一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

佐藤一斎

第1623日 「人生」 と 「三楽」 についての一考察

今日の神坂課長は、N鉄道病院名誉院長の長谷川先生を訪れたようです。

「長谷川先生が生涯大切にしているものはどんなことですか?」

「いきなり大きな質問だね」

「私も40歳を超えて、残り半分の人生を何を大切にして生きれば良いのか、なんて考えるようになりましたので・・・」

「人生100年時代と言われているんだから、神坂君はまだ半分まで達していないでしょう?」

「私たちの世代は90歳くらいまでじゃないでしょうか。いずれにしても残りの人生を有意義に生きたいと思っています。なにせ、いままでだいぶ無駄に過ごしてきましたから」

「ははは。半生を振り返っての反省だね!」

「ということで是非先生、教えてください」

「そうだねぇ。親孝行・自己修養・人材育成の3つかなぁ」

「え、親孝行ですか・・・。失礼ですけど、長谷川先生の御両親は・・・」

「もちろんあの世に旅立ったよ。でも、健康に留意することは、親から譲り受けた身体を大切にすることになるから、結局は親孝行になるはずでしょう? もちろん、神坂君のご両親は健在なんだから、しっかり親孝行すれば良いんじゃないかな」

「親孝行かぁ。はい、しっかり考えます」

「修養については、人間死ぬまで勉強だからね。神坂君も最近はよく勉強しているみたいだしね」

「先生を前にしては、とても勉強しているなんて言えません!」

「そんなことはないよ。最近は本を読んでいる人の顔になってきているよね」

「本当ですか! うれしいです」

「三つ目の人材育成については、私のような年齢になった者が最後にやらなければならないこと。業界や世の中への恩返しだよね」

「いまでも人材育成のお仕事はされているのですか?」

「今は月に一度、この病院の若いドクターに、医師としてのあり方を伝える研修をやっているんだ。ときどき講演などにも呼ばれることがあるから、そのときも主に伝えるのは、医師の在り方になるね」

「『医師のあり方』ですか・・・。ということは、営業マンとしてのあり方というのもあるんでしょうね?」

「それはもちろんだよ。それをしっかりとつかんで若い人に教えていくことも、神坂君の大事な仕事だと思うよ」


ひとりごと

たしかにこの孟子の三楽はいいですね。

親孝行・人間修養・人材育成、この3つを常に心掛ければ、間違った道を歩くことはないかも知れません。

悪い人の集まりにうっかり呼ばれてしまうようなことも・・・。


【原文】
孟子の三楽、第一楽は親に事(つか)うるを説く。少年の時の事に似たり。第二楽は己を成すを説く。中年の時に似たり。第三楽は物を成すを説く。老年の時に似たり。余自ら顧(おも)うに、齢已に桑楡(そうゆ)なり。父母兄弟皆亡す。何の楽か之有らんと。但だ自ら思察するに、我が身は即ち父母の遺体にして、兄弟も亦同一気になれば、則ち我れ今自ら養い自ら慎み、虧かず辱めざるは、則ち以て親に事うるに当つ可き歟(か)。英才を教育するに至りては、固より我が能くし易きに非ず。然れども亦以て己を尽くさざる可けんや。独り怍(は)じず愧じざるは、則ち止(ただ)に中年の時の事なるのみならず、而も少より老に至るまで、一生の愛用なれば、当に慎みて之を守り、夙夜(しゅくや)諼(わす)れざるべし。是の如くんば、則ち三楽皆以て終身の事と為す可し。〔『言志後録』第244章〕

【意訳】
『孟子』尽心上篇には「三楽」が掲載されている。第一の楽しみは親に仕えることを挙げており、これは少年時代に当てはまる。第二の楽しみは自分を完成させることを説いており、これは中年の世代に当てはまる。第三の楽しみとして人材の育成を説いているが、これは老年の時代に当てはまる。私は自らを顧みて思うことがある。すでに自分も晩年期を迎え、父母兄弟は皆死んでしまった。何の楽しみが残っていようか。ただ自ら考えてみれば、『孝経』にあるように、私の身体は父母の遺体であり、兄弟もみな同様であるから、我が身を養い、慎み深くして、落度をなくし天に恥じない生活をすることが、親に仕えることに当たるのではないか。人材を育成するにおいては、私が容易にできることではないが、まず己を尽くすべきであろう。天に恥じない行ないをすることは、ただ中年の時だけに限らず、少年時代から老年に至るまで、一生のことであるから、慎んで守っていくべきであり、早朝から夜に至るまで忘れてはならないことである。そう考えてみると、結局『孟子』の三楽は一生のこととしていかねばならないのであろう

