一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

学び

第1969日 「飲食」 と 「質量」 についての一考察

今日の神坂課長は、大累課長とランチに出掛けたようです。

「ここは相変わらず大人気ですね。11:50に入ってこれだけ席が埋まってるとは」
「ここのつけ麺は最高だからな」

二人とも魚介出汁つけ麺を注文したようです。

「麺の量はどうされますか?」
店員さんが食券を受け取りながら、聞いています。

「俺は大盛で」

「俺は特盛!」

「お前、まじか? 特盛って麺の量が700gだぞ」

「余裕です。だいたい、神坂さんが頼んだ大盛だって500gですからね!」

「ま、まあそうだな。でも、一斎先生は食事を質素にすることが、自分の欲望を抑える第一歩だと言ってるんだよな」

「つけ麺なんて、質素なもんじゃないですか。質と量は別じゃないですか?」

「お前、サンドイッチマンの伊達みたいなこと言ってるな。『ドーナツは真ん中に穴が開いてるから、カロリーゼロ』ってのと同じ類の屁理屈だ」

「だって、質素っていうのは、要するに豪勢な食事をするってことでしょう。俺たちは所詮つけ麺ですよ」

「声がデカいよ。お前、一所懸命に料理している人の前で、デカい声で『所詮つけ麺』はないだろう」

「あ、たしかに」

「衣食住の中で、一番我慢がきかないのが食事なのは間違いないよな?」

「単価は一番安いですからね。つい欲望に負けやすいのは、やっぱり食事でしょうね。というか、酒じゃないですか?」

「ピンポーン! 大正解です。問題はそれだが、お前の論理から言えば、酒を飲み過ぎるのは、量が多いだけで華美ではないから、OKってことになるな」

「そんなこと言ってませんけど。神坂さんの場合は、酒を飲んだ後に暴れるのが問題なんじゃないですか?」

「いつの話だよ。最近は暴れてないだろ!」

そこにつけ麺が運ばれてきたようです。

「はい、お待ちかねの『所詮つけ麺』です!!」

「お兄ちゃん、ごめ~ん、許して~!!」


ひとりごと

昨日に続き、飲食を慎むことに関する章句です。

物語では二人が勝手な論理を展開していますが、実際にはやはり量をコントロールすることも大切ですよね。

コロナ自粛のお陰で、世の多くの人たちは体重が増加しているようです。

メタボは成人病に直結します。

欲望をコントロールする鍛錬としてだけでなく、健康に暮らすための基本として、量を抑えることも意識しないといけませんね!(といいつつ、昨日はつけ麺やさんで大盛を注文してしまいました・・・)


【原文】
衣・食・住は並(ならび)に欠く可からず。而して人欲も亦此に在り。又其の甚だしき者は食なり。故に飲食を菲(うす)くするは尤も先務なり。〔『言志耋録』第43条〕

【意訳】
衣・食・住という三つの要素はどれも欠くことはできないものである。人間の欲望もここに存在している。そのうち最も甚だしいものが食への欲望である。だからこそ、飲食を質素にすることが最も先決なのだ

【一日一斎物語的解釈】
衣・食・住は、人間の根本的な欲望であるが、なかでも食への欲は最も強いものがある。よって、質素な食事を心がけることが先決なのだ。


本丸つけ麺

第1968日 「人欲」 と 「飲食」 についての一考察

今日の神坂課長は、佐藤部長と一緒に「季節の料理 ちさと」に来たようです。

「ちさとママ、心配だね。また、東京ではCOVID-19の患者が100人を超えたって」

「神坂君、そうなのよ。また自粛要請が出たら、本当にお店を続けられないかも知れない」

「それは困るよ。このお店がなくなったら、俺はどこで酒を飲めばいいんだ?」

「大袈裟ね」

「でも、実際に困るよね。私もここにこれなかった一ヶ月は何か生活のリズムが取りづらかったからねぇ」

「あら、佐藤さん。ありがとうございます」

「ちさとロスってやつですか?」

「うん、きっとそうだ」

「あれ? ママ、なんでそんなに顔が真っ赤なの?」

「ば、バカね。暑いからでしょ。今日は日中は30度を超えたんだもん」

「ふーん」

「ちょっと、お料理をつくってきますね」

「ママ、可愛いですね。完全に照れてましたよね?」

「ははは、そうかな?」

「ところで、ママがいると聞きにくいことなのですが、我々がこうしてお店で飲み食いするのは、質素な生活とは言えないのでしょうか? 『言志四録に、『人間の欲望の中でもっとも大きなものは飲食への欲だ』と書いていますよね」

