一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

佐藤一斎

第1921日 「死の疑似体験」 と 「生の価値観」 についての一考察

今日の神坂課長は、久しぶりに「季節の料理 ちさと」を訪れたようです。

「ママ、お久しぶり。お店、開けたんだね?」

「あら、神坂君。さっそく来てくれたの? ありがとう! 緊急事態宣言も解除されたから、すこしずつでも営業させてもらおうと思ってね」

「ようやく、いつもの日常が戻ってくるのかな?」

「どうかなぁ?」

「どうしたの?」

「ウチのお店は狭いでしょう? お客さん同士の席が近いから、すこし距離をとるようなレイアウトにしないといけないんじゃないかと思ってるの」

「ああ、なるほど。COVID-19の前にはもう戻れないのか?」

「うん。でも、なんとか再開するよ。私は気づいたの。私にとって、このお店は私の命そのものなんだって」

「命そのものか?」

「だから、今回のお休みの期間は、死を疑似体験したようなものだった。きっと、自分が死んだら、こんな感じになるのかなぁって」

「そうかぁ。でも、俺も志村けん死亡のニュースの後は、しばらく死について考えたなぁ」

「悲しかったよね」

「でも、人間って、こうやって死を疑似体験しながら、本当の死に備えていくのかもね」

「そうね。だんだんと、死が怖いものではなくなって、自然に受け入れられるようになるのかなぁ?」

「そうだといいね。って、縁起でもないこと言わないでよ。俺はまだ、ママの料理をたくさん食べたいんだからさ!」

「うん、まだまだ死ねないよ。親も生きているし、順番は守りたいもの!」

「それで、今日は何を食べさせてくれるの?」

「まだ、生ものは出回ってないから、今日はおふくろの味を堪能してください」

「おお、肉じゃがか! それにホウレンソウのおひたし、最高じゃん!」

そのとき、お店の玄関の扉が開いたようです。

「いらっしゃい、あら、佐藤さん!」

「えっ、ああ、部長!!」

「おー、神坂君。さすがだね。さっそく来てたんだ?」

「ママからLINEが来ましたからね。これは、来いという合図だと思いましてね」

「実は、私も。(笑)」


ひとりごと

小生が住む愛知県は、緊急事態宣言が解除されました。

しかし、COVID-19流行の前の生活に完全に戻ることはないでしょう。

今回の出来事によって多くの価値観が変わりました。

新しい価値観に適応しながら、COVID-19とも共存していく時代の幕開けです。

とにもかくにも、希望を持って一歩踏み出しましょう!!


【原文】
死の後を知らんと欲せば、当に生の前を観るべし。昼夜は死生なり。醒睡(せいすい)も死生なり。呼吸も死生なり。〔『言志晩録』第287条〕

【意訳】
死んだ後のことを知りたいと思うのであれば、生まれる前のことを観るべきである。昼は生であり夜は死とみることができる。起きているときが生であれば、寝ている時が死である。さらに呼気は生であり、吸気は死であるともみることができよう

