一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

学び

第2174日 「奇功」 と 「雅素」 についての一考察

今日のことば

【原文】
凡そ物は、奇巧賞す可き者有り。雅素(がそ)賞す可き者有り。奇巧にして賞す可きは一時の賞なり。雅素にして賞す可きは則ち無限の賞なり。真に之を珍品と謂う可し。蘭人の齎(もたら)し来る物件は率(おおむ)ね奇巧なり。吾れ其の雅致無きを知る。但だ其の精巧は則ち懼る可きの一端なり。〔『言志耋録』第246条〕

【意訳】
だいたい全ての物品には、珍しくて精巧な点を鑑賞すべきものがある。また、優雅で飾り気がない点を鑑賞すべきものもある。珍奇で精巧な品物を鑑賞するのは一時であるが、優雅で簡素な品物は無限に鑑賞することができる。こういうものを真の珍品というべきである。オランダ人が持ち込む物品は、概ね珍奇で精巧なものである。私はそこに優雅さが足りないと感じている。しかし、その精巧さには目を見張るものがあるのは否めない

【一日一斎物語的解釈】
ホンモノとは長く側に置いても飽きることのないものをいう。一時的に鑑賞して、すぐに飽きてしまうものはホンモノとは言えない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業2課の石崎君と同行しているようです。

「石崎、今日はラジオの番組もつまらないものばかりだから、俺の好きな曲を聞いてもいいか?」

「はい、どうぞ」

「このUSBでつなげば聞けるんだよな。お、つながった!」

カーステレオから流れてきたのは、サム・クック(1960年代に活躍したアメリカのソウル歌手)のようです。

「へぇー、なんだかカッコいい曲ですね」

「お、洋楽を聴かないお前でもわかるか?」

「はい、声がカッコいいです」

「うん、この声は、ロッド・スチュワートも憧れた声だからな。ところで、この曲は俺が生まれるはるか前、1962年の曲なんだぞ」

「え、マジですか? 全然古さを感じなかったですけど、じゃあ今から50年以上前の曲ってことですか?」

「そう、凄いよな。たしかに今聞いてもカッコいい。こういう曲をホンモノって言うんだよ。一瞬だけヒットして、すぐに聴かれなくなるような曲はホンモノとは呼べないな」

「じゃあ、私の好きなモモクロはどうですかね? 50年後も聞かれているかな?」

「聞かれているわけねぇだろ! というか、5年後には誰も聞いてないんじゃないか?」

「そんなことないですよ! 良い曲もたくさんありますよ」

「どっちにしても50年後じゃ、俺は生きていない可能性が高いから、お前がしっかり確かめてくれ」

「そんなこと言わずに、今度は私の好きなモモクロを聞きましょうよ」

「石崎、俺が悪かった。頼むから勘弁してくれぇ~!」


ひとりごと

小生が師事している永業塾の中村信仁塾長は、よくこう言っています。

「売れる本が善い本だとは限らない。売れ続ける本が良い本だと言えるのだ」

これは楽曲にも当てはまるでしょうし、芸術作品全般に当てはまることでしょう。

ところでモモクロファンの皆さんにはここで謝罪をしておきます。

小生も若かりし頃は、松田聖子、小泉今日子といったアイドルにハマっていたのですから・・・。


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第2173日 「水火」 と 「人間」 についての一考察

今日のことば

【原文】
水火は是れ天地の大用なり。物に憑(よ)りて形を成し、定体有ること無し。近ごろ西洋出す所の奇巧大小の器物を観るに、蓋し皆水火の理を尽くし以て之を製せり。大砲気船の如きも、亦水火の理に外ならざるなり。〔『言志耋録』第245条〕

意訳
水と火は天地の余すところのない働きである。物によって形を変え、定まった形はない。最近西洋製の珍奇で精巧な大小の器物をみると、私が思うには、すべて水と火の理を究めつくして作られている。大砲や蒸気船のようなものも、水と火の理によって製造されていることに変わりはない

一日一斎物語的解釈
世の中にあるもので、水と火を利用して作られていないものはない。まさに水と火は天地の大きな恵みなのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、定時後、佐藤部長の部屋で『言志四録』について語り合っているようです。