「毎日ではないし、ここで美味しい食事をして、仲間やママと会話するのは、決して華美な生活だとは思わないけどね。ここは、料理の値段も安く提供してくれているしね」

「そうですよね。下手な居酒屋より安く済みますしね」

「一斎先生が言いたいのは、飲み代で生活費を圧迫するようなことではいけない、と言っているんだよ」

「お小遣いの範囲内ならOKってことですね」

「そう、思うことにしない?」

「そうします!」

「ただし、私欲を抑えるためには、飲食を慎むということは、とてもよい鍛錬になるとは思うよ」

「たしかにそうですね。なかなか休肝日がつくれないのが今の課題です」

「でしょう?」

「お待たせしました! 今日は珍しいものが入ったわよ。富山湾のシラエビ。まずはお刺身でどうぞ」

「おー、うっすらピンク色できれいだね。まるで頬を染めたさっきのママみたいだ!」

「神坂、しつこい!! このあと、シラエビのかき揚げも出してあげようと思ったけど、佐藤さんだけにお出しするわね」

「なんでよー。俺も客だぞ!!」

「ごめんなさい、品切れなもので」

「ママ、ごめんなさい。かき揚げはこの世の食べ物で一番好きなの。食べさせて~」


ひとりごと

実は小生はお酒を飲まないので、飲食の飲の方でお金を使いすぎることはないのですが、食に関しては、ついつい食べ過ぎる傾向があります。

COVID-19の自粛のお陰で、多分体重は5kgくらいは太ったのではないでしょうか? (怖くて計っていませんが)

欲望をコントロールするには、身近で手っ取り早い飲食で鍛錬を積むのが良いようです。

しかし、実はそれが一番難しいのかも知れません!


【原文】
人欲の中、飲食を以て尤も甚だしと為す。余、賤役庶徒(せんえきしょと)を観るに、隘巷(あいこう)に居り、襤褸(らんる)を衣る。唯だ飲食に於いては則ち都て過分たり。得る所の銭賃は之を飲食に付し、毎(つね)に輒(すなわ)ち衣を典して以て酒食に代うるに至る。況や貴介の人は、飲食尤も豊鮮(ほうせん)たり。故に聖人は簞食瓢飲(たんしひょういん)を以て顔子を称し、飲食を菲(うす)くするを以て大禹を称せり。其の易事に非ざること推す可きなり。〔『言志耋録』第42条〕

【意訳】
人間の欲望の中で飲食への欲が最も甚だしい。卑賤な労役をしている人々を観察してみると、狭い路地に住み、身にはボロを着ていても飲食だけは分に過ぎたものを食べている。そして稼いだ日銭を飲食に使ってしまい、いつも自分の衣類を質屋に入れて酒とか肴の代金に充当している。ましてや高貴な人々の飲食はさらに豊富で新鮮なものばかりである。それゆえに、孔子は、粗食であっても道を楽しんだ弟子の顔回を称揚し、また自分の飲食を切り詰めて祖先の霊に供物を捧げた夏の禹王を賞賛したのである。ここからも飲食に対する欲望を抑制する事は容易でないことが理解できよう

【一日一斎物語的解釈】
食事を質素にすることは、自分の私欲を抑える上において、最も身近で最も難度の高いことである。


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第1967日 「欲望」 と 「入浴」 についての一考察

営業2課の善久君が商談を終えて帰ってきました。

「おお、善久。どうだった?」

「はい、ばっちり注文を頂きました!」

「そうか、ありがとう! ところで、どっちだった?」

「下位機種で決まりました」

「そうか、残念だったな。あれ? でもお前、全然残念そうじゃないな」

「はい。どちらになっても全力を尽くすと決めていましたから」

「そうだったな」

「それに、下位機種の話をして、金額差を考えるとそちらの方がおススメだと伝えたら、院長先生がすごく喜んでくれて、『その若さで、君のように正直で誠実な営業マンに初めて会った』と言われました」

「それは嬉しい言葉だな」

「はい。『きっと素晴らしい上司や先輩に恵まれているんだろうね』と言われました」

「で、なんと答えたんだよ?」

「『はい、尊敬できる上司がいます』と」

「ちゃんと言ってくれたのね? なんて可愛い部下なんだ!」

そばに居た他の営業2課のメンバーから失笑が漏れています。

「昨日、課長に自分で決めろと言われたのが、今はとてもありがたかったと思っています。もし、課長の指示で下位機種を推薦していたら、こんなに爽快な気分にはなれなかったと思います」