【一日一斎物語的解釈】
死後のことはわからないが、死生を疑似的に体験することはいくらでも可能である。


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第1920日 「学習」 と 「生死」 についての一考察

今日の神坂課長は、次男の楽(がく)君とお茶の間で会話をしているようです。

「とうさん、死んだら人間はどうなるの?」

「とうさんはまだ死んでないから、それはわからないなぁ」

「死ぬのって怖いよなぁ」

「そうだな。でも、自分がいつ死ぬかは誰にもわからないだろう?」

「それはそうだよ。もしわかるなら知りたいよ」

「そうか? とうさんは知らない方がいいなぁ」

「なんで?」

「だって、もし今年中に死ぬとわかったら、悲しすぎないか? まだ、とうさんもやりたいことはあるし、お前らが大人になるのを見届けたいからな」

「そうか。俺も、もし死ぬのが近いってわかってたら、学校なんか行っている場合じゃないな」

「ははは。学校は行った方がいいだろう?」

「もうすぐ死ぬなら、勉強しても意味がないじゃん。命が残り少ないなら嫌いなことはしたくないもん」

「なるほどな。でも、結局はいつ死ぬかはわからないんだ。それなら、長く生きられると信じた方が楽しくないか?」

「それはそうだね」

「生まれたら必ずいつかは死ぬんだ。生まれることも死ぬことも、俺たちは選べないよな? でも、どうやって生きるかは自分で決められるんだ」

「うん」

「だったら、しっかり勉強して世の中に貢献した方がいいし、たくさん友達がいた方がいいだろう。だから、学校には行くべきなんだよ」

「そうか、もし長生きするなら、勉強しておかないと大変なことになるね」

「そう、それで苦労しているのがとうさんだ。(笑)」

「勉強しておけばよかったと思う?」

「めちゃくちゃ思うぞ。今からお前と同じ年に戻れるなら、とうさんはめっちゃ勉強するぞ」

「でも、それはできないね!」

「うん、だから今、少しでも取り返そうと本を読んでいるんだ」

「あんまり先のことを考えても仕方ないのかな?」

「そうだよ。今、楽にできることは、たくさん勉強し、たくさん運動し、たくさん友達を作ることだ。全力でそれをやればいいんだよ」

「勉強は嫌だけど、頑張らないといけないね?」

「とうさんみたいに後悔したくなかったらな!!」


ひとりごと

自分の過去をウジウジト悔やむのも、これからの未来を心配し過ぎることも、心に負荷をかけるだけです。

過去には戻れませんし、未来を自分の思うようにすることもできません。

そして、この世に生まれてきた以上、いつかは死ぬのです。

それなら、今できることに力を尽く方が、心もスッキリしませんか?

マハトマ・ガンジーの言葉に、「永遠に生きるように学べ。明日死ぬかのように生きろ」とあります。

学びを大切にして、日々に全力を尽くせ、ということでしょう。


【原文】
凡そ人は少壮の過去を忘れて、老歿(ろうぼつ)の将来を図る。人情皆然らざるは莫し。即ち是れ竺氏が権教(ごんきょう)の由って以て人を誘う所なり。吾が儒は即ち易に在りて曰う、「始めを原ね終りに反(かえ)る。故に死生の説を知る」と。何ぞ其れ易簡にして明白なるや。〔『言志晩録』第286条〕

【意訳】
およそ人というのは若い日や壮年期のことを忘れて、老いや死について考えてしまう。人情はみなそのようである。それはすなわち釈尊が仏教の教えのなかで人をそのようにそそのかすからである。私が学ぶ儒教においては、経典のひとつ『易経』の中で「始めを原ね終りに反る。故に死生の説を知る( 死ぬのも生きるのもまた一つの道理である。物の始めをたずねれば必ず終りがある。死生の理は明明白白である)」としている。なんと容易で明瞭ではないか。

【一日一斎物語的解釈】
人間は過去を忘れて自分の未来を心配しがちであるが、死生の理は明白であるので、死を過度に恐れることなく、生を全うすべきである


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第1919日 「今の生」 と 「次の生」 についての一考察

今日の神坂課長は佐藤部長の部屋に居るようです。

「部長、凄いことを発見しました。朱熹(朱子)が死んだ年に道元が生まれているんですね」

「へぇ、そうなの?」

「まあ、朱熹が亡くなったのは1200年4月23日で、道元が生まれたのは1200年1月19日らしいので、生まれ変わりというわけではないのでしょうが、なにか因縁を感じませんか?」

「同じ東洋の偉大なる哲学者だからね。命がバトンタッチされたのかも知れないね」

「それに関する一斎先生の言葉ってありますか?」

「そうだねぇ。『生とは死のはじめであり、死は生の終わりである。しかし生がなければ死は生じないし、死がなければ生も生じない。生と死は永遠の遷り変りなのだ』という言葉を残しているね」

「生と死は一対なわけですね。それも自分の死は、全く別の国で違う生へと生まれ変わるのかも知れない」

「科学的にはあり得ないことだろうけれど、科学というものは、ある意味で過去の迷信や想像を実証するためのものかも知れない。そういう意味では、いま神坂君が言ったことも全否定はできないよね」

「ということはですよ。生きている間に修養を積み、学問を積んで魂を磨いた人の死は、次には、それ相当の人の生となって生まれ変わるのかも知れませんね?」

「そうかもね」

「疎かに生きられないですね。自分の生き方が次に生まれ変わる際の人間のランクを決めるのかも知れないと思うと」

「今この時は一度しかないからね。COVID-19で大変な状況ではあるけれど、それに不平や不満を言っているだけでは自分の魂は磨かれないね」

「はい。この状況をどう自分の成長に結びつけるか。みんながそれを考えるべきです!」

「大累君から聞いたよ。アフターコロナを見越した事業分析をしようという話のようだね」

「はい。ぜひご協力をお願いします。2020年は、新しい生活スタイル、そして新しい営業スタイルの元年となる年だと思います。乗り遅れるわけにはいきません!

