一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

佐藤一斎

第1698日 「訓詁学」 と 「心学」 についての一考察

今日の神坂課長は、佐藤部長と一緒に「季節の料理 ちさと」で晩酌をしているようです。

「最近、安田登さんという人の『論語』の本を読んだですけどね」

「ああ、能楽師の人だよね。最近、よく『論語』の本を書いているよね」

「はい。漢字に焦点を当てて、『この字は孔子の時代にはなかったから、本当の解釈は〇〇だ』みたいなことを書かれているんです。すごく面白いんですけどね」

「なにか納得がいかないことがあるの?」

「ええ。たとえば、あの有名な『四十にして惑わず』という言葉がありますよね」

「もしかしたら『論語』で一番有名な言葉かも知れないね」

「そうですよね。安田さんは、漢字の歴史を調べて、孔子の時代には『惑』という字はなかったと断定しています。そして、それに近い字として『或』と言ったのではないか、としているんです」

「へぇ、面白いね。その意味は?」

「『或』は『区切る』という意味があるそうで、だから孔子は、『四十にして区切らず』、つまり物事を限定するな、と言ったと結論づけています」

「面白い解釈だね」

「そうなんです、面白いんです。でも、何か肚落ちしないんです。『四十にして限定するな、と言った後に、突然『五十にして天命を知る』というのは、つながりが悪くないですか?」

「たしかにね」

「安田さんの解釈が正しいのかも知れないけれど、私は字の意味や真実はどうかということより、『四十代には、小さなことに一々迷わなくなった』という孔子の生き方に共感を覚えるんです」

「なるほどね」

「古典の解釈って、こう読むべきだ、という感じで読むのではなく、自分はこう感じたからこうしよう、という読み方をする方が良いと思うんです」

「私はそれで良いと思うよ」

「はーい、お待たせしました。秋のおさかなといえば?」

「おー、サンマ?」

「神坂勇、42歳。サンマとくれば、迷わず熱燗をお願いします!」


ひとりごと

潤身読書会という『論語』の読書会を毎月一回5年以上続けてきた小生としては、多くの学者先生が異なった解釈をするのが『論語』であるなら、その解釈はある程度自由で良いのだと開き直れるようになりました。

もちろん、安田登さんの解釈はとても参考になり、本も数冊購入していますので、安田さんを否定するつもりはありません。

安田さんの解釈が面白いなと思えば、それを採用して実践すれば良いと思っています。

なにしろ度量が広く、どんな人間の悩みにも答えてくれるのが『論語』の一番の素晴らしさなのです。


【原文】
漢儒訓詁の伝は、宋賢心学の伝と、地頭同じからず。況んや清人考処の一派に於いてをや。真に是れ漢儒の與タイなり。諸を宋賢の為す所にクラぶるに、夐焉(けんえん)として同じからず。我が党は渠(かれ)の窠臼(かきゅう)に堕つる勿くば可なり。(與たいの「たい」及びくらべるという漢字はワープロ変換できず)〔『言志晩録』第64条〕

【意訳】
漢・唐の時代の儒者による字句に拘った経書の解釈と、宋・明時代の儒者による性理的な経書の解釈とは、その立脚するところが異なっている。まして清の時代の考証学派においては、まったく異なったものであって、彼らはまるで漢・唐の儒者の奴隷のようなものである。彼らを宋・明の儒者と比較すれば、はるかにかけ離れて異なっている。私と学びを共にする者たちが、彼らと同じような過ちを犯すことがなければ良いのだが

【一日一斎物語的解釈】
古典を学ぶときは、字句の意味や出来事の真偽に拘泥することなく、心理を読み解くべきである。


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第1697日 「縦の学び」 と 「横の学び」 についての一考察