「うん、そうだよな。やっぱり人から指示されて動くより、自分で決めて動く方が結果はどうあれ、心は清々しいよな」

「はい、まるでお風呂上がりの爽快感のようです!」

「おお、そういえば一斎先生の言葉にそんなのがあったぞ。欲望の中にあるときは、熱湯風呂の中にいるようなもので、欲望を消し去ると風呂上りのような爽快感を味わえる。たしか、そんな内容だった」

「はい、まさにそういう気分です」

「お前のうれしそうな顔を見ていたら、俺まで風呂上りのような爽快感に満たされてきた。そして!」

「・・・」

「風呂上りと言えば、生ビールと相場は決まっている。これからお祝いに一杯やらないか?」

「ありがとうございます!」

「ちょっと待った!!」

「なんだよ、石崎。まるで『ねるとん』のワンシーンみたいだな。(笑)」

「私も昨日、エコー装置の商談を決めたんですけど・・・」

「ちっ、そうだったな。よし、若造二人。一緒に来い!!」

「よろこんで!!」


ひとりごと

欲望のある状態とない状態をお風呂に譬えた一斎先生のユーモアが楽しい章句です。

たしかに、一瞬私欲が浮かんだ後に、それを抑えて行動できたときは、清々しい気分を味わえるものです。

私欲に負けて行動すると、期待通りの結果が出てもなぜか心にわだかまりが残り、私欲に克って行動を慎むと、望む結果にならなくても爽快な気分になれるものです。

人間の心は本来善なのだということがこのことからもわかる気がします。


【原文】
人欲起る時、身の熱湯に在るが如く、欲念消ゆる時、浴後の醒快(せいかい)なるが如し。〔『言志耋録』第41条〕

【意訳】
欲望が起こるときというのは、自分の身体が熱湯の中にあるようであり、欲念が消えたときというのは、入浴後のさっぱりした気分のようである

【一日一斎物語的解釈】
欲を消し去ったときの爽快感は、まるで風呂上りの爽快感のようだ。


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第1966日 「我欲」 と 「真理」 についての一考察

営業2課の善久君が神坂課長に商談の相談をしているようです。

「院長先生は、新しい内視鏡が欲しいと言っているのですが、正直に言ってオーバースペックな気がします」

「ワンランク下の機種は紹介したのか?」

「いえ、上位機種が欲しいと言うので紹介はしていません」

「年間の検査数はどれくらいなんだ?」

「たぶん、150件くらいだと思います」

「それだと、5年でもペイできないな」

「はい」

「上位機種だと1千万円、下位機種だと4百万円。金額が倍以上違うわけだな」

「私にとっては大きな商談です」

「で、お前はどっちが売りたいんだ?」

「そう聞かれると、やっぱり上位機種が売りたいです。けど・・・」

「ご施設のことを思うと、正しい商売ではないと思うんだな?」

「そうなんです。課長はどうすべきだと思いますか?」

「お前に任せるよ」

「えっ?」

善久君はじっと考え込んでいます。

「わかりました。下位機種も紹介した上で、正直に私の気持ちを伝えます」

「善久、ありがとう。お前が自分でそう判断してくれたのがうれしいよ。自分の売上という我欲に負けずに、お客様にとってベストの提案をする。それが真の営業人だからな」

「はい。課長がいつもその話はしてくれていますので、それが正しい選択肢だと理解できます」

「まあ、それでももし院長先生が上位機種が欲しいというのなら、それはそれでありがたいことだからな」

「はい。正直に話をしたうえで、そちらを選んでいただけるなら、喜んで買っていただきます」

「ちょっと期待してるだろう?」

「はい、そうだったらいいなぁとは思います。でも、下位機種を買っていただくことになっても、全力でサポートします!」

「善久、お前も成長したな」

「はじめて課長に褒められました」

「それは大袈裟だろう。今までだって褒めたはずだぞ」

「でも、褒められてこんなにうれしいのは初めてです」

「明日の結果がどうなろうと、お前のステージがひとつ上がったことは確かだ。自信をもって営業の道を突き進め!!」


ひとりごと

営業という仕事をしていて、時々直面するのが今回のストーリーのようなケースです。

このとき自分の我欲に負けて、損得を判断基準としてしまうと、お客様のことを考えない自分勝手な提案となってしまいます。

常に判断基準はお客様にとってベストもしくはベターな提案となっているかどうかです。

その判断軸を持っていれば、末永いお付き合いが可能となるのです。


【原文】
真の己を以て仮の己に克つは天理なり。身の我れを以て心の我れを害するは人欲なり。〔『言志耋録』第40条〕

【意訳】
真の自己が仮の自己に打ち克つのは天の道理である。また肉体の私が心の私を害するのは我欲があるからである

【一日一斎物語的解釈】
我欲に犯されて真の自分を見失ってはいけない。


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第1965日 「落ち着き」 と 「慌てふためき」 についての一考察