【一日一斎物語的解釈】
親孝行・自己修養・人材育成、この3つを一生涯の仕事とし、決して疎かにしてはいけない。


doctor

第1622日 「血気」 と 「志気」 についての一考察

営業2課の山田さんの実家はお寺であり、山田さん自身も僧籍を持っています。

今日はお寺の仕事の手伝いで実家に来ているようです。

「おやじ、お寺の仕事は兄貴に任せて、少しゆっくりしたらいいじゃないか?」

「譲(兄の名)にすべて任せているさ。ただ、俺は根っからの坊主だからな。こうして日々、お経を唱えないと心が落ち着かないんだよ」

「それらないいけど、無理はしないでよ」

「俺はもうすぐ70歳になるが、志気だけは衰えていないから、死ぬまで修行を続けるつもりだよ。まあ、たしかに体力の低下は否めないけどな」

「無理せず、長生きをして精進することも、僧侶として大切な生き方じゃないの?」

「寿命の長さは関係ないさ。どれだけ目の前のことに精進できるかだよ」

「おやじらしいなぁ。だけど、しっかり息抜きもしないとダメだよ」

「ははは。心配してくれているのか? 大丈夫だ。昨日も同世代の仲間と集まって、カラオケでストレスを発散してきたから」

「そうなのか、それはよかった。そういうことも大事だよね」

「任(たもつ)、ところでお前はどうなんだ? 例の年下の上司は相変わらずか?」

「それがね、その神坂さんは最近すごく勉強をしていて、人間力を高めているんだよ」

「ほぉ、どんなきっかけがあったんだ?」

「きっかけはよくわからないけど、部長の存在が大きいんだと思う」

「お前の話を聞いていて思ったのは、その人は元々熱いものをもっている人なんだろう。おそらく志気も血気も盛んな人で、今まではどちらかというと血気が志気に勝ってしまっていたんだろうな」

「ああ、なるほどね。そうかもしれない」

「それが、その部長さんの人間力に接して少しずつ血気が抑えられるようになったんだろう。年齢的にはまだまだ血気が自然に衰えるような年齢ではないからな」

「俺に対する接し方も随分穏やかになったよ。お陰で、髪の毛が抜けていくのも今は抑えられているかも?」

「坊主の息子なんだから、全部剃ってしまえばいいだろう」

「なんでだよ! スキンヘッドの営業マンなんて、怖くて誰も近寄ってこないよ!」


ひとりごと

小生はまだ52歳ですが、以前に比べると無理が利かなくなってきたことを痛感します。

かつては、深夜2時・3時まで起きていても、翌日大きな支障はありませんでしたが、今はもう無理です

しかし、一斎先生が言うように、志気は衰えていないと信じています。

ただし、学びを怠ってはいないものの、楽しく働けているかというと・・・。

よく学び、よく笑う日々を過ごせるよう精進します!


【原文】
血気には老少有りて、志気には老少無し。老人の学を講ずる、当に益々志気を励まして、少壮の人に譲る可からざるべし。少壮の人は春秋に富む。仮令今日学ばずとも、猶お来日の償う可き有る容(べ)し。老人は則ち真に来日無し。尤も当に今日学ばずして来日有りと謂うこと勿るべし。易に曰う、「日昃(かたむ)くの難は、缶(ふ)を鼓して歌わざれば、則ち大耋(てつ)の嗟(なげき)あり」とは、此を謂うなり。偶感ずる所有り。書して以て自ら警(いまし)む。〔『言志後録』第243章〕

【意訳】
血気には老若の違いがあるが、志気には老若の違いはない。老人が学問を修める場合は、益々志気を高めて、若い人たちに劣るようではいけない。若い人の人生は長い。今日学ばなかったとしても、将来的に埋め合わせることもできよう。しかし老人にそのような時間はない。朱子が「今日学ばずとも明日があるなどと言ってはいけない」と言っているのも尤もなことだ。『易経』にも「日が西に傾いて夕方となった、人生でいえば老境であり、先が久しく続くわけではないのである。日が中央にかかればやがて傾くのは天命である。この理を知り君子は老境を相応に楽しく過ごし、良き後継者を求めて心の安息を得るべきなのである」とあるが、このことを指摘しているのであろう。少々感じるところがあったので、ここに記して自らの戒めとしたい