「一斎先生が、水と火は天地の大用だと書いているのは、なるほどなぁと思いました」

「水と火についての一斎先生の言葉は、結構あるよね」

「はい。その中でも『言志耋録』第246条の言葉は面白いなぁと思ったんですよ」

「西洋の器械類はみな水と火の理を尽くして作られているというところかな?」

「そうです。当時の最新の火器といえば大砲でしょうし、水器と呼べる器械といえば蒸気船ですよね」

「なるほど、その通りだね」

「この言葉を読んで、改めて水と火によって、人間は生かされているなぁと感じたんです」

「もちろん、人間だけじゃなくて、すべての生き物がそうだろうね」

「はい。考えてみれば医療機器にも水や火の理が応用されていますよね」

「そうだね。電気メスとかウォータージェット、洗滌装置なんかもあるねぇ」

「いくら内視鏡が優れた医療機器だと言っても、洗滌装置がなければ、ここまで普及しなかったでしょうし、電気メスがなかったら治療はできませんからね」

「だから一斎先生は、水と火が天地の恵みの中でも大きなものだと言っているんだよ」

「しかし、私がこの時間になると自ら連想するのは、やっぱりお酒です。お酒も火がなければ熱燗でいただけませんね」

「ははは、突然話の方向性が変わったなぁ」

「部長、ちょっとだけちさとママのところに寄って帰りませんか?」

「そうしようか。今から行けば18時半には着けるから、30分はお酒がいただけるね」

「考えてみれば、ちさとママは、水と火の理を尽くして、最高の料理を提供してくれていますねぇ」

「では、片付けて社を出ようかね?」

「はい、私も机を片付けてすぐに1階に降ります!」


ひとりごと

水と火の力を借りなければ、現代の人間の生活はまったく機能しません。

しかし、ここまで水と火を活用できているのもまた人間だけです。

天地の大用をいかんなく活用しながら、時に手痛いしっぺ返しをくらいつつ、これからも人間は新しいものを作り続けていくのでしょう。


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第2172日 「敬意」 と 「畏怖」 についての一考察

今日のことば

【原文】
天地の用は水火より大なるは莫し。天地は体なり。満世界は皆水火なり。故に敬す可き者、水火に如くは莫く、懼る可き者も、亦水火に如くは莫し。〔『言志耋録』第245条〕

【意訳】
天地の作用は水と火よりも大きなものはない。天地そのものは本体である。現象世界のすべては皆水と火の作用である。したがってもっとも敬意を表すべきは水と火であり、また最も恐れ慎むべきものも水と火なのである

【一日一斎物語的解釈】
自然界の中で水と火こそ、もっとも敬意を表すべきものであり、恐れ慎むべきものである。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、自宅で休日を過ごしています。

「勇、そういえば14時から断水になるから、トイレに行くならいまのうちだよ」

「おい、マジか! 早く言ってよ」

「まだ5分あるじゃない」

「5分で大を済ますのは、俺には不可能だ」

「トイレで本を読んだりするからでしょ」

「書斎のない俺にとって、トイレは俺の大切な書斎みたいなものなんだ」

「ばかじゃないの!」

神坂課長は慌ててトイレを済ませたようです。

「こんなに早く大を済ませたのは人生初だな」

「大袈裟でしょ!」

「しかし、人間というのは水がなかったら何もできないような暮らしの設計をしてしまってるんだなぁ」

「そもそも人間の身体の70%は水分だっていうしね」

「たしかにそうだね。こうやって断水になってみると、水のありがたみがよくわかるな」

「大事に使わないとね」

「うん。雨が降らなきゃ水不足になるし、降り続けば水害となる。水というのは必要なものでもあり、恐ろしいものでもあるんだよな」

「それは火も同じじゃない? いまCMで、人類が火を発見してから、人間の生活が始まったみたいなのをやっているけど、その火によってこの前の火事のような怖いことも起こるよね」