「マジかよ! なんだよ、ちゃんと点検してから発送してるんじゃないのかよ!」
電話切った営業2課の石崎君が大声を上げています。

「朝からうるせぇ小僧だな。何があったんだよ!」

「昨日、О社から届いた内視鏡の修理代替品を持ち込んだのですが、それが今朝使ってみたら、画像が出ないそうです」

「お前、施設で動作確認をしなかったのか?」

「はい。O社は備品センターでちゃんと点検してから出荷してくれるから大丈夫だと思って・・・」

「そりゃあ、お前にも責任の一端はあるぞ。ということは、当社の責任でもあるわけだ」

「課長、O社の担当を怒鳴りつけてくださいよ。まったく、どうすれば良いんだよぉー」

「お前、慌て過ぎだぞ。施設はどこだ?」

「土佐山内科です」

「マジか!? それはヤバいな。あそこの院長は超がつくクレージー親爺だからな」

「すでにブチ切れてます。もう終わりだ。出禁確定です」

「落ち着け少年! こうなったら、近隣の施設に頭を下げて借りるしかないな。機種は何だ?」

「QP270です」

「マジで? そんなマニアックなスコープを使ってるのかよ。そいつは絶望的だな。だが、何か手はあるはずだ、あきらめるなよ」

「なんで、そんなに余裕があるんですか?」

「少年、ジタバタしたら解決策が浮かぶのか? むしろ、落ち着いて、ゆったりと頭を動かした方が良い策が浮かぶはずだろう」

「あーあ、あの爺さんのところに謝りに行くの嫌だなぁ。下手すると物を投げつけてくるかもしれませんからね」

「だから、まだ諦めるのは早いっつうの! 必ず解決策は見つかるからな」

「神坂課長の根拠のない自信は凄いですね。全然、慌ててないもんなぁ」

「昔の課長は、いまの石崎君より酷かったよ。(笑)」
心配した山田さんがいつの間にか石崎君そばに立っていました。

「そうなんですか?」

「後輩が借りている代替品を無理やり回収して来いと言ったり、O社さんに電話して、耳を塞ぎたくなるような暴言を吐きまくっていたからね。(笑)」

「課長も成長しましたね。(笑)」

「石崎! てめぇのためにこっちがいろいろ考えているのに、何を笑ってやがるんだ!!」

「石崎さん、どうしたんですか?」
石崎君の隣に座っていた梅田君が耳からヘッドホンを外して、石崎君に聞いたようです。

「あ、梅ちゃん。実はさ」
石崎君がことの顛末を梅田君に話したようです。

「あー、俺、QP270の貸出品を持ってますよ」

「マジで!?」

「ちょうど、今朝返却しようと思っていたんです」

「梅ちゃん、もっと早く言ってよぉ~」

「いや始業前なんで、大音量で音楽聞いてたもんで。で、横をみたら石崎さんがなんだか慌てているみたいだったから・・・」

「ほらみろ、少年。ちゃんと解決策があっただろう」

「これ、解決策って言えますか? ただの偶然じゃないのかなぁ?」

「ばかやろう! 俺が落ち着いて行動したからこそ、代替品が見つかったんだよ。ねぇ、山田さん?」

「えっ、あ、そうですね・・・」


ひとりごと

緊急事態が発生したときに、いかに冷静な対応が取れるかが、リーダーに求められる資質のひとつかも知れません。

メンバーが慌てているときこそ、落ち着いて、冷静に、正しい判断を下すことが求められます。

そのために、日ごろからの修養が必要なのです。

決して、慌てふためき騒いだところで、解決策は浮かんできませんからね。


【原文】
気象を理会するは、便ち是れ克己の工夫なり。語黙動止(ごもくどうし)、都(すべ)て篤厚なるを要し、和平なるを要し、舒緩(じょかん)なるを要す。粗暴なること勿れ。激烈なること勿れ。急速なること勿れ。〔『言志耋録』第39条〕

【意訳】
自分の気質を把握することは、そのまま克己の工夫へとつながる。語ること黙ること、動くこと止まること、すべてにおいて人情に厚く誠実で、落ち着いて穏やかで、ゆるやかでゆったりとしていることが重要である。荒々しく、激しく、せかせかしているようではいけない