今日の神坂課長は、A県立がんセンターの多田先生と本屋さんに来たようです。

「神坂、腹を満たしたら次は心を満たさないとな!」

「先生、ごちそう様でした。お腹は満タンです」

「昔のお前は、腹は満タンでも心は空っぽだったからな」

「否定はできません」

「しかし、ただ本をたくさん読むだけでは心は満たされないぞ。かえって、心が下痢をするだけだ」

「実は最近、ちょっと心が下痢気味です」

「そうだろうと思ったよ。読書が好きになるとそういう時期がくる。しかし、それに気づいただけでも大したものだ」

「どういう読書をすればよいのですか?」

「読書というのは、言ってみれば横方向の学びだ。知識を増やすことはできるが、知識というのは持っているだけでは何の意味もない」

「おっしゃるとおりです」

「一冊の本を読み終えたら、その本の中の最も心に響いた一行で良いから、それを実践して究めていく必要がある」

「それは、縦方向の学びになるのですね」

「そうだ。最近、お前と会話するのが楽しくなってきたよ。ちゃんとそういう答えが返ってくるからな」

「昔はつまらなかったのですか・・・」

「いや、別の意味で楽しんでいた。こんなバカで純粋な奴がこの地球上にまだ生存していたのか? という感覚を楽しんでいたな」

「私は絶滅危惧種ですか?」

「そうかも知れないな。しかし、今のお前はもうそのレベルではないよ」

「うれしいです!」

「さて、取り寄せていた本が届いたらしいから、カウンターに行ってみるか」

「何を取り寄せたのですか?」

「『呻吟語』だ。これも中国古典のひとつだよ。古典といっても、明の時代、ちょうど徳川幕府が成立し
た頃の本だがな」

「どんな本なのですか?」

「簡単に言えば、中国の『言志四録』ってところかな。呂新吾という人が約30年をかけて書いた本だ。公田連太郎の訳注版が良いと聞いたので、取り寄せてみたんだ」

「縦方向の学びになりそうな本ですね」

「じっくり取り組んでみるさ」


ひとりごと

読書のすすめの清水店長が「縦糸の読書」ということを提唱されています。

清水店長は、「縦糸の読書とは、時代が変わっても変わらない知恵であり、横糸の読書とは、その時代の流行(はや)り、その時代にしか通用しない道徳、時代が変わったら善であったモノが簡単に悪になってしまうような知恵のこと」だと言っています。

一斎先生のこの言葉も、「流行に流されず、本物の本を読み、心を磨け」というメッセージなのではないでしょうか?

縦糸の読書を心がけましょう。


【原文】
心理は是れ竪の工夫、博覧は是れ横の工夫。竪の工夫は則ち深入自得し、横の工夫は則ち浅易氾濫す。〔『言志晩録』第63条〕

【意訳】
理を心に究めることは縦方向の学問の工夫、広く読書見聞することは横方向の学問の工夫である。縦の工夫は深く心を究めて自ら悟ることを可能にするが、横の工夫は浅い表面的な知識が多いばかりで意味をなさない

【一日一斎物語的解釈】
学びには縦方向の学びと横方向の学びがある。広く知識を得ること(横方向の学び)にばかり意識が向くと外面的に飾ることとなり意味をなさない。自らの心と取り組むこと(縦方向の学び)が、自分の内面を磨くこととなり、本当の学びとなるのだ。


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第1696日 「知識」 と 「実践」 についての一考察

神坂課長の次男の楽(がく)君が、テニスの試合に負けて落ち込んで帰宅したようです。

「今日は絶対勝てると思っていたから、悔しいというよりショックだよ。俺、あんなに練習したのにな」

「勝負は時の運だからな。長い目でみれば練習は裏切らないだろう」

「『筋肉は裏切らないみたいなこと言わないでよ!」

「なんだそれ?」

「知らないならいいよ。今回は練習しただけじゃなくて、駆け引きの本とかも読んだのになぁ」

「なるほど、それが原因か!」

「え、なんのこと?」

「付け焼刃的に知識を詰め込んだことで、かえって考え過ぎたんじゃないのか?」

「うん、実はそうなんだよ。いつもなら思い切って前に出る場面でも、逆を突かれるんじゃないかと不安になって、前に出れなかった」

「スポーツというのは瞬間瞬間の決断が重要だ。知識を引き出そうとすることも大事だが、自分の勘を信じた方が良い場合もある」

「勉強しない方が良かったのかな?」

本を読んで勉強したことは素晴らしいことだ。でも、まだ自分の知識になりきっていなかったんだろう。読んで学んだことを練習でいろいろ試してから試合に臨む必要がある。その時間が足りなかったんじゃない
か?」