「そうだなぁ」

「もっと水や火に感謝をしなければいけないな。そして大切に、丁寧に扱わないと」

「うん」

「ところで断水って何時まで」

「17時までだよ」

「長いなぁ。よりによって、ちょっと下し気味なんだよね。最悪、出しっ放しでもいい」

「ダメ! 絶対ダメ! 死ぬ気で我慢してください!!」


ひとりごと

昨日に続き、水と火についての章句です。

どれだけ化学が進歩しても、雨水がなければ人間は生きていけません。

人間の生活は、必ず雨が降るという前提のもとに作られているからです。

もし、天変地異で雨が1年間降らなかったら、宇宙に行けるほどの科学技術を持ちながら、人類は滅亡してしまうでしょう。


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第2171日 「火」 と 「水」 についての一考察

今日のことば

【原文】
水火は霊物なり。民、水火に非ざれば則ち生活せず。水火又能く人を焚溺す。天地生殺の権、全く水火に在り。〔『言志耋録』第244条〕

【意訳】
水と火とは霊妙なものである。人々は水と火がなければ生活すらできない。しかし水と火は人を焼死させたり、溺死させたりもする。天地の生殺の権限は水と火にあるのだ

【一日一斎物語的解釈】
水や火といった自然界のものを活用しなければ人は生きられない。しかし、活用を誤れば命の危険すらある。やはり人は自然界の中で生かされているのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、佐藤部長の部屋にいるようです。

「昨日、ウチの近くで火事がありまして、老夫婦が亡くなるという痛ましい出来事があったんです」

「寒くなってきたからねぇ。ストーブの火が何かに燃え移ったのかな?」

「そうみたいです。ストーブの周辺が特に燃えていたらしいので」

「老夫婦だと、咄嗟に逃げることもできなかったんだろうね」

「はい。あそこのおばあちゃんは足が悪かったですからね。おじいちゃんもおばあちゃんを置いて逃げるわけには行かなかったのではないかと・・・」

「哀しい出来事だね」

「ちょっと暗くなりますね。天寿を全うできずに、焼死してしまうなんて。きっと熱かっただろうなぁ」

「我々人間は、火や水がなければ生きていけない。でも、時にはその火や水が命を脅かすこともある」

「はい。自然界にあるものは、すべてそうなのかも知れません。人間はそれを利用しているつもりでも、実は自然界の中で生かされているだけなのではないでしょうか?」

「人間は万物の霊長ではあっても、所詮自然界の中ではちっぽけな存在なのかもね」

「亡くなった老夫婦とは直接の面識はなくて、たまに道ですれ違った時に挨拶をする程度だったのですが、今晩お通夜があるそうなので、早退して参列してきます」

「うん。是非そうしてください」

「独り暮らしや老々介護の世帯が増えているので、冬はこうした事故をいかに無くしていくか。近隣住民ができることは、もっとあるかも知れませんね」

「考えさせられるね。かくいう私も、あと数年で還暦となり、高齢者の仲間入りだからね」

「まずは、私たちが自然界と上手にお付き合いしていきましょう」

「そうだね」

「では、お先に失礼します」

「お疲れ様!」


ひとりごと

山火事、洪水、津波などなど、大自然は時に猛威を振るいます。

犠牲になる方が必ずしも加害者であるわけではなく、時に大自然は人間に対し牙を向けて襲い掛かるのです。

自然の恵みに感謝しつつ、火や水の扱いには慎重の上にも慎重を期すべきだということでしょう。


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第2170日 「施し」 と 「譲り」 についての一考察

今日のことば

【原文】
天、地に資して万物泰(ゆたか)に、水、火に資して天功済(な)る。人倫五教皆此の理を具して家国治まる。須らく善く省察して自得すべし。〔『言志耋録』第244条〕

【意訳】
天は地に力を与えて万物を豊かにし、水は火と助け合って天のはたらきが完成する。儒家の教えである五倫はすべてこの理を具えているから、(これを実践すれば、)家庭も国家も治まるのである。すべてよく考察して自らその理を会得すべきである

【一日一斎物語的解釈】
人間関係は、天と地、水と火がお互いに助け合い支え合うように、相手に施し自らは譲る意識をもてば、万事うまくいくものだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、大学時代の友人と食事をしているようです。