【一日一斎物語的解釈】
日々の行動において、常に誠実に、落ち着いて、ゆったりと行動することを心がけよ。荒々しく、激しく、慌ただしく動くことを厳に慎むべきである。


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第1964日 「立場」 と 「工夫」 についての一考察

今日の神坂課長は、元同僚の西郷さんのご自宅にお邪魔しているようです。

「やっぱりサイさんの蔵書は凄いですね。本屋が開けるんじゃないですか?」

「『論語』とか中国古典に関する本は、だいぶ買い揃えたからね。この前、とある博物館に行ったときに、そこの図書室をのぞいたんだけど、中国古典に関する本なら私の所持している本の方が量も質も勝っているなと思ったよ。(笑)」

「すごいなぁ。だから、読書会であれだけ深い話ができるんですね」

「もちろん、J医療器械での経験も踏まえているからこそ、皆さんの心に届く言葉になっているんだと思うよ。御社には感謝しているよ」

「そういえば、この前『言志四録』を読んでいて、孔子が『私は言葉で教えることをやめたい』と言ったとあったのですが、さすがの孔子もキレちゃったんですか?」

「ははは。半分はそうかもね。弟子たちがあまりにも就職することばかり意識して、本当の学問を志さないのに嫌気がさしたのもあるだろうね」

「孔子ってそういうところが人間くさいですよね」

「でも、それは気持の半分以下の部分だよ。その言葉の真意は、言葉という手段を使わずに、伝えるということを究めていきたいということもあったと思うんだ」

「以心伝心ですか?」

「『不立文字』という言葉を知ってるかな?」

「ああ、以前に長谷川先生に聞いたことがあります」(第1941日参照)

「文字にならない言葉。つまりは宇宙の摂理とか大自然の法則のようなものを感じ取ることが、重要だととらえていたんだろうね」

「私には大きすぎてよくわからない話です」

「私も実際のところは理解できていないよ。やはり、孔子くらい学問を究めた人にして初めて言えることだろうね」

「常に足らざるを知る、という精神ですね?」

「そのとおり! それぞれのレベルに応じた目標というものがある。ひとつの山を制覇したら、次なる頂(いただき)を目指すという姿勢だけは真似したいところだね」

「あー、そうですね。目指す頂の高さは違いますが、その姿勢だけは真似できますね」

「さて、神坂君。今日は私の手料理を振舞うつもりなんだけど、良いよね?」

「はい。サイさんの料理の腕前は一級品ですからね。頂を究めた料理の味を堪能させていただきます」


ひとりごと

仕事にしても学業にしても、それを完遂するためには、「諦めない心」・「折れない心」が必要なことは言うまでもありません。

しかし、それだけではダメでしょう。

同じやり方を繰り返すだけでは、進歩は望めません。

なぜうまくいかなかったのかを真摯に反省し、試行錯誤しながら新しいやり方を模索していく。

つまり、「工夫」をするからこそ前進があるのです。

自分の実力に応じた工夫を凝らすことを忘れないようにしましょう!


【原文】
「予言う無からんと欲す」。欲の字の内、多少の工夫有り。「士は賢を睎(ねが)い、賢は聖を睎い、聖は天を睎う」とは、即ち此の一の字なり。〔『言志耋録』第38条〕

【意訳】
孔子は「私は言葉で教えることをやめたい」と言ったが、この欲の字のうちには、かなりの工夫がなされている。周濂渓が『通書』の中で「士は賢人になろうと願い、賢人は聖人に至ろうと願い、聖人は天と一つになろうと願う」とあるのは、みな欲と言う意味ではひとつであるが、その工夫はそれぞれ異なっている

【一日一斎物語的解釈】
人は皆、立場に応じた工夫を施し、人間力を高めていくべきだ。


試行錯誤

第1963日 「感興」 と 「持循」 についての一考察

今日の神坂課長は、奥様の菜穂さんと会話をしています。

「ねぇ、勇。最近、礼が全然勉強しないのよ。勇からも言ってよ」

「何を?」

「何をって、決まってるじゃない。勉強しろってことよ」

「お前さ、勉強なんて強制したって真剣にやるもんじゃないぜ。勉強が必要だと思えば、自分からやるようになる」

「そんなこと言ってたら、どこの大学にも合格できないじゃない!」

「今は少子高齢化で子供の数は少ないんだから、どこかには入れるだろう」

「浪人したらどうするのよ?」

「働かせるよ。うちには予備校に行かせる余裕はないからな」

「それじゃ、高卒になっちゃうじゃない」

「ははは。ホウレンソウだかレンコンだか忘れたけど、そんな名前の政治家が同じようなことを言って、バッシングされてたな」

「N大を目指すなんて言ってたのに、最近はYouTubeばっかり見てるのよ」

「わかったよ。一度、礼と話してみるよ。あいつの志に火がつけられれば勉強するようになるだろうし、火がつかなければお手上げだ」

「ちゃんと火をつけてよね!」

「仮に火がついても、それがずっと灯され続けなければダメなんだよな。それに、その志を成し遂げるために、楽しく勉強するようになってもらわないとN大は難しいだろうなぁ」

