一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

佐藤一斎

第1677日 「語り」 と 「想い」 についての一考察

営業2課の新人、梅田君が凹んでいるようです。

「どうした、梅田。いつもの元気がないじゃないか?」
神坂課長が声をかけたようです。

「昨日、先生方を前にしてプレゼンをしたのですが、全然興味を惹けなかったんです。しっかり準備もして、石崎さんにロープレもやってもらったのですが・・・」

「良い経験をしているじゃないか。初めからうまくいったら調子に乗るから、それくらいがちょうど良いんだよ」

「もっとうまく話せるようになりたいです。課長、どういう勉強をしたら良いのでしょうか?」

「そうだな。その製品が使われる場面をたくさん見て、何が一番お役立ちできるポイントなのかを学ぶのが一番だろうな」

「課長、私の話を聞いていましたか? 人前で上手に話しができるようになるために、何をしたら良いかを聞いたのですが・・・」

「だから! 大事なのは自分がプレゼンする商品に惚れ込むことなんだよ。これなら絶対にお役に立てると思う気持ちが一番重要なんだよ」

「意味がわかりません」

「いいか、梅田。結局、プレゼンとうものは何を言うかより誰がいうかが重要なんだ。スピーチは上手に越したことはないが、それ以上に重要なのがプレゼンする人間、あるいはその人間の心なんだよ」

「心・・・ですか?」

「そう。先生方だってお前が若いことくらい、見ればわかるだろう。正直に言って、舐められているという部分はあるよ。でもな、そこでお前がその商品を本当に大好きで、間違いなくお役立ちができるので是非使って欲しい、という熱い想いを全面に押し出してプレゼンをすれば、空気が変わるんだよ」

「そういうものですか?」

「俺の経験から言えば、そういうものだ! そういうプレゼンを繰り返していけば、いつしかお前がプレゼンをするというだけで、初めから興味をもって聞いてくれる先生が増えてくるはずだ」

「熱い営業マンはウザがられませんか?」

「全員から評価をもらおうとするな。同じような熱い想いをもった先生の心に届くプレゼンをすればいいんだ。俺はずっとそうしてきた。もちろん、ウザがられることもしょっちゅうあっ
たよ。でもな、結局は、医療を変えていく先生というのは、熱い先生なんだよ!」

「わかりました。商品のセールスポイントを徹底的に調べてみます!」

「それがわかったら、もう一度俺のところに来い。そのときに、プレゼンのコツも教えてやるよ」

「なんだぁ、課長。プレゼンから話をそらしたからプレゼンは苦手なのかと思っていましたよ。ちゃんとプレゼンのコツも教えてくれるんですね?」

「お前なぁ・・・」


ひとりごと

「何を言うかより、誰が言うかが重要だ」、という言葉は良く聞く言葉ですね。

それなら無名の人間は駄目なのか?

決して、そんなことはないはずです。

要するに、どれだけ語る内容に想いが籠められているかが重要なのではないでしょうか。

もちろん、一斎先生が言うように、人間力を高めて自然に聴衆の心をつかむオーラを身に纏うことができるなら、それが理想ではありますが・・・。


【原文】
講説は其の人に在りて、口弁に在らず。「君子は義に喩り、小人は利に喩る」が如きは、常人此れを説けば、嚼蠟(しゃくろう)味無きも、象山此を説けば、則ち聴者をして愧汗(きかん)せしむ。視て易事(いじ)と為す勿れ。〔『言志晩録』第43条〕

【意訳】
講義というものは講義する人がどのような人物かということが重要であって、弁舌の上手下手にあるのではない。『論語』に「君子は義に喩り、小人は利に喩る」とあるが、これを一般の人が説けば、蝋燭を噛むようなもので味気ないものになる。ところが陸象山が説けば、聴く者は脂汗を流すことになる。講義を行うことは容易なことでないことを知らねばならない