「どうした小坂、緊急事態宣言中に呼び出すなんて、深刻な問題でも起きたのか?」

「いや、そういうわけではないんだけどな。なんか、神坂と飲みたくなってな」

「要するに俺に励まして欲しいわけだな?」

「そういうこと。学生時代から落ち込んだときには、ノー天気なお前の言葉にいつも助けられてきたことを思い出してさ」

「失礼な奴だな。ノー天気はないだろう!」

「あ、たしかに。これはすまん。(笑)」

「ははは。まぁ、いいさ。で、何を悩んでいるんだ?」

「お決まりといえば、お決まりの、人間関係さ」

「出たな」

「うん。俺の上司はかなりのやり手で、こんな時期でも売り上げは絶対に落とすなと言う。一方で俺の部下は今どきの若者さ。残業はしたくないし、できればテレワークをさせろと勝手なことを言ってくる」

「要するに、板挟みなわけか?」

「そういうこと」

「俺は幸い上司には恵まれてきたからなぁ。その状況を想定するのが難しいんだけどね。人間関係を良好に保つコツは、最近いろいろ学んでいるぞ」

「マジか! ぜひ、聞かせてくれよ」

「まずは笑顔だ。明るくない奴には、不幸の神様がつきやすいからな」

「なんだ、スピリチュアルの話かよ」

「いや、笑顔は大事だぞ。だけど、もっと重要なことがある。相手に施し、自らは譲るという精神こそ、人間関係を良くする秘訣だよ」

「へぇー、お前が人に譲るなんて想像できないなぁ」

「たしかに、俺は施す方は得意だけど、譲るのは今も苦手。だから、日々修行なわけだ。一方、お前はというと、譲るのは得意中の得意だが、施すのはどうかな?」

「あ、なるほどな」

「お前から上司や部下に何を与えている? 太陽が地上の生物に日の光を与え続けるように、まずお前が何かを施すべきじゃないの?」

「まず俺から与えるのか」

「うん。本当は見返りを求めてはいけないんだけどな。きっとお前が施せば、何かを返してくれるんじゃないかと思う」

「お互いに助け合わないとなぁ」

「そのとおり! 特にお前のもっている時間を惜しげもなく部下のために使うのが一番効果的だと思うよ」

「神坂、ありがとう。やっぱりお前のノー天気なアドバイスをもらうと元気がでるよ」

「今のアドバイスのどこがノー天気なんだよ!!」

「まあまあ、ここは俺がご馳走しますので!」

「お、そういう施しは、エヴリディ・オーケーだぞ!!」


ひとりごと

私たち人間は、太陽の恵みがなければ生きていけません。

親子関係ですら、一方的な関係ではなく、親は子に恵み、子は親に成長する姿をみせてお返しをします。

人間は常に与え、与えられ、助け合っていきていかねばなりません。

そのためには、施す気持ちと譲る気持ちが必要なのではないでしょうか?


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第2169日 「完全」 と 「不完全」 についての一考察

今日のことば

【原文】
凡そ物に軽重有り、虚実有り、以て変化を成す。皆、既未済の象なり。聖人既に此の象を立てて以て人に示す。而も人未だ其の玅(みょう)を識らず。須らく善く翫索(がんさく)して之を得べし。〔『言志耋録』第243条〕

意訳
すべて物事には軽重や虚実があり、変化を成していく。これは皆『易経』にある既済(きさい:尽く成る)と未済(みさい:事未だ成らず)という卦の象にある。聖人と呼ばれる人は既にこの象を人々に示している。しかし人々はその妙を理解していない。よくよく考察してこれを会得すべきである

一日一斎物語的解釈
何事も完成形を理想としつつ、実際には常にそこに至っていない未完成な状態であることを認識すべきである。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、佐藤部長と同行の車中のようです。