「さっそく来週の会議の議題にして、じっくり意見交換をしようじゃないか」

「とにかく仕事以外に、私が魂を磨く方法はないので、よろしくお願いします」


ひとりごと

古来、「輪廻転生」とか「生々流転」といった言葉が語れています。

人間の死は、その生を終えるという意味では悲しいことですが、次なる生への飛躍のときだと思えば、穏やかな気持ちになります。

そして、次の生をより充実したものにしたいなら、現世の生を大切にする以外に方法はないのかも知れません。


【原文】
生は是れ死の始め、死は是れ生の終り。生ぜざれば則ち死せず。死せざれば則ち生ぜず。生は固より生、死も亦生。「生生之を易と謂う」とは、即ち此(これ)なり。〔『言志晩録』第285条〕

【意訳】
生とは死のはじめであり、死は生の終わりである。生まれなければ死ぬことはなく、死ななければ生まれることはない。生はもとより生であるが、死もまた生である。『易経』に「生生之を易と謂う(生生して止まないことを易という)」とあるのは、このことを言っているのだ

【一日一斎物語的解釈】
生死は一対である。この世に生まれた以上、いつかは必ず死ぬ。その死はまた次の生へと受け継がれる。「易」とは生の哲学なのだ。


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第1918日 「楽天」 と 「予兆」 についての一考察

今日の神坂課長は、大累課長と喫茶コーナーで雑談をしているようです。

「神坂さん、コロナが収束した後も、この微妙な距離感は一般化するんですかね?」

「ソーシャルディスタンシングってやつか? ある程度は考慮されるようになるんじゃないか。あまりにもキチキチに客を詰め込むようなお店は改装を迫られるかもな」

「でも、人間同士の距離って心の距離感と比例しませんか?」

「近づく方が親しくなれるってこと?」

「はい」

「それはよくわかるよ。でもな、コロナの後は、そういう感覚が古いと言われていくのかも知れないぜ」

「やっぱりオンライン営業ってことも考える必要があるんですかね?」

「少なくともすぐに対応できる体制はとっておくべきじゃないかな」

「やりにくくなるなぁ」

「今回のCOVID-19の大流行は、どう考えても大自然の摂理の中で起きた出来事のような気がする。いくつもの変化の兆しが見えるじゃないか」

「それはそうですね」

「だから、ポジティブに捉えようぜ。今回の件は、人間が生き残っていくために、必要な変革の時期なんだと思うんだ。だったら、前向きにピンチをチャンスに変換できるような視点で物事を見ようじゃないか!」

「神坂さんは相変わらずポジティブですねぇ」

「ノー天気とか楽天家と言われるけど、そういう奴が世の中を変えていくんじゃやないかと思う。都合の良い解釈だけどな」

「いや、それは間違いないですよ。そういう人には人がついてきますからね」

「そういうお前も、かなりの楽天家じゃないのか?」

「まあ、どっちかと言えばそうですね。雑賀は逆ですけどね」

「雑賀か。ああいうタイプは、変化の兆しには気づかないかもな。あとで慌てるんだろう」

「ただ、今回はあいつの得意なITの世界が進展しそうなので、珍しく超ポジティブですけどね」

「いいことじゃないか! 心が明快でポジティブでいれば、きっと変化の兆しを先取りできると思うんだ。後で振り返って、この出来事が会社にとって良い出来事だったと思えるように、変化を先取りしていこうぜ!!」

「その前向きさには100%同意しますが・・・」

「なんだよ?」

「何が起きていて、この後何をすべきかについては、部長にも入ってもらってしっかり分析しましょうね」

「俺の分析じゃ心配か?」

「はい、信頼度0%です」


ひとりごと

自分の力ではどうしようもない出来事が起こるなら、それをポジティブに捉えるしかありません。

ネガティブになっても、もう以前に戻ることはできないのですから。

そして、常に心がポジティブであれば、変化を先取りできるのだ、と一斎先生は言います。

それなら猶更ポジティブでいたいですよね!!