【一日一斎物語的解釈】
人に何かを説く時は、何を言うかより誰が言うかが重要であることが多い。本当に理解させたいと思うなら、人物を磨くしかないのだ。


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第1676日 「語り」 と 「鍛錬」 についての一考察

神坂課長は、歴史好きが偉人を語る会に参加し、午後の史跡巡りを楽しんでいるようです。

「ここは、本證寺といって、三河一向一揆の舞台となった城郭寺院です。ここには聖徳太子絵伝という重要文化財が所蔵されています。この絵伝は全十幅からなり、通常よくある四幅の絵伝に比べて描かれている物語の数が格段に多いのが特徴で、数ある聖徳太子絵伝の中でも傑作とされるものです」
安城ふるさとガイドの会のガイドさんの説明です。

「実物は見れないのですね?」

「はい、残念ながら。ここに以前に展示会に出展された際のカタログがあります」

その後、一行は本證寺からほど近い松韻寺にやってきました。

「ここには、全国でも極めて珍しい聖徳太子馬上像があります。住職さんが写真を撮っても良いと言ってくれていますので、ご自由にどうぞ」

「おー、これは珍しいですね。年代はいつ頃のものなのですか?」

「年代はわかっていませんが、もしはっきりしたらこれもなかなかお目にかかれなくなってしまうかも知れませんよ」

一行は写真を撮って外に出ました。

歩きながら会の主催者徳川さんと神坂課長が話をしているようです。

「私自身が語り部をやるときは、すべて音を録音して後で聞きなおしています。無駄な音はないか、もっと良い言い方はないか、嘘は言ってないか、といったことを後で確認するのです」

「凄いですね。そこまでやるのですか?」

「素人だと言っても、歴史を語るのですから、なるべく間違ったことは言いたくないですからね。それが自分自身の鍛錬にもなります。私は営業部門の責任者をやっているので、仕事にも充分活かせますよ」

「徳川さんも営業ですか! 私もです。なるほど、たしかにそうですね」

「そうやって鍛錬を重ねれば、次第に人の心に響く話ができるようになるのです。中田さんも市川さんもそうやって少しずつ鍛錬されて成長されているのですよ」

「素敵ですね。もちろん聞きにきてくれた人のことを考えなければいけないのでしょうが、その前にまずは自分の語りを鍛えることが先だということですね」

「はい。言い方を間違えると不遜に聞こえますが、やはりまずは自分自身の心の持ちようが大事だと思うのです」

「私も会議での自分の話を録音してみます」

「こういう小さいレコーダーでも充分に音は聞き取れますよ。それにこれはUSBのタイプなので、そのまますぐにPCで編集もできます」

「徳川さん、ありがとうございます。さっそく実践してみます」

「そして、いつか語り部もお願いしますね!」


ひとりごと

本章の一斎先生の言葉は、取り方を間違えると危険ですね。

講義をする際に、自分にとって有益であれば、聞く人のことはどうでも良い、と取れなくもありません。

しかし、ここはそういうことではないでしょう。

徹底的に自分の在り方ややり方を見直し、鍛錬を重ねれば、自然と聞く者の心に化学変化を起こすことができる、と言っているのだと理解します。

そうでなければ、名だたる偉人が一斎先生を慕って、一斎先生の下で学問をするはずはないですよね?


【原文】
講説の時、只だ我が口の言う所は我が耳に入り、耳の聞く所再び心に返り、以て自警と為すを要す。吾が講、已に我れに益有らば、必ずしも聴く者の如何を問わず。〔『言志晩録』第42条〕

【意訳】
講義をする際、ただ私が口から発した言葉が私の耳に入り、私の耳が聞いたことがふたたび私の心に返ってくることで、自分を戒めることが肝要である。私の講義が私自身にとって有益であるならば、必ずしも聴く者がどのように受け止めるかは問題ではない

【所感】
人前で語るときは、その内容についてしっかり反省し、常に向上心を忘れないようにすべきだ。そういう想いをもって語るなら、聴く人の心に化学変化を起こすことができるだろう。