「本を読んだのは試合の前の日だった」

「それはあんまり良いタイミングじゃなかったな。父さんの仕事も同じだよ。営業についてもたくさんの本
が売られていてな。ためになることが沢山書かれてはいる。でもな。実践で何度も試してからでなければ、
本物の知識にはならないんだ」

「そうだよね。どんなにルールに詳しくなっても、駆け引きをたくさん学んでも、実戦で活かせないと何の意味もないもんね」

「そういうこと。だから、学んだら即試してみるんだな。何度も練習して自分のモノになるまでな」

「よし、今日もあの本を読んで、明日の練習で試してみる!」

「次の試合では、楽が優勝しているシーンが目に浮かぶな!」


ひとりごと

知識を詰め込み過ぎると、かえって頭がこんがらかってしまうことがあります。

学ぶことは大切ですが、実践することがより重要です。

かつて、孔子の弟子の子路は、孔子からひとつのことを教えられると、それを身につけるまでは、別の教えを聞くことを恐れたそうです。

一度にたくさん知識を詰め込むより、少し学んでは実践するということを繰り返すべきですね。


【原文】
今の学者は、隘(あい)に失わずして博に失い、陋(ろう)に失わずして通に失う。〔『言志晩録』第62条〕

【意訳】
今の学者先生は、学問が狭くて失敗するのではなく、広すぎるために失敗し、学問が浅いために失敗するのではなく、万事に通じているがために失敗するのである

【一日一斎物語的解釈】
学び過ぎるとかえって行動できなくなることもある。インプットしたら即アウトプットすることを心がけ、トライアンドエラーを繰り返しながら物事を進めた方がよい。


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第1695日 「近道」 と 「回り道」 についての一考察

今日の神坂課長は、営業2課の善久君と同行しているようです。

「課長、私も営業として3年目です。そろそろ一人前の営業マンに見られたいのですが、どこに行っても若手扱いなのが悔しいです」

「実際に若手じゃないか!」

「そうですけど、やっぱり悔しいです。どうやったら一人前の営業マンだと見てもらえるのでしょうか?」

「3年やそこらで一人前の営業マンになられたら、俺の今までは何だったんだってことになるだろう」

「課長の3年目のときはどんな感じだったのですか?」

「俺の3年目か? どうだったかな。どうやったら早く仕事を終わらせられるか、そればかり考えていたな」

「売上や利益について考えていなかったのですか?」

「考えていないわけじゃないけどさ。早く終わらせて、先輩や同期と飲みに行きたい気持ちのほうが強かったから・・・。なんだよ、その冷たい視線は!」

「そんな人でも課長になれるんですね」

「やかましいわ! そのまま今日まで来たわけじゃねぇぞ」

「なにか転機があったのですか?」

「あれは確か4年目の終わりの頃だったかな。大きな商談を決めることができて、院長先生にお礼のご挨拶をした時にな。院長から『こちらこそ、ありがとう。神坂君のお陰で、良い内視鏡室が完成したよ』って言われたんだよ」

「お客様から『ありがとう』と言ってもらえるなんて、すごいですね」

「うん。その時、俺はビックリしたんだ。買ってもらった営業マンに、買ってくれたお客様がお礼を言ってくれるなんてことがあるのかってな」

「うれしいですよね」

「うれしかったなぁ。その時、営業という仕事のすばらしさに気づいたんだ。直接、お客様からお礼を言ってもらえるのは、営業という仕事の
特権だぜ」

「そうですね」

「だからって、その時の俺は、褒めてもらおうとか、一人前の営業マンに見てもらいたいなんて、少しも思わなかった」

「・・・」

「ただ、目の前の仕事を真剣にやったんだ。やりがいのある大きな仕事だったからさ。善久、一人前になるための近道はないような気がするな。とにかくやるべきことをコツコツと積み上げていくしかないんじゃないか?」

「そうですね」

「お客様のお困りごとを解決するために真摯に取り組む。それがお前が成長するための一番堅実なやり方なんじゃないか?」

「課長、ありがとうございます。3年目の頃には酒を飲むことしか考えていなかった人でも課長になれたんですもんね。少し安心しました!」

「お、お前、人の話をちゃんと聞いていたのか?」


ひとりごと

どんな仕事でも、その道を究めようと思えば、三十年は掛かると言われます。

その間、試行錯誤を繰り返しながら、学び、気づき、実践を繰り返すしかありません。

成功に近道はないのでしょう。

近道を探せば、かえって回り道を歩むことになりかねません。

一歩ずつ、歩みを進めていきましょう!