【原文】
心気精明なれば、能く事機を知り、物先に感ず。至誠の前知するは之に近し。〔『言志晩録』第284条〕

【意訳】
人の心が晴れて明らかであれば、物事の兆しを予測でき、物事のはじめを感じることができる。『中庸』にある「至誠の前知」とは、このことに近いことを言っているのだ

【一日一斎物語的解釈】
心の中を明るくポジティブにすることで、物事の変化の兆しを予見することも可能である。


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第1917日 「人生」 と 「使命」 についての一考察

今日の神坂課長は、元同僚西郷さんの主査するオンライン読書会に参加したようです。

会の終了後、各自お酒を飲みながらの雑談会に入ったようです。

「サイさん、読書会はオンラインでも十分できますね」

「うん、心配していたけど、大きな問題はなく開催できた気がする」

「遠方から参加されていた人がいましたよね。オンラインでなければあり得なかったことですよね」

「彼は古くからの友人で、前から出たいと言ってくれていたんだよね。ようやく念願が叶ったと喜んでくれていたのも嬉しかった」

「今回のことを機に、オンライン読書会は増えていくでしょうね?」

「それを実感したよ。私としてもこれで自分の使命を果たせるんじゃないかという希望も湧いてきたしね」

「使命ですか?」

「『論語』には、永遠に色あせることのない不変の真理が書かれていると思っている。それを私のビジネスマンとしての経験に照らしてお話をすることで、少しでもこの国の将来のお役に立てるのではないかと思ってね」

「たしかに、今日の章句なんて、今の情況にどう対処するかのひとつの答えを示していましたもんね」

「リアルの読書会だと、どうしても場所が限定されるけど、バーチャルの読書会では、距離の壁を超えることができると確信したんだ」

「そういえば、一斎先生が『言志四録』の中で、人の一生なんて長くても100年程度で、人類の歴史からみたらほんの一瞬に過ぎない。しかし、人間として生まれた以上は、人間としての使命を果たして死んでいきたい、って書いていました」

「おお、私の今の想いにピッタリの言葉だ」

「俺の使命って何なんだろうなぁ?」

「神坂君、今の仕事に力を尽くしていれば、必ず見えてくるよ。孔子だって『五十にして天命を知る』と言っているんだからね」

「なるほど」

「ろうそくに例えると、使命を果たす人というのは、最後まで完全に燃焼しきって跡形もなくなったような状態なんだろうね。使命を果たせない人というのは、途中で火が消えてしまって、最後まで燃え尽くせずに、燃えカスが残ってしまった状態なのかもね」

「それは寂しいな。せっかくろうそくに生まれて、途中で消えて捨てられてしまうなんて」

「そう。だから最後の最後まで燃え尽くせるように生きないとね!」

ひとりごと

せっかく人間として生まれてきたのなら、何か世の中のお役に立って死にたいと願うのは人間の本願なのでしょう。

もちろん、程度の差はありますが、どんな職業でもそれなりに社会の役には立っているはずです。(社会の役に立たない職業が長く続くわけはありません)

その中で、より自発的にお役に立ちたいと考えるとき、自分に課された使命というものを認識するのでしょう。

小生もすでに50代、残り少ない時間を使命を燃やし尽くすために注いでいきます。


【原文】
我れより前なる者は、千古万古にして、我れより後なる者は、千世万世なり。仮令我れ寿を保つこと百年なるも、亦一呼吸の間のみ。今幸いに生まれて人となれり。度幾(こいねがわ)くは人たることを成して終わらん。斯(こ)れのみ。本願此に在り。〔『言志晩録』第283条〕