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第1675日 「収斂」 と 「流動」 についての一考察

今日の神坂課長は、歴史好きが偉人を語る会に参加しているようです。

本日の語り部、市川さんが休憩をはさんで80分間、本日の偉人・蘇我馬子について、聴く人を飽きさせることなく語り終えました。

その後は、午後の史跡巡りとなりますが、その前に参加者でランチを食べているようです。

「いやー、今回初めて参加させてもらったのですが、市川さんの知識は凄いですね。それにまとめ方も上手で、あっという間の80分でしたよ」
神坂課長です。

「ありがとうございます。最初は、緊張しまくって大変だったのですが、何度かやらせてもらううちに病みつきになってきました」

「この会を始めるきっかけは、私と一緒に会を主催している中田さんが、家康検定で99点をとったということを聴いて、そんな素晴らしい知識を独り占めしているのは惜しい。ぜひ、人前で語るべきだと言ったところから始まったのです」
会の主催者の徳川さんです。

「私も最初は丁重にお断りしたのですが、徳川さんの圧力に押されてやることになりましてね。でも、やることが決まってからも、何度『やっぱりやめますと電話しようか悩んだくらいです。(笑)」

「そう言っている中田さんですが、今では堂々と話をされますし、何より午後の史跡巡りは毎回すべて中田さんのコーディネートで開催されていますからね」

「そうなんです。今や私のライフワークになりました」

「人前で語るためには、それなりの準備が必要です。今までの知識を整理する良い機会にもなりますし、なにより、人前で語る緊張感というのは誰でも味わえるものではありません。しかし、人間は時には心の精気を思い切り動かすことが大事でして、緊張を持って語るというのは、まさに心の精気を動かすのには最適なのです

「なるほどなぁ。たしかに準備なしで80分は語れませんよね。それに準備をしっかりしていなければ、緊張感に負けてしまうでしょうしね」

「神坂さん、そうなんです。でもね、しっかり準備をして何とか語り終えた時の達成感は、なにものにも代えがたいものがあります。あの達成感と脱力感を味わいたくて、この会を続けているようなものです」

「中田さん、わかる気がします」

「人間は、時には心の精気を思い切り動かし、また時には瞑想などによって心の精気を鎮めるということを繰り返す必要があるのです。それでこそ心は健全でいられるのです。両端の極まで触れる経験をしているから、日ごろは平穏でいられるものなのです」

「徳川さんはプロデューサーみたいですね」

「ははは。それは、褒めすぎです。ただ、中田さんや市川さんに人前で語る喜びを知ってもらえたことは、本当に良かったと思っていますよ。これからもそういう人を少しずつ増やしていきたいのです」

「じゃあ、私もいつか語らせてもらいますよ。しかし、その前にしっかり勉強しないと!」

「神坂さん、期待してお待ちしています。さぁ、それでは午後の史跡巡りに出かけましょう。今日は聖徳太子にゆかりの寺院を訪れる予定です」


ひとりごと

読売ジャイアンツ終身名誉監督の長嶋茂雄氏は、かつて「プレッシャーを楽しむ」という名言を残しています。

何か新しいことに挑戦する時には多かれ少なかれプレッシャーを感じるものです。

そして、そのプレッシャーのさなかには、もうやめてしまおうかと悩むこともあるでしょう。

しかし、それを乗り越えて何かを達成すれば、大きな達成感や充実感を得ることができます。

これこそ、「心の精気を流動させる」ということでしょう。

ただし、流動させっ放しでは心が疲れてしまいます。

あるときは瞑想などによって、一人静かに考える時間をもつことで、心の精気を鎮めることも必要だと一斎先生は言っています。

こうして両極端を味わうことで、はじめて真ん中がどこにあるかがわかり、平生は心を落ち着けて生活ができるようになるのでしょう。


【原文】
余の義理を沈思する時は、胸中寧静にして気体収斂するを覚え、経書を講説する時は、胸中醒快(せいかい)にして気体流動するを覚ゆ。〔『言志晩録』第41条〕

【意訳】
私が正しい道について沈思黙考するときは、胸の中が安らかに落ち着いて精気が収縮するように感じ、経書を講義する場合には、胸の中が明晰で爽やかになり精気が流動するのを感じる