【所感】
老齢を迎えた人には残された時間も少ない。志気を保ち、日々の学びを怠ってはいけない。しかし、また一方で楽しむことも忘れずに過ごしたいものだ。


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第1621日 「女性」 と 「四十歳」 についての一考察

今日の神坂課長は、夫婦水入らずでうなぎを食べに出かけたようです。

「あれ、菜穂。お前、すっぴんで出てきたのか?」

「失礼ね、これでも簡単にお化粧してますけど!」

「あ、そうなの。ごめん」

「なによ、老けたとでも言いたいの?」

「おいおい、そんなにムキになるなよ。すっぴんでも可愛いなと思っただけだよ」

「わー、嘘くさい! よくそんな科白が堂々と言えるわね!」

「お前さぁ、もう少し可愛い女性を目指した方がいいぜ。そのままババアになったら、どれだけ嫌味に磨きがかかるか末恐ろしいわ」

「イサこそ、昔はもっと『可愛い』とか言ってくれたじゃない」

「だから今言ったじゃん!」

「今のは口から出まかせというか、変なこと聞いちゃったから誤魔化そうとしたというか、心からじゃないわよね?」

「心から言ってるのになぁ。あ、そうそう、佐藤一斎先生という昔の偉い学者さんが言ってるんだぞ。女性の四十歳というのは、その後の人生を左右する大事なときだって

「へぇー、そうなの。なんで?」

「そのくらいの年齢になると、人生経験を積んで上手に人付き合いができるようになる半面、姑もいなくなって気を使う必要もなくなるから、お化粧もしなくなったり、嫉妬深くなったりするからだ、と言ってる」

「化粧はしてるって言ってるじゃない! それに嫉妬するほどモテる亭主でもないしね」

「ちっ、それは否定できないけどさ。まあ、お互いに慎ましくしようよ」

「あのね、ひとつだけ言っておきたいことがあるんだけど!」

「なに?」

「あたしはまだ35歳なんですけど!!」

「え、まだそんなに若かったっけ?」

「おい、イサム! その目ん玉引っこ抜くぞ!」

「あ、ほら、ひつまぶしが運ばれてきたよ。さあ、せっかくの夫婦水入らずの休日だ。楽しく食事しようではないか!」

「お前の奢りでな!」


ひとりごと

たしかに四十歳という年齢は女性にとって、いろいろな意味で人生の曲がり角ではないでしょうか?

他人から「おばさん」と呼ばれるのも、だいたいそのくらいの年齢からですし・・・。

これ以上書くと泥沼にはまりそうなので、これくらいにしておきます。


【原文】
婦人の齢四十も、亦一生変化の時候と為す。三十前後猶お羞を含み、且つ多く舅姑(しゅうこ)の上に在る有り。四十に至る比(ころ)、鉛華(えんか)漸く褪せ、頗る能く人事を料理す。因って或いは賢婦の称を得るも、多く此の時候に在り。然も又其の漸く含羞(がんしゅう)を忘れ脩飾する所無きを以て、則ち或いは機智を挟(さしはさ)み、淫妬(いんと)を縦(ほしいまま)にし、大いに婦徳を失うも、亦多く此の時候に在り。其の一成一敗の関すること、猶お男子五十の時候のごとし。預(あらかじ)め之が防を為すを知らざる可けんや。〔『言志後録』第242章〕

【意訳】
女性の四十歳という年齢も、一生のうちで変化のある時期である。三十歳前後はまだ羞じらいがあり、舅と姑も健在であることが多い。四十歳になる頃には、おしろいをつけることもなくなり、とても上手に人付き合いができるようになる。そこで賢婦人だと言われるようになるのも、この年齢の頃であろう。しかし一方で、羞恥心を忘れ化粧をすることもなくなって、賢しらを用いたり、嫉妬心を抱くなどして、大いに婦人としての徳を失うのも四十歳頃のことである。あるいは上手くいき、あるいは失敗するというのも、男性の五十歳頃と同様である。あらかじめ防ぐ手立てを知らなければならない

【一日一斎物語的解釈】
女性にとっては四十歳という年齢は、その後の人生を決める大切な年齢である。大いに用心して、慎み深く行動しなければならない。


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第1620日 「五十代」 と 「晩節」 についての一考察