「最近、古典を読むようになって、自分の至らなさに気づきまくりで、ちょっと落ち込んでいるんです」

「神坂君、それで良いんだよ」

「え?」

「人間は、自分が完成しているとか、完全無欠だなどと思わない方がいい。その瞬間に成長は止まるし、未完成の人を馬鹿にするようになりがちだからね」

「あ、たしかにそうですね。自分が出来ていることが出来ていない人をみると、ちょっと見下したくなることがあります」

「そう。そして、そういう驕りが大きな失敗を呼ぶんだよ」

「そうなると古典との付き合い方というのは、どういう風にするのが良いのでしょうか?」

「『論語』や『言志四録』に書かれていることは、平凡な我々にはできていないことばかりだ。でも、それを読めば自分が出来ていないことに気づける。そして、自分が完璧でないことにも気づいて、もっと努力する必要性を感じる。そこまでで良いんじゃないかな」

「できていなくて当然だということですか?」

「極端な言い方をすればそうだね。ただ、それで開き直ってはいけない。さらに自分を高める努力をするなら、そう思っても良いということだね」

「そうか、あくまで古典に書かれていることは理想なんですね。でも、理想を知ることができるから、今の自分の不足に気づけると」

「そういうこと。西郷隆盛公は、過ちに気づければそれで良い。あとはいつまでもくよくよせずに、すぐに改善に向けて一歩を踏み出せ、と言ってるよ」

「過ちに気づくだけでも良いのか!」

「人間は過ちから多くを学べる生き物だからね」

「たしかに多くの痛い目に遭ったことで、少しずつ成長してきたのかも知れません」

「易の世界では、完全な姿というのは決して理想ではないんだ。満ちた月はその後必ず欠けるように、完全の後は乱れが生じるとみるんだね」

「完成しない方がいいということですか?」

「うん、常に完成を目指しつつ不完全である方が大きな過ちを起こさないのかも知れないね」

「なるほど、深いなぁ。と話をしているうちに到着しました。久しぶりに中村教授と面会ですね!」

「また、大切な教えをいただけるんじゃないかな。楽しみだね!」


ひとりごと

『易経』の龍の話は有名です。

龍は天に上り飛龍となると、あと亢龍(下り龍)となって後悔するとしています。

小生が主査する読書会でも、よく参加者の方にお話をするのですが、古典に書かれていることは理想であり、出来ていないことで自分を責めるために読むべきではないとお伝えしています。

大事なのは、自分が出来ていないことに気づくことです。

気づきさえすれば、改善に向けて一歩を踏み出せるはずですからね!


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第2168日 「徳治」 と 「法治」 についての一考察

今日のことば

【原文】
白賁(はくひ)は是れ礼文の極処にして、噬嗑(ぜいこう)は是れ刑政の要処なり。政(まつりごと)に従う者、宜しく其の辞を翫(もてあそ)び以て其の旨を得べし。可なり。〔『言志耋録』第242条〕

【意訳】
白色の飾りは礼楽文物の極まりを示すものであり、ものを噛み砕く噬嗑は刑罰禁令の肝となるものである。政治を執り行う者は、その言葉を深く吟味してその意味するところを会得すべきである

【一日一斎物語的解釈】
礼楽で人を治める徳治主義と法と罰で人を治める法治主義の特色を吟味して、双方を上手に活用すべきである。


今日のストーリー

営業部特販課の大累課長と雑賀さんが揉めているようです。

「それは社則に書いてありますか?」

「そんなこと、いちいち社則に書けるかよ!」

「社則にないなら、罰を受ける筋合いはないですよね?」

「別に罰を与えるとは言ってないだろう。ただ、計画的に休むのであれば、事前に届け出をしろと言っているんだよ」

「でも、課長の言い方には棘がありました」

「当たり前だ、寝坊して遅刻になるのが嫌だから、午前休みにしたんだろ。そんなことを簡単に容認できないからな!」

「おいおい、どうした?」

「あ、神坂さん。聞いてくださいよ」

神坂課長に大累課長が事の経緯を説明したようです。

「なるほどな。で、雑賀。お前、寝坊なのか?」

「はい」

「そこは素直に認めるんだな」

「でも、遅刻扱いになるのは嫌だし、有給も取得できていないから午前休みに切り替えただけです」

「お前は、人の上に立つ気はないのか?」

「え?」

「お前が上司になって、部下が同じことを言ってきたら、それは仕方ないと考えるんだな? もし部下が、期末の一番忙しいときに、自分の権利だと言って有給を取った場合、お前はそれを認めるんだな?」