【原文】
義を精にして神に入るは、燧(すい)もて火を取るなり。用を利して身を安んずるは、剣の室に在るなり。〔『言志晩録』第61条〕

【意訳】
『易経』にある「精しく道理を研究し、神妙なる奥義に至る」とは、火打石から火を取り明かりをつけるようなものである。同じく「日常の仕事を有利に処理し身を安泰にする」とは、護身用の剣を部屋におくようなものである。これほど間違いのない方法はない

【一日一斎物語的解釈】
短期間で大きな結果を得ようとすれば、かえって困難に出会うことになる。仕事を進める上では堅実なやり方が一番である。


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第1694日 「学び」 と 「年齢」 についての一考察

佐藤部長は、長谷川先生の自宅を訪れたようです。

「こうして長谷川先生の書斎にお招き頂いたときは、いつも驚くのですが、常に新しい本がたくさん積まれていますよね」

「ああ、今は便利だよね。amazonで頼めば、いつでも本が届くから」

「ビジネス系の新刊も読まれているのですね?」

「やっぱり偏ったものばかり読んでいると、頭が固くなるからね」

「現役を退かれた後も、まだまだ学問を追及し続ける長谷川先生には頭が下がります」

「『老いて学べば、則ち死して朽ちずだからね」

「『三学戒』ですね。しかし、先生は既に名を残されていますよ」

「医療は日進月歩だよ。あと10年もすれば私の仕事なんて、誰も特別視しなくなる。まあしかし、ここから先は医療人としてではなく、一人の人間として少しでも自分を練磨していきたいんだ」

「ああ、私も同じことを考えています。企業人の枠を超えて、一人の人間としてどこまで完成できるか。この年になるとそこが重要に思えてきます」

「うん、佐藤さんのそういう姿を見て、神坂君は見事に感化されてきたね」

「いえいえ、彼自身が目覚めたのです。今となっては本当に頼りになるマネージャーに成長してくれました」

「はじめは苦労してたもんね!」

「はい、何日も眠れない夜を過ごしたこともあります。しかし、彼によって私も磨かれました」

「それは、佐藤さんが諦めず、逃げずに、彼と真剣に向き合い続けたからだよ。今の若い人は、人の短所をばかりを見て、すぐに判断を下そうとするよね。人の上に立つ人間は、部下の人生を左右する権限を握っていることに気づかなければいけないね」

「はい。私はまだ壮年におりますので、『壮にして学べば、則ち老いて衰えず』を意識して、学びを深めていくつもりでおります」

「神坂君が後ろから追いかけて来ているもんね」

「はい。まだまだ抜かれるわけには行きません。(笑)」


ひとりごと

この章句は、通称「三学戒」と呼ばれています。

岐阜県恵那市岩村町にある岩村歴史博物館の敷地内には、一斎先生の銅像とともに、この三学戒の句碑が建てられています。

もしかしたら、『言志四録』1133章のうちでも、もっとも有名な章句かも知れません。

先日、小生も転職の報告をしに、一斎先生にお会いしてきました。

小生もまだまだ壮年です。

老いて衰えないように、精進して参ります。


【原文】
少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。 壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。〔『言志晩録』第60条〕