今日の神坂課長は、N鉄道病院名誉院長の長谷川先生、佐藤部長と3人で割烹に居るようです。

「長谷川先生、先日、佐藤とも話したのですが、五十代というのは人生においてとても大切な時期ですよね? 先生の五十歳ごろはどんな状況だったのか、教えていただいてもよろしいですか?」

「私の五十代ねぇ。私は教授になったのは53歳のときなんだよ。それまでに手がけてきた仕事が成果を出し始めた頃でもあるから、すごく充実していたよ」

「当時は53歳で教授になるというのは、お早い方でしたもんね?」

「そうだねぇ。今では40代前半の教授も増えてきたけどね」

「天命を知ったのもその頃ですか?」

「天命か? うーん、どうだろうなぁ。医学の道を進むと決めたのは10代のときだったけど、大腸疾患の領域で仕事をしたいと思ったのは30代になってからだったかな?」

「大腸疾患の研究が、長谷川先生の天命ですか?」

「そう思いたいな」

「やっぱり先生は偉人です! 30代で天命を知ってしまったのですから! ねぇ、部長」

「長谷川先生は、我々凡人とは違うからね」

「ははは、二人揃ってこんな爺さんをおだてて、ここの勘定を支払わせようとでも思ってるのかな?」

「と、とんでもないです!!」

「実は、50代は多くの失敗を経験した時期でもあったんだ」

「え、長谷川先生が失敗?」

「うん、私は部下には厳しく接して来たからね。成果を出せない部下は容赦なく叱ってきたんだけど、教授になってからはそれが酷くなったのかも知れない」

「その失敗のお話を聞かせてもらってもよろしいですか?」

「ある若い医師をうつ病にしてしまったんだ。とても有能な子だったけど、ちょっと手を抜くクセがあってね。それが許せなくて、かなり追い込んでしまったんだな」

「その先生はどうなったのですか?」

「医局を辞めてしまった。それから地元にもどって小さな村の診療所で働いていると聞いてい
る。その後、会ったことはないんだけどね」

「そうだったんですか」

「五十代というのは、経験を積んで良い仕事ができる年齢でもある反面、調子に乗って失敗をする危険性も高くなってくる年齢と言えるんじゃないかな。即断即決できるからこそ、なにごとも慎重に対処すべきなんだろうね」

「長谷川先生、ありがとうございました。ちょうど五十代の部長にとって大変有意義なお話を聞けたということで、ここは佐藤がしっかり奢りますから御遠慮せずにお食事なさってください」

「えーっ?」 


ひとりごと

小生もいま52歳です。

まさに五十代の入り口にたどり着いた今、自分の至らなさから晩節を汚しかねない状況下にあります。

慎みを忘れず、感謝の気持ちをもって、日々を過ごしていく所存です。


【原文】
齢五十の比(ころ)、閲歴日久しく、練磨已に多し。聖人に在りては知命と為し、常人に於いても、亦政治の事に従う時候と為す。然も世態習熟し、驕慢を生じ易きを以て、則ち其の晩節を失うも、亦此の時候に在り。慎まざる可けんや。余は文政辛巳(しんし)を以て、美濃の鉈尾(なたお)に往きて、七世・八世の祖の故墟(こきょ)を訪(と)い、京師に抵(いた)りて、五世・六世の祖の墳墓を展し、帰途東濃の巌邑(いわむら)に過(よ)ぎりて、女兄に謁(えっ)す。時に齢適(まさ)に五十。因て、益々自警を加え、今年に至りて犬馬の齢六十有六なり。疾病無く事故無く首領を保全せり。蓋し誘衷(ゆうちゅう)の然らしむるならん。一に何ぞ幸なるや。〔『言志後録』第241章〕

【意訳】
年齢が五十歳になる頃には、多くのことを経験して積み重ね、かなりのことに習熟してくるものである。聖人(孔子)においては天命を知る頃であり、通常の人でも政治に従事する時期であろう。しかも世間ずれをなしたり、驕りの心が生じて晩節を失うのもこの時期においてであろう。大いに慎まなければならない。私は文政四年に美濃の鉈尾(今の岐阜県美濃市)に赴き七代、八代の先祖の昔の館址を訪れ、京都に出て五代、六代の墓を参り、その帰途に東濃の巌邑(現岐阜県恵那市岩村町)に寄って姉に会った。それがちょうど五十歳の頃であった。それから益々自警して今年六十六歳となった。病気もなく事故にも遭わず一命を全うしてきた。これは天がまごころをもって自分をよい方向に導いてくれたお陰であろう。なんと幸せなことであろうか