「そ、それは・・・」

「いいか、雑賀。会社の規則というものは、なるべく少ない方が良いんだよ。なんでもかんでも法律で縛られたらお前だって嫌だろう」

「それは、そうですね」

「なんでもかんでも法律にしないためには、社員の自主性が問われるんだよ。お互いの信頼の中で、文字にならないルールを作り上げるんだ」

「・・・」

「それが徳治ってやつだ。なんでもかんでも法と罰で治めるのは法治だ。徳治のマネジメントをする方が、上司も部下も気持ちよく仕事ができると思わないか?」

「まぁ、そうですね」

「後輩たちは今のお前を見てどう思っているんだろうな?」

「神坂課長、大累課長、申し訳ありませんでした。寝坊したこと、そして届け出なしに突然休暇を取ったことを深くお詫びします」

「雑賀、そっちの方がよほどカッコいいぜ。ただ、いつまでも寝坊を繰り返すのだけは何とかしてくれよな!」


ひとりごと

今の時代に、社則を一切設けずに、徳治だけで会社を運営することは不可能でしょう。

しかし法治国家に暮らす我々とはいえ、すべてを規則に書き留めようと思ってもできるものではありません。

徳治を上手に活かしながら、なるべく法で治める部分を少なくするような意識が大切なのではないでしょうか?


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第2167日 「平和」 と 「軍備」 についての一考察

今日のことば

【原文】
歴代の帝王、唐・虞を除く外、真の禅譲無し。商・周以下、秦・漢より今に至るまで、凡そ二十二史、皆武を以て国を開き、文を以て之を治む。因って知る、武は猶お質のごとく、文は則ち其の毛彩にして、虎豹(こひょう)犬羊の分るる所以なることを。今の文士、其れ武事を忘る可けんや。〔『言志耋録』第241条〕

【意訳】
中国歴代の皇帝は、堯と舜を除いては、禅譲つまり有徳者に帝位を譲ることはしていない。殷(商)・周から後、秦・漢から現在に至るまで、およそ二十二の王朝の変遷があるが、すべて武力で国を開き、文をもって国を治めてきた。そこでわかることは、武力というものは身体そのもののようなものであり、文とは毛皮の模様のようなもので、身体と毛皮の模様という二つから虎・豹・犬・羊といった動物の違いがわかるのである。現代の学者は、武の鍛錬を疎かにしてはいけない

【一日一斎物語的解釈】
中国の歴史を繙くと、伝説上の黄帝である堯から舜、舜から禹へと帝位が禅譲されたとされる。しかし、それ以降は帝位は世襲制となり、その結果、幾多の武力による易姓革命が繰り返されている。馬上で天下を取っても、馬上で政治が出来ないように、机上で政治はできても、机上で天下を取ることはできない。つまり、文武両道を極めねばならないのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、元同僚の西郷さんとzoomでの勉強会を終えた後に雑談をしているようです。

「それにしても、中国大陸の歴史というのは殺戮の歴史なんですね」

「かつては堯から舜へ、舜から禹へと帝位が禅譲されたとされるけど、それはいわば神話の世界だからね。それが理想ではあるけれど、その後は常に帝位は世襲され、武力革命が繰り返されているよね」

「そこに行くと、日本は凄いですよね。武家政治は存亡を繰り返してはいますが、天皇はずっと万世一系ですから」

「そこは世界に誇って良いことだと思うよ」

「しかし、武力を持たないことが本当に素晴らしいことなのでしょうか?」

「そこは難しい問題だよね。武力なしに国を保てるのであれば、それは理想だけれど、今はアメリカの傘の下に守られているという点では脆弱ではあるよね」

「もし、アメリカが日本を守るのを止めた、となったら大変です」

「うん。かつて日本の皇族は闘いというものを極端に嫌った。その結果、身辺擁護のための組織が必要となり武士が誕生した。しかし、それによって朝廷は700年以上にわたって政権の座を武士に奪われ続けたわけだ」