【一日一斎物語的解釈】
心の精気というものは、時には瞑想をして鎮め、時には人前で語るなどして活発に動かすことを意識するとよい。


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第1674日 「徳」 と 「言」 についての一考察

今日の神坂課長は、佐藤部長と一緒に「季節の料理 ちさと」にやって来たようです。

「あら、神坂君。なんか久しぶりね」

「ママ、ご無沙汰してごめん。俺に会いたかったでしょ?」

「そうねー」

「なんだよ、その嘘くさい笑顔は。完全に『心と裏腹ですって顔に書いてあるじゃん」

「お、神坂君。人の心を読むのが上手になったわね!」

「当たってるんかい!!」

二人はカウンターに腰かけたようです。

「心と裏腹といえば、先日、暇だったので、家でずっと参院選の候補者の政見放送を観ていたんですけどね」

「面白い時間のつぶし方だね」

「いや、実は例のN国の立花氏の政見放送を観るつもりだったのですが、そこからついつい色々な候補者のも観てしまっただけなんです」
「なるほど」
「それで、凄く感じたのは、今の政治家は言葉だけを飾っているのですが、誠をまったく感じないんです。立花氏にいたっては、政見放送で『カーセックス』を連呼する輩ですから、問題外ですけどね」

「たしかに今の政治家が四書などの経書をどれだけ読んでいるのかは疑問だもんね。古典を読んで、実践し、徳を積んでいないから、誠がないんだろうなぁ」

「徳を積んでいないからか・・・。隠徳を積むってやつですね?」

「そうだね。人知れず努力し、心を磨くということをしないと徳が磨かれない。それをしていない人の言葉には誠がないから、相手の心に響かないんだろう」

「私の言葉もどれだけメンバーに響いているのか、心配になってきました」

「大丈夫だよ。神坂君の話には実践で学んだリアリティがあるからね。言葉を飾らなくても、想いが伝わってくるよ」

「ありがとうございます。部長はいつでも部下を持ち上げる天才ですね!」

「あれ? 今の言葉には誠を感じなかった?」

「いやいや、そういうことじゃないですよ。ママ、料理まだー?」

「はいはい、今日は高知県産のヒラマサのお刺身です。ブリ御三家と呼ばれるお魚のなかでも、一番おいしいのよ」
「ブリ御三家?」

「ブリ、カンパチ、ヒラマサをブリ御三家って呼ぶの」

「どれどれ。おーーーっ、旨い。旨過ぎる!!」

「よし!」

「えっ?」

「今の言葉には誠を感じたわ!」


ひとりごと

『論語』の言葉に、

徳有る者は必ず言あり。言ある者は必ずしも徳有らず。(憲問第十四)

とあります。

徳を積めば自然と言葉に誠が籠るということでしょう。

言葉を磨くことも大切ですが、心を磨かずして言葉を磨いても意味がないということです!


【原文】
古の儒は立徳の師なり。「師厳にして道尊し」。今の儒は則ち立言のみ。言、徳に由らざれば、竟(つい)に是れ影響のみ。何の厳か之れ有らん。自ら反(かえ)りみざるべけんや。〔『言志晩録』第40条〕

【意訳】
昔の儒者は徳を有している師であった。「師に尊厳があれば、その説く道も尊くなるものだ」。今の儒者は言葉だけである。徳のない人の言葉は、実態を伴わないので空虚であって、尊厳さなどはまったくない。よく反省してみなければならない