「評論家みたいなことを言ってないで、しっかり背中を押してよね」

「そもそも大して勉強してこなかった三流大学出身の俺が言っても説得力はないと思うけどなぁ」

「勉強しなかったからこうなったという話をすればいいじゃない」

「失敬なやつだな! 『こうなったってどうなったんだよ?」

「三流大学を出て、小さな会社に入って苦労しているしがない課長さんかな?」

「お前だって、三流大学出身じゃないか。同じ穴の狢だよ」

「それは否定しないけど、勇の大学よりはちょっとレベルは上だったと思うな」

「後で後悔しないように、精一杯やれという話だけはしてくるよ」

「お願いします」


ひとりごと

仕事も勉強も、なぜそれを行うのかが明確になっていないと長続きしません。

まして、他人から強要された仕事や勉強の成果など、大した成果を生むことはないのです。

自ら志を立て、篤くそれを守り、楽しく実践する。

これが成功の秘訣なのだと一斎先生は教えてくれます。


【原文】
学を為すには、人の之を強うるを俟たず。必ずや心に感興(かんきょう)する所有って之を為し、躬に持循(じじゅん)する所有って之を執り、心に和楽する所有って之を成す。「詩に興り、礼に立ち、楽に成る」とは此(これ)を謂うなり。〔『言志耋録』第37条〕

【意訳】
学問を為すにあたっては、人から強要されるようではいけない。必ず最初に心に感じ奮起することがあって学問を始め、それを我が身に遵守し実践することで学問を続け、心をなごやかにして楽しみながら学問を成就するのである。『論語』に「詩に興り、礼に立ち、楽に成る(詩によって善を好む心を起し、礼によって道義心を確立し、音楽によって徳を成就する)」とあるのは、このことを言うのである

【一日一斎物語的解釈】
学問も仕事も、他人から強要されているようではいけない。自ら篤く志し、常にその志を忘れることなく、心は冷静かつ穏やかに実践するならば、必ず志を成し遂げることができるものだ。


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第1962日 「順数」 と 「逆数」 についての一考察

今日の神坂課長は、営業2課のミーティングを開催しているようです。

(神)「やはり6月に入ってもCOVID-19の影響は残っているな。どの病院も外来患者数は昨年対比で減少しているようだからな」

(本田)「消耗品の減少も深刻ですが、9月の予算執行も見直しがかかっている施設が多いようです」

(山田)「単月で赤字になっている施設は、機器購入を来年にズラして黒字を維持することも考えるでしょうね」

(石崎)「9月の半期決算は厳しい見通しとなってしまいますね?」

(神)「COVID-19に関しては、期初に誰も予想していなかったことだし、天災みたいなものだから、この状況を歎いても仕方がない。一旦受け入れて、そのうえで年間での計画達成を目指すという方向転換が必要だろうな」

(山)「そうですね。受け入れるところは受け入れて、逆らうところは逆らうという舵取りが必要になりますね」

(本)「特に、COVID-19は医療に直結する災いですから、我々には何か医療機関のお役に立てる道があるはずですよね」

(神)「そのとおりだよ。外来患者の減少による症例ダウンは受け入れる。しかし、別の形で医療機関を支援して、我々もその中で利益を頂戴することは可能なはずだ」

(善久)「具体的にはどんなことがあるのでしょうか?」

(神)「それがわかれば苦労はないさ。すぐに思いつくのは、不足している医療物資をなんとかかき集めることだ。マスク、ガウン、ゴーグルやフェイスシールドといった消耗品だよな。あれを数日使いまわしているなんて、そんな悲惨な現状を見過ごすわけにはいかないだろう」

(山)「最近は、色々な素材メーカーがフェイスシールドやマスクの製造に取り掛かっているようですね」

(神)「できればメイド・イン・ジャパンの製品を扱いたいな。安かろう悪かろうの製品を扱えば、長い目でみたら信用を失いかねないからな」

(石)「足元を見るような商売もしたくないですね」

(本)「そうだね。利益ゼロというわけにはいかないけど、ここは薄利で医療機関を助けるという姿勢で臨まないとね」

(神)「本田君と石崎の言うとおりだ。ここは、当社の最低粗利率を下回ってでも売れるものは売っていこう。ただし、どこのディーラーも同じことを考えているだろうからな。先を読んだビジネスもしたいよな」