【意訳】
私が生まれる以前には遥かなる年月が経過しており、私の死後も永遠に続いていくであろう。たとえ私が長生きをして100歳となったところで、それは人類の歴史においては、ほんの一呼吸の間に過ぎない。いま私は幸いにも人間として生まれることができた。この上は、なんとしても自分に与えられた使命を果たして死んでいきたい。私の本願はここにしかないのだ

【一日一斎物語的解釈】
人生100年となろうとも、人類の悠久の歴史からみればほんの一呼吸の間に過ぎない。しかし、人間として生まれたからには、人としての使命を果たし終えて死にたいものだ。


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第1916日 「波」 と 「人生」 についての一考察

今日の神坂課長は、相原会長とZoom飲み会をしているようです。

「実は、僕の友人がコロナに罹って亡くなったんだよ」

「えっ、本当ですか?」

「うん、いよいよ他人事ではなくなってきたね。一ヶ月前に会ったときはピンピンしていたんだ。それがコロナに罹ったという連絡を受けてからたったの2週間足らずで逝ってしまったよ」

「なにか持病があったのですか?」

「元気な男だったから病気とは無縁だったね。ただ、ヘビースモーカーだったんだ」

「ああ、たばこですか。喫煙者の死亡リスクは、非喫煙者の3倍だそうです」

「そうらしいね。同世代の仲間が急に逝っちゃうと、ちょっとショックでね」

「それはそうでしょうね。お察しします」

「僕もこの年だから、いろいろ考えちゃうよね。これまでの人生はまるで波のようだったなぁ」

「波ですか?」

「うん。波って寄せては返しながら、徐々に進み、徐々に退いていくでしょう。僕の人生も一進一退だったからねぇ」

「そういうことですか」

「神坂君は今年で43歳だったよね?」

「はい」

「人生というのは40歳以降にいろいろあるものだね。そこからはそれまでの何倍もの慌ただしさで、進退してきたからね。神坂丸もしっかりと舵を握っていないとダメだよ」

「舵ですか? 具体的にはどうすれば良いのでしょうか?」

「軸をもつことだろうね。言葉を変えると、生きる基準とも言えるかなぁ?」

「生きる基準ですか?」

「ありきたりだけど、やはり人生の基準は『損得より善悪であるべきだろうな。自分を後回しにしてでも、利他を心がけると良いと思うよ」

「会長はそういう基準で生きてきたのですか?」

「それに気づいたのは40代の後半だったかな。40代前半までは損得がベースだったと思う」

「例の件がきっかけですか?」(詳細は第1411日参照)

「そう。あの出来事があるまでは、自分にとって損か得かだけで考えていたからね」

「私も厄年は終わりましたが、まだこれからいろいろとあるんでしょうね。砂浜に打ち寄せる波のように、一進一退しながら進んでいくんだな」

「そう。だから退くことを恐れないこと。退かなければいけないときもあると思って、次の前進の機会をさがせばいい」

「はい。なんだか海が見たくなりました」

「コロナが落ち着いたら、一緒に海辺でデートしよう」

「会長とですか?!」


ひとりごと

考えてみると、波を題材にした歌は意外と多いですね。

やはり人は、寄せては返す波をみて、自分の人生を重ねてしまうのでしょうか?

小生は若いころ、遊泳禁止エリアで遊んでいて高波にのまれたことがあります。

波の中はぐるぐると渦巻いていて、何回転もしながらようやく抜け出したことを思い出します。

ぐるぐると心の中で葛藤しながら、人は一進一退を繰り返しながら生きていく。

人生は波のようだというのは、よく理解できる気がします。


【原文】
人の齢は、四十を踰えて以て七八十に至りて、漸く老に極まり、海潮の如く然り。退潮は直退せず、必ず一前一卻(いっきゃく)して而して漸退す。即ち回旋して移るなり。進潮も亦然り。人人宜しく自ら験すべし。〔『言志晩録』第282条〕

【意訳】
人間の年齢というものは四十を超えて、七十歳、八十歳となると、ようやくその老いも極まっていくが、これは海の潮のようなものである。引き潮のときもすぐには引かずに、寄せては返しながら徐々に引いていく。つまり回りながら引いていくのである。満ち潮の場合も同様である。人々は自ら経験するべきである