「あぁ、なるほど」

「やはり国という体裁を保つためには、文武の両方が必要だということなんだろうね」

「ただ、総論はOKでも、たとえば自分の子供たちが徴兵制度で軍隊に行き、海外の紛争の場に派遣されることを想像すると、簡単には軍隊を持つことに賛成はできません」

「この状況に慣れてしまっているからね。簡単なことではないだろう。しかし、単純に憲法9条を守るというきれいごとを言うだけでは済むのかどうか」

「はい。中国もロシアもだんだん不穏な情勢になってきていますしね。北朝鮮も含めて、日本のすぐそばにある国々ですよね」

「政治家の皆さんには、将来の日本のために、この議論を避けずに真剣に討議して欲しいよね」

「かつての狂歌に、 世の中にか(蚊)ほどうるさきものはなし ブンブ(文武)というて夜も寝られず』というのがあったそうですね。しかし、ブンブをうるさいと言っていたら、いつか手痛いしっぺ返しを喰らうかも知れません」

「うん。なんだか真面目な話になったねぇ」

「あ、ほんとうですね。では、そろそろ終了しましょうか?」

「そうだね。神坂君、今日も参加してくれてありがとう!」

「いえ、こちらこそ、緊急事態宣言が出て外出せずに家にいる身としては、この勉強会はありがたかったです」

「では、失礼します」

「はい。お疲れ様でした!」


ひとりごと

文武両道の話から、憲法9条の話に発展しました。

これはとても難しい問題ですね。

誰しも、このままでは危険だとは感じている。

しかし、総論賛成でも、各論となると、いろいろな利害関係が渦巻きます。

中国、ロシアの動きを見ていると、あまり猶予はないようにも思えるのですが・・・。


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第2166日 「文」 と 「武」 についての一考察

今日のことば

【原文】
今の儒者は、徒らに書蠹(しょと)と為りて気力振わず。宜しく時に武技を試みて以て英気を養うべし。文学に於いても亦益有り。余は齢已(よわい)に耋(てつ)なり。今は則ち已みぬ。但だ人をして之を肄習(いしゅう)せしめんのみ。〔『言志耋録』第240条〕

【意訳】
今の儒者は、あたかも本のしみのように読書の虫になってしまっており、気力を失っている。時には武道もたしなんで英気を養うべきである。そうすることで、本来の学問にも良い影響を与えるものだ。私ももう八十歳になったので、今は武道はやめて、若い人にこれを習わせようとすることに力を尽くしている

【一日一斎物語的解釈】
本を読んでいるだけでは、真の学びは得られない。スポーツや仕事などで身体を動かし、学びを実践してこそ、真の学びとなり得るのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、YouTubeで孔田丘一の儒学講座を観ているようです。

孔田「皆さん、明けましておめでとうございます。まだお迎えが来んので、今年もボチボチとほざいていきますので、暇な人はお付き合いください」

「そして、新年早々緊急事態宣言が出てしまったので、外出もできずに暇つぶしでこのチャンネルを観ているあなた! くだらんテレビを観るよりはずっと学びになるはずですぞ!」

「皆さんは、ワシのことをどのように見ておられるかな? 本ばかり読んでいる本の虫だとお思いか?」

「実はそうでもないのですぞ。実は、剣道八段の達人なのじゃ」

神坂「知っているよ。毎回自慢しているじゃないか!」

「やはり文武両道が大事です。かつて、 世の中にか(蚊)ほどうるさきものはなし ブンブ(文武)というて夜も寝られず』などと歌って、寛政の改革や白河楽翁公を皮肉ったバカ者がいたらしいが、けしからんことじゃ!!」

「人間の頭と体のバランスをとるには、文武両道しかない。頭でっかちも行けないし、学ばずにただ行動するような輩もロクな人生を歩めませんぞ!」

「そう言われてみると、俺も最近は運動をしてないなぁ」

「まして、緊急事態宣言で引きこもっていたら、益々身体がなまり、体重だけが右肩上がりじゃよ」

「それは否定できない」

「ワシの知り合いにも、まだ50歳そこそこなのに、もう膝が痛いなどと情けないことを言うておる男がいてのう。この前も喝を入れたばかりじゃ」

「そもそも本だけで何が学べると思うておるのか? 学んだことを実践せねば、真の学びにはならないのじゃ。諸君は本を読んだだけで水泳ができるようになったかな? それが、学びと実践の両方が重要な証じゃよ」