【意訳】
若くして学べば、壮年時代になって良い仕事ができる。壮年時代に学べば、老いて衰えない。老いてなお学べば、死んでもその名が朽ちることがない。

【一日一斎物語的解釈】
若くして学べば、壮年時代になって良い仕事ができる。壮年時代に学べば、老いて衰えない。老いてなお学べば、死んでもその名が朽ちることがない。


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第1693日 「疑問」 と 「成長」 についての一考察

今日の神坂課長は、営業2課の石崎君と同行しているようです。

「梅田のヤツ、なんでもかんでも質問してくるので、参ってしまいますよ」

「ははは。それは大変だな」

「笑い事じゃないですよ! 私は『少しは自分で考えろ』って言うのですが、またすぐ質問してくるんです」

「たしかに、自分で考えるクセをつけさせることは重要だな。でもな、疑問がないヤツよりは疑問を持っているヤツの方が成長するものだぞ」

「そうですかねぇ?」

「なんでも、『はい、わかりました』なんて言う奴は、本当にわかっているのか心配になるよ。しっかり質問してくれると理解しようとしてくれていることがわかるだろう?」

「それはそうかも知れないですけど・・・」

「少しくらいデキの悪い後輩の方が、なんでもテキパキ処理する後輩より、多くのことを教えてくれるものだよ」

「ああ、たしかにそうです。梅田に聞かれるかも知れないと思って、今まで以上に製品のこととか、お客様のことをしっかりと調べるようになりました」

「そうだろう」

「私は上司に質問するのは、良くないことだと思っていました。自分で調べて自分で解決することが大事だと思っていたので」

「それは決して間違いじゃないさ。でもな、やっぱり上司は多くの知識や豊富な経験を持っているからな。それを活用しない手はないぜ」

「そうですねぇ。私ももっと課長に質問しても良いですか?」

「もちろんだ!」

「実は、最近彼女と結婚について話をするんですけどね・・・」

「お前、もう身を固めるのか?」

「いや、私はもう少し自由でいたいなと思っています。結婚したら、自由に使えるお金も減りますよね?」

「まあな」

「ちなみにですけど、課長の月のお小遣いはいくらなんですか?」

「えっ、そ、それはな。お前たち若い連中の夢を奪うことになるから、言わないでおくよ」


ひとりごと

年齢と共に仕事に馴れて、新たな疑問を抱きにくくなるものです。

しかし、それは成長の鈍化なのだと一斎先生は言います。

常に新たな疑問を抱き、それを解決するために、新たなインプットを求める。

その繰り返しが、柔軟な発想を生み、成果へとつながるはずです。

疑問を失ったとき、人は老いるのだということを忘れないようにしましょう。


【原文】
余は年少の時、学に於て多く疑有り。 中年に至るも亦然り。 一疑起る毎に、見解少しく変ず。即ち学の梢(やや)進むを覚えぬ。近年に至るに及んでは、則ち絶えて疑念無し。又学も亦進まざるを覚ゆ。乃(すなわ)ち始めて信ず、 「白沙(はくさ)の云う所、疑いは覚悟の機」なることを。 斯の道は無窮、学も亦無窮。今老いたりと雖も、自ら厲(はげ)まざる可けんや。   〔『言志晩録』第59条〕

【意訳】
私は少年時代、学問について多くの疑問をいだいていた。それは中年になっても同様であった。一つの疑問が起る度に、私の学問は少しずつ変化してきた。つまり学問が少しずつ進歩するのを自覚してきたのである。近年になって、全く疑う心が影を潜めた。それにより学問の進歩も自覚できなくなっている。私ははじめて、「明の陳白沙先生の言葉『物を疑うということは、悟りを得る機会である』を信ずるようになった。聖人の道は窮まり無く、学問も同様に窮まり無い。いま私は年老いたが、いっそう学問に励まねばならない

【一日一斎物語的解釈】
疑問を持つことは、人間として成長する上で非常に重要なことである。疑問が生じるから、それを解消するために、新たな学びを得ることができる。疑う心を失ったとき、人は老いるのだ。


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第1692日 「座右銘」 と 「実践法」 についての一考察