(山)「第二波に備えてということですか?」

(神)「というより、まだ誰も気づいていないような何かに先に手をつけたい」

(本)「何があるんでしょうか? 日付を変えて、一度じっくり検討しませんか?」

(神)「そうしよう!!」


ひとりごと

時には状況(環境)を受け容れ、その中で何ができるかを模索する。

時には状況に逆らい、何をすべきかを模索する。

いずれにしても、何もしないという選択肢を取ることだけは避けねばなりません。

行動しない限り、新しい道は開けないのですから。


【原文】
学を為すには、自然有り工夫有り。自然は是れ順数にして、源よりして流る。工夫は是れ逆数にして、麓よりして巓(てん)す。巓(いただき)は則ち源の在る所、麓は則ち流の帰する所、難易有りと雖も、其の究は一なり。〔『言志耋録』第36条〕

【意訳】
学問の手法には、自然に任せる方法と工夫を施す方法と二種類ある。自然な方法とは自然なさだめに従うので、水源から下流へと水が流れるようなものである。工夫する方法とは、さだめに逆らうもので、麓から頂上に向けて山を登るようなものである。頂上は水源のある所であり、麓に水は流れ着くのであるから、難易度の差はあるものの、その二つの方法も究めればひとつに帰するのである

【一日一斎物語的解釈】
物事を学ぶには、現状をありのままに受け容れ、足るを知る姿勢と、現状を打開するために常に不足を思う姿勢の両方が必要である。その際、利己を捨て、利他の精神で世の中に貢献できるかどうかを基準とすべきである。


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第1961日 「楽しみ」 と 「日常」 についての一考察

今日の神坂課長は、県外移動が可能となったので、総務部の西村部長、営業部の佐藤部長と3人で奈良を訪れたようです。

(西)「生憎の雨ではあるけど、こうやって静かなお寺を訪れるのは、やっぱりいいね」

(佐「本当ですね。いつ以来ですかねぇ、こうしてこの3人で旅をするのは・・・」

(神「去年の秋以来じゃないですか? それにしても、まだ人は少ないですね」

(西)「インバウンドの人たちがいないからな。彼らは金を落としてくれるのは有難いけれど、マナーが酷い。個人的には、彼らが戻ってこなくても済むような観光ビジネスを作り上げて欲しいけどね」

(佐「日本の素晴らしい文化を世界に知らせるという意味では、諸外国の観光客に来てもらうのは良いことなんですけどね。なかなか難しい問題です」

(神「そうですよね。神社仏閣を巡り、仏像を鑑賞するなんていう高尚な趣味は、凡人には理解できないでしょうから」

(西)「神坂君、だいぶ上からの発言だね。(笑) そういう君は、私が初めてお寺巡りに誘ったときは、相当抵抗していた記憶があるけどな?」

(神「そ、そうでしたっけ? 私は、歴史のある建物や仏像を鑑賞することには、以前から興味がありましたよ」

(佐「そういえば、一斎先生はこう言っていたな。『高価な筆や硯を使うことや、自然の景色を鑑賞することを自分の楽しみにしている。それは高尚な楽しみにも思えるが、孔子や顔回の楽しみには及ばない』ってね」

(神「孔子や顔回の楽しみってどんなものですか?」

(佐「質素な食事をとり、肘を枕にして寝る。そんな生活の中にも楽しみを見つけることはできる、と孔子は言っている。極貧の生活をしていても、そこから逃げ出したいなどと考えず、ただ学ぶことを楽しんでいる顔回を孔子が心から褒めている言葉もある」

(西)「なるほどな。要するに、日常生活の中に真の楽しみを見つけることが、最高の生き方だということだな」

(佐「さすがは西村さんです」

(西)「高級時計を身につけたり、豪邸に暮らすことに対して、世間の人は憧れを持つけれど、そこには真の楽しみは無いのかもしれないね。それを持てば持ったで、失うことを畏れて、自由な思考や行動ができなくなることもあるだろうし」

(神「日常の暮らしの中の楽しみって、たとえばどんなことなのでしょう?」

(佐「一家団欒で食事をすることや、食事の後に静かに読書の時間を持てること、そんなありふれたことかも知れないよ?」

(神「ああ、たしかにそうですね! 最近は残業で遅くなった時ほど、本を読みたいと思うことがあります」

(西)「へぇー、あの活字嫌いの神坂君がねぇ? さとちゃんマジックは恐るべしだな」

(佐私は何もしてませんよ。神坂君が成長したんです」

(神「いえ、違います。こうして神社仏閣を巡る楽しさを教えてくれたのは西村さんですし、読書の楽しさを教えてくれたのは佐藤部長です。このご縁のお陰です」

(西)「では、さっそくご本尊をお参りして、我々が出会えたご縁に感謝を伝えようじゃないか!」


ひとりごと

ずっと長い間欲しいと思っていた物を手に入れた瞬間に、その物に対する熱意が冷めてしまうという経験はありませんか?