【一日一斎物語的解釈】
人生の歩みは、寄せては返す波のように進退するものだ。


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第1915日 「食事」 と 「薬餌」 についての一考察

神坂課長が客先から戻った石崎君を呼び止めたようです。

「少年、この前、カツオのたたきを食べて腹を下したと言ってたよな?」

「はい、たぶん」

「たたきと一緒にショウガが盛り付けられていたと思うけど、それも食べたか?」

「食べないですよ。ショウガは辛いし、それにあれは見た目を良くするためのものじゃないんですか?」

「違うよ、ちゃんと意味があるんだよ。ショウガには抗菌作用がある。だから、一緒に食べていたら、腹を下さなかったかもしれないぞ」

「そうなんですか?! じゃあ、お刺身についてるつまにも意味があるのですか?」

「もちろんだよ、大根にも殺菌作用があるし、口の中をスッキリさせるという効果もあるんだ。大葉もそうだぞ」

「へぇー、知らなかった。今まで食べたことなかったです」

「実は、俺も少し前まではそうだった。なんかあれを食べていると貧乏くさい気がしてな」

「同じです。(笑)」

「しかし、ちゃんと理由があると知ってからは食べるようにしているんだ」

「そういうことなら、私もこれからは食べるようにします」

「昔の人の知恵ってすごいよな。なま物を食べるときに、そうやって付け合わせで殺菌することを考えている。それだけでなく、見た目にも白い大根のつまは、刺身の鮮やかな色を引き立てる効果もある」

「科学的にというより、感覚的に学んでいるのでしょうね」

「そうだな。やはり、人間に本来備わった感覚というのは、大事にしないといけないな」

「そうですよ、課長。激辛のつけ麺を特盛で食べたら、おなかを壊すことくらい、感覚的にわかると思うんですよね!」

「お先に失礼します!」
この時、そばにいた善久君がそそくさと居室を出ていきました。

「うっ。お前、誰から聞いた? そうか、善久だな。おい、善久!」

「ゼンちゃん、さすがだな。ギリギリのタイミングでかわしたな」

「あいつの危険察知に関する感覚も凄いな」

「ゼンちゃんだけじゃないですよ。課長に対する危険察知センサーは、2課の皆さん全員が超高感度に設定してありますから!」

「やかましいわ!!」


ひとりごと

美食・飽食を続ければ、健康を害するというのは理解できますね。

それにしても、日本の食文化というものは、素晴らしいと思いませんか?

さりげなく付け合わせた食材に、見た目の効果だけでなく、ちゃんと意味があるのです。

刺身のつま、ショウガ、ミョウガ、大葉、パセリといった付け合わせは、必ず食べるようにしましょう!!


【原文】
一飲一食も、須らく看て薬餌(やくじ)と為すべし。孔子薑(きょう)を撤せずして食(くら)う。多くは食せず。曾晳(そうせき)も亦羊棗(ようそう)を嗜む。羊棗は大棗とは異なり。然れども亦薬食なり。聖賢恐らくは口腹(こうふく)の嗜好を為さざらん。〔『言志晩録』第281条〕

【意訳】
一杯の飲み物も、一回の食事もすべて薬だと見なさなければならない。孔子は生姜をのけずに食べたが、多くは食べなかったとのことである。曾子の父の曾晳も実の小さいなつめを食べていた。羊棗(実の小さいなつめ)と大棗(鶏卵大のなつめ)とは種類は違うが、これもまた薬食である。おそらく聖人賢人は美味・満腹を求めて食事をしなかったようである

【一日一斎物語的解釈】
口から体内に入れるあらゆる飲食物は薬のようなものである。自分の口に合う物だけを腹一杯食べるというようでは、健康を保つことはできない。


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第1914日 「暴飲暴食」 と 「身体のサイン」 についての一考察