今日の神坂課長は、元同僚西郷さんの『論語』の読書会に参加しているようです。

「孔子の弟子たちは、孔子の言葉を各自が各々の方法で大切にしているのです」

「どんな方法ですか?」
神坂課長が質問したようです。

「たとえば顔回は、常にそれを実践しますと言っているし、子張は自分の常に身につける着物の帯に言葉を書き付けたというし、子路は日々暗誦したそうだよ」

「私は最近はすっかり子路のファンになったので、子路と同じく好きな言葉を毎日暗誦しようかな」

「いいね。方法はどうあれ、片時も忘れないようにするという意味では三者とも同じだよね」

「たしかにそうですね。私なんかは、座右の銘はこれです、なんてカッコいいことを言いながら、普段はその言葉を忘れていますからね」

「神坂さん、それは私も一緒ですよ」

「杉田さんもですか? 杉田さんなら常に意識して行動しているのかと思っていましたよ」

「実は手帳の最初のページに書いてあるんですけど、それでも毎日見返すことができていません。まだまだです」

「中江藤樹先生は、お弟子さんたちと毎朝『孝経』を読み上げたそうだよ」

「朝をそういう方法でスタートするというのは凛として良いですね。ところで、サイさんは、どういう方法で大切な言葉と取り組んでいるのですか?」

「私も子路と同じく、暗誦する派だな。実は最近、『教育勅語』の素晴らしさにあらためて気づかされてね。今は毎朝読み上げているんだよ」

「暗記したんですか?」

「できれば最後は暗誦したいと思っているけど、この年になると記憶力が低下してね」

「『教育勅語』に『孝経』か。どれも魅力的だなぁ。私も毎朝暗誦できるものを見つけます!」


ひとりごと

小生は最近、『教育勅語』の素晴らしさに改めて気づき、時々暗誦しています。

ロクに内容も知らない人に限って、『教育勅語』は戦争を美化する危険思想だと言います。

本当にしっかりと読み込んだ上でそう言っているのでしょうか?

もし「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼す」という部分が問題だというなら、百歩譲って、そこだけを改訂すればよいのではないでしょうか?

それとも、「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ」という部分もおかしいというのでしょうか?

極論で物事を論ずるべきではないと断じます!!


【原文】
顔淵、仲弓は、「請う斯の語を事とせん」と。子張は「諸を紳に書す」。子路は「終身之を誦す」。孔門に在りては、往往にして一二の要語を服膺すること是の如き有り。親切と謂う可し。後人の標目の類と同じからず。〔『言志晩録』第58条〕

【意訳】
孔子の高弟で徳行で優れているとされる顔回と仲弓は、「孔子から教えられた言葉を一生大切にして実践します」と言っている。子張は「孔子の言葉を帯に書き付けた」とされる。子路は「孔子から教えられたことを一生暗誦します」と言った。孔子の門下にあっては、弟子たちはこのように一つ二つの重要な言葉を拳拳服膺した。その身に切実であったと言えよう。後世の人々が目標としたのとはまったく異なる行為であったる。

【一日一斎物語的解釈】
自分自身が座右の銘とする言葉については、自分なりの方法で大切にし、真摯に取り組むべきである。


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第1691日 「正義」 と 「多様性」 についての一考察