物を手に入れても、喜びは一瞬だということでしょう。

そんなことよりも健在である親との時間や、日々成長する子供たちと過ごす時間にこそ、真の楽しみがあるのではないでしょうか?

燈台下暗しであって、幸せはすぐ近くに転がっているのかも知れません。


【原文】
吾が輩、筆硯(ひっけん)の精良を以て、娯(たのしみ)と為し、山水の遊適を以て娯と為す。之を常人の楽しむ所に比すれば、高きこと一著なりと謂う可し。然れども之を孔・顔の楽しむ処に方(くら)ぶれば、翅(ただ)に数等を下るのみならず。吾人盍(なん)ぞ反省せざらんや。〔『言志耋録』第35条〕

【意訳】
私は良質の筆と硯を持つことを楽しみとし、山水の良い景色に遊んではそれを喜びとしている。これは一般の人達の楽しみと比べれば、なかなか高度な楽しみだと言えるかもしれない。しかし、孔子や顔回の楽しみに比べれば、数段劣ると言わざるを得ない。反省しないわけにはいかない


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第1960日 「苦楽」 と 「真偽」 についての一考察

今日の神坂課長は、佐藤部長の部屋に居るようです。

「一斎先生の言葉に、『楽にも苦にも本物と偽物がある、という章句があったのですが、どういう意味なのでしょう?」

「なかなか難しい言葉だよね」

「はい、偽物の楽というのはなんとなくわかる気もするのですが、偽物の苦というのはどういうことなのか・・・」

「王陽明という学者の説では、要するに外物に影響された苦楽は偽物だと言っているんだよね」

「外物に影響された苦楽?」

「たとえば、他人と比べて、自分が優っていると思うのが楽、劣っていると思うのが苦、といった感じかなぁ」

「なるほど、自分の外にあるものの代表が他人ということですね」

「ある高価な物を持っているからと優越感を感じるのは偽物の楽で、持っていないと嘆くのを偽物の苦と考えてもいいね」

「そう考えると、ほとんどの人が偽物の苦楽に一喜一憂していることになる気がしますね」

「そう。王陽明は、『楽は心の本体なり』と言っているんだ。本当の楽は、常に人間の心のうちにあって、外物に影響されるようなものではなく、そうしたものを超越した存在なのだそうだよ」

「難しいですね。本物の楽を手に入れるには、人間学を学ぶしかないということですかね?」

「そうだね。そして、それを実際の仕事や生活で実践していくしかないのかな」

「たまに、本当は苦しいくせに無理をして、『これは良いことだ』なんて言っている奴がいますが、あれは見てて哀れに感じてしまいますね。(笑)」

「我慢をしているうちは、本物ではないんだよね。そういう人は、結局は周りの人の目線を気にし過ぎているんだろうな」

「外物に影響されているわけですね」

「本当に苦しかったら、思い切り泣けばいいんだよ。泣くという行為は、心を楽にするためには必要なものだからね」

「たしかに、泣いてスッキリするってことはありますね。ただし、いつまでもメソメソしているのはダメでしょうね」

「うん、一度泣いたら、後は心を入れ替えて、現状を一旦受け入れる。そして、そこから抜け出すには何をすべきかをポジティブに考える。そういう思考回路を持ちたいね」

「ありがとうございます。だいぶ苦楽の真偽というものが分かってきた気がします。特に他人と比べないということは、私にとっても重要な課題です」

「私もだよ。(笑)」


ひとりごと

この一斎先生の言葉を読むと、我々の大半が偽物の苦楽に惑わされているのだと感じます。

外物に影響されずに生きるというのは、なかなか難しい課題です。

しかし、それが自然にできるようにならない限り、真の楽を手に入れることはできないということでしょう。


【原文】
楽の字にも真仮(しんか)有り、苦の字にも亦真仮有り。〔『言志耋録』第34条〕

【意訳】
楽ということにも本物と偽物があり、苦ということにも本物と偽物がある

【一日一斎物語的解釈】
苦楽には本物と偽物がある。真の楽は心の中にあるのだ。


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