定時後、神坂課長がトイレから出てきました。

「あれ? 今度は神坂課長が下してるんですか?」

「善久、そうなんだよ。あのガキ、俺にうつしやがったな!」

「ぜったい違うと思いますよ。だいたい下痢はうつらないじゃないですか?」

「ノロウィルスなら感染するだろう」

「ノロにかかったら、そんな余裕でいられませんよ!」

「そうなの?」

「私は一度罹りましたけど、上と下から常に放出する状態で、めちゃくちゃしんどかったですよ。それより、お昼になにか変なものを食べたんじゃないですか?」

「昼か? おお、そういえば激辛つけ麺の特盛を食べた!」

「ぜったいそれですよ! 激辛のめんを特盛ですよね? 誰でも腹を下しますって!」

「たしかにそうだな。最後はかなり無理に詰め込んだもんな」

「結局、課長にしても、ザキにしても、なるべくしてなったって感じですね」

「賞味期限を過ぎたものを食べるような浅ましい奴と一緒にしないでくれよ!」

「五十歩百歩だと思いますけど・・・」

「もう一回行ってくる」

「・・・」

「おや、神坂君は体調でも悪いの?」

「あ、佐藤部長。体調不良といえばそうですけど、自業自得のような・・・」

善久君が事のいきさつを佐藤部長に話したようです。

そこにちょうど神坂課長が戻ってきました。

「もう、出るものないのになぁ。あ、部長、お疲れ様です」

「神坂君、聞いたよ。一斎先生は言っているよ。養生において最も意識すべきは、適度を守ることだとね」

「今回課長は、2つの適度を超えていますからね!」

「2つってなんだよ!」

「適度な味付けと適度な量を超えています!!」

「なるほど、おっしゃるとおりです・・・」

「抵抗力が落ちると、例のやつが忍び寄ってくるよ!」

「部長、脅かさないでください。明日からは腹八分を心がけます!」

「味付けもね!!」


ひとりごと

二日続けての下品ネタで恐縮です。

人間の身体はよくできていて、ちょっと無理をするとすぐにアラートを出してくれます。

そのアラートに気づけるか、気づけないかで養生の度合い変わってくるのでしょう。

ところで、今回のCOVID-19に罹患した場合、喫煙者は非喫煙者の3倍の死亡リスクがあるというデータが発表されました。

喫煙者の方はきっと皆さん、今までに数々のアラートを無視してきたのではないでしょうか?

そろそろ身体からのサインを素直に受け入れるときでは?


【原文】
養生の工夫は、節の一字に在り。〔『言志晩録』第280条〕

【意訳】
養生において心を砕くべきは、節度を守ることである

【一日一斎物語的解釈】
養生において最も肝心なことは、節度を守ることだ。


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第1913日 「口から呑むこと」 と 「口から吐くこと」 についての一考察

営業2課の石崎君がお腹を押さえてトイレに駆け込んだようです。

「なんだあいつ、朝からピーピーか?」

「今日は何を話しかけても反応がなかったです。(笑)」
同期の善久君です。

しばらくして、石崎君が戻ってきました。

「おい、大丈夫か? アポがないなら、在宅で仕事してもいいぞ」

「それが、今日に限ってアポがありまして・・・」

「誰かに代わってもらえないのか?」

「私をご指名なので、難しいと思います」

「そうか、それはご愁傷様。ところで、お前、何を食ったんだ?」

「たぶん、昨日食べた鰹のたたきだと思います。三日くらい賞味期限を超えてましたから」

「ヤバい菌でもついてたんじゃないのか? そのままその先生に診てもらえよ」

「そうします。ダメだ」

またまたトイレに向かったようです。

「口は禍の元なんていうけど、あれは言葉だけじゃないんだな」

「どういうことですか?」

「悪いものを取り入れるのも口じゃないか。口から入って身体を壊すわけだからな。お前も独り暮らしだよな、気をつけろよ」

「あー、なるほど。私は、食べ物には気を使っているので大丈夫です」

「なんだよ、ゼンちゃん。俺が気を使っていないみたいな言い方じゃないか」
トイレから戻ってきた石崎君がか細い声でつぶやきました。

「気を使っている奴が、賞味期限を超えた食品を食うか?」

「だって、消費期限じゃないから、大丈夫かなと思って・・・」

「急に気温も上がってきたしな、食い物には特に気をつけろよ。口は禍の元だからな!」

「あの言葉は、課長みたいな人に当てはまる言葉だと思っていたけど、そうでもないんですね?」

「やかましいわ! 口から何かを取り入れる際に、悪いものを食えば体調を壊すし、悪い空気を吸えば心を病ませるんだよ」

「そこは気をつけます」

「そこは、ってどういうことだよ?」

「本来の意味は、口から悪い言葉を発して人を傷つけないようにしなさい、という意味ですよね? その点は、私は大丈夫ですから」

「私は?」

「課長は引き続きお気をつけください」

「このガキ!」

「あー、ダメだ~。ずっとトイレに居ようかな」

石崎君は慌ててトイレに逆戻りのようです。


ひとりごと

本章の一斎先生の言葉を読んで、「口は禍の元」という言葉の深い意味を知ることができました。

小生と同じく、「アウトプットする際に慎重にしなさい」という意味でしか理解していない方が多いのではないでしょうか?

