ひとりごと

時短の取り組みの目的は、残業時間の削減ではありません。

少子高齢化が迫るわが国において、労働力確保が困難となる中、少しでも効率的に仕事を処理して労働力不足を補おう、というのが趣旨です。

効率を求めるなら、2つのことを同時に進めることが重要になってきます。

ただし、その2つはシナジー効果がある組み合わせであることが重要です。

よって、何を組み合わせるかには十分配慮すべきなのです。


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第2840日 「内観」 と 「推量」 についての一考察

今日のことば

【原文】
目に覩(み)る者は、口能く之を言う。耳に聞く者は、口能く之を言う。心に得る者に至りては、則ち口言う能わず。即(も)し能く言うとも、亦止(た)だ一端のみ。学者の逆(むか)えて之を得るに在り。〔『言志晩録』第73条〕

【意訳】
自分の目で見たものは、口でうまく説明することができる。また、耳で聞いたことも、うまく説明することができる。ただし、心に自得したものについては、口でうまく説明することが難しいものである。もし説明できたとしても、ほんの一端を説明できたにすぎない。このことから、学問をする者は、自らの心で相手の心を推し量り、その意を悟らねばならない

【一日一斎物語的解釈】
心の内というものは、本人でさえ上手く説明できないものである。このため、他人の心を理解するためには、自分の心に問いかけ、推測をせざるを得ない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業2課の善久君と面談をしているようです。

「いまだに先生の心の中を読むことができません。課長はどうやってお客様の心の中を理解するんですか?」

「完全に心の中を読み切ることは不可能だよ」

「え?」

「そりゃそうだろう。他人の心を完全に読むことができたら、営業なんかしなくたって、その能力だけで食っていけるぞ」

「はぁ」

「百聞は一見に如かず、というけど、見たもの、聞いたものは口で説明するのは簡単だ。目と耳で感知できているからな」

「はい」

「しかし、心で自得したものって、いざ口に出してみるとうまく説明できないことが多い」

「なぜなのでしょうか?」

「心で自得したものは、形もなければ、音もなく、おまけに無味無臭だ。それを相手にわかるように説明するのは至難の業なんだよ」

「それを他人が理解するとなると、更に難易度が上がるんですね?」

「そのとおり!」

「でも、理解できなければ、売れる営業マンにはなれないのでは?」

「それはそうだよ」

「じゃあ、私は売れる営業マンにはなれないんですか!! 課長はどうやって売れる営業マンになったのですか??」

「まぁ、そんなに熱くなるなよ。方法はある!」

「教えてください!!」

「自分の心を理解することだ」

「はい?」

「自分の心が理解できれば、それを推し広げて他人の心も推測できるようになるんだ。だから、まずは自分ならどう考え、どう行動するのかを、しっかり分析しておくことが重要なんだよ」

「あぁ、そういうことですか! 時間はかかりそうですけど、もっと自分の心に問いかけてみます!!」

「うん。でも、上司の心はあまり読まなくていいからね!」


ひとりごと

自分の心の内を説明することは、とても難しいものだ、と一斎先生は言います。

だからこそ、自分の心の中を自分の言葉で語れるようになるまで内観することを勧めています。

それができれば、自然と他人の心を推し量ることも可能になり、的確な対処が可能になるのでしょう。


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