今日の神坂課長は、総務課の大竹課長と食事をしているようです。

「世界では相変わらず宗教的な対立が後を絶ちませんね」

「そうだなぁ。まあ、日本でも仏教の宗派が対立しているなんていうのもあるからね」

「なんだか本末転倒な気がしますよね。信者に心の安らぎを与えるのが宗教なんじゃないのかなぁ」

「まったくだね。なにか一つの宗旨だけを正しいものだと決めつけるから、そういう間違った考え方や行動が生まれるんだろうな」

「自分だけが正しいという考え方は危険ですね。人それぞれに意見や考え方の違いがあることを認めて、ゆるやかにつながる社会を目指したいですね」

「多様性を認めるってことかな。すくなくとも職場や家庭はそうありたいな」

「とはいえ、自分の心に軸がないと、相手の意見に簡単に左右されるやすくなりますよね。まずは自分の確立が最優先というところでしょうか?」

「心に軸を持ちつつも、相手の意見には敏感に、時には自分の考えを改める準備をしておくということか」

「そういう心構えができたら素晴らしいですね」

「神坂君は、まだそこまでは達してないの?」

「見てお分かりのとおりですよ。特に部下から何か意見を言われると、つい論破してやろうと思ってしまいますから」

「そして、論破できそうもないとわかると・・・」

「地位と権力を利用して、圧力をかける」

「最低だね!」

「なんか今のは誘導尋問だよなぁ。いまはその最低レベルからは脱出しつつあるとは思うのですが」

「たしかに神坂君は変わった。カミサマだけに、そろそろ新しい宗教を立ち上げるんじゃないかと心配しているよ」

「それじゃ、余計にダメじゃないですか!」


ひとりごと

最近、常々思うのですが、自分の考えを正しいと思い込むことはとても危険なことですね。

自分とは違う意見を正の反対、つまり悪だと捉えがちになります。

日本は八百万の神を信奉する国です。

日本人は多様性を受け入れやすい国民のはずです。

多様性を受け容れてゆるやかにつながる社会を目指すべきですね。


【原文】
古人は各々得力の処有り。挙げて以て指示するは可なり。但だ其の入路各々異なり、後人(こうじん)透会(とうかい)して之を得る能わず。乃ち受くる所に偏して、一を執りて以て宗旨と為し、終に流弊(りゅうへい)を生ずるに至る。余は則ち透会して一と為し、名目を立てざらんと欲す。蓋し其の名目を立てざるは、即便(すなわち)我が宗旨なり。人或いは議して曰く、「是(かく)の如くんば、則ち柁(かじ)無きの舟の如し、泊処(はくしょ)を知らず」と。余謂う、「心即ち柁なり。其の力を著(つ)くる処は、各人の自得に在り。必ずしも同じからざるなり」と。蓋し一を執りて百を廃するは、卻(かえ)って泊処を得ず。 〔『言志晩録』第57条〕

【意訳】
昔の人が各々自得した所をもって世間に顕示することはよい事である。ただ、その自得の方法は各々異なっているので、後世の人が同じように自得することは難しい。つまり、教えられたことに片寄って、特定のものをとって宗旨とするために、遂には弊害を生ずることになる。私は自得することを第一として特定の名目に振り回されないようにしている。思うに、名目を立てない所が、私の宗旨だといえよう。人がそれを批評して「それでは、柁の無い舟のようなもので、舟の定着場所がわからない」というであろう。私はこう考える、「そもそも自分の心こそが柁なのである。その力の着け所は、各人が自ら悟るところにあるのだから、必ずしも同じ型にはめようとする必要はない」と。一つの宗旨に偏って他の百の事を廃してしまったたならば、かえって舟の定着場所が得られなくなるであろう

【一日一斎物語的解釈】
ある特定の考え方だけを信奉して、他を排するような考え方は行為は慎むべきである。思考は常に臨機応変であってよいのだ。


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第1690日 「矢印」 と 「自省」 についての一考察

今日の神坂課長は、久しぶりに相原会長と夕食をしているようです。

「会長、最近あまり私の席に来てくれなかったですね」

「忙しい人を邪魔しちゃいけないからね!」

「それ本心ですか? なんか嘘くさいなぁ」

「バレたか。実はね、姉の具合が悪くて、この2週間くらい実家に戻っていたんだよ」

「あ、そうだったのですか、すみません」

「いいの、いいの。一時はかなり危なかったんだけど、なんとか峠は越したみたいだからね」

「それは良かったですね」

「姉はもともとかなりオテンバな人でね。結構周りには迷惑をかけてきた人なんだよね。3度も離婚しているしね」

「バツ3ですか? 芸能人みたいですね」

「そんな姉が弱気になって、こんなことを言ったんだよ。自分はなにか良くないことがあると、すべて他人のせいにしてきた。自分は間違っていないって。でも、そうやって他人のせいにばかりしてきたから、結局、幸せな人生を送れなかったってね」

「矢印を自分に向けろってことですね」

「うん。姉にとっては僕はいつまでも弟なんだよね。お前は気をつけろって言うんだ。僕は、もう現役でもないし、もうすぐ75歳だよ。(笑)」

「でも、うらやましいですよ。俺の兄貴は先に死んじまったんで」

「ああ、そうだったね。ゴメンね。でもね、僕は姉からその話を聞いたときに、これは神坂君に話したいなと思ったの」

「えっ?」

「最近の神坂君は成長したから大丈夫だとは思うけど、ぜひ姉のメッセージを噛みしめてもらいたいな」

「会長・・・」

「やっぱり何ごとも自分次第だからね。自分の人生を動かせるのは自分だけだよ。いろいろと本を読んでいるようだけど、昔の偉い人がいかに自分に矢印を向けて成長したかを読み取ると良いんじゃないかな?」

「会長、ありがとうございます。なんか会長が兄貴に見えてきました・・・」

「神坂君、泣いてるの?」

「泣いてません。会長が目を瞑っている間に目薬をさしただけです」

「嘘くさいな」


ひとりごと

小生は、10月から新しい会社に務めます。

今の会社では、研修をとおして多くの言葉を伝えました。

その中で、ある後輩社員さんが、「矢印を自分に向ける」という言葉が自分の仕事の仕方を大きく変えた、と言ってくれました。

しかし、そんな偉そうなことを言った自分自身はどうなのか?