実際にはインプットする際にも要注意ということのようです。

GW明けから一気に気温も上がってきました。

食べ物には気をつけましょう!!


【原文】
口吐吞(とどん)を慎む、亦養の一端なり。〔『言志晩録』第279条〕

【意訳】
飲食と言語を慎む、またこれも養生の一方策である

【一日一斎物語的解釈】
口はさまざまな意味で禍の元である。


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第1912日 「読書」 と 「熟睡」 についての一考察

今日の神坂課長は、久しぶりに会社に出社したようです。

「本田君、久しぶりだねぇ。ご家族共々元気?」

「ありがとうございます。幸い、みな元気にやってます」

「それがなにより。ふわーっ。ダメだ、あくびが止まらないなぁ」

「遅くまで起きていたのですか?」

「そんなこともないんだけどねぇ。寝る寸前まで本を読んでいたけど、1:00過ぎには寝たと思うんだよね」

「寝る前に本を読むと、寝ている間もあれこれ考えてしまうので、熟睡できないらしいですよ!」

「マジで?! 最近は毎晩寝る前に読書しているんだけど、それが熟睡できない原因だったのか! 年のせいかと思ってた」

「課長、まだ40代前半じゃないですか!」

「そうでした・・・」

「逆に言うと、なにか答えを出したいときは、寝る前にそのことを考えて寝ると良いとも聞きました」

「へぇー、たしかに人間の臓器は不眠不休だもんな。脳みそは夜中も働いてくれているわけだ」

「だから、そういうもしものために、普段は休ませてあげた方が良いんじゃないですか?」

「そうだよね。夜という時間は、身体だけでなくて、精神も開放してあげなきゃいけない時間帯なんだろうね」

「そうですよ。最近の課長はちょっと詰め込み過ぎじゃないですか?」

「それはそうなんだけど、今まで俺の脳みそはほとんど空っぽだったから、その分を挽回しないとね!」

「すごいなぁ。やっぱり課長は、やる時はやる人ですね!」

「わかってくれる? 意外とコツコツ努力するタイプだったりするんだよ!」

「はい、承知しています」

「でもさ、今日は良いことを教えてもらった。本田君、ありがとう。今日から寝る前の2時間くらいは、精神を開放してみよう!」

「はい。しかしそうすると、本を読む時間が減ってしまいますね」

「そこだよなぁ。俺は本を読むスピードが遅いんだよね。まぁ、その分集中して読み込むさ!」


ひとりごと

寝る前に読書をされている方は意外と多いのではないでしょうか?

かくいう小生もそんな一人です。

しかし、たしかに本を読んで寝た翌朝というのは、なにか目覚めが悪い気がします。

それは睡眠時間の問題もあるでしょうが、意外と脳がフル稼働してくれていたせいなのかも知れません。


【原文】
「晦(かい)に嚮(むか)いて宴息する」は、万物皆然り。故に寝(しん)に就く時は、宜しく其の懐(かい)を空虚にし、以て夜気を養うべし。然らずんば、枕上思惟し、夢寐(むび)安からず。養生に於いて碍(さまたげ)と為す。〔『言志晩録』第278条〕

【意訳】
『易経』に「夕方になったら休息する」とあるが、万物すべてそれに則っている。したがって眠りにつくときは、心の中を空っぽにして、夜の気を養うべきである。そうしなければ、床に就いてもあれこれと考えてしまって、熟睡することが難しくなる。それは養生においては妨げとなるであろう

【一日一斎物語的解釈】
眠りにつく前には、精神を開放する方がよい。寝る前の読書は熟睡の妨げとなる可能性がある。


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