【一日一斎物語的解釈】
徳のない人の言葉は人の心を揺さぶることはない。実践から学び、徳を身につければ、言葉はさほど重要ではない。


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第1673日 「逆境」 と 「天理」 についての一考察

今日の神坂課長は、営業1課の新美課長と昼食を共にしているようです。

「昨日のニュースで、久しぶりに池江璃花子ちゃんの姿を観たよ。一見すると元気そうに見えるけど、病状は一進一退らしいな」

「私は池江さんのニュースを観るたびに、胸が締め付けられるような気持ちになります。東京オリンピックが目の前に迫っているのに、レースに出るどころか、ずっと病院に入院しているなんて、本当に辛いでしょうね」

「本当にな。ご両親なんか代わってあげられるものなら、代わってあげたいと思っているだろうな」

「池江さんのことを考えると、神様なんていないのかなと思ってしまいますね」

「本人にはとてもこんなことは言えないけど、きっと何か意味があるんだと思う。この病気に打ち克てば、今の経験がきっと大きく役に立つはずだよ」

「本当にそうでしょうかね?」

「そう信じるしかないんじゃないか。池江ちゃんにはそう信じて、戦って欲しいな」

「まあ、たしかに辛い経験というのは、乗り越えることができれば、人生の糧にはなりますね。私も、いくつかそんな経験を積んできましたし」

「うん。神様なのか、お天道様なの、仏様なのか、名前はどうでもいいんだけど、俺はそういう見えない何かによって人は生かされていると思うんだよ」

「なぜそう思うのですか?」

「だって、どうしようもない暴れん坊だった俺がこの会社に入ったのは偶然だとは思えない。この会社に入って、佐藤部長に会わなかったら、俺は今頃どうなっていたのかと思うと、怖くなるぞ」

「なるほど。私はそういう神坂さんから、また沢山学ばせてもらっていますしね」

「え、そう。嬉しいこと言ってくれるじゃない。どんなところを学んでるんだよ?」

「正直、若い頃はこの人には近づかないようにしようと思っていましたから。そんな神坂さんが佐藤部長に少しずつ感化されて、課長になってからはすごい短期間で成長されています。どんな人間でも志がしっかりすれば変わるんだなぁとあらためて教えてもらいましたよ」

「それって、褒められているのだろうか?」

「どうなんでしょう? 褒めるというか、素直な気持ちです」

「ははは。まあ、そういうことだよ。きっと人間は大自然の摂理によって生かされているんだ。それに気づくには辛い経験が必要なんだろう。俺にとっては榊が辞めた一件が大きかった」

「ああ、榊君ですか」

「あの一件は俺にとっての転機だったからな。とにかく、すべての出来事には意味がある。辛い経験をしたときこそ、大自然の摂理が教えてくれていることの意味を理解しようとするべきだ。矢印を自分に向けてな

「池江さん、乗り越えてくれますよね?」

「彼女からパワーをもらってN大の水泳部が大活躍をしたじゃないか。そしてその選手たちが池江ちゃんに生きる力を与えてくれたはずだよ。戻ってくるさ、彼女なら」

「そうですね。そう信じます!」


ひとりごと

逆境を経験し、それを乗り越えた時、人は大きく成長します。

逆境が教えている大自然の摂理を読み解き、人生に活かすことができるかどうかは、自分自身に懸かっているのです。

矢印を他人に向けていては、大自然の摂理には気づけません。

矢印を自分に向けて、何を学び、何を実践するか。

どんなことからも人は学ぶことができるのです。


【原文】
「随処に天理を大認す」と、呉康斎此の言有り。而して甘泉以て宗旨と為し、余姚の良知を致すも、又其の自得する所なり。但だ余姚の緊切なるを覚ゆ。〔『言志晩録』第39条〕

【意訳】
「随処に天理を体認す」とは明の学者呉康斉の言葉である。同じく明の学者、湛若水(甘泉)は、この言葉を奉じて自分の主義主張を立てた。王陽明の「良知を致す」も同じく自得する行為である。ただ、陽明の言葉の方が私には緊要切実に感じる

【一日一斎物語的解釈】
人は、どんな場面からも大自然の摂理を感じることができる。そのためには、自分の心を磨き、常に実践を心がけることが緊要である。


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プロフィール

れみれみ