「そのとおりだ」

「一流のスポーツ選手に古典を読み込んでいる人が多いのも、またそれを証明しておる」

「たしかに、長谷部とか為末とかは本が好きだと言ってたなぁ。野球でいえば、野村克也さんだな」

「さあ、それがわかったならYouTubeばかり見ておらんと、身体を動かしなさい。家の周りを歩くのもよし、家で腕立て伏せをするもよし」

「相変わらず強引な展開だな」

「ワシも竹刀が振りたくなってきましたぞ。今日はこのあたりでさらばじゃ!!」

「おいおい、終わり方が突然すぎるよ! しかし、この爺さんにはなぜか惹かれるものがあるよなぁ。これも学びの成果なのだろうか?」


ひとりごと

実は小生、3週間前から右膝が痛くなり、先日整形外科を受診しました。

診断結果は、老いの前兆とのこと。

愕然としました・・・。

学びと運動の両立を図るために、ダイエットとともに、腕立て伏せを始めた次第です。


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第2165日 「ホンモノ」 と 「派手さ」 についての一考察

今日のことば

【原文】
真勇は怯の如く、真智は愚の如く、真才は鈍の如く、真巧は拙の如し。〔『言志耋録』第238条〕

【意訳】
真の勇者は一見すると臆病者のようであり、真の智者は一見すると愚者のようであり、真の才能ある人は一見すると不才者のようであり、真の巧者は一見すると下手くそのようである

【一日一斎物語的解釈】
ホンモノは、一見すると平凡に見えるものだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業2課の梅田君と同行しているようです。

梅田君がハンドルを握り、助手席に神坂課長が座っています。

「お、お前、クラプトンを聞くのか?」

「はい。私は洋楽が好きで、特にブルースにハマっています」

「いいねぇ、話が合いそうだな。ところで、クラプトンって、『スローハンド』って呼ばれているのを知ってるか?」

「あぁ、そのタイトルのアルバムがありますね。でも、意味は知りません」

「直訳すれば、『遅い手』。つまり、あまりにも手の動きがなめらかなので、一見するとゆっくり手が動いているように見えるところから、そう言われているんだ」

「へぇー、カッコいいですね」

「ホンモノというのは、かえって派手さがないのかも知れないな」

「え?」

「プロ野球選手でも、本当に守備が上手い選手にはファインプレーがないんだ」

「なぜですか?」

「あらかじめ打球を予測して、守備位置を変えているから、打者がヒットだと思った打球を難なく補給してしまうんだよ」

「あー、そういうことですか」

「営業マンだって同じだぞ」

「えっ、そうなんですか?」

「本当にすごい営業マンって、忙しく動き回らないんだよ。つねに紹介で商売が回ってくるから、自分から売り込む必要がないんだな」

「そんな営業マンになりたいですねぇ」

「その話は、保険とか家のセールスの話だからな。なかなか、我々の業界でそういう立ち位置に行ける人は少ないだろうけど、目指すべき姿ではあるよな」

「はい。課長はそのレベルではないのですか?」

「紹介を頂くケースもあるけど、やはりこちらから商談を仕掛けるパターンの方が多いなぁ」

「どうせ営業の世界で生きていくなら、ホンモノになりたいです」

「派手な活躍は望まないのか?」

「今日の話を聞いて、考えが変わりました。派手さは捨てて、玄人が見たらホンモノだとわかる営業マンになります!!」

「楽しみだな。全力でサポートするよ!」


ひとりごと

本当にその道に精通している人は、かえって何も知らないかのように見えるのかも知れません。

かつて孔子は、廟堂で祭式を執り行う際に、周囲の人に一々聞いて回ったそうです。

それを見たある人が、「あの男は例の大家だと聞いていたが、とんだまやかしだったな。一つ一つ聞いて回っているじゃないか。彼は何も知らないんだよ」と言ったそうです。

それを聞いた孔子は、「それこそが礼なのだ」と答えたと言います。

これぞホンモノと言えるエピソードですね。


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