矢印をしっかりと自分に向けられているのか?

まさに自分を見つめ直す時のようです。


【原文】
自得は畢竟己に在り。故に能く古人自得の処を取りて之を鎔化(ようか)す。今人自得無し。故に鎔化も亦能わず。〔『言志晩録』第56条〕

【意訳】
悟りを得るということは、結局自分自身にかかっている。それゆえ、自得した人は、昔の人が自ら悟り得たことを更に溶かし込んで自分のものとする。ところが今の人は自ら悟ることがない。それゆえに昔の人が自得したことを溶かし込んで自分のものにすることができないのだ

【一日一斎物語的解釈】
己をよく見つめ直すことで、人間は成長する。古今の偉人がいかに自分を見つめ直して徳を磨いたかを学ぶべきである。


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第1689日 「新規創造」 と 「固定観念」 についての一考察

今日の神坂課長は、営業2課の本田さんと同行しているようです。

「最近、石崎のやつが突飛なことばかり言うんですよ」

「へぇ、たとえば?」

「昨日は、いつまでも出待ちの営業をするのではなく、もっとITを活用すべきだとか言ってました」

「あながち間違ってないんじゃないの?」

「しかし、我々の業界でWEB面談ツールを使ってドクターと商談をするなんていうのは考えられませんよ。足繁く通った営業が評価される業界ですから」

「まあな。でもさ、他の業界ではそういう営業が一般化しているんだろう? たしか、インサイド・セールスとかいうらしい。欧米ではすでにセールスの40%がインサイド・セールスだって、相原会長が言ってたぞ」

「それはソフトウェアとかの業界の話じゃないですか?」

「本田君もやや頭が固くなってきたんじゃないの?」

「えっ?」

「一般的な意見じゃなくて、突飛な意見だからダメだという発想は危険じゃない? 世の中はすごいスピードで変わっている。たぶん10年後にはIT化されていない医療機器なんて無くなるんじゃないかな?」

「まあ、それはそうでしょうけど。それと営業とは違うような気が・・・」

「俺もちょっとインサイド・セールスについては調べてみるよ。どうせなら業界で最初にチャレンジする企業になりたいじゃないか!」

「神坂課長は、相変わらずチャレンジャーですね」

「それが俺の取柄だ。もちろん危険な側面でもあるけどね!」


ひとりごと

何か新しいことを実施しようとすれば、かならず抵抗勢力とぶつかります。

彼らは、前例がないことを盾にチャレンジを阻止しようとします。

しかし、前例がないことをやるからこそ、ブレイクスルーが生まれます。

いつまでも柔らかい発想を持ち続け、若い人の意見を素直に聞けるビジネスマンであり続けましょう!


【原文】
独得の見は私に似たり。人其の驟(にわ)かに至るを驚く。平凡の議は公に似たり。世其の狃(な)れ聞くに安んず。凡そ人の言を聴くには、宜しく虚懐にして之を邀(むか)うべし。苟(いやし)くも狃れ聞くに安んずる勿(な)くば可なり。〔『言志晩録』第55条〕

【意訳】
その人独自の見解というのは私見のようにみえる。人はそれを突然聞いて驚いてしまう。一方、世間一般の議論は公的な見解のようにみえる。世間は聞き慣れていることで安心するものである。概して人の意見を聞く際には、虚心坦懐な心で相対するべきである。仮にも慣れ親しんだ意見に安心するようなことではいけない

【一日一斎物語的解釈】
他人の独自の意見を一般論でないからとはねつけてはいけない。人の意見を聞くときは、私見を捨て、虚心坦懐に胸襟を開くべきだ。


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