【一日一斎物語的解釈】
五十歳になる頃は、経験を積んで大きな仕事ができる時期である半面、驕りや勘違いによって晩節を汚すきっかけとなる時期でもある。細心の注意を払って、仕事や人付き合いに臨む必要があるのだ。


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第1619日 「観」 と 「察」 についての一考察

今日の神坂課長は、営業部の佐藤部長と夕食を共にしているようです。

「一斎先生によるとね、私のように五十を過ぎた人間は、『察の領域に入らなければいけないと言われているのだ」

「『察の領域ですか?」

「そう。天命を知り、それを楽しむ領域に入っていなければならないということらしいんだ」

「部長は天命を知り得たのですか?」

「いやいや、そう簡単なことじゃないよ。まあ、私は医療機器販売の世界で生きてきたわけだから、感覚的には医療の進歩に携わり、地域医療の発展に貢献していくということだろうとは思うんだけど、まだ腹に落ち切っていないんだよね」

「私もさっぱりわかりません」

「神坂君の年齢は、一斎先生によれば、『観』のときだと言っている。じっくりと深く道理を見極める時期だということかな」

「道理を見極める、ですか? なかなか難しいことですね」

「いずれにしても、我々医療機器屋は、医療機器の提供という手段を通して、実現したいものを実現させるしかないんだろうけどね」

「医療機器の販売は目的ではないということですね?」

「そう。我々の仕事は医療機器を売ることではない。最適で安全な医療機器の提供を通じて、地域医療に貢献していくことが目的だ。ただし」

「ただし?」

「そこからは、各自がそれぞれの実現すべき志を持たなければいけないんだと思う。神坂君と私では、志が違ってよいということだね」

「志は違わなければいけないのですか?」

「ははは。そんなことはないだろうけど、やはり十人十色で、それぞれの強みを生かした形で自己実現を図
るべきじゃないのかな?」

「難しい話ですが、いまはとにかく古典を学び、それを泥臭く実践に活用して気づきを得て、それをまた次の学びや実践に活かしていくということを繰り返していこうと考えています」

「すばらしいことだよ。私も同じくだ。天命が見えてくるまで、愚直に学びと実践を繰り返していくしかないね」


ひとりごと

『論語』の解説書によると、視と観と察とは、「みる」という行為ではありますが、視から観、観から察に行くほど、深く掘り下げいくその深さに違いがあるとされています。

「視」と「観」は、物の外面をみること、「察」とは内面をみることだとも解説されています。

なにを「みる」のかといえば、「視」は人の行動や言動をみる。

「観」はその人のこれまでの経歴(来し方)をみる。

「察」とはその人の志をみる、ということのようです。

年齢を重ねるにつれて、言葉や表情から相手の心の内をみる力をつけていかねばならない、ということでしょう。


【原文】
余自ら視・観・察を飜転(ほんてん)して、姑(しばら)く一生に配せんに、三十已下(いか)は視の時候に似たり。三十より五十に至るまでは、観の時候に似たり。五十より七十に至るまでは、察の時候に似たり。察の時候は当に知命・楽天に達すべし。而して余の齢今六十六にして、猶お未だ深く理路に入る能わず。而るを況や知命・楽天に於いてをや。余齢幾ばくも無し。自ら励まざる容(べ)からず。〔『言志後録』第240章〕

【意訳】
『論語』為政第二篇に「其の以(為)す所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察す」とあるが、これを拡大解釈して人の一生にあてはめてみると、三十歳以下は「視」の時期にあたるのではないか。三十歳から五十歳までは「観」の時期、五十歳から七十歳までは「察」の時期にあたるであろう。「察」の時期には知命・楽天に達していなければならない。私は六十六歳になるが、いまだに道の深遠に達せずにいる。ましてや知命・楽天などは届くべくもない。残りの人生も長くはない、自ら励まざるを得ない

【一日一斎物語的解釈】
『論語』為政第二篇の「視・観・察」を人の人生に当てはめるならば、三十歳までは「視」のとき、三十〜五十歳までは「観」のとき、五十〜七十歳までは「察」のときと言えよう。そう考えてみれば、七十歳までには、自分の天命を知り、天命を楽しむ境地に達していなければならないことになる。残された人生を考えれば、一刻の猶予もない。


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